-あらすじ-
ユキは、かつて住んでいた屋敷で目が覚ます。
屋敷内の調度品は魔女たちと住んでいた時に愛用していたものばかりで、誰かが生き残っているかもしれないという一縷の望みを頼りに、屋敷を巡る。
だが、屋敷や周囲にも人影が見当たらず、ユキは傷心の中立ち尽くしていた。
そんな時、ユキは森の奥からひょっこりと姿を現した、かつて運命を共にした少女と再会する。
瞼を開ける。
──かつて幾度も目にした天蓋の天井。
身体を起こして天幕をずらしてみると、暖炉には火が灯っており、まだ形を残した薪がぱちぱちと音を立てていた。
部屋の中央には、お気に入りの革張りの長椅子。
南方からわざわざ取り寄せた、厚手の毛織絨毯。
壁いっぱいに敷き詰めた、古来より受け継いできた書物が並ぶ本棚。
どれもこれもが懐かしい。
「戻った……と、いうことですか」
両の手のひらを掲げて指を伸ばし、数回開閉を繰り返す。
これは夢ではない。
「なら……、すべてをやり直さないといけませんね……ふふっ」
冗談を効かせて、ひとりごちる。
もちろん、そんなことをやるつもりはない。
思いもよらず命を拾ったことで、気が高揚してしまっただけだ。
「果たして、どれくらい前に戻ったんでしょうか」
そう呟きながら寝台を降り、手触りを確かめるかのように部屋の家具を撫でていく。
寝台の傍らの机には燭台が置かれており、ろうそくがゆらゆらと揺れていた。
燭台の隣に置かれた布袋を開けてみると、中には乾燥した香草が入っている。
これは、香り袋だろうか。
「どうやら、かなり前に戻ってくることができたみたいですね」
わずかばかりの期待を胸に、部屋の外に出て、散策を始める。
書斎、厨房、大広間に足を運ぶ。
誰もいない。
「──みんな、外出しているんですかね」
大広間から玄関へ移動して、外に出る。
軽く屋敷を一周して、倉庫やゲストハウスの中を確認した。
誰もいない。
──湖まで歩き、耳を澄ませる。
誰もいない。
────花畑まで歩き、景色を眺める。
誰も、いない。
そうして、小一時間ばかり歩き回っただろうか。
分かったことはひとつしかなかった。
この時間軸では、すでに私以外の魔女が滅ぼされてしまったということだけだった。
「……そう、上手くはいきませんよね」
たったひとりで起き上がった時点で予想はしていたことだが、みんなが生きていた可能性があっただけに落胆を隠せない。
それならば──
再び『死に戻り』の魔法を行使することが頭をよぎるが、すぐにその選択肢を頭から振り払う。
『死に戻り』には制限がある。
あの時、何回も試したはずだ。
どれだけ死を繰り返しても、目を覚ますときはその日の朝だった。
でも、今回は違った。
その理由は──
「エマたちのおかげですか」
私を顕現させてもなお、あの子たちの中にかすかに残っていた魔女因子。
それらすべてを回収してから『死に戻り』の魔法が発動したこと。
それが、功を奏したのかもしれない。
私の身体の中には、あの子たちの因子が根付いている。
液体操作、怪力、浮遊、発火。
ひとつずつ、嚙みしめるように魔法を発動する。
『ヒロちゃん! ユキちゃん! ボクと一緒に遊ぼう!』
『しょうがないな……。ほら、行こう。ユキ』
モノマネの魔法を使い、かつての思い出を再現する。
幾たびか一人遊びを繰り返したが、むなしさが押し寄せてきたのでやめた。
エマたちは、もういない。
この世界では、魔女は私ひとりだ。
ひとりで寂しく生き続けるくらいならいっそ、エマの力で──
そうやってもの思いにふけりながら景色を眺めていたとき、ふと遠くから気配を感じた。
さも野生動物か、と考えながら視線を向けると、そこには少女が立っていた。
全身を白の意匠で揃えた清楚な雰囲気をまとった少女が、バスケットを片手にこちらに視線を向けていた。
「あれ、大魔女様?」
「…………メルル?」
かすれた声が喉から漏れ出る。
遠くにいるにも関わらず、しっかりと私の声を聞き取ったメルルは元気よく返事を返して、小走りで近寄ってくる。
「はい、大魔女様。もうお目覚めになられていたんですね」
「……メルルは、ここで何を?」
「よくお休みになられていたので、森にハーブを摘みに行っていたんです。ハーブティーをお飲みになられるかと思いまして」
そう言って、メルルはバスケットの中身を見せてくる。
ローズにカモミール、メリッサやラベンダー。
リラックス効果に優れたものばかりだ。
それに群生が全然違うのに、よくここまでの量を集められたものだ。
「薬草もいっぱい採れたんですよ? 今日はこれでポークステーキやシチューにでもしましょう」
他にも、ミントやセージといった薬草も見せてくる。
どれもこれもが、私の身体を気遣ってくれるものばかりで。
これほど私を想ってくれる子を、私は数百年も──
「それとも、何か他に晩御飯のリクエストはありますか? 今日は卵も手に入ったので──」
