僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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今回の話では、物語の都合上ご都合主義的な場面が多くあります。
どうか温かい目で読んでいただけると嬉しいです。


第弐拾壱話 閉ざされた地底、発覚する力

 朝。

 僕は、ホテルの部屋のカーテンを開けた。

 

 ……目を疑った。

 

 昨日までの青い空と穏やかな風は、跡形もなく消えていた。

 窓の外一面、灰色の雲が渦を巻くように垂れこめ、

 まるで大型台風の目の中にでもいるかのようだった。

 

 海は黒い。

 波は狂ったように砕け散り、

 雨は横殴りで窓を叩きつけていた。

 

「……うそだろ」

 

 修学旅行2日目。

 本来なら青い海を見ながら行動開始のはずだった。

 なのに、この天気は──完全に詰んでいる。

 

 僕は落胆して、ベッドの上に倒れ込んだ。

 

(せっかくの修学旅行なのにな……)

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 朝食会場につくと、

 すでに被身子と声田くん、池帆さんが席に座っていた。

 

 僕が近づくと、3人とも同じような表情をしていた。

 

「福音くん、おはようございます……すごい雨ですね」

 

「おはよう。いやマジで今日は無理だよな……外、すごい雨だったぞ」

 

「修学旅行なのに嵐って、運悪すぎじゃない? 」

 

 僕は席につき、ふぅと息を吐く。

 

「……楽しみにしてたのにね」

 

「はい……でも、まだ2日目なので! なんかできることありますよ、きっと!」

 

 被身子は前向きに言ったけど、

 ときおり窓がぐらりと揺れるたび、肩をびくっとさせていた。

 

 僕の胸の中にも、

 昨日からずっとくすぶっている、嫌なざわつきがあった。

 

(……何もなければいいんだけどね)

 

 そう呟いたところで、

 ちょうど朝食会場のスピーカーから担任の声が響いた。

 

「えー全員、食べ終わったらロビーに集合! 

 本日の予定が変更になったぞー」

 

 僕らは顔を見合わせ、

 そのまま食事を済ませてロビーへ向かった。

 

 ロビーに着くと、

 クラスメイトたちもほとんど揃っていて、

 みんな窓の外の嵐を気にしながらざわついていた。

 

 担任が手にスケジュール表を持ち、

 ため息まじりに説明を始める。

 

「本来なら今日はビーチ沿いの散策だったんだが……

 この天候じゃ危険すぎる。全てキャンセルになった」

 

「そりゃそうだよなー! 外、やべぇもん!」

 

「バスも飛行機も欠航だしね」

 

 そんな声がクラスから上がる。

 担任は続けた。

 

「そこで、代わりにこのクラスは“ヒストリア・ヒーローズ博物館”に行くことになった! 

 地下型の展示施設だから、天気に左右されない。

 事前に“天候悪化時プラン”として用意されていた場所だ」

 

 ざわっ、と大きな反応が広がった。

 

「えー! あそこめっちゃ人気のやつじゃん!」

 

「昔のヒーローのレプリカスーツ見れるんだろ!? やべぇ!」

 

「地下に巨大サポートアイテムが保存されてるって聞いた!」

 

 クラスの何人かは、完全にテンションが上がっていた。

 

(……あぁ、そういえば、そんな場所あったな)

 

 僕自身は特別興味があるわけではないけど、

 天気のせいでホテルに缶詰めよりはずっと良かった。

 

 先生は念押しするように言った。

 

「館内は広いが、走るなよー。個性も使うな。

 地下三階構造だから、はぐれると危ないぞ。

 あと展示品には絶対に触らないように!」

 

 僕は苦笑いしながら頷いた。

 その瞬間、周りの空気が少しだけ変わった。

 

 ついさっきまで、

「最悪だよ……」

「なんでこのタイミングで暴風なんだよ……」

 と、どことなく沈んでいたみんなの表情が、

 ほんの少しだけ明るくなった。

 

「ヒストリア・ヒーローズ博物館って前から行きたかった!」

「マジで!? あの有名な初代ヒーローのスーツ見られるの!?」

 

 そんな声があちこちから聞こえてくる。

 

 僕は、そんなクラスの様子を見ながらふと思った。

 

(……ヒーローって、本当にこういうところでも人を助けてるんだな)

 

 展示されているのは、もう誰も着ていないスーツ。

 過去のヒーローたちの残した痕跡。

 

 それなのに——

 今、僕の周りにいる三十人近くの中学生が、その“影”だけで気持ちを持ち直している。

 

(すごいな……)

 

 胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

 隣で被身子も、ほっとしたように笑っている。

 

「……いいですね。ヒーローって、こういう時も頼りになります」

 

 声田くんは腕を組んでうんうんとうなずき、

 

「やっぱヒーローって憧れるよなぁ。

 俺もいつかああいう風に……って思うとこあるぜ」

 

 池帆は、髪をまとめ直しながら、

 

「写真いっぱい撮れるかな……! 

