中学生として過ごす時間も、あと一か月ほどになっていた。
こうして振り返ってみると、時間の流れは本当に早い。
毎日が同じようで、でも確実に前へ進んでいて、気づけばもう戻れないところまで来ている。
そんな中で、
いちばん嬉しかった出来事と言えば──やっぱり、あれだ。
被身子の、入試の結果。
結果は、見事合格だった。
その知らせを聞いたとき、胸の奥が、ふっと軽くなるのを感じた。
僕だけじゃない。
被身子のご両親も、
クラスメイトも、
担任の先生も、
心操君も、
孤児院の友達も。
みんなが、自分のことのように喜んでくれた。
特に先生たちは、分かりやすかった。
「すごいな……」
「まさか、同じ学年から二人も雄英のヒーロー科とは……」
そんな言葉を、何度も聞いた。
誇らしげで、少し照れくさそうで。
本当に、嬉しそうだった。
僕と被身子。
二人とも、雄英高校ヒーロー科。
その事実が、この学校にとっても、特別な出来事だったんだと思う。
それから、また少し時間が流れて──
気づけば、中学校の卒業式の日になっていた。
体育館に並ぶ椅子。
見慣れた天井。
何度も聞いた校歌。
でも、そのどれもが、今日だけは少し違って見えた。
これで、この場所に通う理由は、なくなる。
終わるんだな、と。
ようやく、実感が湧いてきた。
卒業証書の入った筒を、腕に抱えながら。
僕は、校舎を見上げていた。
見慣れたはずの校舎。
毎日、当たり前のように通っていた場所。
でも──
これからは、もう「通う場所」じゃない。
そう思った瞬間、胸の奥が、少しだけ締め付けられた。
……楽しかったな。
この三年間。
放送部で過ごした日々。
学校行事で慌ただしく走り回ったこと。
心操君と、放課後に続けた特訓。
どれも、はっきりと思い出せる。
「よ!」
不意に、横から声が飛んでくる。
「新世。どうしたんだよ、そんなに校舎見て」
声田君だった。
僕は視線を校舎から外さずに、答える。
「……いや」
一度、言葉を選んでから続けた。
「今まではさ、通う場所として見てたけど……
これからは、もう来ない場所なんだなって思うと、なんだか感慨深くて」
「はは! たしかに、そうだな」
それきり、言葉は続かなかった。
二人並んで、校舎を眺める。
校庭の向こう。
窓の並び。
屋上へ続く階段。
どれも、もう過去になる。
しばらくしてから、僕は静かに口を開いた。
「……声田君」
「ん?」
振り向いた彼に、僕はまっすぐ視線を向ける。
「君に、お礼を言いたい」
「お礼?」
声田君は、きょとんとした顔をした。
「なんか、あったっけ?」
「入学式の日だよ」
そう言うと、彼は少し考えるような顔になる。
「隣に座ってた僕に、話しかけてくれただろう?」
「……ああ」
「そのおかげで、僕は君という友達ができたし、
放送部にも入ることができた」
一つ一つ、噛みしめるように言葉を選ぶ。
「だから……ありがとう」
一瞬、間があった。
それから声田君は、少し困ったように頭を掻いた。
「……そう改まって言われること、してないって」
そして、軽く肩をすくめる。
「それにさ、礼を言うなら、俺の方だろ」
「え?」
「お前といられて、この三年間……本当に楽しかった」
照れもなく、でも真剣な声だった。
「高校は別々になるけどさ」
声田君は、校舎から視線を外し、前を向く。
「お互い、頑張っていこうぜ。これから」
僕は、小さく息を吸ってから、頷いた。
「……うん」
それで、十分だった。
その後も、クラスメイトたちとしばらく話をした。
修学旅行の話。
授業中に怒られたこと。
テスト前に徹夜したこと。
どれも、今になってみれば、どうでもいいことばかりだ。
でも、だからこそ──
どれも、かけがえのない思い出だった。
やがて、校門の方から名前を呼ぶ声が増えてくる。
「じゃあなー!」
「またどこかで会おうぜ!」
親と一緒に帰っていくクラスメイトたち。
笑顔で手を振りながら、少しずつ校舎前の人数が減っていく。
僕は、卒業証書の筒を抱えたまま、その様子を眺めていた。
(そろそろかな)
被身子のご両親に、きちんと挨拶をしておきたい。
そう思って、少し待つことにする。
そのときだった。
「新世先輩」
聞き慣れた声が、背後から届く。
振り返ると、そこにいたのは心操君だった。
「卒業、おめでとうございます」
