ヨウテイメシ!   作:しょうゆメシ

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オショロコマの塩焼き その一

 

「ウチの弓は極上品やで!」

 

威勢よく篤に言うのはここ富士見屋で知り合った弓職人の蘭。

銭さえ手に入るならば斎藤の手下になっても良いと言い放つすれっからしの商人ではあるが、その手による品に偽りはなく。

彼女の作る長弓は、竹と木を巧みに組み合わせており強靭。

そこらにのさばる野盗どもが使う弓とは別格の代物だ。

羊蹄六人衆を囲う人の壁は厚く、近づく前に遠距離から矢で削るのが得策。

その為の手段として蘭の売る長弓は是非とも欲しかった。

しかし……。

 

「これ、いくらだ?」

 

「長弓は2000文や。お買い得やで?」

 

「……少し、まけてはくれないか?」

 

「ウチ相手に値切ろうったって、無駄や」

 

とりつく暇もない蘭の態度。

やはり2000文きっちり揃えて払いを済ませなければならないらしい。

 

篤とて一文無しではない。

数日前に富士見屋から斎藤の手勢を追い払った後に、賞金首を二人ほど討ち取り銭に変えている。

しかし首二つの褒賞金を合わせても1500文にしかならず、長弓を買うにはあと500文必要だった。

なにか仕事を探さねばならないが、近頃羊蹄平では食い詰めの流浪人達が少ない仕事の取り合いをしている始末。

簡単には仕事にありつけまい。

 

ため息をつき、篤は帯の赤い横線を指でなぞった。

蛇の名に引かれた線。

次は鬼か、狐か。

いずれを攻めるにしても弓は手にしておきたいが、銭稼ぎに時間をかけてあまり奴らをのさばらせておくのも業腹だ。

さてどうしようかと思案している時、炊事場の奥から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「ここから斎藤の手下共が居なくなった事だし、溜めていた品を持ってくる事に異論はない。しかし道中がなぁ……」

 

蘭にまた来ると言って炊事場へ顔を出してみれば、そこには篤の予想通り、熊のような大男の髭面があった。

 

「手前、源十郎じゃねえか」

 

「む?おお、お主は!いつぞやの晩ぶりだな!ええと……」

 

相変わらずでかい男だ。

炊事場に吊るされている鮭や柿どころか梁に頭をぶつけそうになっており、やや屈んだ態勢で富士見屋の主と並んでいる。

 

源十郎とはここ富士見屋にて斎藤の手勢と斬り合った前日に夕餉を共にした仲だ。

しかしこの男、つくづく飯の事にしか興味が無いらしく、あの素晴らしい鮭の味噌焼きを食い終わるとそそくさと道具を片付けて夜の羊蹄平に消えてしまったのである。

礼のひとつぐらいはしたものの、名乗る間もない早業であった。

 

「あの晩は名乗らなかったな、篤だ」

 

「篤と言うのか。うむ、互いに壮健そうでなによりだ!……ふぅむ」

 

源十郎が篤を上から下まで眺める。

なにやら思案し、見定めているようだ。

ジョリ、と源十郎が濃い顎髭を擦った。その音が、炊事場の静けさに響く。

 

「お主か?ここにたむろしていた悪い連中をぶった切った怨霊というのは?」

 

「怨霊?なんだか知らねえが、もしそうだったらなんだってんだ?」

 

やや低くなった篤の声に対し、源十郎は温和なまなざしをそのままにニヤリと口角を上げた。髭の下で、歯が白く光る。

 

「もしそうなら用心棒に丁度良い、という事よ。お主、馬も持っておるだろう?荷運びの手伝いも頼みたいからこれまた好都合だ」

 

仕事の話をしよう、そう言って源十郎は篤に身を寄せた。

 

「羊蹄山の麓にあるわしの仮住まいから商品をここに運びたいのだが、近頃羊蹄平では野盗が増えていてな」

 

羊蹄平の野盗の多さは賞金首を追う中で篤も知る所だ。

その正体は食い詰め浪人、それか鎧を身に纏った斎藤の手勢である。

嘘か真か斎藤は蝦夷地の将軍になるつもりらしいが、手下が野盗の将軍とは片腹痛い。

その手の輩を見かける度に、篤は白刃に物を言わせて黙らせてきた。

 

「野盗の一匹や二匹はどうとでもなるが近頃は生意気にも群れで襲ってくる。しかも弓を使うようになっておる」

 

