放送部に入ると決めて入部届を提出した翌日。
僕は、教室へ向かって歩いていた。
この春、僕の世界はゆっくりだけど確かに広がり始めている。
そんなことをぼんやり考えながら、教室の前まで来た──そのときだった。
「──やあ、新世くん!」
声が廊下に響く。
顔を向けると、放送部の部長──放送ラジオ先輩が立っていた。
昨日のテンションの高さはなく、どこか気まずそうな顔をして。
「……部長? どうしたんですか?」
声をかけると、ラジオ先輩は眉尻を下げて、ものすごく言いづらそうに口を開いた。
「本当に申し訳ない! まずは謝るよ、新世くん!」
「えっ、いきなり……」
「……放送がね、今日の昼からになってしまったんだ」
「…………」
言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「え? ええと……今日、ですか?」
「そうなんだ。今日の昼休み。つまり──あと数時間後さ」
「…………」
僕は静かに立ち尽くす。
「ま、待ってください。僕、まだ何をするのか一切わかってないんですが」
昨日入部届を渡して、
「今後の準備はまた明日話そう」と言われた。
だから僕は、今日じっくり放送部の仕事を教わるものだとばかり思っていた。
なのに──
「今日、本番……?」
部長は胸に手を当て、苦しそうにうめいた。
「……どうも先生方は去年の時点で、放送部を“なくすつもりだった”らしくてね」
「……じゃあ、僕たち新入生が入ったのって……」
「まったくの想定外だったみたいだね」
ラジオ先輩は力なく笑った。
「先生方も慌てたみたいで……“もし今後活動実績ゼロなら、そのまま廃部”って話を昨日突然言われてね」
「……実績ゼロ……?」
「だから今日の昼休みに“テスト放送”を突発でやってみて、
いい結果が残せたら──存続できる」
そこで、ようやく僕は察した。
「……部長」
「……うん」
「もしかして、そこで“僕の声”を……?」
ラジオ先輩は、ほんの少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「君の声なら──先生方に“必要性”を示せると思ったんだ」
「…………」
僕は黙って目を伏せる。
不満はない。
怒りもない。
だけど──
「……重すぎますよ。さすがに」
今日はまだ入部初日だ。
部活の内容のすり合わせすら終わっていない。
なのに、いきなり“部の存続を賭けて話せ”と言われるなんて。
部長は深く頭を下げた。
「……ごめん」
その声には嘘がなかった。
「だけど……すまない、新世くん。
私たちはもう、本当に後がないんだ」
胸の奥を、小さく揺さぶる声だった。
放送が止まり、二人だけで続けてきた部活。
聞いてくれる人はいなくて。
誰にも見向きもされなくて。
それでも続けてきた。
……僕は昨日、入部を承諾した。
あのとき、部長も副部長も──本気で泣きそうなほど喜んでいた。
なら。
「…………わかりました」
自分でも驚くほど静かな声が出た。
ラジオ先輩は、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとう」
その目は、昨日よりも必死で。
だけどどこか救われたようにも見えた。
「じゃあ──昼休み、放送室で待ってる」
そう言って、ラジオ先輩は踵を返し、走り去った。
僕はしばらく、その姿を見送るしかなかった。
「……今日の昼か」
放送部の存続がかかった“初めての仕事”。
──たった数時間後に迫っている。
胸の奥で、静かにコアが脈打った。
緊張か。
覚悟か。
それとも、未知への期待か。
◇◇◇◇
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、僕たちは教室を飛び出した。
ヒミコと声田くんと並んで、廊下を早足で歩く。
「いやいやいやいや! いくらなんでも急すぎるだろ!」
声田くんが、戸惑いながら叫ぶ。
「昨日入部届出したばっかなんだぞ!? “明日には本番”って何のドッキリだよ!」
「わたしも、さすがに“数日準備してから”だと思ってました……!」
ヒミコも同意して、頬をぷくっとふくらませている。
その姿がほんの少し可愛く見えるのは、きっと僕が落ち着いていないせいだ。
「部長、相当追い詰められてるんだろうな……」
そう言いながら、僕たちは放送室の扉の前に到着した。
深呼吸一回。
そして扉を開ける。
「──来たかい、新世くん! そして君たちも!」
放送 ラジオ先輩が、ほっとした笑顔を向けた。
副部長の天知 無線先輩は、相変わらず淡々とした表情で立っている。
「きて早々ですまない。さっそくだけど──今日の放送内容を伝える」
ラジオ先輩の言葉に、僕たちは姿勢を正した。
「まず、急に“長時間喋れ”なんて誰も望んでない。私たちもわかってるからね」
無線先輩が口を開く。
「だから今日は、“新世に喋らせる量を最小限にする方針”でいく」
「……あ……」
僕は思わず胸をなでおろした。
正直、全てを任せられるんじゃないかと覚悟していたから、それだけで肩が軽くなる。
「よかったぁぁ!!」
声田くんは心の底から安堵の声を漏らし、ヒミコも胸に手を当てて息をついた。
「でも……だったら、場はどう繋ぐんですか?」
声田くんが真面目な顔で尋ねる。
「それについては──“音楽”でいく!」
部長は拳を握りしめて宣言した。
「もともと放送部はお昼に“BGMと雑談”を流すのが本業だった!
