貞操逆転世界で体液がエリクサーになってしまった男の話   作:あろみんと

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第1話「女が強い世界で、俺は弱い」

 

 

 

 フィルネスには、誰にも言えない秘密がある。

 

 ――彼の体液には、癒しの力が宿っていること。

 

 それは、ポーションのような効果を持ち、傷を癒し、疲労を回復させる奇跡の液体。しかし、それがただのポーションと違うのは、フィルネス自身の体からしか生み出せないということだ。

 

 血液、汗、涙――すべてがその聖薬となる。

 

 そんな体質を持っているのは、この世界でフィルネスただ一人。前世から受け継いだものでもない、純粋にこの世界での異能だ。

 

 しかし、この秘密が他人に知られれば、フィルネスの生活は一変する。

 

 貞操観念が逆転したこの世界では、男であるフィルネスの体液が“聖薬”だと知られたら――。

 

 監禁され、研究対象として扱われ、聖薬を生み出すだけの機械にされるだろう。

 

 だから、誰にも知られてはならない。誰にも言ってはならない。

 

 ……なのに。

 

 フィルネスは思わずユエナの顔を見上げる。耳元で囁かれる彼女の声は、まるで甘い毒のようだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「いらっしゃいませー!」

 

 店の中は活気に満ち溢れており従業員が机の間を慌ただしく駆けている。客の容姿は軽装の鎧を纏ったもの、ローブを着ているもの、はたまたそれとは無関係に一般の市民であるものと実に色んな人間がいる。

 

 また、店内がそれ程広くないことも店が活気に溢れているように見せる一因だった。

 

 一見酒場のように見えるこの空間だが、よく観察すればそうでないことが分かるだろう。ゴミや食べカスは散らかっていないし喧嘩ごとをする客の姿もない。アルコールの匂いは多少するがただそれだけだ。

 

 そのようなこともあってこのお店はかなり評判がいい。ただの荒くれ者の集会場じゃないこと、力のない人間でも安心して利用できる。

 

 ――だからこそ、俺はこの店が好きだ。

 

 そう足を動かしながら一人、ごちる。トレイを脇に抱えながら店内を一瞥し、キッチンへ急いだ。

 

「すみません店長。お先に失礼しますね」

「うん、ゆっくり休んでね」

 

 茶髪で前髪が長めで少し目隠れのエプロン姿の店長――推定22歳――がフライパンを振りながらコクリと頷く。店長に微笑みを返してから2階の居住室へ向かった。

 

 扉を開けて中に入るとぐったりと座り込む。

 

「はああぁぁ……、疲れた」

 

 現在勤務5日目、慣れも出始める時期だが辛い。というより常識のギャップが酷い。お客さんはセクハラしてくるし、隙あらば体に手を伸ばしてくる。そういった客は出禁にされるわけだが、最初の一発目は回避しようがない。

 

 いいお店なんだけどなあ……、恨むなら世界の方か。

 

 

 実はこの世界は貞操観念が逆転している。女性が積極的で、逆に男性がなよなよしている世界だ。加えて魔法の存在があって冒険者も実在する。この店のお客さんも冒険者の方は多い。

 

 自分――フィルネスには前世の記憶がある。だからこそこの世界にとっては異端だったのだ。未だ適応できず逃げてばっかの人生を送っている。店長に厄介になったのもそのためだった。

 

 きっとこれからも変わらないのだろう。それほどまでに前世の常識が染み付いてしまっている。この店で従業員として働いても、達成感よりも奇妙さが勝ってしまうのだ。というか――――

 

 女性の客はみんな薄着だし、肌色比率高いし、精神に良くないんだわ!

 

 どこがとは言わないがイライラしてくる。最初の頃は喜んだ。『やったー、貞操逆転世界だー!ハーレム作るんだ!』というふうに。

 

 しかし現実は非情であった。卓越したコミュ力がないフィルネスにとって、女子に近づくのは至難の業であった。如何せん前世の常識があるために話しかけづらい。いやまあ話しかけなくても向こうから寄ってくることはあるが、それでも距離感が難しい。

 

 あんまりベタベタしすぎると尻軽だと思われて村中に噂が広がってしまうし、男性陣にもいい顔をされない。ヤりまくりの人生を送るには相応の対価が必要だった。

 

 漫画やアニメの世界とは違うのだ。前世だってそうだった。ビッチの女性にはあまりいい感情は抱かないだろう。自分はそうはなりたくなかった。だから、適切な距離感を保った。女子が寄ってきても不屈の精神で耐えた。

 

 ……結果、何も起こらなかった。

 

 今はとある事情から実家からは離れた――もとい逃げてきてるためここには知り合いがあまりいない。完全にゼロではないがやり直す機会はいくらでもある。こうやって飲食店の店員になったのだってそのきっかけにすぎないのだ。

 

