僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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誤字脱字のご報告、いつもありがとうございます。助かっています。


第参拾五話 それぞれの一歩、分岐点

 朝のニュースの音が、部屋に淡く響いていた。

 

 一人で過ごすことになった部屋。

 カーテン越しの光は柔らかくて、昨日までとは何も変わらないはずなのに、空気だけが少し違う。

 

 制服に袖を通しながら、学校の支度を進める。

 留年が決まった、その翌日。

 

 正直に言えば。

 

 不安よりも、わくわくの方が勝っていた。

 

 これから始まる雄英での生活は、誰にも予想できない。

 普通のクラスメイトもいない。

 時間割も、立場も、全部が“例外”だ。

 

 そんな日々を思うと、胸の奥が静かに高鳴る。

 

『──先日起こった、“ヘドロ事件”について……』

 

 テレビから流れてきたニュースキャスターの声に、手が止まった。

 

「……ヘドロ事件?」

 

 聞き慣れない言葉だった。

 思わず、画面を見る。

 

『中学生を人質に取ったヴィランは、その後も激しく抵抗を続け──』

 

 映像が切り替わる。

 荒れた路地。

 煙。

 逃げ惑う人々。

 

 そして──

 

「……これは……」

 

 画面の中に、緑色の髪の少年が映っていた。

 

 ヒーローじゃない。

 コスチュームもない。

 明らかに、一般人中学生だ。

 

 その少年が、ためらいもなく、敵に向かって突っ込んでいく。

 

 次の瞬間。

 

 現れたのは、オールマイト。

 一撃で敵を吹き飛ばし、人質は無事に解放される。

 

『さすがは平和の象徴、オールマイト! 

 今回も被害は最小限に抑えられ──』

 

 ニュースは、オールマイトの活躍を大々的に称えていた。

 いつも通りの構図だ。

 

 だけど──俺は、違った。

 

 目に焼き付いて離れなかったのは、オールマイトでも、現地にいたプロヒーローたちでもない。

 

 あの、緑髪の中学生。

 

 名前も知らない。

 何者かも分からない。

 

 それでも。

 

 あの一瞬、恐怖のど真ん中に飛び込んでいった姿が、どうしても、頭から離れなかった。

 

 理由は分からない。

 言葉にもならない。

 

 ただ、胸の奥に、小さな引っかかりが残ったままだ。

 

 答えが出ないまま、俺はテレビの電源を切る。

 

 部屋は、急に静かになる。

 

 玄関へ向かい、靴を履く。

 

「……行ってきます」

 

 誰もいない部屋にそう言って、

 俺は、新しい一日の中へ踏み出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 学校に着くと、僕と被身子専用になった、少し狭い教室へ向かった。

 

 教室に入ると、机は二つだけ。

 昨日と同じ光景なのに、不思議と落ち着く。

 

 席に腰を下ろしながら、昨日、相澤先生に言われた言葉を思い出す。

 

(雄英の仕事を手伝って、単位を取る……か)

 

 どんな仕事を任されるんだろう。

 ヒーローの現場、なのか。

 それとも、裏方の業務、なのか。

 

 どちらにせよ、ただ“待つ”よりは、ずっといい。

 

「ね、福音君」

 

 被身子が、机に肘をついてこちらを見る。

 

「今日から、もう普通の授業じゃないんですよね」

 

「うん。たぶん、僕たちは少し違う時間を進むことになる」

 

 そう答えると、被身子は少しだけ目を輝かせた。

 

「……なんだか、不思議ですね。でも、嫌じゃないです」

 

「僕もだよ」

 

 未知は怖い。

 けれど、それ以上に──興味深い。

 

 そんなことを二人で話していると、教室の扉が静かに開いた。

 軋む音と一緒に、入ってきたのは相澤先生だった。

 

「おはようございます」

 

 被身子が先に挨拶をする。

 

「おはようございます、相澤先生」

 

 僕も続ける。

 

「ん。おはよう」

 

 相澤先生は、相変わらず淡々としている。

 

「じゃ、昨日話した通りだ」

 

 そう前置きして、要点だけを告げる。

 

「お前ら二人には、今日から特別なカリキュラムを受けてもらう」

 

 一拍。

 

「今日は試しも兼ねて、別々の教員の下で一日過ごしてもらう」

 

 被身子と、思わず顔を見合わせる。

 

「荷物はここに置いていけ。必要なものは、向こうで用意する」

 

 そう言ってから、踵を返す。

 

「ついてこい」

 