先生たちもそれを期待している! だから今日は“音楽リクエスト放送”として再開する!」
「曲の合間に、僕が短くコメントを入れる……って形ですか?」
「そう! 曲紹介+締めの一言! これなら新世くんの負担も最小限!」
無線先輩も頷く。
「もちろん、“君の声を聞かせること”が最大の目的だからね。
長く喋らなくても、存在感は示せる」
「なるほど……」
「喋ると言っても……何を言えばいいんでしょう?」
ヒミコが手を挙げて尋ねる。
「それについては──」
ラジオ部長が、一枚のプリントを机に広げた。
「台本を用意した!」
そこには、短いコメント例がいくつも記されている。
◆例①
『続いての曲は、先生からのリクエストです。
皆さんも残りの休み時間、どうぞゆったりお過ごしください』
◆例②
『曲を聴く時間も、大事な休息です。
教室の窓を開けて、風と一緒に楽しんでくださいね』
「うわ……めっちゃ“ラジオのそれ”だ……!」
声田くんが食い入るように見つめている。
「新世くんには、この中から2~3個読んでもらうだけでいい。
内容はテンプレっぽいが……気にしないでくれ」
「十分すぎるほど助かります」
僕は素直に頭を下げた。
その瞬間──少しだけ胸の奥が熱くなる。
部長と副部長が、“僕が喋れる範囲”をちゃんと考えてくれた。
だが一つ気になることがある。
「……すみません」
台本を見ながら、僕はそっと手を挙げた。
「こういうときって……どんなふうに喋ればいいんでしょうか」
部長は「お、いい質問だ」と指を立てて笑った。
「そうだな。僕は“自分をプレゼントマイクだと思って”喋ってるよ」
「……プレゼントマイク、ですか?」
「うん。完全に彼になったつもりで、“声のプロ”になりきるイメージだね!」
ラジオ先輩は胸を叩くような仕草で言った。
それを見ていた無線先輩が続ける。
「まあ、要は “キャラになり切る” ってことだな。
校内放送は顔が見えない。だから、普段と違う喋り方でも違和感が少ないんだ」
「なるほど……」
声田くんが、すかさず口を挟む。
「ほら、新世も覚えてるだろ?
前話したジェントルだって、日によって声色変えてるんだよ!」
「紳士っぽいテンションのときもあれば、くたびれたサラリーマン風のときもある。
キャラ分けって大事だぜ!」
横でヒミコがこくこく頷く。
「福音くんだったら……“装甲を変える”イメージでいいかもしれません」
「装甲?」
「はい。紫の姿のときみたいに、“外側を変える”だけで雰囲気そのものが変わりますよね?
だから、“喋るためのスーツ”を着るつもりで……って、そんな感じです」
それを聞いた瞬間──
僕の思考の奥が、ふっと揺れた。
(……あれ?)
“キャラを作る”……?
いや、それなら──
僕はもう、やっているのではないか?
