-あらすじ-
牢屋敷で姉の看病を続けていたナノカは、アリサをお菓子作りに誘う。
久しぶりに作るお菓子は思っていたより難しく、とても人に食べさせられるものではなかった。
そんな時、マーゴとナノカの姉が通りかかり、ある提案をする。
これは、過去と向き合いながら進む、ナノカとマーゴの日常の余白を描く物語。
ここは、牢屋敷。
かつて怨念が渦巻いた場所に、紫藤アリサはいた。
親との関係も修復され、手の傷も治ったので今週末は家でゴロゴロしていようと思っていたのだが、急に黒部ナノカから『どうしても頼みたいことがあるので、牢屋敷まで来てほしい』という連絡が入ってきた。
正直、黒部は苦手なほうだし断ろうと思ったのだが、なんだか悪い気がして断り切れず、結局来る羽目になってしまった。
長い移動時間が終わり、合流したかと思えば、連れられた先は牢屋敷のキッチンだった。
「なあ、なんでウチが呼ばれたんだ?」
頭にはキャスケットをかぶり、白いフリルのエプロンを身につけた黒部ナノカに疑問をぶつける。
「だって、あなたは火の扱いが上手じゃない」
ナノカは、こちらの疑問に対して、当たり前だと言わんばかりの口調で言い返してきた。
「いや……もう魔法はねえし、扱いもそんな上手いわけじゃねえし。というか、火の扱いがうまいからといって料理が得意とは限らねえぞ?」
「そうなの?」
ナノカは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚いている。
こいつ、もう少ししっかりしたやつだと思っていたけど、もしかして結構なポンコツなんだろうか。
疑念のまなざしを向けているが、ナノカはそれに気づくことなく準備を続けている。
「今日はクッキーをつくるわ」
「クッキーか」
佐伯や二階堂と会った時に食べたクッキーのことを思い出す。
あれはおいしかった。
「そんな簡単に作れるもんなのか?」
「ええ、簡単よ。小学生にもできるわ」
「砂糖と塩を間違えるなんて、ベタなことすんじゃねえぞ?」
「そんなことするわけないじゃない、子供じゃないんだから」
こちらに対して呆れたような言葉を述べたナノカは、おもむろに砂糖の入った袋を持ったかと思うと、ボウルに中身を空け始める。
「って、おぉい! なんで計量しないで直接ボウルに入れてんだよ⁉」
「何か変? お姉ちゃんはいつもこうやってたわよ?」
キョトンとした顔でこちらを見つめ返してくる。
どうやら、素で行っている行動のようだ。
「いや……、あんまり料理したことないウチでも変なことやってるってわかるぞ? 菓子作りが得意なんじゃなかったのかよ」
「得意よ。小さいころは毎日のように作ってたもの」
「姉ちゃんと一緒にだろ? んで、そん時おめーは何を手伝ってたんだ?」
「卵割ったり、生地を混ぜたり…… 大体のことはやってたわよ」
まるで失敗がないかのように語っているが、今の様子を見る限り知らず知らずのうちに記憶が改ざんされているに違いない。
恐らく、卵は殻ごと粉砕して、生地は混ぜている間にそこら中に飛び散って体積を大きく減らしていたはずだ。
ナノカの姉は、それの後始末に奔走していたことだろう。
「誰か助けてくれ……」
「何をブツブツ独り言を言っているの? 絶対にうまくいくから見てなさい」
「……知らねえからな」
味についてはもうあきらめた。何としても事故だけは防がなくてはならない。
牢屋敷が火事にでもなってしまったらシャレにもならん。
ナノカの姉以外にも、二桁を超える人が住んでいるのだ。雨を凌ぐ場所がなくなっては、全員が路頭に迷ってしまう。
そんなことを考えているうちに、ナノカはバターを電子レンジで溶かし、砂糖と混ぜている。
用意されたレシピには『混ぜやすいように常温になるまで溶かす』と書いてあるが、ナノカには『溶かす』という文字しか見えていないんじゃないだろうか。
いや、もう何も言うまい。
ナノカが奮闘している間に、生地に使う薄力粉を計量する。
「確かこの計量スプーンは15ccだったよな……。あれ、ccとグラムって一緒だったっけか?」
中学校の家庭科の授業で習った気がするが、どうも自信がない。
「なあ……やっぱり、お前の姉ちゃんを呼んできた方がいいんじゃねえか? マーゴだけでもいいしさ」
「嫌よ。サプライズの意味がなくなるじゃない」
「そうかよ」
しょうがないので、自分の記憶を信じることにする。
確か、液体と粉は体積が違ったはずだ。
粉だと、大体6~7割くらいの重量になるはず。
「レシピだと薄力粉は120gだから、――13回ってところか」
すりきり一杯という言葉を聞いたことがあるので、その通りにする。
