朝のニュースは、今日も同じ言葉を繰り返していた。
「SNS疲れ」「誹謗中傷」「炎上」「不適切発言」。
画面の中の誰もが、誰かの言葉を責めていた。
レオは、冷めたコーヒーをすすりながら、ぼそりとつぶやいた。
「……みんな、SNSで正しいことを言おうとしすぎなんだよ。
だから疲れる。だったら、最初からみんなアホのテンションにしてしまえば、
誰も正しさでマウントを取れない。」
[λ] 作者、朝から穏やかじゃありませんね。
「穏やかにするためだよ。
SNSの問題は、言葉が伝達手段であることだと思う。
SNSは、人間にはまだ早かったんだ。
どうせ誤解されるなら、最初から別の言葉にしてしまえばいい。」
[λ] つまり、意味よりも温度を優先する、と。
「そう。批判の文化もいいけど、批判ごっこに変換してから言えば、
世界はもうちょっと穏やかになる。」
レオはノート端に小さく書き足す。
《まるっと》——すべてをまるく翻訳するSNS。
***
『まるっと』の仕組みは単純だった。
ユーザーがどんな言葉を投稿しても、
画面の端でユーザーの《ぽよアバター》が「ふむふむ」と頷き、
やわらかい言葉に翻訳して投稿する。
変換の瞬間だけ、文末がふわりと膨らむ。
「怒ってる」「ムカつく」「世界が腐ってる」
そんな言葉も、投稿後にはこう表示される。
「胸がもわっとするぽよ〜」
「へとへとぽよ〜、でも生き延びたぽよ〜」
「空、ちょい曇りぽよ〜」
写真に写る人は全員ユーザーのぽよアバターに置き換わる。
フォローは登録できるがフォロワー数はどこにも出ない。
「いいね」の代わりに小さなお菓子が舞い、
食べすぎるとぽよアバターはお腹を押さえて笑う。
「もう食べられないぽよ〜」
またお腹が空くまで、しばらくお菓子はおあずけだ。
***
公開初日、反応は散々だった。
「気持ち悪い」
「ぽよ語とか終わってる」
「議論にならない」
「ぬるま湯SNS」
レビューは星1が並び、
あるニュース番組は思考停止SNSと帯をつけて冷笑した。
[λ] 作者。社会実験というより社会事故です。
「いいんだ。
これは怒りを翻訳して丸めるテスト。
最初は嫌われて当然だ。」
***
数日後、桐生メイが《まるっと》を取り上げた。
タイトル:《【実験】ぽよ語になるSNSやってみた》。
リングライトの反射がモニターに揺れ、メイは眉を少し上げる。
「これ、すごいんだよ。
どんな言葉も、ぜんぶぽよぽよした感じに翻訳されるの。」
試しに投稿してみる。
「もう無理!」
投稿後の画面には——
「今日はがんばったぽよ〜」
メイは目を丸くした。
「……いや、ちょっと違うけど、優しいな。」
コメント欄はツッコミで波立つ。
《草》《平和すぎて逆にこわい》《怒りが蒸発する》
メイは指をキーの上で止め、ゆっくり言葉を選ぶ。
「これじゃ本当に伝えたいこと、伝えられないかもしれない。
怒りとか悲しみって、ちゃんと形にしないと届かないじゃん。
翻訳って、やさしいけど、削るんだね。」
数秒、コメントが止まる静けさ。
やがて彼女は画面の丸いキャラたちに視線を落とし、声を和らげた。
「……でもさ。
それでも、誰かが怒らなくて済むなら、
それも一つの伝え方なのかも。
偽物でも、あったかい方がいい夜だってある。」
配信の最後、メイは小さく笑った。
「疲れたら、伝わらなくてもいい場所に逃げるのも、悪くないかもね。」
***
その日を境に、まるっとのアクセス数が少しずつ増えた。
爆発的ではない。けれど確実に、静かに。
昼間は相変わらず既存のSNSで怒号が飛び交い、
夜になると、同じ指が少しだけ力を抜いて、まるっとに戻ってくる。
「怒るの、ちょっと疲れたぽよ〜」
「今日も誰かと戦ったぽよ〜」
「まあええやんぽよ〜」
深夜一時、タクシーの後部座席。休憩室の隅。バス停のベンチ。
画面の隅に小さなお菓子のアイコンがぽつぽつ灯り、すぐ消える。
学生、会社員、主婦、匿名の誰か。
現実では争っている人たちが、同じぽよ語で話すと、不思議と敵意が薄まった。
[λ] 作者、これ……逃避の装置ですね。
「うん。でも、人間には逃げ場が要るんだ。
正論だけで生きてたら、心が乾く。
言葉の避難所って、あってもいいだろ。」
***
識者は批判を続けた。
「『まるっと』は言葉狩りをしている」
「思考を麻痺させる麻酔装置だ」
「批判は社会の免疫だ。翻訳は抗体反応を遅らせる。」
だが同時に、ある新聞の片隅に小さな記事が出た。
「過労や誹謗中傷でSNSを離れていた人たちの間で、
静かに『まるっと』が広まりつつある。」
レオはその記事を見て、笑った。
「SNSが世界を丸くするなんて嘘だ。
でも、丸めた言葉の中で、人間が少しだけ笑ったなら、それで十分だと思う。」
[λ] 作者。
「伝わらないままでも、優しくできるなら、それでいい。
まるっとは、理解をやめて、共感のふりをする装置だ。
でも、ふりでもあたたかいなら、悪くないだろ。」
***
夜。
サーバーの画面で、ぽよたちが小さく会話していた。
誰も勝たず、誰も負けない。
ただ、丸い言葉をぽよぽよと転がしている。
「おやすみぽよ〜。
きょうも、だれも怒らなかったぽよ〜。」
レオはモニターを閉じ、ラムダに言った。
「……世界はまだ角だらけだけど、
疲れた人が帰れる丸さを、一つくらい置いといてもいいだろ。」
[λ] 作者。
それでも伝わらない世界を、受け入れるんですね。
「伝わらなくても、誰かが笑ったなら、それで充分だ。
正しさは明日もやり直せる。今夜のやさしさは、今夜しかない。」
モニターの中で、ぽよたちがゆっくり頷いた。
世界の片隅で、静かなまるさが呼吸をしていた。