僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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今回より、トガちゃんの名前を漢字表記「渡我 被身子」で統一していきたいと思います。
前話の出来事を経て、彼女は原作のトガヒミコとは“まったく別の道”を歩み始めました。
その区切りとして、物語上の意味も込めて、漢字表記へ変更します。

これから先の成長を見守っていただければ嬉しいです。


第拾九話 二つの声が震えるとき

 昨日、被身子が言っていた言葉。

「福音くんは福音くんのままでいてほしいです」

 ──あれがずっと胸の奥に残っている。

 

 確かに、言われてみればそうだ。

 あの時、僕は“誰かの輪郭”を借りて喋っていた。

 ううん……借りてたというより、

 その姿でしか“喋れない気がした”んだ。

 

 でも。

 

「違うよな……僕は、僕なんだ」

 

 

 僕は渚カヲルでも、誰かの代わりでも、

 誰かに作られた役割でもない。

 

 昨日の放送は、突発的に“降りてきた”だけだ。

 あの状況で、僕自身が判断して、

 “ああいう喋り方しか選べなかった”だけ。

 

「……でも、放送を“楽しみたい”って思ったのは、僕自身だったし」

 

 そう小さく呟いた瞬間──

 隣の席から背もたれがきしむ音がした。

 

「ん? 福音、なんか言った?」

 

 声田くんが、プリントを片手にこちらを見た。

 せっかくだし、ちょっと聞いてみよう。

 

「声田くん、ちょっといいかい?」

 

「どしたん?」

 

「もし──自分しか知らないアニメのキャラがいて、

 しかも自分の声がそのキャラに似てたら……どうする?」

 

 突然の質問にもかかわらず、声田くんは一瞬で真顔になった。

 

「……まあ俺だったら──」

 

 人差し指を立てて、にやり。

 

「モノマネして布教するかな! 

 それで聞いた人もファンにしちゃうぜ」

 

「ほぉーん……そういう考えもあるのか」

 

 本気で感心してしまった。

 

 布教。

 その発想はなかった。

 

 ──僕が、僕しか知らない世界の“誰か”になること。

 ──そしてその声で、この世界の人たちに喋ること。

 

 それはただのマネや模倣じゃない。

 “誰かを好きになるきっかけを届ける”ということにもなる。

 

(なるほど……そういう道もある、か)

 

 授業が始まり、前の黒板に先生が文字を書き始めた。

 でも、僕の意識は窓のほうへと向いていた。

 

 放課後の光が校庭に伸びている。

 空はどこまでも青い。

 

(エヴァは……僕しか知らない)

 

 この世界の人は誰一人として知らない。

 そもそも、この世界には存在しない。

 

 だから、この世界の人がそれを知る手段は──

 僕を通したものしかない。

 

 先生の声が遠くなる。

 

(もし……僕の“語り方”で、誰かが興味を持ってくれたら?)

 

 窓の外を見ながら、ふと胸の奥が熱くなる。

 

(僕の出せる声にファンができたら……

 “俺の好きなもの”を、俺の言葉で刷り込める。

 それって──最高に楽しいことじゃないか?)

 

 その発想は、昨日までの僕にはなかった。

 

 でも──

 声田くんの「布教するぜ!」の言葉が、なぜか胸に残っている。

 

(しかも……放送部なら“合法的”にそれができる)

 

 人に迷惑をかけるわけでもない。

 ただ、僕の声で、僕の言葉で、僕の熱を伝えるだけ。

 

(なら……僕は“俺のまま”でいい)

 

 変に誰かの真似をする必要なんてない。

 カッコつける必要もない。

 

(俺のままで、この学校の人たちを……“声オタク”にしてしまおう)

 

 その瞬間、胸の奥でコアが軽く震えた気がした。

 

 ぞくり、と背筋が熱くなる。

 

(ああ……なんだ。

 なんだかんだで、僕はやっぱり──

 “語る”ことが好きなんだな)

 

 授業の声が遠くなって、

 黒板の文字がゆっくりと背景に溶けていく。

 

(今日の放送は……もっと自分らしく。

 自分の声を“武器”にしてみよう)

 

 そう決めた途端、胸が軽くなった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 それから、数ヶ月が経った。

 