「1、2、3――」
「ねえ」
「あん?」
計量を止め、ナノカの方向を見てみると、キッチンのカウンターの上に卵液と殻が散乱していた。
「この卵、どうすればいいかしら」
「あーあー、あとはウチがやるから、黒部は計量を変わってくれ。あと――10回粉をすくっていれてくれりゃあいいからさ」
「わかったわ」
ナノカに薄力粉の袋と計量スプーンを手渡し、散らばった卵液と殻を片付ける。
「卵はまだあったよな……」
冷蔵庫まで移動して扉を開けると、幸運なことにまだ6個ほど余っていた。
とりあえず卵を2個手に取り、元の位置に戻る。
ナノカを見るに、どうやらちょうどよく作業が終わったところみたいだ。
「量り終わったし、バターと混ぜといたわよ」
「おう、サンキュ」
ボウルの中を覗き込む。
「……なんか、粉の量が多くねえか?」
「そうかしら、気のせいじゃない?」
いや、明らかに多い。体感だが、想像の二倍量近くある気がする。
「黒部、すりきり一杯って知ってるか?」
「知らないわ」
「そうか……」
これに関しては、予想できていなかったウチが悪い。悔やんでも仕方がない。
無言で卵の数をひとつ増やす。
「じゃあ、混ぜるか」
「パンみたいに手で練ればいいの?」
「そうなんじゃねえか?」
レシピには『さっくりと混ぜ合わせる』としか書いてない。
混ぜ合わせるとなると、泡だて器と麺棒が選択肢に入るが、泡だて器を使うには生地が固すぎるし、麺棒で伸ばせるほどまとまっているわけじゃない。
手で練るのがちょうどよさそうだ。
「さっくり、ってどれくらいなのかしら」
「『ざっくり』じゃなくて『さっくり』だろ?なら、『ざっくり』より多めに混ぜるんじゃねえか?」
「なるほど、確かにそうね」
ナノカは、ボウルの中に手を入れて混ぜ合わせ始める。
ちょうど手持無沙汰になったので、使った食材や調理器具を片付けていると、ナノカがぼそりとつぶやいた。
「なんか……重くなってきたわね」
手の筋が浮き出るほどの強さで混ぜ合わせているナノカは、額に汗が吹き出し始めている。
「まだダマっぽい部分が残っているのだけれど、ちょっと疲れてきたし変わってくれないかしら」
「ああ、いいぜ」
ナノカとバトンタッチする。
手を洗ってからボウルの中に手を入れると、見た目以上の重さと弾力がした。
「確かにえらい重てえな……。ふんっ、ぬぬ……、ぬあぁっ!!」
気合を入れないと混ぜることができない。
四苦八苦しながらこねていると、ダマひとつないキメ細かい生地が完成した。
「次は『棒状にして輪切りにする』と書いてあるわね」
「なるほど、ここで麺棒を使うのか」
麺棒を手に取り、棒状にしやすいように一旦生地を引き延ばす。
だが、キッチンカウンターや麺棒に生地がくっついて、なかなかうまくいかない。
「もしかして、薄力粉をまぶしてくっつかないようにするんじゃないかしら。打ち粉って言葉を聞いたことがあるわ」
「おめーそういうことは知ってるのな。でも一理あるわ」
ナノカが言ったとおりに麺棒と生地に粉をまぶし、引き伸ばしてから棒状に成形する。
先ほどとは違って、容易に生地を扱うことができた。
「あとは切るだけね」
「ああ、それならウチが切るから、黒部はオーブンの準備をしておいてくれ」
「しょうがないわね」
ナノカは、オーブンレンジに向かい予熱を入れ始める。
ナノカには悪いが、さすがに刃物を扱わせるのは怖い。
今思えば、ナノカが銃を持っていたあの状況は、とても危険だったのではないだろうか。
自分の眉間が撃ち抜かれたかもしれない未来。過去の記憶で、かつてナノカの弾丸の餌食となった魔法少女たちのことを考えながら、生地を輪切りにしていく。
その後は不思議と順調で、オーブンに生地を入れた後は焼き上がりを待つだけとなった。
****************
クッキーが焼けた。
恐ろしいことに見た目はまともだ。『見た目』は。
食べようと思って持ち上げた瞬間、その小ささからは考えられないほどの重量と圧力を感じた。
「じゃあ、いただきます」
「おう」
恐る恐る口に運ぶと、まるで鉄の塊を食んだかのようなイメージが脳裏によぎる。
思いっきり顎に力を入れて噛み切るが、およそ食べ物を噛んでいるとは思えない音が口内から響き渡った。
数分ほど咀嚼して、水と一緒に流し込んだ後に、感想を述べる。
「なんだこれ、凶器か?」
レシピには『サクサク生地がおいしい!濃厚バタークッキー!!』と書いてあったが、どちらかというと擬音は『バキ、ゴリ』という感じだった。
「あの時、これを作ってりゃ武器になったんじゃねえか?食べたら証拠隠滅もできるしな。ハハ……」