丁寧に、まっすぐな声だった。
「……ありがとう」
自然と、表情が柔らぐ。
「心操君のおかげでね。
僕の中学校生活は、すごく楽しかったよ」
一瞬、心操君は目を丸くした。
それから、少しだけ照れたように視線を逸らす。
「……そんな」
「俺は、先輩に付き合ってもらっただけで……」
「それでも、だよ」
僕は、はっきりと言った。
「一緒に特訓した時間も、話したことも、
全部、ちゃんと残ってる」
心操君は、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いて、頷く。
「……俺もです」
短い言葉だったけど、十分だった。
「放送部のこと、頼んだよ。新部長」
そう声をかけると、心操君は一瞬きょとんとしたあと、苦笑いを浮かべた。
「そう言われると……なんだか緊張しますね」
「ごめんごめん」
僕は小さく手を振る。
「そんなに無理に背負わなくていいよ。
一番大事なのは、楽しむことなんだから」
心操君は、少しだけ考えてから、はっきりと頷いた。
「……はい。
俺なりに、頑張ってみます。
部活動も、特訓も」
「うん」
その言葉が嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。
「僕もね、時々だけどこっちに顔を出す予定なんだ。
もし、その時に時間が合えば……また会おう」
「……!」
心操君の表情が、ぱっと明るくなる。
「そうですか。
じゃあ、その時は……お願いします」
「うん」
短く答えると、心操君は少し照れたように視線を逸らした。
「じゃあ……俺、声田先輩に挨拶してきます」
「うん。じゃあ、また」
そう言って、僕は歩き出そうとする。
そのときだった。
「あ、あの!」
背後から呼び止められる。
振り返ると、心操君が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「俺……本当に感謝してます」
言葉を選びながら、それでも逃げずに続ける。
「個性のことも。
ヒーローになりたいって気持ちも。
相談に乗ってくれましたし……特訓も、一緒にしてくれました」
その声には、迷いがなかった。
「だから……待っててください」
一歩、踏み出す。
「俺も、来年──
先輩と同じところに、行きますから!」
その宣言を聞いた瞬間、胸の奥が、少しだけ熱くなる。
僕は、ゆっくりと頷いた。
「……ああ」
ここだけ、自然と声が低くなる。
「待ってる。
君が、俺と同じところに来ることを」
「はい!」
心操君は、力強く返事をすると、深く頭を下げた。
そして、そのまま駆け足気味に去っていく。
その背中を見送りながら、僕は小さく息を吐いた。
「……恵まれてるな、俺は」
ぽつりと、独り言。
「あんなに、いいライバルができたんだから」
春の風が、校舎の間を抜けていく。
「……嬉しそうですね」
ふいに、そんな声がして横を見ると、被身子が隣に立っていた。
いつの間に来ていたんだろう。
気づかないくらい、僕は考え事をしていたらしい。
「うん」
少しだけ照れくさくなって、正直に答える。
「なんだろうな……。
言葉には、うまくできないんだけど」
胸の奥に残っている、温かい感覚。
「こう……心が、躍る感じだよ」
被身子は、一瞬だけ目を丸くしてから、柔らかく笑った。
「……そうですか」
それから、何かを思い出したように、ぽんと手を叩く。
「あ、そういえば。
パパとママが、福音君とお話ししたいって言ってましたよ」
「そうなんだ」
頷きながら、彼女の方を見る。
「じゃあ、ご両親のところに行こうか」
「はい」
二人並んで、校舎の前を歩き出す。
卒業証書の入った筒を抱えた生徒たちが、あちこちで写真を撮ったり、笑い合ったりしている。
その中を進みながら、ふと、思い出したように口を開いた。
「被身子」
「はい?」
「……卒業、おめでとう」
一拍置いて、続ける。
「これからも、よろしくね」
被身子は、少し驚いた顔をしてから、すぐに満面の笑顔になった。
「はい!」
迷いのない声。
「これからも、よろしくお願いしますね!」
春の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
中学生としての時間は、ここで終わる。