「はい!」

 

 被身子が、元気よく返事をする。

 

「分かりました」

 

 僕も席を立ち、軽く鞄を整える。

 そして、並んで教室を出た。

 

「まず新世、お前はパワーローダーの所へ連れていく」

 

 相澤先生が、歩きながらそう告げる。

 

「……パワーローダー?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 正直に言えば、プロヒーローについてそこまで詳しいわけじゃない。

 

「教員の一人で、サポート科を受け持ってる」

 

 淡々とした口調で説明が続く。

 

「お前が言ってた電力供給ケーブルの件な。あれで一番力になれるのが、あいつだ」

 

 なるほど、と胸の中で頷く。

 

 確かに──

 “雄英に電気を供給する”と言っても、どういう形で、どこに、どんな安全対策をして、どれくらいの出力で、なんてことは、僕一人では分からない。

 

 そこをプロに任せられるなら、これ以上心強い話はなかった。

 

(願ったり叶ったり、だね)

 

 そんなことを考えながら歩いていると、相澤先生が足を止める。

 

「着いたぞ」

 

 視線を上げると、そこには見慣れない建物の一室があった。

 

 ドアが開かれ、中に入る。

 

 瞬間、目に飛び込んできたのは──

 工具、配線、端末、アーム、図面。

 まるで研究室と工場を無理やり一つにしたような空間だった。

 

「来たか、イレイザーヘッド」

 

 低く、響く声。

 

 声のした方を見る。

 

 そこにいたのは、重機のようなヘルメットを被り、上半身裸の男性だった。

 その姿だけで、普通の教師ではないことが分かる。

 

「彼が、例の生徒か」

 

「そうだ」

 

 相澤先生が短く答える。

 

 僕は一歩前に出て、姿勢を正した。

 

「ヒーロー科一年、新世福音です。よろしくお願いします」

 

 頭を下げる。

 

「イレイザーから話は聞いてるよ」

 

 男性は腕を組み、こちらを見下ろす。

 

「サポート科を受け持ってる、パワーローダーだ。よろしくな」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 ──この、作るための空間で。

 僕の新しい生活が、始まるのかもしれない。

 

「じゃあ俺はもう一人を案内する。あとは頼んだ」

 

「任された」

 

 短いやり取りのあと、相澤先生はこちらを振り返る。

 

「新世。今日はパワーローダーの指示に従え。終わったら教室で待ってろ」

 

「はい」

 

 そう答えると、先生は被身子と一緒に部屋を出ていった。

 

 扉が閉まる、その直前。

 被身子がこちらを振り返り、小さく口を動かす。

 

「……頑張ってください」

 

 その声はほとんど聞き取れないほどだったけれど、確かに届いた。

 

 静かになった研究室で、パワーローダー先生がこちらを見る。

 

「じゃあ、早速始めようか」

 

 ヘルメット越しの視線が、僕の背中に向けられる。

 

「背中のケーブル、詳しく教えてほしい」

 

「はい……じゃあ、実物を見せながらの方がいいですよね。服、脱いでもいいですか?」

 

「構わないよ」

 

 了承をもらい、僕はその場で変身する。

 

 紫色の装甲が生成され、身体を覆っていく。

 ──初号機。

 

 いつもなら生成しない部分に意識を向け、背中だけを調整する。

 

(MAGI、ケーブルの切断をお願い)

 

 次の瞬間、背中で微かな感覚が走り、ソケット部分だけが“外れた”。

 

 地面に落下する前に、それを掴み取る。

 それを、見せるように差し出す。

 

「僕はこれを、アンビリカルケーブルって呼んでいます」

 

 言葉を選びながら、続ける。

 

「たぶんですけど……本来は、僕自身に電力を送るためのケーブルだったんじゃないかって思ってます」

 

「へぇ……これが、か」

 

 パワーローダー先生は、興味深そうにソケットを受け取り、じっと観察する。

 

「背中に直接ケーブルを繋いで電力供給をする、か……となると、移動範囲はどうしても狭まるな」

 

「そうですね」

 

 僕は素直に頷く。

 

「雄英の中、各所に接続ポイントを作れれば……いろんな場所で電力供給はできると思うんですけど」

 

「ふむ……」

 

 ヘルメット越しに、考え込む気配。

 

「ちなみにだが、これを何個か生成することは可能かい?」

 

 その質問に、僕は小さく首を横に振った。

 

「それが……できないんです」

 

 言葉を選びながら、続ける。

 

「初号機の変身を解除すると、自動的に消滅してしまって。残すことができなくて……」

 

「そうか」

 

 パワーローダー先生は腕を組む。

 

「となると、その姿でいてもらってる間に分解・解析して、量産するしかないか」

 

 ぶつぶつと呟きながら、頭をひねる。

 

(……なんとかする方法は、ないのか)

 

 僕も一緒に考える。

 けれど、すぐに名案が浮かぶほど、簡単な話じゃない。

 

(こういうときは……)

 

 分からないことは、分かる存在に聞くのが一番だ。

 

(MAGI、なんとかならないかな?)

