僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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量産機の姿の描写で“目がある”ような表現がありましたが、その部分を訂正しました。


第拾話 開かれた扉

 森の木々がゆっくりと揺れていた。

 あれから──半年。

 

 トガちゃんと特訓を始めてから、もうそんなに経ったのか。

 時間の流れは、本当に早い。

 

 この半年で、僕の“個性”は確実に進化した。

 量産機の姿でいるとき、以前のように体力が急激に減ることはもうない。

 代わりに、動きや反応速度が少し落ちた──まるで基礎スペックを抑えて、安定性を優先したような感覚。

 でもそれでいい。

 この形態は、戦うためじゃなく、“生きるため”の姿だから。

 

 僕は長い間、“包帯の少年”として過ごしてきた。

 けれど今では、それも必要なくなった。

 皮膚を隠さなくても、人を怖がらせない。

 顔を上げて笑えるようになった。

 

「ふくいん君、今日も調子良さそうですね!」

 

 振り向くと、トガちゃんが木の影から走ってくる。

 その笑顔を見ると、自然と頬が緩む。

 

「うん。たぶん、もう完全に慣れたよ」

「じゃあ……包帯、もういらないんですね?」

 

 トガちゃんの瞳が、きらきらと輝く。

 僕はうなずいた。

 

「そう。君のおかげで、ここまでこれたよ」

 

「……え?」

 

 トガちゃんが瞬きをする。

 僕は少し照れながら、続けた。

 

「たぶん、一人だったら、もっと時間がかかってたと思う。

 もしかしたら途中で、諦めてたかもしれない。

 でも、君がいたから──続けられたんだ」

 

 トガちゃんの頬がふわりと赤く染まる。

 うつむきながら、でも嬉しそうに笑った。

 

「よかった……ふくいん君がそう言ってくれて、すごく嬉しいです」

 

「ありがとう。これで、みんなの前でもこの姿でいられるよ」

 

「やったーっ!」

 

 トガちゃんが両手を上げて飛び跳ねる。

 

「ほんとに嬉しいです! ずっと我慢してたんですよ! 

 みんなに“ふくいん君のカァイイ姿”を自慢したかったんですから!」

 

 その言葉に、思わず苦笑する。

 

「……いや、カァイイって、それはどうだろう」

 

「カァイイんです!」

「はいはい……わかったよ」

 

 僕は笑いながら、少し空を見上げた。

 風が気持ちいい。

 

(今日、先生に報告しよう。

 “量産機の姿”が僕の“普段の姿”として扱えるようになったって)

 

 長かった“包帯の少年”としての日々は、ようやく終わる。

 ──そして、ここから新しい日常が始まるのだ。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 次の休みの日。

 僕は、赤木クリニックの前に立っていた。

 

 ガラス張りの建物の向こうで、看板の白い文字がやわらかく光っている。

 半年ぶり──あの夜、装甲を解除した時以来だ。

 

 孤児院の先生に報告した時、こう言われた。

 

『その姿が“普段の状態”なら、きちんと診察して登録した方が安全よ』

 

 たしかにその通りだと思った。

 そしてせっかくなら、あの人──赤木先生に見てもらおう。

 

 先生に予約を取ってもらい、今日こうしてここに来た。

 

 受付で名前を告げ、少しのあいだ待合室で座っていると、

 スピーカーから電子音が鳴った。

 

「新世福音さん、診察室へどうぞ」

 

 深呼吸を一つして立ち上がる。

 扉をノックし、ゆっくりと開いた。

 

「失礼します」

 

 白い蛍光灯の光が、機械のパネルを淡く照らす。

 診察台の前に座っていたのは──あの時と同じ姿の赤木先生。

 

「お久しぶりです、赤木先生」

 

 僕は軽く頭を下げた。

 先生は端末から顔を上げ、薄く笑う。

 

「あら、半年ぶりね。元気そうで何よりだわ」

 

「はい。本日も、その姿なんですね」

 

「ええ。今日は子どもの予約が多いから、こっちの姿の方が落ち着くのよ」

 彼女──いや、彼は、どこか楽しそうに微笑んだ。

 

「それで、今日はどんな用件かしら? その新しい“外見”が理由?」

 

「はい。実は……また、進化したんです」

 

 そう言って、僕は一歩前に出た。

 白衣の光を受けるように、量産機の姿へと変わっていく。

 

