コベニちゃん気付いたら鳴き声出してばかりで草。
なんでや。
アキと姫野の二人が沢渡と戦闘を始めている頃、デンジとパワー、そしてコベニの三人はエレベーターで上階へと上がっている最中だった。
パワー、デンジ、コベニの順で並んで立っている。
はぁ、とコベニの口から溜息が漏れた。
彼女が吐いた溜息の数は、本日だけでここ最近の最高記録を更新し続けている。
「はぁ……おうち帰りたい」
「そんなに帰りたいなら帰っちゃえばいいじゃん」
コベニの独り言にデンジが反応した。
否定しないその言葉は、コベニにとって有難いものであると同時に、容易く受け取れるものでもなかった。
彼女には帰れない理由が、戦う理由があるのだ。
「うぅ……でも、そろそろボーナス出るから……」
「ふ~ん……あっ、てことは俺もボーナス出るのかな」
その理由とはボーナス、つまるところ金だ。
しかし彼女にとっては切実なものだった。
彼女の実家は闇が深いのである。
「デンジ!ボーナスが出たらワシに美味いものを奢れ!」
二人の話が耳に入ったパワーはデンジにそう言って奢りを要求してきた。
その手にはゾンビの片腕が握られており、彼女は時折それに嚙り付いてべりっと食い千切っては飲み込んでいた。
今も口の中で人肉を咀嚼しながら話しかけてきている。
デンジもコベニもドン引きだった。
「エ~?ヤだよ、なんか腕食ってるし」
「ヒエェ」
「ああ?肉は肉じゃろ!豚も牛も人も同じ肉じゃ!」
二人の反応に、パワーは不服であると態度に出していた。
ポコポコとデンジを空いている方の腕で叩いてくる。
力加減的にはポコポコというより、ボコボコという感じだったが。
「じゃあ俺別に奢らなくてもよくね?ゾンビ食ってりゃいいじゃん」
「人の肉はクソじゃ!こんなもの!えい!」
「ひょええぇぇ!」
パワーの言葉を聞いたデンジがそう言った瞬間、パワーはその手に持っていた腕を思い切り床へと叩きつけた。
床に叩きつけられた腕は、一回跳ねた後、壁にぶつかるとコベニの足元に滑り込んできた。
いきなり足元に腕が転がってきたコベニは、たまらず悲鳴を上げた。
「高貴なワシには最高級ランクのビーフステーキが似合う!食わせろ!」
髪を掻き上げながらそう言ったパワーに、デンジもコベニもドン引きである。
そうこうしているうちに、ポーンという電子音と共にエレベーターの扉が開いた。
開かれた先の廊下には、夥しい数のゾンビたちが犇めき合っていた。
これには流石のデンジも唾を飲み、コベニは自身の口を両手で押さえ込んだ。
「……おい、こいつら俺たちに気付いてねぇ。ここは静かにやり過ごすぞ」
デンジが小声で二人に伝えると、コベニは小動物じみた動きで、コクコクと全力で首を縦に振った。
だがもう一人の女は口元に悪魔めいた笑みを浮かべる。
「ワシの名はパワー!勝負じゃ!」
天にも届かんとばかりに拳を振り上げたパワー。
ゾンビたちを自分より格下と判断したパワーが躍り出たのだ。
「はあ!?」
「ええっ!?」
「デンジ、チビ女、ワシについてこい!」
驚きのあまり、思わず声をあげた二人に振り返ると、パワーはついてくるよう命令してきた。
「あっあっ、えと!わ、私……」
何か言おうとするコベニだったが、衝撃のあまり上手く呂律が回らない。
言葉にならない思いを必死に紡ごうとしたが、睨んでくるパワーの圧に負けてしまい、彼女は渋々エレベーターを降りた。
「ううぅ……」
「後ろは任せるぞ!」
肩を落とすコベニの様子に満足げに笑ったパワーはそう言うと、血の武器を生成し、ゾンビたちへと吶喊していった。
そんなパワーを見て、ホントに帰ればよかったと思うコベニは、デンジの気配がしないことに気付いた。
思わず振り返ったコベニの視線の先には閉まり始めるドアと、コベニに視線を向けるデンジ。
「ひょっ、エっ!?」
エレベーターから降りていなかったデンジに、驚きから思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
