天使なデンジ   作:一般冒険者

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原作で見たかった姫野先輩とデンジ君の同盟関係、もし生きてたら二人は結構相性良さそうだし楽しそう。
書いてて思ったけどこれアキ姫とかタグ付けした方がいいのかなぁ。

それといまさらながらフリクリ見ました。
ヒロイン二人と主人公の関係や結末見て邪悪なフリクリってそういうことかぁ……ってなりました。
面白いのでもしまだ見てなかったらおすすめです。


十八話 記憶の肖像

晴れた休日の朝。

キジバトの歌声が聞こえなくなる頃、とあるマンション。

チャイムの音が静かな朝に響き渡る。

その音に反応したマンションの住人が玄関へと向かいドアを開けると、そこには早川家の姿があった。

 

「姫野来たぜー」

 

「姫野先輩、だ」

 

「なんじゃチョンマゲの家よりでかいのぉ……よく考えたらワシ、ここに住んでたかもしれん」

 

「皆いらっしゃーい」

 

口々に好きな事を言う彼らに姫野は朗らかに答える。

先日の作戦で怪我を負い、不自由な思いをしている彼女のため、本日彼らがやってきた。

提案者はデンジだ。

以前、姫野に朝食の招待を受けたことを忘れていなかった彼は、丁度いいと今回の事をアキに提案したのだった。

 

「これここに置いとけばいいか?」

 

「ありがとーほんと助かるよ!この体じゃ買い物も大変でさ~」

 

前日に買っておいた食料品の入ったビニール袋を、台所横に下ろしていくアキとデンジの二人。

両手を合わせて礼を言う姫野は、銃で撃たれた左足を引きずるように歩いている。

そんな彼女を見て、アキは普段通りの落ち着いた様子で口を開いた。

 

「なら姫野先輩は大人しく椅子にでも座っててくださいよ、あとは俺たちがやっとくんで」

 

「はーい……あれ?パワーちゃんは?」

 

アキに大人しくしているよう言われ、姫野は頷いた。

そこでふと、パワーがいないことに気付く。

視線を巡らすと、どうやらパワーはバルコニーに出ているようだった。

 

「人がゴミのようじゃ……」

 

「パワーちゃん、そっちは危ないからこっちおいで」

 

眼下の景色を堪能していたパワーを室内に呼ぶと、姫野は一緒にテレビを見ることにした。

丁度テレビでは『解決!手品探偵 ~タネも仕掛けもございます~』の再放送が行われていた。

普段はしがない高校生が、実は凄腕の手品師として事件の謎を解決していくという探偵もののアニメだ。

夕方にやっているアニメなのだが、休日の朝にも再放送されている。

事件解決を鮮やかにこなし、喝采と尊敬を集めるこのアニメは、パワーが欲しいものを主人公がものにしており、見ていて心地が良いとパワーのお気に入りとなっていた。

パワーは早速テレビにかじりつくと大人しくなった。

そんなパワーの様子に頬を緩めると、姫野の視線はキッチンの二人に向けられる。

 

キッチンではアキが包丁を使い下準備を、デンジが火の面倒を見ていた。

鯖の身に飾り包丁を入れると、アキは臭み取り用の酒を探すも見当たらない。

戸棚を覗き込むもそこには無いようだった。

キョロキョロと探していると、左側から料理酒を持った手が視界へ伸びてきた。

見ればデンジが片手には料理酒を、もう片手には塩を持っていた。

 

「俺も昔よォ、右目売って眼帯つけてたから分かるぜ。慣れねェと見づれえよなぁ」

 

「……助かる」

 

アキは一言そう言うと、デンジから調味料を受け取る。

 

「へー、デンジ君料理も出来るんだ?」

 

「朝メシとか晩メシ用意したりするぜ」

 

「たまにだけどな」

 

「しないよかいーだろ」

 

「何か……二人並んでそうしてると、兄弟みたいだね」

 

二人のそんなやり取りを眺めていた姫野が何の気なしにそう言うと、ピクリとアキの手が止まった。

だがそれも一瞬の事で、すぐに調理へと戻る。

 

「なに言ってんですか」

 

トントン、と再び刻まれるリズムが、少しだけ前よりも速くなる。

呆れたようなその声音は少しだけ、柔らかかった。

 

 

 

 

「わお、本格的だ」

 

