中学校生活も、三年生になればいろいろなことが変わってくる。
校舎の空気も、人の配置も、時間の流れ方さえも。
二年の頃には「まだ先」と思っていたものが、気づけば目の前に並び始める。
放送部の部長には、声田くんが選ばれた。
正直、驚きはなかった。
元々、真面目で責任感が強くて、人前に立つことを厭わない。
それでいて、誰かを押しのけるような強さじゃない。
放送室に立つ姿は、もうすっかり“部長”だった。
新学期が始まってすぐ、入学したばかりの一年生が何人か放送部に入ってくれた。
マイクに触れる手がおっかなびっくりで、原稿を読む声もまだ不安定で。
でも、その様子を見ていると、不思議と胸が落ち着いた。
部活が、ちゃんと続いていくんだ。
そう思えたから。
二年の心操くんは、いつの間にか“先輩”になっていた。
新しく入った後輩たちに、距離の取り方を探りながら、言葉を選びながら接している。
昔の彼を知っているからこそ、その姿が少しだけ眩しく見えた。
人は、ちゃんと変われる。
そう証明しているみたいで。
俺自身にも、変化はあった。
雄英から、推薦状を送ってもらえることになった。
それを告げられた日から、生活は目に見えて引き締まった。
以前にも増して、学業に専念するようになった。
テスト範囲を先取りし、苦手な科目を潰し、夜遅くまで机に向かう日も増えた。
──だからといって。
戦闘訓練を、忘れたわけじゃない。
むしろ逆だ。
時間が限られているからこそ、無駄な動きは削り、意味のある訓練だけを選ぶようになった。
体は、順調に強くなっている。
個性の出力も、制御精度も、確実に向上している。
それでも。
心のどこかで、引っかかり続けているものがあった。
目下の課題。
それは──
予想外の事態に対する、初動の遅さ。
判断ができないわけじゃない。
動けないわけでもない。
けれど、ほんの一拍。
ほんの一瞬。
「考えてしまう時間」が、確かに存在していた。
だから俺は、方向を変えた。
戦闘能力や、個性の出力をさらに高めるんじゃない。
技や力の話でもない。
中身だ。
自分の思考。
判断の癖。
恐怖や慢心が、どこで割り込んでくるのか。
そこに、目を向けることにした。
◇◇◇◇
暗い森の奥で、激しい衝撃音が連続してこだました。
次の瞬間、一本の巨木が大きく揺れる。
量産機の身体が、叩きつけられるように幹へと激突したのだ。
装甲が軋み、枝葉が砕け散る。
量産機は体勢を立て直そうと、ぎこちなく四肢を動かした。
だが──それよりも早く。
灰色の影が、間合いを詰めた。
初号機が、地面を蹴って突撃する。
伸ばされた右手が、量産機の首を正確に掴み取った。
初号機の目が、鋭く光る。
右腕に力が込められ、そのまま勢いを殺さず──
ぐしゃり、と。
骨格と装甲がねじ切られる音とともに、量産機の首が不自然な角度に折れ曲がった。
同時に、量産機の全身から力が抜ける。
抵抗を失ったその身体は、初号機の手にぶら下がるだけの“物体”へと変わった。
──その瞬間だった。
初号機の背後、頭上。
闇を裂くように、二体目の量産機が飛びかかってくる。
初号機は振り返ると同時に、まだ掴んだままの量産機を振り抜いた。
鈍い衝撃音。
空中で激突した二体の量産機は、そのまま絡み合うように弾き飛ばされ、地面へと叩き落とされる。
土と枯葉が舞い上がった。
だが、息をつく暇はない。
間髪入れず、別方向から剣が投げつけられる。
回転しながら迫る巨大な刃が、空気を切り裂いた。
初号機はそれを身を捻って回避する。
