四方を鉄の壁で囲まれた狭い空間に四人が座っていた。布張りの簡素なロングシートにふたりが並んで腰掛け、細い通路を挟んで反対側にも同様にふたり。冬矢もその内のひとりだった。
冬矢をここへ連れてきて、今は目の前に座っているやや血色の悪い女は、冬矢やナコルの上官だった。階級は中佐相当の一級特佐。これは特尉補である冬矢の5つ上にあたる。魔獣との直接戦闘を担当する特別機動課・第二分隊のリーダーであるこの女は、名をドーリス・ヴァールザーガーという。
ドーリスは白い軍制服の上にフードつきの黒いロングコートを羽織っており、足を揃えて背筋をピンと伸ばし、両の握り拳を膝の上に置いていた。あぶらっけの少ない緑がかった黒髪は首の付け根あたりまで伸びている。やや三白眼気味の目。瞳はパープルサファイアの如く美しかったが、左前髪がカーテンのように顔の半分を隠しており、正面からは右目しか見えなかった。
ドーリスの隣に座っているのはナコル。先ほど冬矢と出会い頭にぶつかった、赤毛のツインテールの小柄な女だ。冬矢とは対角線上にいる。ナコルはゆったりとリラックスした姿勢で、口元を緩めて冬矢を見ていた。
最後のひとり、冬矢の隣に座っている女は同じく第二分隊の所属で、名を
初めて顔を見たとき冬矢は思わず彼女に見惚れた。彼の感覚では槐は上位に位置する美人だった。卵型の輪郭。色白で透明感のある肌。腰の辺りまで真っ直ぐ伸びた艷やかな黒髪のロングヘア。切れ長で大きく黒々とした目に長いまつ毛が陰を落とす。上唇は薄くなだらかなM字で、下唇はやや厚みがあり、鼻は高いというほどではないが綺麗なカーブを描いていた。
「さて」、ドーリスが手を叩いた。「彼の紹介を済ませてしまいましょうか」と言いつつ、ドーリスは冬矢に視線を向けた。「良いかしら? マシロ特尉補」
つられてナコルと槐の視線も冬矢に注がれた。
「はい」と冬矢は答えた。一度深呼吸をして、事前に考えてきた自己紹介の記憶を辿った。「隊員候補生の真銀冬矢です」と冬矢は名乗った。「以前は作戦局作戦部軍事防衛課に所属していました。つい最近、
冬矢が一息に言い切って、最後に一礼すると、ドーリスとナコルはまばらに拍手を冬矢に送った。槐は興味なさそうに下を向いた。
「結構。私の自己紹介は必要ないわね?」とドーリスが言った。
「はい、隊長」と冬矢は答えた。
「サマーズ一級特尉とはさっき挨拶を?」
「はい」
「良かった。なら、あとはカシラギ上級特尉だけね」と言ってドーリスは槐に視線を送った。
槐は顔を伏せたまま、隣りにいる冬矢の方へ顔を僅かに向けた。
「姓は魁鬼。名は槐だ。よろしく頼む」と槐は手短に告げ、その後は冬矢の返事を適当に聞き流して目を閉じ黙り込んだ。
冬矢が槐の突き放した態度に戸惑ってナコルの方を見ると、ナコルは口元が緩むのをキュッと引き締めてこらえていた。冬矢は困惑して次にドーリスに目をやると、ちょうどドーリスが両手を打ち合わせるところだった。乾いた音が鳴って冬矢の肩が跳ね上がった。
「それじゃあ、今回の作戦について説明するわ」とドーリスが言った。
ナコルと槐は居住まいを正してドーリスの言葉に耳を傾けた。
冬矢は作戦という言葉に反応して身を強ばらせた。特別機動課に配属された以上いずれは実戦に駆り出されるだろうしそれは当然だろうと思っていた冬矢だったが、ある程度時間をかけて相応の訓練を積んでからのことだと考えていた。まさか着任初日からこのような機会に見舞われるとは思ってもみないことだった。
「標的はアピアナ島に上陸した魔獣の群れ。二体の
魔獣はそれを区別するべくそれぞれに名称が付けられている。先日冬矢が戦闘を行った犬に似た四足歩行の魔獣は猟狼種と呼ばれており、最も目撃例が多い。猩狒種という種は二足歩行の魔獣で、成人男性の体格を優に超える巨体を持つ。胴体に対して頭が大きく、醜悪な容姿と長く太い腕がとりわけ特徴的で、背に大きなコブがあり猫背。胴は太く長く、足が短い。動きは鈍いが怪力を有しており、猟狼種と比べても脅威度の高い種とされている。
「また居住区に魔獣が……」と冬矢は呟いて、眉根を寄せた。アピアナ島は今まで襲撃を受けてきた島々に比べて聖皇庁のある中央に近く、居住区を主としており、そのような衛星島に猩狒種が現れたとすれば被害は計り知れない。
冬矢が特別機動課へ来る以前に所属していた軍事防衛課は、魔獣の襲撃に際し住民を守るための肉の壁として、聖痕所有者が到着するまでの時間稼ぎ要員として平時より各島に駐屯している。魔獣襲来時の生存率は1%にも満たず、壁になって全員が殉職したところで住民が助かることの方が少ない。実際に冬矢は軍事防衛課としての初の対魔獣戦においてすべての仲間を失い、守るべき住民も生存者はゼロと散々な有様だった。
「そのほか特に目標はなし。
冬矢はドーリスの説明を聞き終えてどうやら住民の心配は杞憂だったと胸を撫で下ろした。
ナコルと槐はドーリスの説明の間もそのあとも、小さい虫が目の前を飛び回っているかのように顔をしかめていた。
