朝日が差し込む部屋で、僕は中学の制服のシャツに袖を通していた。
量産機の白い指先で首元を整える。
その仕草だけで、胸の奥に小さな高鳴りが生まれる。
──今日から中学生。
小学校とは違う、新しい日が始まる。
机の上のスマホが小さく震えた。
画面にはヒミコからのメッセージが表示される。
『福音くん、今家を出ました!』
僕はスマホに向かって話しかけた。
「MAGI、僕もそろそろ行くってヒミコに伝えて。
ついでに“了解”のスタンプも添えておいて」
電子音と共に了承マークが表示される。
朝の静けさの中で、それが妙に頼もしく響いた。
鞄を手に取り、部屋を出る。
***
孤児院の門を出て少し歩くと、前方に見慣れた姿があった。
「福音くーん!」
ヒミコが制服姿で手を振りながら駆け寄ってくる。
新しいブレザーと短めのスカートが、いつもより“中学生らしさ”を感じさせた。
「おはよう、ヒミコ」
僕が言うと、ヒミコは少し照れたように笑った。
「今日から一緒に通えるんですね。嬉しいです」
「うん。これから三年間、よろしく」
二人で並んで歩き出す。
朝の澄んだ空気が肌を撫で、道の先にある“新しい生活”の気配がひしひしと近づいてくる。
歩き出してすぐ、僕は横目でヒミコを見た。
「ヒミコ、その……制服、すごく似合ってるよ」
言うと、ヒミコは一瞬きょとんとして、それから頬を赤くしながら笑った。
「えへへ……ありがとうございます。
福音くんも、とっても似合ってますよ。中学生って感じで」
「そう? だったらよかった」
二人の靴音が並んでコツコツと響く。
制服も道も空気も、どれも昨日までとは少し違う。
「福音くん、同じクラスだといいですね」
「うん。それは僕も思ってた。
席が近いと、もっと話せるしね」
ヒミコは嬉しそうに頷く。
「……それに、福音くんと一緒だと、安心できますし」
その小さな言葉に胸が温かくなる。
「ねぇ、部活って入りたいとこあります?」
ヒミコが制服の袖を揺らしながら聞いてきた。
「部活か……うーん。
僕、身体能力は高いけど、運動部とかは興味ないし……。
何かみんなでできるものなら、楽しめるとは思うけど」
「私は帰宅部でもいいですけど……。
でも、福音くんと一緒に何かするのも楽しそうです」
「それなら、今度一緒に見て回ろうか。
気になるところがあったら教えて」
「はい!」
その元気な返事に、僕も思わず笑ってしまった。
朝の光の中、二人の影が並んで伸びていく。
新しい三年間が、静かに動き始めていた。
並んで歩いているうちに、自然と学校が見えてきた。
「……ここが、今日から通う中学校か」
思わず立ち止まって見上げる。
小学校よりずっと大きくて、校舎の窓が朝日で明るく光っていた。
「わぁ……! 広いですねぇ、福音くん!」
ヒミコが嬉しそうに声を弾ませる。
その横顔を見ているだけで、僕まで胸が高鳴る。
「入口のとこに、クラス分けの掲示があるみたいだよ。
見に行こうか」
「はい!」
僕たちは人の流れに合わせて昇降口の方へ向かった。
掲示板には、ずらりと並んだ紙の中に「一年A組」「一年B組」……と書かれている。
「ええと……新世福音は……」
指で追いかけて──見つけた。
「──一年C組、だって」
「ほんとですか!? じゃあ……わたしは……」
ヒミコも自分の名前を探し、見つけた瞬間──
「……あっ! 福音くん、わたしも一年C組です!!」
ぱぁっと顔を明るくして、僕の袖をぎゅっと掴む。
「同じクラスですね……!