 あの日に被身子に「福音くんはそのままでいて」と言われてからの僕は──

 なんだか、肩の力が抜けたみたいに毎日が軽くなった。

 

 学校生活は、驚くほど順調だった。

 

 被身子とは相変わらず一緒に登下校して、

 授業の合間は声田くんとくだらないことで笑い合って、

 昼休みは“布教活動”という名の声色コーナーで遊び、

 放課後は放送部で原稿作ったり、新しい番組案を出したり。

 

 休みの日は孤児院で子どもたちと遊んだり、

 自分の個性の強化訓練をしたり──

 気づけば休む暇もないけど、それでも全部が楽しかった。

 

 放送部の活動にもすっかり慣れて、

 僕の担当コーナーも少しずつ増えていった。

 

 そして──

 事件が起きたのは、そんな平和な日々の“ある日”だった。

 

 その日の企画は、最近始まったばかりの新コーナー。

 

【生徒からのリクエストを募集し、できる範囲で何でも答える!】

 という、ほぼバラエティ枠みたいな企画だった。

 

 部長の「たまには軽いノリも必要だ!」という謎の熱意のもと始まったコーナーだ。

 

 ……そしてその日の放送内容は、放送部の誰もが予想できなかった事態に発展する。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

「さて、最初のコーナーは……生徒からのお便り紹介。

 

 みんなの声を、僕の声で届けていくよ」

 

 紙を一枚手に取り、すっと目を通す。

 

「えーと、なになに──

 “いい声だしすごく満足しているんだけど、一人だけの語りより、他の人との会話をしながらやってほしい”」

 

 やわらかく息が漏れる。

 

「なるほど……確かに、二人の方が“響き”は生まれやすい。

 でも残念ながら、放送部で“話す担当”は僕だけなんだ。ごめんね」

 

 次の便りを手に取る。

 

「では次のお便り。

 “男二人の夜の邂逅のような濃厚な時間がほしい”」

 

 

「……これも、二人での会話か。

 えー……次のお便りは……あ、これも似たような内容だね」

 

 少し苦笑しながら、紙をめくる。

 

「……ちょっと他のを探すよ」

 

 何枚目だろう。

 

 パラッ、パラッと紙をめくるたびに、

 文字の並びはほとんど同じだった。

 

『複数の声がほしい』『会話してほしい』『2人で語って』

 ──おびただしいほどに。

 

 どれもこれも、ほとんどが似たような内容だった。

 

 僕は訳が分からず、ゆっくり顔を上げて──

 助けを求めるように、放送室の仲間たちへ視線を向けた。

 

 部長はすぐに状況を理解したらしい。

 慌ててホワイトボードにカンペを書いてこちらへ向ける。

 

 〈音楽で場を繋げ〉

 

 なるほど! 確かに今のまま読み続けるのは危険だ。

 

「え、えー……急だけど、先生からの“特別リクエスト曲”があるから、いったんそれを流すね。では……どうぞ」

 

 僕は急いで曲を流し、

 マイクのスイッチをオフにした。

 

 音楽が部屋に満ちた瞬間、

 放送室の空気は一気に“緊急会議モード”に変わった。

 

 僕は椅子から半分立ち上がり、全員に向き直る。

 

「……どういうこと? なんでこんなに“二人で喋ってほしい”って内容ばっかり?」

 

 副部長が腕時計を見ながら言う。

 

「……稼げる時間は精々4分だぞ。曲の長さ的に」

 

 被身子が首をかしげる。

 

「一体どうしたんでしょう? なんか最近ありましたか?」

 

 その瞬間。

 

「──あ!!」

 

 声田くんが、まるで雷に打たれたみたいな声を上げた。

 

 部長が身を乗り出す。

 

「何か知っているのかい?」

 

 声田は、どこか言いにくそうにしながら説明する。

 

「もしかしたら……なんですけど。

 数日前、深夜のラジオ番組にベストジーニストとプレゼントマイクが出たんです」

 

「……プレゼントマイクが?」

 

「はい。で、普段は進行役で、絶対に“攻め”側なマイクが……ジーニストの圧に押されちゃったんですよ。完全に“受け”に回っちゃって」

 

「……は?」

 

「……ほう」

 