こちらを見るデンジ。
声も出ず目も口も大きく開けることしかできないコベニ。
見つめ合う二人の間でドアはゆっくり閉まっていく。
冷めた目で見てくるデンジ。
ムンクの叫びのような表情になるコベニ。
やがて完全にドアが閉まると、エレベーターは上へと上がっていく。
コベニは閉まったドアを見つめて、ただただ呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。
背後からはパワーの楽しそうな声と、肉が斬られては血が飛び散る音が聞こえる。
それをどこか遠くから聞いているような気持ちで、コベニはがっくりと肩を落とすとぽつりと呟いた。
「かえりたぁい……」
ポーン、と電子音が鳴る。
エレベーターが到着して扉が開くと、そこには若頭――今はサムライソードと公安から名付けられた男がいた。
両脇には銃を構えた手下の男たちを従えている。
開いたドアからデンジの姿を認識した瞬間、サムライソードの両目が驚きに大きく見開かれた。
「なっ!?クソデンジ!テメェどういうことだ……!確かに心臓以外は全部ゾンビ共に食わせたはずだぞ……!」
「げぇー、あのゾンビの悪魔とやってること同じじゃん……」
サムライソードの言葉に、過去の記憶が蘇ったデンジは思わず舌を出した。
「しぶとい野郎だ……まさか心臓から生き返るとはな……」
「俺ぁ生き返るぜ、マキマさんのためなら幾らでもな」
「そうか……女のためか……ふっ……くくくっ……」
「あ?何笑ってんだよ」
デンジの言葉に、サムライソードは堪えきれないといった様子で笑う。
訝しむデンジに嘲るような表情をサムライソードは向けた。
「いや、納得がいったんだよ……なぁデンジ、お前ゾンビを殺してここまで来たんだろ?少しは心ってもんが傷つかなかったか?助けたいって思わなかったか?」
「……もうゾンビんなっちまってたら助けらんねぇだろ」
「……っは、普通はな、もしかしたら助かるかもって思うもんだ。なによりゾンビも元は人間……躊躇して当たり前なんだよ」
デンジの言葉を鼻で笑うと、サムライソードは自身の右手を胸元へと当てた。
彼は抑揚の少ない、低い声で言葉を続ける。
「俺も半分悪魔みたいなもんだけどな、それでもまだ半分は人間なんだよ。たとえゾンビでも殺せば心も痛むぜ……だがお前は違う。人殺してもちっとも痛まないんだろ?女のためにここまでするなんて普通じゃねえ、もうお前はバケモンなんだよ。その女だってお前の事を不気味に思ってるだろうよ。気持ち悪いだろ、そんなやつ」
「……」
普通。
ゴミ溜めで夢見た言葉。
その言葉が引っ掛かる。
サムライソードの言葉に、デンジは静かに耳を傾けていた。
「なぁデンジ、お前もそう思うだろ?俺はただお前が死ぬ前に、じいちゃん殺したことを謝罪して欲しいだけなんだよ」
両脇に控えた部下は、デンジに銃を構えたまま石像のように動かなかった。
サムライソードは両手を広げる。
まるで教えを説く牧師のように。
正義を説いていた。
「少しでも人の心があるならここで俺に大人しく殺されてくれないか?悪い事をしたら謝って、罰を受ける。それが真っ当な人間ってもんだろ?」
デンジは考えた。
考えたが、シリアスなことは考えないのが一番だ。
それに、自分が死ぬのが前提にあるのも気に食わなかった。
「ん~……ヤだ!」
「そうか……」
くくく、と喉の奥を震わせるように笑うと、次の瞬間、それまでの落ち着きが嘘かのように激高した。
「じゃあぶっ殺してやるよ!!」
「ボコボコにされたの忘れたのかよバァーカ!!」
抜かれた刀が空気を切り裂く高音と、爆ぜるようなエンジンの重低音が廊下に反響する。
肉が裂け、血が床に飛び散ると二人は異形の姿となっていた。
次の瞬間、二人は激突する。
その衝撃は凄まじく、上下を含めたフロア全体が震えた。
やがて二人は長い廊下を移動しながら切り結び始めた。
途中、サムライソードの手下がこの斬り合いに巻き込まれて絶命したが、二人の意識の端にも上らなかった。