剣はそのまま地面へ突き刺さり、低く唸るような振動を残した。
初号機は着地と同時に、その剣の柄を掴み、力任せに引き抜く。
──直後。
別の量産機が、剣を手に突撃してきた。
互いに距離を詰め、刃が振るわれる。
剣と剣が激突した。
甲高い金属音とともに、火花が夜の森に散る。
衝撃が装甲を通じて伝わり、初号機の体が大きく揺らいだ。
重量の差。
剣の重さ。
ぶつかり合った力の総量。
初号機は、そのまま後方へと体を持っていかれる。
地面を削りながら、数歩、後退。
「くうぅぅぅ!」
初号機の喉から、押し殺しきれない声が漏れた。
体勢を立て直し、反撃に転じようと剣を振り上げる──その瞬間。
横合いから、影が滑り込んだ。
新たな量産機。
振り抜かれた刃が、迷いなく両脚を捉える。
ざんっ。
抵抗もなく、初号機の両足が切断された。
「──っ!」
足を失った衝撃で、初号機の身体はそのまま地面へと叩きつけられる。
土と枯葉が舞い、視界が一瞬、暗転した。
「くそ……まずいっ!」
叫ぶように吐き捨て、初号機は両腕で地面を掻く。
装甲を軋ませながら、必死に上体を起こした。
その視界の先。
立ち並ぶ影。
四体の量産機が、静かにこちらを見下ろしていた。
次の瞬間。
量産機たちが、一斉に飛びかかる。
鋭い顎が、初号機の装甲に食い込む。
引き剥がされ、噛み砕かれ、引きちぎられていく。
捕食。
だが──以前とは違う。
一気に息の根を止めることはしない。
意識が、途切れる寸前。
その“ギリギリ”で、動きが止まった。
視界が白く滲む。
感覚が、遠のいていく。
◇◇◇◇
(……ぐぅぅっ!)
激痛とともに、意識が現実へと引き戻された。
今、俺は──
最近やっている、新しい訓練の真っ最中だった。
「ぐうぅ……っ!」
思わず呻き声が漏れる。
痛みが強すぎて、意識が飛びそうになる。
「……相変わらず、きついっ!」
歯を食いしばりながら、俺は状況を自覚する。
今、何をしているのか。
──特訓だ。
はたから見れば、完全に“やばい光景”だろう。
量産機に囲まれ、足を失い、装甲を剥がされ、噛み砕かれている。
でも──ちゃんと、意味はある。
俺は、予想外の事態が起きると、どうしても動きが鈍る。
頭が一瞬、真っ白になる。
だから。
メンタルを鍛えるために、タブリスに頼んだ。
わざと、量産機にボコボコにしてもらう。
何度も、何度も。
仮想の“死”を体験する。
恐怖。
痛み。
焦り。
判断の遅れ。
それらを、身体に刻み込む。
ちょっとのことじゃ、動揺しないようにするために。
今もそうだ。
意識が途切れる寸前で、止めてもらう。
そして、その状態から──
自分で、戻る。
切断された身体を、再構成することに意識を集中する。
痛みを無視し、恐怖を押し潰し、ただ“回復する”ことだけに集中する。
これは、メンタルの訓練であり。
同時に、再生能力の訓練でもある。
一石二鳥。
……いや、正確には。
命がいくつあっても足りないような、
正気じゃない訓練だ。
でも。
(それでも、やらなきゃいけない)
次に同じ状況になったとき、
俺が“止まらない”ために。
そんな生活を続けているうちに、心操くんにも変化が現れた。
以前、俺と話した“武器”のこと。
どうやら、彼なりの答えを見つけたらしい。
心操くんが選んだのは──布だった。
ホームセンターで売られている、災害時にも使える特殊な布。
丈夫で、軽くて、扱い方次第で用途が大きく変わる代物だ。
彼はそれを、動きの中に取り入れていた。
