早朝、東京へと向かう高速を走る車の中から腹の音が鳴り響く。
デンジは気まずそうに自分の腹の音であると白状した。
「君、名前は?」
その様子を頬杖を突きながら見ていたマキマは微笑みを浮かべながら聞いた。
「あっ……デンジっす、あの、あなたのお名前は?」
デンジは少し緊張しながらも目の前の美人の名前を聞いてみた。
「マキマ」
自身をマキマと名乗った女性は微笑みを絶やさず、デンジを見つめながらそう短く答えた。
デンジはその名を自身に刻み付けるように小さくその名を呟いた。
「私たちも朝まだだったね、パーキングエリアで適当に食べよ」
「すいません、俺金ないんすけど」
デンジは着の身着のままだ、何なら半裸であった。
「好きなの言いなよ、私お金出すから」
驚くデンジ
自分のために人が金を出してくれるなんて考えたこともなかったデンジには衝撃だった。
「あと半裸じゃ目立つからこれ着な……はい」
マキマは着ていた黒のロングコートをデンジへと渡す。
デンジには衝撃の連続であった。
(汚え臭えと言われ近寄られもしなかったこの俺が、初めて優しくされた。それもいいツラの女に……好き!)
デンジはちょろかった。
「俺うどん!と……うどんと、フランクフルト!いいすか」
「いいよ、私はカレーうどん下さい」
今デンジは幸福を更新し続けていた。
今まではゴミ箱を漁って廃棄された食品を食べて飢えを凌いだりしていた。
初めてのうどん、初めてのフランクフルトだ。
「あっカレーうどんもいいっす……」
言葉の最中に急に体から力が抜けていってしまい倒れこむデンジだったが、マキマが支えてくれたおかげで硬い地面とアスファルトのニオイのかわりに、柔らかい感触といい匂いに包まれた。
「君、大丈夫?」
マキマからの言葉に慌ててデンジは身を起こした。
「すんません……チェンソーで自分の体も切れちゃって……血ィ出すぎて貧血なるみたいっす……」
「そうなんだ、悪魔は血を飲むことで体の傷を治せるんだけどデンジ君は飲まなかったの?」
「飲んでないっす……ていうかそんなんで悪魔って体治るんすか」
衝撃の事実である。
今まで戦った悪魔たちはその場で殺していたし、知らなかった。
戦う時は相手の血を飲みながら戦えば負けないんじゃねえか?とデンジは考えた。
「どうやってそんな体になったの?」
マキマはデンジの現在に至るまでが気になったのか、デンジに経緯を聞いた。
「家族だった悪魔が俺の心臓になったんす。信じられないっしょ?俺も信じたくないっすよ……俺のためにポチタが死んじまったなんて……」
デンジは最後にため息をついてそう締めくくった。
マキマはしばし、デンジの様子を見てから何かを考えるように逡巡し、答えた。
「君の状態は歴史的に見ても前例がとても少ないよ。名前もまだついてないくらいにね」
コツコツとローファーがアスファルトの上を歩く音を響かせ、マキマはデンジに背を向けて歩きながら話す。
「その話信じるよ、私は特別に鼻が利くんだ。だからわかる、君の親友は君の中で生きてる」
「ロマン的な意味じゃなく……体から人と悪魔2つの匂いがするもん」
振り返ったマキマはウィンクをしながら自身の鼻を指さし言った。
その言動は小悪魔的であり、そこはかとなく少女の面影が窺え、それまで見せていた大人の女性としての姿とは違うものを感じさせたしぐさであった
「そっか……すげー……そりゃすげ~良かっ……」
再び襲い来る虚脱感。
デンジは倒れるまでのわずかな間、こちらを驚いた顔で見つめるマキマの顔を最後に目にして意識を失った。
次にデンジの意識が覚醒して一番最初に目にしたのは、朝焼けの空とこちらをのぞき込む美女だった。
一瞬、呆けるがすぐに頭が回りだす。
そうだ!人生初の!
「うどん!」
とっさに周囲を見渡し、ちゃんとうどんがあるのを確認してホッと胸をなでおろす。
うどんを見て思い出したかのように腹の虫が鳴る。
「うどん……食っていいっすか?」
デンジが遠慮がちにそう尋ねると、マキマは首を少し傾げながら聞いた。
「うん、大丈夫?一人で食べれる?」
「食べれ……食べれません」
聞かれたデンジは答えかけるも一瞬逡巡し、その頭脳にて最速で最高の最適解を導き出した。
「はい、あ~ん」
「あ~ん」
初めて食べるうどんを、初めて優しくしてくれた美人に食べさせて貰えるだなんて!