やがて二人はビルの壁を突き破り、戦場は屋外へと移る。
重力に引かれて落下する中でも攻撃は止まらない。
瓦礫の雨の中、二人は火花を散らしてもつれ合うように激突を繰り返した。
「俺に殺されたことを思い出させてやるよ!」
「不意打ちだろーがよ~!」
地面に向けて蹴り飛ばされたデンジは、ビルの屋上に叩きつけられた。
その衝撃でクレーターが生まれ、タイルが弾け飛ぶ。
そこへサムライソードが落下の勢いのまま切り込んできたのを、デンジは間一髪横へ飛ぶことで回避するのに成功する。
回避したデンジへ向け、間断なく刀を振るうサムライソード。
以前の戦いと比べるとその動きは明らかに洗練されていた。
「なんか前より強くなってねえか!?」
「初めての戦闘で慣れてなかっただけだ!」
「そうかよ!」
「今度こそ俺がじいちゃんの仇を討つ!」
言葉と共に刀が振り下ろされた。
元の力が強いのか、サムライソードの一撃一撃はビリビリと腕が痺れるほど重く、デンジは攻撃を受ける度にたたらを踏み後退する。
次々と繰り出される連撃を凌ぐが、腹に蹴りを受けてしまいデンジは大きく吹き飛ばされてしまった。
そこに追撃として更に蹴りを繰り出されるが、吹き飛ばされないよう踏ん張りながら腕を交差することでデンジはこれをなんとか防ぐ。
蹴りの衝撃でデンジは土煙を上げながら地面を後ろへ滑り、手摺にぶつかることでようやく停止した。
「……じいちゃんじいちゃんうるせーな~……仇だか何だか知らねぇけどよぉ、俺だってムカついてんだぜ……」
「ああ……?」
「聞いたぜ、俺がテメーに殺されてから何日も経ってるって……何日もありゃあよぉ……マキマさんとよぉ……」
攻防の最中もデンジはイライラしていた。
サムライソードの言葉もあって、彼の中にあったイライラは、際限なく膨れ上がっていた。
いいように戦闘を圧され続けたことで、ついに爆発する。
「もっとイチャイチャできたっつ~のによおおオオォォォッ!!」
ヴヴヴヴギギギギイ”イ”イ”イ”ィィィィ!!
魂の絶叫。
怒りの咆哮。
天に吠えるデンジの怒号は、空気を震わせた。
チェンソーの回転は彼の荒ぶる心を表すように、今までにないほど激しさを増している。
スリットから覗く橙色の妖しい輝きは、危険な色を孕んでいた。
「知るかクソ野郎……!てめぇもマキママキマうるせぇんだよ……!」
対するサムライソードも怒りを露にした。
彼からすればデンジは最愛の祖父を殺した仇でしかない。
その仇がそんな理由で激怒しているのは、彼の神経を逆撫でするだけだった。
デンジが獣のように深く身を沈ませるのと同時、サムライソードも前傾姿勢を取る。
「俺ぁ今バチギレてんぜぇ……!」
ヴヴン。
引かれたスターターから低いエンジン音が唸る。
エンジンを鳴らすと同時、デンジは驚異的な脚力で旋風のように駆けた。
思い返せばマキマは手を繋いで寝てくれたし、デートもしてくれたし、あーんだってしてくれた。
本当に不気味で気持ち悪いと思っていたなら、そんなことしないだろうとデンジは考えた。
マキマさんの事知りもしないくせに好き勝手言いやがって。
デンジの怒りを燃料に、ボルテージがチェンソーの回転と共に上がっていく。
「逆ギレしてんじゃねぇぞクズが……!」
サムライソードも迎え撃つように駆け出した。
互いに全力の疾走。
相対速度は上限無く跳ね上がり、両者が衝突する。
その衝撃は凄まじく、遠く離れた窓ガラスがビリビリと震えるほどのものだった。
チェンソーと刀は激しく鬩ぎ合い、お互いに一歩も譲らない。
激しい火花が異形の二人を明るく照らし出した。
「もっとアタマ使った方がい~ぜ!こんな風によォ!」
言うやいなやデンジは、拮抗していた押し付け合いに三つ目のチェンソーを繰り出した。
頭部のチェンソーを使った頭突きがサムライソードの右胸に突き刺さる。
回る刃が肉を掻き出す激痛に、たまらず悲鳴が上がった。
「ぐああぁっ!」
「ウハハハ!ウへヘッウハハハハハ!」
ヴイ"イ"イ"イ"イ"ギィ"ィ"ィ"ィ"ィ"!!!