源十郎が腰に差している太刀の柄を撫でながら渋面をつくる。

体格通りの腕はあるようだが、四方からとり囲まれての戦はどうやら荷が勝つらしい。

 

「品物はともかく馬を殺されてはかなわんのだ。どうだ、引き受けてくれんか?無論、銭は出すぞ」

 

「いくら出す」

 

「受けてくれたら500文。道中野盗が出れば、一匹斬るたび15文足そう。どうだ?」

 

500文。丁度、長弓の不足分。源十郎の提案は篤にとって、まるで天からの贈り物のように思えた。

 

「その仕事、引き受けよう」

 

「ムッハハハ!ありがたい!それじゃあ今から品を取りに行こう。こっちだ」

 

源十郎は手を叩き、豪快に笑うと身を屈めながら店の外へと歩いて行った。

その姿に大男も難儀なものだなと、どこか面白さを感じながら篤は揺れる熊皮を纏った大きな背中について行った。

 

 

 

 

俺は愛馬の赤影に跨がり、羊蹄山の麓へ向かう道をゆったりと進んでいた。

篤と名乗ったあの女浪人が、馬を並べてついてくる。

破れた編み笠の下からちらりと見える目つきは相変わらず鋭いが、あの晩の一件が効いたのか初対面時のように警戒はされていないようだ。

四六時中あの狼のような目で睨まれては流石に気が休まらないので、この変化はありがたい事だ。

 

今のところ道中は穏やかである。

俺たちの背後から吹く風が草原の緑を揺らし、遠くで羊蹄山の白い頂が雲の間から見え隠れしている。

 

俺の仮住まいは羊蹄山の麓にある小屋で、おそらく昔は狩人の山小屋として使われていただろう廃屋を修繕したものだ。

俺は季節によって居所を変えるが、ここしばらくはその小屋で釣った魚や山菜を加工したり、他にもまぁ色々と趣味の事に精を出している。

 

富士見屋に斎藤の手勢がたむろしていたせいで、ここ最近は銭に変えるために加工した品物がかなりの量この小屋に溜まっているのである。

保存が効くものが多いが、それでも冷蔵庫なんてものは無いからなるべく早く売ってしまわなければ、加工に使った労力も素材となった命も無駄になってしまう。

それは避けたかった。

 

だから、自分ではそうだと言ってはいなかったが篤が富士見屋を開放してくれたのは俺にとっては実にありがたい事だった。

 

「なあ源十郎」

 

篤が馬上から声をかけてきた。

彼女の馬は俺の赤影より小柄で、歩調を合わせてやや早足で並んでいる。

雑談だろうか?俺は赤影の足をやや緩める。

篤の声は相変わらず低いが、少し好奇心が混じっているようだ。

 

「あの晩手前は流浪人と名乗ったな、それが商いとはどういう事だ?」

 

俺は髭を撫でながら笑った。

どうやら篤は俺が生業を隠し己を流浪人だと偽ったと思っているらしいが、完全な勘違いだ。

 

「篤、わしを本職の商人と思うなよ。わしはただの流浪人にすぎん。食道楽が高じてな、色々と試しているうちに生じる副産物をたまに銭に変えてるだけよ」

 

「副産物……?」

 

篤が編み笠の下から俺を覗き込む。

彼女の目が少し細くなる。

疑っているわけじゃなく、単に興味があるようだ。

俺は懐から包みを取り出し、揺らしてみせた。

中身はにんにくを熟成したもの――黒にんにくだ。

 

「例えばこれよ、これ。にんにくを秘伝の技法で蒸し上げたもので、肉体を賦活する薬効がある。訳あって縁を持った侍がこれをいたく気に入ってな。時折富士見屋に預けて売ってもらっておるのだ」

 

この世界、何故か蝦夷地でにんにくが取れてしまう。

前世ではにんにく自体は戦国時代以前に日本へ入っていたが、薬として薬種屋で細々と栽培されていただけで農作物として栽培はされていなかったはずなのだが今生ではそうではない。

蝦夷地の少し大きめの集落の台所には、大抵にんにくが束になって吊るされているぐらいに栽培が普及しているのだ。

そのくせ、料理に使われる事はなく、魔除けや虫除けとして使われている事がほとんどのようだ。

実際、富士見屋で出される膳ににんにくが使われた事は一度もない。

 

