無理やり挟むのは許して……。
ある日の夜、デンジは公園のベンチでマキマが来るのを待っていた。
約束などしておらず、たまたまマキマが通りかかるのを期待しながら待つ。
それがあの日からのデンジの日課だ。
一日とて欠かしたことはなかった。
たまにマキマが来ない日もあるが、彼女は夜の散歩が好きなのか大体の日は会えている。
「こんばんは、デンジ君」
「マキマさん!こんばんは!」
「今夜も冷えるね。今日も私の家に来る?」
「行きます!」
そして出会えた夜には必ずマキマはデンジを家に誘い、デンジが嬉しそうに是と答えるのもいつものことだった。
「はい、今日は緑茶だよ」
デンジはお礼を言ってマキマから緑茶を受け取り、一口飲んだ。
温かいものが体の内側に染み渡る感覚は、まるで内臓を風呂に入れているようで心地よく感じる。
マキマはデンジの隣に座ると、同じように緑茶を一口飲んでから、二人は色々なことを話し始めた。
マキマ宅での会話は主にデンジの仕事の話や、早川家での出来事が話題になることが多かった。
これはマキマとデンジの間で共有できる話題がそれくらいというのもあったし、マキマがそこへと繋がる会話をよく振るからでもあった。
「早川君は家ではどんな感じなのかな?デンジ君も人と暮らすのは初めてだっただろうし、家で苦労してることはない?」
「アキのやつは大体いつも小言を言ってきますね、アイツ細かいこと気にするし、俺のやることは大体口を出してきますし……」
「そっか、人と暮らすのは大変だよね……ご飯はちゃんと食べられてる?早川君は家でちゃんと料理を作ってくれてる?」
「ちゃんと食ってますよ!飯は美味いですし!今まで食べたことのないもんばっかだし飽きねえっす!」
「ふぅん……デンジ君は私の家で食べるご飯と早川君のご飯、どっちが美味しい?」
「もちろんマキマさんの方っすよ!」
マキマ宅では同じメニューの朝食か、手作りのお菓子しかデンジは食べていない。
食べた料理のレパートリーでいえばアキの手作り料理の方が多いだろう。
だがデンジにとっては、それがどれほど簡単なものであっても好きな人が作る料理の方がはるかに美味しく感じられた。
「デンジ君は可愛いね……従順で、いつも私を一番に置いてくれて、まるで本当に犬を飼っているみたい」
「へへ……」
マキマはデンジの頭を撫でつつ、小さな声で囁くようにそう言った。
デンジは優しいその手つきに身を委ねている。
今日はマキマにお願いしたいことがあったデンジは、おもむろに口を開いた。
「あの、マキマさん……今日はちょっとお願いしたいことがあるんですけど……いいですか?」
「お願い?何かな?」
「その、勉強を……教えてほしいんすけど、ダメですか?」
「勉強?」
「あー俺、今まで勉強とかしたことないんすけど、普通は勉強をするもんでしょ?で、どうせやるならマキマさんに教えてもらうのが良いなーって……マキマさん頭いいし……」
マキマはその言葉を受けてしばし考える。
顎先をつかんで瞑目することしばし。
「……うん、いいよ」
「ホントっすか!」
「うん、暇な時であれば教えてあげるよ」
「や、やったっ……!」
「それじゃあ善は急げと言うしね、今からやろっか」
「えっ、いいんすか?自分でいうのもアレですけど急じゃ……」
「大丈夫だよ。とはいえ丁度いい教材は無いし……ちょっと待っててね」
マキマはそういうと、立ち上がり本棚を物色し始めた。
マキマの持つ本の数は膨大ではあるのだが、彼女にはどこの何の本があるのかが分かっているようだった。
デンジはその姿を見つつ、ダメ元でお願いしてみて良かったと安堵していた。
今回のこの急なお願いは、ここ最近マキマに甘えてばかりでいいのかとデンジが考え始めていたのが原因であった。
彼にはポチタという家族がいたから、誰かを愛するということはどういうものなのかはなんとなく分かっていた。
だが彼には人に愛されるという経験が無かった。
もっと言えばどうすれば好かれるのかが分からなかった。
ポチタとの間に確かに家族愛は育まれていた。
だがそれはいつの間にか自然と育まれたものであって、意図的に好かれよう、愛されようとして出来た物ではない。
そしてある日デンジは自身の行いを顧見た結果こう思ったのだ。
(あれ?俺、マキマさんに好かれるようなことしてなくね?)