よかった……本当によかった……!」
その喜びように、僕の心もふっとほどけるように温かくなる。
「うん、一緒でよかったよ。
じゃあ、教室に行こうか」
「はい!」
2人で階段を上がりはじめる。
新しい教室へ向かうその一歩一歩が、これからの三年を照らしてくれるような気がした。
◇◇◇◇
教室に入ると、まだ始業前だからか、生徒はまばらだった。
新しい制服のこすれる音、緊張した小声の挨拶……そんな空気が漂っている。
黒板には席順の表が張り出されていた。
「ええと……僕の席は……」
視線を滑らせて見つけると、教室の中央より少し後ろの窓側。
ヒミコは反対側の前寄りだった。
(……少し遠いね。でも、小学校の頃みたいに別クラスじゃないだけマシか)
そう自分を納得させながら席に座る。
椅子は少し硬いけれど、ここが“新しい生活のスタート地点”なんだと思うと、不思議と落ち着く。
鞄を机の横に掛け、軽く息を整えていると──
「ねぇ君、君が新世福音くんだよね?」
隣の席から声がかかった。
振り向くと、少しタレ目で、どこか人懐っこい雰囲気の男子が、興味深そうに身を乗り出していた。
「えっと……君は?」
「オレ? オレは声田 意好気(こえだ いすき)! よろしく!」
満面の笑み。
その声には“声”に敏感な彼らしい、妙に耳に残る響きがあった。
「隣の席、これから一年間よろしく、新世!」
彼はそう言って、嬉しそうに手を差し出してきた。
僕は少し驚きながらも、その手を取って握り返す。
「うん。よろしく、声田くん。
ところで……どうして僕の名前を知っていたんだい?」
声田くんは「ああ、それね」と照れくさそうに笑った。
「席順の紙、さっき見ただろ? 隣が誰になるのか気になってさ。だから名前、覚えたんだ」
「なるほど。まあ……気になるよね、隣の人って」
僕がそう言うと、声田くんは元気よくうなずき、どこか嬉しそうに笑っていた。
「なぁ、ひとつ聞いていい?」
声田くんが少し身を乗り出して、小声で尋ねてきた。
「どうしたんだい?」
「その……失礼じゃなかったらなんだけどさ。
新世って、その……目、見えてるの?」
彼の視線は、僕の“量産機の顔”へ向けられていた。
無理もない。人間らしい瞳が外からは見えないのだから。
「ああ、そのことか」
僕は首を横に振り、安心させるように言った。
「大丈夫。ちゃんと見えてるよ。
この“装甲”みたいな部分の奥に、きちんと瞳があるから」
「……そっか。よかったぁ……!」
声田くんは胸をなでおろし、ほっとした笑顔を浮かべた。
「だって、隣の席の人が見えてなかったらどうしようって思って……」
「なるほど。まあ……気になるよね、こんな見た目だと」
僕が少し照れながら言うと、
「でも見た目はアレだけど……なんか、すごく優しそうな雰囲気だったしさ!」
声田はそう言って、またにこっと笑った。
声田くんは、僕の疑問に答えたあと、少し照れくさそうに指を組んだ。
「なんか、俺ばっかり質問して悪いしさ……
代わりに、俺の個性のことも話しとくよ」
「うん。聞かせてくれると嬉しいよ」
僕が静かに頷くと、声田くんは胸を張った。
「俺の個性は“声援(せいえん)”。
好きな声を聞くと、自分の能力がぐんっとプラスされるんだ。
体が軽くなるし、集中力も上がるし……ほんと最高なんだよな」
「素敵だね。声って……不思議な力があるから」
僕はゆっくり言葉を紡いだ。
「誰かの声に触れるだけで、心が満たされたり、
あたたかくなったりする。
そういう力に支えられるなんて……とても羨ましいよ」
「っ……! わかってるじゃん新世!」
声田くんは、ぱぁっと顔を明るくした。
「そうなんだよ!
好きな声だと、テンション爆上がりするし、やる気もめっちゃ出る!」
「好きな声……か。
声田くんには、そういう“推しの声”があるんだね?」
「あるあるっ!!」
食い気味に返ってきた。
その勢いのまま、彼は机に手をつき、星でも浮かんでいそうな目で語り出す。
「エンデヴァーの声、しびれるよなぁ……!
あの重圧感! 威厳! たまんねぇんだよ!