「……メルル」
「……? はい、大魔女様」
頭に疑問符を浮かべたメルルを前に、私はその場に座り込み、メルルに向けて手招きをする。
「少し、休みましょう。膝枕をしてあげます」
「え…… よろしいんですか?」
メルルはその言葉に喜色ばむが、急に態度を変えた私に疑問の声を上げる。
「でも、ここだとお召し物が……」
「いいんですよ。ほら、いらっしゃい」
メルルは戸惑いながら恐る恐ると近寄ってくると、私の膝に頭を乗せた。
私はその頭を優しくなでると、メルルはふにゃりと笑って、頭を押し付けてくる。
「今日は、私が晩御飯を作りましょうか? メルルも疲れているでしょう」
「い、いえ、大魔女さまのお手を煩わせるわけにはいきません。私にお任せください……」
「そうだ、その『大魔女様』というのは他人行儀でよくないですね。私のことを名前で呼んでも構わないんですよ?」
「大魔女様⁉ もしかして、お熱でもあるんですか⁉」
メルルは勢い良く立ち上がると、私の頭に手を当てて『治癒』の魔法を行使する。
光と共にじんわりと暖かいものを感じるが、私の頭は正常だ。
「そんなに変ですか?」
「変というわけではないですが……。あまりにも昨日と様子が違っておられるので……」
私は、この子に対してそんなにひどい扱いを敷いていたのか。
前の世界で私と運命を共にしたメルルに対して、心の中で謝罪する。
償いにもならないが、過去に戻った今となっては、この子に奉仕することが私にできる最大限の謝罪だ。
「なんなら、明日の朝ごはんも作ってもいいですね。とっておきのレシピがあるんです」
「ほ、本当にどうしたんですか、大魔女様~⁉」
涙目になりながら、こちらを見つめるメルル。
私は、ひとりではなかった。
私の隣には、家族が──メルルがいる。
それだけで十分だった。
───── 15〇〇年 7月 5日 ─────
過去に戻ってきてから、1週間が経ちました。
メルルはあれからも、かいがいしく私の世話を焼いてくれています。
まず、起きたら食堂にご飯とハーブティーを用意してくれていて、その間に私の部屋を掃除しておいてくれています。
枕元に置いてある花瓶も、毎日違う花を飾ってくれているみたいで。
白いカーネーション。
花言葉は、『敬愛』と『尊敬』ですか。
メルルがどこまで意図して飾ってくれているのかはわかりませんが、悪い気はしませんね。
今度、お返しにお花を送ってみるとしますか。
ユキ
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───── 15〇〇年 7月 12日 ─────
今日も、大魔女様……いえ、ユキ様はお元気です。
ただ、以前とはどこか雰囲気が違って見えるというか……
でも、悪いわけではないです。
いつも通りとても美しくて、優しくて、……家族みたいで。
この前なんか、私にお花を送ってくださいました。
赤いサルビアです。
初めはただ花を送ってくれただけで嬉しかったんですが、試しに花言葉を調べてみたら『家族愛』『尊敬』と書いてありました。
もしかして、今まで飾っておいた花も全部意味を知られていて……?
恥ずかしいです……
メルル
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───── 15〇〇年 7月 20日 ─────
こうして、のんびりと毎日を過ごしていると、色々と考え事をしてしまいます。
復讐。
以前の私は人類への復讐のために、魔女因子を世界中にばらまきました。
その結果が、あの子たちの不幸、復讐の失敗へとつながった。
……正直、今も人間たちに対する憎しみは消えていません。
でも、あの優しい子たちに悪影響を与えてしまうのは、私の本意ではないです。
やはり、今回は因子を散布しない方がいいんでしょうか……
私以外の大魔女は、私に復讐を忘れて幸せに暮らしてほしいと言っていました。
でも、幸せとは何でしょうか。
私にとっては、みんなでこの島で仲良く細やかに暮らすこと。
それが幸せだったはずなんですが……
いけませんね。
こうやって屋敷にこもっているから、良い考えが思い浮かばないのかもしれません。
たまには、外出してみるのもいいかもしれませんね。
メルルを誘って、いろんな国をめぐってみましょうか。
以前は独りぼっちでしたが、メルルがいれば寂しくはならないはずです。
ユキ
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───── 15〇〇年 7月 25日 ─────
ユキ様は、今日もお花を贈ってくださいました。
『あなたに似ていると思って、ついブーケにしてしまった』とおっしゃっていましたが、とても嬉しいです……
花言葉は、『優雅な愛』や『清純』、『二人で遠く旅を』……?
