僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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第参拾参話 境界線 

 中学生として過ごす時間も、あと一か月ほどになっていた。

 

 こうして振り返ってみると、時間の流れは本当に早い。

 毎日が同じようで、でも確実に前へ進んでいて、気づけばもう戻れないところまで来ている。

 

 そんな中で、

 いちばん嬉しかった出来事と言えば──やっぱり、あれだ。

 

 被身子の、入試の結果。

 

 結果は、見事合格だった。

 

 その知らせを聞いたとき、胸の奥が、ふっと軽くなるのを感じた。

 

 僕だけじゃない。

 被身子のご両親も、

 クラスメイトも、

 担任の先生も、

 心操君も、

 孤児院の友達も。

 

 みんなが、自分のことのように喜んでくれた。

 

 特に先生たちは、分かりやすかった。

 

「すごいな……」

「まさか、同じ学年から二人も雄英のヒーロー科とは……」

 

 そんな言葉を、何度も聞いた。

 

 誇らしげで、少し照れくさそうで。

 本当に、嬉しそうだった。

 

 僕と被身子。

 二人とも、雄英高校ヒーロー科。

 

 その事実が、この学校にとっても、特別な出来事だったんだと思う。

 

 それから、また少し時間が流れて──

 

 気づけば、中学校の卒業式の日になっていた。

 

 体育館に並ぶ椅子。

 見慣れた天井。

 何度も聞いた校歌。

 

 でも、そのどれもが、今日だけは少し違って見えた。

 これで、この場所に通う理由は、なくなる。

 

 終わるんだな、と。

 ようやく、実感が湧いてきた。

 

 卒業証書の入った筒を、腕に抱えながら。

 

 僕は、校舎を見上げていた。

 

 見慣れたはずの校舎。

 毎日、当たり前のように通っていた場所。

 

 でも──

 これからは、もう「通う場所」じゃない。

 

 そう思った瞬間、胸の奥が、少しだけ締め付けられた。

 

 ……楽しかったな。

 

 この三年間。

 

 放送部で過ごした日々。

 学校行事で慌ただしく走り回ったこと。

 心操君と、放課後に続けた特訓。

 

 どれも、はっきりと思い出せる。

 

「よ!」

 

 不意に、横から声が飛んでくる。

 

「新世。どうしたんだよ、そんなに校舎見て」

 

 声田君だった。

 僕は視線を校舎から外さずに、答える。

 

「……いや」

 

 一度、言葉を選んでから続けた。

 

「今まではさ、通う場所として見てたけど……

 これからは、もう来ない場所なんだなって思うと、なんだか感慨深くて」

 

「はは! たしかに、そうだな」

 

 それきり、言葉は続かなかった。

 

 二人並んで、校舎を眺める。

 

 校庭の向こう。

 窓の並び。

 屋上へ続く階段。

 

 どれも、もう過去になる。

 

 しばらくしてから、僕は静かに口を開いた。

 

「……声田君」

 

「ん?」

 

 振り向いた彼に、僕はまっすぐ視線を向ける。

 

「君に、お礼を言いたい」

 

「お礼?」

 

 声田君は、きょとんとした顔をした。

 

「なんか、あったっけ?」

 

「入学式の日だよ」

 

 そう言うと、彼は少し考えるような顔になる。

 

「隣に座ってた僕に、話しかけてくれただろう?」

 

「……ああ」

 

「そのおかげで、僕は君という友達ができたし、

 放送部にも入ることができた」

 

 一つ一つ、噛みしめるように言葉を選ぶ。

 

「だから……ありがとう」

 

 一瞬、間があった。

 

 それから声田君は、少し困ったように頭を掻いた。

 

「……そう改まって言われること、してないって」

 

 そして、軽く肩をすくめる。

 

「それにさ、礼を言うなら、俺の方だろ」

 

「え?」

 

「お前といられて、この三年間……本当に楽しかった」

 

 照れもなく、でも真剣な声だった。

 

「高校は別々になるけどさ」

 

 声田君は、校舎から視線を外し、前を向く。

 

「お互い、頑張っていこうぜ。これから」

 

 僕は、小さく息を吸ってから、頷いた。

 

「……うん」

 

 それで、十分だった。

 

 その後も、クラスメイトたちとしばらく話をした。

 

 修学旅行の話。

 授業中に怒られたこと。

 テスト前に徹夜したこと。

 

 どれも、今になってみれば、どうでもいいことばかりだ。

 でも、だからこそ──

 どれも、かけがえのない思い出だった。

 

