『──ギャアアアアアアッ!!!』
お化けから身を隠し、逃げて、時にはコトワリさまの力を借りて立ち向かいながらハルは夜の町を彷徨っていた。
ユイは家にいなかった。ハルの家にも、空き地にも、コンビニにも。そうなればもうしらみつぶしに探すしかなく、ハルは舗装のされていない、住宅街から少し外れた道を歩いていた。
そんなとき、ふと、耳をつんざく叫び声が聞こえてきた。
(───お化けだ!)
ユイの声とは違った。だけど、それはハルへ向けられたものではないと直感的に分かった。なので、ユイがお化けに襲われているのかもしれないと、ハルは急いで塀のそばへ走った。
「ユイっ!!」
ばっと左右を見渡す。木で作られた塀は長く続いており、向こう側に行くには大回りしなければならない。ユイのことを考えると、そんなことをしている時間なんてない。
塀に扉か…せめてどこかに抜けられる穴のようなものはないか。
バキィッ!
…そんなことを考えていたら。
コトワリさまが、いきなりハサミを一振りして近くの壁を切りつけた。黒ずんだ木の壁は元々脆かったのだろう、細かな埃がたって、子供が一人通れるくらいの穴が開いてしまった。
ハルは若干の罪悪感を覚えつつ、そんなことを考えている場合ではないとユイを助けるためにその穴を潜った。
…その先にあったのは、真っ黒な四角だった。
飾り気のないコンクリートの壁に、規則正しくついた窓。人の顔のようにも見える染み。夜空を背景になおも黒く巨大な影を作っているそれは、内側に何百何千何万もの本を仕舞い込んでいる。
「…としょかん…」
ハルは、夜に見る図書館がこんなに不気味だとは知らなかった。図書館に限らず、夜に見るとたいていの建物は黒ずんで不気味に見えるが、それを抜いてもこの冷たく立った角がこれほど恐ろしく見えるものだとは思わなかった。
思わず、後退りしそうになる。だけど、夜を反射するガラスのうちの一つに見覚えのある赤いリボンが写った瞬間、反射的にハルの足は駆け出した。
「ユイ!」
そう大声で叫べば、
「ハル!!」
もっと大きな声で、ユイの声が返ってきた。
ユイ。会えてうれしいよ。こわかったよ。けがはない?私が来るまで、さみしくなかった?こわい思いをしなかった?
わあっと心に安心と、嬉しさと、いろんな感情が津波のように押し寄せて。足をもつれさせながらハルは一直線にユイの元に駆け寄った。
「ユイ…っ!」
だけど、二人の目が合った数秒の後。
ぐん、と、まるで車の窓から見たトンネルの灯りみたいに、ユイの影は横にずれて消えてしまった。
あとには、きらきらとした赤い輝きだけ残して。
「ユイ!ユイっ!?」
ハルは窓際に駆け寄って、壁に手をついた。必死で窓枠に手を伸ばすが届かない。
「…!……!!」
ユイにやっと会えたのにまた引き剥がされた焦りで、ハルは視界が狭くなっていた。ぴょんぴょんと、絶対に届かないはずの窓に手をかけようとジャンプを繰り返している。
コトワリさまがすぐ近くにあった脚立を引きずってきてハルの腕を引っ張って見せるまで、ハルには足場を使う発想すらなかった。
「…はっ!そうだきゃたつ…!ありがとう!」
はやる気持ちを抑えて、一歩一歩確実に登る。
冷たくて分厚いガラスに手を掛ける。それは力を加えると滑らかに横へ滑った。
良かった。ここまできて、カギがかかってたらどうしようかと…ハルはそんなことを考えながら、図書館の中に降り立った。
「…ユイ」
ハルは声のボリュームをやや抑えてユイの名前を呼ぶ。すでにその姿は見えなかった。何より不思議だったのが、ユイの消えた先が行き止まりだったということだ。
「…どこに、いっちゃったの…?」
視界の端で、ちらちらと赤い糸が輝く。
「ユイ…」
せっかく会えたのに…
ハルは力なく座り込んだ。
…いつまでもこうしていてもしかたない。
会えたことには会えたのだ。まだ、ここのどこかに居るかもしれない。
ハルは自分に喝を入れて立ち上がる。
とん、と後ろから音が聞こえた。コトワリさまが窓から慎重に降りようとしていたところだった。とりあえず、図書館内を探して、いなかったらまた別のところを探そう。ハルはそう思い、後ろからコトワリさまがついてくるのを確認しながら暗い廊下を進み始めた。
“図書館ではお静かに
走らないようにしましょう”
張り紙を前に、二人は目を見合わせる。
この場合、従った方が良いのだろうか。ハルはいつどんな時でもその場にあるルールには従うようにしているが、もし目の前にユイがいれば?その時は走ったり大声を出してしまったりしても仕方ないのではなかろうか。
コトワリさまのほうは、相変わらず黙りこくっていて分からなかった。まあ元々こんなんだから「静かに」は楽勝だろう。「走らない」は基本的にハルの後ろをついて回るので、ハルが走らなければいい話だ。
ハルはそーっと足を進める。夜の図書館にもやっぱりあいつらはいた。懐中電灯で照らすと、黒い人影が浮かび上がる。幸いこちらが何もしなければ大人しかったので、ハルはなるべく近寄らないように、そろりと脇を通り抜けた。
…そういえば、後ろをついてくるコトワリさまの足音は随分と静かだ。足音が無いわけではないはずなのだが、やっぱり人ではないからなのか、意識しないと聞こえるようにならないくらい。
ちら、とハルは後ろを振り返る。
外より暗い図書館で、闇に溶けてしまいそうな丸い頭のシルエット。
暗闇の中でそこだけ目立って、ぼんやりと宙に浮かんでいるように見える赤いシャツ。
(…なんでだろう。しってるきがする)
実は、初めて会った時から感じていた。あの時、振り返った顔に巻かれた包帯を見てもハルは驚かなかった。それどころか、なんの疑問も抱かなかった。それを今になって不思議に思う。
ユイの額に巻かれていた包帯で、見慣れていたせいだろうか?ハルはそういうことにして一旦は納得した。
納得しようとした、一瞬。
ザザッ
ハルの脳裏に、ある映像が浮かんだ。
夕暮れの空。アスファルトの照り返し。伸びる影と見慣れた軒並みを背に、誰かが立っている。
(あれ?)