『自惚れや』というものもあるみたいですが、どの理由で送ってくれたんでしょうか?
暗に、調子に乗るなとおっしゃってるんでしょうか……
ともかく、花を贈ってくれたことが嬉しいことには変わりはありません。
また、森に行ってお花を探さないといけませんね。
メルル
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───── 15〇〇年 8月 1日 ─────
色々と考えてみましたが、やっぱり今回は因子の散布を行わないことにしました。
いまだに人間に対して悪感情を持っている今となっては、因子は人間にとって害にしかなりません。
人間が魔女化することで敵視されてしまっては、メルルが被害を被ってしまうでしょうから。
私だけならまだいいですが、私の家族に手を出されるのはいい気はしません。
それに、ヒロなら『正しくない』というでしょうしね。
ヒロが言った通り、前を向いて歩みを進めたとしても、私の仲間たちが蘇ることはないです。
でも、だからといってそのまま立ち止まっていては何も変わりません。
停滞したことが魔女の滅びにつながったというのであれば、私も成長するべきです。
人間と同じように。
ということで、『私と一緒に旅をしましょう』とメルルを誘ってみたところ、満面の笑みで承諾してくれました。
『あの花はそういうことだったんですね!』と言っていましたが、やはり気付いていましたか……
見透かされていたみたいで、ちょっと恥ずかしいです。
思い立ったが吉日、ということで、明日から早速飛び立つことにしました。
初めはどこに行きましょうかね。
ユキ
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───── 15〇〇年 8月 2日 ─────
びっくりしました。
どうやって旅をするのかと思ったら、まさか島ごと浮き上がらせて移動させてしまうなんて。
さすがユキ様です……
島全体が空高く浮き上がったかと思うと、ものすごいスピードで空を駆け始めました。
まるで、私たちが鳥のように飛んでいるみたいで。
雲が海みたいで。
ついつい、子供のようにはしゃいでしまいました。
そうしていたら、ユキ様が『どこか、行きたいところはありますか?』と聞いてくださったので、私は『最近暑くなってきたので、涼しいところに行きたいです』と言いました。
ユキ様は心当たりがあったようで、すぐに承諾していただけました。
明日が楽しみです。
メルル
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───── 15〇〇年 8月 5日 ─────
初めての旅行。
涼しいところに行きたいというメルルの希望で、北の方へやってきました。
そこは、水の都と呼ばれているらしく、湖畔に広がる街並みは何とも美しい光景でした。
メルルもいたく興奮した様子で、散策している間ははしゃぎっぱなしでした。
この優雅で清純な雰囲気はメルルに似合っていると思って連れてきましたが、喜んでもらえてよかったです。
当分はここに滞在してもいいですね。
寒くなってきたら、次はあったかいところに行きましょうか。
ユキ
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───── 15〇〇年 11月 6日 ─────
あつい! あついです‼
最近寒くなってきたので、あったかいところに行きたいとは言いましたが、さすがにここは熱すぎます!