 やがて、校門の方から名前を呼ぶ声が増えてくる。

 

「じゃあなー!」

 

「またどこかで会おうぜ!」

 

 親と一緒に帰っていくクラスメイトたち。

 笑顔で手を振りながら、少しずつ校舎前の人数が減っていく。

 

 僕は、卒業証書の筒を抱えたまま、その様子を眺めていた。

 

(そろそろかな)

 

 被身子のご両親に、きちんと挨拶をしておきたい。

 そう思って、少し待つことにする。

 

 そのときだった。

 

「新世先輩」

 

 聞き慣れた声が、背後から届く。

 

 振り返ると、そこにいたのは心操君だった。

 

「卒業、おめでとうございます」

 

 丁寧に、まっすぐな声だった。

 

「……ありがとう」

 

 自然と、表情が柔らぐ。

 

「心操君のおかげでね。

 僕の中学校生活は、すごく楽しかったよ」

 

 一瞬、心操君は目を丸くした。

 

 それから、少しだけ照れたように視線を逸らす。

 

「……そんな」

 

「俺は、先輩に付き合ってもらっただけで……」

 

「それでも、だよ」

 

 僕は、はっきりと言った。

 

「一緒に特訓した時間も、話したことも、

 全部、ちゃんと残ってる」

 

 心操君は、しばらく黙っていた。

 

 それから、小さく息を吐いて、頷く。

 

「……俺もです」

 

 短い言葉だったけど、十分だった。

 

「放送部のこと、頼んだよ。新部長」

 

 そう声をかけると、心操君は一瞬きょとんとしたあと、苦笑いを浮かべた。

 

「そう言われると……なんだか緊張しますね」

 

「ごめんごめん」

 

 僕は小さく手を振る。

 

「そんなに無理に背負わなくていいよ。

 一番大事なのは、楽しむことなんだから」

 

 心操君は、少しだけ考えてから、はっきりと頷いた。

 

「……はい。

 俺なりに、頑張ってみます。

 部活動も、特訓も」

 

「うん」

 

 その言葉が嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。

 

「僕もね、時々だけどこっちに顔を出す予定なんだ。

 もし、その時に時間が合えば……また会おう」

 

「……!」

 

 心操君の表情が、ぱっと明るくなる。

 

「そうですか。

 じゃあ、その時は……お願いします」

 

「うん」

 

 短く答えると、心操君は少し照れたように視線を逸らした。

 

「じゃあ……俺、声田先輩に挨拶してきます」

 

「うん。じゃあ、また」

 

 そう言って、僕は歩き出そうとする。

 

 そのときだった。

 

「あ、あの!」

 

 背後から呼び止められる。

 

 振り返ると、心操君が、真っ直ぐこちらを見ていた。

 

「俺……本当に感謝してます」

 

 言葉を選びながら、それでも逃げずに続ける。

 

「個性のことも。

 ヒーローになりたいって気持ちも。

 相談に乗ってくれましたし……特訓も、一緒にしてくれました」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

「だから……待っててください」

 

 一歩、踏み出す。

 

「俺も、来年──

 先輩と同じところに、行きますから!」

 

 その宣言を聞いた瞬間、胸の奥が、少しだけ熱くなる。

 

 僕は、ゆっくりと頷いた。

 

「……ああ」

 

 ここだけ、自然と声が低くなる。

 

「待ってる。

 君が、俺と同じところに来ることを」

 

「はい!」

 

 心操君は、力強く返事をすると、深く頭を下げた。

 

 そして、そのまま駆け足気味に去っていく。

 

 その背中を見送りながら、僕は小さく息を吐いた。

 

「……恵まれてるな、俺は」

 

 ぽつりと、独り言。

 

「あんなに、いいライバルができたんだから」

 

 春の風が、校舎の間を抜けていく。

 

「……嬉しそうですね」

 

 ふいに、そんな声がして横を見ると、被身子が隣に立っていた。

 

 いつの間に来ていたんだろう。

 気づかないくらい、僕は考え事をしていたらしい。

 

「うん」

 

 少しだけ照れくさくなって、正直に答える。

 

「なんだろうな……。

 言葉には、うまくできないんだけど」

 

 胸の奥に残っている、温かい感覚。

 

「こう……心が、躍る感じだよ」

 

 被身子は、一瞬だけ目を丸くしてから、柔らかく笑った。

 

「……そうですか」

 

 それから、何かを思い出したように、ぽんと手を叩く。

 

「あ、そういえば。

 パパとママが、福音君とお話ししたいって言ってましたよ」

 

