お待ちかねのコトワリさま活躍回だぜ!
「あの、ちょっと…!」
ハルは女の人を追いかける。ガサガサと、背の高い草をかき分けて。
何度も草の隙間に埋まったゴミに足を取られて転びかける。
「まって…!」
黒いセーラー服の女の人は、ハルが少し進むたび暗がりに包まれて見えなくなる。かと思えば、少し先に行ったところに姿を現した。
髪も服も黒いから、この薄暗い林の中では簡単にシルエットを見失ってしまうのだろう、とハルは思った。
そうしてしばらく追いかけっこを続けていると、ガサッ!と、広げた空間に出た。
それを見て、ハルはびっくりした。
「でん、しゃ…?」
…そこには、一台の電車があった。
ハルの見慣れた、鋼鉄でできたボディではない。レトロな外観の、多分すごく古いもの。
息絶えたように動かないそれは、周りのゴミとは一線を画し、並々ならぬ存在感を漂わせている。
林がゴミだまりになっていたのは知ってたけど、こんなに大きなゴミもあったなんて…ハルはどこか公園の遊具でも見るような気持ちでそれを眺めた。いつも人を乗せ、忙しく動き回っているそれが、こんなにも静かなのはなんだかおかしかった。
「…どうしよう。」
ユイは、あそこの中にいるかもしれない。お姉さんは、あの電車に乗ったのかもしれない。追いかけて捕まえたら話を聞けるかもしれないけど、もし…
そう考えかけ、今更だとハルは気づいた。
もう散々、危険な目にはあった。お化けにだって何回も追いかけられた。なのに今更、そこにユイに会うための手掛かりがあるかもしれないのに、何を躊躇うことがあったのだろう。
「…いこう」
ちらと後ろを振り返ってハルは言う。
コトワリさまは小さくこくりと頷いて、どこからともなく赤い大きな裁ち鋏を取り出した。
ギギィ…
ひしゃげたドアを跨いで暗い板に影を落とす。
床は歪み鳴いたが、あの屋敷に比べれば随分ましに思えた。扉もなく、窓が多いおかげで月光が入るし。
そのままとことこと、車内を進む。
最近雨が振ったからか、緑は元気に車内を侵略して、この車体を自然に還そうとしていた。天井に水が溜まっているのか、どこからかピチョンピチョンという音も聞こえる。
ひび割れた窓ガラスから夜空を拝む。街灯がないからか、星が綺麗だ。いつかの自由研究で調べた夏の星座も、今ならはっきりと見えるかもしれない。
そうだ、あの日もハルは暗闇が怖いと泣いていた。
そんなハルを、ユイは…
ハルは頭を振った。
思い出に浸るのは、あとでいい。今はユイを探さなきゃ。
ああ、でも、この空は本当にきれいで…
サ イ
ム
…赤いシミが、目に入った。
カエルの足跡のような音とともに、つうと窓を垂れていく。
血だ。血で書かれた文字。不意打ちなので少しびっくりしたが、そんなものはこの夜で見慣れていた。もっと怖いものにも出会ってきたので、ハルももうこれくらいでは驚かない。
…それでも怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だが。
ともかくハルは、ユイを探して列車の先へと足を進めた。窓は、もう極力見ないようにしながら。
サ イ サ
ム サ イ
サ イ ム
それでも。
ぺた、ぺた、ぺたと赤い文字は壁を伝って。
サムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムイサムサ
真っ赤になって、見えなくなるまで。
ハルはせかせかと早足で先へと進んだ。
窓を見ないように伏せていた目を、ちら、と上げると…
「あ…」
…そこには、あのセーラー服の女の人が立っていた。
「…ごめんなさい」
ハルは近づいて、その紺色の制服に手をかける。
足元の赤い水たまりに、今なおピチョンピチョンと降り注ぐ赤い水滴に、もっと早く気づいていればよかった。
「ユイを、ユイをしりませんか。わたしのしんゆうなんです…」
手が、長い髪の先に、届いた。
瞬間。
ぐるり、と頭が回転した。
そこにあるはずの顔は無く、ただ真っ赤な湖がそれのあるべき場所に鎮座しているのみ。
ハルは、それを至近距離で見てしまった。
「…きゃあああああああああっ!!!!!」
いくら慣れたとはいえ、怖いものは怖いのだ。
典型的なホラー映画的手法に、ハルは大声を上げた。
「…っ!!」
コトワリさまの無言の訴えに、ハルは弾かれるように走り出す。
一瞬、固まりかけた体を叩き起こして、後ろを見ないように全速力で駆ける。
足がもつれて転びそうだ。止まってしまったらどうなるか、背後から迫り来る気配を鑑みるにそうなる訳にはいかなかった。
走って、走って、走って。
短いトンネルのような車内が、やけに長い。
連結部分を飛び越える。肩が狭くなった通路に当たった。転けそうになったのを抑えてまた走り出す。
ーザァアアアッ!
ふと耳に伝わる、雨粒が鉄板を叩く音。雨が降ってきた?