 声田は続ける。

 

「で、その“普段逆の立場のコンビ”が聴けるってことで、ネットではファンが大盛り上がり。

 “攻めが受ける神回”って言われてて……」

 

 被身子がぽつりと付け足す。

 

「池帆さんは……“新たな扉が開きました”って言ってましたよ?」

 

 部長は額に手を当てた。

 

「……それでか。

 なるほど、学校でも“ああいう二人の掛け合い”を聞きたくなったってわけだな……」

 

 副部長は深い溜息をつく。

 

「……中学生には刺激が強すぎるんだよ、あれは」

 

 僕は完全に置いていかれたまま、苦笑いしか出なかった。

 

(……そんな理由で、あんなリクエストが……?)

 

 部長は腕を組み、困ったように呟く。

 

「さて……どうするか」

 

 音楽は残り1分弱。

 

 時間が──足りない。

 

「……どうしようもありませんよ、どうするんですか?」

 

 思わず僕は言ってしまった。

 だって、どのお便りも“二人で喋れ”系ばかりなのだ。

 僕ひとりじゃ成立しない。

 

 部長は腕を組み、う──ーんと唸った。

 

「確かに……渡我ちゃんもいるけど、どっちかっていうと“可池帆い系”だからなぁ。

 しかも今回のリクエストは“男同士”の掛け合いを聞きたいって内容だし……」

 

 渡我は満面の笑みで胸を張る。

 

「私は悲しいです! 可愛い声しか出せません!!」

 

「いや、全然悲しそうじゃないぞ」

 

「むしろ嬉しそうだよな……」

 

 声田は続けた。

 

「愛みたいに個性で別の声でも出せりゃーなぁ。

 そしたら簡単なんだけどな」

 

 その言葉に、僕はぴたりと動きを止めた。

 

(……個性で別の声……)

 

 頭の奥で、遠い記憶がふっと蘇る。

 

 ──初めて声を出した時。

 言葉が喉から溢れてくるのが嬉しくて、何度も何度も発声した。

 

 ──その後、チルドレンたちの声を“真似できた”時も、楽しくて仕方なかった。

 

 そして。

 

(……そういえば、僕……カヲルくんだけじゃないよな。

 出せた声って……)

 

 胸の奥がじんと熱くなる。

 忘れていた何かが、形を取り戻したような感覚。

 

 その時、部長が叫んだ。

 

「やばい! そろそろ曲が終わる!!」

 

 空気が一気に緊迫する。

 

 副部長は時計を見て焦る。

 

「あと二十秒だぞ!!」

 

 その瞬間。

 

 僕はゆっくりと息を吸い──

 口元に、静かな笑みを浮かべた。

 

「……部長。僕に任せてください」

 

「えっ……新世くん!? なにか考えがあるのかい?」

 

「はい。とびきりのが一つ」

 

 部長は迷いながらも、僕の目を見て頷く。

 

「……よし。なら頼む!」

 

 曲が終わる寸前。

 僕はマイクに手を伸ばしながら、心の中で細く笑んだ。

 

(ありがとう……お便りをくれた人たち。

 君たちの方から、僕のファンになる“口実”をくれるなんてね……)

 

(──さあ。僕が“本気”を見せる番だ)

 

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 

 数日前のことだった。

 友達に「絶対聞いて!」と勧められた深夜ラジオを、私は何気なく再生した。

 

 そこでは──

 いつも自信満々で、軽快で、何が来ても動じないはずの【プレゼント・マイク】が。

 

【ベストジーニスト】に圧倒されながら、

 たじたじになって、声のトーンを崩しながら喋っていた。

 

「あ……あれ……?」

 

 聞いた瞬間、胸の奥で“何か”が弾けた。

 

 自信家が追い詰められる声。

 強い人が弱くなる瞬間。

 普段とは逆転した立場での、妙な空気。

 

 それは、私の中で

 いけない扉をゆっくりと開く音だった。

 

(……なに、この気持ち……?)