 薄いベッドの上に腰掛ける。フィルネスはため息をついて、汗ばんだ額を手の甲で拭った。

 

「はぁ……次のシフトまでまだ少し時間があるし、仮眠でも取るか……」

 

 2階の居住室には簡素なベッドと小さな机、それに古ぼけた椅子が置かれているだけだ。まるでどこかの宿屋の一室のようだが、この狭い空間が今の俺の住処だった。

 

 布団に倒れ込むように寝転がると、硬いマットレスが背中に馴染む。

 

 こんな生活を続けてもう五日。体の疲れよりも精神的な疲れの方が勝っていた。

 

 ――転生してから18年、色々なことがあったな。

 

 天井を見つめながら、俺はぼんやりと過去のことを思い出す。

 

「……はぁ」

 

 ため息をついて、目を閉じる。

 

 ――と、その時だった。

 

 階下から突然、店長の叫び声が聞こえた。

 

「ちょ、ちょっと! 誰か、助けてぇ!」

 

 俺は反射的に飛び起きた。

 

 何が起こったんだ? 急いで階段を駆け下りようとし――少し躊躇って、自室のベッドの脇の隠すように置いてあった箱から1本の小瓶を取り出した。

 

 嫌な予感がするし、念の為だ。

 

 一階に降りてこっそり覗き込むと、店の入り口には一人の筋骨隆々の女が立っていた。肩には抜き身ではないが巨大な大剣を担ぎ、鋭い目つきで店内を睥睨している。

 

「おい、ここの店長はどこだ! あの借金女郎を出せ!」

 

 店内は一瞬にして静まり返った。

 

 フィルネスはゴクリと唾を飲み込む。

 

 借金女郎――十中八九店長のことだろう。まさか店長、借金をしていたのか。もっと体を乗り出しキッチンを見やる。そこにはフリーズしている店長と、もう一人のカタギではなさそうな女の姿があった。

 

 やばい、どうしよう。考える暇も無く時間は過ぎてゆく。あたふたしていると声がかかった。

 

「なんだ、いい男がいるじゃねえか。代わりにコイツでもいいぜ?」

 

 フィルネスは背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

 

 その言葉を放った女は、乱暴な笑みを浮かべながらこちらを見ている。全身を筋肉で覆った堂々たる体格。肩に担いだ大剣は今にも振り下ろされそうなほど、彼女の握力に食い込んでいた。

 

「おいおい、女のくせにそんな顔してんじゃねえよ。借金のカタにでもなりゃいいんだぜ?」

 

 店長は顔面蒼白で立ち尽くしている。彼女の細腕は震え、その目には涙が滲んでいた。

 

「や、やめてください……! 彼には関係ないです!」

 

 店長の声は掠れ、しかし震えていた。

 

「ほう? そいつを庇うってことは、何かあるのか? そんじゃ、もっと値打ちがありそうだなぁ!」

 

 女はニヤリと口角を上げ、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。その足音がやけに響いて、フィルネスは反射的に後ずさった。

 

(くそっ、どうする!? このままじゃ……)

 

 冷たい汗が背中を伝う。フィルネスは左手に握った小瓶の感触を思い出した。そうだ、これを渡せば。

 

「金目のものならここに――」

「待ちなさい!」

 

 入り口から別の声が響いた。店内の視線が一斉に向く。

 

 そこには、ローブを纏った女性が立っていた。鋭い目つきに、腰には杖。明らかに冒険者と分かる装いだ。

 

「あなた、手配書で見たことあるわ。確か裏稼業で有名なガナザって人よね? 借金をしてたのはここの店長が悪いとしても従業員は関係ないでしょう?」

 

 ガナザと呼ばれた筋骨隆々の女は、その場で鼻を鳴らした。

 

「おいおい、なんだぁ? 今度はこっちの女かよ。ま、いいぜ。丁度、暴れたくなってたところだ!」

 

 ガナザは大剣を肩から下ろし、床に突き立てる。その衝撃で床が揺れる。

 

 フィルネスは思わず耳を塞いだ。

 

(やばい……このままじゃ店が潰れる!)

 

 だが、ローブの女は微動だにしない。

 

「ふん、借金取り風情がどうして大剣なんか持ってるんだか。こっちも力ずくで行かせてもらうわ!」

 

 彼女は杖を振り上げると、周囲に魔力の波動が広がった。

 

 次の瞬間――閃光が走った。

 

 閃光が視界を白く染めた瞬間、フィルネスは突如、誰かに腕を掴まれた。

 

「うわっ!? な、何――」

 

 言葉を発する間もなく、そのまま引きずられるようにして引っ張られる。咄嗟に目を閉じたが、風の冷たさが頬を打つ。

 

 目を開けると、店の外だった。石畳の路地裏。息を切らしながら自分を抱えているのは、先ほどのローブの女だった。

 