 赤木先生は一瞬だけ目を細め、興味深そうに僕を見つめた。

 まるで研究者が、未知の現象を観察する時のような目で。

 指先が軽やかにタブレットを滑る。

 その視線は穏やかだが、どこまでも鋭い。

 

「……その姿。以前の“紫色の形態”と構造が似ているように見えるけれど、関係性は?」

 

 僕は少し考えてから答える。

 

「感覚的には、“別形態”といったところです。

 大きな違いは、以前の形態には“口”があっても拘束具で動かせませんでした。

 ですが今の姿では、ちゃんと口を動かせますし……ごはんも食べられます」

 

 先生は興味深そうにうなずく。

 

「なるほど。拘束の解除による自由度の上昇ね。他には?」

 

「肩のウェポンラックも、もうありません」

 

「ふむ……構造の簡略化による安定化、ということね」

 

 赤木先生は手元の画面を操作しながら、質問を続ける。

 

「身体能力に違いは?」

 

「紫色の時より、少し落ちています。

 ですが、その代わりに“体力の低下”がなくなりました。

 この姿なら、日常生活を送っても問題ありません。

 今はこの形態を“デフォルト”として過ごしています」

 

「安定化している、というわけね。……興味深いわ」

 

 先生は端末を傾け、別角度から僕の姿を見やる。

 

「以前の“紫色の姿”には、今でも変身できる?」

 

「たぶん、できます。

 試してはいませんが、意識すれば形を変えられると思います

 ただし…」

 

「ただし?」

 

「……はい。以前と同じで、“服は消滅する”と思います」

 

 僕は少し苦笑しながら言った。

 

「なので、今着ている服は“装甲の上に着られるように”サイズを上げて着ています。」

 

 赤木先生は思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。

 

「……現実的な工夫ね。立派な適応能力だわ」

 

 端末に記録を残しながら、彼女は静かにまとめる。

 

「つまり──新世くんの個性人造人間は、今の姿が安定状態であり、以前の形態は戦闘時における“拡張形態”と考えてよさそうね」

 

 彼女の分析を聞きながら、僕はうなずいた。

 赤木先生はタブレットに記録を残し、最後にスタイラスペンを置いた。

 

「──よし。正式に“普段の姿”として登録しておくわ」

 

 僕は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 先生は軽く笑う。

 

「今の方が、以前より表情が見えていいわね」

 

「僕も、そう思います」

 

 ようやく笑って話せるようになったことが、少し誇らしかった。

 

「今日はもう帰っていいわ」

 

 そう言われたが、僕は椅子から立ち上がれなかった。

 指先が膝の上でぎゅっと握られる。

 先生は、僕の沈黙に気づいたようだった。

 

「……もし、何か聞きたいことがあるなら、言ってごらんなさい」

 

 僕は小さく息を吸った。

 

「ありがとうございます。……少し、相談があって」

 

 赤木先生はうなずき、腕を組んで聞く姿勢を見せる。

 その静かな目が、続きを促した。

 

「僕の友達に、“血”が好きな子がいます」

 

 先生は何も言わず、ただ目を細めて頷いた。

 僕は言葉を選びながら続ける。

 

「彼女は……自分の気持ちと個性が混じって、時々血を飲みたいという衝動があるみたいです。

 でも、そのことを両親から“普通じゃない”って言われて……ずっと我慢してるんです」

 

 言葉に詰まる僕を、赤木先生は遮らなかった。

 ただ静かに聞いてくれていた。

 

「……僕には、それがどうしても辛そうに見えるんです」

 

 僕は目を伏せながら、続けた。

 

「孤児院の中には、個性の関係で医師の許可を得て血をもらっている子もいます。

 でも、彼女のご両親は“血を摂取すること自体がおかしい”と思っていて……本人も、相談できないって言ってました」

 

 沈黙が流れた。

 僕は自嘲気味に笑って、言葉を落とす。

 

「……お節介なのは、わかっています。

 でも、見てるだけっていうのが、どうしても耐えられなくて」

 

 赤木先生はしばらく目を閉じていた。

 やがて、ゆっくりと息を吐き、机の上のカルテを閉じる。

 

「──優しいのね、あなたは」

 

 その言葉に、僕は小さく首を振った。

「優しいだけで……僕は、何にもできません」

 

 指先が膝の上でぎゅっと力を込める。

 