でも──
一緒に進む未来は、もう始まっていた。
◇◇◇◇
卒業式が終わり、孤児院に戻った僕は、ささやかな卒業パーティを開いてもらった。
ケーキがあって、みんながいて、少し照れくさくて。
でも、とても温かい時間だった。
そして春休み。
新しい生活に向けて、日々は一気に慌ただしくなっていった。
雄英指定のマンションに引っ越すための荷造り。
必要な書類を揃えるために役所へ行ったり、手続きを済ませたり。
慣れないことばかりで、正直、少し疲れたけれど──不思議と嫌ではなかった。
被身子はというと、ご両親と相談した結果、一人暮らしをすることに決めたらしい。
引っ越しの話をしたとき、彼女のご両親からは、
「何かあったら、福音君も手助けしてあげてね」
そう、穏やかに頼まれた。
もちろんです、と答えたけれど。
その言葉の裏にある心配や期待も、ちゃんと伝わってきた。
そうして、時間は流れる。
寒さが和らぎ、空気が少しずつ変わっていく。
春。
新生活の始まり。
──高校生活の始まりだ。
僕は部屋の中で、鏡の前に立っていた。
真新しい制服に袖を通す。
少しだけ、まだ馴染まない感覚。
鏡に映る自分を、じっと見つめる。
……大丈夫だ。
そう、自分に言い聞かせるように頷いてから、玄関へ向かう。
靴を履き、ドアノブに手をかける。
「いってきます」
誰もいない部屋に、そう声をかける。
返事はない。
でも、それでいい。
僕は静かに扉を閉め、新しい一歩を踏み出した。
高校生活、最初の朝。
目を覚ました瞬間から、どこか空気が違う気がした。
同じ朝のはずなのに、心なしか新鮮で、少しだけ背筋が伸びる。
支度を終え、マンションを出る。
待ち合わせの場所へ向かって歩いていると、すぐに見つけた。
道の向こうに、立っている彼女の姿。
雄英高校の制服に身を包んだ、被身子。
春の光を受けて、その姿が少し眩しく見える。
「おはよう、被身子。いい朝だね」
「福音君! はい、いい朝ですね。
制服……とても似合ってますよ」
「ありがとう」
少し照れくさくなって、視線を逸らす。
「じゃあ、行こうか」
「はい、行きましょう」
二人並んで歩き出す。
胸の奥には、期待と不安が入り混じった感情。
しばらく歩いた先で、視界が一気に開けた。
「……へぇ」
思わず、声が漏れる。
「でっかいな」
視界いっぱいに広がる雄英高校の校舎。
こうして真正面から見ると、入試の時とはまるで印象が違う。
あの時は“試される場所”だった。
でも今は──“通う場所”。
それだけで、見え方が変わる。
「独特な形、してますよね。雄英高校って」
被身子にそう言われ、改めて外観を見る。
「……ああ」
言われてみれば、確かに。
全体の配置は、どこか“H”の文字を思わせる形。
(ヒーローの“H”、ってことか)
そんなことを考えながら、校舎を見上げていた──その時だった。
……違和感。
理由は分からない。
けれど、はっきりと感じた。
視線。
どこかから、見られているような感覚。
僕は、思わず足を止めていた。
「……?」
被身子が、不思議そうに振り返る。
「どうしたんですか?」
「……ごめん」
僕は、首を横に振る。
「なんでもないよ」
(気のせい……か)
そう思おうとするけれど、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
(……いや)
(確かに、何かを感じた)
僕はもう一度、校舎を見上げる。
青空を背に、そびえ立つ雄英高校。
その中に、これから足を踏み入れる。
何かが、始まる。
そう直感しながら、再び歩き出した。
◇◇◇◇
雄英高校校舎。
高層階の窓辺に、一人の少女が立っていた。
青色の髪の少女、波動ねじれ。
その視線は、校門から校舎へと向かって歩いてくる新入生たちに注がれている。
「……」
言葉はない。
ただ、じっと見つめていた。
「ねじれ。こんなところにいたんだ」
背後から声がかかる。
少女は、ゆっくりと振り返った。
「……有弓」
呼ばれた名は、波動ねじれ。
声をかけた少女──有弓は、呆れたように肩をすくめる。
「また、例の人を探してるの?」
「うん」
ねじれは、迷いなく頷いた。
「なんか……わかんないけど、会えそうな気がして」
「でもさ」
有弓は苦笑しながら言う。
「名前も知らないんでしょ?
