黒く染った空から、水滴は終わりなく落ち続ける。
仄暗く、それでいて温かな街の灯りは、足元に貯まった水面に揺らいでいた。
目から光を失った少女は、肩を丸め、濡れた舗道に膝を抱えて座り込んでいた。雨は少女の長い髪を叩き、頬を伝い、水面に映る光に落ちていく。
「どうして……?」
嗄れた声で呟く。喉の痛みも、息苦しさもどうでもよかった。それ以前に、
「どうして私は、まだ……」
――息をしているの?
全て失った。
少女の帰りを待つ温かな家族も、帰る場所も、全て。
いや、失ったのではない。奪われたのだ。
両親も、兄も――すべて奪われた。
雨が降るだろうと、駆け足で帰った道。
家に入れば、いつものように出迎えてくれる母親の姿は――
「うっ、ぉえ……っ!」
喉が焼ける。
あの光景が、何度も瞼の裏で再生される。
錆びた鉄のような匂い。まだ温もりの残った、母親だったモノの手の感触。窓の向こう、小さな庭に、父親と兄だったモノの姿。
その記憶は鋭く、今の身体を引き裂くようで、震える手を止められない。
「なんっ……で……?どうし、て……!?」
声に出すたびに喉は痛みを訴える。その上、胸の奥の痛みが、怒りと混乱を叩き起こす。
どうしようも無いほどの憎悪と無力感。感情が絡み合い、解けない糸のように、紗希の心を締め付ける。
雨とともに涙が頬を伝い落ちても、この涙も雨に消える。現実も雨のように、覆い隠してくれればいいのに。
雨の音に紛れて、街の遠くから人々の足音が響く。
この路地裏に人は来ない。この雨の中、路地裏に蹲る少女を、誰も見るはずもない。
そう、誰も、この惨状を見やしない。誰も、悲しむこともない。
人は、世界は何も見ていない。自分に関係が無い事だと、
紗希は膝に顔を埋め、複雑に絡まった思考を解いていく。
「どうして、家族は……。なんでこ、殺されないと……いけなかったの……っ!」
解いた感情の中から溢れたのは、怒り。
憎悪を超えたその感情は、硬いアスファルトを殴りつける手の痛みさえ感じさせなかった。何度も、何度も、自らの血に染まった拳を、無意味に地面を殴り続ける。
虚しく怒声を上げても、掠れた音は雨音にかき消された。
憎悪、怒り、絶望。そして、己の無力さに、声は音にならなかった。
昂った感情が鎮まる頃、ようやく紗希は、自らの道化っぷりを実感した。
何故すぐに警察に通報しなかった?自分が帰った時に、まだ家族を殺した“奴”は居たのに。
何故すぐに近隣の住民に助けを求めなかった?少なくとも、隣の家の灯りはついていたのに。
何故あの時、私のことも殺してくれなかったの?
ふと少女は、徐には立ち上がる。
仄暗い光が宿ったその瞳に、灯った感情は何か。
その感情に任せた行動に変わる瞬間。
「声が聞こえたと思って来てみれば、大丈夫かい?」
視界の端に人影が映った気はしていた。どうやら気のせいではなかったらしく、背後から声を掛けられた。
振り返ってみれば、傘も差さずにこちらへ歩いてくる人の姿。白いレインコートに身を包んだそのヒトは、雨の中を、いや、まるで雨そのものに溶け込んだ存在のように、紗希の一歩手前で歩みを止めた。
思わず息を飲む。
恐怖と疑念。それでいて、心のどこかに、小さな灯りが差した気がして。
「感情のままに家出した、という訳じゃないんだろう?」
場違いと感じる明るい声。何故かそれが、優しく、温かい光を帯びているような感覚に陥る。
フードの奥に覗くその碧眼の眼差しは、長く雨に打たれた紗希を、静かに包み込むような光を灯していた。
なにか訳があるみたいだね、と。理由を聞く訳でもなく、彼はフードを脱ぐ。
「君だけが雨に打たれているのは偲びない」
特徴的なまでに白い髪が、フードから現れる。
「君に降る雨が止むまで、お節介だろうが共に
自らの瞳に灯っていた仄暗い光に、別の色が混ざった気がした。
紗希は震える手で髪を払い、呼吸を整える。
悲哀の雨も、激情の嵐も止まない中、突然現れたヒト。何を考えているのか、企んでいるのか……何も考えていないのか。
街の灯りは、水面に揺れる。
紗希の心もまた、行きどころのない感情が、静かに渦巻いている。
嗚呼、それでも。
今この時だけは、まだ止まぬ雨であって欲しいと願った。