「これ以上、勝手なことをして…もし彼女のご両親からもう会うななんて言われたらって思うと、行動に移せなくて。

 なにより、僕は彼女の親戚でもなんでもないんです。

 ただの他人が、いきなり家庭の事情に首を突っ込むなんて──」

 

 息をのむ。胸の奥が、少し痛んだ。

 

「……僕の血だったら、いくらでもあげられると思ってるんです。

 でも……もし僕の血が原因で、彼女が病気にでもなったらと思うと、怖くて。

 だから、勝手にあげることもできませんでした」

 

 赤木先生は、黙って僕の言葉を受け止めていた。

 沈黙のあと、赤木先生はゆっくりと口を開いた。

 

「あなたの判断は正しいわ」

 

 その声は穏やかで、少し微笑んでいるようにも聞こえた。

 

「でも──何もできないわけではないの」

 

 僕は顔を上げた。

 

「……え?」

 

 先生は椅子の背にもたれながら、静かに言った。

 

「あなた、血液ドナーになるつもりはある?」

 

「ドナー……?」

 

 聞き慣れない単語に、思わず聞き返してしまう。

 

 赤木先生は、少しだけ口元を緩めた。

 

「そう。いまの時代、“個性”が関係する血液型の分類は非常に複雑なの。

 あなたが言っていたように──“個性の性質上、血液を必要とする人”は少なからず存在するわ。

 医療機関では、そうした人たちのために“適合するドナー”を常に探しているの」

 

 僕は思わず身を乗り出す。

 

「そんな制度があるんですか?」

 

「ええ。けれど当然、あなたが危惧していた通り、“すべての血”が誰にでも合うわけじゃない。

 個性の組み合わせによっては、毒にもなり得るし、拒絶反応を起こすこともある。

 だから──事前に採取して、相性を検査することができるのよ」

 

 僕は目を見開いた。

 

「そんなことが……できるんですか」

 

「できるわ。個性医療の進歩って、案外すごいのよ」

 

 赤木先生は軽く肩をすくめて微笑んだ。

 

 そして、少し表情を引き締める。

 

「ちなみに──その彼女に、実際に血を“あげた”ことはあるの?」

 

「……あります」

 

 僕は少し視線を落とした。

 

「以前、僕が怪我をしたときに……彼女が、咄嗟に舐めてしまって」

 

「そう。……その後、彼女に変化は?」

 

「後日、大丈夫かと聞きましたが、体調に変化はなかったそうです」

 

 赤木先生は静かに頷いた。

 

「……なるほどね。

 事故的とはいえ、すでに“試されて”いたのね。

 それで副作用も出ていないとなると──もしかしたら、その子の個性には、血に対する“耐性”があるのかもしれないわ」

 

 彼女は手元の端末にメモを残しながら、柔らかく言葉を続けた。

 

「つまり、条件さえ整えれば──安全な形で“支え合う”方法はあるかもしれない、ということよ」

 

 僕はその言葉に、ほんの少しだけ息をのんだ。

 赤木先生は、端末から視線を上げて僕を見た。

 

「……もし本当にその子を助けたいなら、正式に医療検査を受けてみて」

 

 優しくも、確かな響きを持つ声だった。

 

「結果によっては──その子専属のドナーとして登録することもできるわ」

 

 僕は思わず顔を上げた。

「……彼女の、専属ドナーに?」

 

「そう。もちろん、法的な手続きと適性検査が必要になるけど、医療機関を通せば安全に管理できる。

 あなたの善意を“制度”として形にできるわ」

 

 赤木先生は微笑んで言葉を添えた。

 

「──ちなみに、あなた。血を抜くのは平気なの?」

 

「え?」

 

「人によっては、貧血を起こしたり、血が少なくなることで体調を崩す場合もあるの。

 あなたのように“特殊な個性”を持つ子は、そこも慎重に確認する必要があるわ」

 

 僕は少し考えてから、首を振った。

 

「大丈夫だと思います。

 この姿になってから、回復力が上がったみたいで……血の生成も、早いみたいなんです」

 

 赤木先生は目を細め、口元を緩める。

 

「それは──いいわね」

 

 軽く頷きながら、先生は記録を閉じた。

 その後、血液の採取を終えると、赤木先生は穏やかに言った。

 

「結果が分かり次第、こちらから連絡するわ」

 

 僕は深く頭を下げ、クリニックを後にした。

 