おもむろに冗談を飛ばすが、ナノカは相当深いショックを受けているようで、聞こえていないようだ。
「――お姉ちゃんの回復祝いなのに、こんなのじゃ喜んでもらえない……」
「お、おい……そこまで落ち込むなって。まだ材料もあんだし、作り直せばいいじゃんか」
「でも……」
「――なんだかいい匂いがするわね」
そんなやり取りをしていると、間の悪いことにナノカの姉と宝生マーゴがキッチンに現れた。
「お姉ちゃん!」
ナノカが、姉の元へ飛んでいく。
「なのちゃん、どうしたの?」
「ごめんなさい……、お姉ちゃんのためにクッキーを作ったんだけど、失敗しちゃったの」
「あら、残念」
マーゴが、嘘なのか本当なのかわからない抑揚でつぶやいた。
ナノカの姉は、ナノカの頭をなでながらあやしている。
ナノカはされるがままになっているが、先ほどまであったクールな気配はどこへいったんだろうか。
突っ込みを入れるために話しかける。
「なあ、黒部」
「「なに?」」
二人の黒部から返事が来た。
「あぁ、いやっ、その……ナノカの方…………」
名前呼びに慣れていないからか、少しどもってしまう。
「んっ、んんっ。あーっと、それで……結局このクッキーどうすんだ? 食べるにはちょっと歯が立たねえし、捨てるのもちょっともったいねえしな」
突っ込むタイミングを逃してしまったので、咄嗟にクッキーの安否を尋ねることにする。
特に突っ込まれなかったので、何とかごまかせたみたいだ。
「うーん、せっかくなのちゃんたちが作ってくれたんだし、そのまま頂いてもいいんだけど……、アレンジでもしてみようかしら」
ウチの質問に対して、ナノカの姉が提案する。
その言葉に反応するかのように、勢いよくナノカが立ち上がった。
「私も手伝うよ!」
「なのちゃんはいい子だから、外で待ってなさい」
「はーい」
ナノカは、ウキウキという擬音が目に見えるくらいの上機嫌な様子でキッチンから出ていき、食堂の椅子に座った。
今までに見たことがないくらい、満面の笑みである。
その光景を遠目に眺めながら、マーゴに話しかける。
「なあ、やっぱり黒部のやつキャラ変わってるよな」
「可愛くていいじゃない」
まあ、否定はしない。
だが、魔女裁判中の様子と比べるとあまりにも印象が変わっているので、どうしても今のナノカには違和感が残る。
ナノカを華麗な手口でお払い箱にしたナノカの姉は、手際よく菓子作りの準備を始めていた。
「黒部……さんは、黒部と仲がいいんだな」
「姉妹だもの」
ナノカの姉は、間を置かずに返事をした。
兄弟姉妹とはそんなものなんだろうか。ウチは一人っ子だから、いまいちその感覚がわからない。
「さて、私も手伝うわよ。何をすればいい?」
マーゴは腕をまくり、意気揚々と意思表明をするが、ナノカの姉が遮る。
「いいのよ。マーゴにはいつも助けてもらってるし、たまには私からお礼させて」
「遠慮しなくてもいいのよ?これが私の仕事だもの」
「だからこそよ。今日は座ってなさい」
ナノカの姉は、マーゴをキッチンに置いてあった椅子に促す。
「でも……なんだか気が引けちゃうわ」
「ただ会話相手になってくれればいいのよ。ちょうど相談したいことがあったことだし」
ナノカの方を一瞥し、少し声のトーンを抑える。
「……魔女裁判の間、なのちゃんはどうだった?」
「どうって……、今とはぜんぜん違うっていうか」
ウチを泥棒扱いしていちゃもんをつけたこと、裁判中も孤立して暗躍を繰り返していたことを思いだす。
ただ、それをそのまま口に出すのは憚られるので、多少濁して伝える。
「今みたいにかわいい雰囲気ではなかったわね。どこか無理してるっていうか、そんな印象だったわ」
「やっぱりそうなのね」
ウチと似たようなことを話したマーゴに対して、ナノカの姉は案の定といった様子で返事をした。
「なのちゃんは、どうやら『私を真似てた』みたいなの」
ナノカの姉は材料の準備をしながら、つぶやく。
その言葉でようやく合点がいった。
知的でクールな印象を受けるナノカの姉。
それを無理して模倣しようとした結果が、魔女裁判中のナノカだったというわけか。
「確かにそうかもな、でもそれがどうしたんだ?いいことじゃねえか」
「お姉さんを尊敬しているってことだし、誇らしいじゃない」
「そうなのかしら……」
ウチとマーゴが肯定するが、ナノカの姉は納得がいっていないようだ。
ナノカの姉は雑談に興じながらも、菓子作りを進めている。
今は電子レンジにバターを入れ、溶かしているようだ。
「このクッキー、頂くわね」
ナノカの姉はビニール袋にクッキーを入れ始める。
「いいけど、それどうすんだ?」