 あ、でも撮影禁止のとこもあるかもしれないね!」

 

 そんな風に、みんなが少しだけ前向きになっていく。

 

 僕はその光景を見て、小さく息を吐いた。

 

(……よかった。本当に)

 

 だけど胸のざわつきは、まだ少しだけ残っていた。

 昨日からずっと続いている、あの小さな不安。

 

(……何もなければ、だけど)

 

 窓の外では、相変わらず強風が波を叩きつけている。

 

 それでも僕は歩き出した。

 今日の行き先へ、何があるのかも知らないまま。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 僕たちはエスカレーターを降り、

 ひんやりとした空気に包まれた——地下展示フロアに来ていた。

 

 ここは、歴代ヒーローたちの“記録”が眠る場所らしい。

 

 スーツ、装備、写真。

 どれも僕の知らないヒーローばかりで、

 最初は戸惑ったけど……

 

(……いや、結構楽しいな)

 

 意外にも胸がワクワクしていた。

 

 隣を見ると、声田くんはというと——

 

「うおっ……! マジでベストジーニスト最高だぜ……! 

 これだけで1時間は聞けるわ……!」

 

 案内用のオーディオガイドを耳に当て、〝ベストジーニストによる展示解説〟を食い入るように聞いていた。

 

 その横では池帆が、

 

「へぇ〜……昔のサポートアイテムって、

 こんな重かったんだ……!」

 

 と、レプリカ装備を楽しそうに触っていた。

 

 そして——

 

「……はぁ……いいですねぇ……」

 

 被身子が、過去のヒーローがボロボロになりながら戦っている写真を恍惚の表情で見つめていた。

 

 僕はちょっと心配になって声をかけた。

 

「ひ、被身子……? 大丈夫?」

 

「だ、大丈夫です! すみません……

 なんか、命がけのヒーローって……こう……」

 

「こう……?」

 

「……忘れてください!」

 

 顔を真っ赤にしながら慌てる被身子。

 

(……うん。やっぱり被身子は被身子だな)

 

 思わず小さく笑ってしまった。

 

 クラスのみんなで固まって移動し、ガラスウィンドウで囲まれた展示スペースへ入った。

 

 そこは──

 この博物館最大の目玉、オールマイト特設コーナーだった。

 

 等身大パネルや歴代スーツのレプリカ、戦闘時の写真、そして笑顔。

 クラスの何人かは思わず声を上げていた。

 

「すげぇ……本物みたいだ……!」

「マジで迫力ヤバ……!」

 

 見渡すと、僕たち学生だけではなく社会科見学らしき小学生のグループ、一般客の家族連れやカップルなんかも混ざっていた。

 

 小学生たちはオールマイトの展示物に目を輝かせ、ガラス面に張りつきそうな勢いだった。

 

(……孤児院のみんなにも、お土産買ってあげたいな)

 

 キラキラした子供たちの顔を見ながら、僕はついそんなことを考えていた。

 

 ──その時。

 

 胸の奥で、何かが“警告”のように震えた。

 

(……え?)

 

 息が詰まる。

 背骨の奥を、凍った手で撫で下ろされたような感覚。

 

 “一秒後”に起こることを、体が先に理解しているような嫌な緊迫感。

 

 視界の端がざわつく。

 僕は反射的に周囲を見渡した。

 

(……来る……!)

 

 何が来るのかはわからない。

 でも確かに“来る”。

 

 僕の中の何か──

 エヴァとしての本能とも言える感覚が、悲鳴を上げていた。

 

 僕は即座に先生へ叫んだ。

 

「先生!! ……なにかが来ます!!」

 

 僕の声に、先生は一瞬だけ息を呑んだ。

 

 ヒーロー志望を何度も見てきた教師の目。

 その目が“ただならぬもの”を本能的に悟る。

 

 先生は近くの係員に駆け寄ろうとした。

 

 その瞬間──

 

 ウウウウウウウ────ー!! 

 

 けたたましい警報が、

 地下フロア全体に響き渡った。

 

 続いて、ドォンッ! と地響き。

 

 床が大きく揺れ、

 展示ガラスが震え、天井の照明が揺れた。

 

「きゃあああ!」

「なに!? 地震!?」

 

 そして──

 

 天井のスプリンクラーが誤作動し、大量の水が一気に降り注いだ。

 

 冷たい水が全身を濡らす。

 

 僕の胸の奥が──激しく警鐘を鳴らしていた。

 

(……違う。

 これは“地震”なんかじゃない……!)

 

 世界が変わる瞬間が、

 すぐそこまで迫っていた。

 

 衝撃がもう一度来た。

 展示フロア全体が波打つみたいに揺れ、何人もの生徒が立っていられず、その場に膝をつく。

 

「っ……被身子! 伏せるんだ!!」

 

 僕は反射で叫んでいた。

 被身子は驚いた顔をしたけれど、僕の声で即座に伏せる。

 

 次の瞬間──

 僕は彼女の上に覆いかぶさるようにして、エヴァの体を盾にした。

 

(……っ! 狭い! 人が多すぎる……! 

 ATフィールドは使えない……!!)

 

 ここで広域防御を展開すれば、周囲の人間を弾き飛ばしてしまう。

 ならこの体を使うしかない。

 

 展示フロアの周囲のガラスが細かくひび割れ、

 天井の奥で金属が折れるような音が連続して響く。

 

「だ、誰かっ……!」

「こわい……!」

 

 悲鳴が飛び交う中

 

 ガイド係員の一人が、絞り出すような声で叫んだ。

 

「個性を使います!! 皆さん動かないで!!」

 

 その瞬間だった。

 

 展示スペース全体が暖かい光に包まれた。

 

 ふわり、とまるで春の陽だまりみたいな光。

 

 だけど光が届いているのは“部屋の中だけ”。

 

 その光の外側で、ガラスが、床が、柱が──

 轟音と共に崩れ落ちていく。

 

「なっ……!?」

 

「大丈夫です!!」

 

 係員の女性が強い声で叫ぶ。

 

「私の個性、《個室維持》!! 