あとベストジーニストも外せない……! 言葉の端々に品があるだろ!?
あれ聞くだけで背筋が伸びるし……うわー! 迷う!!」
「あはは……。
声田くんは、本当に“声”が好きなんだね。
その情熱……とてもいい事だと思うよ」
僕が言うと、声田は照れ笑いを浮かべて頭をかいた。
「なんか……新世に言われると、くすぐったいんだよな……」
声田くんは、ふと声のトーンを落として僕の方へ身を寄せてきた。
「……ヒーローじゃないんだけどさ。
ここ数ヶ月で“推し”になった声があってさ」
「へぇ……。誰の声なんだい?」
僕が首を傾げると、声田は一拍置いてから答えた。
「ジェントル・クリミナルだよ」
「……っ!」
思わず胸の奥が揺れた。
まさか、あの紳士とこんなところで名前が出てくるなんて。
けれど顔には出さないようにして、ゆっくり問い返す。
「どうして……ジェントルの声が?」
「いや、こないだからASMR動画を上げ始めたんだよ!
あれが良くてさぁ……!
落ち着くし、なんか癖になるんだよ!
声の色気っていうの? ああいうの初めてだったわ」
「……そう、なんだね。
君が惹かれるほどの声……きっと、すごく魅力があるんだろう」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出てしまった。
声田は「そうそう!」と身振り手振りを交えて続ける。
「ただ……やっぱヴィラン行為はやめて欲しいけどな。
あれさえなければ、普通に人気出ると思うんだよ。
だって声がめちゃくちゃいいんだもん!」
(……ああ、そうか。
あの人の声は、ちゃんと届いてるんだ)
胸の奥で、ひっそりと嬉しさが灯る。
声田は続けた。
「新世も聞いてみ?
ホント癒されるから。
なんか……包み込まれてる気がするんだよなぁ」
「……そう。
今度、聞いてみるよ」
微笑みながらそう返すと、
どこか遠くでジェントルの低い声が、ひっそりと蘇った気がした。
僕と声田くんが推しの声について話していると──
「福音くん!」
後ろから、軽やかな声が響いた。
振り向くと、ヒミコがいた。
「あ……ヒミコ」
僕が声をかけると、ヒミコは僕の隣にぴたりと立ち、
不思議そうに声田くんを見た。
「この人は……?」
「紹介するよ。
彼は声田 意好気くん。
今日、席が隣になったんだ」
「初めまして! 声田です!」
「渡我 被身子です。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるヒミコに、声田くんは少し緊張したように会釈した。
するとヒミコは、さっきの僕らの空気が気になったようで──
「そういえば福音くん、
さっき声田くんとすっごく楽しそうに話してましたけど……
何の話してたんですか?」
「ん……“推しの声”についてだよ」
僕が答えると、声田くんは急に顔を赤くした。
「わ、笑わないでくれよ!? なんか熱く語っちゃっただけで!」
ヒミコはくすっと笑って、少しだけ僕の方へ体を寄せた。
「推しの声……いいですね。
じゃあ、わたしも言っていいですか?」
「え?」
「わたしの“推し”は──福音くんです」
声田くんは「え、推しってそういう……!?」と盛大にむせ、
僕は胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。
まっすぐで、揺るぎない声だった。
そしてヒミコは、ためらうことなく続けた。