 帰り道──夕暮れの街並みを歩きながら、胸の奥が重たく沈む。

 これで、もしうまくいけば……トガちゃんを救えるかもしれない。

 

 だけど同時に、彼女の“秘密”を勝手に話してしまったという罪悪感が、

 胸のどこかをチクリと刺していた。

 

 ──ごめんね、トガちゃん。

 

 そんな複雑な思いを抱えたまま、僕は夜の孤児院へと帰っていった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 赤木クリニックから孤児院に戻った夜、僕はすぐに学校へ連絡を入れた。

 電話口の向こうで、低く穏やかな声が返ってくる。

 

『──新世か。どうしたんだい?』

 

「夜遅くすみません、根府川先生。

 個性の影響で見た目が変わりまして……診療所で正式に登録してもらいました。

 正式な診断書類もあります」

 

『……そうか。それは大事な報告だな』

 

 少しの沈黙のあと、先生はゆっくりと言葉を継いだ。

 

『明日、登校前に職員室に来なさい。急に姿が変わったまま教室に入ると、みんな驚くだろうからね。

 私も一度確認しておきたい』

 

「わかりました。明日伺います」

 

『うむ。気をつけておいで』

 

 通話を切ると、胸の奥が少しだけ重くなった。

 “普段の姿”として登録はされたが、他人にどう見られるかという不安は、まだ残っていた。

 

 ◇◇◇◇

 

 翌朝、鏡の前で服を整える。

 白い装甲、目がない顔──新しい自分の姿。

 昨日よりも、少しだけ馴染んで見えた。

 

 学校へ着くと、まずは職員室の扉をノックした。

 

「失礼します」

 

 中から、ゆったりとした声が返る。

 

「おお……新世か」

 

 根府川先生が顔を上げ、眼鏡の奥の目を見開いた。

 

「……ほう、これはまた。ずいぶん変わったな」

 

「はい。自分でも驚いています」

 

 先生は立ち上がり、僕の周囲を一回りして観察する。

 

「包帯が取れてよかったな。あれは……まあ、配慮だとわかっていたが、

 怖がっていた子もいたんだ」

 

「そうだったんですか……」

 

「うむ。だが、あれは君なりの優しさでもあった。

 少し、人を避けているように見えるときもあったが…こうして顔が見えるようになって何よりだ」

 

 先生の言葉に、僕は小さく笑って答えた。

 

「これからは、自分の表情で話せますから」

 

「そうか。なら、なお良しだ」

 

 根府川先生は腕を組み、少し考え込むように顎を撫でた。

 

「教室に入る前に廊下で待っていなさい。

 一旦私からクラスの皆へ説明をする」

 

「ありがとうございます」

 

 先生が他の教師へ連絡を取る声を背に、

 僕は廊下のベンチに腰を下ろした。

 窓から差し込む朝の光が、白い装甲に反射して淡くきらめく。

 

「えーと、みんな静かに」

 

 先生の低い声が響く。

 

「先日、クラスの新世くんに個性の影響が出て、見た目に変化がありました。

 驚くかもしれませんが、変わったのは“見た目だけ”です。

 中身はこれまで通りの新世くんだから、これまで通り仲良くしてあげてください」

 

 ざわっ、と教室に小さな波が走る。

 その空気を確認してから、先生は扉を開けて僕を呼んだ。

 

「入ってきなさい、新世」

 

 静まり返った教室の中を、僕はゆっくりと歩く。

 廊下の光が装甲に反射して白く光った。

 教室の中央に立った瞬間、息をのむ音がいくつも重なった。

 

「……新世くん?」

「わぁ……本当に変わってる……」

「なんか、すごい……」

 

 みんなの視線が一斉に集まる。

 でも、恐怖や拒絶ではなく、純粋な驚きと好奇心だった。

 そのことに胸が少しあたたかくなる。

 

「見た目は変わりましたが、僕は僕です。

 ……これからも、仲良くしてもらえると嬉しいです」

 

 教室のあちこちから、ぱらぱらと拍手が起こった。

 その中で、女子の数人が小声で話しているのが聞こえた。

 

「え、新世くんの声初めて聞いたかも……」

「声、いい……!」

「なんか……えっち……」

 

 ──なるほど、これが石田彰ボイスの破壊力か。

 僕は心の中で小さくつぶやきながら、静かに席へと向かった。

 