 一度“部屋”として認識した空間だけは、

 どれだけ揺れても形を保ちます!! 

 だからこの範囲だけは崩れません!! 

 皆さん動かず、光の中にいてください!!」

 

 展示スペースだけが、ぽっかりと安全地帯になっていた。

 

 声田が、全身びしょ濡れのまま叫んだ。

 

「すっげぇ……!! 

 今まさにいて欲しい人材ナンバーワンだろ……これ!!」

 

 僕も心の底からそう思った。

 

(……助かった……。

 でも──これはまだ“始まり”だ)

 

 胸の奥が、まだ警告を鳴らしている。

 

 地鳴りは、嘘みたいに唐突に止まった。

 

 ──その瞬間。

 

 展示スペースの天井を照らしていたライトが、ぱちん、と音を立てるようにして一斉に消えた。

 

「きゃっ……!」

「え……なに……?」

 

 小さな悲鳴がいくつも重なる。

 

 暗闇。

 ただ、係員さんの“個室維持”の光だけがぼんやりと空間を照らし、その淡い光に照らされた顔がいくつも揺れている。

 

 非常灯よりも弱い。

 まるで、赤子が手を伸ばして届くかどうかの明るさだ。

 

(見えない……。

 この暗さは……いやな感じだ)

 

 揺れが収まったことで、何人かがスマホを取り出す。

 

 ぽっ、ぽつっ──と白い光がいくつも浮かび上がっていく。

 

 何十個も集まると、ようやく“空間の形”がわかる程度には明るくなった。

 

 係員さんたちが手分けして声をかけ始める。

 

「怪我している人はいますかー!? 

 動かずにその場で答えてくださーい!」

 

 先生も、すぐに僕たちの方へ来て声を張る。

 

「みんな! 無事か!? 

 痛いところがあればすぐ言うんだ!」

 

「大丈夫です!」

「怪我してません!」

 

 生徒たちの声があちこちから返ってくる。

 

 先生は深く息をつき、クラス全員を確認するため点呼を始めた。

 

 名前を呼ばれるたびに、“はい! ”と返る声が僕の胸をじんわり温める。

 

 ……誰も欠けていない。

 それだけで少し肩の力が抜けた。

 

 先生は係員さんに向き直り

 

「うちのクラスは全員無事です! そちらは!」

 

「小学生の団体さんも怪我なしとのことです!」

 

「よかった……!」

 

 周囲から安堵の息が漏れる。

 

 僕は被身子の肩に手を置いて覗き込む。

 

「被身子……大丈夫? どこかぶつけてない?」

 

「……はい。福音くんが守ってくれたので、平気です」

 

 そう言ってくれたけれど、揺れで動けなかった人たちの中に混じって彼女の表情にも微かな怯えが残っていた。

 

 だから僕はそっと頷いた。

 

「怖かったね。無理はしないで」

 

 その隣で声田も、スマホの光に照らされながら肩を回していた。

 

「いやー……生きてるって感じだぜ……! 

 でも大丈夫だ、どこも折れちゃいねぇ!」

 

 池帆さんも胸を押さえて、

 

「び、びっくりしたけど……私は大丈夫……!」

 

 スマホの光が揺れる薄暗い空間で、大人たちはそれぞれ端に固まって、機材やスマホを操作しながら必死に外と連絡を取ろうとしていた。

 

 しかし。

 

「……だめだ。圏外だ」

「Wi-Fiも……反応がない……?」

 

 ざわり、と生徒たちの間に不安が広がる。

 

(やっぱり……台風並みの天気のせい、なのか? 

 それとも……ここが地下だから?)

 

 そんな疑問が頭をよぎる中、係員さんのひとりが大人たちを呼び寄せて、小声で何かを告げた。

 

 僕の位置からでも、その表情が見える。

 ただ事じゃない、という顔。

 

 先生が眉をひそめる。

 

「……どういうことですか?」

 

 係員は、重く吐息を落としてから説明を始めた。

 

「ここは……博物館の最下層にある“独立した展示スペース”なんです。

 本来なら、大型災害時にも内部構造が保てるように作られていて……」

 

 そこまで聞いて、僕の背筋にひやりとしたものが走る。

 

(でも……“独立している”ってことは──)

 

 係員さんは続けた。

 

「……逆に言えば。

 一度周囲が崩れてしまうと、外に出るのが非常に難しい造りになっています」

 

 先生や大人たちの表情が、一斉に強張った。

 

 その横で、係員さんはさらに声を落とす。

 

「そして……消火システムが誤作動した影響で、みなさんの衣服が濡れてしまったでしょう?」

 

 僕たちは思わず自分の服に触れる。

 係員さんは、その冷たさを確かめるように視線を走らせて

 

「このままだと……時間が経つにつれて体温が下がってしまいます。

 特に子どもたちは……危険です」

 

 先生が焦ったように問い返す。

 

「非常用の電源は? ライトは? エアコンは!?」

 

 すぐ別の係員が駆け寄り、苦々しい表情で言った。

 

「……それが、今回の崩落で……

 館内の非常電源との接続が、完全に絶たれてしまいまして。」

 

 生徒たちが、またざわつく。

 

(じゃあ……この暗いまま……? 