(なら……)
渚カヲルそのものになりきればいい。
“装甲を換装するように”精神を切り替えればいい。
僕が放送する声は──
きっと、“彼の感じ”ならば恐れずに出せる。
「……なるほど」
思わず小さく笑っていた。
「なんとか、できる気がしてきました」
部長が満足げに頷く。
「そうこなくちゃ、期待してるよ──新世福音くん」
◆◆◆◆
「ミキサーは僕がやろう。
申し訳ないが、声田くんとトガくんは席に座って見ていてくれ」
副部長の言葉に、声田とトガは素直に「はい」と返事をする。
「私は新世くんの隣で台本を見せながら指示を出すよ」
部長が手元の紙束を軽く持ち上げる。
新世は放送席の椅子に座ると、深く息を吸った。
背筋を伸ばし、マイクを真正面に見据える。
彼は集中するように、意識を自らの奥底へ沈める。
「僕は、渚カヲルなんだ」
「最後の使徒であり──フィフスチルドレンだ」
その言葉は思考ではなく、声として漏れた。
しかし、あまりに小さく、聞こえたのは一人だけだった。
──トガだ。
彼女は瞬間、目を大きく見開く。
そして──
虹彩が、赤く染まった。
濃い殺気でも恐怖でもない。
ただ、血の匂いに反応する獣のような、本能的高揚。
だが誰もそれには気づかない。
新世は胸に手を当て、呼吸を整えながら部長に尋ねる。
「……誰に向けて話すつもりで喋ればいいですか?」
「いきなり“生徒の皆さん”ってのは難しいだろうからね」
「まずは家族とか、身近な誰かに語るつもりでフランクにやってみてくれ」
「家族か……」
自分に言い聞かせるように、その言葉を反芻する。
──そのときだった。
トガが小さく、低い声で呟いた。
「……碇くんはどう?」
部長・副部長・声田、全員が首をかしげる。
「え? 誰だ……?」
「クラスメイトか?」
疑問が浮かぶ中──
新世の雰囲気が、ふっと変わった。
表情が柔らかくなる。
声を出す前の、呼吸のリズムさえ変わる。
そして──
「……シンジくんか。確かに、その方が“しっくり”くる」
その瞬間、放送室の空気が変わった。
「役を演じている」ではなく──
「その存在が降りてきた」。
──そう形容するしかない“何か”が、たしかにそこにあった。
部長も、副部長も、声田も、そしてトガも。
その瞬間、彼らは見た。
マイクの前に座る新世の姿が──
一瞬だけ。
ほんの刹那。
白いウナギのような装甲の顔から、銀髪の少年の横顔に──変わったように見えたのだ。
それは錯覚かもしれなかった。
気のせいかもしれなかった。
あり得ない──はずの映像だった。
しかし、“見てしまった” という事実だけが胸に残る。
けれど、
誰も──何も言わなかった。
新世が落ち着いた声で台本を確認し、いつも通りに座り直すと、
全員は何事もなかったかのように、黙って次の準備に取りかかった。
──あれはただの見間違いだ。
そう、誰もが自分に言い聞かせるように。
けれどその違和感は
しばらく、胸のどこかに沈殿し続けることになる。
◇◇◇◇
その日、私は友達と並んで給食を食べていた。
「今日から本格的に部活か〜。もう決めた?」
「私は吹奏楽部かなぁ。あんたは?」
「んー……まだ迷ってる。帰宅部もいいなぁ」
そんな、ありふれた昼休み。
くだらない笑い声と、スプーンの触れ合う音。
ちょうどそのときだった。
──校内放送のチャイム音が鳴った。
「あれ? 放送部って去年でなくなったって聞いたけど」
「先生の放送じゃない?」
私たちが首を傾げていると、
スピーカーから、曲が流れ始めた。
聞き覚えのあるメロディ。今流行ってるやつだ。
「わ〜それ知ってる!」「最近ハマってるんだよね〜!」
友達は楽しそうにリズムを刻む。
だけど私は、なぜか。
──胸の奥がざわつくのを感じていた。
曲が終わる。
そして。
『──昼休みのひとときを彩る一曲、いかがだったかな』
落ち着いた声。
けれど、どこか現実から一歩だけズレている。
『歌って面白いよね。
聞いているだけで、心が少し“別の場所”に連れていかれる』
ほんの一瞬、教室の空気が静まる。
その声は、聞き手の胸の中心を静かに撫でていく。
『今日から──お昼の時間は、放送部が音楽とお話を届けるよ。
耳を傾けてくれたら、うれしい』
それだけを言い残し、放送は音楽へ戻った。
教室はざわつき始める。
「ねえ今の誰!?」「めっちゃ声良くない!?」「プロ呼んだの!?」
友達が話す声を、私はまるで遠くに聞くようにぼんやりと聞いていた。
◇◇◇◇
──終わった。
コアの鼓動みたいに高鳴っていた意識が、ふっと静かになる。
胸に押し当てていた手のひらから、熱が引いていく。
(……大丈夫だ。やりきれた。)
僕は、ゆっくりと息を吐いて椅子から背を離した。
さっきまで、頭の中に確かに“声”があった気がする。
何かを演じていた……いや、なりきっていた。
渚カヲルそのものとして喋っていた感覚が、まだ喉の奥に残っていた。
だがまずは確認しなければならない。
僕は顔を上げる。
部長、副部長、声田くん、ヒミコ。
四人とも──なにも言わなかった。
(…………え?)