「そうなんだ」

 

 頷きながら、彼女の方を見る。

 

「じゃあ、ご両親のところに行こうか」

 

「はい」

 

 二人並んで、校舎の前を歩き出す。

 

 卒業証書の入った筒を抱えた生徒たちが、あちこちで写真を撮ったり、笑い合ったりしている。

 その中を進みながら、ふと、思い出したように口を開いた。

 

「被身子」

 

「はい?」

 

「……卒業、おめでとう」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「これからも、よろしくね」

 

 被身子は、少し驚いた顔をしてから、すぐに満面の笑顔になった。

 

「はい!」

 

 迷いのない声。

 

「これからも、よろしくお願いしますね!」

 

 春の光が、二人の影を長く伸ばしていた。

 

 中学生としての時間は、ここで終わる。

 でも──

 一緒に進む未来は、もう始まっていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 卒業式が終わり、孤児院に戻った僕は、ささやかな卒業パーティを開いてもらった。

 ケーキがあって、みんながいて、少し照れくさくて。

 でも、とても温かい時間だった。

 

 そして春休み。

 

 新しい生活に向けて、日々は一気に慌ただしくなっていった。

 

 雄英指定のマンションに引っ越すための荷造り。

 必要な書類を揃えるために役所へ行ったり、手続きを済ませたり。

 慣れないことばかりで、正直、少し疲れたけれど──不思議と嫌ではなかった。

 

 被身子はというと、ご両親と相談した結果、一人暮らしをすることに決めたらしい。

 引っ越しの話をしたとき、彼女のご両親からは、

 

「何かあったら、福音君も手助けしてあげてね」

 

 そう、穏やかに頼まれた。

 

 もちろんです、と答えたけれど。

 その言葉の裏にある心配や期待も、ちゃんと伝わってきた。

 

 そうして、時間は流れる。

 

 寒さが和らぎ、空気が少しずつ変わっていく。

 

 春。

 

 新生活の始まり。

 

 ──高校生活の始まりだ。

 

 僕は部屋の中で、鏡の前に立っていた。

 

 真新しい制服に袖を通す。

 少しだけ、まだ馴染まない感覚。

 

 鏡に映る自分を、じっと見つめる。

 

 ……大丈夫だ。

 

 そう、自分に言い聞かせるように頷いてから、玄関へ向かう。

 靴を履き、ドアノブに手をかける。

 

「いってきます」

 

 誰もいない部屋に、そう声をかける。

 

 返事はない。

 でも、それでいい。

 

 僕は静かに扉を閉め、新しい一歩を踏み出した。

 

 高校生活、最初の朝。

 

 目を覚ました瞬間から、どこか空気が違う気がした。

 同じ朝のはずなのに、心なしか新鮮で、少しだけ背筋が伸びる。

 

 支度を終え、マンションを出る。

 待ち合わせの場所へ向かって歩いていると、すぐに見つけた。

 

 道の向こうに、立っている彼女の姿。

 

 雄英高校の制服に身を包んだ、被身子。

 春の光を受けて、その姿が少し眩しく見える。

 

「おはよう、被身子。いい朝だね」

 

「福音君! はい、いい朝ですね。

 制服……とても似合ってますよ」

 

「ありがとう」

 

 少し照れくさくなって、視線を逸らす。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「はい、行きましょう」

 

 二人並んで歩き出す。

 胸の奥には、期待と不安が入り混じった感情。

 

 しばらく歩いた先で、視界が一気に開けた。

 

「……へぇ」

 

 思わず、声が漏れる。

 

「でっかいな」

 

 視界いっぱいに広がる雄英高校の校舎。

 こうして真正面から見ると、入試の時とはまるで印象が違う。

 

 あの時は“試される場所”だった。

 でも今は──“通う場所”。

 

 それだけで、見え方が変わる。

 

「独特な形、してますよね。雄英高校って」

 

 被身子にそう言われ、改めて外観を見る。

 

「……ああ」

 

 言われてみれば、確かに。

 

 全体の配置は、どこか“H”の文字を思わせる形。

 

(ヒーローの“H”、ってことか)

 

 そんなことを考えながら、校舎を見上げていた──その時だった。

 

 ……違和感。

 

 理由は分からない。

 けれど、はっきりと感じた。

 

 視線。

 

 どこかから、見られているような感覚。

 

 僕は、思わず足を止めていた。

 

「……?」

 

 被身子が、不思議そうに振り返る。

 

「どうしたんですか?」

 

「……ごめん」

 

 僕は、首を横に振る。

 