 しかも……寒さは増していく……?)

 

 しかし係員さんは、わずかな希望を残すように付け加えた。

 

「ですが……この展示区画は“特別仕様”なんです」

 

 先生が顔を上げる。

 

「特別……?」

 

「はい。

 ライトと空調の電源だけは、“独立した別回路”で稼働する仕組みなんです。

 もし電力さえ供給できれば、照明も暖房も復旧させられます」

 

 生徒たちの顔に、わずかな希望の色が浮かぶ。

 

 だが、先生がすぐ現実に引き戻す。

 

「……でも、その“電力”は? 

 ここに確保できる非常用電源はもう?」

 

 係員は歯を食いしばるようにして──

 

「……崩落に巻き込まれ、機能停止しました。

 修理も搬入も、ここでは不可能です」

 

 空気が、凍りついた。

 

(電源がない……

 ライトもつかない……

 暖房も動かない……

 しかも、外と連絡も取れない……)

 

 被身子が、そっと僕の袖をつまむ。

 

「……福音くん……」

 

 かすかに震えていた。

 

(……守らないと。

 どんな状況でも。

 何が起きても……)

 

 胸の奥で、脈が嫌な音を立てて跳ねていた。

 ただの緊張じゃない。

 “危険の匂い”がはっきりと空気に混じっている。

 

 そんな中、先生が係員に向かって声を落とした。

 

「……さっき言っていた“独立電源”ですが。

 今も生きている可能性はあるんですか?」

 

 係員は、自分の胸元の端末に触れながら頷いた。

 

「はい。

 私の“機器診断”の個性で調べたところ──

 照明回路と暖房回路、その両方の電源ユニットは“生存”しています。

 破壊はされていません」

 

 その言葉に、生徒たちの間からわずかに安堵の声が漏れた。

 

 けれど、次の一言で空気は再び重く沈む。

 

「……ただし。

 今この場で電力を生み出せるバッテリーや個性がないと復旧は不可能です」

 

 先生は振り返って、周囲の大人たちに尋ねた。

 

「電気系の個性を持つ方は……いますか?」

 

 係員たちは首を横に振る。

 

「私たちは先ほどお伝えしたように、

 一人は〈個室維持〉、私は〈機器診断〉の個性でして……」

 

「小学校の先生方は?」

 

 小学生の引率の先生たちも、不安そうに首を横に振った。

 

「一般のお客様で、該当しそうな方は……?」

 

 何人かの大人が、小さく「違います」と囁くように答える。

 

「……うちの生徒には、電気を扱える個性を持っている者はいません」

 

 先生自ら答えてしまうほど、それは“分かりきった事実”だった。

 

 だれも電力を発生させられない。

 だれも照明と暖房を復旧させられない。

 

 薄暗い密閉空間。

 濡れた服。

 体温は落ちていく一方。

 

 僕はどうにもならない現実の前で、なにもできなかった。

 

(……情けないな。

 この体なのに……僕は、何もできない)

 

 装甲に覆われた手が、小さく震えた。

 悔しさと無力さが胸の奥で混ざり合う。

 

 解決策は出ないまま、時間だけが過ぎていった。

 無理に動けば体力を消耗する。

 生徒たちも一般の人たちも、小さく身を寄せ合い、

 最低限の動きしかしていなかった。

 

 そんな中、となりで被身子がゆっくり鞄を漁り、その奥からSDATを取り出した。

 

「……壊れていない……よかった……。

 福音くんから借りたのに、もし壊れてたら……どうしようかと思いました」

 

「気にしなくていいよ。

 あんな衝撃の中で、君が無事だっただけで十分だから」

 

 僕がそう言うと、被身子は小さく微笑んでSDATを胸に抱きしめた。

 

 その時だった。

 

「……あっ! 先生!!」

 

 静まり返っていた展示室に、声田くんの大きな声が響いた。

 

「な、なんだ声田!?」

 

 先生が驚きつつ振り向く。

 

 声田くんは、自分のカバンをごそごそと探り──

 ビニールに包まれた黒い物体を取り出した。

 

「昨日、骨董品店で買った“災害用の強強電波ポータブルラジオ”、カバンに入れっぱなしなんです! 

 ビニール袋にも入れてたから、濡れてなくて……多分、動きます!!」

 

「──ッ!!」

 

 先生の表情が、一瞬にして明るくなった。

 

 周囲からもどよめきが起こる。

 

「ラジオ……!」

「外の情報がわかる……?」

「もしかしたら救助の連絡が……!」

 

 僕は息を呑んだ。

 

(……助かるのかもしれない)

 

 暗闇の中、声田くんが抱えた小さなラジオが“光”に見えた。

 

 先生は膝をついて、そのラジオを慎重に受け取る。

 

「よくぞ……持ってきたな、声田……!! 

 これで……状況がわかるかもしれん……!」

 

 その瞬間、展示スペースの空気が少しだけ軽くなった。

 絶望の底で見えた、小さな希望の灯りだった。

 

 先生は声田くんから受け取ったラジオに、付属のモバイルバッテリーを素早く接続した。

 

「……電源、入れるぞ」

 

 カチッ、とスイッチが入る。

 

 一瞬だけノイズが空間を震わせ──

 次の瞬間、かすれた声がスピーカーから溢れ出す。

 

『……ザ……ガッ……こちら、緊急災害チャンネル……聞こえる方は……』

 

「繋がった……!」

 

 展示スペースの大人たちが一斉に息を呑む。

 ノイズの向こうで、アナウンサーの必死な声が聞こえ始める。

 

『……本日……〇〇市の博物館周辺において……

 複数のヴィランによる大規模な破壊行為が発生……』

 

「ヴィ……ラン……?」

 

 誰かが震える声で繰り返す。

 

『……現在、ヒーロー数名が現場入りしていますが……

 台風級の悪天候が重なり、戦闘は膠着状態……

 被害は拡大し続けています……』

 

 周囲の空気が、一気に冷えた。

 

(……博物館の、外で?)