それに、もうすぐ入学式始まるよ」
ねじれは、少しだけ視線を伏せる。
「……うん」
そう答えて、窓から離れ、歩き出そうとした──その時だった。
ねじれは、ふと足を止める。
もう一度だけ、外を見る。
校舎を見上げて立ち止まっている新入生の姿が、視界に入った。
異形型。
白い装甲のようなものに覆われた身体。
その“白さ”が──
胸の奥に、記憶を呼び起こす。
(……)
一瞬。
その新入生の姿が、別の姿と重なった。
──あの日の、男の子。
「……!!」
ねじれの目が、見開かれる。
だが、次の瞬間。
重なった像は、霧が晴れるように消え去り、
そこにはただ、校舎を見上げる異形型の新入生がいるだけだった。
「……見間違い、か」
ぽつりと、落胆したように言葉が零れる。
ねじれは、小さく息を吐き、再び歩き出した。
入学式へ向かうために。
その背中を、誰も見ていない──はずだった。
校舎を見上げる異形型の新入生。
その、さらに後ろ。
誰にも認識されない位置に、白髪の少年が立っていた。
影のように、静かに。
同じように、校舎を見上げながら。
「……また会ったね、波動ねじれ」
その声は、誰の耳にも届かない。
「これも……宿命、というやつかな」
微かな笑みを浮かべ、
白髪の少年は、音もなくその場から消えた。
◇◇◇◇
クラスを確認しながら、指定された教室へ向かっていた。
中学校のときと同じく、被身子と同じクラスだったのは、正直かなり幸運だと思う。
知らない環境、知らない顔ばかりの中で、知っている存在がいるだけで心の負担が全然違う。
そして、教室の前に立つ。
「……扉、でかくないですか?」
被身子が、少し驚いたように言った。
確かに、異様に大きい。
中学校の教室とは明らかに造りが違う。
「たぶんだけど」
僕は、取っ手に手をかけながら答える。
「僕みたいな異形型の生徒でも、問題ないようにしてるんだと思う」
「なるほど……」
被身子は納得したように頷いた。
異様なほど大きな扉。
力を込めて引くと、静かに開いた。
教室の中には、すでに何人かの生徒がいた。
どうやら、もう自己紹介を済ませた者もいるらしく、あちこちで小さな会話が生まれている。
僕は、自分の席を確認し、そこへ向かって腰を下ろした。
視線を巡らせる。
(……異形型、多いな)
中学校とは、明らかに比率が違う。
やはり、あの戦闘特化の入試内容だと、戦闘能力に直結する個性を持つ者が集まりやすいのだろう。
そんなことを考えながら、被身子と小声で他愛もない話をしていると──
「お友達ごっこがしたいなら、他所へ行け」
低く、感情のない大人の声が、教室に響いた。
思わず、顔を向ける。
声のした方を見ると、そこには──
(……寝袋?)