「なんでもないよ」

 

(気のせい……か)

 

 そう思おうとするけれど、胸の奥に小さな引っかかりが残る。

 

(……いや)

 

(確かに、何かを感じた)

 

 僕はもう一度、校舎を見上げる。

 青空を背に、そびえ立つ雄英高校。

 

 その中に、これから足を踏み入れる。

 

 何かが、始まる。

 

 そう直感しながら、再び歩き出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 雄英高校校舎。

 高層階の窓辺に、一人の少女が立っていた。

 

 青色の髪の少女、波動ねじれ。

 その視線は、校門から校舎へと向かって歩いてくる新入生たちに注がれている。

 

「……」

 

 言葉はない。

 ただ、じっと見つめていた。

 

「ねじれ。こんなところにいたんだ」

 

 背後から声がかかる。

 少女は、ゆっくりと振り返った。

 

「……有弓」

 

 呼ばれた名は、波動ねじれ。

 声をかけた少女──有弓は、呆れたように肩をすくめる。

 

「また、例の人を探してるの?」

 

「うん」

 

 ねじれは、迷いなく頷いた。

 

「なんか……わかんないけど、会えそうな気がして」

 

「でもさ」

 

 有弓は苦笑しながら言う。

 

「名前も知らないんでしょ? 

 それに、もうすぐ入学式始まるよ」

 

 ねじれは、少しだけ視線を伏せる。

 

「……うん」

 

 そう答えて、窓から離れ、歩き出そうとした──その時だった。

 

 ねじれは、ふと足を止める。

 

 もう一度だけ、外を見る。

 

 校舎を見上げて立ち止まっている新入生の姿が、視界に入った。

 

 異形型。

 白い装甲のようなものに覆われた身体。

 

 その“白さ”が──

 胸の奥に、記憶を呼び起こす。

 

(……)

 

 一瞬。

 

 その新入生の姿が、別の姿と重なった。

 

 ──あの日の、男の子。

 

「……!!」

 

 ねじれの目が、見開かれる。

 

 だが、次の瞬間。

 

 重なった像は、霧が晴れるように消え去り、

 そこにはただ、校舎を見上げる異形型の新入生がいるだけだった。

 

「……見間違い、か」

 

 ぽつりと、落胆したように言葉が零れる。

 

 ねじれは、小さく息を吐き、再び歩き出した。

 

 入学式へ向かうために。

 

 その背中を、誰も見ていない──はずだった。

 

 校舎を見上げる異形型の新入生。

 

 その、さらに後ろ。

 

 誰にも認識されない位置に、白髪の少年が立っていた。

 

 影のように、静かに。

 

 同じように、校舎を見上げながら。

 

「……また会ったね、波動ねじれ」

 

 その声は、誰の耳にも届かない。

 

「これも……宿命、というやつかな」

 

 微かな笑みを浮かべ、

 白髪の少年は、音もなくその場から消えた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 クラスを確認しながら、指定された教室へ向かっていた。

 

 中学校のときと同じく、被身子と同じクラスだったのは、正直かなり幸運だと思う。

 知らない環境、知らない顔ばかりの中で、知っている存在がいるだけで心の負担が全然違う。

 

 そして、教室の前に立つ。

 

「……扉、でかくないですか?」

 

 被身子が、少し驚いたように言った。

 

 確かに、異様に大きい。

 中学校の教室とは明らかに造りが違う。

 

「たぶんだけど」

 

 僕は、取っ手に手をかけながら答える。

 

「僕みたいな異形型の生徒でも、問題ないようにしてるんだと思う」

 

「なるほど……」

 

 被身子は納得したように頷いた。

 

 異様なほど大きな扉。

 力を込めて引くと、静かに開いた。

 

 教室の中には、すでに何人かの生徒がいた。

 どうやら、もう自己紹介を済ませた者もいるらしく、あちこちで小さな会話が生まれている。

 

 僕は、自分の席を確認し、そこへ向かって腰を下ろした。

 

 視線を巡らせる。

 

(……異形型、多いな)

 

 中学校とは、明らかに比率が違う。

 やはり、あの戦闘特化の入試内容だと、戦闘能力に直結する個性を持つ者が集まりやすいのだろう。

 

 そんなことを考えながら、被身子と小声で他愛もない話をしていると──

 

「お友達ごっこがしたいなら、他所へ行け」

 

 低く、感情のない大人の声が、教室に響いた。

 

 思わず、顔を向ける。

 

 声のした方を見ると、そこには──

 

(……寝袋?)

