1476年。
ワラキア公、ヴラド・ドラクリヤは寝室で一つの急報を受け取った。
始まりはどこぞの盗賊団が攫ってきた一人の女らしかった。
その女の顔を見た盗賊は全滅、その山賊団を追っていた警備団も同じく全滅、事態が明るみに出て、それを重く見た軍が事態確認のために一個小隊を派遣するも尽く全滅、自殺者の山が築かれたらしい。
らしい、というのはその情報の真偽が誰にも確認できないから。
その女の顔を見た者は全て死んでいる故に。
しかし、幸運にも女の顔を見なかった兵の一人が、背後からの決死の奇襲で女の頭に袋を被せることに成功し、その女は現在地下牢に囚われているという。
「連れて来い」
「何を……ッ!危険でございましょう!!これはもう侵略でございます!今すぐ罪状を拵えて公開処刑を――」
「くどい。我は、その女を、ここへ連れて来いと言ったのだ」
ヴラド公の一睨みで、宰相は気圧されて押し黙った。
そのまましぶしぶといった感じで一礼し、部屋を退出する。
しばらくして宰相が寝室に戻ってきた。
その後ろには、頭に袋をかぶせられ、みずぼらしい姿をした人間が二人の兵士に両脇をかかえられている。
その体つきは確かに女だろう。
それも凛と背筋を伸ばし、堂々と歩く姿は高貴さに満ち溢れていた。
兵士がヴラド公の前にその女を跪かせると、何があってもすぐに対処できるようすぐ後ろに控えた。
宰相もヴラド公の隣に立ち、女を睨みつけている。
しかしヴラド公はそんな彼らを一瞥すると、ぶっきらぼうに命令した。
「退出したまえ」
「ッ!?しかし!!!」
「退出、したまえ」
今度は宰相も引くわけにはいかない。
主の命が薄氷の上に晒されているのだ。
「お、恐れながら――」
しかし、反論をしようと口を開いた瞬間に、ヴラド公の手が宰相の口を掴む。
「これは異なことだ、宰相。私は退出したまえと言った。お前たちは一向に退出しようとしない。そういえば、広場で串刺しにされているブルガリア人共が寂しがらぬよう、そろそろ仲間を追加してやっても良い頃だと思っているのだが……」
「た、直ちに!!!」
転がり出るように宰相と兵士たちが部屋を退出する。
残された二人の間に一瞬の沈黙が下りた。
ヴラド公の手が袋に伸びる。
すると突然、今まで口を閉ざしていた女が口を開いた。
「いけません、ヴラド公。わたくしの顔を見るのはお辞めなさい」
ヴラド公の伸ばされた手が袋の口で止まる。
「わたくしの顔を見た人は皆、自死いたしました。私の家族も友達も民も国も、全てが自ら死に絶えました。貴方の領土に踏み入ったことは謝罪いたします。人目を忍んで旅してきましたが、運悪く盗賊に攫われてここまでやって来てしまいました。この国がわたくしのせいで滅びる前に、貴方がわたくしの顔を見ることなく、わたくしを元の旅路に帰してくれることを願うばかりです」
「ふん、今さら貴様の死刑は免れない。それに、その話が真実ならば自殺でもなんでもすればいいだろう。お前が死ねばすべて解決するのになぜ死なん」
「死ぬのは許せません。わたくしがわたくしを許しません」
女の強い心は死ぬことを許さなかった。
女の高貴な心は生きることを求めた。
――狂っている。
ヴラド公はそう鼻で笑い飛ばすと、今度こそ女の顔を見ようと手に力を入れる。
しかし、その腕を女は両手で掴んできつく抑えた。
「なりません。わたくしを信じなさい。わたくしの顔は、魔法によって外面ではなく内面、顔ではなくわたくしの心が見えるようになっています。神様は残酷でございます。どうやら、わたくしの心は神が丹念に創り上げたかの如く
それは確かに女の必死の懇願だった。
だが、それはどうしようもなくヴラド公の逆鱗に触れた。