ユキ様が水を操作してくれなかったら、熱中症になっちゃうところでした。
でも、焦っているユキ様はかわいらしかったです。
メルル
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───── 15〇×年 2月 10日 ─────
前の国ではちょっとやりすぎちゃいましたね。
反省です。
今日は、またしても北の方に足を運んでみました。
以前メルルが気に入っていましたし、確か山岳方面では山脈の絶景が見られるはずでしたから。
まだ雪は残っているはずですし、荘厳な風景が見られると思ったんですが──
でも、失敗だったかもしれないです。
そこでは、魔女狩りなんてものが行われていました。
人間はなんて愚かなんでしょうか、やはり人間は滅ぼすべきかもしれないですね。
助ける義理もないですが、ただの人間が魔女と呼ばれて処刑されるのを見るのも気分が悪いですからね。
やっぱり、助けることにしました。
十字架に張り付けられて火あぶりにされていた人間を助けた後、民衆は私たちを見て恐れていました。
魔法を使ったのだから当然でしょう。
助けた人間には魔女の因子は欠片もなかったので、『魔法を使えない人間が魔女を名乗らないでください』と吐き捨ててその場を去ろうとしたんですが……
一人の老婆が震える手を合わせて「ありがとう」と言ってくれて。
その人間の母親でしょうか。
……なんだか、複雑な気持ちです。
自分のためにやったのに、感謝されるとは。
──今思えば、この人間は前の世界ではそのまま死んでいたはずですから、助けてしまったのはマズかったでしょうか。
いえ、こうしてメルルと旅をしている時点でどうしようもないですね。
そもそも、今回は魔女因子を散布していないですし、もう手遅れではあります。
…………まあ、なんとかなるでしょう。
ユキ
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───── 15〇×年 2月 11日 ─────
今日立ち寄った国で、ユキ様が人を助けておられました。
最初は少し迷っておられたようでしたが、結局手を差し伸べられて。
助けた後、ユキ様は黙り込んでおられました。
一体、何を考えておられるのでしょうか。
何かお力になれたら良いんですが……
メルル
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───── 15△△年 2月 3日 ─────
旅を始めてから、数年が経ちました。
様々な国をめぐって、観光をするばかりでしたが、時には人を助けることもありました。
せっかくなら、このまま世界を回って人助けでもしていきますか。
もしエマと会えたとしたら、話の種になるかもしれませんしね。
すべての人間に幸福を与える、福音を振りまく天の使いとして、頑張りたいと思います。
フフ……まあ、冗談ですが。
ユキ
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───── 15△×年 4月 15日 ─────
今日は、また別の国にやってきました。
そこでは四季というものがあるらしく、季節ごとに違う花が咲くみたいです。
島ではユキ様がいろんなお花を咲かせてくださいましたが、ここではそれが自然に起こるみたいですね。
すごいです。
今は桜というお花が咲いているみたいで、ユキ様はそれを見て何やら物思いにふけっておられました。
思い出のお花なんでしょうか?
いつか、聞いてみたいと思います。
メルル
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───── 15△×年 4月 16日 ─────
桜の咲く国で、エマのことを思い出しました。
あの子たちと、春になったら花見をする約束をしていたんですが……結局やらずじまいでしたね。
メルルに見られないように顔を背けましたが、涙が止まりませんでした。
でも、その涙は悲しみだけではないような気がします。
懐かしさ、寂しさ……
あの子達に会いたいですね。
ユキ
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───── 15×〇年 9月 22日 ─────
ある村で疫病が流行していたので、メルルの魔法で治してまわりました。
村人たちは最初驚いていましたが、子供たちが笑顔で「ありがとう、お姉ちゃん!」と駆け寄ってきて。
……お姉ちゃん、ですか。
メルルに「ユキ様、泣いてます?」と聞かれましたが、そんなわけないでしょう。
人間への憎しみは消えません。
仲間を殺した人間たちへの怒りは、今も胸の奥でくすぶり続けています。
でも、目の前のこの子たちは、魔女を滅ぼした人間とは別の存在だと、少しずつ思えるようになってきました。
最近、人間に嫌われるようなこともなくなってきましたし。
なんだか、私に根付く因子も変容してきた気がします。
ユキ
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───── 15×□年 11月 8日 ─────
