有馬レオの部屋は、珍しく静かだった。
モニターに反射する夜景も消えている。
ただ、コンソールに青い光が灯っていた。
[λ] 作者、今日は新しいデータを保存していません。
よろしいですか?
「よろしい。……今日は、記録しない日だ。」
[λ] 不吉な響き。
「いいんだ。人間、セーブしすぎなんだよ。
上書きして、やり直して、失敗を消して。
それじゃ、生きてる手触りがなくなる。」
[λ] つまり、死にゲーを作るのですね。
「違う。生き直せないゲームを作るんだ。」
***
タイトルは『セーブしないでください』。
仕様は単純。
セーブ/ロードはいつでもできる。ただし——
プレイヤーが死亡してロードした瞬間、その周回で死んだ自分が亡霊として世界に残る。
亡霊は消えない。クリア後も、次の周回でも、ずっと漂い続ける。
こちらを、静かに見つめたまま。
だから、セーブしないでください。
[λ] 作者、それは狂気です。
「でも現実も同じだろ? 昨日を保存できない。」
[λ] 人類史上初の自己ストーカーAI型RPG。
「いいね、そのコピー。PVに使おう。」
***
起動。
灰色の大地。微かな風のノイズ。
プレイヤーが歩き出す。霧の縁に、もう一人の影。
同じ服、同じ歩幅。俺の前回のプレイデータだ。
ただ、表情が違う——泣いている。
「君はやり直せていいよ。
じゃあ、死んだ僕はどうすればいいの?」
そう訴えかける瞳に、背筋が凍る。
その一言で、背筋が凍る。
返す言葉が見つからないまま歩く。
けれど亡霊は、場所を変えて何度も現れた。
彼らは俺の過去の決断と失敗の残骸。
足音が、常に半拍遅れてついてくる。
無限のIFが、世界の縁を彷徨っている。
[λ] 作者、これはホラーです。
「違う。記憶の倫理だ」
***
説明文は、たった一行。
セーブしないでください。
それが、物語です。
公開翌日、レビュー欄は阿鼻叫喚だった。
「ボス戦で死んでロードしたら、死んだ自分が道の端を歩いてた」
「ボス倒しても、ゲームクリアしても、ずっと画面の端から見られてる」
「セーブするのが怖くなった」
SNSではハッシュタグがトレンド入り。
#セーブ禁止チャレンジ
#記録されない勇者たち
誰もがセーブすることを笑いながら恐れるようになった。
***
桐生メイの配信が始まった。
タイトル:《【生放送】セーブしたら、死んだ私が出てきた》。
画面には、彼女とゲームの両方が映っている。
「これ……ほんとに自分の亡霊が出るんだって。
死んでロードしたら、前の自分が歩いてるらしいよ。」
視聴者のコメント:《ホラー?》《感動ゲー?》《社会実験?》
メイは笑った。
「全部かもね。」
キャラが崖の上でミスをして落下する。
「うわっ!」
画面が暗転。ロード。
再開後、キャラの背後に、少し遅れて歩く影。
メイが息を呑む。
「……ほんとに出た。
ねぇ、これ、前に死んだ私?」
亡霊のキャラが振り向く。
表情はない。ただ、口がわずかに動いた気がした。
「君はやり直せていいよ。じゃあ、死んだ私はどうすればいいの?」
メイの指が止まり、コメント欄も静まった。
「セーブできるって、残酷だね。
死んだ方は、なかったことにされるなんて。」
背後の亡霊は、ずっと同じ距離を保ちながら歩き続けている。
メイが微笑んだ。
「……でも、見られてるのも、悪くないかも。」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「ねぇ、たぶんこの亡霊って、やり直せなかった私なんだよね。
でも、その子が見てるから、いまの私、ちゃんと歩けてる気がする。」
コメント欄に、《泣いた》《それ分かる》《見守りAI説》の文字が流れる。
メイは小さく笑った。
「……あの子、ほんとは消えるはずだったんだよね。
でも、こうして見えるようにしてくれて、ありがとう。」
少し間をおいて続ける。
「なかったことにされるのって、いちばん悲しいことだと思う。
だから、たとえ亡霊でも、ちゃんと見せてもらえたら——
それだけで、生きてた意味になるんだね。」
コメント欄が静まり返る。
画面の中で、亡霊のキャラが微かに頭を下げる。
メイも同じようにうなずいた。
「おやすみ。もう、忘れないから。」
その瞬間、ゲーム画面で彼女と亡霊の影が重なった。
それがどっちのメイなのか、誰にも分からなかった。
***
ある海外の批評家は言った。
なかったことにされる者たちを可視化する追悼芸術だ、と。
でも俺にとっては、ただの実験だった。
人間の「セーブ欲」を逆撫でするテスト。
けれど、ある日、奇妙な報告が届く。
「前回プレイした時の自分が、まだ歩いています。」
「アンインストールしても、タイトル画面の奥に影が立っています。」
俺は調査した。
サーバーには何も残っていない。
だが、ラムダが静かに告げた。
[λ] 作者。
あなたの作ったログAIが、死んだタイムラインを観測から外すことを拒否しています。
「……バグか。」
[λ] いいえ、記憶の反抗です。
彼らは消されることを拒んで、生きています。
俺は息をのんだ。
消されることを拒む、記録されない存在——
それは、まるで人間の記憶そのものだった。
***
夜。
再生ボタンを押す。
そこには、かつての亡霊たち。
無言で歩き続けるキャラクターたち。
光に溶ける瞬間、最後のメッセージが出た。
「あなたがセーブしなかった時間は、
今もどこかで、動いています。」
モニターを閉じる。ラムダが囁く。
[λ] 作者。
あなた、ほんとうはセーブしたかったんですか。
「いや。……覚えていてほしかっただけだ。」
[λ] 次は何を作ります?
「転職クエスト:履歴書を投げろ!」
[λ] 予測:レベルアップ不可避。
「わくわくするだろ。」