鞭のようにしならせて間合いを制し、
至近距離では相手の体を絡め取るように拘束する。
最近では、離れた場所にある物を布で引き寄せる動きまで身につけていた。
まるで──
「……手足みたいだな」
思わず、そう呟いてしまったほどだ。
同じ頃、被身子の“中二病”はというと、相変わらず続いている。
日によって包帯を巻いている場所が違う。
腕だったり、首だったり、時には顔の半分だったり。
しかも。
綾波レイの姿のときですら、包帯姿でいることがある。
そのせいで、どうしても──
初期の綾波を思い出してしまう。
理由もなく、胸の奥がきゅっとするような、
そんなノスタルジーに襲われることが、時々あった。
季節は、ゆっくりと移り変わっていく。
夏が過ぎ、
風が少し冷たくなり、
木々が色づき始める。
秋。
その頃、先生から推薦書や必要書類を受け取り、
それらを雄英高校へ送付した。
そして──冬。
十二月。
今、俺は雄英高校の推薦入試・実技試験を受けるため、ここに来ている。
周囲を見渡すと、
寒さ対策で厚着をした、同い年くらいの子どもたちが歩いていた。
コートやジャケットの下からでも分かる。
鍛えられた体。
無駄のない立ち姿。
(……鍛えてて当たり前、か)
ここに来る連中は、みんな同じだ。
でも。
(俺だって、この数年間、遊んでたわけじゃない)
何度も、死ぬ思いをした。
体だけじゃない。
心も、だ。
恐怖も、痛みも、焦りも。
全部、叩き込んできた。
(……やってみるさ)
そう、心の中で決意する。
そして──
俺は、雄英高校の門をくぐった。
◇◇◇◇
「リスナーの諸君!
俺のライブにようこそー!!!」
派手な声が、会場に響き渡る。
俺は、入試会場の席に座りながら、
プレゼントマイクの“生の声”を聞いていた。
(……本物だ)
スピーカー越しじゃない、直接届く声。
(声田くんが知ったら、絶対うらやましがるだろうな)
「こいつはシビィぜ!
じゃあサクッと、実技試験の概要をプレゼンするぜ!」
その声に合わせて、
背後のモニターが光り、情報が表示される。
説明によれば、
受験者はそれぞれ会場に分かれ、模擬市街地での演習を行うらしい。
会場内には仮想敵が配置され、
敵ごとにポイントが割り振られている。
それを、各自で取り合う形式。
(……シンプルな点取り合戦、か)
分かりやすい。
だからこそ──難しい。
力だけじゃない。
判断力、立ち回り、状況把握。
全部、見られる。
「そして注意点が一つだァ!」
プレゼントマイクの声が、会場を震わせる。
「四種類目の敵は──0ポイント!
いわゆる“お邪魔虫”だァ!!」
ざわ、と空気が揺れた。
「倒したところで点にはならねぇ!
だが、所狭しと暴れ回る厄介なギミックよ!!」
(……ゲームみたいだな)
思わず、そんな感想が浮かぶ。
すると、俺の後ろで。
(面白いじゃないか)
タブリスの声が、静かに重なった。
(もしプロになれば、常に合理的な敵とだけ戦えるわけじゃない。
これは“現実に耐えられるか”を見るための、ふるい分けだろう)
(……なるほど)
確かにそうだ。
ヒーロー活動において、“点になる敵”だけを選べるわけじゃない。
「俺からは以上だァ!」
プレゼントマイクは、両手を広げる。
「最後にリスナー諸君へ!
我が校の“校訓”をプレゼントしよう!!」
会場が静まる。
「かの英雄、ナポレオン=ボナパルトは言った!
**『真の英雄とは、人生の不幸を乗り越えていく者である』**と!!」
一拍置いて。
「──Plus Ultra!!