悲鳴を上げるサムライソードにグイグイと首を伸ばし、頭のチェンソーを押し込んでいった。
チェンソーの回転数も、デンジのボルテージと共にどんどん上がっていく。
ゆっくりと、だが確実に体内に入ってくるチェンソーに、悍ましい冷たさを感じたサムライソードは無理やり隙間に足を捻じ込むと、思い切り蹴り飛ばした。
「このっ!バカのくせに!」
「あ!?バカって言う方がバカって事も知らねェのかよ!?こっちは毎日教育テレビ見てんだ!オメーの方がバカだバーカ!」
「ああくそ!頭が痛くなる……!」
バカの言葉に、思わず頭を抱えたくなるサムライソード。
子供の口喧嘩のようなやり取りの間にも殺し合いは続いていた。
空を切り裂く刀と空を抉るチェンソーが打ち合えば、独特な金属音を掻き鳴らす。
一手でも間違えれば負けに直結するこの切り合いに、デンジとサムライソードは心臓が痛むほどの激しい鼓動と共に興奮を覚えていた。
デンジが超人的なバネで高く跳躍する。
迎え撃つためにサムライソードが足を広げて腰を落とすと、空中でデンジは自身の腹を抱えるような奇妙な姿勢を見せた。
サムライソードが訝しむ間もなく、その疑問は不快な答えとなって降り注ぐ。
「ッラァ!」
掛け声と共に、空中のデンジは自らの腹をチェンソーで捌いた。
チェンソー切腹だ。
殆ど背骨だけで繋がった状態のデンジの腹から、綺麗なピンク色の光沢をもつ内臓が鮮血と共にサムライソードの頭上でブチ撒けられた。
「なあぁ!?」
しっかりと腰を落として迎え撃つ気だったサムライソードは、上空から降り注ぐ臓物シャワーを避けることが出来ずにまともに受けてしまった。
降り注いだデンジの血によって視界が真っ赤に染まる。
不快な感触と共に内臓が体に絡みついた。
「カウボーイに引きずり回される盗賊の気分を味わわせてやるよ!」
背後からそう聞こえるとほぼ同時、サムライソードの体は後ろへ引っ張られる。
思ってもみなかった方向からの引力に、たたらを踏むことすらできず背中から転倒した。
「いっでえええぇぇぇ!!」
事前にエンジンを吹かしていたデンジの傷は、飛び出た内臓を除いてほぼ治っている。
自らの腸をロープ代わりにするデンジは、激痛に悲鳴を上げながら容赦なくサムライソードを引き摺りまわし始めた。
「クソデンジテメェッ!そんなに痛ぇならとっととコレ解きやがれ!」
威勢よく叫ぶサムライソードだったが、無様に引き摺られる姿は滑稽だ。
デンジは脳みそに注がれる痛みのパルス信号とアドレナリンの科学的カクテルにより、先程からずっと笑いが止まらなかった。
実のところ腸というのは表皮のような痛みを感じないが、内臓痛という特有の痛みを感じる。
これは皮膚から感じるような鋭い痛みとは違い、重く響く類の痛みで、脳を直接掻き回されるような痛みとも比喩される事がある。
つまるところ今のデンジは、頭がパーになっていた。
「ウハハハ!前に犬に引っ張られたことがあんだけどよ〜!意外と動けねェんだよなァ~!」
そう言うとデンジはチェンソーを足から出し、回転の勢いを利用して疾走を始めた。
チェンソータイヤだ。
永遠の悪魔との戦いで編み出したこの技は、空間に制限のない今なら秘められたポテンシャルを限界まで引き出すことが出来た。
「ギャアーッハハハハハ!手も足も出ねーだろ!」
疾走、飛ぶ、走る、跳ねる。
引き摺る、叩きつける、引き倒す、打ち付ける。
犬が人形で遊ぶように、サムライソードを好き放題に引き回すデンジ。
犬みたいに舌もしまえずビロビロ出ている。
ゲラゲラと笑いが止まらない。
チェンソーの回転も止まらない。
「放せオイッ!スッゾゴラァ!」
