蝮蛇の異能 作:猫吸い抜刀斎
賊のもとには、人斬りがやって来る。
刀を携えたそれは、音もなくふらりと現れて、獲物を斬り、少しの礼を懐に入れて去って行く。
一度それに睨まれれば、逃げ場などなく、正しく蛇睨みの如し。
誰が呼んだか────
超常黎明期。
中国軽慶市にて観測された【発光する赤子】を発端として、全世界で観測され始めた【異能】を持って生まれた者達の存在により、それまでの常識であったヒトの規格が崩れ落ちた事で始まった、動乱の時代。
異能という理外の力によって既存の法は意味を成さなくなり、異能を用いて他者を害する者と、それを恐れるが故に異能持ちを排斥する者、異能を持って生まれてしまった事で差別を受ける者、何より異能によってそれまでの平穏な暮らしを奪われた無辜の人々が、怒号と悲鳴と争いを日常としていた時代。
隣に居る誰かは、もしかすれば異能持ちなのでは。
前から歩いて来ている誰かが、次の瞬間には異能を使って自分に襲いかかって来るのでは。
自らが宿した異能を理由として、知人が、友人が、家族が自分を排斥し、或いは命を狙われるのでは。
そんな思考が被害妄想ではなく、当然の警戒として罷り通る、正真正銘の
誰もが英雄を欲した。
何処から降りかかるかわからない悪意から、災厄から、自分を守り、救い出してくれる英雄を。
誰もが支配者を欲した。
何処にでも蔓延っている不平等な力を抑圧し、力なき者に平穏を与えてくれる、絶対的な支配者を。
彼女は、そのどちらでもなかった。
壁には穴、道路には地割れ、窓ガラスなんてものは欠片すら残っていないような、荒廃した街並み。
ヒトがヒトの規格の中で生きていた頃は、世界でも有数の平和国家として知られていた日本ですら、異能による恐慌の渦中にあった。
しかしそれも、この時代を生きる人々にとっては、とうの昔から見慣れた光景であり。
「水と食料をこの袋に詰め込め!ありったけだ!!」
この騒動もまた、聞き慣れた
避難シェルターのような扱いをされていた小学校の体育館で鳴り響いたその声は、似通った格好をした数名に向けられたもの。
物資の運び屋といった風情の一団は、しかし目の前に現れた牛のような様相をした【異形】の大男に詰め寄られるまま、手元の物資を男が突き出した袋に詰めて行く。
彼らの後ろで涙を堪えながら震える人々の、涙を流しながら大人にしがみつく子供達の物となるはずだった物資が、異能を持つ悪人によって掠め取られる。
震えつつも、怯えつつも、彼らの中には共通した感情があった。
最早どうにかなるものではないこの現状は、きっと自分達が死ぬまで、否、死んでも続くのだろう。
そんな諦観を、誰もが、年端もいかない子供さえもが抱いていた。
「ねぇ、そこの」
だからこそ、人々は瞠目する。
男の背後で声を上げたのは、小さな人影だった。
身長は百五◯センチ台半ばで、黒橡に幾本かの白が差した髪を後ろで括った、平和な世なら高校生に上がりたての年頃と言った容貌の、見目麗しい少女。
意を決した様子もなく、ただ「聞きたい事があるから声を掛けましたよ」と書いてあるようなぼんやりした表情と、何より。
「あぁ……?なんだクソガキ、俺に逆らう気か!?」
「まだ何も言ってない」
こうして振り向きざまに凄まれて尚、少女は立ち居振る舞いを損なわず、堂々と、男の前に立っていた。
子供達を庇っていた数名の避難民が、がちがちと鳴る歯をどうにか抑えながら、か細い声を絞り出す。
口々に「やめとけ」と、「こっちへ来るんだ」や、或いは「早く逃げろ」と、成程これは子供を庇う訳だと言える、思いやりの言葉を少女に投げかける。
そんな言葉も何処吹く風、少女は視線を男の方から動かさず、かと言って睨む事もなく話を続ける。
「そのお水と食べ物、きっとそっちの人達の物でしょう?分けてくれって頼むでもなく、威圧して奪うなんて、良くないわ。返しなさい」
諭すような、と言うには無感動な口調だが、それでも善と取れる言葉が、男に冷や水をかける。
「……」
少女の主張を聞いた男が震え出すのを見て、そこに感動や罪悪感を見出した者は一人としていなかった。
少女以外の全員が、皆一様に感じ取ったのは、激昂のサイン。
「何様だテメェ!!」
瞬間、少女の顔面で血飛沫が舞った。
よく振った炭酸飲料のペットボトルの蓋を開けた時のように、盛大に噴き出す血の雨が、男を、少女を、床を赤く染めて行く。
一拍遅れて鳴り響いた大小高低様々な音の悲鳴が、体育館の中で木霊して、その中に一つ、低く大きな呻き声が混ざっていた。
それを聞いた誰かの気付きが伝播して、悲鳴が小さくなり、やがて場には混乱が訪れる。
あの呻き声は、少女のものではないだろうと。
むしろそれは、腕を振り抜いた男の声だろうと。