 

 教室の床に、堂々と寝袋に入ったまま横になっている男がいた。

 

 なぜ寝袋なのか。

 なぜ教室で横になっているのか。

 

 頭の中に疑問が次々と浮かぶ。

 

 急すぎる登場に、話していたクラスメイトたちも、驚いたように口を閉じた。

 

「……はい」

 

 その男は、少しだけ身体を起こしながら言う。

 

「静かになるまで、14秒かかりました」

 

 そう言って、だらけた動作で立ち上がり、寝袋を脱ぐ。

 

「担任の相澤消太だ。よろしくね」

 

 ……これが、担任? 

 

 正直な第一印象は──

 

(やけに、くたびれてる人だな)

 

 無精ひげに、眠そうな目。

 どこか気だるげで、教師らしさを感じさせない。

 

(担任ってことは……プロヒーロー?)

 

 そんなことを考えている間に、相澤先生は続ける。

 

「早速だが、体操服に着替えてグラウンドに出ろ」

 

 そう言って、体操服を片手に掲げると、こちらの返事も待たずに教室を出ていった。

 

 ……置いていかれた。

 

 クラスメイトたちは、何をしていいのか分からず、互いの顔を見合わせている。

 

「体操服……」

 

 僕は、小さく呟く。

 

「とりあえず、聞いた方がよさそうだ」

 

 そう判断して、席を立つと教室を出た。

 

 廊下を進み、角を曲がったところで、相澤先生の背中を見つける。

 

「相澤先生!」

 

 声をかけると、先生は立ち止まり、こちらを振り返った。

 

「……お前は」

 

 一瞬、こちらを見てから言う。

 

「新世か。どうした」

 

「その……体操服ってことは、個性とか使いますか?」

 

 少し言いづらかったが、はっきり伝える。

 

「もし使うなら、ちょっと問題があって……」

 

 それを聞いて、相澤先生は「ああ」と短く頷いた。

 

「そうだったな。お前の個性は把握してる」

 

 そして、淡々と言う。

 

「とりあえず入試のときと同じだ。

 紫色の姿になってから、下だけ体操服を着てグラウンドに来い」

 

「分かりました」

 

 少し安心して、頷く。

 

「……あと、その」

 

 僕は、もう一つ確認する。

 

「膝の部分に、穴が開いても大丈夫ですか?」

 

「問題ない」

 

 即答だった。

 

「お前のは、少し特殊でな。

 体に突起がある場所は、最初から穴が開いてる仕様だ」

 

(……そこまで把握してるのか)

 

 内心、少し驚く。

 

「ありがとうございます」

 

「急げよ」

 

 それだけ言って、先生は再び歩き出した。

 

 更衣室へ移動し、制服を脱ぐ。

 

 用意されていた体操服のズボンを手に取り、何気なく膝のあたりを確認する。

 ──穴が、開いていた。

 

「……ほんとだ」

 

 相澤先生の言った通り、突起が出る部分だけ、最初から加工されている。

 

(こりゃいいな。

 自分で切るの、意外と面倒なんだよな)

 

 小さく感心しながら、深く息を吸う。

 

 そして──

 

 体を変化させる。

 

 初号機の姿へ。

 

 ズボンだけを履き、上半身はそのままの状態で更衣室を出る。

 

 廊下に出たところで、クラスメイトの一人がぎょっとした顔で声をかけてきた。

 

「お、おい……上着、ないのか?」

 

「ああ」

 

 僕は、肩の装甲を軽く示す。

 

「このせいで上着が着れなくてね。

 先生には、もう許可をもらってるよ」

 

「お、おう……そうなのか」

 

 相手はそれ以上何も言わず、少し距離を取った。

 

 そのままグラウンドへ向かう。

 

 すでに何人かのクラスメイトが集まっていたが、全体的に様子がおかしい。

 誰もが、何をさせられるのか分からず、落ち着かない表情をしている。

 

 全員が揃ったのを確認すると、相澤先生が前に出た。

 

「……よし」

 

 短く言ってから、こちらを見回す。

 

「これからやるのは──」

 

 一拍置いて。

 

「個性把握テストだ」

 

「「「「……え?」」」」

 

 次の瞬間。

 

「「「「個性把握テスト?????」」」」

 

 クラス全体が、一斉に声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 誰かが慌てて手を挙げる。

 

「入学式は!?」

 

 その問いに、相澤先生は面倒そうに目を細めて言った。

 

「ヒーローになるのに、そんな行事に出てる暇はない」

 

 ……一瞬、理解が追いつかなかった。

 