 

『……繰り返します。博物館外周では依然、戦闘が続いており──』

 

 ドクン。

 

 胸の奥のコアが反応する。

 

『──現在、救助班は安全確保が困難なため……

 救助活動の目処は……立っておりません……』

 

「……っ!」

 

 数人の生徒が泣きそうな声を漏らした。

 

「そんな……」

「救助、来ないのかよ……?」

「外にヴィランって……マジで……?」

 

 展示室の中が一斉にざわつく。

 子どもたちは怯えて先生にしがみつき、

 一般のお客さんは顔面蒼白になっていた。

 

 僕は拳を握りしめる。

 

(……最悪だ……

 外にはヴィラン。

 ここは地下で孤立。

 救助の目処もない……)

 

 ラジオの中では、まだアナウンスが続いている。

 

『……外出は絶対に控えてください……

 広範囲で停電が発生しており──』

 

「……やめてくれ……」

 

 誰かが呟く。

 

 その声が、やけに大きく聞こえた。

 

 絶望の空気が、じわじわと展示スペースを満たしていく。

 

(……まずい。

 被身子も、声田くんも、池帆さんも、みんな、怯えてる)

 

 被身子が、震える手でそっと僕の手を握った。

 

「……っ」

 

 振り向くと、泣きそうな顔で必死に耐える被身子と目が合う。

 

 その顔を見た瞬間──

 

「……くそッ」

 

 思わず小さく悪態が漏れた。

 

 次の瞬間、小学生の何人かが耐えきれず泣き出してしまう。

 暗闇、不安、寒さ……そこに大人たちの諦めが重なり、恐怖は一気に伝染した。

 

「いやだ……帰りたい……」

「お母さん……」

 

 子どもたちの嗚咽が、密閉空間全体に広がる。

 

 すると今度は、中学生の数人や一般客までもが絶望の声を漏らし始めた。

 

「これ……本当に大丈夫なのか……?」

「救助が来ないなんて……嘘だろ……」

 

 係員の人は必死に声を上げる。

 

「み、皆さん! 落ち着いてください! 大丈夫です、必ず──!」

 

 だが、その声は混乱の波に完全にかき消されていた。

 

 僕は奥歯を噛みしめる。

 

(どうすればいい……どうすれば……)

 

 胸の中で、コアが痛いほど脈打つ。

 

(僕は……なんで“こんな時”に何もできないんだよ……!!)

 

 自分の中にある強大な力は、“戦うため”の力でしかない。

 

 地震の中でも、人を守ることはできても──

 “今の状況”を打開する手段が何もない自分が、ひたすら悔しかった。

 

(そうだ……

 ライトさえつけば……

 暖房さえつけば……

 この絶望は多少なりとも和らぐ……)

 

 電源──

 電源が必要だ。

 

(ヤシマ作戦みたいに電力を送れれば……)

 

 そこで、思い出した。

 

 この数年の個性特訓で、

 “初号機の姿”のときだけ背中に生まれる“あの器官”のことを。

 

(……もしかしたら、もしかしたら、届く……?)

 

 だが──同時に恐怖も湧き上がる。

 

(もし試して……

 何もできなかったら……

 みんなをさらに絶望させてしまう……)

 

 すると僕のの手が、被身子の手でぎゅっと強く握られる。

 僕はその温度に意識を戻す。

 

 彼女は泣きそうなのに、笑おうとしていた。

 

「……ふ……福音くんが、何かをするのなら……

 私は……それを信じます……」

 

(……被身子……)

 

 胸が熱くなる。

 それでも僕を信じ切った顔。

 

 僕は右手の拳をゆっくりと、でも確かに強く握りしめた。

 

 逃げちゃダメだ。

 逃げちゃダメだ。

 逃げちゃダメだ。

 

 胸の中で繰り返す。

 

 そして僕は、腹の底から声を出した。

 

「──先生! お願いがあります!」

 

 展示スペース全体に、僕の声がはっきりと響く。

 

 先生は、希望と不安のどちらともつかない表情でこちらを見た。

 

「……新世、どうした?」

 

 僕は深呼吸をして、はっきりと言った。

 

「先生。先生は、僕の“個性”を知っていますよね?」

 

「……ああ。知ってる。

 “発動系の異形”、だったな」

 

「はい。最近になって“あること”に気づいたんです」

 

 先生が眉をひそめる。

 

「あること……?」

 

 周囲の大人たちも静まり返る。

 僕は背中を指さし、言葉を続けた。

 

「僕はアンビリカルケーブル、って呼んでます」

 

 係員や生徒が一瞬ピクッと反応する。

 

「背中に……コンセントみたいなものがあるんです。

 ケーブルはついてないけど……

 もし“そこに”他の電子機器を接続できれば……」

 

 係員の男性が息を呑んで呟いた。

 

「……電力の供給が……できる……?」

 

