本当に執筆の励みになっています。
原作2部チェンソーマンは最終回を迎えてしまいましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。
私は最近BANG BANG BANGという曲をループして生きてます。
ドロヘドロも始まりますし、刺客編のアニメもありますのでまだ生きられますね。
今作もまだまだ続きますので何卒よろしくお願いいたします。
あと私関東圏の人間なので訛りがおかしくても許してぇ
都内とある病院の一室、開かれた窓から柔らかい風が吹き、カーテンを優しく揺らしている。
消毒液の匂いが漂い清潔さが保たれた病室のテレビから、無感情に淡々と台本を読み上げる男性アナウンサーの声が流れていた。
『昨日午後、都内各地で発生した大規模な騒乱について新たな情報です。
警視庁の発表によりますと、一連の事件は広域暴力団による組織的な内部抗争とみられ、現場にいた複数の構成員が拘束されました。
現場周辺では車両の衝突や資材の落下による大きな音や振動が確認されましたが、当局では事態はすでに収束しており、市民生活への影響はないとの見通しを――』
「ありゃ~、思ってたより大ごとになってたみたいだねぇ」
規制された報道内容から裏を読み取り、全容を察してもなお他人事のような声音でそうぼやいたのは当事者の姫野だ。
姫野のぼやきに答える声があった。
つまらなそうにテレビを見ていたアキだ。
「ウチはともかく、他の課に相当な被害がありましたからね。公安からすればメンツを潰されたようなもんですよ」
「だよねぇ……はぁ~、これからどうなるのかな……やっぱ全面抗争?」
「Vシネじゃないんですから……まぁでも、徹底的に潰しにかかるのは間違いないでしょうね」
そのような会話をするアキと姫野が着ている病院着からは、至る所に包帯が巻かれているのが覗いている。
見ていて痛々しい姿だった。
あの襲撃の際、二人が負った傷は軽くはなかった。
幸い骨折等の日常生活に支障を来すような大きな怪我こそ無かったが、複数箇所の内出血、切創、擦過傷、内臓への軽度の打撲といった有様であり、姫野に至っては肋骨へ罅が入っていた。
デビルハンターは怪我が絶えないとはいえ、これだけの傷を負ったのは久しぶりの事だった。
「デンジ君の居場所は分かってるんだっけ?」
「ええ、練馬区にあるビルです。今は逃げられないように包囲網を敷いていると聞いています」
沢渡達に攫われたデンジの居場所は、匿名のタレコミによって判明していた。
今回の襲撃は国家へのテロ行為と見做され、このテロリスト達を逃さないよう厳重な包囲網が敷かれている。
アキの言葉通り公安が、ひいては国家が軽んじられていると考えた上層部は、徹底的かつ迅速な事態の解決と首謀者らの捕縛を望んだのだ。
当初、混乱の中亡命を行うはずだった沢渡は、予想を超える展開の速さに足止めを食らっていた。
二人が話していると、不意に扉がノックされる音が聞こえた。
返事をする前に扉が開かれる。
「失礼します」
「ども」
現れたのは公安の制服に身を包み、顔に特徴的な傷を持つ二人。
片方はやや背の低い男性で、もう片方は背の高い女性だ。
「誰?」
見覚えのない二人に姫野は首を傾げながらそう言うと、女性の方が答えた。
「私達、マキマさんに頼まれて京都から特異四課を指導しに来ました」
そう言って女性は自身を天童、男性は黒瀬と名乗った。
関西圏独特の抑揚で話す彼女の言葉を男性の方が繋ぐ。
「
その言葉にアキは一瞬目を見開くと、狐の悪魔を呼び出すために狐手を作りコンと呟いた。
しかし何も起こらない。
どうやら彼の言葉は事実だったようだ。