 まさか、教師の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 

 グラウンドが、静まり返る。

 

「雄英は、自由な校風が売り文句だ」

 

 相澤先生は、淡々と続ける。

 

「それは、生徒だけじゃない。

 教師側も、だ」

 

 ……正直、言っている意味が完全には分からない。

 思わず、頭の中に疑問符が浮かぶ。

 

「やる内容は簡単だ」

 

 そう言いながら、先生は手にしていたソフトボールを掲げる。

 

「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、持久走、握力測定」

 

 聞き覚えのある単語ばかり。

 

「中学の頃から、やってるだろ。

 個性禁止の、体力テストだ」

 

 ざわめきが広がる。

 

「……え?」

 

 そんな中で、先生はふいに僕を見る。

 

「新世」

 

「はい」

 

「中学のとき、ソフトボール投げは何メートルだった」

 

 一瞬、記憶を探る。

 

「えーと……確か、120メートルくらいだった気がします」

 

「だろうな」

 

 先生は、あっさり頷いた。

 

「お前の場合、校庭でやる都合上、手加減してただろ」

 

 図星だった。

 

「今回は違う」

 

 相澤先生は、円の方を指さす。

 

「敷地内だ。

 円から出なければ、何をしてもいい」

 

 一拍。

 

「──全力で、投げろ」

 

 円の中に立ち、手の中のボールを見る。

 

 ──全力で、投げろ。

 

 簡単な指示のはずなのに、頭の中で少しだけ迷いが生まれる。

 

(さて……どうしたもんかな)

 

 頭の中で考えを巡らせる。

 

(“何してもいい”って、言ってたよな)

 

 そう考えた瞬間、頭の中でスイッチを入れる。

 

(MAGI、起動)

 

『日向マコトです。

 これより、オペレーションを開始します』

 

(これから個性把握テストだ。

 サポートを頼む)

 

『了解しました。

 MAGIによるサポート、問題ありません。いけます!』

 

 イメージを固める。

 

(零号機が、ロンギヌスを投げるとき……)

 

 体に力を込める。

 全身に、エネルギーを巡らせる感覚。

 

 ──解放。

 

 肩を大きく引き、

 左足を一歩、前に出す。

 

 踏み込んだ瞬間、地面が砕ける。

 その反動を、逃がさない。

 

 腕を振り抜く。

 

 次の瞬間。

 

 ──ゴッ、と。

 

 ボールが空気を裂く音とともに、空へと放たれた。

 

 目で追えないほどの速度。

 一直線に、上へ、前へ。

 

 やがて。

 

 相澤先生が手にしていたスマホに、数値が表示される。

 

 995m

 

「……」

 

 一瞬の静寂。

 

 その中で、相澤先生が淡々と口を開く。

 

「まず、自分の最大限を知る」

 

 視線はスマホの画面。

 

「それが、ヒーローの素地を形成する合理的手段だ」

 

 その言葉を合図にしたかのように、クラスが一気にざわついた。

 

「900メートル超え!?」

 

「すげえ……個性、思いっきり使えるのか!」

 

「なにそれ、楽しそうじゃん!」

 

 次々に上がる声。

 

 興奮。

 驚き。

 羨望。

 

 でも──

 

(……力、入りすぎたかな)

 

 僕は一人、表示された数字を見ながら、そんなことを考えていた。

 

「……楽しそう、か」

 

 低い声。

 

 その一言で、空気が変わった。

 

 相澤先生の声色が、はっきりと変わる。

 

 さっきまでの気だるさが、消えていた。

 

 その瞬間、胸の奥がひやりとする。

 

(……嫌な感じだ)

 

 先生の視線が、クラス全体をなぞる。

 

「ヒーローになるための三年間をそんな“腹づもり”で過ごす気か?」

 

 冷たい。

 肌に突き刺さるような視線。

 

 さっきまでの空気が、嘘みたいに張り詰める。

 

「……よし、このままの状態が続くなら──」

 

 言葉を区切る。

 

「ペナルティを課す」

 

 その一言で、胸がざわつく。

 

(ペナルティ……?)