「冷めないうちに食べちゃいましょう」

 

アキの言葉も上の空。

瞳を輝かせた今の姫野は目の前の料理に釘付けだ。

テーブルの上に並べられたのは、鯖の味噌煮とだし巻き卵、キュウリの浅漬けに豆腐と長ねぎの味噌汁といったTHE・和食。

一人暮らしを始めて以来、こんなにしっかりとした朝食が食べられるのは久し振りだ。

姫野は怪我をしたことにさえ感謝した。

アキ、デンジ、姫野の三人は両手を合わせて挨拶をすると、箸を取って食事を始めた。

パワーは既に掻っ込む勢いでガッツいている。

 

姫野は早速、濃褐色の照りを見せる鯖の表面に箸を通す。

ふっくらとして艶やかに光る鯖は、煮汁を吸った皮目がわずかに抵抗し、その後繊維に沿って乳白色の身がホロリと崩れた。

脂の乗った身を湯気の立つ白米の上に乗せ、米と一緒に口へ運び噛み締める。

瞬間、顎が痛むほどのうま味とまろやかさが口内へとあふれ出し、舌は幸福に包まれた。

姫野は思わず瞳を閉じると、この本能へ至る恍惚感に身を任せる。

咀嚼するたびに米からは甘みが溢れ、鯖の肉感と共に口内を満たす。

やがて飲み込むが、その瞬間の喉を通る感触すら快楽だった。

 

「んー!おいしい!」

 

幸せそうな笑顔を浮かべる姫野は、ブルりと身を震わせるとそう感想を口にした。

一度口の中をリセットするために味噌汁を一口含むと、味噌の風味が広がり、すっと口内の余韻を胃へと運んでいった。

温かい汁が胃へと届くと、まるで内臓が風呂に浸かったような心地よさに包まれる。

あまりの心地よさに、思わずほぅっと溜息をついてしまった。

 

続いて姫野はだし巻き卵へと箸を伸ばした。

あらかじめ食べやすいサイズに切り分けられていたものを一切れ掴むと、圧力を受けてジワリと透明な出汁の滴が断面から滲み出し、それを口の中へと招く。

噛めばふわふわでありながら、しっかりと噛み応えのある食感と共に、甘めの出汁が舌の上で跳ねた。

程よい甘さのそれは米の甘さとはまた違ったもので、体に活力がみなぎるような気さえする。

故郷の味に比べれば随分と甘さは控えめだったが、甘い卵焼きが好きな彼女好みの味だ。

アキが自分のために作ってくれた朝食ということもあって箸が止まらなかった。

 

「……姫野左手に力入んねぇの?」

 

ゴキゲンな様子でご飯を食べていた姫野を見たデンジが、ふとそんなことを言った。

デンジの言葉に、アキも釣られて姫野の左手に視線を向けると確かに彼女はお椀を持たず、机の上に置いたまま倒れないよう抑えるだけ。

思えば、味噌汁を飲む時も上半身を折り曲げる様にして飲んでいた。

 

「そうなんだよね、お風呂入んのも大変でさー」

 

「ふーん……じゃあアキが手伝ってやれよ」

 

「なんで俺が……」

 

瞬間、姫野とデンジの鋭い視線が交差する。

 

「えー手伝ってくれたら助かるんだけどなぁ」

 

「いや、先輩も何で乗り気なんですか」

 

「チョンマゲはムッツリじゃからのお、襲われるかもしれんぞ?」

 

パワーからそのような言葉が飛び出した。

勿論パワーは何も知らないし、何も考えていない。

 

「えーっ!アキ君私の事襲うの!?」

 

姫野はパワーの言葉を利用しアキへと迫る。

 

「襲いません!」

 

「じゃあいーじゃねえか、怪我人だぜ」

 

「アキ君……ダメ?」

 

デンジからの追撃に続いて、ここぞとばかりに姫野は潤んだ瞳を演出した。

普段快活な女性が怪我を負い、弱っている姿を見せ、自分に甘える。

これは精神攻撃だ。

恐ろしい。

アキはうっ、と息を詰まらせると、視線をテーブルの木目や姫野の撃たれた部分を往復するように泳がせた。

 

逡巡している。

 

アキの揺れる心の内が、姫野には手に取るように分かった。

しかしここで姫野(狩人)は焦らない。

あまり押しが強いとアキ(獲物)が逃げてしまう可能性があるからだ。

故に待つ。

 

無害を演出し、疑似餌を揺らし、息を潜めて待つ。

 

「はぁー……分かった、分かりましたよ……」

 

やがて大きく、深いため息を吐くとアキはそう言った。

かかった!