不思議だ。
あんなところで会った事はないはずなのに。
(だって、今日はじめて…)
夕日。
夕暮れ。
昨日、の、帰り道。
(あれ?あれ?)
思い、出せない。
わたし、は…
なにを、して、たんだっけ。
ガタッ。
ハルの肩が、勢いよくラックにぶつかる。
いつのまにか足音を殺すこともやめてしまっていた。
あっと思ったのも束の間。その衝撃で、上に載っていた本が…
─バサバサバサッッ!!
ものすごい音を立てて、ハルたちのもとへ連続で降り注いだ。
『ガァアアアアアアアアッ!!』
「いやああああああああっ!!」
ハルは一瞬、心臓が止まったかと思った。
今はもうバックバックと破裂しそうなくらいに鳴り響いている。「走ってはいけない」「静かにしなければならない」のルールも忘れて、無我夢中で走り出した。
「…!……!」
ばたばたばた!と忙しい足音の後ろで、うるさい喚き声と沢山の気配、数回のジャキンという音が響き渡る。コトワリさまは頑張って応戦してくれているようだ。こんな狭い場所でハサミを振り回すなんて、誤って本を傷つけてはいけないなんて言える余裕のある人は勿論この場にいない。
「ひゃああああ!きゃあああああっ!!いやああああああああ!!」
そんな大混乱の中でも、ハルはしっかりコトワリさまの腕を掴んでいた。友達を見捨てないといえば聞こえはいいが、実際ただの癖である。こういう時、ハルは真っ先にユイの手を繋ぎに行っていたから。
コトワリさまは片手なので、しかも狭い通路に入ってしまってハサミが振りづらそうだ。仕方なく応戦は諦めハルに続く。
『ガァアアアアアアアッ!!』
声が声を呼び、背後の悲鳴はいつのまにか大合唱へ発展する。ここのお化け達は音や動きに反応するものが多い…ハルには知り得ない、知った所で後の祭りな情報である。
今、図書館内はまさに百鬼夜行の地獄絵図。たかが少女一人にあんまりじゃあないか。ハルは涙目でそう思った。
「はあ、はあ、はあ…!」
目についた角をとにかく曲がり、右へ、左へ…繰り返していたら、いつのまにか随分入り組んだ通路に入ってしまった。今、ハルは左手に目立たない小さなドアを見つけた。一か八か、祈る間もなく手を伸ばす。
─ガチャバンッ!
幸いにも、運はハルに味方した。扉はすんなりと開いて、奥には狭い空間があった。
段ボールの隙間に体を押し込む。火事場の馬鹿力というやつで、掴んだ腕を強引に引っ張り入れる。足元でぐしゃぐしゃっ!という嫌な音がするが、気にしない。そのまま無駄のない動きでドアノブを引っ掴み、体を引くと同時に最速で閉める!
そのタイム、なんと約3秒!
…ばくん、ばくん、ばくん
心臓はまだ暴れている。
…ばくん、ばくん
暗闇の中で、荒れた息を整える。
あいつらはここまで追ってこないだろうか。思わず掴んだ腕に力がこもる。ちょっとだけ抗議が飛んできて、ハルはごめんと力を緩めた。
…どくん
ドアに耳をぺったりとつけると、さっきまでバタバタ響いていた足音はもう聞こえない。
さらにドアについた小窓から外を伺う…人影もない。
それを確認して、ハルは慎重にドアを押し開けた。
キィィ…
…頼りない音と共に、全くの暗闇だった部屋の中に一筋の光が入る。
そっと隙間から外を伺えば、もうお化けの気配はなかった。
どうやら、危機は脱したようだ。
「…ふう〜…」
こんなところで散歩なんてしてたら、命がいくつあっても足りないよ。
そう思いつつ安心してため息を一つ。
でも、私はユイを探すんだ。必ずユイを迎えに行くんだ!
そう決意して、後ろを振り返ると…
「…」
段ボールから足生えてた。
どうやら逃げ惑う中この部屋の中へ隠れた時、勢い余って頭から資料の山に突っ込んでしまったらしい。足をばたつかせながら、懸命に頭を抜こうともがいている。
「…ぷっ」
思わず、ハルは吹き出した。
直後に、『いやお前のせいだろ』と言わんばかりの抗議が飛んできた。ごもっともである。
抗議(足バタバタ)