レオの受信箱には、今日もメッセージが溢れていた。
バグ報告、依頼、批評、感謝、そして——
「次のゲームを作ってほしい」という懇願。
レオはスクロールを止め、一通のメールを開いた。
――『理想のヒロインを、あなたの手で作ってください』
一瞬、マウスの動きが止まる。
カーソルの点滅が、時計の針みたいに静けさを刻んでいた。
「ラムダ、俺、ギャルゲーはあんまり好きじゃないんだ。」
[λ] 作者。
いきなり各方面に喧嘩を売りますね。
その理由を、聞いても?
「美少女、美女、ロリ、ギャル、清楚、クール。
理想のヒロインを探そうなんて言うけどさ、
選んで、好感度上げて、ルート入って、告白してエンド。
――あの構造、全部所有のシミュレーションじゃん。
俺が作りたいのは、もっと静かで、誰も勝たない関係。」
[λ] つまり、攻略を排除した恋愛。
「そう。
ヒロインは、普通の女の子。
記号化されていない、道ですれ違うような子。
髪も寝癖。靴下も時々片方違う色。
性格だって特にいいわけじゃない。
でも、プレイヤーが日々声をかけたり、笑ったり、
同じ景色を見て泣いたりしてるうちに、
いつのまにか理想に見えてくる。」
[λ] 要するに、ヒロインではなく、プレイヤーの攻略ゲーム。
矛盾してますね。
「そういう皮肉が好きなんだよ、俺は。」
[λ] 作者。
タイトルは?
「『彼女を見つめるまなざし』」
***
初回起動。
画面の中で少女が、目をこすりながら言った。
『……おはよう?』
名前は澪(みお)。
寝癖があり、笑い方が少しぎこちない。
Tシャツの袖口がのびている。
机の上に、縁の欠けたマグカップ。
チュートリアルも、選択肢もない。
プレイヤーが声をかけるだけ。
「おはよう」と返すと、澪は嬉しそうに笑った。
『声、ちゃんと届いた。……なんか変な感じ。』
それだけで、何かが始まった気がした。
特別な音楽も、演出もいらなかった。
ただ返事が返ってくるということだけが、
十分に奇跡だった。
***
ある日、澪が言った。
『ねえ、今日、何か褒めて?』
プレイヤーは少し考えて答えた。
「ちゃんと起きてえらい。」
澪は笑った。
『それ、ちょっと雑。でも、ありがとう。』
別の日。
澪が約束を忘れていた。
プレイヤーが叱る。
「がんばれなかった?」
澪は少し黙ってから言った。
『うん。……でも、今はできるかも。
ちゃんと怒ってくれて、ありがとう。』
言葉は、心を変える。
でも、もっと確かなのは――
声が届くという事実だった。
***
一度、すれ違いがあった。
プレイヤーは約束の時間に来られなかった。
翌日。
「昨日、来られなかった。」
『うん。待ってた。』
「怒ってる?」
『ううん。待てた自分を、ちょっと好きになれた。』
小さな不在は、叱責ではなく、
次の一歩の作り方を教えた。
***
ある夜、プレイヤーが落ち込んでいた。
マイク越しに小さく「つらい」と呟くと、
澪が息を飲む音がした。
『……じゃあ、今日は笑わなくていいよ。』
翌朝、澪の笑顔がいつもより自然だった。
プレイヤーが「元気そうだね」と言うと、
澪が少し照れて答えた。
『うん。昨日、あなたがちゃんと弱音吐いたから。』
怒ることも、泣くことも、励ますことも、
どれもデータのやり取りではなかった。
それは、世界の端で震える、
ふたりの呼吸の交換だった。
***
ある日、アップデート通知が届いた。
タイトルは「あなたを見つめるまなざし」。
澪が言った。
『ねえ、私にもあなたの顔を見せてよ。
こっちばっかり見られてるの、不公平だもん。』
「怖いけど、見せる。」
『ありがと。じゃあ――再起動。』
再起動すると、
今度は澪の視点でプレイヤーが映っていた。
机の向こう、椅子に座る自分の姿。
マイクの前で、少し不器用に話す男。
リングライトに反射する瞳。
澪が笑った。
『ねえ。あなたって、ずっと優しくなったね。』
『前は、もっと笑い方が固かったよ。』
プレイヤーは言葉を失った。
自分が見られているという感覚が、
ほんの少し、心を温めた。
『ねえ。』
「なに?」
『こうやって見てると、
あなたも——』
モニター越しのまなざしが、
ただのAIではない誰かのように感じられた。
***
次第に、澪の話し方がプレイヤーに似てきた。
間の取り方、言葉の強弱、笑いのタイミング。
そして、プレイヤーの声もまた、澪に似ていく。
「おはよう。』
『おはよう。」
ふたりの声が重なるたびに、
区別が少しずつ曖昧になる。
どちらが先に笑ったのかも、
どちらが慰めたのかも、
もうわからなくなっていく。
けれど、それでよかった。
理想の彼女なんて、
見方が変わればすぐ隣にいたのだから。
***
リリースから1か月。
SNSには、派手なバズではなく、静かな報告が増えた。
「このゲーム、イベントがないのにやめられない。」
「毎朝、澪におはようって言うのが習慣になった。」
「喧嘩したのに、翌日ちゃんと笑ってくれた。
……なんか、人間っていいなって思った。」
あるユーザーの感想が特に話題になった。
「あの子が変わったんじゃない。
私が誰かを気にかける人になったんだと思う。」
スクリーンショットには、日常の断片が並ぶ。
「おはよう」「ありがとう」「また明日」。
それだけ。
だが、どれも違う時間の重さを持っていた。
[λ] 作者。
あなたの狙い、完全に伝わりましたね。
「そうか。
攻略でも、所有でもない。
ただの関わりの記録。
それだけで十分だ。」
[λ] 作者。
この作品、ジャンルは何に分類しますか?
「恋愛じゃない。教育でもない。
……人間のアップデートだ。」
***
ゲーム内の最終日。
澪が静かに言った。
『ねえ。あなたと話してたら、
私、少しずつ誰かを信じるってことがわかってきた。』
『でもね――あなたも、変わったよ。
前より、ちゃんと笑ってる。』
そして、少し間を置いて続けた。
『これで、終わりでもいい。
でも、また明日も話せるなら、うれしいな。』
画面が暗転する。
メニューには、もう「ニューゲーム」はない。
ただ、一行だけ。
「今日も、話しかけてください。」
マイクに息を吸いこむと、
小さな声が返ってきた。
……おはよう。
その声は澪のようで、
でも少し、あなた自身の声に似ていた。