 

 私は、その夜から何度もその回を聞いた。

 家でも、学校へ行く準備でも、ふとした瞬間に思い出してしまう。

 

 もっと、聞きたい。

 似たようなものを……もっと、もっと。

 

 そんなとき、思い出した。

 

(……そうだ。お昼の校内放送)

 

 今年の放送部の“語り担当”。

 あの人の声は……すごく、すごくいい。

 

 綺麗で、低くて、落ち着いてて、でも温度があって。

 あの人がもし……

 あのラジオみたいに、もう一人と話してくれたら? 

 

 私は、考えるより先に動いていた。

 

(……書かなきゃ……!)

 

 休み時間、私は震える手でアンケートを書いた。

 内容の最後に、そっと願いを込めて。

 

 ──“二人の会話が聞きたいです”

 

 送ったあと、少し悩んだけど……

 でも、本当に聞きたかったのだ。

 

 そして今日。

 

 昼休み、私は放送を聞きながら

 心臓をぎゅっと握られたような気持ちで待っていた。

 

 ……が。

 

「えー、次のお便り……これも似たような内容だね」

 

 似た願いのお便りが、他にも届いていたらしい。

 ちょっとほっとした。

 私だけじゃないんだ──って。

 

 でもその後、彼の声はこう言った。

 

「残念だけど……できないんだ、ごめん」

 

 胸がストンと重く落ちた。

 

(……だよね。

 もし最初からそんなことできるなら、とっくにやってるよね……)

 

 わかってた。

 わかってたけど……やっぱり、残念だった。

 

 けれど。

 

 音楽が流れ始め、私は少し気持ちを落ち着けた。

 たぶん、いつも通りに次のコーナーが来るのだろう。

 

 そのはずだった。

 

 そのとき。

 音楽が静かにフェードアウトし始めた瞬間。

 

 私は“いつも通り”を待っていた。

 

 その次の瞬間、

 “いつもと違う何か”が始まるとも知らないで。

 

 音楽がふっと消え──

 教室に、あの“いつもの声”が流れ始めた。

 

 

『音楽はいいね。心を潤してくれる。

 人々が生み出した文化の極みだよ』

 

 ああ……この声だ。

 聞くたびに背筋がぞくっとする、あの声。

 

 けれど、すぐに続いた言葉に──

 私は目を瞬いた。

 

『……そう感じないか? 碇シンジ君?』

 

(……え? 誰に話しかけてるの?)

 

 思わず、手が止まる。

 周囲の友達もざわつき始めた。

 

 “シンジ君”? 

 放送部にそんな名前の男子、いたっけ……? 

 

 放送は、止まらない。

 

 次の瞬間──

 声が、変わった。

 

『……僕の名を?』

 

(違う声!?)

 

 さっきまでの落ち着いた声じゃない。

 少し戸惑ったような、柔らかい男の子の声。

 

 これ……

 これが“もう一人”? 

 まさか──本当に増やしたの……? 

 

『知らないものをないさ。

 失礼だが君は、自分の良さをもう少し知った方がいいと思うよ』

 

 まるで会話をしているように、ふたつの声が響く。

 

『……そうかな。あの、君は?』

 

『僕はカヲル。渚カヲル。

 君と同じ、中学に通うただの子供さ。放送部の生徒だよ』

 

(渚……くん? 

 放送部? 

 じゃあ……この人が……)

 

『放送部? 

 君が……その……渚君?』

 

『カヲルでいいよ、碇君』

 

『……じゃあ、僕も。シンジでいいよ』

 

 ──呼吸を忘れた。

 

 本当に、胸が動くのを忘れた。

 

 何これ。

 何を聞かされているの、私は? 

 

 心臓が、

 “ドクッ……ドクッ……”と

 さっきまでの倍の速さで暴れ出す。

 

 ふたりの声が絡み合って流れてくるたびに、

 体温が上がる。

 

(やだ……やだ……何これ……! 

 こんなの……反則……!!)

 

 机の下でぎゅっと足を押しつけ合う。

 

 周りの女子たちも顔が赤い。

 男子もざわついている。

 

 でも誰も放送を止めようとしない。

 むしろ教室がひとつの生き物みたいに、息を潜めている。

 

 だって──

 聞かずにはいられない。

 

 校内放送なのに。

 お昼なのに。

 学校なのに。

 

 “この二人が、会話している”

 

 その事実だけで、教室の空気が甘く震えていた。

 放送の中、ふたりの声が重なっていく。

 その空気は、もう校内放送とは思えないほど“ドラマの中”だった。

 

『よかったら──手伝ってくれないかい、シンジ君』

 

(て、手伝う?? 