いつだってハッピーエンドを迎えるのは、努力した者たちだけだ。
自分は好かれるように努力したことなどあっただろうか?
デンジは無いと、そう断じた。
貰ってばかり、甘えてばかりのダメ男やヒモ男を好く女性など稀だろう。
マキマがその稀な人である保証などない。
そんな人間がどうなるか。
このままではいつか愛想を尽かされ、自分が地べたに這いつくばってどれだけ泣いて懇願してもマキマに振り向かれることもなく、手ひどく捨てられるのだ。
(──ってこないだ見たドラマでやってたからなぁ、絶対にそれだけは回避しなきゃなんねえ)
マキマに似た女優が出ていたから見ていたドラマに影響を受けたデンジは、そう考えた。
だからこそデンジは考えた。
どうすればいいのか?
考えたが、自分のクソみたいな脳みそでは思いつかなかった。
そこでデンジは閃いた。
勉強して頭良くなりゃあ思いつくんじゃね、と。
しかもうまくいけば、勉強を教えてもらうという名目でマキマといる時間が増える。
かくしてその作戦は成功した。
「デンジ君、まずは漢字の勉強をしてみようか。前に読める漢字が少ないて言ってたし、これを機に読める字を増やしてみようか」
そういいながら教材の選定を終え、筆記用具を持って戻ってきたマキマがそっとデンジの隣に座る。
机の上に広げられたものを見ると、それは寓話集だった。
子供向けとして編集される前の、少し年齢層が高いものに向けられたものだった。
「今のデンジ君に難しい内容のものは少し退屈だと思ってね。これなら話を読みながら、読める字も増やしていけると思うんだ」
デンジは自分のためにそこまで考えてくれたマキマに感激しながら、さっそく筆を取った。
「デンジ君お疲れ様、今日はもういい時間だしここまでにしようか」
「……ぁい……」
マキマからの言葉に、机に突っ伏し、蚊の鳴くようなゾンビの呻き声のような声を出してデンジは返事をした。
初めての勉強な上、隣のマキマからはいい匂いがして集中出来なかったデンジは疲労困憊であった。
マキマはデンジを労おうとデンジの頭へ手を伸ばそうとするが、突然デンジは勢いよく起き上がった。
「そーだ忘れてた!マキマさん!台所借りてもいいですか!?」
「構わないけれど何か作るの?」
「出来てからの秘密です!まぁマキマさんは座ってゆっくり待っていてくださいよ」
その言葉にマキマは首を傾げるが、とりあえずデンジの好きにさせることにしたようで、許可を出した。
デンジが嬉しそうな様子で、台所へと入っていくのをマキマは見届けた。
台所でデンジが何かを作っているのを待つ間、マキマは飼い犬たちと遊んで待っていた。
「デンジ君は何を作るのかな~楽しみだね~?ね~?」
マキマは茶色い毛並みを持つシュークリームにそう話しかけながら、顔を両手で挟んでわしゃわしゃと撫でながらそう言った。
他の犬たちも構って欲しいのか、マキマの周りに集まりあっという間にマキマは囲まれてしまったが、嬉しそうに笑っていた。
「あ~?んだこれアキん家のやつと全然違えんだけど……どうなってんだ?……そーかコレだ!……?動かねえ……こうかぁ……?お!動いた!んでこれにこいつを……」
台所からは不安になる声しか聞こえてこないが、マキマは犬たちと遊ぶことで無視を決め込んだようであった。
それからしばらくして、台所からは香しい匂いが漂ってきた。
「コーヒー……?」
マキマはその嗅ぎ慣れた香りに反応した。
それからデンジが自信満々な表情と共に台所から出てくる。
その手には、トレーに乗せられたマグカップが湯気を上げていた。
「ジャジャーン、デンジ君特製コーヒーでぇ~す!」
そう言いながらテーブルに乗せられたトレーにマキマは視線を向ける。
マグカップになみなみと注がれたそれには、粉が浮いていて色も濁っている。
外観ですでにまともな味をしていなさそうな上に、就寝前であるのにコーヒーを出してきたのは何か意図があるのかと疑いそうになるが、デンジの顔は何やら照れや自信が見えるだけで、何も考えていないであろうことは明らかであった。