「だって福音くんの声って……すごく特別なんです」
「と、特別……?」
「はい。
あの……上手く言えないんですけど……」
ヒミコは胸の前で指を組むようにして、
言葉を一つ一つ、丁寧に選ぶように話し始めた。
「福音くんの声は、落ち着いているのに優しくて、
静かなのにちゃんと届いて……
聞いているだけで“安心していいんだ”って思えるんです。
まるで……装甲の奥から、心だけがそっと触れてくるみたいで」
僕は思わず瞬きを忘れた。
「それに……声の奥に、すこし寂しさがあって、
でもその寂しささえ“美しい”って感じるくらいで……
わたし、初めて聞いた日にびっくりしたんです。
こんな声の人、本当にいるんだって」
声田くんは完全に固まり、
教室にいた数人までが気まずそうに目をそらすほど、
ヒミコの言葉は真剣で、熱がこもっていた。
「歩くときも、笑うときも、怒ったときも……
どんな時でも福音くんの声は同じ“色”で、
ずっと変わらずわたしを安心させてくれる……
ああ、この声がそばにあるなら、
わたしは大丈夫だって思えるくらいで……」
息を整えるようにして、ヒミコはそっと微笑んだ。
「だから……わたしの“推し”は、福音くんの声です」
石田彰ボイスを全力で褒めちぎられた僕は、
ただただ固まってしまうしかなかった。
ヒミコの“僕の声全肯定宣言”が終わった瞬間、
教室の空気が、そっくり凍りついた。
──しん……。
みんな揃って、こっちを見ている気がする。
そんな静寂を破ったのは、
軽い足取りで教室に入ってきた一人の女子だった。
「……朝からすっごい愛を囁くのね、あなたたち」
明るい声。
どこか歌みたいに語尾が跳ねる、不思議な声色。
「愛っ!?」
声田くんが飛び上がる勢いで振り返る。
「なんでいるんだよ!」
「え? 新入生だから来るでしょう?」
すると彼女はきょとんとした顔で言い返す。
僕は思わず問いかけた。
「声田くん……知り合いなのかい?」
「幼馴染なんだよ! こいつ、池帆 愛っていって……」
その紹介を受けて、愛は一歩前に出て、
ふわりとスカートを揺らしながら僕たちに頭を下げた。
「池帆 愛(いけぼ あい)です。
個性は“声楽”で、声を楽器みたいに奏でられます。
福音くん、トガさん。これからよろしくね」
丁寧で、でもどこか舞台挨拶みたいな口調。
ヒミコはにこっと笑って答えた。
「渡我 被身子です。よろしくお願いします、池帆さん」
僕もそれに合わせて軽く会釈する。
「新世 福音だよ。よろしく、愛さん」
彼女は満足そうに微笑み、
横に立つ声田くんの腕をつつきながら言った。
愛は満足そうに微笑むと、
横に立つ声田くんの袖を軽く引っ張った。
「ほらほら、意好気。
朝から濃い話してたみたいだけど……そろそろ先生来るわよ?
変なところ見られたくなかったら、ちゃんと姿勢整えなさい」
「う、うるせぇよ……!」
声田くんは真っ赤になりながら前を向き直す
四人で談笑していると、教室の扉がガラリと開いた。
「──はい、席について。これから入学式に向かいますよ」
担任の先生が入ってきて、クラスの空気が少し引き締まる。
僕たちは荷物をまとめ、ぞろぞろと体育館へ向かった。
◇◇◇◇
入学式が終わり、再び教室へ戻ると──今度は“自己紹介タイム”が始まった。
ひとり、またひとりと前へ出て、名前や趣味、好きなものを語っていく。
「じゃ、次。声田 意好気くん」
声田くんは勢いよく前に出て、胸を張った。
「声田意好気です! 趣味は声を聞くこと!