「ふふ……内緒。まあ、見てなさい」
なんだかデジャブを感じる。果たして大丈夫だろうか。
「さっきの話の続きだけどね、なのちゃんには私を真似してほしくないの」
「なんでだよ?」
「私は、人殺しだから」
ビニール袋に入れたクッキーに麺棒を振り下ろし、言い放つ。
そのただならない空気に気圧されて、言葉が出てこない。
ナノカの姉はそれに気にすることもなく、独白を続ける。
「私の時は、今のなのちゃんみたいな雰囲気の子がいてね、同じ部屋だったから仲良く過ごしていたの」
麺棒を繰り返し振り下ろし続け、袋の中のクッキーの形が無くなっていく。
「でもね、ある時その子が殺されちゃった」
淡々と話しながら真顔でクッキーを砕き続ける様子を見て、背筋が凍る。
ナノカの姉は、ひたすら棒を叩きつけている。
「私は、偶然その殺害現場を見ていた。いや、見てしまったの。その時、私は殺されてしまった子をなのちゃんと重ねちゃってね、思わずそいつを殺してしまったの」
ナノカの姉は深く息をつき、クッキーを砕くのをやめる。
いつの間にか、袋の中のクッキーは粉々になっていた。
「――なんで馬鹿正直に言うんだよ?ウチらには誤解で投票数が集まった、とでも言って誤魔化しゃ良かったのに」
ビビっていることを悟られないように平静を装いながら、ナノカの姉に疑問をぶつける。
実際、なぜこの話を告白し始めたのか理由がわからなかった。
ナノカの姉は、視線を横に向けながらボソリとつぶやく。
その視線の先にはナノカがいた。
「これ以上、自分に嘘をつきたくないの。せめて、なのちゃんには胸を張れる人間でいたいわ」
「胸を張るって言ったって……ウチらだって魔女裁判では人殺しを――」
「『死に戻りする前の世界では』でしょう?話は聞いてるわ」
死に戻り。
その二階堂ヒロの魔法のおかげで、この世界では誰一人殺人を犯さずに済んだ。
そうでなければ、全員が牢屋敷から出ることはできなかっただろうから、その功績は大きい。
だが――
「なれはて化から復活した子たちは、ほとんどが殺人を経験している……ということを言いたいんでしょう?」
「そうね」
数十人の元なれはて達。
ナノカの姉はまだ良い方で、大半の少女たちは心に大きな傷を抱えていたままだった。
いまだにベッドから出ることができない子も多くいる。
「なのちゃんには自分の人生を歩んでほしいの。一生ここに幽閉されるであろう私は、枷にしかならないわ」
「……そんなことはないだろ」
とっさに口を挟む。
「それでいうなら、ウチは魔女裁判の前に殺人を犯してる。そんなやつが外を出歩けているんだから、そう悲観しなくてもいいんじゃねえか?」
「そうね。私もたくさんの詐欺をしてきたけど、一生牢屋敷から出られないってことはないと思うわ。あなたもきっと大丈夫よ」
ウチとマーゴが各々の持論で、ナノカの姉を励ます。
ナノカの姉は、その内容はどうやら初耳だったようで、目を丸くさせていた。
次第に口元がほころび始め、目を細めて微笑んだ。
「ふふ……なら、私たちは犯罪者同盟ということね」
「とんでもねえ集まりだな」
「やっぱり外に出るわけにはいかないかしら」
三人で苦笑しながら、笑いをかみ殺す。
ナノカの姉は、困ったように眉尻を下げていたが、口のゆるみは隠しきれていなかった。
この話をしはじめたあたりから、ナノカの姉から張り詰めた気配を感じていたが、今はそれが幾分か軽減されている。
下手に他人に話すこともできない過去ではあるが、誰かの助けになれたのなら良かった。
会話をしながらも、ナノカの姉は菓子作りを続けており、今はクッキーとバターを混ぜてクッキー生地にしていた。
「なるほどね、そういうこともできんのか」
「歯ごたえもあるから、ザクザクしておいしいわよ」
ナノカの姉は、クリームチーズに砂糖と生クリーム、レモン汁を混ぜて、チーズ生地を作り始める。
さらにゼラチンを加えてひとしきり混ぜたかと思うと、クッキー生地の上に流し込んで、ケーキ型を冷蔵庫に入れた。
「あとは3時間ほど冷やすだけね」
「結構簡単なんだな」
「でしょう?」
ナノカの姉は手早く後片付けをし、使った食器を洗った。
「さてと、固まるのを待っている間に残ってる仕事を片付けましょうか」
マーゴが椅子から立ち上がるが、ナノカの姉がマーゴの肩に手を置いて、静かに座らせた。
「いや、今日はあなたには休んでいてほしいの」
「え……でも、まだまだやることは残ってるのよ?」
頑なにマーゴを働かせまいと行動するナノカの姉に対し、マーゴは困惑の表情を浮かべていた。
なぜそこまでマーゴを休ませようとしているのだろうか。
そう考えていると、ナノカの姉は続けて話し出した。