「他にも焼き干しにした川魚や、行者にんにくの漬け物なんぞがある。コレが意外に売れるのだよ。おかげで銭が手に入り、また道楽のための新しい道具を買うことができるというわけだ」

 

自慢げに語ってみたが、篤はというと目をパチクリと瞬かせていた。

 

「手前、流浪人になる前は薬師だったのか?」

 

「ムッハハハ!わしが薬師か!これは愉快、まったくの見当違いよ!」

 

黒ニンニクに薬効があると言ったのが誤解の元だったのだろう。

俺に本草(漢方)の知識などない。あるのは前世で一般的に知られていた食材の持つ健康知識だ。

……しかしだ。

前世ではにんにくには血液サラサラ効果があって云々等、テレビやネットでそうした知識は豆知識の如く頻繁に目にしていた。

そのため大したことのない雑学の範疇だと思いがちだったが、科学的に証明された食材の持つ健康効果というのはこの世界的には立派な医療知識に相当する。

昔この辺りの事を深く考えずただの流浪人だと言い張り、ちょっとした面倒事になった事があるのだ。

 

「……だが、うむ、薬師ではないが食材の組み合わせの妙、という奴には秀でているかもしれん。それは松前の侍も認めるところだ」

 

「さっき侍にも売っていると言っていたな?松前とも関わりがあるのか?」

 

篤の声にわずかな警戒と嫌悪が混じる。

松前と言えば、蝦夷地の玄関口。

徳川による幕府ができたばかりのこの時期に、既に松前は本土と蝦夷を繋ぐ要所であり交易の拠点だ。

そのような場所に居座る有力な大名家だが、民からの受けはあまり良くない。

いや、こと羊蹄平に限れば散々と言ってもいい。

 

松前の侍は蝦夷地の正当な役人として往々にして居丈高だが、その割には各地にのさばる羊蹄六人衆の害を治めきれていない。

にも関わらず日々の暮らしで忙しい時期にも労役を押し付けてくる。

俺からしてみるとあの連中はあの連中で苦労しているとは思うが、篤がそのような反応をするのも当然ではある。

まぁまぁ悪い連中なのだ。

 

「関わりがあると言っても松前侍の数人にすぎん。俺の品は精がつくからなぁ。お家が大事なお侍殿にとって重宝するのだろう」

 

侍達は俺の品を滋養強壮の妙薬の類と思っているらしく、かなりの高額で買ってくれる。

前世におけるバイアグラみたいなもので、男性機能に関する品はやはり需要が高いのだ。

今回の件も、稼ぎ的には富士見屋に加工食品を卸して得られる銭は大した事はなく、侍向けの健康食品や嗜好品が利益の大半を占めている。

あまり深くかかわると面倒事になるが、まとまった銭が必要な時にはありがたい客なのだ。

 

「そんなに効くなら薬師として召し抱えようってやつがいたんじゃないか?」

 

「たしかにいた。松前の城下町に住まわせてやるとさえ言っていたな。だが断ったよ。わしは今の生き方でよい」

 

生まれも育ちもこの世界ではあるが、その流儀に己の身を完全に沈めるには前世の記憶が邪魔をする。

そもそも食い物の自由を得たいがために蝦夷地まで来ているのだから、城下町暮らしなど冗談ではないのだ。

 

だから、召し抱えると言ってきた侍に頼み込み、品物を優先的に回すという約束で蝦夷地での往来の自由を許してもらった。

各地に関所が出来た今でさえ、俺は石狩ヶ原や渡島ヶ浦にも旅する事ができる。

 

「断ったが、まぁ権力を持った連中との付き合いも多少あった方が渡世の役に立つものよ」

 

「どうだかな。侍に関わるといい事はねぇと思うが」

 

どうやら篤は侍に良い思い出がないらしい。

なんなら憎んでいる感すらある。

この先の川に松前が作らせている橋があるのだが、こうなるとそこを通るのは避けた方が良いかもしれない。

橋を通ろうとして見えている地雷を踏むのもバカバカしい。

 

「それもまた一理ある。この先で侍が橋普請をしておるが、それは迂回する事にしよう」

 