 な、なにを……!?)

 

 教室の女子たちが一斉に息を呑む気配がした。

 男子ですら固まっている。

 

 放送なのに……

 放送なのにこんなシーン、聞いたことない! 

 

 シンジの声が、少し震えて返す。

 

『え……? 僕が? 

 いいのかな……僕でも……』

 

(ひっ……! 

 謙虚……! 

 弱気……! 

 これ……完全に狙ってる……!!)

 

 机の下で膝が跳ねる。

 

 すぐに、あの落ち着いた声が続いた。

 

『君だからいいんだよ』

 

(っっっ!?!?)

 

 やめて! 

 中学生の心臓じゃ耐えられない!! 

 

 友達の一人は顔を手で覆って、別の子は机に突っ伏して震えている。

 

 

 シンジの声が、照れながら返す。

 

『そ、そう……なんだ……

 だったら……ちょっとやってみるよ』

 

『よかった。よろしくね、シンジ君』

 

 その声は──

 やさしくて、あたたかくて、

 まるで本当に“シンジ君”の頬に触れているみたいで。

 

 女生徒は息を止めた。

 

(今……今この瞬間……

 学校中の何十人が……

 この“会話”を聞いてるんだよね……? 

 大丈夫なの……? 

 大丈夫じゃなくない!? 

 私もうだめ……死ぬ……)

 

 胸を両手で押さえながら、

 私はただ放送に釘付けになった。

 

『えっと……まずは、何をすればいいのかな?』

 

 シンジの戸惑いがそのまま声に乗る。

 

『今日はね、みんなからのお便りに答えていくのをやろうか』

 

 どこか楽しげに誘うカヲル。

 

『……うん。わかった。やってみるよ』

 

 シンジの返事が、少し頼りなくて──

 それが逆にずるいくらい“可池帆い”。

 

 私は机を握りしめた。

 

(やめて……!! 

 放送でこんな会話……!! 

 破壊力が強すぎる……!!)

 

 カヲルが優しい声で続けた。

 

『じゃあ……これはどうだい? とてもわかりやすいよ』

 

 紙がめくられる音がマイクに乗る。

 

 シンジの息が小さく入る。

 

『えっと、読んでみるね』

 

(ひ……“読んでみるね”って言った……

 その言い回しだけで尊死できる……)

 

 シンジが読み上げる。

 

『「僕は最近、お味噌汁にハマっています。

 寝ぼけた朝もすぐに目が覚めるし、“あ、朝ごはんだ”って感じがします。

 そこで、放送部員の方のお味噌汁に合うおかずはなんですか?」……だって』

 

(ほのぼの質問……! 

 なんでこの二人が読むだけでこんな破壊力なんだ……

 尊い……尊すぎる……!!)

 

 カヲルはくすっと笑った。

 

『ふふ、いい質問だね。

 シンジ君はどう思う? 朝のお味噌汁に合うもの……』

 

『え、僕?』

 

『うん。君の“好き”を聞きたいんだ』

 

(“君の好きを聞きたい”って……

 なんでそんな恋人みたいな距離感なんだよぉぉお!!)

 

 私は机に突っ伏して悶絶している。

 

 シンジが少し照れた声で返す。

 

『……そうだな……僕は、卵焼き……かな。

 甘いのでもしょっぱいのでも、お味噌汁と合うし……

 なんか、“朝だなぁ”って気持ちになるんだ』

 

(わかる……

 卵焼き……わかるけど……

 なんでこの会話で泣きそうになってるんだ私……!?) 

 

 カヲルの声が、そっと寄り添う。

 

『いいね。シンジ君の言い方だと、本当に朝が訪れたみたいに感じるよ』

 

『そ、そうかな……?』

 

『そうだよ。君が話すと、どんな朝も優しくなる』

 

(無理。

 死ぬ。

 校内放送でこんなの流していいの……!? 

 誰も止めないの……!? 