旅を始めてから40年。
私たちの容姿は変わらないけれど、私の心は少しずつ変わってきた気がします。
こうして日記を振り返ってみると、かなり印象が違いますね。
以前の私はどうも淡泊というか、冷淡というか。
私自身、心変わりした自覚はなかったんですけど……
これが、成長でしょうか。
そういえば、最初の方にそんなことを書いていましたね。
すっかり忘れていました。
ユキ
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───── 15□〇年 3月 14日 ─────
ユキ様は今日、海で溺れかけた船乗りを助けました。
その人は「命の恩人だ」と何度も頭を下げていました。
ユキ様は少し照れくさそうに「大げさですよ」と。
ユキ様が笑う回数が、昔よりずっと増えました。
幸せそうで、私も嬉しいです。
メルル
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───── 16×〇年 7月 30日 ─────
旅を始めてから130年。
様々な国を回り、様々な人を助けてきました。
「幸せに生きてほしい」
みんなが遺した言葉の意味が、少しずつ分かってきた気がします。
復讐をしないことが幸せなのではない。
誰かを助けることが幸せなのでもない。
ただ、こうしてメルルと旅をして、笑い合える日々。
それが、私の幸せなのかもしれません。
ユキ
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───── 18□〇年 5月 10日 ─────
ユキ様が最近、よく未来の話をされます。
「もうすぐ、あの子たちが生まれる時代ですね」と。
あの子たち、というのは、以前ユキ様が話してくれたエマさんたちのことでしょうか。
会えるのが楽しみですけど、果たして仲良くなれるでしょうか……
私は友達ができたことがないですし、ふとしたときに失礼なことを言ってしまったりして……
心配です……
メルル
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───── 20△〇年 1月 1日 ─────
新しい年が明けました。
もうすぐ、あの子たちが生まれる時代です。
今まで好き放題やってきたから、あの子たちと出会える確証はないんですが……
でも可能性はゼロではありません。
人生は一度限り。
もしもがあるのであれば、やらないよりはやった方がいいに決まってます。
確か、ヒロさんは幼いころに水難事故にあったとか……
万が一の時のために、この国に滞在して目を光らせておく必要がありますね。
ユキ
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気がついたら、水の中にいた。
とっさに息を止めたけど、急だったから長くは続かなかった。
ガボリと口が開き、目の前が泡でいっぱいになる。
口の中まで水が入り込む。
鼻がツンとする。
とても苦しくて、思わず喉をかきむしる。
やだ、死にたくない。
こんなの、正しくない。
真っ暗な水の中で水面に向けてもがくが、一向に距離が縮まらない。
怖くて、辛くて、涙が溢れるけど、そのまま水の中に消えていく。
意識が遠くなっていき、思考が途切れそうになる。
誰か、たすけて──
途切れゆく意識の中、そう思った。
──瞬間、空気中に投げ出された。
「──っ⁉ ゲホッ、ゴホッ、うぇ……」
肺にたまっていた水を吐き出す。
幾度か咳を繰り返して水を吐ききった後、荒く息をしながら顔や身体を触る。
いきてる。
でも、さっきまでおぼれてたのに、なんで?
そう考えながら、わたしは周りを見渡す。
「なにこれ……」
現実ではありえないことが起きている。
今、わたしの周りは水で囲まれている。
まるで、わたしを中心にして水の膜が張られているかのような。
その膜の表面は小さくさざ波立っており、きらきらとまわりの光を反射させていた。
よく見ると、その光の動きは少しずつ変わっていった。
どうやら、この球体は動いている途中みたいだ。
少しの間景色が横に移動したかと思うと、次は縦に動き出す。
下を見てみると、球体の下の部分が消えて地面が見え始めた。
ゆっくりと身体が地面に近づいていき、足の先が地面についたかと思うと、一瞬で周りを覆っていた水の膜が跡形もなく消え去る。
目をぱちくりと瞬かせていると、気が付いたら目の前には淡い銀髪の女性と、クリームがかった亜麻色の髪をした女性が立っていた。
「大丈夫ですか?」
銀髪の女性がこちらに駆け寄り、わたしを抱きとめる。
ふわり、とわたしの顔が女性の服で包まれると、どこか懐かしいような、不思議な香りがした。
良い香り……
「くちゅん」
「あら?」
さむい。
それに、この女性の香りで鼻が刺激されたからか、鼻水が溢れてくる。
くしゃみが止まらない。
「そういえば、まだ濡れたままでしたね」
そう呟いた銀髪の女性は、ゆっくりと手を上に掲げたかと思うと、ぱちんと指を鳴らす。
その瞬間、べったりとわたしの身体に張り付いていた髪や服が、ふわりと浮き始めた。