街道筋から外れる事で野盗のリスクは上がるが、橋が見える範囲を行けば襲撃はないだろう。

なぜなら、橋の修繕に駆り出された百姓達と一緒にいる侍が、目に入る範囲で跳梁跋扈する野盗を野放しにしおくわけにはいかないからだ。

侍のメンツにかけて、絶対に駆けつけてくる。

野盗達も松前と事を構えたくはないので、侍が出しゃばってくる場所での襲撃はかけてこない……はずだ。

よほどのバカでもない限り。

そしてよほどのバカが湧いてきたとしても問題にはならないだろう。

なにせ……。

 

「ちと街道から外れるが、此度はお主がいるからな。何かあった時は頼りにしておるぞ」

 

「まかせておきな」

 

頼もしく返事をする篤の背には、新品の長弓が誇らしげに揺れていた。

俺は仕事の報酬は前払いにする主義なのだ。

 

 

 

 

源十郎の住処は羊蹄山の懐に切れ込む渓流の側にあった。

 

「さあついた。馬はそこに繋いでおけ」

 

上流を見ると大きな岩がゴロゴロとしており、それが階段のように連なっている。

これ以上は馬で進めなくなる、そんな地形の手前にくたびれた小屋が立っていた。

 

濃い河畔林によって空が遮られ太陽の位置がわからないが、すでに夕暮れ間近だろう。

薄暗い中、木々に包まれるように立つその小屋は山姥でも出てきそうな不気味な雰囲気を纏っていた。

 

篤は愛馬の手綱を立木に括り付けると、両腕を組んで小屋を眺めた。

それに気づいた源十郎が恥ずかしそうに口を開く。

 

「酷いものだろう。わしも修繕に手を尽くしたのだが、大工の真似事はどうにも難しくてな」

 

「蝦夷地で潰れずに立ち続けているなら十分な出来だろう……積荷はどこだ?」

 

「中にあるが、じきに日が暮れる。今日はここで一泊して明日荷物を運ぼう」

 

源十郎は自分の馬から荷を降ろすと小屋の中に入り、何やら細長い包みを持って出てきた。

 

「今晩の飯に魚を釣ってくる。薪はそこに積んであるから火を焚いておいてくれないか」

 

「かまわないが、今から行くのか?山は釣瓶落としだぞ」

 

「なに、畑で大根を抜くが如しよ」

 

釣りがそんな簡単にいくものかよ、と思いながら篤は薪を手に取った。

手早く刀で薪を細く薄く削り火口を作ると、火打石を打ち鳴らしてそれに着火。

丁寧に息を吹きかければ赤い火がついた。

薪の側に置かれていた焚き付け用の小枝を火に焚べながら、篤は何やらもそもそと手元を動かす源十郎を見やった。

 

「おい、それは竿か?」

 

「おう、手製のな」

 

源十郎が短く切られた細竹を次々に継いでいく。

継ぎ目には芯があり、あれを差し込むことで竹同士をつないでいるのだろう。

なるほど、持ち運びに便利な竿だと篤は関心した。

 

「さあ、できた。ちとひん曲がっておるが、使うのに支障はない」

 

源十郎が小手を打つように竿を振れば、しなやかにしなりながらヒュンと風切る音がする。

そこらの漁村で見かける竿よりも穂先がずっと細く繊細で、なにやら結びコブのある組み糸が括り付けられている。

 

「このリリアン……絹紐にな、コイツを繋げばもう釣りができる。わしの釣りは手早いのがウリなのよ」

 

源十郎は手慣れた動作で穂先に紐を括り付けると、ニヤニヤ笑いながら篤に見せつけるように竿を掲げた。

音もなく源十郎の手の内から栗色の艶やかな糸が転がるようにこぼれ落ち、絡まる事なく伸び切った。

 

「けったいな釣り糸だな」

 

何も言わないが、源十郎のニヤニヤ笑いはこうして質問されるのを期待しているようにしか見えなかった。

なので篤は苦笑を抑えながら聞いてやった。

 

「あまり見ないものであろう。竿先から釣り針に向かって細くしておる」

 

「それに麻糸でも絹糸でもないな」

 

「うむ、我が愛馬赤影の尾の毛を撚って拵えたものよ。あの時は赤影の機嫌を損ねてな。許してもらうまで随分とかかったものだ」

 

この男、道楽が過ぎる。

話を聞いていて篤は尾の毛を切られた赤影が不憫になった。

 

「この糸の先端にな、樟の木につく蚕から作った糸を繋いであるのだ。ほれ見ろ篤、なんと透明な糸だぞ!」

 