推しはエンデヴァーとベストジーニスト! よろしくお願いします!」
クラスがざわついた。
「エンデヴァー!?」
「推しって言ったよね今?」
「声の趣味って何……?」
そんな声がチラホラ上がる中で、なぜか誇らしそうな声田くん。
そして──何人かの自己紹介が終わったあと、ついに僕の番になった。
「じゃあ次、新世福音くん」
その場で立ち上がり、教室中の視線が集まる。
「新世福音です。趣味は……料理、です。
よろしくお願いします」
静かに告げた──その瞬間。
「え、中学生であの声ってやばくない?」
「たしかに落ち着く……」
「ずるいって……」
「普通にかっこよすぎじゃん……」
「sexual……」
教室のあちこちで、ざわざわと小さな声が走った。
自己紹介が終わり座ると、隣の声田くんが、小声で囁いた。
「……福音、お前の声、反則レベルにいいから覚悟しとけ」
ヒミコを見ると彼女は満面の笑みで胸を張っていた。
「でしょ? 福音くんの声は、めちゃくちゃ素敵なんですから」
◇◇◇◇
それから数人の自己紹介が続き──
いよいよ、ヒミコの番がきた。
「じゃあ次、トガヒミコさん」
ヒミコは椅子からすっと立ち上がり、胸の前で両手を揃えた。
「トガヒミコです。
えっと……私は“血”が好きです」
一瞬だけ、教室の空気がピタッと止まった。
でも、ヒミコは続ける。
まっすぐ、嘘も誤魔化しもなく。
「病院と学校に許可をもらっていて、
医療用として血を飲むことがあります。
それも“個性”に関わることなので……
もしびっくりさせちゃったらごめんなさい。
でも、よかったら仲良くしてくれたら嬉しいです」
深呼吸して、丁寧に頭を下げた。
その瞬間──
「へぇ、そういう個性なんだ」
「病院が許可してるなら全然大丈夫じゃん」
「飲むって……どんな味なんだろ」
「まあ個性って色々あるしなー」
ざわざわ……ではなく、
自然な“受け入れ”の声が広がっていった。
中には興味津々に前のめりで聞いている子もいて──
誰も怖がったり、露骨に距離を置いたりしなかった。
(……よかった)
僕は胸の奥が、じんわりと暖かくなるのを感じていた。
ヒミコは小さく息を吐いて席に戻り、僕と目が合うと──
小さく、嬉しそうに微笑んだ。
◇◇◇◇
全員の自己紹介が終わると、担任の先生が手を叩いた。
「──以上で今日は終わりだ。
本格的な授業は明日からだぞ。
今日は早めに帰って、ゆっくりしておきなさい」
教室のあちこちから「やった」「よっしゃ! 最高だぜ!!!」と声が上がる。
僕が鞄を肩にかけて立ち上がった時──
すぐ横にヒミコが来て、制服の袖をちょこんとつまんだ。
「福音くん、帰りましょう」
「ああ、うん。帰ろうか」
すると、横から声が飛んできた。
「なあ! よかったら俺と愛も一緒に帰っていいか?」
声田くんだ。
その横では、愛さんが軽く会釈している。
「新世、隣同士になったのも縁だしさ。
よかったら四人で帰ろうぜ?」
僕は少し驚いて──すぐに微笑んだ。
「もちろん。ぜひ、一緒に帰ろう。
せっかく席も近いしね」
「よっしゃ! じゃあ決まり!」
声田くんが嬉しそうにガッツポーズをし、
愛は控えめに「うるさいけど、よろしくお願いね」と微笑む。
こうして、
中学最初の“友達四人組”が自然にできたのだった。
◇◇◇◇
学校からの帰り道。
春風に揺れる桜並木を、僕たち四人は並んで歩いていた。
「そういえばみんなは部活、どうするんだ?」
最初に口を開いたのは声田くんだった。
「あたしは……吹奏楽部、ちょっと気になってて」
愛が胸の前で指を組みながら言う。
「っぱそうだよな。愛の“声楽”って、音の色っていうか……響きがすごく綺麗だしさ。
絶対向いてると思う」
「そ、そんな……! でも、ありがとう意好気」
照れてほほを染める愛。
その雰囲気にトガちゃんが、ふんわり微笑んだ。
「池帆さんの個性、本当に素敵です。
音を奏でられるって、ちょっと憧れます」
「えへへ……!」
──そこで、僕はタイミングを計ったように声を発した。
「音楽は心を潤してくれる。
リリンが生み出した文化の極みだよ。