よく見てみると、身体中にあった水滴がまるで生きているかのように身体から離れ始めている。
それらは、わたしの前に集まっていったかと思うと、そのまま地面に落ちて消えた。
その頃には、わたしの服はまるで着替えた直後かのように、すっかり乾いていた。
「そのままじゃまだ寒いですよね」
銀髪の女性がまたしてもぱちん、と指を鳴らしたかと思うと、指先に火が灯る。
ライターのように小さく灯った炎に女性が息を吹きかけたかと思うと、その炎は勢いを増し始めた。
じりじりと音を立てながら、でも熱すぎない暖かさで、わたしを包んでくれる。
目の前の光景に、まだ思考が追い付かない。
「いたっ……」
何もない空中で揺らめく炎が不思議で、近寄ってみようとすると、膝に痛みを覚えてしゃがみ込んだ。
どうやら、川に落ちてしまった時にどこかに引っ掛けてしまったみたいだ。
「ん……、細心の注意を払っていましたが、怪我をさせてしまったみたいですね……メルル、お願いします」
「ハイ……! ユキ様」
メルルと呼ばれた亜麻色の髪色をした女性は、わたしの前に座り込むと、擦りむいた膝に手を当てる。
メルルの手とわたしの膝の間がぼんやりと光ったかと思うと、次第に膝の痛みが和らいでいく。
光が消えて手を放したときには、先ほどまで血が出ていたとは思えないくらい綺麗な肌に戻っていた。
「ヒロさん、具合はいかがですか?」
メルルがわたしに優しく声をかけてくる。
「なんで、わたしのなまえを知ってるの? お姉ちゃんたち……何者?」
そう尋ねると、ユキと呼ばれる女性は顎に指を当てながら考える。
「うーん、そうですね……魔女……魔法使い……。ふふっ……いえ、魔法少女と言うべきですかね」
何歳になっても、心は少女ですから。
そう呟いたユキは、隣にいるメルルに語りかける。
「そうですね! ユキ様はいつまでも、あの頃の美しい容姿のままです……」
メルルは心酔した様子で、ユキを見つめている。
ほんとうに、何者なんだろう。
恐らく、わたしを助けてくれたのだろうが、お母さんには知らない人としゃべったり、付いていってはいけないと言われている。
でも、このひとたちはわたしのことを知っているみたいで……
どうしたらいいんだろう。
戸惑っていると、ユキが手を差し伸べてくる。
その手を取って立ち上がると、ユキはわたしの上から下までゆっくり眺めて、頷いた。
「これで、問題ないですね。ごめんなさいね。本当は溺れる前に助けてあげたかったんですが……」
ユキは申し訳なさそうに、目を伏せている。
その理由は分からないが、わたしを助けてくれたことには変わりない。
「ううん、ぜんぜんいいよ。助けてくれて、ありがとう」
「ふふ……いいんですよ」
申し訳なさそうだった表情を柔らかな笑みに変えたユキは、わたしの目の前でしゃがみ、目線を合わせてくる。
そのまま、わたしの頭をなでていたかと思うと、ユキはそうだ、と声を上げた。
「せっかくなので、アドバイスでもしちゃいますか」
「あどばいす?」
はい、と返事をしたユキは、頭をなでながら話を続ける。
「これからあなたは、とっても優しくて、笑顔がとっても可愛い女の子と出会います。ちょっぴり不器用でやきもきすることもあるかもしれませんが、どうか仲良くしてあげてくださいね」
ユキはウインクをしながら口に人差し指を当て、約束だ、と言わんばかりに語りかけてくる。
「それも、まほうで分かったの?」
「ひみつ……です」
ユキは、またしてもわたしの頭を撫でながら目を細める。
「もう、大丈夫みたいですね」
よし、と掛け声をあげながら、ユキは立ち上がる。
わたしの服についた草をはたいた後に、ひとこと言った。
「それでは、エマさんによろしくお願いしますね」
「えま、ちゃん? その子が、これから会う女の子のなまえなの?」
「あら、口が滑ってしまいました」
ユキは自らの口に手を当て、唇を結んでいる。
「ユキ様……もう口を閉じても遅いです……」
メルルは眉尻を下げながら、困り顔でユキに向かって囁いている。
ユキはそれを聞いて、がっくりと肩を落とした。
「やってしまいました。……それなら、ネタバラシしちゃいますか。あなたはこれから、桜羽エマという女の子に出会います」
「さくらば、えま」
わたしは、その名前を何度も心の中で繰り返した。
「ええ、いつ会うかどうかは言えないんですが……とても、いい子ですよ」
ユキは、こちらを見てにっこりと笑いながら、でもどこか遠くを眺めているような目をしながら、そう言った。
こんなにきれいな女性が褒めるくらい、とっても優しくて、笑顔がとっても可愛い女の子。
どんな子なんだろう。
早く会いたいな。
そう思っていると、ユキとメルルはわたしのそばを離れて、ゆっくりと遠ざかっていく。
「次はどうしましょうかね。シェリーさんはもう助けましたし、ハンナさんはそろそろかもしれないですが、マーゴさんも──」
「あ、まって!」
話しながら歩き始めたふたりを、わたしは慌てて追いかけようとしたけれど、瞬きをした瞬間、霧のようにどこかに消えてしまっていた。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
──本当に魔法少女だったのかな。
それとも、夢?