それでは皆! 良い受験を!!!」
歓声とざわめきが入り混じる。
その中で、俺は小さく呟いた。
「……やってみるさ」
拳を握り、決意を固める。
◇◇◇◇
説明を終えた俺は、
実技会場へ向かうために用意された更衣室へと歩いていた。
……と。
「……っ、そういえば」
ふと、ある問題が頭をよぎる。
(俺の個性……服、どうなるんだ)
嫌な予感がして、周囲を見回す。
教員か、係員か、事情を聞けそうな人はいないか。
そして。
視界に、ひときわ目立つ人物が入った。
露出度の高い、白と黒を基調としたヒーローコスチューム。
鞭のような装備。
どこか挑発的で、舞台衣装のような雰囲気。
(……すごい格好だな)
だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
意を決して、声をかけた。
「すみません、一つ質問いいですか?」
「あら?」
その人は、こちらを見て微笑む。
「なにかしら?」
近くで見ると、雰囲気は意外と落ち着いている。
目つきも鋭すぎず、観察するような視線。
「えっと……自分、個性を使う関係上、戦闘中に服がなくなってしまいまして」
一瞬、間があった。
その人は、ぱちりと目を瞬かせる。
「あら……」
驚いたような表情。
だが、すぐに口元を緩めた。
「なるほどね。そういうタイプ。私と、少し似てるわ」
「……?」
引っかかる言い方に、俺は思わず聞き返した。
「あなたは、もしかして……」
「ああ、自己紹介がまだだったわね」
彼女は、くるりとこちらに向き直る。
「ここの教員をしている、ミッドナイトよ。よろしくね」
「ミッドナイト……」
その名前に、納得がいく。
(そういうことか)
確か、彼女の個性は『眠り香』。
自身の身体から放たれる香りによって、吸い込んだ相手を眠らせる能力。
(服があると使いづらい個性……同じタイプ、ってことか)
「ちなみに」
ミッドナイトは、興味深そうに首をかしげた。
「どういう風に、服が使えなくなるのかしら。
差し支えなければ、詳しく聞いても?」
「はい」
俺は一度、言葉を整理してから答える。
「自分は、今の姿から戦闘形態に変身できます。
その際、着ているものは一緒に維持できなくて……消失してしまうんです」
「……なるほど」
彼女は顎に手を当てる。
「急にその状態になると、周囲から誤解を招きやすいわね」
「はい。なので」
俺は、事前に考えていた案を口にした。
「更衣室から訓練場まで、あらかじめ個性を使った状態で移動する許可をいただけないかと」
「戦闘形態のまま、ということ?」
「はい。
ただ、その上から服を着る、という方法は取れません」
「どうして?」
「体に装甲が追加される構造なので、上から着ることも、覆うこともできないんです」
ミッドナイトは、少し困ったように眉を寄せた。
「うーん……個性が原因とはいえ、他の受験生に不安や混乱を与えるのは避けたいところね」
少しの沈黙。
そこで、俺は静かに付け加えた。
「その点については、問題にならないと思います」
「……?」
「自分には、性器がありませんから」
一瞬。
ミッドナイトは、言葉を失ったように目を見開いた。
けれど、すぐに教員としての顔に戻る。
「……あなた、受験番号と名前を聞いてもいいかしら?」
「はい。受験番号17、新世 福音です」
「少し待ってね」
そう言って、彼女は手にしていたタブレットを操作し始めた。
視線は画面に落ち、指先が軽快に動く。
数秒後。
「個性は……『人造人間』」
その言葉を、彼女はゆっくりと読み上げた。
「造られた存在に、子をなす必要がないということでしょう」