 

『こちらで設計図を用意し、データとして転送してみてはいかがでしょうか』

 

(……それ、できるの?)

 

 一瞬、驚く。

 

(できるなら、ぜひお願いしたいんだけど)

 

『では、スマートフォンを外部端末に接続してください。データを送信します』

 

(ありがとう)

 

 短く礼を言って、顔を上げる。

 

「パワーローダー先生、ひとついいですか」

 

「最悪、うちの生徒にも手伝わせて──ん? どうした」

 

「僕をサポートしているシステムがあるんですけど……もしかしたら、それ経由で設計図データを送れるかもしれなくて」

 

 一瞬の間。

 

「……それはいい」

 

 即答だった。

 

「じゃあ、その端末に繋いでみてくれるか?」

 

「分かりました」

 

 僕は脱いだズボンからスマホを取り出し、先生のパソコンへとケーブルを繋ぐ。

 

 その瞬間。

 

 画面が一瞬だけ暗転し、見慣れないウィンドウが次々と立ち上がった。

 

 MAGIが、何も言わず、自動でデータを送信していく。

 

 数字、設計図、構造図。

 専門知識がなければ理解できない情報の洪水。

 

「……これは……」

 

 パワーローダー先生の声に、明らかな熱がこもる。

 

「背中に直接接続する規格になってるな……それで、これは……取っ手か?」

 

 設計図を睨みつけながら、ぶつぶつと独り言を続ける。

 

「この穴、外した時の衝撃緩和用のスラスター……か」

 

 指先で画面をなぞり、拡大縮小を繰り返すその姿は、完全に研究者のそれだった。

 

「……どうでしょう」

 

 少しだけ不安になって、声をかける。

 

「これで、できそうですか?」

 

「おっと、悪い悪い」

 

 そう言いながらも、先生の視線は設計図から離れない。

 

「どうにも興味深くてね。くけけ……」

 

 悪いと言いつつ、全く反省している様子はない。

 

(巨大なエヴァ用の構造を、人間サイズに落とし込んでるから、プロの目から見ても、やっぱり異様なんだろうな)

 

 分かってはいたことだ。

 でも、こうして改めて突きつけられると──

 

 僕が“エヴァ”であるという事実の重さを、ここでも感じてしまう。

 

「……詳しく見るのは、あとにするとしてだが」

 

 先生はそう言いながら、ようやくこちらへ向き直った。

 

「とりあえず、君の送ってくれたデータのおかげで、なんとかなりそうだよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、すっと軽くなる。

 

「……よかったです、無駄にならなくて」

 

「よし」

 

 パワーローダー先生は、勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「今日は、君が生成したやつから直接電気を送ってもらおう。

 どんな挙動になるか、実際に見てみたい」

 

 そう言って、奥にある実験室へと向かっていく。

 

「はい!」

 

 僕は、少し大きめの声で返事をした。

 

 胸の奥が、自然と高鳴る。

 不安よりも、期待の方が勝っている。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 福音君と別れて、私は先生の少し後ろを歩いていた。

 廊下の床を踏む音が、やけに大きく聞こえる。

 

(福音君は……実験室みたいなところだったよね)

 

 白い壁と、少し薬品っぽい匂い。

 機械がいっぱいあって、きっと楽しいんだろうな、って思う。

 

 それに比べて、私は──。

 

(昨日、先生に話したのって、ほとんど医療のことだったし)

 

 血のこと。

 再生のこと。

 浸食の応用のこと。

 

(……ってなると)

 

 自然と、行き先の予想がついてしまう。

 

(やっぱり、保健室かな?)

 

 そんなことを考えていると、前を歩いていた先生が足を止めた。

 

「着いたぞ」

 

 その一言で、思考が現実に引き戻される。

 

 私は顔を上げて、ドアの上にあるプレートを見る。

 

 ──保健室。

 

(……やっぱり!)