思わず内心でガッツポーズをかました姫野はしかし、その感情をおくびにも表には出さない。

 

「本当?ありがとうアキ君、それとごめんね?急にこんなお願いしてさ」

 

「もういいですよ、気にしないでください」

 

それどころか狡猾なハンターである彼女は、しおらしくアキに感謝と謝罪の意を伝えた。

これにより、アキへ心理的な楔と責任感を打ち込んだのだ。

 

(コワ~……)

 

この日女の恐ろしさと強かさを生まれて初めて目の当たりにしたデンジは、一連の流れを見て感心と恐怖を同時に感じるという珍しい体験をした。

 

 

 

 

 

 

「姫野暇だろ?ジャーン、すごろく持ってきたぜ」

 

食事を終えた後しばらく雑談をしていると、デンジがその両手に掲げた箱を見せながらそう言った。

デンジが持っているのは所謂人生ゲームと呼ばれるもので、大抵のおもちゃ屋で売られているボードゲームだ。

 

「お、いいねぇ皆でやろうか」

 

デンジの提案に姫野が乗る。

普段デビルハンターとして働いている彼女にとって、平日の日中に流れるテレビは退屈なものだった。

正直、暇を潰せるのならなんでもありがたいのだ。

 

そうして始まったゲーム。

アキと姫野は大きく得をすることは無いが損することもなく、順調に、だが着実に駒を進めていく。

ただ、アキは淡々と進めていくのに対し、姫野は何かあるたびにリアクションがあったのが二人の違いくらいだった。

 

対して絶望的だったのはデンジだ。

ルーレットを回しても悪い事ばかりが起き、手持ちの金は減るばかり。

ついには借金を背負う羽目に。

ゲームでも借金をしたデンジは、口をへの字に曲げて苦い顔をしている。

 

そしてパワーは終始優勢だった。

ルーレットを回すたび、彼女にとって都合のいいマスに止まり手元のお金がどんどん貯まっていく。

職業も政治家となり高収入。

そしてついには。

 

「ワシが大統領じゃあああ!」

 

そう叫んで立ち上がるパワー。

彼女の言葉通り、やる事全てがうまくいった彼女はあれよあれよと大統領となっていた。

上機嫌な彼女は興奮しているのか、鼻息荒くその頬も上気させている。

ふんす。

 

「おお~!おめでとうパワーちゃん!」

 

そう言って拍手と共に祝福してくれるのは姫野一人。

しかしパワーは気にしなかった。

大統領は寛大なのである。

 

「フハハハ!大統領の前じゃ!平伏せっ!まずは有言実行じゃ!消費税を100パーセントにするぞ!」

 

「んなルールねぇよ」

 

「残念だったな」

 

「ナニィッ!?」

 

以前掲げた政策案を実行しようとするパワー大統領。

しかし彼女の野望は打ち砕かれてしまった。

大統領は世界を憎んだ。

 

打ちひしがれるパワーを放置して三人はルーレットを順番に回していく。

するとそれぞれのコマは偶然にも一つのマスで止まった。

結婚マスだ。

 

「お!私結婚したからパワーちゃんお金頂戴!」

 

「俺も結婚したから金よこせ」

 

「おー、俺も結婚したから金くれー」

 

「なぁんでワシなんじゃ!」

 

金を無心してくる三人にパワーがキレるとデンジは職業カードを彼女の前に差し出し、ある一点を指差す。

そこには大統領に関する説明が書かれていた。

 

「大統領はこういうイベントで国民に金払うって書いてあんぜ」

 

「ぬぐぐ……」

 

カードには収入が増える代わり、他プレイヤーのライフイベント時に資金を出すといったような文言が書かれている。

パワーは分配されていく自身のお金を唸りながら見つめることしか出来なかった。

残念だがこれも大統領の務めなのである。

 

唸るパワーの横では、デンジがペンを片手に何やら自身のコマに書き込んでいる。

デンジが何をしているのか気になった姫野が手元を覗き込むと、どうやら顔を書き込んでいるようだった。

 