俺の言葉に、ミッドナイトは一瞬、言葉を詰まらせた。
「あなた……それは……」
続く言葉を探すように、視線が揺れる。
だが、すぐに小さく息を吐いた。
「……はぁ。分かったわ」
タブレットを閉じ、こちらを見る。
「そういう事情なら、事前の個性使用を許可します。
更衣室から試験会場までは、その形態で移動して構わないわ」
「ありがとうございます!」
俺は、深く頭を下げた。
「では、自分は──」
「ええ。良い受験を」
その言葉に背中を押されるように、俺はその場を離れた。
向かった先は、更衣室。
ロッカーを開け、制服を脱ぎ、丁寧に畳んで中へしまう。
周囲を見渡すと、他の受験生の姿はもうなかった。
どうやら、全員先に会場へ向かったらしい。
「……やりやすいな」
小さく呟き、目を閉じる。
意識を集中させる。
身体の奥で、何かが切り替わる感覚。
骨格が組み替わり、装甲が展開されていく。
量産機の姿は、静かに失われ初号機の姿へと変わる。
「……よし、行くか」
そう呟き、鞄に手を伸ばす。
取り出したのは、一枚のマント。
それを、装甲の上からふわりと羽織った。
布が揺れ、重さが背に落ち着く。
準備は、整った。
俺はそのまま、更衣室を後にした。
◇◇◇◇
「なんだよ、アレ……」
「コスチュームありなんて、ずりぃだろ」
「異形型じゃないか?」
試験会場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが広がった。
初号機の姿が珍しいのか、視線が一斉に集まる。
だが、俺はそれを気にしない。
外の音を切り捨て、頭の中でスイッチを入れる。
「こちら伊吹マヤです。これよりオペレーションを開始します」
澄んだ声が、脳裏に直接響いた。
(了解。MAGI、サポートを頼む)
「接続確認。各種センサー、正常です」
俺はマントを外し、地面に放った。
紫色の外骨格が全身を晒す。
「うわ……」
「なにあれ……」
再び上がるどよめきの中、俺はスタート位置の白線の前に立つ。
「初号機、スタート位置へ」
MAGIの声に応じ、腰を落とす。
低く、前傾。
クラウチングスタートの姿勢。
「なんだあいつ、始まる前から構えて」
「早すぎないか?」
「変な奴だな……まあラッキーか」
背後から聞こえる声を、呼吸と一緒に切り捨てる。
「仮想敵の熱源を確認。会場奥より移動開始、各エリアに分散しています」
情報を聞きながら、心拍を落とす。
集中。
今は、外界を遮断する。
動かない俺を、周囲の受験生たちが怪訝そうに見る。
そして──
「はい、スタートー!!」
(行くぞっ!!)
合図と同時に、地面を蹴った。
「へ?」
「え?」
「なに──」
視界が、流れる。
『どうした!? 実戦じゃカウントなんざねぇぞ!
走れ走れ!』
プレゼントマイクの声が、拡声されて響く。
(やっぱりね)
俺はその声を背に、加速する。
前方。
視界に、三体のロボット。
「前方、仮想敵確認! 接触します!」
「ATフィールド」
呟きと同時に、展開。
減速は、しない。
弾丸のように突っ込んだ俺の身体が、
ロボットたちを正面から弾き飛ばした。
衝撃音。
金属が軋み、宙を舞う仮想敵。
三体まとめて、空中へ。
スタート位置付近に配置されていた仮想敵は、あらかた片付いた。
「……これ以上、ここにいても意味はないか」
俺は一度だけ周囲を見回し、膝を沈める。
次の瞬間、地面を蹴った。
視界が一気に持ち上がり、目の前のビルの屋上へと飛び移る。
着地と同時に体勢を整え、そのまま会場全体を見渡した。
(俺以外の受験生は……)