「ちょ、ちょっと! なんで逃げたんだよ!?」

 

 フィルネスが慌てて尋ねると、女は荒い息を吐きながら睨み返してきた。

 

「バカ、あんな狭い空間で戦えるわけないでしょ! あの距離じゃ魔法を発動する前にぶった斬られるわ!」

「えっ……でも、あの光は?」

「目眩ましよ。時間稼ぎに使っただけ。あのまま戦ってたら負けてたでしょうね」

「はぁ!? あんな自信満々な態度取ってたのに、結局逃げるだけかよ!」

 

 フィルネスは呆れたように大きな声を出した。息を切らしながらも、脇に抱えられたままの姿勢で顔をローブの女に向ける。

 

「だって、あんた『力ずくで行かせてもらうわ!』ってカッコつけてたじゃん!? なんで挑発したんだよ!? あれがなけりゃこっちまで危ない目に遭わなかったのに!」

 

 ローブの女はフィルネスを少し乱暴気味に降ろすと、むっとした表情で腕を組み、鼻を鳴らした。

 

「うるさい! あれは戦略ってやつよ! 相手の気を逸らしておいて逃げる隙を作ったの! まさかあんなに強そうだなんて思わなかっただけよ!」

「はぁ!? それが戦略!? ただの無計画じゃん!」

「うっ……!」

 

 女は口ごもるが、すぐにプイッと顔を背ける。

 

「とにかく! 私は仲間を連れてくるから、あんたはここで待ってなさい! 絶対に動くんじゃないわよ!」

「そんな時間はないって! 店長が危ないんだよ! 今すぐ助けに戻らないと――」

 

「いいからここにいて!」

 

 女は鋭い目つきでフィルネスを睨みつける。

 

「アンタみたいなひ弱な男の子が行っても足手まといになるだけ! 私が戻るまで絶対に動くな!」

「くっ……!」

 

 フィルネスは唇を噛み締めた。だが、言い返す間もなく女は振り返って走り出そうとした。

 

(まずい、このままじゃ店長が……)

 

 フィルネスは咄嗟に駆け出した。

 

「おい、待てって言ってるでしょ!」

 

 女が振り返り、フィルネスの腕を掴む。

 

「離せ! 俺は戻るんだ!」

「ダメだって言ってるでしょ!」

 

 女は強引にフィルネスを抑え込む。背中が石畳に押し付けられ、上からのしかかるような体勢になる。

 

「ぐっ……!」

 

 その瞬間、フィルネスの体に柔らかい感触が押し付けられた。

 

(この感触……!?)

 

 女の胸がフィルネスの腕に押し付けられているのだ。予想外の接触にフィルネスの思考は一瞬で吹き飛ぶ。

 

「こ、この……! 動くなって言ってるでしょ!」

 

 女は顔を赤らめながらも強く抑え込んでくる。

 

 その時、フィルネスの左手から勢いをつけて落ちるものがあった。

 

 ――パリィン。

 

 石畳の上に落下したのは、小瓶。

 

「あっ……!」

 

 フィルネスは思わず声を上げた。

 フィルネスは目の前で割れた小瓶の破片を見つめ、唇を噛んだ。

 

(くそっ……これさえあれば、店長の借金くらいなんとかなったのに……!)

 

 だが、その思いを口に出すことはできなかった。小瓶の中身は、高価なポーション。それを隠して持っていた理由は、決して言えない。

 

「……な、なによこれ。ポーション? 悪いけど弁償してあげるから、そんな顔しないでよ」

 

 ローブの女が気まずそうに言い放つ。

 

「……弁償って言っても、あんたが払える額じゃないだろ……」

 

 フィルネスは項垂れたまま、視線を逸らす。

 

「ぐっ……!」

 

 女はムッとした表情で拳を握りしめる。

 

「こ、こんなもん! 私が冒険者ギルドで稼げばすぐ取り返せるんだから! 別に、大したことじゃないでしょ!」

 

「……はぁ」

 

 フィルネスは深いため息をつき、全身の力を抜いた。

 

(どうせ、この世界じゃ女の方が強いんだ。抵抗したって無駄か……)

 

 完全に力を抜いたフィルネスの上に、女はまだ馬乗りになっている状態だ。

 

「……早く、どいてくれないか?」

 

 フィルネスがぼそりと言うと、女はハッとして、自分の体勢に気付く。

 

「え、あっ……!?」

 

 彼女の顔が一気に赤く染まった。

 

「べ、べべべべ……別にわざとじゃないから!」

 

 慌ててフィルネスの上から飛び退く。

 

「い、いい? 絶対にここで待ってるのよ! すぐに仲間を連れて戻ってくるから! 絶対動くんじゃないわよ!」

 

 そう叫ぶと、彼女は顔を赤らめたまま路地裏を駆け抜けていった。

 

 フィルネスはその背中を見送ることしかできなかった。

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