「ほら、出てけえへんやろ?君は狐を無茶に使って嫌われた。もう二度と狐は使わせてもらえへんやろうね。その刀も呪いの悪魔の奴やろ?それもあとどれぐらい使えんの?」
アキは黒瀬の言葉に見え隠れする意味を察する。
「指導っていうのはそういうことか?」
「お察しが良くて助かる」
「つまり……アキ君は新しい悪魔と契約する……って事?」
「今回の襲撃で大分数が減りました。このまま続けるなら続けるで、もっと強い悪魔と契約して貢献してもらわなあかんみたいです」
淡々と語る天童の言葉に、つい姫野は血色ばんでしまう。
彼等とて上からの指示をこなしているだけで、その感情をぶつけるべき相手ではないことも分かっているのに。
「もっとって……契約に何を持ってかれるか分かったもんじゃないよそんなの……!」
「それだけ覚悟が必要って事ですよ」
姫野の言葉に被せるように黒瀬が言い放った。
冷静な姿勢を崩さない態度とその言葉に、冷や水を浴びせかけられたような気分になる。
「覚悟……」
「そう、覚悟」
黒瀬はそう言うと、手をこちらに向けて広げる仕草を見せる。
まるでその掌の上に何かを求めるようにも、何かを促そうとするようにも見える仕草だった。
「姫野先輩、大丈夫です」
「アキ君?」
姫野達のやりとりを聞いていたアキが、姫野へそう声をかけた。
起伏のない声だった。
「覚悟ならとうの昔に決めています」
そう言うアキの目を見つめた姫野は、二の句を継げなかった。
普段と変わらない目だったのだ。
あまりにも普段と変わらず、その変わらなさが姫野は悲しかった。
「分かりました。これ、書類ですんで明日までに読んどいて必要な部分には記入をしてください」
そんな二人の様子を見ていた黒瀬は、何かに納得するように一つ頷く。
それからアキに必要な書類を手渡すと、病室を後にしようとする。
しかし扉に手をかけたところで不意に立ち止まると、口を開いた。
「京都ん先輩の言葉はホンマでしたわ」
顔だけをアキに振り向かせると、言葉を続ける。
何が面白いのか少し微笑んでいるようにも見える横顔だった。
「特異課にはまともなやつはいいひんから気を付けろ……ってね」
そう言うと黒瀬は一度口を閉じ、ちらりと姫野に視線を向ける。
そして再び口を開いた。
「もうちょっと自分を客観的に見た方がいいですよ。あまり彼女さんを不安にさせるのも良くないでしょ」
言いたいことを言って満足したのか、その言葉を最後に二人は病室を後にした。
部屋に残されたのは姫野とアキの二人だけ。
二人はしばらく扉に向けていた目線をお互いに向けた。
しばらくキョトンとした顔で向かい合う二人の間に会話はなく、流しっぱなしのテレビから聞こえる野球中継の音声だけが静かな室内に流れている。
「……もしかして彼女さんって私?」
それからやっと、姫野がポツリと呟いた。
ばさりと、風に揺られたカーテンがひと際強くはためく音がした。
翌日、退院した二人は怪我も治りきっていない体で、都内地下にある悪魔収容施設にいた。
ここには公安で生け捕りにした悪魔や、死ぬことを嫌がって自ら下った悪魔が収容されている。
柵のない、最低限の作りで組まれた斜行エレベーターに黒瀬と天童、姫野とアキが乗っていた。
「覚悟してるとは思いますけど」
黒瀬がそんな前置きと共に口を開いた。
「これから強い悪魔と契約するって事は、交わされる契約は結構惨い内容になると思います。けど俺達は別にアキ君いじめたくてそんなことをするんじゃありませんよ」
黒瀬がそう言うと、今度は天童が口を開いた。
「君は仕事に復帰したらライオンの檻に飛び込むんです。身を守るための武器は必要やろ?」