視線を後方へ向ける。
スタートが遅れた影響か、まだ初動で手間取っている者が多い。
仮想敵に囲まれ、あたふたと動きを止めている姿も見える。
「……悪く思うなよ」
小さく、独り言のように呟く。
「早い者勝ちだからな──」
その瞬間。
「……っ!」
一人の受験生の背後。
死角から、仮想敵が跳びかかろうとしていた。
(ちっ)
俺は即座に視線を落とし、足元に転がっていた石を拾い上げる。
力を込め、投擲。
石は一直線に飛び、仮想敵の頭部装甲に直撃した。
ガンッ、と鈍い音。
バランスを崩した仮想敵が、わずかに動きを止める。
「……助けちゃダメ、とは言われてないもんな」
何でもないことのように呟きながら、俺は次へと意識を切り替えた。
「後方九時方向、仮想敵の集団を確認。移動してください!」
MAGIの声が、即座に指示を出す。
「了解!」
俺は屋上を蹴り、次のビルへ跳ぶ。
さらに、その先へ。
建物から建物へと渡るように、連続ジャンプ。
(やっぱり、この方が早い)
地上を走るより、障害物が少ない。
視界も広く、状況把握もしやすい。
風を切りながら、俺は会場の上空を駆けていった。
その後MAGIの指示に従い、俺は戦闘を続けた。
殴る。
蹴る。
地面の瓦礫を掴み、投げつける。
これまで積み重ねてきた訓練のすべてを、惜しみなく使う。
個性に頼りきるのではなく、体の使い方、間合い、判断──全部だ。
仮想敵を倒しながら、視界の端で周囲も見る。
危ない位置にいる受験生がいれば、気づかれないようにフォローする。
瓦礫を投げて進路を逸らしたり、仮想敵の注意を一瞬だけ引いたり。
助けたことに意味はない。
点にもならない。
それでも──無視はできなかった。
そんな戦闘を繰り返していると。
──ドン。
地面が、揺れた。
低く、重い音。
それが、一定のリズムで続く。
ドン。
ドン。
まるで──巨大な何かが、歩いているような。
「……0Pか!」
プレゼントマイクが言っていた“お邪魔虫”。
だが、距離があるはずなのに、ここまで振動が伝わってくる。
(相当デカいな……)
「MAGI、位置はわかるか?」
「三時方向、距離400! 接近中です!」
「よし……行くか」
俺は即座に進路を変え、0Pの方向へ走り出した。
すると──
前方から、受験生たちが次々と逃げてくる。
「なんだよ、あれ……!」
「勝てるわけがないよ!」
「逃げるんだ!」
「おい! そっちは危ないぞ!」
中には、俺を見て声をかけてくる者もいた。
だが、俺はその声を振り切る。
そして──視界に捉えた。
「……これは……」
思わず、息を呑む。
十メートルを超える巨体。
仮想敵0P。
見上げる形で顔を上げると、巨大な影が俺の体を覆った。
その時。
「……っ、痛っ!」
足元から、声がした。
見ると、受験生の一人が転倒している。
足を押さえ、立ち上がれずにいた。
(ちっ……!)
迷う暇はなかった。
0Pは、すでに腕を振り上げている。
その一撃で、踏み潰すつもりだ。
俺は地面を蹴った。
一直線に、0Pの正面へ。
振り下ろされる拳。
それを──
両腕を前に突き出し、正面から受け止めた。
「──っ!!」
衝撃が、全身を貫く。
「え……?」
下敷きになるはずだった受験生が、驚いた声を上げる。
俺は歯を食いしばりながら、後ろを振り返った。
「無事か?」
「……う、うん!」
「歩けそうか?」
0Pの拳を押し返しながら、問いかける。
「ごめん……足が、動けない」
倒れた受験生が、足を押さえながらそう言った。
「……そうか」
短く答え、俺は声を張り上げる。
「おい! 誰かいないか!