ヴラド公は空いた手で女の胸ぐらを掴み上げた。
「神ッ!神だと!?貴様の
女の胸ぐらをつかんだまま、ヴラド公が力任せに袋を剥ぎ取った。
女のさらさらの金髪、小さな頭に大きな瞳、真っ赤な唇、か細い首、透き通るような肌が外気に晒される。
そして、それらの美しさがゴミに見えるほど、女の心の美しさが輝きだす。
ヴラド公が見たその女の顔、いや心の美しさは、この全世界の遍く語彙、遍く表現、遍く捧げものを使い果たしても、微塵ほども表せない程の美しさだった。
女は、ヴラド公が自らのナイフで自らの首を掻っ切るさまを予見した。
しかし、ヴラド公は自死する気配もなく濁った瞳で女の眼を睨み続けている。
女の目が限界まで見開かれ、声に初めて動揺の震えが乗った。
「ど、どうして―」
「何故抗わん!何故戦わん!!神は我らに対して試練をお与えになる。その試練と
――気が狂っている。
完全に常軌を逸している。
男が叫ぶ言葉には理性の欠片が何一つ無い、まるで支離滅裂だ。
普通の人ならば気味悪がるだけだろう。
しかし女の目には、まるで救世主のように映った。
自殺をしない。
わたくしの顔を見ても自殺していない。
この男の傍に居れば、この呪われた心をどうにかできるかもしれない。
それは、藁をも掴みたい女に希望を持たせるのには十分すぎた。
「――アセロラ」
「何?」
「わたくしの名前です。アセロラとお呼びくださいませ。そしてどうかヴラド公、貴方の御傍に置いてくださいませ。貴方に付いていけば見えるかもしれませんわ、希望が」
そう言ってアセロラ姫は笑った。
それは、笑い方を思い出そうとするかのような控えめな笑顔だったが、確かに数年ぶりに浮かべた笑顔だった。
下手をすれば、大国が二つぐらい滅ぶような笑顔だった。
「話にならん。貴様のような者を傍に置く気は無い。ここへ呼んだのも、報告に興味が湧いて処刑前に一目見ておきたかったからだ。貴様は間もなく串刺しになる」
「いいえ、そうはなりません。必ず犠牲が増えますわ。それよりもわたくしを御傍に置いてくれたら――」
言葉は続かなかった。
「王よ!!いかがなされた!!!」
部屋の外にいた宰相と控えていた複数の兵が、ヴラド公の叫びを聞きつけて突入してきたから。
結果は一瞬だった。
宰相はアセロラ姫の後ろ姿を見るなり、「おお……私はなんてことを……」と呟きながら窓から飛び降りて死に、不幸なことに振り返ったアセロラ姫の顔を直視した兵士たちは、ただの一瞬も躊躇わずに自らの剣で自らの喉を刺し貫いた。
「「「「お……お詫びに、さ……さ………げ………」」」」
喉を剣で貫かれた兵士たちは一様に口をそろえてそう言った後、息絶えた。
ヴラド公は極めて冷静に一連の自殺を見届けた後、アセロラ姫に静かに言い渡した。
「なるほど。どうやら、貴様を処刑するのは確かに不可能らしい。では、出て行け。誰にも顔を見られず、誰とも関わらずに私の国から今すぐ出て行け。貴様の
アセロラ姫はさらに食い下がろうとしたが、ヴラド公の眼を見て、ようやく見えた希望が潰えたことを悟り、俯いてたった一滴の涙を零すと、フードを深く被り直してヴラド公の前から姿を消した。
そして命令通りに、日が昇る前にワラキア公国から出て行った。
三か月後、誰よりも神を求めた男は、自らの戦場にて、憎しみを持ってその身を吸血鬼に変え果てた。
三年後、誰よりも神を憎んだ女は、自らの犠牲をせめて自らが喰そうと願い、優しさを持ってその身を吸血鬼へと穢した。
そして二百年後。
ドラキュラ伯爵とキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは再開を果たす。