天童と黒瀬の言葉に、アキも姫野も言葉を返さなかった。
今更のことであり、ただの確認だということはこの二人ともよく分かっている。
その沈黙はこれ以上ないほど雄弁に二人の答えを物語っていた。
それからしばらく彼らの間に会話はなく、湿る長い廊下をひたすら歩き続けた。
四方を鉄筋コンクリートで固められた強固な造りをした廊下には、むき出しのパイプが動脈のように走り、天井からは絡み合ったケーブルが、だらりと両腕をぶら下げた死体のように垂れ下がっている。
左手はただの壁だが、右手側には赤錆の浮いた鉄扉と赤色灯が等間隔に並んでいて、異様な雰囲気があった。
四人が歩く長い廊下はどこまでも続き、果てが見えない。
部屋の一つ一つには悪魔が閉じ込められているはずなのに、何かがいる気配がしないのが不気味だった。
とある部屋の前まで来ると、黒瀬と天童は立ち止まった。
「この部屋にいる悪魔とアキ君は契約してもらいます」
そう言いながら黒瀬は、扉の横に備え付けられた入力装置に素早くパスワードを入力していく。
もう何度も、同じことを繰り返してきたのだろうと分かる手慣れた動きだった。
「いるんは未来の悪魔、公安でこいつと契約している人は二人。一人は寿命半分、もう一人は両目と味覚、嗅覚を差し出しています」
代償の重さに姫野の目が一瞬見開かれる。
次いでその視線はアキへと注がれた。
「気に入られれば安く済みますよ」
そんな冗談と共にブザー音が鳴ると、電子錠が解除された。
「じゃあ、どうぞ」
扉が開かれる。
部屋の中は暗闇に包まれていて、入り口からでは中に何がいるのかが分からない。
だがアキは臆する事も無く一歩を踏み出す。
視線は真っ直ぐ闇の中を射抜いていた。
その背中をじっと見ていた姫野は、彼にかける言葉が分からなかった。
いくつもの言葉が、いくつもの気持ちと一緒に浮かんでは沈んでいく。
「アキ君」
姫野が名を呼ぶと、アキは振り返る。
呼んだだけで振り返ってくれる彼に、姫野はふっと息を吐いて微笑むと口を開いた。
「良いんだよね」
扉が閉められそうになって、ようやく口から出た言葉だった。
何が、とか何に、とか主語も何もない言葉だったが、その言葉にアキは頷くと、行ってしまった。
闇に溶けていく背中を姫野はただ見つめ続ける。
姫野はその背中から一度として、視線を逸らさなかった。
そしてゆっくりと、扉が閉められた。
「相変わらず辛気臭いとこだよね、ここって」
アキが部屋に入ってから待っている間、暇になった姫野は壁に寄りかかっていた。
天井からぶら下がるケーブルを眺めながら、その様な事を誰ともなしに呟いた。
そんな彼女を横目に見た黒瀬が話しかける。
「いいんです?彼氏さん、あれじゃどんどん戻れなくなりますよ」
「すぐそういう話。やめな」
黒瀬の言葉に天童が注意する。
どうやら普段から黒瀬はこのような話題を好んでいるようだった。
そんな黒瀬に、姫野は天井に向けていた視線を彼に移すとニッと笑う。
「私達そんな風に見えてた?」
「もしかしてちゃいます?」
「うん、私達は付き合ってないよ」
「そうなんです?ええ仲に見えたんでそうかと思ったんですけどねぇ」
姫野の言葉に、当てが外れたかと言いたげに黒瀬は顎をさすっていた。
そんな様子の黒瀬に呆れているのか、天童はため息をついている。
姫野の声はあっけらかんとした軽いものだったが、その瞳が扉から離れる事はなかった。
三人がそんな会話をしていると、不意に扉の開かれる重々しい音が響く。
重い音を立てながら鉄扉を押し開け、ゆっくりと姿を現したのはアキだった。
入室した時と違い眉間に皺を寄せ、脂汗を滲ませながら左手で左目を抑えている。