教室の床に、堂々と寝袋に入ったまま横になっている男がいた。
なぜ寝袋なのか。
なぜ教室で横になっているのか。
頭の中に疑問が次々と浮かぶ。
急すぎる登場に、話していたクラスメイトたちも、驚いたように口を閉じた。
「……はい」
その男は、少しだけ身体を起こしながら言う。
「静かになるまで、14秒かかりました」
そう言って、だらけた動作で立ち上がり、寝袋を脱ぐ。
「担任の相澤消太だ。よろしくね」
……これが、担任?
正直な第一印象は──
(やけに、くたびれてる人だな)
無精ひげに、眠そうな目。
どこか気だるげで、教師らしさを感じさせない。
(担任ってことは……プロヒーロー?)
そんなことを考えている間に、相澤先生は続ける。
「早速だが、体操服に着替えてグラウンドに出ろ」
そう言って、体操服を片手に掲げると、こちらの返事も待たずに教室を出ていった。
……置いていかれた。
クラスメイトたちは、何をしていいのか分からず、互いの顔を見合わせている。
「体操服……」
僕は、小さく呟く。
「とりあえず、聞いた方がよさそうだ」
そう判断して、席を立つと教室を出た。
廊下を進み、角を曲がったところで、相澤先生の背中を見つける。
「相澤先生!」
声をかけると、先生は立ち止まり、こちらを振り返った。
「……お前は」
一瞬、こちらを見てから言う。
「新世か。どうした」
「その……体操服ってことは、個性とか使いますか?」
少し言いづらかったが、はっきり伝える。
「もし使うなら、ちょっと問題があって……」
それを聞いて、相澤先生は「ああ」と短く頷いた。
「そうだったな。お前の個性は把握してる」
そして、淡々と言う。
「とりあえず入試のときと同じだ。
紫色の姿になってから、下だけ体操服を着てグラウンドに来い」
「分かりました」
少し安心して、頷く。
「……あと、その」
僕は、もう一つ確認する。
「膝の部分に、穴が開いても大丈夫ですか?」
「問題ない」
即答だった。
「お前のは、少し特殊でな。
体に突起がある場所は、最初から穴が開いてる仕様だ」
(……そこまで把握してるのか)
内心、少し驚く。
「ありがとうございます」
「急げよ」
それだけ言って、先生は再び歩き出した。
更衣室へ移動し、制服を脱ぐ。
用意されていた体操服のズボンを手に取り、何気なく膝のあたりを確認する。
──穴が、開いていた。
「……ほんとだ」
相澤先生の言った通り、突起が出る部分だけ、最初から加工されている。
(こりゃいいな。
自分で切るの、意外と面倒なんだよな)
小さく感心しながら、深く息を吸う。
そして──
体を変化させる。
初号機の姿へ。
ズボンだけを履き、上半身はそのままの状態で更衣室を出る。
廊下に出たところで、クラスメイトの一人がぎょっとした顔で声をかけてきた。
「お、おい……上着、ないのか?」
「ああ」
僕は、肩の装甲を軽く示す。
「このせいで上着が着れなくてね。
先生には、もう許可をもらってるよ」
「お、おう……そうなのか」
相手はそれ以上何も言わず、少し距離を取った。
そのままグラウンドへ向かう。
すでに何人かのクラスメイトが集まっていたが、全体的に様子がおかしい。
誰もが、何をさせられるのか分からず、落ち着かない表情をしている。
全員が揃ったのを確認すると、相澤先生が前に出た。
「……よし」
短く言ってから、こちらを見回す。
「これからやるのは──」
一拍置いて。
「個性把握テストだ」
「「「「……え?」」」」
次の瞬間。
「「「「個性把握テスト?????」」」」
クラス全体が、一斉に声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
誰かが慌てて手を挙げる。
「入学式は!?」