でも、さっきまで痛かった膝の傷は確かに治っていて。
服も乾いていて。
わたしがさっきまで立っていたところは、水で濡れていて。
わたしは、助けられた。
確かに、助けてもらったんだ。
************
桜が舞い散る、4月の入学式。
ボク、桜羽エマは新しい制服に身を包んで、校門をくぐった。
中学生になった。
新しい環境、新しい友達、新しい先生。
全てが新しくて、ちょっと緊張する。
入学式が無事に終わると、ボクたちは教室に案内された。
クラス分け表を見てみると、ヒロちゃんも同じクラスだった。
良かった……
小学校からの友達がいるだけで、少し安心する。
教室に入ると、すでに何人かの生徒が席についていた。
ボクは黒板を見て、指定された席に座って、周りを見渡す。
そのとき、目に入ったのは前の方の席に座る二人の少女だった。
一人は白銀色の髪をした、白い肌と儚げな目が美しい子。
もう一人は亜麻色の髪をした、優しそうな雰囲気の子。
二人とも、どこか不思議な雰囲気をまとっていて、教室の中でもひときわ目立っていた。
クラス全体が落ち着かない雰囲気になっていて、ざわついている。
みんな、あの二人に注目しているみたいだ。
「おはよう、エマ」
隣の席のヒロちゃんが教室に入ってきて、ボクに声をかけてくる。
「おはよう、ヒロちゃん。ねぇ……あの子たち、すっごい美人じゃない?」
「エマ、人のことをじろじろみて感想を言うのは、あまり褒められたことじゃないな……。ん、あの二人……」
ボクをたしなめようとしたヒロちゃんは、前に座るふたりに目を向けた後、口を閉じた。
その表情は、何か言いたげで。
「あの子たちのこと、知ってるの?」
「似てる人を、昔見たことがある気がする……でも、年齢が──」
ヒロちゃんは訝しげにその子たちのことを見つめ、何やら考え事をしている。
似てる人?
どういうことだろう。
そうヒロちゃんに聞こうとしたところで、担任の先生が入ってきた。
「はい、みなさん。おはようございます。私は──」
そうして、先生の挨拶が始まり、流れるように生徒たちの自己紹介に入る。
出席番号順に、一人ずつ立ち上がって名前を言っていくみたいだ。
最初の方に自己紹介した人のことを見ながら、何を話そうか考える。
でも、考えきる前にすぐにボクの番が来てしまって、緊張しながら急いで立ち上がった。
「桜羽エマです。──よろしくお願いします」
結局、挨拶だけになってしまう。
しかも、声が少し震えてしまった。
でも、周りのみんなが優しく笑ってくれて、ほっとした。
次に、白銀の髪の少女の順番になった。
その子がゆっくり立ち上がると、教室中の視線が彼女に集中する。
「月代ユキです。よろしくお願いします」
ユキと名乗る女の子は、そんな好奇の視線をものともせずに、ゆっくりと自己紹介をした。
その声はとても穏やかで、優しくて。
どこか懐かしいような、不思議な感覚がした。
そして、ヒロちゃんの順番が来る。
だが、ヒロちゃんはまだ考え事をしているみたいで、順番が来ても立ち上がろうとはしなかった。
「……ヒロちゃん。次、自己紹介だよ」
肩をたたいて、順番を促す。
ヒロちゃんは、目を少し見開いたかと思うと、立ち上がって自己紹介を始めた。
「二階堂ヒロです。──よろしくお願いします」
ヒロちゃんはボクと同じように、挨拶だけで自己紹介を終わらせた。
珍しい。
その後も、ヒロちゃんはどこか上の空で、ユキの方向を眺めながら何か考え事をしている様子だった。
そして、自己紹介の順番が進み、亜麻色の髪の少女が立ち上がる。
「氷上メルルです! ユキさんと一緒に住んでます。よろしくお願いします」
そんな唐突な爆弾発言をしたせいか、教室中のざわめきが大きくなる。
「中学生なのに同じ家に住んでるってすごいね。苗字が違うってことは姉妹ってわけじゃないだろうし……ヒロちゃん?」
ヒロちゃんに向けて話しかけると、ヒロちゃんはメルルの自己紹介を聞いて目を見開いていた。
その内容を聞いて、驚愕の表情を浮かべているようだ。
でも、一緒に住んでいることを咎めているわけではなさそうだった。
「エマ……」
「ど、どうしたの? ヒロちゃん」
「悪いが、次の休み時間は一緒にいられないかもしれない。少し、話したいことができた」
「話したいことって……ユキちゃんとかメルルちゃんにってこと?」
「ああ……」
そのまま、黙りこくるヒロちゃん。
その真剣な表情に圧倒されて、ボクも黙ってしまう。
そして、自己紹介が全員終わり、休み時間になった。
休み時間になった瞬間、人だかりに囲まれるふたり。
ヒロちゃんはその人だかりをかき分けて二人に話しかけたかと思うと、そのまま教室を出ていってしまった。
出ていったヒロちゃんに追従してユキとメルルも教室の外へ向かい始めたので、ボクもこっそりと後を追う。
向かった先は廊下の隅、あまり人のこないスペースだった。