よく見れば指の間から血が滴って、床にはいくつもの点が広がる。
暗い明かりの下では光が反射されず、まるで床に穴が開いたように見えた。
「アキ君何を差し出したの?」
平坦な姫野の声。
対してアキは短く返した。
「左目です」
「ああ~目は痛いし痒いしで最悪だよね~」
アキの返答を聞いた姫野は、オーバーリアクション気味に項垂れた。
それから上目遣い気味にアキに視線を向ける。
「大丈夫?痛む?」
「大丈夫です」
「あまり無理せんといてくださいよ、うちから連絡して痛み止めと適切な治療の手配をしておきますから」
明らかに強がりだったアキの言葉に、天童は呆れながらそう返した。
代償が左目だけと聞いた黒瀬が興味深そうにアキに尋ねる。
「左目だけですか?ホンマに気に入られたんですかね」
「俺の未来はそこそこ面白かったらしいからな」
「悪魔に面白い言われる未来なんて嫌ですねぇ」
アキの言葉に黒瀬は両腕を組むと、しみじみと頷いた。
未来の悪魔と契約を結んだアキは、そのまま病院へとトンボ返りしていた。
今は取られた左目へ適切な処置を受けている。
姫野は静かな廊下でアキの処置が終わるのを待っていた。
どこか遠くで子供の泣く声が聞こえる。
小児科が近いのだろうか。
手持無沙汰に煙草の箱をくるくると回したり、蓋を開け閉めしている。
しばらく待っていると扉が開いた。
アキの左目には白いガーゼが当てられており、その上からアイシールドを被せられている。
姫野はその姿に昔日の記憶が蘇った。
アキと初めて出会った時の自身の姿が丁度こんな感じだった。
あの頃は肩に着くくらい髪を伸ばしてたっけ、なんてことを考える。
「ん~」
「何してるんですか姫野先輩」
何やら唸りながら、親指と人差し指を四角いカメラのフレームに見立てて覗き込んでくる姫野に、アキは呆れたような声を出した。
彼女はいっぱしのカメラマンを気取っているのか、様々な角度から見てくる。
「美形の条件ってのはシンメトリーなんだって」
姫野はフレームに見立てていた指を解くと、重心を片足に寄せながら腰に手を当てる。
背の高い彼女のその仕草は様になっていた。
「あてにならない話だったけどね」
「そうですか」
そう言って笑う彼女に、アキはいつものぶっきらぼうな言葉で返す。
不意に姫野はアキに近づくと、包帯の巻かれている部分に手をかざした。
優しく撫でるような手つきで触れる。
「痛む?」
「疼痛がある程度ですね、痛み止めを処方されたので飲めば痛みも引くでしょう」
「そう……アキ君は……」
「……姫野先輩?」
アキが彼女の名を呼ぶが、言葉の途中で口を閉ざした彼女からの反応がない。
二回、呼吸するくらいの時間の後に姫野は手を下ろした。
小さな靴音を立てながら、二歩離れる。
「ううん、何でもないよ」
彼女が言葉を飲み込んだのは明らかだった。
何となく、飲み込んだ言葉が分かった気がしたアキは何も言わない。
視線を床に向けて、目を合わせることもしない。
姫野がどんな顔をしていたのか、アキには分からなかった。
「なぁ、あれホンマにデキてへんの?」
「デキてへん言うてんならデキてへんのやろ」
姫野とアキのやりとりを見ていた二人がいた。
黒瀬と天童の二人だ。
彼等は送迎のために来ていたのだが、なんだか微妙なタイミングで来てしまっていた。
なんかいい感じの雰囲気になっている二人の間に割って入る勇気は無かったし、そこまで空気の読めない無粋な大人でも無かったために立ち往生している。
早く終わらないかな~と考えながら遠巻きに眺めるのが精々だ。
「なぁ天童、もし俺とお前があんな感じに怪我したとして、おんなじこと出来るか?」
天童は黒瀬の言葉にちょっと想像力を働かせた。