 

 思わず、心の中で小さくガッツポーズ。

 当たると、ちょっと嬉しい。

 

 なんだか、胸の奥がくすぐったくなって、自然と足取りが軽くなる。

 るんるん、って言葉がぴったりな気分。

 

 先生の背中を追って、保健室の中へ入る。

 

 室内は、白くて、清潔で。

 どこか安心する匂いがした。

 

 そして──。

 

 視線の先に、小柄な人の姿があった。

 

「リカバリーガール」

 

 先生が、いつもの調子で声をかける。

 

「昨日、話した生徒を連れてきた」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

(……あ)

 

 胸の奥が、少しだけ、きゅっとする。

 

 ここは、“治す人”がいる場所だ。

 

 私は、無意識に背筋を伸ばしていた。

 

 ──さて。

 

(どんな話になるのかな)

 

 ちょっとだけ、緊張。

 でも、それ以上に──。

 

(ちゃんと話したいな)

 

 そう、思っていた。

 

「来たかい、イレイザー。で、その子が渡我被身子だね」

 

 柔らかくて、少しだけ年季の入った声。

 その声に促されるように、私は一歩前に出た。

 

「渡我です! 渡我被身子。よろしくお願いします!」

 

 まずは元気よく。

 こういう場所では、それがいちばん大事な気がした。

 

「ふふ、元気があっていい子だねぇ」

 

 そう言って、その人──リカバリーガールは、小さな袋を差し出してくる。

 

「はい、ハリボー。お食べ」

 

「ありがとうございます!」

 

 素直にお礼を言って、グミを一つ口に放り込む。

 噛んだ瞬間、甘酸っぱい味がじゅわっと広がって、思わず頬が緩んだ。

 

(……おいしい)

 

 緊張していた気持ちが、少しだけ溶ける。

 なんだか、不思議と安心する場所だ。

 

「じゃあ、俺は業務に戻る」

 

 そう言って、相澤先生が踵を返す。

 

「後は、頼みます」

 

「ええ、任せておきな」

 

 先生が扉に向かうのを見て、私は慌てて頭を下げた。

 

「相澤先生、ありがとうございました!」

 

 すると、先生はドアノブに手をかけたまま、ふと思い出したように振り返る。

 

「ああ、そうだ。忘れるところだった」

 

 一拍置いて、こちらを見る。

 

「今日は一日、リカバリーガールに付いて、今後のことも含めていろいろ教えてもらえ」

 

「はい!」

 

「全部終わったら、教室で待機だ。新世も、たぶん同じくらいの時間になる」

 

 その名前を聞いて、胸の奥が少しだけきゅっとなる。

 

「分かりました」

 

「じゃあな」

 

 短くそう言って、相澤先生は保健室を後にした。

 

「さて、と」

 

 リカバリーガールは、私の方を見てにこりと笑う。

 

「まずは自己紹介からだねぇ。保健室担当の修善寺治与さ。よろしくね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「じゃあ、これからのことについて話そうか」

 

 そう言いながら、椅子を指差して合図を送ってくる。

 

「失礼します……」

 

 小さくそう言って、私は椅子に腰を下ろした。

 

「……あんたも知ってるだろうけどね」

 

 リカバリーガールは、少し真面目な顔になる。

 

「回復系の個性ってのは、珍しいんだよ。だからどうしても、教えられる人間も少なくなっちまう」

 

 その言葉を聞いて、今までのことが頭をよぎる。

 

 確かにそうだ。

 学校でも、病院でも、周りに回復の個性を持った人はいなかった。

 治す側はいつも、限られた誰かだけだった。

 

「……だからこそ、ですよね」

 

 私は、自然と口を開いていた。

 

「他人を治せる可能性がある私を……リカバリーガールが、鍛えてくれる」

 

「そうさね」

 

 即答だった。

 

「血の量産って発想も、《浸食》を回復に使おうって考えも……どっちも、とんでもない可能性を秘めてる」

 

 そう言って、私をまっすぐ見る。

 

「使い方次第じゃ、人を救う“切り札”になる」

 

 胸の奥が、少しだけ熱くなる。

 私にも、できることがある。

 戦うだけじゃない、助ける力が。

 

「まずはね、人間の体について学んでほしいんだよ」

 

 リカバリーガールは、穏やかな声でそう切り出した。

 

「個性で“治す”にしても、前提として人の体を知らなきゃいけない。

 どこがどうなって、何が起きてるのか。それがわからなきゃ、正しい治し方なんてできないからさ」

 

 ……確かに。

 