デンジは今この時の幸福を噛みしめていた。
「おいしい?」
「ワン!」
思わず犬みたいに返事をしてしまうほど、デンジは有頂天になっていた。
デンジ、満面の笑みである。
マキマはそんなデンジを微笑みを浮かべながら眺めていた。
「こんな伸びてるうどんをおいしいだなんて……君は健気だね、本当に犬みたい」
マキマの浮かべる微笑みに見惚れていたデンジは自然と言葉が口を突いて出ていた。
「マキマさん……すっ……好きな男のタイプとかありますか?」
マキマはしばらく考えた後に頬杖を突き、微笑みを浮かべながらデンジを見つめて言った。
「う~ん……デンジくんみたいな人」
「デンジ君?」
予想外の言葉に、フリーズする脳内。
聞き覚えのある名前だ。
どこで聞いたんだっけ?
(俺じゃん……)
「デンジ君!こっちこっち!」
並び立つビル、数えきれないほどの人込みで賑わう道路。
ここが自分の新しい職場になるのだと、マキマが向かう先にある建物を見上げながらデンジは立ち尽くしていた。
ここが東京デビルハンター東京本部なのだと教えてくれたマキマについていきながら、デンジはマキマの話に耳を傾ける。
「東京には民間も含めてデビルハンターが千人以上いるけど公安は有給多いし、福利厚生が一番いいんだよ」
人が何百人も収まりそうなほどに広いホールを歩きながらマキマは説明をする。
どうやら今度の自分の職場は、恵まれた環境なようだとデンジは考える。
ふと、疑問が湧き出たデンジはマキマに聞いてみることにした。
「そのー……マキマさん、もし俺が公安で嫌なことがあったりして、辞めたくなったりしたら辞められるんすか?」
ヤクザには逃げたら豚の餌にすると脅されていた。
ここではどうなのだろうか。
マキマは振り返らず背中を向けたまま答えた。
「デンジ君……忘れたの?キミは私に飼われてるんだよ」
後ろからではマキマの表情は窺い知れない。
言葉は続く。
「鑑識課の知り合いから聞いたんだけど、使えない公安の犬は安楽死させられるんだって」
「安楽死……」
ぞわりとした。
先ほどまで恵まれた場所だと信じて疑わなかったここが、急に冷たくて恐ろしい場所のように感じられた。
「デンジ君は特別だからね、特別な対応で扱うことになるよ。公安を辞職したり違反行動があった場合、デンジ君は悪魔として処分されちゃうんだ」
「それって……どういう事……?」
ここで初めてマキマは振り向いた。
その顔は変わらず微笑みを浮かべている。
「死ぬまで一緒に働こうってこと」
マキマの後をついていくとそこは執務室だった。
「デンジくん」
「はい?」
「うちは基本制服だからこれ着てね、着替えたら君の同僚に合わせるから」
そう言われながら渡されたのは白いYシャツに黒のスラックスとネクタイだった。
真新しい服を貰うのもデンジにとっては初めての経験だ。
着替えを済ませ、ネクタイは締め方が分からなかったので首に引っ掛けた。
執務室に戻ったデンジを待っていたのはマキマと若い男だった。
「彼の名前は早川アキ、デンジ君より3年先輩今日は早川君について行きな」
男はデンジよりも頭1つ背が高く、ちょんまげのように髪を縛っている。
細身の体にスーツをキッチリと着こなしているのを見るに、生真面目な性格が窺い知れる。
男はチラリとデンジを見やり、一言。
「見回り行くぞ」
それだけ言うと、男はサッサと行ってしまう。
本来であればデンジはこの男と仕事をするのを嫌がって、マキマと一緒に仕事をするのだと駄々をこねていただろう。
デンジはそういう男だ。
しかし、先ほど浮ついた気持ちに冷水をかけられた今のデンジにはそのような元気はない。
肩を落として背中を丸め、トボトボと黙って後ろをついていく。
その様はまるで雨に打たれ、しょぼしょぼになった犬のようだ。
マキマは元気の無いその様子を見て微笑み、声をかける。
その声に振り向いたデンジに近寄り、マキマは結ばれていないデンジのネクタイを手慣れた様子で結んでいく。
「デンジ君、さっきは怖いことを言ってごめんね?」
先ほどの脅しに落ち込んだ様子のデンジをマキマがネクタイを結びながら慰める。
「それにきっとデンジ君ならここでも上手くやっていけるよ」
これでよし、とネクタイを結び終えたマキマは静かにデンジと額を合わせる。
2人の距離は息が触れ合うほどに近い。
ポンポンとデンジの胸をマキマは軽く叩きながら言う。
「さっきはああ言ったけれどね、私はデンジ君に期待しているんだよ」
「だから頑張ってね」
デンジ は げんき に なった !!