 泣く……)

 

 私の耳は真っ赤になり、脳は破裂しそうに高鳴り、

 そのまま机に突っ伏して震えるしかなかった。

 

 二人のやり取りは、まるで放送室ではなく“どこか別の空間”で喋っているようだった。

 優しい声と、少し頼りない声が交互に響き、教室は静まり返っていた。

 

 そして──ついに終わりのチャイムが近づく。

 

『そろそろ……終わりの時間だね』

 

 カヲルの声が、少し名残惜しそうに落ちる。

 

 シンジの息がマイクに触れた。

 ふっと沈むように。

 

『……そっか……』

 

 悲しそうだった。

 本当に、素直に。

 

(やめて……そんな声出さないで……!! 

 胸がしんどい……!!)

 

 カヲルが優しく続ける。

 

『今日はありがとう、シンジ君。

 君と話せて……嬉しかったよ』

 

『……うん。僕も……すごく』

 

 沈黙。

 その沈黙すら甘すぎる。 

 

 そして──別れの言葉。

 

『じゃあ……また明日だね』

 

『え……明日?』

 

 カヲルは優しく笑う声を響かせた。

 

『だって……僕はまた君と話したいんだ』

 

『……っ!?』

 

 シンジの呼吸が一瞬止まる。

 

 そして。

 

 ほんの少し照れたような声で──

 

『……うん。じゃあ……明日も、よろしく……』

 

(無理無理無理無理無理……!!! 

 “明日も話したい”って何!? 

 学校中が恋バナ聞かされてる気分なんだけど!! 

 死ぬ……ほんとに死ぬ……) 

 

 最後、カヲルが囁くように締めくくった。

 

『それじゃあ……今日のお昼の放送はここまで。

 みんな、いい午後を過ごしてね』

 

 放送が切れた瞬間──

 

 教室のあちこちで

 

「死んだ……」「生き返った……」「ありがとう……ありがとう……」

 

 と、謎の感謝の波が広がった。

 

 私はは机に突っ伏しながら思った。

 

(……ありがとう放送部。

 世界を救ったのか、滅ぼしたのかわからないけど……ありがとう……)

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 放送を止め、マイクからそっと離れた。

 

 胸の奥が、まだ微かに震えている。

 ……まるで、さっきまで別の誰かになっていたような──そんな感覚。

 

 でも、それ以上に。

 

(……完璧だった。いや、完璧以上だった)

 

 自分でも信じられない出来だった。

 声も、間も、空気も、全部が噛み合っていた。

 

 僕はゆっくりと振り返り、放送室を見渡した。

 

 まず、部長。

 

 顎が外れそうなくらい開いていた。

 あんな驚いた顔、初めて見た

 

 副部長。

 

「……う、うそだろ……?」

 

 ミキサーに手を置いたまま固まり、完全に石像。

 

 声田くん。

 

 スマホが震えっぱなしで、通知が“ブワッ! ”と増えていくのを見て

 

「え、え、え、なんだこれ!? 

 俺のスマホ壊れた!?!?」

 

 と、裏返った声で騒いでいた。

 

 そして──被身子。

 

 赤い目で、じいっと僕を見ている。

 

 目が真っ赤なのは、驚いたからだろう。

 

 僕は、みんなの“ありえない”という顔を見て、

 胸の奥がくすぐったくなった。

 

 いいね。こういう反応、嫌いじゃない。

 

 ふっと、自然に口の端が上がる。

 

 悪戯を成功させた子どものように。

 策士が計画を達成したように。

 

 そして、低く、楽しそうに呟いた。

 

 

 

「……計画通り」

 

 

 僕は胸の中でひっそりと笑う。

 

(ありがとう、お便りをくれたみんな。

 君たちが求めてくれたからこそ──僕はここまでやれた)

 

 放送部は今日、新しい扉を開いた。

 そして僕は──僕自身のまま、新しい「声」を手に入れた気がした。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 放課後池帆さんを待ちながら、僕たち三人は下駄箱の前でぼんやり立っていた。

 廊下には部活に向かう生徒たちの声が響いていて、そのざわざわが、今日一日の余韻を逆に強くしていた。

 

 僕はふと、さっきの放送のあと声田くんのスマホがずっと震えていたことを思い出して、何気なく聞いた。

 

「そういえば……お昼のとき、なんでスマホがずっと鳴ってたんだい?」

 