──入学早々ケンカはマズいよ、ヒロちゃん……
そう思いながらハラハラとした気持ちで三人を見つめていると、ヒロちゃんがふたりに向かって急に頭を下げた。
「えっ」
思わず声が出てしまったが、運よく三人には聞こえていなかったみたいで、そのまま会話を続けている。
ふたりはその礼に対して笑顔で応えていて、ユキはヒロちゃんの頭を優しく撫でていた。
その光景を見て、ボクは──
ちょっと、面白くなかった。
ボクが知らないところで盛り上がってるみたいで。
なんだか、仲間はずれにされているみたいで。
ついつい、唇を尖らせてしまう。
三人は朗らかに何かを話していたかと思うと、こちらに向けて歩き出した。
咄嗟に教室に戻ろうかと考えたけど、やめた。
不満があることを、形として示そうと思う。
「…………ボク抜きで、何を話してたの?」
柱の陰から身体を出して、ヒロちゃんに詰め寄る。
「覗き見とは感心しないな、エマ」
ヒロちゃんはいつもの様に、微かに笑いながらボクをたしなめる。
でも……今回ばかりは、ボクは悪くないと思う。
ユキの顔を見てみると、何やらこちらを見てはにかんでいた。
なんだか、むかつく。
仲良くなれたらいいなって思ってたけど、やっぱりダメかも。
ヒロちゃんを取られることに危機感を覚え、ヒロちゃんの腕を掴んでユキとメルルを睨む。
「おいおい、エマ……」
「あら、嫌われてしまいましたか」
「エマさん……」
ユキは顔に手を当てて、悲しそうな顔をしている。
メルルもユキとボクを交互に見て、慌てている。
そんなボクたちを見て、ヒロちゃんはボクをたしなめた。
「エマ。この人たちは昔、私を助けてくれたんだ。失礼だぞ」
「えっ、そうなの⁉」
「まあ、そうですね。方法は企業秘密ですが」
「そういえば、あれはどういう理屈だったんだ? ──あれから歳もとっていないみたいだが……」
ユキとヒロちゃんが話を始めたが、ボクにはもう聞こえていなかった。
ユキはヒロちゃんの恩人で……?
あのボクに向けられたはにかみも、ボクの勘違いだった……?
「ご、ご、ご、ごめんなさい‼」
廊下に響き渡るくらいの音量で、ユキに向かって頭を下げる。
「ぼ、ボク、勘違いしちゃって、ヒロちゃんが取られちゃうんじゃないかと思っちゃって……」
「私は物扱いか?」
焦りながら弁明をするボクに対して、ヒロちゃんは苦笑いしながら茶々を入れてくる。
でも、ユキはボクの謝罪に対して、嫌な顔一つせずにこう言った。
「いえ、全然いいんですよ。こちらこそ、変なふうに笑いかけてしまったのが悪かったですしね」
「うう……そう言って貰えると助かるよ……」
なんて優しいんだろう。
こんな優しい人に対してボクは……
そう自責の念で潰れそうになっていると、ユキはそうだ、と声を上げた。
「なら、ひとつだけ頼み事をしましょうか。それでチャラにしましょう」
「うぇ⁉ ま、まあ、ボクに出来ることなら……いいけど……」
尻すぼみになりながら承諾する。
一体何をさせられるんだろう。
ジュースを奢るとかだったら良いけど、このままパシリにされ続けられちゃって……?
ボクの中学校生活は、一体どうなるんだろう。
頭の中を悪い想像が一瞬で駆け巡る。
そんなことを考え続けるボクに対して、ユキはこう言った。
「私と、お友だちになってくれませんか?」
──友達。
ヒロちゃん以外の、友達。
「え……そんな、いいの?」
「誰でも良いわけではないですよ? あなただから言ってるんです」
「本当に言ってるの?」
「駄目ですか……?」
ユキは、泣きそうな顔になって顔を伏せた。
よく見ると、指が少し震えている。
目の前にいる少女はヒロちゃんをも救うことが出来るくらいの完璧な人だと思ってたけど、ボクと同じなのかもしれない。
新しい学校で友だちができるかどうか不安がる、ただの女の子だった。
「もちろん、いいよ! これからもよろしく!」
ボクは震える手を取って、笑顔で答えた。
ユキは花が開くかのような笑顔で、こちらを見つめる。
「はい、よろしくお願いします。エマさん」
ユキの顔をよく見ると、目尻には涙が浮かんでいた。
「私、お友だちとお花見をしてみたかったんです。昔からの、夢だったんです」
「いいね! ヒロちゃんも、メルルちゃんも行こうよ!」
「ああ、お弁当を用意しなきゃな」
「私はお茶を用意します! とっておきのハーブティーがあるんです……」
そうして、四人で並んで教室へと戻る。
新しい出会い。
新しい友達。
これから、どんな日々が待っているんだろう。
教室の窓から、桜の花びらが舞い込んでくる。
春の風が、新しい始まりを運んでくるみたいだった。
Episode7:家族との《再会》
Episode0:友人としての《再開》
これにて完結となります。
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