「……」
マキマは暫しコーヒーを見つめた後、カップへと手を伸ばした。
そうして少し口に含む。
口の中に広がったものをゆっくり味わい、飲み込んだ。
「うん……デンジ君の気持ちはうれしいよ、ありがとう」
「へへ……」
デンジはマキマからの言葉に素直に喜んだ。
それからマキマは、デンジと話をしながら半分ほどコーヒーを飲んだ後デンジと共に寝床についた。
初めて一緒に寝たあの日から、デンジを家に招いた時には二人は一緒に寝るようになっていた。
寝室に向かう際、デンジがマキマに話しかけた。
「マキマさん、俺マッサージをちょっと勉強してきたんです!マキマさん仕事で疲れてるでしょ?俺が一発で疲れをドーンと吹っ飛ばしますよ!」
そう言いながら自信満々にデンジは腕まくりをしている。
マキマに触れたい下心から生まれた考えではあったが、疲れを癒せると知って興味を持ったのも事実だ。
ちなみにその知識はテレビと書店で立ち読みした知識である。
そのうえ文字もまともに読めなかったので、本は絵や写真だけを見ての知識だ。
「……それじゃあ、少しお願いしようかな」
「それじゃあうつ伏せになってください!」
寝室に入ったマキマは、マッサージを受けることにしたようだ。
この返事に、デンジは嬉しそうにそう言った。
マキマは頷くと、ベッドの上にうつぶせになる。
うつ伏せになったその姿に、デンジは頬を赤く染めた。
いざこれから始めるとなってからデンジは、目の前の光景に緊張と興奮で口の中が乾いていく。
両の手の平は汗をかき、指先が震えてくる。
マキマの姿に目を奪われ、段々と頭の中が白く染まっていき、全身の血が心臓に逆流するかのような感覚に陥る。
「デンジ君?しないの?」
マキマがそう言いながら少し振り返る。
その横顔を見て正気を取り戻した。
「や、やります!」
デンジは慌ててマッサージに取り掛かった。
(え~っと……確か肩から、段々下にいって、足でシメ……って感じだったか?)
肩から揉み始めて背中、腰とデンジはマッサージを始めていった。
最初こそ下心から始めたが、やっていくうちに段々とマッサージをすることに集中していった。
その手つきは拙く、力加減もいい加減でただ痛いだけの下手なものだった。
しかしデンジ本人は一生懸命にやっているのが分かる。
腰の下、尻をやるかデンジは葛藤したが、死ぬほど葛藤した後結局そこには触れず太もも、ふくらはぎと順番にマッサージをおこなっていった。
その間マキマは一言も話さず、大人しくデンジの下手なマッサージを受け続けていた。
「ふぅ……!マキマさん、終わりましたよ!どうでした?」
「……なんだか体が軽くなった気がするよ、ありがとうデンジ君」
マキマからのその言葉にデンジは嬉しそうに笑った。
それから二人はベッドに潜り込んだ。
マッサージを受けたマキマも、マッサージをしたデンジも体温が上がって体がポカポカしている。
いつもより暖かい布団の中で、デンジはいつものようにマキマを抱きしめる。
マキマはいつものように、抱きしめられながら今日も眠りについた。
今夜はお互いの体温がいつもよりも強く感じられた。
彼女は今夜も涙を流して眠る。
翌朝、目覚めたマキマの隣にデンジはいなかった。
マキマはその手をゆっくりと伸ばしてデンジが眠っていた場所をさすったが、そこにはもうデンジの体温は残っていなかった。
彼女は身を起こすと、ぼんやりとした様子で今は誰もいない自身の隣を眺めている。
くん、と鼻をくすぐる匂いがマキマのもとに届く。
何かが焼ける匂い。
マキマは匂いの発生源へと向かっていく。
近づいていくと、何やら声が聞こえてくる。
「っかしいな~……んでこうなっちまうんだよ……で、これは……で……おっ、いい感じ……えか……?」
どうやらデンジが何かしているようだ。
マキマは扉を開けて中の様子を覗いた。
すると扉が開かれた音に気付いたデンジが振り向く。
「マキマさん!おはようございます!今朝メシ作ってるんでもう少し待っててください!」
どうやらデンジは朝食を作っていたようだ。