全員が沈黙している。
表情が読めない。
それが、逆に怖かった。
(もしかして……本当に、ひどかったのか?)
急に背中が冷たくなる。
僕は思い切って口を開いた。
「……部長。どうでしたか」
声が震えた。
部長はゆっくりと、僕を見た。
喉が上下する。
そして──
「……よかったよ」
震えていたのは、部長の声だった。
「本当に……良かった。信じられないくらいに」
副部長が口元を押さえたまま、ぼそりと呟く。
「……あれを一年がやったなんて、今でも信じられない……」
視線を横へ動かす。
声田くんは、ぽかんと口を開いたまま固まっていた。
言葉が出ないらしい。
ヒミコは──ただ僕を見ていた。
声も出さず、瞬きもしないまま。
(……だったら)
僕は小さく息を吐いて、言った。
「良かったです……。迷惑をかけなくて」
言った瞬間。
部長が手を叩いた。
パン、と。
「──よし!」
急にいつもの調子に戻った声だった。
「放送も無事に終わった! じゃあ、食事の時間にしよう!」
「……食事?」
僕は思わず聞き返す。
すると副部長が補足するように説明してくれた。
「放送部はどうしても“お昼の時間”に活動するだろう?」
「はい」
「そのせいでクラスで給食が食べられないんだ。だから特例で──」
副部長は部屋の後ろを親指で指した。
そこにはトレイと配膳ワゴンが並んでいた。
「人数分、ここに運んでもらってる。昔からのシステムだ」
なるほど……と僕が頷くと、
部長が苦笑しながら言った。
「今になって思うとね……このシステムが面倒だから、先生たちは放送部を無くしたかったのかもしれない」
「ええ!? そんな理由あります?」
「あるよ!! 先生って案外、そういうとこシビアだからね!」
部長は笑っていたが、目は笑ってなかった。
僕は苦笑しつつ、思わずつぶやく。
「……でも、それでも放送を続けようとしたんですね」
部長は、少しだけ照れくさそうな顔で言った。
「続けたかったんだよ。僕は、校内放送って“文化”だと思ってる」
その言葉に、副部長が静かに頷く。
「だから──今日の君の“声”は、本当に救いだった」
僕は返事ができなかった。
ただ、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
あれは僕じゃない。
僕が演じた“誰か”だったはずなのに。
でも。
それでも。
この結果が、誰かの支えになれるのなら──
「……これから、よろしくお願いします」
自然と口から出ていた。
部長は嬉しそうに笑った。
「もちろん! 今日から私たちは同じチームだ!」
その声に、ようやく皆が動き出す。
声田くんがようやく息を吸い、ヒミコが微笑む。
これならやっていけるかも、僕はそう思った。
◆◆◆◆
白い砂浜。
赤い海。
空は存在しているのかも曖昧な、静止した景色。
その中央に──銀髪の少年の姿をした“何か”が座っていた。
偽カヲル。
彼は膝を抱え、遠くの波をぼんやりと眺めていた。
「……まさか、彼がこの段階であの状態になるとは」
声音は、驚きよりも寧ろ楽しげだった。
「予想外だよ。完全な覚醒には遠いと思っていたのに……」
目を閉じ、砂を指で軽くなぞる。
何かを確認するように。
「でも──まだだ。まだ覚醒の時ではない」
砂浜に刻まれた線が波に消される。
それをじっと見つめたまま、小さく呟く。
「準備が……足りていない。僕も、彼も」
言葉と同時に。
赤い海の深部が──脈打った。
まるで巨大な心臓が静かに一度だけ収縮したように。
波打ち際の赤が濃くなる。
海の底。
その暗い層の中に、“コア”が眠っていた。
光を閉じ込めたような紅い球体。
それが、ひときわ強く明滅する。
偽カヲルが目を細めた。
「……ん?」
赤い光が、彼の頬をかすめるように照らす。
「彼女に、力を借りる……?」
偽カヲルは、目を伏せて考えるように静かに言葉を刻む。
「確かに……彼女なら“外側”から手を伸ばせる」
波がひとつだけ音を立てる。
それは肯定のようでもあり、催促のようでもあった。
偽カヲルは立ち上がる。
裸足の足裏から、静かに砂がこぼれ落ちた。
顔を上げ──空を見上げる。
存在しないはずの太陽が、音もなく明滅する。
「わかったよ」
薄く笑う。
「なら──彼女の力を借りよう」
その声は、どこまでも優しく。
けれどその奥で、何かが静かに回り始めていた。
まるで“運命の歯車”のように。