 

 直感的に思う。

 

(……絶対、ろくなもんじゃないな)

 

 雄英高校ヒーロー科。

 本当の意味での“選別”は、どうやら──

 

 ここかららしい。

 

 先生のその一言が落ちた瞬間、胸の奥で、はっきりと“危険信号”が鳴った。

 

 僕は、無意識に被身子を見る。

 

 彼女も、同じことを感じ取っていたのだろう。

 視線が合う。

 

(……本気でやるよ)

 

 言葉にはしない。

 心の中でそう呟くと、被身子は小さく、けれど確かな動きで頷いた。

 

 ──分かってる。

 

 そんな意思のやり取り。

 

 テストは、淡々と進んでいく。

 

 50メートル走。

 握力測定。

 立ち幅跳び。

 

「個性使えるの、いいな。なんか開放感あるっていうかさ」

 

「確かに。個性ありの体力テストって、普通に面白いよね」

 

 周囲からは、そんな能天気な声が聞こえてくる。

 

(……大丈夫なのかな、この人たち)

 

 僕は内心で思う。

 

(あの先生の様子、どう見ても“軽いペナルティ”で済ませる気じゃない)

 

 この場は、楽しむ場所じゃない。

 選別の場だ。

 

 そんなことを考えていると、被身子が小さく声をかけてきた。

 

「福音君。今は……自分に集中しましょう」

 

「……そうだね」

 

 小さく息を吐く。

 

「他の人たちを気にしてる余裕は、なさそうだ」

 

 そうして、テストは次へ。

 

 ──長座体前屈。

 

 自分の番になり、測定用の箱の前に立つ。

 

(前に体を倒して、距離を測る……だったよな)

 

 箱を見下ろしながら考える。

 

(これは、運動能力というより……身体そのものを測るテストだ)

 

 どこまで、前に行けるか。

 関節の柔軟性。

 体の可動域。

 

 どうやって距離を伸ばすか──そう考えたとき、

 一つの考えが、ふっと浮かんだ。

 

(……やってみるか)

 

 僕は、右手で左手首を掴む。

 

 深く、息を吸う。

 

(MAGI。左腕部の切断、時間がない。神経接続はカットしなくていい)

 

『しかし!』

 

 一瞬の躊躇。

 

(切断してくれ)

 

『……了解』

 

 次の瞬間。

 

 ──バキッ、という音。

 

 左腕が、肩の根元から外れた。

 

「……っ、くぅぅぅ……」

 

 痛みが、遅れて押し寄せる。

 思わず、声が漏れた。

 

 それを見た瞬間。

 

 周囲の生徒たちの動きが、完全に止まる。

 

 目を見開く者。

 口を開けたまま固まる者。

 

 そして──先生の視線も。

 

「……」

 

 空気が、一気に凍りついた。

 

「だ、大丈夫なの……それ」

 

 近くにいた、薄いピンク色の髪の生徒が、恐る恐る声をかけてくる。

 

「大丈夫だよ」

 

 僕は、呼吸を整えながら答える。

 

「くっつければ、また動かせるから」

 

「……そ、そう」

 

 彼女は、引きつった表情のまま一歩下がった。

 

 僕は右手に持った左腕を前方へ伸ばし、そのまま前屈の姿勢を取る。

 箱の目盛りに、指先──正確には、左腕の先端が、静かに触れた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

(……これでも、変わらないか)

 

 グラウンドで体力テストを続ける生徒たちを眺めながら、俺は小さく息を吐いた。

 

 ペナルティを宣言した直後だというのに、空気はほとんど変わっていない。

 相変わらず、どこか浮ついていて、どこか楽しげだ。

 

(確かに、数値は優秀だ)

 

 どいつもこいつも、成績だけ見れば十分すぎる。

 だが――

 

(このままじゃ、駄目だ)

 

 ヒーロー科は、運動会の延長じゃない。

 能力を振り回す場所でもない。

 

 俺は視線を動かす。

 

 紫色の装甲を纏った異形型――新世 福音。

 

(……だが、あいつは違うか)

 

 俺がペナルティを口にした瞬間、新世は渡我被身子と目を合わせた。

 

 一瞬。

 言葉は一切ない。

 

 だが、意思疎通は完全だった。

 

 その後も二人は、無駄話ひとつせず、淡々とテストを続けている。

 周囲とは、明らかに温度が違う。

 

(盲目的にやってるように見えて……違うな)

 

(理解したうえで、やってる)

 

 まず新世。

 

(予想通りの身体能力だ)

 

 出力、制御、判断速度。

 どれも一級品だ。

 

 次に、渡我被身子。

 

(……こいつは、個性を使っていない)

 

 少なくとも、この体力テストでは。

 

(ということは、あの変身は「戦闘用」じゃない)

 

(姿を変えるだけの個性……?)