雑踏の中、ドンドン前へと進んでいくアキの背中にデンジは何度も呼びかけている。
「なあ先輩よ。マキマさん男いんの」
何度か呼びかけてようやくアキは反応をした。
相変わらず無表情だ。
「ちょっと来い」
言われるがままついて行った先は裏路地、デンジはそこでアキに殴られ蹴られゴミ山へと吹き飛ばされた。
積み上げられていたごみ袋の上にデンジは倒れ込む。
アキは懐からタバコを取り出し、一本口にくわえて火をつけた。
肺まで一度深く吸い込み、吐き出した。
「お前仕事やめろ、明日も来たらまたボコるからな」
アキは冷たく威圧的な表情でデンジを見下ろす
「なんでだよ」
「俺の優しさが伝わらないかな……軽い気持ちで仕事するやつは死ぬぜ、俺の同僚も給料だけ見てデビルハンターなった奴は全員悪魔に殺されたよ、生きてるやつはみんな根っこに信念があるやつだけだ」
「お前さ……マキマさん目当てでデビルハンターなったろ」
「ピンポーン」
「じゃあ殴って正解だったな……マキマさんには俺から言っといてやるよ、お前は悪魔にビビって逃げたってな」
そう言いながらアキは吸っていたタバコをデンジの胸元へ投げつけた後、唾を吐き火を消した。
アキは振り返り、デンジに背中を向けて歩き出しながら2本目のタバコを取り出し火をつけた。
次の瞬間、アキの股間から脳天を突き抜ける尋常ではない痛みが彼を襲った。
デンジが背後から駆け寄り、股間へ蹴りを繰り出したのだ。
これにはたまらずアキは膝から崩れ落ち、倒れ込む。
「先輩は優しい人なんだなオイ……俺は!男と!喧嘩する!時ゃ!股間!しか!狙わねえ!」
デンジは一言話すごとに、アキの股間へ容赦なく蹴りを入れていく。
蹴りが入るたびにアキは苦悶の声を上げる。
「ふう……!俺は今日初めてうどん食ったぜ、フランクフルトもな。初めて人並みの扱いされたし、初めてメシ食わせてもらった……俺にとっちゃ夢みてえな生活だ。俺は軽~い気持ちでデビルハンターなったけどよぉ、この生活続けるためだったら死んでもいいぜ……死んでもいいっつうのはやっぱなし、俺だけの命じゃなかったわ」
デンジは不敵な笑みを浮かべ、爽やかに汗を拭きつつ言った。
アキは痛みから来る大量の脂汗をかきつつもなんとか立ち上がり、デンジへと反撃を行った。
立ち上がったアキはデンジへと構えを取る。
「マキマさんはなぁ……お前みたいなチンピラが好きになっていい人間じゃねえんだよ!」
「ああ!?んだよ!てめえもマキマさんが好きなだけじゃねーか!!」
デンジはファイティングポーズを取ったアキに攻撃を仕掛ける。
当然股間への一撃だ。
アキはこの一撃をまともに食らい、とうとうダウンした。
「お前……マジで……玉ばっか……狙いやがっ……て……」
「やべ」
失神した同僚を目の前にデンジは自分がやりすぎたことをようやく自覚した。
「先輩が金玉の悪魔に玉を襲われました」
「嘘です……こいつの嘘です……」
何とかアキに肩を貸し、デビルハンター本部へと連れてきたデンジは現在、マキマの執務室にて虚偽報告を行っていた。
「ふ~ん……でどう?仲良くできそう?」
「全然」
「こいつクズですよ」
「仲良くできそうでよかった。デンジ君は早川君の部隊に入ってもらう」
マキマは二人の険悪な空気を見てもなお、微笑みを崩さずに顔の前で手を組みながらそう言った。
「このチンピラがですか!?うちはただでさえめんどくさいのが多いんですよ!?これ以上変なヤツが増えたら……」
「部隊を作った時に言ったよね、他じゃ見ないような実験的な体制で動かしてみるって」
デンジは長話に興味がない様子で大口を開けて欠伸をしていた。
マキマがこういう相手、つまりこいつはただのチンピラではないとアキは認識し、質問をした。
「こいつ何者なんですか?」
「デンジ君は人間だけど悪魔になることができるんだ」
「どうだ!すげえだろ!」
「……マジの話ですか?そういうの噂半分でしか聞いたことありませんけど……」
「デンジ君は特別なの、だから特別な対応で扱うことになりました。公安を辞職したり違反行動があった場合、デンジ君は悪魔として処分されます。これはデンジ君も承知の上です」
飼い殺し、その内容にアキは思わずデンジの方を見やる。
デンジの方はといえばそれはすでに折り合いをつけ、飲み込んだ内容だ。
改めて聞かされたに過ぎない。
故に今デンジにあるのは、このいけ好かない先輩相手に少しでも留飲を下げることのみだった。