 隣の席の女の子がちらりとこちらを見て、頬を赤くしながらそっぽを向く。

 僕は少しだけ笑って、「改めて、よろしくね」と声をかけた。

 

「……声が……」

 

 彼女はそれだけ言って、また顔を背けた。

 

 思わず小さく吹き出す。

 ──新しい姿で迎える、新しい日常。

 どこかくすぐったくて、少しだけドキドキする朝だった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 放課後のチャイムが鳴り終わり、教室の喧騒が少しずつ薄れていく。

 窓の外には夕陽が傾き、下駄箱へ向かう廊下には長い影が伸びていた。

 

 靴を履き替えようと腰をかがめたそのとき、背後から軽い声が聞こえた。

 

「──ふくいん君!」

 

 振り向くと、トガちゃんが立っていた。

 ランドセルを抱えたまま、いつもの笑顔を浮かべている。

 

「やぁ、トガちゃん」

「今日のふくいん君、すごかったですよ! わたしのクラスでも話題でした!」

 

 僕は苦笑しながら肩をすくめる。

 

「いいのかい? 学校で僕に話しかけても」

 

「わたしは気にしません」

 

 トガちゃんは胸を張って言った。

 

「なにより、こんなにカァイイんだから! みんな変なこと言うはずがないですよ!」

 

 思わず吹き出してしまう。

 

「それは……君だけだよ」

 

「えへへ~、そうかもしれません!」

 

 トガちゃんは楽しそうに笑った。

 

 そのまま二人並んで下校する。

 夕陽に照らされた道を歩く足音が、穏やかに重なった。

 

 ──だが僕の胸の奥には、少しだけ引っかかるものがあった。

 赤木先生に相談したあの日のこと。

 そして、あの“血”のこと。

 

「……そういえば」

 

 僕は少し声を落とした。

 

「トガちゃん、この前……僕の血を舐めたけど、大丈夫だったかい? 何回も聞くけど、気になってね」

 

 トガちゃんはきょとんとしてから、あっけらかんと笑った。

 

「え? 大丈夫ですよ! あのあとも何もなかったです!」

 

「そう……それならいいんだけど」

 

 胸の奥で、小さな安堵が広がる。

 けれどその一方で、どこか不安も残る。

 

「どうしてそんなことを聞くんですか?」

 

「いや、ちょっとね」

 

 僕はぼかして答えた。

 

「えぇ~、そんな風に言われたら気になりますよ?」

 

 トガちゃんはぷくっと頬を膨らませ、子どもらしい表情を見せる。

 僕はその顔を見て、少しだけ笑った

 

「そのうち、ちゃんと話すよ」

 

 オレンジ色の光の中、二人の影が長く伸びていく。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 ある日の夕方──。

 

「新世くん、電話だよー」

 

 食堂で片付けをしていた僕に、職員の一人が声をかけた。

 孤児院の廊下を抜け、事務室にある黒電話の前に立つ。

 受話器を取ると、懐かしい声が耳に届いた。

 

『もしもし。──新世くん?』

 聞き慣れた落ち着いた声だった。

 

「赤木先生。お電話、ありがとうございます。

 結果……どうでしたか?」

 

 受話器を握る手に、自然と力が入る。

 

『あなたの血液、やはり“特殊”だと分かったわ』

 

「……特殊?」

 

『通常の人間の血液構造とは違う。

 血液中に、未知の生体エネルギー反応が確認されたの。

 ──簡単に言うと、“普通の人”には強すぎる血なのよ』

 

 僕は息をのんだ。

「じゃあ……ダメ、なんですか?」

 思わず声が震えた。

 

 電話の向こうで、赤木先生が静かに息をつく音がした。

 

『諦めるのは早いわ、新世くん』

 

「……え?」

 

『以前、彼女──その子があなたの血を舐めたとき、体に異常は出なかったでしょう?』

 

「はい。まったく……」

 

『なら、彼女だけは例外かもしれない。

 もしかすると、彼女の“個性”があなたの血に適応している可能性がある』

 

 先生の声に、ほんの少し希望が混じる。

 

『だから──一度、彼女本人と話をしたいの。

 直接、医師として確認したいのよ』

 

 僕は受話器を見つめたまま、息をのむ。

 その提案が、これからの“何か”を大きく変える予感を孕んでいた。




※挿絵はNovelAIにて自作生成したものです。


【挿絵表示】


服を着ている主人公のイメージです。
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