「作戦の概要は以上よ。何か質問は?」、ドーリスが三人を見回しつつ聞くと、槐が小さく右手を上げた。ドーリスは槐を見て頷いた。
「新人の面倒は誰が?」と槐は聞いて、流し目に冬矢を見てドーリスの返答を待った。
「そうね……」とドーリスは一呼吸考えてから「今回、マシロ特尉補はカシラギ上級特尉の指揮下に入ってもらおうかしら」と言った。「彼女から色々学ぶと良いわ」
「了解です」と冬矢は答えた。
「エンジュも、良いわね?」とドーリスが槐に確認すると、槐は「承った」とつまらなさそうに返事をした。
「よろしくお願いします、魁鬼先輩」と言って冬矢が槐に笑いかけた。槐は顎を冬矢のいる方に向けて軽く頷くと、それから腕を組み足も組み目を閉じた。冬矢はなんと言っていいのかわからず、膝の上で両手の指を組んで黙り込んだ。なんと声をかけても無駄のように思えた。
「ね、トーヤ。ちょっと良い?」と言って、ナコルはにこやかに冬矢に笑いかけた。
「え? ああ、良いけど」と冬矢は答えた。自分の名前を呼ぶナコルの発音にやや違和感を覚えて戸惑ったような表情を浮かべたが、自然なナコルの笑顔を見ては、指摘するほどでもないと考えた。
「ね、ね。トーヤの出身ってヤマト・エリア?」
「そうだけど」
「やっぱり!」
「なんでそう思ったんだ?」
「雰囲気とか、なんとなくエンジュに似てるなと思って、そうかなって」
「ということは、魁鬼先輩も
冬矢と槐の出身である〈
大山門領は聖皇庁のある中央島からは遠く離れどちらかと言えば外側の方が近い。衛星島のもっとも外側にある外周群の島々は常に魔獣の脅威に晒されている危険地帯であり、外周に近い大山門領もこれに準じて危険度は高い。そのような危険地帯で育った冬矢は幼い頃に両親と幼馴染を魔獣に殺された過去があり、この事から魔獣に対して深い憎しみを抱いていた。
ナコルがため息を吐いた。
「エンジュさあ。調子が悪いのはわかるけど。同郷のよしみでさ、もっと愛想良くしてあげたら?」と、ナコルは呆れた様子で槐に声をかけた。槐はそれを無視した。ナコルは肩を竦めて鼻で息を吐いた。「ごめんね。エンジュは乗り物が苦手なの」と、ナコルは冬矢に謝った。
「苦手なわけではない。些か気分が悪くなるだけだ」、槐は忌々しげに呟いた。
「それを苦手って言うのよ」と言ってナコルは俯く槐をまじまじと見て、それから思い出したように冬矢に視線を戻した。「ね。ヤマト・エリアといえば、最近怪人の被害が増えてるそうね? 嫌になっちゃうわね。魔獣だけでも手一杯なのに」
「うーん……故郷と言っても、もう何年も帰っていないからなぁ……」
冬矢は物心のつく頃には孤児院にいて、自分の両親が魔獣に殺されたことを当時の副院長から聞かされた。冬矢が茉希奈と出会ったのは、その孤児院でのことだった。孤児院ではもうひとり
「故郷があるって、幸せなことよ?」とナコルが言った。「私の故郷なんて、帰るとか、それどころじゃないのよ。私の住んでいたところはね――」
「はいストップ」、ドーリスが手を叩いて、ナコルの言葉を遮った。「間もなく降下地点よ」、ドーリスはおもむろに立ち上がると、壁に取り付けられたレバーを操作した。がぽっ、と空気の抜ける音と共に壁が開いた。外に通じるハッチだった。
暴風が吹き荒れた。ドーリスのロングコートがせわしなく翻る。ドーリスは散歩にでも行くような足取りで前に進み、そのままハッチの外へ身を投げ出した。
冬矢は目を剥いてハッチを凝視した。ドーリスは気軽に出ていったが、今いるのは上空五千フィートを航行中の飛行船の中だったものだから絶句した。
「大丈夫よ。これぐらいの高さだったら、聖痕所有者は死なないから」と、ナコルが冬矢に声をかけた。ナコルは座席から立ち上がってハッチの前に移動すると、振り返って冬矢を見た。ツインテールが激しくはためいた。風の音がうるさかったが、ナコルの声はよく通った。
冬矢は何も言えずにじっとナコルを見つめていた。
「じゃあ、お先に」と言ってナコルは後ろ向きに倒れ、両手を思い切り広げて外へ落ちて行った。
「呆けている場合か。次はおぬしだ。立て!」
槐が大声で冬矢を叱咤した。冬矢は半ば条件反射的に、慌てて立ち上がった。それとほぼ同時に、槐は冬矢の後ろ襟を掴んでぶうんと振り回した。冬矢の体はハッチの外へ勢いよく飛び出し、あえなく宙に放り出された。
「わ!? うわ、わ!!」と冬矢は悲鳴を上げた。
「舌を噛むぞ!」と槐が怒鳴った。「口を閉じよ! 真銀!」
冬矢はせめてもの抵抗として槐の言う通りに歯を食いしばった。食いしばりながら、くるくる回りながら、落ちる。
落ちる冬矢を追って槐も飛行船から飛び降りた。槐は大声で冬矢に呼びかけた。「死にはせぬがな! 落ちれば痛いぞ!」
冬矢は回転しながら五千フィート落ち続け落下してアスファルトに叩きつけられた。三度バウンドして、ごろごろと勢いよく転がってからようやく止まった。
「痛っつぅ~ッ!!」
冬矢はこれまで受けた中でも五指には入るだろう激痛を味わって呻き声を上げたが、不思議と痛みはすぐに引いていった。冬矢は改めて