「仕事をするんなら、今日は適任がいるじゃない」
ナノカの姉が、こちらを見ながら言う。
「う、ウチぃ⁉」
「私が手取り足取り教えてあげるから、任せなさい。あ、マーゴはなのちゃんの相手してあげてね」
後ろから肩をつかまれて、強制的に食堂から退出させられる。
背後からナノカの疑問を浮かべた声が聞こえた気がしたが、無情にもそのまま扉は閉められてしまった。
****************
「あれ……?お姉ちゃん、出て行っちゃった」
ナノカが姉の後を追おうとするが、後ろから声をかけて止める。
「私とナノカちゃんは、ここで待っていてほしいそうよ。作ったケーキを守っておいてほしいみたい」
もっともらしい嘘をとっさに考えた。
ナノカはそれに納得したようで、元々座っていた席に座り直す。
嘘をつくのにも慣れたものだ。
初めはこんなには上手くはいかなかったし、いちいち罪悪感を覚えていたが、今やそのような感情は影も形もない。
息を吐くように、無感情で自分を偽ることができるようになっている。
立っているのも変なので、なんとなくナノカと顔を突き合わせる位置の椅子に座る。
ナノカは、一瞬こちらに目を向けて何かを喋ろうとしたが、ばつが悪そうに顔を下に向けた。
私も先ほど話した内容が内容なので、なんだかナノカに悪いような気がして話しかけることができなかった。
そうして、二人の間に無言の時間が流れた。
二人の息遣いと、食堂の時計の音だけが聞こえる。
ナノカの姉に言われたとおりに休んでいるわけだが、なんだかその時計の音がやけにうるさく感じた。
何もしていないと、どうにも落ち着かない。
魔女裁判が終わってからふた月。
色々と忙しくて感傷に浸る余裕もなかったが、期せずして余白の時間が生まれたことで、自分のことを内省し始める。
だからだろうか。
ふと、このような性格になった起源を思い出した。
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ゴミの中で寝起きする毎日。
無造作に置かれた金。
母からの暴力的な愛。
そして養父からの――
胸の内でどす黒い感情が再燃する。
詐欺という行為は、大人への復讐として私ができる数少ない手札のひとつだった。
私に愛を教えてくれた母を騙し、私に一方的な愛を振る舞った養父を騙し、生活のために見知らぬ大人たちを騙し続けた。
詐欺の手段として行う色仕掛けも、本心では嫌で嫌で仕方なかったが、必死に感情を殺して機械的にこなしていった。
そのようなことを繰り返していたら、いつの間にかモノマネの魔法を持っていることに気が付いた。
色仕掛けを嫌だと思っていたから、神様がお情けでくれたのだと思ったが、既にもう遅い。
他人を信じず、妖艶で悠然とした仮面で本心を隠す人格が形成されていた。
時折、その仮面をはがして素顔を覗こうとしたこともあったが、いつも上手くいかなかった。
今となっては、昔の私がどういう性格だったのかも――もう忘れてしまった。
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「宝生マーゴ」
突然ナノカから声をかけられ、現実に引き戻される。
「……どうしたの? ナノカちゃん」
遠くへ意識を飛ばしていたので本心では大層驚いていたが、一呼吸おいてなんでもないように振る舞う。
果たして何を聞かれるのか、と内心肝を冷やしていたが、目の前のナノカは軽く頬を膨らませながら不満を漏らした。
「お姉ちゃんと何を話していたの?私だけ仲間外れにして、何を企んでいるの?」
眉間にしわを寄せ、顔を赤くさせたまま、こちらをじっと見つめている。
その光景がかわいらしくて、つい笑みがこぼれる。
「フフ……さて、どうかしらね♡」
「…………ずるいわ」
段々と頬のふくらみが強くなってきたので、ナノカの頬を指で突っつく。
その行為にナノカは嫌がってはいなかったが、反抗の意思を示そうとしたのか、突っつかれた方の頬をへこませて、反対側の頬を膨らませる。
それがなんとも愛おしい。
顔を触られて嫌悪を感じないのは、姉からもてあそばれ慣れてるからだろうか。
この愛されて育った子は、愛の源を奪われ、奪い返し、愛を取り戻した。
私も、そのようになれるだろうか。
いや、なりたかったというべきだろうか。
私が、あの大人たちから学んだ愛は、魔女裁判の場でみんなに否定されてしまった。
何より、あの処刑された場で、私自身もその『暴力的な愛』を否定してしまった。
これ以上、愛を語る理由も権利もない。
私は、愛することも、愛されることもできなくなった。
愛とは、なんだろうか?