「デンジ君何してんの?」

 

「ジャーン、俺とマキマさんだぜ」

 

姫野がそう聞くとデンジが見せてきたのは、デンジ本人とマキマのデフォルメされた顔が書かれたコマだった。

簡単にではあるが、特徴を捉えていてよく出来ている。

 

「本当マキマさんのこと好きだよねぇ……アキ君?」

 

「?どうしました先輩」

 

「いや、アキ君もマキマさんのこと好きでしょ?だんまりだったからどうしたのかなって」

 

「え?ああ……呆れて声も出なかっただけですよ」

 

それだけ言うと、アキはルーレットを回した。

いつもなら呆れながらも小言を言うはずだ。

少なくとも姫野はそのような場面を何度も見ているし、だからこそマキマに対する嫉妬も沸き続けていた。

 

「ん~?」

 

本当に呆れて声も出なかっただけなのだろうか?

姫野はアキに違和感を覚えるが、それが何なのかが分からない。

 

(ま、いっか)

 

アキの様子を見るに、どうも答えてくれるような感じではないようだ。

元より少し気になっただけで、深く詮索するつもりもなかった姫野はあっさりと思考を切り替える。

今を楽しむことの方が大事だと考えた彼女は、ルーレットへと手を伸ばした。

 

それからはパワーにとって面白くないことの連続だった。

相変わらず姫野とアキは可もなく不可もない進み方をしているし、デンジは不幸なイベントに出くわす。

ただ、何故かこの三人はライフイベントを起こすマスに止まるようになったのだ。

 

「おお~!子供生まれたからお金ちょーだい!」

 

「俺も子供生まれたから金よこせ」

 

「ガキンチョ生まれたから金くれー」

 

「うぐぐ……」

 

「お家買うからお金頂戴!」

 

「家買うから、金」

 

「俺も家買うから「なんでじゃああああ!」うぉっ」

 

大統領キレた。

あれだけ温かかった懐も今は寒々しい。

有頂天になっていたこともあって、余計この落差には耐えられなかったようだ。

 

「仕方ないだろ、大統領なんだから」

 

「大統領はクソじゃ!ワシにたかりおってこの寄生虫どもめ!」

 

そういうと、パワーはすごろくを思い切りひっくり返した。

盤面に置かれていた紙幣、水色とピンクのコマ、家を模した小さなプラスチック片が一斉に空に舞って散らばる。

数枚の紙幣が、重力に従ってヒラヒラと姫野の膝の上に落ち、コマの一つがフローリングの上をカラカラと転がってソファの下へ消えた。

 

「あー!俺とマキマさんの幸せな家庭が~!」

 

「散らかすなパワー……時間もちょうどいいし今日はここまでだな。片づけたら帰るぞ」

 

時計を見ると夕方に近い時間になっていた。

窓から差し込む陽光が、昼間の白から深い橙色へと変わり、床に伸びた影が壁まで届き始めている。

途中に昼休憩を挟んだりしていたが、思っていたよりも時間が早く過ぎていたことにアキは内心驚いていた。

帰ろうとするアキに、デンジが口を開いた。

 

「いーよ、世話するって言ってたじゃねぇか。今日は姫野といろよ」

 

「だけどな……」

 

「別に俺とパワ子だけでも大丈夫だぜ」

 

自宅にデンジとパワーだけにすることに不安しかないアキは渋るが、デンジも譲る気は無いようだった。

 

「チョンマゲは心配性じゃのう……ありゃ心配のしすぎでストレス溜まってくたばるかもしれんぞ!」

 

「そしたら面白すぎて笑い殺されるぜ俺ら」

 

言いながら肩を組んできたパワーにデンジはそう返すと、二人はガハハと笑う。

アキは二人の心配ではなく、自宅の心配をしていたのだが。

しかし最近はデンジも見違えるようにしっかりしてきたのだ。

一晩くらいなら何とかなるだろうと、二人の様子を見てアキは諦めることにした。

 

「……分かった。大人しくしてろよ」

 

そう言ったアキに対して、二人は肩を組んだまま揃ってピースサインを向ける。

こういう時は仲が良いのだ。

 

 

 

 

 