その問いに、相澤先生は面倒そうに目を細めて言った。
「ヒーローになるのに、そんな行事に出てる暇はない」
……一瞬、理解が追いつかなかった。
まさか、教師の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
グラウンドが、静まり返る。
「雄英は、自由な校風が売り文句だ」
相澤先生は、淡々と続ける。
「それは、生徒だけじゃない。
教師側も、だ」
……正直、言っている意味が完全には分からない。
思わず、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「やる内容は簡単だ」
そう言いながら、先生は手にしていたソフトボールを掲げる。
「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、持久走、握力測定」
聞き覚えのある単語ばかり。
「中学の頃から、やってるだろ。
個性禁止の、体力テストだ」
ざわめきが広がる。
「……え?」
そんな中で、先生はふいに僕を見る。
「新世」
「はい」
「中学のとき、ソフトボール投げは何メートルだった」
一瞬、記憶を探る。
「えーと……確か、120メートルくらいだった気がします」
「だろうな」
先生は、あっさり頷いた。
「お前の場合、校庭でやる都合上、手加減してただろ」
図星だった。
「今回は違う」
相澤先生は、円の方を指さす。
「敷地内だ。
円から出なければ、何をしてもいい」
一拍。
「──全力で、投げろ」
円の中に立ち、手の中のボールを見る。
──全力で、投げろ。
簡単な指示のはずなのに、頭の中で少しだけ迷いが生まれる。
(さて……どうしたもんかな)
頭の中で考えを巡らせる。
(“何してもいい”って、言ってたよな)
そう考えた瞬間、頭の中でスイッチを入れる。
(MAGI、起動)
『日向マコトです。
これより、オペレーションを開始します』
(これから個性把握テストだ。
サポートを頼む)
『了解しました。
MAGIによるサポート、問題ありません。いけます!』
イメージを固める。
(零号機が、ロンギヌスを投げるとき……)
体に力を込める。
全身に、エネルギーを巡らせる感覚。
──解放。
肩を大きく引き、
左足を一歩、前に出す。
踏み込んだ瞬間、地面が砕ける。
その反動を、逃がさない。
腕を振り抜く。
次の瞬間。
──ゴッ、と。
ボールが空気を裂く音とともに、空へと放たれた。
目で追えないほどの速度。
一直線に、上へ、前へ。
やがて。
相澤先生が手にしていたスマホに、数値が表示される。
995m
「……」
一瞬の静寂。
その中で、相澤先生が淡々と口を開く。
「まず、自分の最大限を知る」
視線はスマホの画面。
「それが、ヒーローの素地を形成する合理的手段だ」
その言葉を合図にしたかのように、クラスが一気にざわついた。
「900メートル超え!?」
「すげえ……個性、思いっきり使えるのか!」
「なにそれ、楽しそうじゃん!」
次々に上がる声。
興奮。
驚き。
羨望。
でも──
(……力、入りすぎたかな)
僕は一人、表示された数字を見ながら、そんなことを考えていた。
「……楽しそう、か」
低い声。
その一言で、空気が変わった。
相澤先生の声色が、はっきりと変わる。
さっきまでの気だるさが、消えていた。
その瞬間、胸の奥がひやりとする。
(……嫌な感じだ)
先生の視線が、クラス全体をなぞる。
「ヒーローになるための三年間をそんな“腹づもり”で過ごす気か?」
冷たい。
肌に突き刺さるような視線。
さっきまでの空気が、嘘みたいに張り詰める。
「……よし、このままの状態が続くなら──」
言葉を区切る。
「ペナルティを課す」
その一言で、胸がざわつく。
(ペナルティ……?)