窓の外を確認する余裕はなかった。あったとしても血に濡れた窓では外を伺うなどできなかっただろうが、そもそもそんな必要はハルにはなかった。古くなって、最早役割を果たさなくなった天井から雨漏りしてきた水滴が、ハルの視界を曇らせたからだ。
やっとの思いで入ってきた扉にたどり着く。
90度、直角にカーブして飛び出す。
「ひええっ!」
お化けには、テリトリーを持つものが多い。
余程しつこいやつでなければ、ある程度距離が離れれば追ってこないものが殆どだ。
…残念ながら、背後のそれは例外であったようだが。
『サムイィ…サムィイヨォオオ……』
口がないからだろうか、セーラー服の幽霊は舌足らずな喃語のような叫びを上げて、なおもこちらを追い続ける。
首の上…喉の辺りからコポコポと気泡が出ているような音がしたが、ハルは聞こえなかったフリをして走り続ける。
「いゃあああああーーーーっっ!!」
ハルはもうたまらなくなって叫び出した。
いやだ。いやだ。いやだ。
足がつかれた。
もういやだ。今日は訳の分からないことが多すぎて、ハルはもう頭がこんがらがって何も分からなくなりながら叫んだ。
「…ふぎゃっ!」
そしてついに、限界が来た。
急に足に力が入らなくなって、ハルはもんどりうって倒れた。コンクリートの地面が少女の柔肌に厳しい。一度つまづいて、止まってしまった体はもう言うことを聞かなかった。
「あ…」
後ろを振り返る。
カカシのような格好の幽霊がそこにいた。
両腕を広げ、ボロボロになったセーラー服から、真っ白な肌に痛々しく血が伝う足を生やしていた。
顔色なんてものは存在しない。だけど、その幽霊は黒髪を振り乱して、泣いているように見えた。
その周りにだけ、ざあざあと赤い雨が降っている。
「あ…あ…っ」
ずりずりと、ナメクジのように後ろへ下がる。
ぺた、ぺたとコンクリートの床に赤い文字が這った。サムイ、タスケテ、イカナイデ。それから逃げるようにハルは後ろへ下がる。恐怖が全身を駆け巡った。腰が抜けて、立ち上がる気力はもう残されていない。
…女は、何故か立ち止まっていた。
ハルはそこで初めて気がついた。もう電車からは結構離れている。足元からさらさらと水の流れる音がした。ここは…
田んぼの用水路だ。あの女は多分、この用水路にかかった橋を跨げないのだ。ハルは直感的にそう思った。
『…イカナイデ』
ハルを追いかけるように、また血文字が浮かぶ。
ハルは荒い息を整えながら、女を見つめた。
「…ごめんなさい」
『タスケテ』
「できないよ」
『サムイ』
「わたしには、むりだよ…」
痛々しい様子で、女は懇願してきた。
今度は自分の無力さを呪って、ハルは俯いた。雨は依然として女の肩を濡らし続け、顔からは赤い液体が流れ出ていた。
きっと、ハルには想像も出来ないほどに辛いだろう。
ぎゅうと、小さな拳を握る。
「…さむいよね」
女はこちらを睨み続ける。恨めしそうに、苦しそうに。
「…もう、いやだよね…」
ごめんなさい。
助けてあげられなくて、ごめんなさい…
じゃり、と地面を踏み締める音が聞こえる。
ハルは顔を上げた。
赤く鋭い切先と、夜風に揺れる黒髪が見える。
「………」
「…?」
そこには、やけに穏やかな雰囲気で女と対峙するコトワリさまがいた。
いつの間に、目の前に立っていたのだろうか。
…この女の人も、あのオバケ達みたいに、切っちゃうつもりなのかな。
「………」
ハルにはその後ろ姿しか見えないが、怖い感じはしなかった。
むしろ先程までのハルと同じような、悼む視線を投げかけているように見える。ハルは不思議に思ってその背中を見つめた。
コトワリさまは、そのまま一歩、二歩、と歩みを進める。
『…サムイ、サムイ、サムイ…』
ゆっくりと。
境界線を、超えた。
「………」
そして、シュルと布が擦れる音がしたと同時に、二つの爪先が宙に浮く。チラリと真っ白な包帯がはためくのが頭越しに見えた。
ハルはただ呆然とその光景を見つめていた。
包帯が解かれたと同時に、黒光りする後ろ頭の輪郭も、同時に解かれて消える。
そこから赤黒いモヤが溢れ出す。体の方はダラリとして力を失い、その様子はまるで、お化けに頭を丸齧りされてしまったようだった。
「…あ…」
ハルは再び思い知った。
彼が、人間ではないことを。
『…』
ビリビリとした圧が伝わる。人間じゃない。でも、オバケとも違う。ハルはただならぬ様子のコトワリさまを、不安げな眼差しで見つめていた。けど、不思議と怖いとは思わなかった。
コトワリさまの頭は完全に霧に包まれ…そこから、何本もの灰色の腕が突き出てくる。
ージャキン。
特に太い2本の腕が…ハルの胴を挟めてしまうくらいの、大きな赤い裁ち鋏を何処からともなく取り出した。
ハルも、女の幽霊も、そこから一歩も動けなかった。幽霊は、壊れたオモチャのようにガクガクしているのが、浮いた足越しに見えた。
そのまま、異形と化したコトワリさまは…
ジャキンッ。
ハルの目の前から、消えた。
深い、断ち切る音だけを残して。
「……あ…」
目を瞑ったハルが再び目を開けた時、そこにいたのは見慣れないセーラー服の女の子。
雨は止んでいた。引き裂かれた制服は元に戻って、裸足の足先が、今度ははっきりと見えた。
ぽたり、とまた水滴が落ちた。今度は透明なものが。
ハルは、ぼんやりとその嬉し涙に濡れた頬を見つめながら、ユイに似ているなんて考えていた。
ふっ、と、ふいにその形は崩れ、後にはきれいな白い光だけが残る。
それはホタルのように上に昇って、やがて夜空の星と見分けがつかなくなった。
あとには、ハルとコトワリさまだけが残った。
…とん、と、再び小さな足が地面に戻ると、いつの間にかそこにあったのは、見慣れたざんばら黒髪の小さな頭。
そのまま、優しく振り返ってこちらを見た。
───終わったよ
そう、笑いかけているような気がして。
足元に咲く彼岸花と同じ色の布を、ハルはただぼうっと見つめていた。
ユイちゃんの活躍回も書きたいぜ!
多分次くらいに書くぜ!