足元の影が一番長く伸びる時間。

沈みゆく太陽が最後に照らし出す空は、焼けたように赤く染まっている。

だがその赤は不気味なものではなく、一日の終わりを告げる暖かな赤色。

強烈な西日がデンジの着ているシャツの繊維を白く焼き飛ばし、パワーの長い髪の毛先を一本一本、燃えるような金糸に変えていた。

 

デンジとパワーの二人は、アキの自宅への帰路についている。

生まれて初めてのすごろくに夢中になったデンジ達は、存外長い時間を遊んでしまっていたようだった。

 

「ワシには分かるぞ、今夜チョンマゲとゲロ女は交尾をする!」

 

人差し指を立て、得意げな顔でそんなことを言うパワー。

突然そんな事を言った彼女に、デンジは胡乱げな瞳を向けた。

 

「お前それ俺ん時にも言ってたじゃん」

 

「今度は間違いない!女の勘じゃ!」

 

「女の勘~?野生の勘の間違いだろ」

 

そう言い放ったデンジに、レディの威厳を傷つけられ憤慨したパワーが食ってかかった。

 

「なんじゃと!?ワシの女の部分に興奮しておったスケベのくせに!」

 

「ありゃ詐欺だろ!ノーカンだノーカン!」

 

「なんじゃと!」

 

「あんだよ!」

 

お互い言い合っていると、二人は往来の真ん中で喧嘩を始めてしまった。

憤慨したパワーがデンジのシャツの首元を掴む。

このままなら二人は、取っ組み合いの喧嘩にまで発展するだろう。

だがそれも彼らのなんて事のない日常の一つだった。

 

いつの間にか喧嘩をして、いつの間にか喧嘩が終わる。

そして翌日には別の理由で喧嘩が始まる。

これまでも、そしてこれからも彼らはそうやって、同じ家へ帰るのだ。

太陽が沈むにつれ、焼けたアスファルトから立ち昇る陽炎が消える。

入れ替わりに吹いた冷たい夜の風が、二人の足元を通り抜けていった。

 

 

 

 

 

日が完全に沈むと、家々に明かりが灯る。

姫野の自宅にあるベランダから見下ろせば、それはまるで地上に広がる星空のようだった。

星明かりが、アキの吸う煙草の小さな朱色の火を、より鋭利に際立たせている。

星々を眺めながら深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

口から出た紫煙がほどけるようにして夜へと溶けると、その輪郭を失っていく。

 

「いや~あの二人がいなくなると静けさが染みるねー……お酒、持ってきたよ」

 

「ありがとうございます」

 

両手に缶ビールを持った姫野がそう言いながら机の上に置く。

礼を言いながら彼女から受け取ると、アキの手に缶の冷たい感触が広がった。

 

「あたしにも煙草頂戴」

 

ねだる姫野にアキは煙草を一本渡すと、ポケットをまさぐる。

 

「あ、ライター部屋の中に忘れたみたいです」

 

「いいよ、その火貸して」

 

姫野はそう言うと、口に煙草を咥えたままアキの顔へ自身の顔を近づけた。

負傷した左足をかばうように右足に重心を預け、手摺を掴む掌に力がこもる。

金属の手摺がキシリ、と小さな音を立てた。

アキの口に咥えた煙草の先端と、彼女の口に咥えた煙草の先端が合わさる。

火が移るまでの間、しばらく二人はそのまま動かなくなった。

 

姫野はちらりとアキへと視線を向けた。

煙草の火種が赤く光る。

熱放射が互いの鼻先や唇にジリジリとした熱を伝え、二人の間を仄暗く照らし出す。

少し前まではこうすると、アキの伏し目がちな瞳が間近で見えていた。

今は自身が渡した眼帯で視界が埋め尽くされていて、もう以前のように彼の長いまつ毛を見ることも出来ない事実が心を切なく締め付ける。

残念な気持ちと、満たされるような気持ちの二律背反が、混じり合うことも反発することもなく同居する。

 

こういうこと(シガーキス)なら何度もしたのに、ちゃんとしたキスは一度も出来てないや……)

 

何度考えたかも分からない思考が浮かび上がる。

煙草に火が移ると、姫野は近づけていた顔を離す。

肺にまで吸い込んだ煙を思考と共に吐き出した。

姫野は、紫煙がゆらりと揺れて消えていくのを静かに見送った。

 

少し前の事を思い出す。

アキと姫野の二人がデンジ達を玄関まで見送った時のこと。

玄関の扉が閉まるその一瞬、姫野とデンジの目が合った瞬間。

 