直感的に思う。
(……絶対、ろくなもんじゃないな)
雄英高校ヒーロー科。
本当の意味での“選別”は、どうやら──
ここかららしい。
先生のその一言が落ちた瞬間、胸の奥で、はっきりと“危険信号”が鳴った。
僕は、無意識に被身子を見る。
彼女も、同じことを感じ取っていたのだろう。
視線が合う。
(……本気でやるよ)
言葉にはしない。
心の中でそう呟くと、被身子は小さく、けれど確かな動きで頷いた。
──分かってる。
そんな意思のやり取り。
テストは、淡々と進んでいく。
50メートル走。
握力測定。
立ち幅跳び。
「個性使えるの、いいな。なんか開放感あるっていうかさ」
「確かに。個性ありの体力テストって、普通に面白いよね」
周囲からは、そんな能天気な声が聞こえてくる。
(……大丈夫なのかな、この人たち)
僕は内心で思う。
(あの先生の様子、どう見ても“軽いペナルティ”で済ませる気じゃない)
この場は、楽しむ場所じゃない。
選別の場だ。
そんなことを考えていると、被身子が小さく声をかけてきた。
「福音君。今は……自分に集中しましょう」
「……そうだね」
小さく息を吐く。
「他の人たちを気にしてる余裕は、なさそうだ」
そうして、テストは次へ。
──長座体前屈。
自分の番になり、測定用の箱の前に立つ。
(前に体を倒して、距離を測る……だったよな)
箱を見下ろしながら考える。
(これは、運動能力というより……身体そのものを測るテストだ)
どこまで、前に行けるか。
関節の柔軟性。
体の可動域。
どうやって距離を伸ばすか──そう考えたとき、
一つの考えが、ふっと浮かんだ。
(……やってみるか)
僕は、右手で左手首を掴む。
深く、息を吸う。
(MAGI。左腕部の切断、時間がない。神経接続はカットしなくていい)
『しかし!』
一瞬の躊躇。
(切断してくれ)
『……了解』
次の瞬間。
──バキッ、という音。
左腕が、肩の根元から外れた。
「……っ、くぅぅぅ……」
痛みが、遅れて押し寄せる。
思わず、声が漏れた。
それを見た瞬間。
周囲の生徒たちの動きが、完全に止まる。
目を見開く者。
口を開けたまま固まる者。
そして──先生の視線も。
「……」
空気が、一気に凍りついた。
「だ、大丈夫なの……それ」
近くにいた、薄いピンク色の髪の生徒が、恐る恐る声をかけてくる。
「大丈夫だよ」
僕は、呼吸を整えながら答える。
「くっつければ、また動かせるから」
「……そ、そう」
彼女は、引きつった表情のまま一歩下がった。
僕は右手に持った左腕を前方へ伸ばし、そのまま前屈の姿勢を取る。
箱の目盛りに、指先──正確には、左腕の先端が、静かに触れた。
◇◇◇◇
(……これでも、変わらないか)
グラウンドで体力テストを続ける生徒たちを眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
ペナルティを宣言した直後だというのに、空気はほとんど変わっていない。
相変わらず、どこか浮ついていて、どこか楽しげだ。
(確かに、数値は優秀だ)
どいつもこいつも、成績だけ見れば十分すぎる。
だが――
(このままじゃ、駄目だ)
ヒーロー科は、運動会の延長じゃない。
能力を振り回す場所でもない。
俺は視線を動かす。
紫色の装甲を纏った異形型――新世 福音。
(……だが、あいつは違うか)
俺がペナルティを口にした瞬間、新世は渡我被身子と目を合わせた。
一瞬。
言葉は一切ない。
だが、意思疎通は完全だった。
その後も二人は、無駄話ひとつせず、淡々とテストを続けている。
周囲とは、明らかに温度が違う。
(盲目的にやってるように見えて……違うな)
(理解したうえで、やってる)
まず新世。
(予想通りの身体能力だ)
出力、制御、判断速度。
どれも一級品だ。
次に、渡我被身子。
(……こいつは、個性を使っていない)
少なくとも、この体力テストでは。
(ということは、あの変身は「戦闘用」じゃない)
(姿を変えるだけの個性……?)