語りに熱が入ってきた源十郎に、篤は話を聞いたのは早まったかと後悔しはじめていた。

しかし、見れば確かに透明な糸がそこにある。

これは初めて見る糸だった。

蚕から作ったと言うなら自分の三味線の弦にも使われている絹糸のはずだが、これはそれとは全く違うものに見える。

 

どう拵えたものか想像もつかないが、なるほど、透明ならば魚にも気づかれにくいだろう。

いや、魚どころか獣や人でも気づきにくいだろう。

これは何か、たとえば罠などに使えばかなり効くのでは……。

そんな事を思いつつしげしげと糸を眺める篤だったが、糸の先端についている針の存在が目に入り思わず源十郎に質問してしまった。

 

「これはなんだ?鉄の針に……鳥の羽が巻かれているのか?」

 

篤は本土にいた頃に鉄製の鋭く細い釣り針を見た事があったが、蝦夷地の漁場で使われている針は骨を削って作られたものがほとんど。

源十郎の針は本土から持ってきたか、またもやどこぞの鍛治師に特別に拵えさせたものだろう。

その針に木綿糸やら鳥の羽やらが括り付けられており、全体的な形は傘に近い何やら見慣れない細工がされていた。

 

「針に雷鳥の首の羽をぐるりと巻いてある。毛の生えた針ゆえ、これを毛鉤と呼ぶ」

 

「こんなにごちゃごちゃ巻きつけられてたら餌がつけられないんじゃねえか?」

 

「餌など不要よ。コレだけで魚が釣れるのだ」

 

まぁ見ておけ、と不敵な笑みを浮かべながら源十郎は魚籠を手にして川へと向かいしゃがみながら歩いていく。

オモリどころか、餌すらついていないのに釣れるだと?

篤はもうすっかり薪に火がついている事を確認すると、しゃがみながら源十郎の後を追った。

 

「見ておれよ……」

 

岩陰に身を潜めた源十郎が竿を振った。

振り上げと同時に空中で後方に伸び切った糸が、竿の動きに合わせて弧を描き前方へと伸びて行き、ついには伸び切って毛鉤が静かに着水する。

その理合を一眼で見破る事は出来なかったが、明らかに何かしらの技が込められた動作だった。

篤は剣の達人の技を目の当たりにしたような面持ちになりながら、次に何が起こるかに集中した。

 

「ほれ、まず一匹」

 

毛鉤が着水して数秒、身悶えする魚体が空中に引き抜かれた。

篤の目が驚愕に見開かれる。

一体いつ魚が針を咥え込んだのか、篤には全く察知できなかったのだ。

 

「鮭か?」

 

「……お主、蝦夷地の川で取れる魚はみんな鮭だと思っておらんか?」

 

「……」

 

呆れた様子の源十郎……はじめて見た表情だ。

篤は無言で笠を被り直した。

 

「まぁ、鮭ではないがその仲間である事には違いない。これはオショロコマ、いや、よりアイヌ風に呼ぶならオソルコマだな。本土で言うところの岩魚みたいなものよ」

 

魚籠に入れる前に、源十郎は誇らしげに獲物を篤に見せる。

なるほど、たしかに体の大きさも模様も鮭とは大違いだった。

 

「随分とたやすく釣れるんだな」

 

「ムッハハハ!わしの腕もあるが、なにより蝦夷地の恵みが豊かだからよ!」

 

これをもう三匹釣る、と言うと源十郎はあれよあれよと言う間にオショロコマを三匹釣り上げてしまった。

そのいずれにおいても、篤が何も気づかないうちに源十郎は竿をあおり、魚を空中へと引き抜いてしまった。

源十郎は己の事を道楽者と言うが、コレはもはや道楽の域を越えて本職の漁師でもやっていける腕前だ。

 

「大した腕前だ。たまげたぞ」

 

本心から出た篤の言葉を受けて、源十郎は得意げに笑った。

 

「伊達に15年、蝦夷地で道楽者をしてはおらんという事よ」

 

 

 

 

夕飯分の魚を釣り終えると、俺は米を炊くために竹の加工を始めた。

篤には釣れた魚を焼くように言ってある。

どうやら魚を焼くのは手慣れているという事で、それならばと任せた次第だ。

 

カコン、と一節切り出した竹を縦に割った。

2対1の割合で切断して、それぞれ器と蓋にするのだ。

この器の中に研いだ米と水を入れ、焚き火の近くに置いて炊けば白飯ができあがる。

 