サムライソードは度々喉の奥でくぐもったような悲鳴を上げながらも、腸ロープから抜け出そうと藻掻いていた。
しかし、この温かいうえに滑る気持ちの悪い腸は奇怪に絡まりあい、藻掻けば藻掻くほどに締め付けが強くなっていく。
縦横無尽に引き回されるサムライソードの視界に映る景色は目まぐるしく変わり続け、今自分が上を向いているのか下を向いているのかも、どこにいるのかどちらを向いているのかすらも分からなくなっていった。
チェンソーの刃が狂気的なまでに回転し唸りをあげ続け、エンジンは哄笑を上げるように吠え続けている。
「カウボーイって良いなぁ!俺もカウボーイになりてぇぜ!」
バイクが急加速するような暴力的な速度で、デンジは縦横無尽に駆け回った。
屋上から飛び出しビルの壁面を火花を散らして垂直に駆け上がったかと思えば、重力を無視するように壁面を横向きに疾走し、サムライソードでガラスを次々と割っていく。
ちょういいかんじ!
圧倒的な解放感にデンジは酔いしれていた。
ビルの屋上に再度降り立つと、デンジは引き回していたサムライソードを勢いそのままに壁へと叩きつける。
「ッカハッッ!」
どれほどの力が加わったのか、壁は亀裂を四方八方へ生み出しながら大きく内側へと歪んだ。
この衝撃で肺の中の空気が口腔から無理やり吐き出され、背骨が軋む音が頸椎を通してサムライソードの耳へ直接伝わる。
生き物が血を吐き出すように、壁からは粉塵が飛び出して視界を覆った。
異形の身故か憎しみ故か、これだけのダメージを負ってもなお彼の意識は明瞭であった。
人間であればとうの昔に肉塊になっていたであろう彼は、舞い散る粉塵の向こうにいるはずのデンジの姿を探す。
その行動が功を奏した。
舞い上がる煙の向こうから突如として、チェンソーの腕が猛烈な速度で飛来してきたのだ。
間一髪、これを防ぐ。
一瞬でも気付くのに遅れれば、今頃サムライソードの頭部に突き刺さっていた事だろう。
弾かれた腕は、ギュルギュルとチェーンが巻き戻される音を立てながらデンジの元へと戻っていった。
「ウハハ!油断すんなよな~!俺んチェンソーは刃渡り2億センチぐれぇあっからよ〜!」
笑いながらサムライソードに忠告するデンジの元へと戻った腕は、水っぽい肉同士を叩きつけ合ったような音を立てて一瞬で癒着した。
デンジは自切した腕をチェーンで繋げたまま、真っすぐサムライソードへ向けて投げたのだ。
チェンソーパンチだ。
遠心力を利用して投げつけられたデンジの腕は、軽車両程度なら容易く横転させられる威力を持っていた。
デンジの軽薄な言動とは裏腹に、攻撃の一つ一つには確かな殺意が込められている。
「んなもん刃渡りって言わねぇだろ……!」
デンジのめちゃくちゃな物言いに、思わずそう口にしたサムライソード。
壁にめり込んだ体を引き抜くと、痛みに軋む体をほぐすように首や体を軽く捻る。
何歩か歩くと立ち止まった。
平然と歩くサムライソードにデンジは呆れた声が出る。
「ったくしぶてぇな、悪モンならとっととブッ殺されろよな~」
早くマキマと会いたいデンジは、この戦いを面倒なものと感じ始めていた。
ピクリと、デンジの言葉にサムライソードは反応する。
「悪モン……?悪モンだと?どの口で……!」
震えるような声を出すと、やがてワナワナと体を震わせはじめた。
「馬鹿には分からねぇだろうがなぁ!俺たちヤクザは!日本を裏から守る正義なんだよ!!」
そう信じて疑わない言葉には、妙な威圧感が伴っている。
叫ぶと、サムライソードは沈黙した。
その沈黙は、鋭利な殺意をより研ぎ澄ますためのもの。
静寂。
睨みあう両者。
春から抜け出た風が、血の香りを運んで吹き抜けてゆく。