 僕はその人の方へ向き直り、強く頷いた。

 

「はい。できる“かもしれません”。

 保証はできません。でも……

 もしうまくいけば──

 照明も、暖房も……全部動かせるんです」

 

 ざわり、と周囲が揺れた。

 暗闇と寒さの中、絶望していた人たちにとって──

 久しぶりの“希望”だった。

 

「本当か……?」

「そ、それが本当なら……!」

「灯りがつく……暖房も……!」

 

 小さい子どもまでもが、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、僕を見つめてくる。

 

 僕は先生へ向き直り、背筋を伸ばした。

 

「先生。

 ──僕に、個性の使用許可をください」

 

 沈黙が落ちる。

 

 先生はしばらく目を閉じ、何かと戦うように呼吸を整えた。

 恐れ、不安、責任……全部抱えた大人の表情だった。

 

 そして、ゆっくりと目を開く。

 

「……いいだろう」

 

 胸が跳ねる。

 

「ここのクラスの責任者である俺が責任を負い判断する。

 新世 福音──個性使用を許可する!」

 

「……はい!!」

 

 自然と声が大きく出た。

 

 あまりにも必死で、あまりにも嬉しくて。

 何より、みんなの希望に──僕がなれた気がした。

 

「じゃあ……今から姿を変えます! 

 先生、その……みんなには説明をお願いします!」

 

「任せろ。福音、お前は……全力でやれ!」

 

「はい!!」

 

 濡れた服が肌に貼りつく。

 暗闇はまだ深い。

 寒さも、恐怖も、生きている。

 

 ──でも、逃げない。

 

 背中が熱くなる。

 

 僕は胸に手を当て、深く息を吸って──

 

 “エヴァンゲリオン”として、姿を変える準備をした。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 係員の人が、震える声を必死に押しとどめながら叫んだ。

 

「──ただいまより! 生徒さんによる“個性使用”が行われます! 

 これはヴィランによる攻撃ではありません! 

 どうか落ち着いてください!!」

 

 ざわついていた空気が、ぴたりと止まった。

 泣いていた子どもたちも、大人たちも、何が起きるのかわからずに息を呑む。

 

 係員の人──機械診断の個性を持つ男性が僕へ近づき、大きく頷いた。

 

「こちらです。

 壁の奥に独立している“電源ボックス”があります。

 ここに専用の電源ケーブルがありますので……

 君の背中に接続させてもらえれば、内部電力を回せるはずです」

 

 僕は一度、深く息を吸い込む。

 

「わかりました。

 では──変身したら、背中に“刺してください”」

 

 係員の人は一瞬ためらったが、覚悟したように強くうなずいた。

 

「……任せてください。必ず成功させます」

 

 僕は振り返って、クラスのみんなを見る。

 

 暗い中で、スマホの光に照らされた顔。

 

 泣きやんだ子どもたち。

 不安そうに耐える大人たち。

 そして──僕を信じる3人。

 

「福音くん、絶対大丈夫です」

 被身子が震える声で言う。

 その目は真っ赤だけど、強い意思を感じた。

 

「新世……俺、信じてるぞ!」

 声田くんが拳を握って言う。

 

「……気をつけてね」

 池帆さんの静かな声。

 

 みんなの声が胸の奥の“コア”に響いた。

 

 僕は首を縦に振る。

 

「──行くよ」

 

 服を脱ぐと内側から湧く“変身の衝動”が沸き上がる。

 

 胸に手を当て、目を閉じる。

 

(……守れ。

 逃げるな。

 僕は──守るために存在している)

 

 次の瞬間。 

 

 背骨の奥が熱くなり、音もなく“形”が変わる。

 

 初号機形態へ──完全に変わった。

 

 暗闇の中で、僕の両目が 光る。

 

 展示室の中から、息を呑んだ声が一斉にあがる。

 

「な、なんだ……あれ……」

「……ヒーロー……?」

 

 僕はみんなの恐怖を否定するように、静かに言った。

 

「──大丈夫。僕です」

 

 係員の人がケーブルを持ち、小刻みに震えながら僕の背中へ近づく。

 

「……よろしいですか?」

 

「はい。お願いします」

 

 ガコンッ!! 

 

 アンビリカルケーブルに深く刺さった。

 電流が流れ込んだように、体の中の“光”が一瞬だけ弾ける。

 

(……来る……!)

 

 両足が重くなるほどの力が内部から湧き、

 背中から“何か”が供給されていく感覚が走る。

 

 係員が電源ボックスに向かって叫ぶ。

 

「電力、来てる!! 

 負荷、耐えています!! 

 回路……生きてる!! 

 行きます、主電源──投入!!」

 

 ぱちん! 

 

 暗闇に──光が落ちた。

 

 バッ! バチッ! 

 

 展示室の天井ライトが一斉に点灯し、

 その瞬間、みんなの顔が明るく照らされた。

 

「うそ……」

「灯りが……!」

「見える……見えるぞ……!」

 

 悲鳴のような歓声が四方から上がった。

 

 そして係員が暖房のスイッチを押す。

 

 ブォォォン……! 