「ナノカちゃんは、お姉さんのどこが好き?」
私は、私が知らなかった愛について知りたくて、ナノカに尋ねる。
ナノカは、なぜそんなことを聞くのかとでも言いたげな様子で眉の形を変えたが、迷うことなく口を開いた。
「どこも何もないわ。好きだから好きなのよ」
ナノカは、私の質問に対して、そう返事をした。
その後ろめたさがみじんも感じられない瞳からは、嘘を言っているようには見えなかった。
理由がないけど好き。
――愛するのも、愛されるのにも理由はいらない?
「……そう、なのね」
それを聞いて、なんとなく身体の力が抜けた。
落胆だとか、幻滅したといった理由ではない。
今まで、物事には理由を求めていた。
私は、大人に人生を狂わされたから、仕返しをした。
愛されたから、愛し返した。
法律に背いたから、罪を償うために牢屋敷で奉仕活動をした。
愛が分からなくなったから、知りたがった。
そんな理由なんていらなかった。
理由なんかいらない、という否定ではない。
それはただ、等身大としてこの世界で生きていって良いという証明に他ならなかった。
そう理解した瞬間、世界が広がった。
窓から差す太陽光から感じる、温かさ。
遠くから聞こえる、鳥の鳴き声。
キッチンから漂ってくる甘い香り。
その、すべてが心地よい。
「――たまには、こういう時間も悪くはないわね」
「……? まあ、そうね」
ナノカは、急に話を切り替えた私を見て小首を傾げているが、その意見に賛同してくれる。
なんだか、無性に誰かと語り合いたい気分だ。
「せっかくだし、お茶でもいれましょうか」
そう言って椅子から立ち上がった瞬間、食堂の外から慌ただしい足音が聞こえ始めた。
「なんかいいにおいがする‼」
「甘味か⁉ この匂いはケーキのような気がする!」
静寂を切り裂くかのように、食堂にノアとアンアンが入ってくる。
「うるさいのが来たわね……」
「あらあら、大変」
今からゆっくりとナノカと語らおうと思っていたのに、なんだか出鼻をくじかれた思いだ。
アンアンたちはそんな心情を知るよしもなく、欣喜雀躍といった様子ではしゃいでいる。
「オーブンの中か⁉ それとも、冷蔵庫の中で冷やしてる最中か⁉」
「駄目よ、まだ完成していないんだから」
ナノカが、冷蔵庫の前に立ちふさがる。
「待ちきれないぞ!」
「ふふ……、じゃあケーキが出来上がるまで私とお勉強しましょうか♡」
デパートでおもちゃをねだる子供のようにはしゃぐアンアンとノアに向けて、語り掛ける。
「今日は、勉強する日ではないだろう⁉ 職権乱用じゃないか!」
「のあ、お勉強きらーい」
「あら、頭を使った後に食べるお菓子はおいしいわよ?」
「えー、そんなことないけどなあ……」
「お勉強しない子には、ご褒美は上げられないわよ?」
その言葉を聞いたノアとアンアンは、唐突に踵を返して学習室まで走り出した。
現金な子たちだ。
「ごめんなさいね、ナノカちゃん。また、今度ゆっくりお話ししましょう」
「そうね」
「ケーキのこと、お願いね。ナノカちゃん」
「ええ、わかったわ」
互いに、笑みをこぼしあう。
眉尻を下げながら口元を抑える笑い方は、ナノカの姉にそっくりだった。
私は食堂から出ると、ノアとアンアンが待つ学習室まで歩き出した。
いつものように頬に手を当てながら、何を教えようか考えていると、あることに気が付いた。
本心を隠していた、外せなかった仮面。
いつのまにかそれが無くなっていて、素顔で自分を表現できていた。
仮面をかぶっていた時と違うのは、人を信じることができるようになっているという点だった。
「ナノカちゃんなら、ちゃんとケーキを守ってくれているでしょうね……」
信じる。
誰にも頼ることなく、過去を悔やんで生きてきた私が、いつの間にか未来に期待することができるようになっていた。
誰かを頼る、そして誰かに頼られるということが、今は本心から嬉しく感じる。
「……♡」
思わず口元が緩む。
なんだか足取りが軽い。
講義終わった後にみんなと食べるお菓子が、今から楽しみだ。