沈黙の中、静かに高まる緊張が臨界に達するのを二人は感じた。
居合の構え。
殺意が引き絞られる。
チェンソーが嗤った。
「待ってたぜ!そいつをよォ!」
言葉と同時、デンジの姿が消える。
言葉と同時、サムライソードの左腕が肩から切り飛ばされた。
「……な、ハァ!?」
「いちいち構えなきゃなんねぇとかノロっちいよなぁ~!」
気付いた時には既に、デンジはサムライソードの後ろへと背中を向けて立っている。
先程までデンジがいた場所には、地面が削られた跡があった。
訳の分からない現実に、サムライソードの思考が追い付かない。
反射的に彼は、またもや居合の構えを取った。
自身の誇る最速の一撃をもって、再びデンジに何かをされる前に殺そうとしたのだ。
しかし、エンジン音と共にデンジの姿が掻き消えたかと思えばまたも背後に現れ、今度は右腕が肩から吹き飛ばされてしまう。
「ぐう……っ!どうなってやがるッ!?なんで俺より早く動けんだ!」
両腕を切り落とされ、何が起こったのかも分からないサムライソードが怒鳴る。
その言葉に、背中を向けていたデンジが振り返った。
「あぁ~?知らねえのかぁ?ならバカにも分かるよう教えてやるよ!コイツは!」
愉悦を感じさせる言葉と共にまたもや姿が掻き消える。
瞬きをしていないはずなのに、気付けばデンジはサムライソードの眼前にいた。
まるでビデオのスキップのように、あるいは欠落したテープの部分が読み込まれずに次の場面に飛ばされたような、そんな現れ方。
驚きに息を呑むサムライソードに対し、デンジは獣のような牙を剥き出しにして叫んだ。
「キックバックっつうんだぜ~!!」
「ガアアッアアァァァ……ァ……!?」
言葉と共にデンジの足が振り上げられると、サムライソードの股間から脳天までを衝撃が走った。
体の中心線から血が間欠泉のように噴き出すと、やがてスープを床にひっくり返すような音を立てながら内臓が足元に零れ、体がゆっくりと左右に分かれ始める。
以前、岸辺との訓練の際にデンジは、マキマから様々なアイデアを貰っていた。
そのうちの一つがキックバック現象だ。
キックバックとは簡単に説明すると、回転の力が最も強くかかる先端部分。
そこに障害物が当たると、回転エネルギーがそのまま「跳ね返す力」に変わり、チェンソー本体を猛烈な勢いで上へ突き飛ばす危険な現象の事だ。
本来であれば制御不能な暴力的法則であるこれを、デンジは自身の新たな移動方法へと昇華させた。
初速から最高速度に至るこの移動方法により、デンジは岸辺へと傷をつけることに成功、合格を言い渡されていたのだった。
デンジから言わせれば「俺とマキマさんの合作」であるこの技は、彼のお気に入りでもあった。
「俺ぁ男と喧嘩するときゃ股間狙うって決めてんだ」
そう言うデンジの足元では、既に事切れたサムライソードが横たわっている。
デンジの喧嘩の作法は、悪魔の力によって殺人殺法へと至っていた。
サムライソードも、まさか自身の死因がチェンソー金的になるとは思いもしなかっただろう。
「あ~……」
どろどろと泥のように変身が溶けていく。
元の姿に戻ったデンジは、空を見上げた。
地面に広がる赤とは対照的な空の青さに目を細める。
どこまでも広がる突き抜けるような青、さらに深い場所には吸い込まれるような群青。
もし、本当に天国があるのならそこはきっと、怖い所なのだろうと思わせるほどに深い色。
まばらに広がる雲が、飲み込まれそうな自分を地上に繋ぎとめてくれている気がした。
「マキマさんに会いてぇなぁ……」
デンジの独り言は、誰に聞かれる事も無く風に連れ去られていった。