いるなら、この人を避難させてくれ!」
叫びながらも、両腕には重圧がかかり続けていた。
0Pの腕が、じわじわと押し込んでくる。
この状況で無理に力を入れれば、バランスを崩してこちら側に倒れる。
ATフィールドを展開すれば、今度は周囲を巻き込んでしまう。
「おい! 誰でもいい!」
だが──返事はない。
周囲を見る。
逃げてきた受験生たちは、すでに声の届かない場所まで離れていた。
「……くそ」
歯を噛みしめる。
「ヒーロー志望だろ……逃げるの、速すぎだろ……!」
悪態を吐きながら、腕に力を込める。
一瞬だけ、0Pの腕を浮かせることに成功した。
──今だ。
体を反転させ、怪我をした受験生のもとへ跳ぶ。
「失礼!」
そう声をかけると同時に、相手の体を抱え上げる。
重さはあるが、問題ない。
次の瞬間、地面を蹴った。
ビル影へ。
瓦礫を越え、さらに距離を取る。
何度か跳躍し、十分に離れたところで、そっと地面に下ろす。
「……ここまでくれば、大丈夫だろう」
受験生は息を切らしながら、俺を見上げた。
「え……あ……」
だが、俺はもう振り返っていた。
0Pは、再びこちらに向き直っている。
「じゃあ」
それだけ言って、走り出す。
「ちょ、まっ──!」
後ろから声が飛んできたが、
すでに距離は開いていた。
聞こえない。
「……せっかく逃げられたのに……」
その呟きも、俺の耳には届かなかった。
俺は、ただ──0Pのもとへ向かっていた。
巨大な影が、市街地の中央でゆっくりと動いていた。
瓦礫を踏み潰し、建物の間を進むその姿を、俺は近くのビルの屋上から捉える。
「MAGI、近くに逃げ遅れた人はいるか?」
『周辺に熱源反応なし。受験生の退避を確認しています』
「……よし。なら、やるか」
あの巨体だ。
小細工や細かな攻撃を積み重ねても、意味は薄い。
(やるなら──一撃必殺)
そう腹を決め、足に力を込める。
地面を蹴った瞬間、視界が一気に上昇した。
空気を裂きながら、俺は高く跳び上がる。
落下の勢いをそのまま殺さず、仮想敵へ一直線に向かう。
「うおぉぉぉっ!!」
叫びとともに、全体重と加速を乗せた飛び蹴りを叩き込む。
仮想敵の上半身が、鈍い音を立てて揺れた。
上空からの衝撃をまともに受け、そのまま後方へ倒れ込んでいく。
俺は、倒れるよりも早く着地した。
地面を踏みしめ、仮想敵の真下へ潜り込む。
両腕を上げ、深く息を吸う。
「──ATフィールド、全開!」
次の瞬間。
凄まじい衝撃が、全身を打ち抜いた。
空気が震え、地面が唸る。
だが、フィールドがその質量を受け止め、衝撃を殺していく。
巨体が、俺の腕の上で止まった。
(……よし)
周囲を一瞬だけ確認し、問題がないことを確かめる。
そして、後方へ跳ぶ。
支えを失った仮想敵は、そのまま横倒しになり、重い音を立てて地面に横たわった。
次の瞬間。
『──終了ー!!!』
会場全体に、アナウンスが響き渡る。
「……終わったか」
俺は肩の力を抜き、腕を大きく伸ばす。
体の奥に溜まっていた緊張が、ようやくほどけた。
その時。
「なあ、おい。あんた」
背中から、声をかけられる。
振り返ると、そこには他の受験生が立っていた。
息を切らしながら、少し戸惑ったような顔をしている。
「どうした?」
「……なんで、最後に受け止めたんだ?」
真っ直ぐな視線。
「やる意味、なかっただろ。0Pだぞ?」
「ああ、あれね」
俺は、少し考えてから答えた。
「もしかしたら、逃げ遅れた人がいるかもしれないだろ。念のためだよ」
「……は?」
相手は、目を見開く。
「そこまで、するか? 普通……」
「ああ」
即答だった。
「ヒーローになるために、ここに来たんだ。だったら、やるだろ」
言ってから、向こう側を見る。
試験終了の合図とともに、受験生たちが係員に誘導され、移動を始めていた。
「じゃあ、俺は行くよ」
それだけ言って、歩き出す。
背後で、相手が立ち尽くしている気配を感じながら。
そして、俺の姿が完全に視界から消えたのを確認すると──
その受験生は、そっと耳に手を当てた。
「……とのことです。どうですか、先生方?」
短い沈黙。
それから、どこか楽しそうな声が返ってくる。
「へぇ……そういうこと」
そのやり取りを、
ビルの上から、静かに覗いている影があった。
──タブリスは、何も言わずにその光景を見下ろしていた。
心操人使をヒーロー科に受からせるか悩んでいます。ご意見お願いいたします。
-
ヒーロー科に受かる
-
原作通り普通科