****************
ケーキを食べ終えた後の昼下がり、私とお姉ちゃんは腹ごなしとして一緒に散歩をすることにした。
中庭にあったベンチに腰を下ろして、他愛もない話を交わす。
「マーゴには頭が上がらないわね。結局あの後もお仕事してたんでしょう?」
「そうね、もう少しゆっくりすればいいのに」
そう、マーゴはあの後ノアとアンアンに3時間きっちりと勉強を教えていたみたいで、二人は頭から煙を出していた。
その反動か、涙を流しながらケーキをむさぼり食うノアたちの勢いには引いてしまったが、失敗作を喜んで食べてくれたのは、素直に嬉しい。
そんなわけで皆でケーキを楽しんでいたのだが、その間もマーゴはせわしなく席を立って、皆の世話をしていた。
食べ終わった後も、全員分の食後のお茶を用意したかと思うと、早々にどこかへ消えてしまった。
今日のマーゴは、いつも以上に働いていた。
だが、無理してる顔ではなかった。
「でも、今日は楽しそうだったよ。なんだか、ケーキを作る前とは……少し違った気がする」
そうお姉ちゃんに向けて告げると、こちらをじっと見つめ返してきた。
「フフ……、なんだかんだで上手くいったのかしらね。結果オーライってところかしら」
お姉ちゃんは小さい声でつぶやき、したり顔で得意げに笑っている。
「……どういうこと?」
疑問を飛ばすが、返事がない。
ただ、こちらを見つめている。
先ほどのしたり顔のままではあるが、なんとなく動きが固い。
お姉ちゃんは、少し口元を引き結んだかと思うと、覚悟を決めたように話し出した。
「なのちゃんは、将来何かしたいことはある?」
急に変な質問をされる。
「えっと……」
将来と言われると、とっさには出てこない。
私にとっては、お姉ちゃんを取り戻すことがすべてだった。
その願いがかなえられた今、何も思いつかないというのが正直なところだった。
どう質問に答えようか迷って、お姉ちゃんの方を見つめ返すと、顔や身体はあまり動いていないのに、どこか落ち着きのないような印象を受けた。
その様子は、私の身代わりとなって牢屋敷に連れ去られようとしたときのお姉ちゃんにそっくりだった。
「お姉ちゃん、何か変なこと考えてない? また、私を突き放そうとしてるの?」
そう質問すると、身体をびくりと震わせて、視線を泳がせた。
目をそらさずにじっと顔を見つめていると、深くため息をして、肩を落とした。
「なのちゃんには敵わないわね……」
「お姉ちゃん、何をしようとしてるの?」
重ねて質問をすると、一瞬間をおいてつばを飲み込んだ後に、身体の力を抜いた。
「ただ、気になっただけよ。なのちゃんはこれからどんな学校に行って、なんのお仕事をするのかなーって、ね。――ずっと私のそばを離れないから、ちょっと心配になったのよ」
困ったように笑いながら、話す。
なんだ、そんな理由か。
「そばを離れないって当たり前じゃない……。2年間も離れ離れだったのよ? 同じくらいの時間一緒にいないと割に合わないわ」
「それだけ一緒にいたら、なのちゃんは高校も卒業しちゃう年になるじゃないの。せめて学校には行きなさい」
「なら、お姉ちゃんも一緒に通おうよ! もう年も一緒になったんだし、同じ学校で、同じ学年で勉強しよう?」
そう告げるが、お姉ちゃんは目と眉を下げて、口をつぐんでいる。
「それは、できない相談ね」
「なんで……?」
「…………」
どれだけ質問をしても、お姉ちゃんは口を開こうとしなかった。
質問に答えたら、もうこの関係には戻れないとでも言いたげな様子だった。
まるで、嘘をつかれているようで悲しくなってくる。
「お姉ちゃんは、私が嫌いになったの?」
段々と声が震えてきた。涙が込みあがってくるのを感じる。
「そんなわけないじゃない」
「だって、最近あんまり話してくれないし、今日だって私だけ仲間外れにして……」
「なのちゃん」
お姉ちゃんが食い気味に口をはさんでくる。
「私は、あなたを愛してるわ。今までも、これからも、それは変わらない」