 声田くんは、引きつった笑顔でスマホを見せながら言った。

 

「いや〜……愛から鬼みたいに通知が来ててさ。

 “カヲル君って誰!? シンジ君って何!? 二人の関係性は!? ”って……。

 なんかもう、議事録みたいに質問がズラァーッと並んでて」

 

 被身子がくすっと笑う。

 

「確かに、休み時間ずっと興奮してました。

 “公式が供給した……公式が……! ”って震えてましたよ?」

 

 僕は小さく「ふーん」とだけ返した。

 

 すると、声田くんが「これどうすんの?」と不安げな顔で聞いてくる。

 

 僕は少し考えてから、ぽつりと言った。

 

「……じゃあ、池帆さんには“内緒”にしようか」

 

 被身子が首をかしげた。

 

「どうしてですか?」

 

「そのほうが……妄想が膨らむかなって。

 顔も正体も知らない二人の会話──って感じで、余計に楽しめるだろうし」

 

 声田くんは「あー……わかるわ」と頷いた。

 

「確かに。下手したら、新世に組みかかってくるかもしれないしな。

 “シンジ君の正体を教えなさ──ーいッ!! ”とか言って」

 

(ありえる……池帆さんなら本当にありえる)

 

 被身子がぽんと手を打ったように言った。

 

「そういえば……あの“シンジ君”? って誰なんですか?」

 

「ああ、それね」

 

 僕は少し恥ずかしくて、首の後ろを掻きながら答えた。

 

「僕は……個性の影響なのか、いろんな声を出せるんだ。

 だから、それぞれの声に“名前”をつけて呼び分けてるんだよ」

 

 声田くんが興味津々に身を乗り出す。

 

「じゃあカヲルってのは?」

 

「うん。……まあ、芸名みたいな感じかな。

 普段の僕と、“マイク越しの僕”を分けるための名前。

 もちろんどっちもちゃんと僕なんだけどね」

 

 被身子は「へぇ……」と、どこかしみじみした声で呟いた。

 

 そして、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑む。

 

「じゃあ“シンジ君”も……福音くんの中の、もう一人なんですね」

 

「そういうことになるね」

 

 僕は照れながらも笑った。

 

 反応は上々。

 池帆さんの暴走は避けられた。

 そして何より──

 

 僕は今日、僕の声でもっと自由になれた気がした。

 

 この日を境に──

 僕のお昼の校内放送は、ちょっとした “名物” になっていた。

 

 きっかけは、あの“二人での掛け合い”。

 そこから僕は色々な声を試してみた。

 

 たとえば──

 

「大人の女性の声が聞きたいです!」

 そんなお便りが来た日は、ミサトさんの声で喋った。

 

「同年代の女の子に叱ってほしい」

 という要望には、アスカの声でツンツンした調子で返した。

 

「お兄ちゃんがほしいです!」

 なんて可池帆いリクエストには、トウジの声を出して兄貴風に励ました。

 

 そして教師からの便り。

 

『なんか……殻にこもった髭の生えた渋い声が聞きたいのよねぇ……』

 

 ──あの時は本気で驚いた。

 

 まさかゲンドウの声が出せる日が来るとは思わなかった。

 

 だけど、声を当てるたびに喜ばれて、

 みんなが放送を待ってくれて──

 

 僕自身も、心の底から楽しくなっていた。

 

 気づけば季節が巡っていた。

 

 春が過ぎ、夏が過ぎ、

 気づけば吐く息が白くなるほどの冬。

 

 帰りのホームルーム。

 先生が手元のプリントをぱたんと置いて言った。

 

「えー……次の期末テストが終わったら、修学旅行に行くことに決まりました」

 

 教室が一気に湧いた。

 

「やったー!」「どこ行くんだろう!?」「マジで楽しみ!」

 

 僕も胸が高鳴った。

 心臓が“どくん”と跳ねるくらい、素直にワクワクした。

 

 友達と行く初めての修学旅行。

 トガや声田くん、池帆と一緒に、いったいどんな景色を見るんだろう。

 

 でも──

 

 この時の僕は知らなかった。

 

 あの修学旅行で、あんなことが起きるなんて。

 

 まだ誰も、気づいていなかった。

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