青白い顔をした一人の女が、壁に血の轍を作りながらも緩慢な動きで歩き続けていた。
肩からは血が危険な量流れている。
意識も朦朧としているのか、その視線は定まっていない。
それでもなお彼女の歩みは止まってはいなかった。
そんな彼女の視界に足が映った。
黒の革靴、黒のスラックス。
視界を上げれば絶世の美女が微笑んでいた。
「ぐ……支配の、悪魔……!」
「おや、私のことを知っているんだね」
「蛇、尻尾!」
沢渡はマキマの姿を認識した瞬間、即座に攻撃へと移った。
六回目。
残りは四枚。
しかし躊躇は無かった。
――だが、その抵抗はあまりにも。
「止まりなさい。これは命令です」
あまりにも、無意味だった。
そよ風が多少強く吹き付けたところで大木は倒れない。
小魚が決死の抵抗を試みたところで、鯨に呑まれる結末は変わりはしないのだ。
蛇の尻尾はマキマの目の前で止まる。
沢渡も指一本動かせない。
これがマキマの支配の力。
自身より下等と判断した万物を支配する力だった。
「お前はなぜ……人間を支配しようとするんだ……!支配の悪魔としての本能か……!?」
「人間が好きだから」
沢渡の血を吐くような問いに対して、マキマの答えはどこまでも簡潔でどこまでも無慈悲だった。
「私は私のことが大好きな人間が好き」
そう言って微笑む彼女の美貌は、沢渡にとって悍ましいものだった。
「私は人間に滅んで欲しくありません。来たる滅びは私が防ぎ、より良い世界で生きて欲しいのです」
沢渡には彼女の言っていることが良く分からなかった。
ただでさえ死の淵にいて気力だけで立っているような状態なのだ。
会話が成立していること自体が一つの奇跡ともいえた。
「その方法がソレか……!悪魔だろうがなんだろうが、何者の助けもいらない……!人間は人間だけで生きていける……!」
「それは傲慢ですよ」
「傲慢なのはお前の方だ……!滅びが来るのなら世界は人が守る……人の手で切り開き、人の足で踏みしめるべきなんだ……!人だけで、人の力だけで……!」
段々と、沢渡自身何を言いたいのか、何を言っているのかが分からなくなってきた。
言葉がバラバラになっていく。
だがその言葉の一つ一つには彼女の思いが確かに込められていた。
体の力が抜けていく。
気力だけで立っているのも最早限界だ。
沢渡は壁に寄りかかるとずるずると身をこすりながら腰を下ろした。
いつからか、体は自由になっていた。
「……それは孤独では?寂しいと思いますが」
「……はっ……自己紹介か?」
マキマの言葉を鼻で笑う彼女の視界は、最早マキマを映してはいなかった。
その目に何を映しているのかも、沢渡は認識が出来なくなってきている。
全身の力が入らない。
痛みも感じない。
ただ、心地のいい倦怠感が沢渡の体を包んでいた。
「……ははっ……勘違い、するなよ……お前の司るものが、好きな奴は腐るほどいるだろうさ……でも、悪魔を……お前自身を……好きになる奴なんて……いや……しな、い……」
小さく震えるような息が、言葉と共に吐かれた。
意識が落ちる間際、その刹那。
沢渡の胸に過去の記憶が去来した。
生きていた頃の家族の姿が蘇る。
名前を呼んでくれる父の低い声。
母が笑った時にできる目尻の皺。
お腹の空く夕餉の匂い。
伸ばした手は空を切る。
その手は血に濡れた地面を指でなぞるだけだったが、心だけは、あの暖かい家にあった。
(――お父さん、お母さん)
家族を呼ぶため微かに唇を動かすが、声はもう出ない。
全てが壊れる前の幸せだった記憶。
それが彼女が今際の際に見た光景。
その記憶に抱かれながら、彼女は重い瞼を下ろした。