――貸し一だぜ。

 

――了解。

 

以心伝心。

悪そうな表情を浮かべた二人は、言葉なく通じ合っていた。

同盟者が作り出してくれたこの機会、無駄にしないためにも気合を入れなければ。

今までは直接気持ちを伝えるのが恥ずかしくて、迂遠なアプローチばかりしていた。

そうして気付けば横から取られてしまったのだ。

 

許すまじあんちくしょう。

 

姫野はパチンという音と共に、缶のプルタブを開けると傾けた。

細い喉仏が上下に大きく波打ち、嚥下するたびに缶のアルミがベコッとへこむ。

アンニュイな気分がアングリーな気分に変わった彼女は、豪快にビールを胃へと流し込んだ。

 

「怪我人なんですからあまり飲まないでくださいよ」

 

「アキ君は相変わらずかったいなぁ~……いーじゃんこれくらい」

 

「そう言って何本も空けるつもりでしょ」

 

「にひ」

 

当たりだ。

姫野が今、頭の中で思い描くシチュエーションはシラフじゃ出来ない。

酒の力が無ければやっていられないのだから、何本も空けるのだ。

上手くいけば今夜、悲願が果たされる。

 

条件が揃っている今こそその時!酒よこの身に勇気を与え給え!

さあ!いざ薔薇色の未来へ向けて乾杯!

 

 

 

 

 

「ね~え~?アキ君はさ~?なぁんでマキマさんの事がぁ好きになったの~?どぉッこがいいのさ~!」

 

間延びした声がアキの耳朶を揺らす。

姫野は完全に酔っぱらっていた。

泥酔である。

 

あれから勇気の力を貰うため、姫野はビールを開け続けた。

行動を起こそうとしては勇気が出ず、勇気をもらうためにビールを飲む。

それを何度も繰り返すうちに、酔いが回って今の有様へと繋がっていた。

デンジが見ていたら根性なしと罵っていただろう。

だが許してあげて欲しい。

異性の口内へゲロを流し込む彼女もまた、一人の恋する乙女なのだ。

 

「そりゃ……」

 

理由を話そうと口を開く。

しかし続く言葉が出なかった。

 

(――あれ、なんでだ……)

 

アキは姫野からの質問に答えることが出来なかった。

少し前から自分の中にあった罅が広がる感覚は、日々強く感じていた。

姫野の言葉で違和感が強まる。

アキはマキマとの思い出を必死に手繰り寄せようとした。

 

死んだ家族や姫野、デンジ達との記憶は、色や重さ、温度に匂い、前後の記憶だってビデオを見るように思い出せるというのに。

マキマとの記憶にはそれが無い。

その脈絡の無い記憶は、まるで切り取られた写真のようだった。

救われた記憶も、彼女との記憶も、日記に書かれた文字情報のように感じる。

 

一度はっきりと認識してしまったそれは、アキに強烈な違和感を与えた。

記憶と自意識の齟齬がグラリと足元を揺らす。

考えがまとまらず、空回りする思考は行き先を失う。

視界の端がテレビの砂嵐のようにざらついたノイズに侵食され、色彩が急速に熱を失っていくような錯覚。

冷たい記憶に凍えたように頭がうまく働かず、空白が脳内に広がる。

 

「何よだんまりしちゃってさ~あ!あたしには秘密ってコト~!?」

 

だからだろうか。

姫野の言葉が一際強く、空っぽになっていたアキに響いた。

その声にアキの意識は引き戻される。

泥酔していじけている姫野の姿が、その声が、今のアキには無性に温かかった。

 

「姫野先ぱ――」

 

「ふーんだ!いーも~ん!」

 

アキの言葉を遮るように姫野が大声でそう言うと、ガクンとテーブルに突っ伏した。

 

「……ぁたしだって……デンジく……と……しちゃ……た……ん……」

 

ゴニョゴニョと言うと、電池が切れたように姫野はすぅすぅと寝息を立ててしまった。

途切れ途切れではあったが、彼女の言葉はアキにはしっかり聞こえていた。

 

「……は?……はああああ!?」

 

姫野の言葉に取り乱したアキは、姫野の肩を掴むとガクガクと揺らす。

動揺の余り激しく振っているのだが、姫野は気持ちよく夢の中に旅立っていた。

 