この世界、蝦夷地という北海道相当の寒冷地で普通に米が採れるので白飯には困った事がない。

南に位置する渡島ヶ浦だけでなく、富良野の水車小屋周りにも水田があり、それぞれしっかりとした収量があるのはおそらくは神仏の加護だろう。

 

多分、各地の季節感がおかしいのも同じだ。

なんというか、自然が人にとって美しくなるように何者かが季節と土地に生きる植物などの生き物を操作している感があるのだ。

俺はそれを神仏によるものだと解釈し、そういうものなのだと納得するようにしている。

 

「さあ飯を炊こう。竹で炊く飯もうまいもんだぞ」

 

準備が整った竹筒を2本持って表の焚き火に持っていくと、篤が魚を焼いて……や、焼いている!?焚き火の上に魚をかざし、直接火に当て焼いている!!

なんたる……雑な!?

 

「……おい、篤。お主、いつもそんな焼き方をしておるのか?」

 

「……おれのやり方に文句でもあるのか?」

 

料理してもらっている手前、文句を言うべきではないのはわかる。

わかるのだが、どうにも我慢がならなかった。

 

震える手で竹筒を焚き火の隣に置くと、俺は意を決して篤に言い放った。

 

「文句なら、ある。お主の焼き方は間違っておる」

 

魚を炙る篤の手がピタリと止まった。

徐々に笠が上向き、その破れた部分から篤の目が見えた。

あまりにも鋭い上目遣い。

正直言って怖すぎる。

何か言われる前に言葉を畳みかけねば迫力に負けて何も言えなくなりそうだった。

 

「確かに、そうすれば早く火が通るだろう。しかしそれでは表面は焼き焦げ、身には水が残ってべちゃべちゃになるぞ」

 

「食えるんだからいいだろ」

 

お篤っちゃん、そいつを言っちゃあおしめぇよ。

そんなことを言えば米は炊かずに生米で食えばいいし、野菜だって生で齧ればいいと言う事になるぞ。

 

篤のおおよその身の上は、流石にもう想像はついている。

帯の羊蹄六人衆の名、蛇が死んだとの噂、手配書の女……。

仇討ちの旅の途中、時間を惜しんでの復讐だろう。

しかし美味く飯が食える機会があるのなら、美味く食うべきだろう。

 

「いいや良くない。良くないぞ篤!飯を食えば気勢が上がるとは言うが、その飯が美味ければもっと力が湧く!」

 

焚き火の前に座る篤の隣に片膝立てでしゃがみ込み、二本の串を奪い取って直火で炙られていた魚をそっと火から下ろす。

なんてこった!塩すらふってないぞコレ!?

 

「……お主、塩は持っておらんのか?」

 

「持ってねえ」

 

「……悪い事は言わんから塩ぐらいは持っておけ。詳しくは知らんが、お主はこれから刀で血道を開く冥府魔道を往くのだろ?そんな者が塩も摂らぬのでは野垂れ死ぬぞ」

 

この時代、移動は徒歩か馬がほとんど。

どちらもかなりの運動量になる。

必然的に汗をかいて体から塩が抜けるわけで、その分の塩を摂らねば低ナトリウム血症になってしまう。

夏場異常な高温になる前世の日本では当然の知識だが、この世界においても塩の重要性は周知されている。

ついこの間まで戦をやってたんだから当然だ。

塩、味噌、米は戦の重要物資。

なんで篤は持っていないんだ?

 

「篤……お主のその有り様何か事情があると察するが、こうして縁持った以上とても捨ておけん。魚を焼くもっと良いやり方があるから見ておれ」

 

「おい源十郎……別におれは……」

 

「学びの機会を逃す手はないぞ?それに、ほんの少しの工夫なのだ」

 

篤が焼いていた魚は一旦置いておいて、新たな魚に手を伸ばす。

肛門から刃を入れて手早く内臓を取り出すと、次にエラを外し、最後に背骨についた血合を爪でこそぎ落とす。

俺は篤が削ってくれていた串を持つと口の中に差し入れ、魚の身をくねらせるように縫い刺した。

 

「お主も見た事があろうが、これが普通の串の打ち方だ。串が背骨を縫っておるがゆえ、一本でも裏返した時に身が回転する事が無い」

 