そう感じないか?」
僕の声はいつも通り。
カヲル君のような、落ち着いた響きのまま。
すると声田くんと愛さんは驚きの声を上げる。
「な、なんか急に深いこと言うな……!」
「詩的すぎてびっくりしました……!」
トガちゃんは、静かに微笑んでいる。
「福音くんは、時々こんなふうに言うんです。
カッコつけてるだけなんで驚かなくても大丈夫ですよ」
「そ、そうなのか……」
「ビックリするね、ちょっと」
僕は達成感を覚えながら空を見る。
春風が吹き抜け、四人の歩幅が自然とそろっていった。
◆◆◆◆
ある男がいた。
人は彼を“ヴィラン”と呼ぶ。
だが本人にとっては、そんな呼び名すらどうでもいい。
彼にとってもっと大事なのは──“快楽”だった。
その男の個性は《念動力》。
本来なら物を浮かせたり、離れた物体を操ったりする便利な能力だが……
男が使うのは、ただひとつ。
“見えない手”で、通行人の首を締め上げること。
そして人が息を奪われる瞬間の“顔”を見ること。
ただ、それだけ。
その日の男は、ビルの屋上に腰をかけ、
能力の副次的な感覚──《遠隔視》を使って街を見下ろしていた。
目は細く吊り上がり、乾いた唇はにたりと歪む。
彼の視界には、通りを歩く数十人の“候補”が映っていた。
「……ふ、ふふ。今日は“当たり”が多い季節だな」
そう、新学期。
街には、真新しい制服に身を包んだ子どもたちがあふれている。
未来に胸をふくらませ、期待に瞳を輝かせた子どもたち。
新しい友達、新しい環境、何もかもが眩しい季節。
男は、その輝きを──
“消える瞬間”を見るのが大好きだった。
「楽しいか? うれしいか? 未来があると思ってるのか?」
屋上で風に髪を揺らしながら、ねっとりと呟く。
「だから……いいんだ。折り砕くのが……最高なんだよ」
男の意識が街を流れ、獲物を探す指がなめらかに動く。
その時だ。
ふと一つの視界が、男の目を止めた。
道を歩く、二人の中学生。
制服姿の少女と──奇妙な“白い異形”の少年。
「……ん? なんだあれは」
笑って歩く二人に興味を惹かれ、男は遠隔視をさらに集中させた。
楽しそうに、穏やかに語り合いながら帰る二人。
そこに男の背筋をぞくりと震わせる“妄想”が浮かぶ。
「……フフ。いいなあ。いい顔するだろうなぁ……」
指が、ゆっくり、ゆっくりと空をつかむように動く。
「新しい生活だの、友情だの……
そういうのが壊れる瞬間が、いちばん美しいんだよ……」
そして、男は“標的”を決めた。
──未来を語りながら歩く、あの二人に。
男は歪んだ笑みを深めた。
「まずは……白いほうからだ」
視界の中で笑って歩く“異形”の少年。
その姿は奇妙で、普通ではない。
だからこそ──壊しがいがある。
男は指を軽くひねった。
いつも通りの手順。
これまで何十回、いや何百回と繰り返してきた“殺しの動作”。
遠隔視の焦点を少年の首に合わせ——
ぐい、と。
見えない手を、締め上げるように振り下ろす。
その瞬間。
ガンッッ!!
「……は?」
見えないはずの“何か”に、念動の手が弾かれた。
まるで鋼鉄の壁にぶつかったかのような衝撃。
男は一瞬理解が追いつかず、呆然とつぶやいた。
「な……ん、だ……?」
こんな失敗は初めてだった。
そして——次の瞬間だ。
男の足元が、じわりと“黒”に染まり始めた。
「……?」
ビルの屋上。
風が吹き抜けるはずのそこに、ありえない“影の海”が広がる。
影は地面を這うように急速に広がり、
男の足首まで絡みつく。
「お、おい……なんだよ、これ……!」
焦りが声を震わせる。
逃げようとするが足が動かない。
いや、正確には——“影に掴まれている”。
「離せっ……! 何なんだよォ!!」
影は、まるで意思を持つ生き物のようにうねり、
男の身体をずぶずぶと“地面の下”へ引きずり込んでいった。
「ひ……ッ!? ひあああああああああああああ!!」
人生で
一度として“恐怖”を感じたことのない男が、初めて味わう恐怖。
「た、助けてくれッ!! 誰か!! 助け──」
最後の叫びは、屋上に虚しく響き、
次の瞬間には、影とともに跡形もなく飲み込まれた。