「ちょっ!先輩!姫野先輩!?今なんて言ったんですか先輩!!デンジとした!?何をしたんです!?先輩!せんぱああああい!」

 

 

 

 

 

翌日。

ガラス扉に朝陽が眩しく反射する。

朝の清潔な光とは対照的に、普段なら整えられているはずのアキのネクタイがわずかに緩んで傾いていた。

 

「おいデンジ!おま!お前!なにした!?お前姫野先輩と何をした!?」

 

「はあ?ンだよいきなりよォ~」

 

あの夜、自分の記憶などどうでもよく思えるほどの衝撃を受けたアキは翌朝、素面に戻った姫野に尋ねるも煙に巻かれてしまった。

その結果デビルハンター本部前にて、朝からデンジへとものすごい勢いで迫るアキの姿があったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下を規則正しい歩幅で一人の男が歩いている。

時折同じ軍服を着た者たちがすれ違う。

皆同じように背を伸ばし、男と同じように規則正しく歩いていた。

 

男が歩く建物の中央は巨大な吹き抜けになっていて、廊下はショッピングモールのように壁に沿う形になっている。

磨き抜かれた大理石の床が、シャンデリアの硬質な光を鏡のように反射し、男の軍靴が刻む硬い足音だけが、数階上の天井まで反響して重なり合っていた。

建物の外見は要塞のようで、強い閉塞感と緊張感が漂っているが、内部は驚くほどに開放感がある。

ルビャンカと呼ばれるこの建物は、いまやKGBの本部として機能している。

 

男はいくつもの廊下を曲がるとやがて人気も消え、影の濃い場所へとたどり着く。

日の光が差さない廊下はシャンデリアの明かりだけが照らしていた。

扉の前にいる二人の守衛へ敬礼をした後、その横を通り過ぎ、決められた回数ノックする。

しばらく待つと鍵が開く音がした。

 

扉を開くとそこは会議室のような場所だった。

部屋の中には何人かの老人たちがいる。

胸に飾られたいくつもの勲章から彼らの立場が察せられる。

男は彼等の前で口を開いた。

 

「報告します。沢渡は死亡が確認されました。作戦の失敗を受け部隊は撤退、偽装艦も本国へ向け撤収しております」

 

そんな語り出しで始まった言葉には他にも細々とした内容が含まれ、男は一通りの報告を終えると静かに退室していった。

 

「いやはや、残念ですな。蛇の悪魔の能力は魅力的でしたが」

 

「全くだ。悪魔の兵器化、並びに心臓の摘出も楽になっただろうに」

 

老いた高官の言葉に全員が頷いた。

このままであればただ老いるだけの彼らにとって、悪魔人間になることは不老不死へのチケットでもあったのだ。

若さと力に執念を燃やす老人たちにとっては、チェンソーの心臓よりも沢渡の価値の方が高かった。

欲をかいたが故の失敗であった。

だが、一度の失敗程度で諦めるほど彼らの欲は浅くはない。

強欲だからこそ、彼らは今の椅子に座れているのだ。

今まで口を閉じていた男が沈黙を破る。

 

「諸君。失敗したのなら、その失敗をどれだけカバーできるかが肝要だ。我々にはまだ駒が残っているだろう?」

 

「……ではレゼルヴィストカ(予備兵)を?」

 

「うむ……同志諸君、暖かい季節は終わった。これから厳しい冬の季節がやってくる」

 

男は紅茶で唇を潤すと、微笑んだ。

 

コンシールヴィ(缶詰)を開けろ。是非とも我らが祖国の味を堪能してもらおうではないか」

 

重々しく閉ざされたカーテンの裂け目から、色彩を剥ぎ取られた無機質な曇天が覗く。

それは、逃げ場のない沈黙が重力となって、地上に沈殿しているかのようだった。




普段、心理描写だったりアクションだったりは映画を参考にしてるんですけど、今回のアキ君に関しては適当なものが見つからずに漁りまくった結果、催眠寝取られモノに辿り着いてそれを参考にしました。

色々調べてて知ったのですが、ロシア語で予備兵の事を
レゼリヴィースト/Резервист(男性名詞)
レゼルヴィーストカ/Резервистка(女性名詞)
というらしいです。
合っているかは分かりませんが。
……ふーむ。
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