篤のように手で持って炙るのでなく、地面に刺しておけるので同時に複数魚を焼く事もできる。

そして焼けるのを待つ時間両手を使って何か別のこともできる。

大勢に使われているやり方というのはそれ相応の合理があるのだ。

 

「串打ちが終わったら塩を振りかける。身には軽く、しかし満遍なく振る。ちなみに……」

 

粗方塩を振り終わった後、もう一度塩の小袋に指先を突っ込む。

今度はやや量を増やして塩をつまんだ。

 

「見栄えを良くするにはこうやってヒレに塩を塗る。ヒレが焼き落ちるのを防いでくれるのだ。誰かに食わせてやる時には試してみると良いぞ」

 

「おれが試す時は来なそうだ」

 

篤は自嘲気味に鼻で笑うが、何が役に立つか分からないのがこの世の中というものだ。

先の言葉的にどうやら天涯孤独の身らしいが……それでも人は生きてる内に変化するものだ。

仇討ちを終えた後、あるいは仇討ちの旅の途中に心変わりして平穏を求める事もあるかもしれない。

その時、篤とて誰かに飯を作る事だってあるだろう。

 

「まぁ、一応覚えておくと良い……後は焚き火の側に串を刺し、遠火で乾かすように焼くのだ。最初は背中を火に向けて焼くのだぞ」

 

「こまけえな……」

 

「たいした手間でもあるまい。さ、この塩はくれてやるからお主もやってみると良い」

 

塩の入った小袋を篤の方へ押し出すと、不満そうな顔をしながらも篤は魚の内臓を取り出しはじめた。

 

「おい源十郎、一向に魚が焼けてねえようだが、いつまでかかるんだ?」

 

「焼き加減を見つつ大体半刻(一時間)だな」

 

「半刻だと?悠長な……」

 

「何も付きっきりで無くとも良いのだ。両手が空いているのだからその間になんでも出来るであろう?」

 

俺は篤の背中を指さして言った。

これはそこにある長弓だけの話ではない。

篤は身につけている武具が多いのだから、それらの手入れには時間がかかるはずなのだ。

 

「武具の手入れだけでも時が必要だろう?はじめに魚を仕込めば時を無駄にせぬぞ」

 

「そりゃそうだが……おい、できたぞ」

 

篤が差し出してきた串を見れば、中々綺麗に串打ちできている。

やはりやればできるのだ、この女。

 

「良い出来ではないか。お主、中々才があるぞ」

 

「このぐれえで何言ってやがる……」

 

不貞腐れたようにそう言った篤は背中から長弓と矢筒を取り出すと各部の手入れをはじめた。

これ以上はもうやらんという無言の主張だろう。

 

ならば仕方あるまい、残りの魚は俺が串打ちをしよう。

そうだ、最初篤が焼いていた魚は塩を振っていないし、残り一匹の魚も塩を振らずに焼き枯らしにしよう。

そうすればアレを作るのに都合が良い……。

 

俺は小屋に竹を取りに行くために腰を上げた。

 

 

 

 

篤が武具の手入れを全て終えた頃、源十郎の竹筒からパチパチと飯の焼ける音が聞こえはじめ、魚の焼ける匂いが鼻をくすぐってきた。

篤の串打ちしたオショロコマは遠火でじっくり焼かれており、今や食われるのを待つばかりと言った様子である。

……ヒレは塩を塗らなかったので半ば焼け落ちているが。

 

「……」

 

源十郎の拵えた一本に目をやるとヒレが立ち、尻尾の先までピンと伸びている。

その姿はいかにも美味そうで、見ているだけで唾が湧いてくる。

なるほど、わざわざ見栄えを良くする理由とはこういう事かと篤は顔に出さずに得心していた。

 

「それ、飯が炊けたぞ」

 

源十郎が竹筒の蓋を外すと、湯気がもうもうと噴き出し、白飯の香りが広がった。

その甘い香りにほのかな竹の風味が混じる。

 

寄越されたそれを箸でかき混ぜ、蒸らす。

米粒はつやつやで、ふかふかだ。

炊き立ての白飯など、一体いつ振りだろうか?