後悔した。
「……無いわ。キモ過ぎてサブイボ立つわ」
「マジ?ちょっと見せて」
「見せるかボケ!変態!」
スパァン!と小気味よい音が黒瀬の頭から鳴った。
二人が騒いでいると、流石にアキと姫野も気付いたようでこちらに近づいてくる。
ある程度まで近づくと、アキは頭を下げた。
「黒瀬さん、天童さん、お二人とも本日はありがとうございました」
アキの言動に、後頭部をかきながら黒瀬は呆れた顔になってしまう。
「気にせんといてくださいよ、俺達だって仕事なんですし」
「そうですよ、むしろうちらは地獄へ後押しした側ですよ」
「それでも、です。指導に来てくれたのがお二人で良かったと思ってます。お陰様で良い悪魔と契約が出来ました」
そう言い切るアキに困ったように、黒瀬と天童の二人は視線を合わせていた。
目を閉じれば、あの真っ直ぐな眼差しが今も瞼の裏に焼き付いている。
再び目を開くと、視界はいつの間にか流れる町の色に塗り替わっていた。
(――なんて事があったんがもう懐かしく思えるわ)
そんな感慨を抱きながら、助手席に座る天童は内心ため息をついた。
乾いた走行音が天童の耳を低く鳴らしている。
窓の外を飛ぶように過ぎていく街路樹の影が、ダッシュボードの上を規則正しく横切っていった。
今は黒瀬がハンドルを握り、姫野とアキの二人は後部座席に座っている。
車内ではタイヤの走行音とエアコンの作動音、そして黒瀬がアキに話しかける声が聞こえていた。
話の主軸は、銃の悪魔を本気で倒せると思っているのか、というものだ。
また始まった。と天童は嫌気がさした。
お節介を焼くのは黒瀬の悪い癖だ。
きっと、さっきお礼を言われて情が移ったのだろうと天童は察した。
姫野をサイドミラー越しにチラリと覗き見ると、黒瀬を見る目が冷たいのが分かる。
腕も足も組む彼女の姿勢は、拒絶の意思表示のようであった。
さっきまでいい感じだったんだからそのまま帰れば良かったのに、という思いが天童の胸をよぎる。
そんなことしなくてもいいだろうに、時には優しい言葉を、時には厳しい言葉を黒瀬はかけるのだ。
そしてお節介を焼いた奴が死ぬと傷つく。
そんな風に傷つくことが分かっているのなら、そもそもお節介なんて焼かなければいいのに、と天童は考える。
だって、そうやって誰かと深く関わって傷つくのは、何よりも酷く痛む事を知っているから。
だけど黒瀬はまともな人間だから。
だから何度痛い思いをしても人と関わろうとして、彼女も出来て、帰る場所も作れたのだろうと彼女は考えていた。
前へと、進んでいる。
そう言えば結婚予定日はいつだったか、祝いの品でも買ってやるかと意識を飛ばしていた天童に黒瀬が話しかけてきた。
「ほら、サブイボ立っとるやろ?」
「立ってへんわ」
腕をまくって見せてきた黒瀬に天童は短く返した。
巻き込むのはよして欲しいと、彼女は心の中で叫んだ。
後ろのお姉さんが怖いのだ。
その後はアキも言われっぱなしではないようで、自身の覚悟を黒瀬へ語っていた。
その口調は激しいものでも熱のあるものでもなく、淡々としていて、どこまでも何でもないような事を語るような静かな言葉だった。
ああ、そうかと天童は察する。
おそらくは黒瀬もそうだろう。
ただ恨んでいるわけじゃない。
きっと早川アキの時間は十一月十八日、午前十時で止まってしまったままなのだろうと。
それから車内ではしばらく無言の時間が流れた。
死ぬほど気まずい時間だった。
ようやく本部前に到着すると、黒瀬がアキに缶ジュースを投げ、特異課には気を付けろ、なんて言葉を送るのを天童は助手席で眺めていた。
青春って感じでいい感じに終ろうとしている黒瀬に、じろりと天童は視線を向ける。