 

 機械音がして、

 次の瞬間──暖かい空気が吹き出した。

 

 温もりが、泣き出した子どもたちの体に触れたとたん、

 何人もの声が震えた。

 

「……あったかい……!」

「助かった……」

「本当に……助かったんだ……!」

 

 僕は背中のケーブルを軋ませながら、その光景を見つめた。

 

 泣き崩れる子ども。

 抱き合う大人。

 手を合わせて祈るように僕を見つめる人。

 

 そして──被身子が涙を溢れさせながら笑う。

 

「……福音くん……すごいです……!」

 

 僕は初号機の顔で微笑むことはできなかったけれど、胸の奥が熱く、震えていた。

 

(できた……僕でも……ちゃんと、やれた……)

 

 照明の下、僕の装甲に反射する光が、

 赤い警報の時とは違う──

 

 “希望”の色をしていた。

 

 明かりが戻った展示室は、さっきまでの暗闇が嘘のように明るくて──

 そこには、震えながらも“希望”を取り戻した人たちの声が満ちていた。

 

「暖かい……ああ、よかった……!」

「みんな、もう大丈夫だよ!」

 

 笑い声、泣き声、安堵の声。

 その全部が、僕の体に刺さったケーブルを通して、胸の奥まで伝わってくるようだった。

 

 僕は電源ボックスの前で、片膝をついたまま動かないように固定していた。

 立ち上がればケーブルが抜ける可能性がある。

 

 ——だから僕は、この姿のまま耐え続けるしかない。

 

 そのとき、先生が近づいてきた。

 

「……新世。体調に変化はないか? 無理していないか?」

 

 初号機の口には拘束具があり口を開けることができない。

 だから喋るとくぐもった声になる。

 

「……問題ありません。

 電力出力も、身体負荷もまだ許容範囲です。

 大丈夫です、先生」

 

 先生は胸を撫でおろし、少しだけ微笑んだ。

 

「……そうか。よかった」

 

 その時だった。

 

 係員の人が、場を安心させるように手を叩いて宣言した。

 

「みなさん! 

 照明と暖房が戻りましたので、次は“体温保持”を優先します! 

 まずは男女に分かれて、濡れた服と体を乾かしましょう!」

 

 その声に混ざって、小学生たちの引率の先生が手を挙げた。

 

「わ、私……“布生成”の個性があります! 

 即席ですが、丈夫なカーテンを作れます! 

 これで仕切りを作って、プライバシーは守れるはずです!」

 

 大人の男性のひとりも前に出た。

 

「俺は“そよ風”の個性持ちだ。

 風量は弱いが、優しい乾燥風が出せる。

 服も体も時間はかかるけど、確実に乾かせるぞ! 

 あと空気循環にも役立つはずだ!」

 

 周囲から安堵の声が上がった。

 

「助かります!」

「ありがたい……!」

 

 その空気の中で、被身子が僕の横にしゃがみ込み、心配そうに見上げる。

 

「……福音くん。一番大変なの、福音くんですよ……

 大丈夫ですか? 寒くないですか……?」

 

 僕は首を横に振った。

 

「僕は平気だよ。

 この外殻は濡れても問題無いから。

 それより全員が温まって……元気になってくれた方が、僕は嬉しい」

 

 被身子の目が、また少しだけ潤んだ。

 

「……福音くんは、本当に……」

 

 言葉の続きは聞こえなかった。

 けれど、彼女の表情がすべてを語っていた。

 

 僕は背中のケーブルを少しだけ揺らしながら、心の中で強く思う。

 

(——まだ終わってない。)

 

 展示室を包む暖かい空気が、

 まるでみんなを抱きしめるように広がっていった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 それから数時間後。

 

 暗く冷たい地下空間だったはずの展示室は、

 暖房と明かりがついたおかげで、すこしだけ“人の息づかい”が戻っていた。

 

 濡れた服を乾かした子供達は、ようやく震えも止まり、

 一般の人たちも肩の力が抜け、あちこちから安堵のため息が聞こえる。

 

 そんな中、小学生の引率の先生が僕のそばへ来て、

 少し困ったように、それでもどこか嬉しそうに話しかけてきた。

 

「あの……新世くん。

 子供たちの気持ちを落ち着かせたいので……近くで見てもいいでしょうか? 

 何人かが、あなたのこと……“ヒーローだ! ”って言っていて」

 

 先生は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「本来はこういうとき、不用意に近づけるべきではないのですが……

 本当に怯えていて……」

 

 僕はすぐに首を横に振った。

 

「構いません。

 少しでも気が紛れるなら……僕でよければ」

 

 先生は胸を撫でおろしつつ、小さく笑った。

 

「……ありがとう。

 くれぐれも触れないように、とだけ伝えておきます」

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 引率の先生が子どもたちへ声をかけると——

 

「えっ……近くで見ていいの!?」

「ほんと!?」

「ヒーローだぁ!!」

 

 一気に小さな歓声が上がった。

 

 それを聞いた僕のクラスメイト達も、

 遠慮がちに、でも興味津々といった顔で集まってくる。

 

「お、おい……新世の“そっちの姿”見るの初めてだよな……」

「普段の白いのは見慣れてるけど……これは……めっちゃカッコよくない?」

「すげぇ……マジで本物の人造人間じゃん……!」

 

 一般のお客さんたちも、

 

「見てもいいんですか?」

「すみません……こんな時に……」

 

 と言いながらも、やはり目が離せないらしい。

 

 僕は思わず苦笑してしまう。

 

「み、みんな……そんなに見たいのかい……?」

 

 子供達は無邪気に僕を見るたびキラキラと目を輝かせた。

 

「すごい背中だー!」

「でっかい!」

「お兄ちゃん、角だぜ!?」

「かっこいい……!」

 