疑問が浮かぶ。
(じゃあ、入試のとき、なぜ変身していた)
「……疑問は尽きないな」
俺は、思わず呟いていた。
そして、長座体前屈。
次の瞬間――
俺は、目を疑った。
新世が、自分の左腕を掴んだ。
直後。
――腕が、切断された。
(……ッ)
力が抜け落ちる左腕。
漏れる痛みの声。
(こいつ……!)
危うい。
反射的に、そう思った。
能力が高すぎる。
判断が合理的すぎる。
そして何より――
自分の体を、駒として切り捨てることに、躊躇がなさすぎる。
俺は、すぐに渡我被身子へ視線を移す。
驚いていない。
その代わり、浮かべているのは苦い表情。
(……なるほど、普段から、やってるか)
(もしくは――やってもおかしくないと思ってる)
「……合理的、ではあるが」
目頭を指で押さえながら、考える。
(このままじゃ、まずい)
ここで止めなきゃ、取り返しがつかない。
だからこそ――
(決断するしかないな)
俺は、腹を括った。
◇◇◇◇
体力テストがすべて終わり、僕たちは先生の前に集められた。
「……んじゃ、結果発表するぞ」
相澤先生がそう言うと、背後のボードに順位が表示される。
「お、結構いい順位じゃん」
「んあー……やっぱ強い個性ってすげえな」
周りから、そんな声が漏れる。
どこか、ほっとしたような、安心したような空気。
──でも。
その空気を、先生の声が切り裂いた。
「始める前に、宣言したよな」
低く、淡々とした声。
「そのままだったら、ペナルティを課すと」
……ああ。
それだ。
その言葉を聞いた瞬間、さすがに何かを感じ取ったのか、楽観的だったクラスメイトたちの表情が、一斉に変わる。
相澤先生は、続けた。
「一度言ったにもかかわらず、そのまま」
一拍。
「──新世と渡我、両名以外。見込み無し」
そして、はっきりと言い切る。
「全員、除籍だ」
一瞬、意味が理解できなかった。
次の瞬間。
「……じょ、除籍!?」
「入学初日ですよ!? おかしいでしょう!」
「理不尽すぎる!」
悲鳴のような声が、次々と上がる。
怒り。
混乱。
恐怖。
でも、先生は止まらない。
「自然災害」
淡々とした声が、グラウンドに響く。
「大事故。身勝手な敵たち」
「いつ、どこから来るかも分からない厄災だ」
視線が、クラス全体を貫く。
「そういう“理不尽”を覆すのが、ヒーローだ」
重い沈黙。
「それなのに」
先生は、言葉を切る。
「楽しそう。面白そう」
「そんな気持ちで続けるなら──やめておけ」
そして、決定打。
「……死ぬだけだ」
空気が、完全に凍りついた。
「で、でも!」
誰かが、必死に声を上げる。
だが。
「反論は聞かん」
即答だった。
「言っただろ。雄英は、自由な校風が売り文句だと」
そう言って、先生は歩き出す。
──僕と、被身子の方へ。
近づいてきた先生は、僕たち二人だけを見て言った。
「お前ら二人は、今日は帰っていい」
一拍。
「明日以降どうするかは……また後日、話す」
それだけ言い残し、先生は背を向けて歩き出した。
「……嘘だろ」
「なんで……こんなことに……」
背後から、絶望の声が聞こえてくる。
でも。
僕は、振り返らなかった。
着替えるために、更衣室へ向かって歩き出す。
──ここは、思っていた以上に、容赦のない場所らしい。
僕は、歩みを止めなかった。
沢山の感想ありがとうございます。
返信はできていませんが、制作の大きな励みになっています。
また、心操君のアンケートに投票してくださった方々、ありがとうございました。
結果は参考にしつつ、今後の展開に活かしていく予定です。
本作は毎回かなりライブ感で書いているため、正直、先の展開はほとんど決めていません。
その影響で、このままだと敵連合の人数が一人少ない状態になります。
もしかしたら今後、
敵連合にオリジナルの敵を出すかどうか、アンケートを取るかもしれません。
その際は、よろしくお願いします。