文句の一つも言いたい気分になっていた彼女は、低い声で小さな苛立ちをぶつけた。
迷惑をかけられたのだから小言の一つは許されるだろう。
「そうやって人巻き込むのやめてくれへん?」
「ん?なにがや」
運転席に戻った黒瀬はキョトンとした顔でこちらに視線を向ける。
彼はいつもこんな感じでとぼける。
これをされると、これ以上小言を言うのも大人げなく感じてしまって文句も引っ込む。
天童は大きなため息を一つ吐いた。
「分かってるくせに……ホンマ意地悪いわ」
天童がそう言うと、黒瀬は一度首を傾げてから視線を前へと向けハンドルを握る。
だが彼女は見逃さなかった。
この男は正面へ視線を戻す一瞬、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべたのだ。
まるで悪戯が成功した悪童のように。
もう怒る気力もない天童はもう一度、大きなため息を吐いた。
「どう?まだ痛む?」
「薬が効いてるのか今はそこまで痛くはありませんね」
デビルハンター本部前まで送られ、車を見送った姫野とアキの二人は通行人の邪魔にならないよう、生垣の傍で立ち止まって話をしていた。
改めて痛みが無いのか尋ねた姫野に、まだ少し熱を持つような痛みはあるものの、大丈夫だとアキは返す。
「そっかそっか……じゃあアキ君、はいこれ!」
「これは……?」
姫野が差し出した手に乗せられていたのは黒い布だった。
受け取ると、滑らかで心地いい感触が指先に伝わる。
いつまでも触れていたくなるような、冷たい水のような手触り。
不思議と心安らぐような、心地の良い手触りだった。
「眼帯だよ、私の予備を上げる」
「いいんですか?」
「いーのいーの、片目は不便なこともあるしこれから大変だろうけどさ、慣れたらそうでもないよ」
「……ありがとうございます」
アキはそう言うと、姫野に向けていた視線を手元の眼帯に落とした。
黒色の同色地紋が施されているようで、指先には模様の境界で生まれるさらさらとした感触と、ざらざらとした感触の違いが伝わる。
一見、何の変哲もない濃い墨色の眼帯は、よく見ると光の当たり加減でカラスの濡れ羽色のような光沢が、美しい花模様となって仄見える。
光にかざせばそっと、ともすれば誰にも気づかれないように、密やかに咲き誇っているようだった。
手元の眼帯から視線を上げると、姫野はなんだか満足そうに微笑んでいた。
「なんだか嬉しそうですね、姫野先輩」
「これでぴったりなバディになったなって思ってさ」
「ぴったり?」
彼女の言葉にアキが不思議そうにそう返すと、姫野は自身の眼帯を指し示す。
「アキ君は未来の悪魔と契約したわけでしょ?で、私は幽霊の悪魔と契約してる。ほら、幽霊って要は過去の残響みたいなものでしょ?」
そういうと彼女は首を傾げた。
その拍子に日の光が彼女の眼帯に吸い込まれると、弾かれた光が暗闇に大輪の花を咲かせた。
今までずっとそばにいたのに気付かなかった。
こんなに近くにいたのに。
今まで両目で見ていた世界は広すぎて、すぐ近くにあったものが見えなかったのかもしれない。
隻眼になってから気付くなど、とんだ大間抜けだと自嘲の念が浮かび上がる。
「未来のアキ君と過去の私でぴったりじゃん」
姫野は眼帯を指していた右手を腰に当てると、まっすぐその左目でアキを見つめた。
「アキ君」
静かな声。
アキは目が逸らせなかった。
病院では逸らせた視線が逸らせない。
彼女の瞳にまっすぐ射抜かれ、体が動かない。
「お揃いだね」
そう言ってにこりと笑う彼女が、アキには眩しくて。
つい、目を細めた。
過去と未来を、優しく包んで