 その純粋な声は、僕の胸の深いところをじんわりと温めた。

 

(……よかった。

 こうやって笑ってくれるなら……)

 

 それだけで、この姿で踏ん張った意味がある。

 

 僕は初号機の姿のまま、

 光る目を優しく細め、子供たちにできる限り柔らかい声で言った。

 

「みんな、大丈夫。

 君たちは守るよ。

 絶対に、ね」

 

 子ども達は一斉に笑顔を返した。

 

 その瞬間だけは——

 崩落した地下も、暴雨の音も、人々の不安さえも遠のいたように感じた。

 

 子どもたちも、クラスメイトも、一般の人たちも、

 ようやく落ち着いてきた頃。

 

 係員の人が先生のそばに来て、暗がりの中で申し訳なさそうに声をかけた。

 

「……そろそろ、夜中になります。

 地下なのでわかりにくいですが、確実に時間は経っています。

 体力温存のため、みなさん……少しでも仮眠を取った方がいいでしょう」

 

 先生も重く頷く。

 

「……そうだな。みんな、不安だろうが……休める時に休まないと」

 

 そして係員は僕の方へ視線を落とした。

 その目は、苦しげで、罪悪感に満ちていた。

 

「新世くん……本当に、すまない。

 照明や暖房を保つためには、君の“個性”に頼るしかないんだ。

 本当は休ませてあげたいが……どうか、もうしばらく起きていてくれないか」

 

 僕は迷わず答えた。

 

「大丈夫です。……僕なら、平気ですから」

 

 これは嘘ではない。

 この姿の僕は、眠る必要も、疲れで動けなくなることもほとんどない。

 ただ、精神の緊張だけは切らさないようにしなければならない。

 

 先生は深々と頭を下げた。

 

「……すまん。本当に、すまん。

 だが今は、お前の力に頼らせてくれ」

 

 僕は静かに頷き、少しでも安心させるように落ち着いた声を返した。

 

「任せてください。僕にできることなら、全部やります」

 

 先生と係員が仮眠の説明を始める。

 男女に分かれて休む区画を作り、

 スマホの光を最小限にして、暖房の届く範囲で身を寄せ合うように、と。

 

 暗い場所での説明だからこそ、

 みんなの不安は言葉にならず空気に混ざって広がっていく。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 そんな中——

 被身子が小さく僕のそばへ寄ってきた。

 

 濡れた制服はもう乾いているはずなのに、

 彼女の手は少しだけ震えていた。

 

「……福音くん」

 

「どうしたんだい?」

 

 被身子は迷っているように瞳を伏せ、

 それから勇気を振り絞ったみたいに顔を上げた。

 

「……少しでも、福音くんの近くにいたいんです。

 ……だから、手だけでも……握らせてほしいです」

 

 静かな声だった。

 でも、その中に“恐怖”と“安心したい気持ち”が隠しきれずに滲んでいた。

 

 その時、先生がこちらを向く。

 僕に「どうする?」と無言で問いかける視線。

 

 僕はゆっくりと手を差し出した。

 

「……もちろん。

 君が落ち着くなら、いくらでも握っていていいよ」

 

 被身子の表情が一瞬だけ緩む。

 そしてそっと僕の指に触れ、しっかりと握り込んだ。

 

 温かい。

 

 この暗い空間で、唯一確かな温度。

 

 被身子は僕の手を握りながら、

 崩れそうな声で、小さく、小さくつぶやいた。

 

「……ありがとう、福音くん」

 

 僕は片膝をついた初号機の姿のまま、

 その手を包み込むように握り返した。

 

(……大丈夫。

 ここにいる。君を守る。

 絶対に)

 

 静かな闇の中で、

 ただ小さな温もりだけが僕を支えてくれた。

 

 地下なので、時間の流れは本来わかりづらい。

 だが——人の体は正直だ。疲れたら眠る。

 

 最初は緊張で眠れなかった人たちも、

 精神的な疲労に押しつぶされるように、

 いつの間にか静かに意識を落としていた。

 

 僕は相変わらず電源ボックスの前で片膝をついた姿勢のまま。

 被身子は僕の手を握ったまま、安心したように眠っている。

 

 誰もが限界だった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 やがて

 かすかな物音に合わせ、いくつかのスマホのライトが点いた。

 

「……朝、か?」

 

「わからないけど……もう寝ちゃってたし……」

 

 時計を確認した声が聞こえる。

 

「9時……9時過ぎてます……!」

 

 ざわつきが起きる。

 

 地下の空間は相変わらず薄暗いが、

 暖房のおかげで寒さは和らぎ、

 みんなの顔色も昨晩より少しマシになっていた。

 

 係員の人が声をかける。

 

「ラジオ……つけてみましょう」

 

 ザーッ……という雑音の後、

 昨日も聞いた冷たいアナウンスが流れた。

 

「こちら緊急災害放送です。

 博物館付近のヴィランによる破壊活動は依然として続いており——

 天候悪化のため救助隊は接近できず、状況は改善していません」

 

 誰も言葉を発せなかった。

 

 昨日と同じ。

 何一つ、変わっていない。

 

「繰り返します、救助の目処は——立っていません」

 

 その言葉で、

 目を覚ましたばかりの人たちの表情が一気に曇る。

 

 そして——

 

 そこから何もできないまま、さらに10時間の時が過ぎた。

 

 

 

 

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