最期にこぼれた一息は、ようやく家に帰り着いた子供のような、安堵に満ちたものだった。
息絶えた沢渡をマキマは見つめていた。
彼女の言葉を聞いてもマキマの表情に変わりはない。
微笑みが崩れることはない。
ただ、先ほどからしばらくの間、その場に縫い付けられたかのように立ち尽くしていた。
何かがつっかえているのに、それが分からない、もどかしい気分だった。
「……はぁ……」
ため息が一つ零れた。
楽しくない時は楽しいことを考えよう。
とある少年の言葉だ。
だからマキマは脳裏に一人の少年を思い浮かべた。
鋭い目つきをした少年を。
公安襲撃に端を発した今回の事件は、主犯格の逮捕を受け、着実に収束しつつあった。
制圧されたビルの中から手錠をかけられた者たちが出てくる。
周囲を警官に囲まれた彼等にはもはや反抗する気力もないのか、警官たちの言葉に大人しく従っていた。
邪魔にならない隅の方では、公安デビルハンターたちが集まっていた。
その中にはデンジもいた。
「お前たちよくやった。作戦終了だ」
岸辺の言葉に緊張が解ける雰囲気が広がる。
終了を告げられたことで、ようやく今回の事件が終わったことを皆が実感したのだ。
彼らの中には大怪我を負う者もおらず、皆表には出していないが、全員無事に再会できたことに内心安堵していた。
祭りが終わった後のような独特の雰囲気の中、公安デビルハンターたちが各々集まって話をしている。
デンジも輪に混じって話をしていたが、人垣の向こうから見慣れた姿を見かけると、そちらへと駆け出した。
「マキマさんじゃないっすか!こっち来てたんですね!」
「うん、来ちゃった」
自分を見つけた途端に笑顔で駆け寄ってきたデンジに、全力で駆け寄ってくる犬を幻視するマキマ。
自然と口角が上がった。
「デンジ君も無事戻ってきてくれて嬉しいよ」
「へへ……あ!そーだ聞いてくださいよ!俺サムライソードの奴、マキマさんに教えてもらった技で倒しましたよ~!」
「そうなんだ、それは嬉しいね。強かった?」
「んー……まぁ結構手強かったですけど、俺の方が強いですからね、ブイッと勝ちましたよ!」
デンジはそう言って笑みと共に、片手で勝利のVサインをマキマに向ける。
そんなデンジを見ていると、マキマは沢渡と話してから先程まで自分の中にあったつっかえが取れていくような気がした。
デンジのいない数日、彼女は久し振りに一人愛犬に囲まれて暮らしていた。
誰の体温も感じない夜を過ごして。
目覚めても横には誰もいない朝を迎えた。
自身の名を呼ぶ者のいない家。
一人で観る映画。
数日とはいえずっと何かが足りない日々。
彼女にはその何かが何なのかが分からなかった。
マキマはその手をデンジの顔へあてがうと、そっと撫でた。
「また家へおいで、ティラミスたちも恋しがってるからね。エクレアとミルフィーユなんて、デンジ君が買ったパンダのぬいぐるみの近くにずっといるんだよ」
「行きます!絶対!」
止まっていた彼の時計と、刻み続けていた彼女の時計。
二人の間に横たわる時間の溝は、触れ合う指先から伝わる熱によって、瞬く間に埋め尽くされていく。
重なり合う視線が、その断絶を橋渡ししていく。
寂寥の夜も、孤独な朝も、彼女の中に最早ありはしない。
日が沈みゆく空は、溶けだした琥珀のような黄金色をしていた。
沈みゆく太陽を追いかけて、昼と夜の境界を紫みを帯びた紺色のカーテンがゆっくりと愛撫する。
懐かしくも新しい二つの香りが、風に乗ってマキマへと優しく運ばれた。
今夜はきっと、よく眠れる夜になる。
沢渡「必要悪だ……」
マキマ「必要悪とは――」
ヤクザ「必要悪って知ってるかい?」
サムソ「ヤクザは正義!うおおおお!」