「さっきは俺を辞めさせようとしてたみてえだが、無意味だったってことだぜ」
ニヤリとしながらそう言ったデンジを見てアキは少し苛ついた。
幅の広い歩道、人々が行きかう雑踏の中をアキとデンジは歩いていた。
デンジはアキの何歩も後を歩いている。
その距離は今の二人の距離を示しているかのようだ。
「お前を見張るため一緒に住むことになった。どっかに逃げたら殺していいって言われてるからな」
アキはデンジに対して必要最低限の連絡事項を伝える。
デンジは何か考え事をしているかのようで、反応が鈍い。
しばしの沈黙の後、デンジはアキに問いかける。
「……なあ、マキマさんって悪い人なの?」
「そう思うならマキマさんは諦めろ、お前が悪魔なら殺されないだけ感謝しろよ。俺たちはデビルハンターなんだぞ」
「じゃあいい人なのか?」
アキの反応は速かった。
「いい人に決まってる……俺の命の恩人だ……」
デンジの脳裏にマキマと出会ってからの記憶が流れる。
応援してくれたマキマ、ネクタイを結んでくれたマキマ、うどんを食べさせてくれたマキマ、服を貸してくれたマキマ、そして抱きしめてくれたマキマ。
「マキマさん……もう一回抱きてえなぁ」
「はああああああああ!?」
アキの反応は速かった。
家の住人が寝静まった頃、中々眠りにつくことができなかったデンジは、さんぽと書置きを残して家を出ていった。
当て所なく、フラフラと夜の東京を歩いている。
前に住んでいた場所は地方だったこともあり夜中は暗くなる。
だが東京は違う、早川アキの住居は東京の中でも落ち着いた立地にあったが、街灯は明るく道を照らしているし、車は往来を途切れることなく走る。
以前住んでいた場所でも夜中に車は走っていたが、東京とは交通量が全然違った。
山の中にあった物置小屋に住んでいたこともあって尚更東京は明るく感じる。
ふと、公園が目に映り、ベンチに座った。
(ポチタ……俺は今、普通の暮らしってやつを……夢を叶えられてるぜ……)
今では文字通りの意味で心臓となり、自身を生かしてくれているポチタへと語りかけるが、何も返ってこない。
空虚であった。
(俺は今日初めてうどんを食えて、フランクフルトも食えた。初めて腹が一杯になるまで飯が食えたし、ジャムにバター、蜂蜜とシナモンをかけて作った最強のパンだって食ったし、初めて風呂にも入った)
(でもポチタはいねぇ……)
ポチタを抱きしめることの無い夜を迎えたデンジは、人生で初めて味わう欠落感と不安に戸惑っていた。
人前では快活で不敵に笑っていたデンジの姿はそこになく、口を半開きにした生気のない姿がそこにはあった。
ポチタは今も自分の胸の中で生きている、だが大切な家族をもう二度と抱きしめれないという現実は、デンジ自身の認識よりも深く心に突き刺さっていた。
「デンジ君?」
静かな、それでもするりと耳に入る声が聞こえたデンジは視線を持ち上げた。
「マキマさん……」
普段の白いワイシャツに黒ネクタイのパンツスタイルとは違う、ラフな格好をしたマキマが目の前に立っていた。
「こんな時間にこんな場所で……どうしたのデンジ君」
柔らかい口調、まるで迷子の子供に向けるかのような声音でデンジへと問いかけるマキマ。
「特にどうしたってことは無いんすけど……ちょっと眠れなくて、マキマさんはどうしたんですか?」
「私も同じだよ、なんだか眠れなくてね。夜の散歩をしていたんだ」
自分と同じ気持ちの人がいる、しかもそれが大好きなマキマさん。
それだけでデンジはなんだか嬉しくなって、少しだけ元気になれた気がした。
「デンジ君、今の時期まだまだ寒いし冷えるよ、ほら、とても手が冷たいよ?」
マキマは屈み、自然な動きでデンジの手を取り言った。
その表情に普段の微笑みはなく、彼女の目は静かに伏せられていた。
「いいんです、俺は慣れてますから」
デンジは昨日まで山中の物置小屋で寝起きしていたのだ。
寒い冬の夜も、暑い夏の夜も、ポチタと一緒に。
ポチタを思い出したデンジの気分はまたもや落ち込んでしまう。
「だめだよ。体が冷たいと気持ちまで落ち込んじゃう」
マキマは微笑みを浮かべ少しだけ首を傾けながら言う。
「ウチにおいで、一緒に暖かいお茶を飲みましょう」
ビバ夜散歩!デンジは有頂天になって今にも飛び上がりそうになった!チョベリグ!
チョベリグってちょうどこの年代らしいっすねぇ