昨夜のコーヒーを見るに、どのようなものが出来るか察しはつくがマキマは何も言わなかった。
「ありがとうデンジ君、楽しみにしておくね」
そう言うと、マキマは一旦洗面所へと向かっていった。
マキマが戻ってくる頃には、すでにテーブルの上に朝食が並べられていた。
品揃え自体は普段マキマが用意しているものと同じだ。
トーストにサラダ、目玉焼きにソーセージ、デザートには果物があってコーヒーとバターが添えられている。
だがサラダは彩りなど気にもされていないかのようによそられていて、目玉焼きは黄身が割れてしまったのか白身と混ざってマーブル状になっていた。
ソーセージも所々焦げていて、皮も破れてしまっている。
コーヒーは昨夜のものと変わらない。
まともな状態のものはトースターで焼いたトーストと切っただけの果物とバターくらいだった。
「マキマさん!タイミング良いっすね!朝メシ出来ましたよ!」
戻ってきたマキマに気づいたデンジは、いい笑顔でマキマを出迎えた。
そんなデンジにマキマはいつもの微笑みを返した。
この日の朝食を、マキマはこの先も忘れることはなかった。
後日、早川家にて。
デンジはアキに食事を振舞った。
あの日の料理を美味しいと言われたデンジは、最高に機嫌が良かったために特別に作ったのだ。
アキは不審に思ったが、あまりにも自信満々なデンジの様子に毒気を抜かれ手を付けた。
マーブル模様の目玉焼きやらは見た目こそ悪くとも、味はそうそう悪く出来る事も無かったため普通に食べられた。
「ふぅん……見た目は悪いが、まぁ食えなくもない味だな」
「んだよいちいち細けえなぁ」
「サラダだってもっと見た目良く出来たろ」
「どうせ食っちまうのにそんなん気にして食うのかよ~?」
「見た目がいい方がよりウマく食えるだろ」
「ふーん……」
アキは一通り食べて感想を言っていく。
感想を聞いていたデンジはそんなもんか?と思うも、よくよく思い出してみればマキマの朝食は見た目も綺麗だった覚えがあった。
デンジはもっと綺麗に並べればもっと喜んでくれるかなと妄想した。
アキは最後にコーヒーを手に取るが、一瞬躊躇した。
表面には粉が浮かんでいたのが見える。
嫌な気配がするも試しに一口飲む。
飲んだ瞬間、噴き出した。
「オッ!ヴォアエッ!!」
「ああ!?なにしてんだもったいねえ!」
「おま!なんだこれくそ不味い!」
「はァ!?」
コーヒーを口に含んだ瞬間アキの口内に広がったのは、えぐみと強い酸味の雑味。
ぼやけた味の中で自己主張の激しいそれは、飲む者に不快感を与えるものであった。
「お前これ、どうやったらこんな風になるんだ……味見しなかったのか……」
酷い味に苦しみながらアキはデンジにそう言った。
デンジは、朝に見かけるアキのコーヒーの淹れ方を見様見真似しただけだったため、手順こそ合っていたが細かい部分は適当にやっていた。
さらに味見もしていなかったのも悪かった。
それが奇跡的にこの不快なコーヒーを生み出していたのだ。
ここでデンジはようやく、自身のコーヒーの味を確かめてみることにした。
恐る恐る口をつける。
「オッ!ヴォアエッ!!」
瞬間デンジは飲めず、吐き出した。
そしてここにきてようやく、自身のコーヒーが人にこのような反応をさせるゲロ不味コーヒーだったことを知る。
自分でも飲めなかったコーヒーを、マキマに飲ませたことをデンジは理解した。
そこで嫌な予感がしたデンジは、試しにマッサージをアキにしてみる。
マキマにやったのと同じものをアキにしたのだ。
「アダダダダダ!おいデンジもっと力を抜け!痛いだけで何も気持ちよくないぞ!」
アキのこの言葉を聞いた時には、もうデンジは半泣きになっていた。
自身の所業を理解したデンジは、激しく後悔した。
「ウ、ウワアアアアアアア!!」
突然嘆き始めたデンジに、その日アキはひたすら困惑していた。
なんか書いててデンジ君に違和感を覚えていたのですが、マキマさんと話す機会が多くなる都合上、私のとこのデンジ君敬語多めになってるんですよね。