篤の白い喉がゴクリと鳴った。

 

「さあ、食おう。折角串打ちをしたんだ、まずは塩焼きからいってみろ」

 

源十郎が串を差し出す。

篤はそれを受け取り、背の部分を一口かじる。

軽快な歯応えと共にパリッと音がして皮が破れ、程よく水が抜けた白身のしっかりとした歯応えが続いた。

噛み締めれば旨い塩味が溢れ出すそれは、普段篤が作る焼き魚では決して味わえないものだった。

 

(こいつは、たまらねえ)

 

急かされるように篤は竹飯を掬う。

熱々の米が口の中でほぐれ、竹の香りが鼻腔を抜ける。

それが焼き魚とまた実に合う。

この二つだけでひたすらに食い続けられそうな気がするほどだった。

 

「どうだ、ちょっとしたやり方次第で随分変わるだろう?」

 

「ああ、正直に言うと見くびっていた」

 

塩の有無と焼き方の違いでこれ程の味が得られるならば、今後の野営はこれで良い。

素直にそう思える程に今宵の焼き魚は別格だった。

 

「ふむ……うん……」

 

焼き魚に齧り付き、米をかっ込む。

ああ、なんとうまいことか!

篤はしばし源十郎の視線を忘れ、しきりに頷きながら飯に没頭した。

そんな篤の鼻を酒の香りがくすぐる。

 

「岩魚やオショロコマを焼く時にはこれをやらんとな」

 

源十郎が焚き火から魚を二匹取り出す。

この二匹は塩を振っておらず素焼きにしている。

ちなみに二匹のうち一匹はだいぶ焦げているが……それは篤が最初に焼いていた魚だった。

 

「これは音が良いのだ」

 

焚き火の前に半割りの竹筒が二つ置かれており、その中には湯気を上げる酒が入っていた。

 

「ほれ、入れるぞ」

 

源十郎が焼いた魚を熱い酒に落とした。

ジュウゥゥと焼石を水に放り込むような音が夜の静寂に解けていく。

 

「オショロコマの骨酒の一丁上がりよ。竹も酒も熱いから気をつけて飲めよ」

 

源十郎が篤に竹の器を差し出す。

透明な酒にオショロコマの出汁が溶け、黄金色になって揺れている。

酒精と共に立ち昇る焼き魚の香ばしい匂いがたまらない。

 

「骨酒、馴染みはねえがうまそうじゃねえか」

 

寒さの厳しい時期では無いが、蝦夷地の夜である。

燗がついている、ただそれだけで飲まずにはいられない一品だ。

 

慎重に一口含めば、焼き魚から染み出た旨味が舌の根にジンッとしみこむ。

熱い液体が喉を通ると、体が腹の底から熱くなった。

ホウ、と静かに息をつけば焼き魚の風味が鼻を吹き抜ける。

熱せられた辛口の酒のず太い味に魚の旨味が混じり、一口飲むたびに活力が湧いてくるような、そんな酒だった。

 

「おい源十郎、こいつは……うめえぞ」

 

両手で竹筒を持ち酒をあおっていた源十郎が篤に目を向ける。

 

「そうだろう。どうだ?自分でも作りたくなったんじゃないか?」

 

その問いに篤は少し押し黙ったが、やがて静かに首を横に振った。

 

「こんなものを作れるようになっちまったら、旅の足が鈍りそうだぜ」

 

それにおれではオショロコマを得る術がないしな、篤はそう付け加えた。

どちらの言葉も篤の本心だった。

源十郎はそれを聞くと一口酒を啜りこみ、竹の器を置いた。

 

「食は生ある者の特権だ、という言葉を遠い昔に聞いた事がある」

 

焚き火に照らされた源十郎の横顔、その目は今を見ておらずどこか遠くを見つめているようだった。

 

「旅路を急ぐあまり飯を疎かにして判断を誤り、肉親を失った男の言葉だ」

 

「何が言いてえ」

 

ボリボリと首を掻くと、源十郎は篤を見つめ真面目くさった顔で口を開く。

 

「出立前、お主は怨霊など知らんと言ったな。怨霊でなければお主は生者、先を急ぐあまり飯を疎かにしてはいかん。話の男のように、しくじるぞ」

 

それだけ言うと源十郎は目をそらし、骨酒をグビリ、と飲んだ。

お節介で、とぼけた男だと篤は思った。

 

「しくじらねえように、やるさ」

 

それだけ言うと篤もまた骨酒を口に含んだ。

二人とも、何をしくじるとは言わない。

焚き火の音と、清流の水音。

暫くの間、それだけが夜の渓流に満ちていた。

 




サブクエスト風のアレ。
野営での魚の調理に塩を使う事ができるようになる。
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