 

 疑問が浮かぶ。

 

(じゃあ、入試のとき、なぜ変身していた)

 

「……疑問は尽きないな」

 

 俺は、思わず呟いていた。

 

 そして、長座体前屈。

 

 次の瞬間――

 俺は、目を疑った。

 

 新世が、自分の左腕を掴んだ。

 

 直後。

 

 ――腕が、切断された。

 

(……ッ)

 

 力が抜け落ちる左腕。

 漏れる痛みの声。

 

(こいつ……!)

 

 危うい。

 反射的に、そう思った。

 

 能力が高すぎる。

 判断が合理的すぎる。

 

 そして何より――

 自分の体を、駒として切り捨てることに、躊躇がなさすぎる。

 

 俺は、すぐに渡我被身子へ視線を移す。

 

 驚いていない。

 

 その代わり、浮かべているのは苦い表情。

 

(……なるほど、普段から、やってるか)

 

(もしくは――やってもおかしくないと思ってる)

 

「……合理的、ではあるが」

 

 目頭を指で押さえながら、考える。

 

(このままじゃ、まずい)

 

 ここで止めなきゃ、取り返しがつかない。

 

 だからこそ――

 

(決断するしかないな)

 

 俺は、腹を括った。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 体力テストがすべて終わり、僕たちは先生の前に集められた。

 

「……んじゃ、結果発表するぞ」

 

 相澤先生がそう言うと、背後のボードに順位が表示される。

 

「お、結構いい順位じゃん」

 

「んあー……やっぱ強い個性ってすげえな」

 

 周りから、そんな声が漏れる。

 どこか、ほっとしたような、安心したような空気。

 

 ──でも。

 

 その空気を、先生の声が切り裂いた。

 

「始める前に、宣言したよな」

 

 低く、淡々とした声。

 

「そのままだったら、ペナルティを課すと」

 

 ……ああ。

 

 それだ。

 

 その言葉を聞いた瞬間、さすがに何かを感じ取ったのか、楽観的だったクラスメイトたちの表情が、一斉に変わる。

 

 相澤先生は、続けた。

 

「一度言ったにもかかわらず、そのまま」

 

 一拍。

 

「──新世と渡我、両名以外。見込み無し」

 

 そして、はっきりと言い切る。

 

「全員、除籍だ」

 

 一瞬、意味が理解できなかった。

 

 次の瞬間。

 

「……じょ、除籍!?」

 

「入学初日ですよ!? おかしいでしょう!」

 

「理不尽すぎる!」

 

 悲鳴のような声が、次々と上がる。

 

 怒り。

 混乱。

 恐怖。

 

 でも、先生は止まらない。

 

「自然災害」

 

 淡々とした声が、グラウンドに響く。

 

「大事故。身勝手な敵たち」

 

「いつ、どこから来るかも分からない厄災だ」

 

 視線が、クラス全体を貫く。

 

「そういう“理不尽”を覆すのが、ヒーローだ」

 

 重い沈黙。

 

「それなのに」

 

 先生は、言葉を切る。

 

「楽しそう。面白そう」

 

「そんな気持ちで続けるなら──やめておけ」

 

 そして、決定打。

 

「……死ぬだけだ」

 

 空気が、完全に凍りついた。

 

「で、でも!」

 

 誰かが、必死に声を上げる。

 

 だが。

 

「反論は聞かん」

 

 即答だった。

 

「言っただろ。雄英は、自由な校風が売り文句だと」

 

 そう言って、先生は歩き出す。

 

 ──僕と、被身子の方へ。

 

 近づいてきた先生は、僕たち二人だけを見て言った。

 

「お前ら二人は、今日は帰っていい」

 

 一拍。

 

「明日以降どうするかは……また後日、話す」

 

 それだけ言い残し、先生は背を向けて歩き出した。

 

「……嘘だろ」

 

「なんで……こんなことに……」

 

 背後から、絶望の声が聞こえてくる。

 

 でも。

 

 僕は、振り返らなかった。

 着替えるために、更衣室へ向かって歩き出す。

 

 ──ここは、思っていた以上に、容赦のない場所らしい。

 

 僕は、歩みを止めなかった。




沢山の感想ありがとうございます。
返信はできていませんが、制作の大きな励みになっています。

また、心操君のアンケートに投票してくださった方々、ありがとうございました。
結果は参考にしつつ、今後の展開に活かしていく予定です。

本作は毎回かなりライブ感で書いているため、正直、先の展開はほとんど決めていません。
その影響で、このままだと敵連合の人数が一人少ない状態になります。

もしかしたら今後、
敵連合にオリジナルの敵を出すかどうか、アンケートを取るかもしれません。

その際は、よろしくお願いします。
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