「じゃあ、なんで話してくれないの?」
「これを言ったら、なのちゃんは私から離れようとしないと思う。だから……言えない」
「でも、そばを離れたら、またお姉ちゃんがどこかに行きそうで……怖い」
心の奥底で恐怖していた、本音が漏れる。
その言葉にお姉ちゃんは目を見開いたかと思うと、ゆっくりと私に近づいて抱きしめてきた。
「心配いらないわよ。私はずっと、ここにいるから。――私が、なのちゃんの帰る場所になるから」
正面からふわりと抱き着かれたことで、顔中がお姉ちゃんの香りに包まれた。
それがなんだか懐かしくて、泣き出しそうになる。
でも、お姉ちゃんの前で泣くのも恥ずかしいので、必死に涙がこぼれそうになるのを我慢した。
顔をお姉ちゃんに押し付けて涙が引っ込むのを待っていると、頭を優しくなでられる。
それを続けられていると、さらに泣いてしまいそうになるので、急いで顔を上げて鼻をすする。
「分かってくれた?」
「……やだ」
「なのちゃん……」
お姉ちゃんは困ったように眉尻を下げて、微笑んでいる。
「次は、一緒にお菓子を作ってくれないと、許さない」
ふてくされながらわがままを言うと、お姉ちゃんは口元を抑えて笑い出した。
「……そうね。次はチーズケーキでも焼こうかしら」
お姉ちゃんはなにかを考えるような素振りを見せながら、返事をした。
実は、わかっている。
いつかはお姉ちゃんから卒業をしないといけないということを。
でも、今はこの時間を楽しみたい。
失われた時間を取り戻すかのように、ひとつひとつの日常をかみしめていきたい。
日が落ちるにつれて、風が冷たくなってきた。
頬をなでられるたび、涙の跡がひやりと引きつるので、私は小さく身を寄せる。
すると、お姉ちゃんが何も言わずに手を重ねてきた。
私は、いつものように指を絡めて握り返す。
こうしていると、不思議と落ち着く。
この暖かな手の温もりが、じんわりと広がってくるのが好きだ。
お姉ちゃんと一緒に登下校していた頃の記憶を思い出す。
そんなことを考えながら横を向くと、お姉ちゃんと視線が交錯する。
お姉ちゃんの目は、涙で濡れて瞳が揺れていた。
泣いている理由が知りたくて、質問する。
「どうしたの?」
「ん……? なのちゃんだなーって、思っただけよ?」
「……なにそれ」
よくわからないことを言うお姉ちゃんの言葉に吹き出して、お姉ちゃんの肩に頭を預ける。
お姉ちゃんも同じように頭を傾けて、頭同士がこつんとぶつかった。
お姉ちゃんと一緒にベンチに座りながら、日が落ちて陰影が濃くなった景色を眺める。
夕日が伸ばしたふたりの影が、視線の先でひとつになっているのが見えた。
中庭には、クッキーを焼いた残り香が漂い、甘い香りが広がっていた。
Episode4:〈心の余白〉と〈ブランク〉
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-原罪・過去からの狙撃手-
彼女が狙うのは過去の復讐。
何もできなかった自分へ一矢報いるため、彼女は再び銃を構える。
原罪を暴かれた彼女は、過去の復讐をやり遂げる。
構えていた銃を下ろし、被っていた帽子を脱ぎ捨て、かつての姿で姉と向き合う。
彼女の硝煙と煤で汚れた手を、姉もまた血で汚れた手で包み込んだ。
彼女たちは染まってしまった汚れをすすぐために、手を取り合う。
彼女たちが狙うのは、希望となる未来へ進む道。
-原罪・愛を知る人-
彼女はすべての愛の形を知っていた。
認識できないものは、存在しないことと同一である。
原罪を暴かれた彼女は、愛を認識する。
愛は星の数ほどあり、形は如何様にも変わりうることを。
愛に縛られていた彼女自身も、変わることができることを知る。
彼女は今日も、他者の愛を眺め続ける。
彼女自身が成ることができる愛を知るために。
彼女は、まだ知らない愛の形を探し続ける。
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