「ぐぅぅっ……!」
広い背によって隠された赤血の水溜まりの中心で、牛の膂力と頑強さを持つ大男が、今なお血を噴き出し続ける腕を万力の握力で抑えながら、足下に転がる前腕を拾う余裕すらなく、脂汗と涙を顔から垂れ流し、ただ呻いていた。
きち、と小さな金属音が鳴って、緊張状態にあった人々と、興奮状態にあった男の視線が、ようやく少女の手元に向く。
左手には、白を基調として黒の差し色が入った、なだらかに沿った筒を。
そして右手には、およそ六〜七◯センチ程の長さをした、鈍銀の刃物を携えていた。
それは超常黎明期以前ですら、骨董品と呼ばれていたもの。
かつて日本という国が平定されておらず、複数の国の集合体であった頃から存在し、時を経て芸術品へと立場を変えた武器。
「刀……?」
誰かの呟きが、虚空へと消えて行く。
失血と恐怖、そして
「何様、ね。敢えて名乗るなら、ゲンサイ様かしら」
がちがちと、また音が鳴り始めた。
今度はもう、襲われていた人々の口からではない。
人を襲い、略奪し、異能を振りかざしていた男が、慄きのあまり歯を震わせていた。
「その刀……それに、ゲンサイって……ま、まさか、ヒラクチの────」
男が続きを言い終わるよりも先に、その首筋にぷつりと赤粒が滲み出る。
何をされたのか理解が追い付いていない男の瞳は、刀を振り抜いた姿勢で止まる少女の姿を最期に、光を失った。
残心を終えた少女は、刀を鞘に納め、床に転がる首と腕を跨いで、避難民達の方へと歩を進めた。
大男を瞬きの間に屠る実力と、殺す事に一切の躊躇いがないその性質は、戦う力を持たない一般人の集団が受け止め切れるようなものではない。
惨劇を目にした避難民達が、恐怖のあまり後退る姿を尻目に、少女は食料が詰められた袋の前で屈み、中を漁り始める。
「……あった」
しばらくして、探し物を見付けた少女は、袋の中から手を出して、避難民達の方を向き直る。
その手にあったのは、おにぎり一つ。
無事な食料というだけで手に入れるのには苦労するが、それでも食料という括りの中で見れば高価でもない、ただのおにぎりだった。
「これ、貰っても良い?」
「────…は、はい……どうぞ……」
呆気に取られた避難民達の内一人、早くに正気を取り戻したらしい、恐らくはこの集団の代表であろう青年が、少女の問いにぎこちなく頷く。
それを見て、少女は満足そうに微笑んで、おにぎりを懐に入れた。
「ご馳走様」
「あ……ま、待っ────」
青年の口から「待ってください」という一言が発される頃には、少女の姿は掻き消えていた。
残されたのは、恐怖からの解放によって弛緩した表情を浮かべる避難民達と、彼らを守ろうと一塊になっていた運び屋達と、死体が一つ。
鼓動が止まり、血を噴く事すらしなくなった死体を前に、青年は静かに呟く。
「ゲンサイって、あのゲンサイなのか……?」
思い起こすのは、巷を流れ始めた一つの噂。
賊のもとには、人斬りがやって来る。
刀を携えたそれは、音もなくふらりと現れて、獲物を斬り、少しの礼を懐に入れて去って行く。
一度それに睨まれれば、逃げ場などなく、正しく蛇睨みの如し。
誰が呼んだか、
彼女は何故人を斬るのか。
どんな大義を抱えているのか。
それを知る者は、まだ居ない。
「……あ、ツナマヨだ」
実の所、当人もまだ知らない。
・河上彦斎
あっちこっちをふらふら渡り歩き、人様に迷惑かけてるようなのを斬ってお礼を貰う事でその日暮らしの日々を送る。
今回はあからさまに物資が足りていなさそうだったのでおにぎり一つだけ頂戴したが、普通にお腹が空いていたのでその後も何人か斬った。
斬る度に「なんか違う」と不思議な感想を抱いており、自分には「本当に斬るべきもの」があるのだと何となく直感しているが、こんなご時世では悪人狙いの人斬りもほぼ善行みたいなものなので、斬るべきものとやらもあまり焦って探してはいない。
・避難民
異能を持たない一般市民の集まり。
全国各地いろんな所で似たようなコロニーがあるが、大抵は暮らしに困った異能持ちの襲撃で物資を根こそぎ奪われるか、皆殺しにされている。
今回のコロニーは「人斬り彦斎が出た」という噂のおかげでしばらく保った。
・運び屋
上記のコロニーに物資を運ぶ善意の人々。
異能持ちを護衛につける事もあるが、この時代の善良かつ戦える異能と意欲がある人間は早死するので、運び屋に与するような人は少ない。
・牛の異能を持つ男
異形型という事もあって酷い迫害を受け、配給なども受け取れず、食い扶持に困ってコロニーを襲った。
(おにぎり→鬼斬り→鬼→牛鬼の言葉遊び)
彦斎ちゃんを育成してる時に「こんな感じの読みたいな〜」と思って探したけど無かったので書きました
もしあったら教えてください
続きません