 私の個性は、感覚的なものだ。

 触れて、変えて、私にする。

 それができる理由を、言葉で説明しろと言われたら──正直、できない。

 

 もしこれからヒーローとして、

 人前で個性を使うなら。

 

「どういう処置をしたのか」

「何が起きて、どう回復したのか」

 

 それを説明できなきゃ、信頼なんて得られない。

 

「……わかりました。やってみます」

 

 口では、そう答えた。

 

 でも。

 

 胸の奥には、どうしても不安が残る。

 

 福音君に黙って、自分の体を使って浸食のテストをしたり。

 怪我をしても、再生するか確かめたり。

 

 そういう“個性や体を動かす特訓”なら、何年もやってきた。

 

 でも──医療は違う。

 

 絆創膏を貼る、なんて簡単な話じゃない。

 命を預かる、ってことだ。

 

 そう考えたら、自然と顔が曇ってしまった。

 

「……不安そうだねぇ」

 

 すぐに、気づかれてしまう。

 

「そう……ですね」

 

 私は、正直に答えることにした。

 

「本当のこと言うと……まだ実感が湧かない、っていうのが本音です」

 

「そうだろうね」

 

 リカバリーガールは、私の言葉にゆっくりと相槌を打った。

 

「でもさ、単位を取るために“人を治す”って選択肢を選んでくれたこと、私は嬉しかったよ」

 

「……え?」

 

 思わず、間の抜けた声が出る。

 嬉しい、なんて言われると思っていなかった。

 

「ほかにも、いくらでもあったはずさ。

 学校行事の手伝いだとか、用務員さんの補助だとか、もっと気楽で、責任の軽い方法もね」

 

 確かに。

 言われてみれば、その通りだ。

 

「その中で、あんたは“人を治す”を選んだ。

 それはね、あんたが心の奥で本当にやりたいこと“人を助けたい”って気持ち、そのものだと思うよ」

 

 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 そんなふうに考えたことは、なかった。

 

「そんなすごい選択をしたんだ。あんただったら、きっと乗り越えられると思うよ」

 

 その言葉を聞いて、私はただ驚くしかなかった。

 

 私が待合室で一人、考えていたこと。

 迷って、悩んで、うまく言葉にもできなかった気持ちを──

 この人は、ちゃんと受け止めてくれている。

 

 それだけじゃない。

 その上で、背中を押してくれる。

 信じて、託そうとしてくれる。

 

 ここまでしてくれるんだ。

 

 そう思った瞬間、迷いはすっと消えた。

 だったら、私の答えは一つしかない。

 

「……そこまで言ってくれて、ありがとうございます」

 

 声が、少し震える。

 

「私、やってみます。

 間違えちゃうかもしれないし、失敗するかもしれないけど……」

 

 一度、息を吸って。

 

「やる前から、逃げたくないです」

 

 私の答えを聞いたリカバリーガールは、ゆっくりとうなずいて、にこりと笑った。

 

「じゃあ、今日から一緒に頑張っていこうか」

 

「はい、お願いします」

 

 私は深く頭を下げる。

 

「それじゃあまずは、厨房からもらってこないとね」

 

「……え? 何をもらってくるんですか?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 人の体を知る話と、厨房がどう繋がるのか、まったく想像がつかなかったからだ。

 

「座学と同時にね、あんたの“浸食”と“解除”の練習も、並行して進めたいんだよ」

 

「それで……厨房、ですか?」

 

「ああ。まだ他人には試したこと、ないんだろう?」

 

「……はい」

 

 素直にそう答えた瞬間、胸の奥がひやりとする。

 

 ──ちょっと待って。

 今、“他人”って言った? 

 

(まさか……)

 

 思わず、リカバリーガールを凝視してしまう。

 すると彼女は、私の顔を覗き込むようにして、視線を合わせてきた。

 

「その顔……やっぱり、だね」

 

 小さくため息をつきながら、彼女は続ける。

 

「浸食。とんでもない力だよ。

 ここまで使えるようになるには、相当頑張ったはずさ」

 

 胸が、ちくりと痛む。

 

「それにね。

 他者を“治す”って考えに行き着いたってことは……あんた自身が、身をもって分かってるってことだ」

 

 一瞬、言葉が止まる。

 

「……つまり、あんたは自分自身で──」

 

 そこで、彼女は言葉を切った。

 

「いや、これ以上は言わないよ」

 

 静かだけど、逃がさない視線。

 

「その“そういうところ”も含めてね。

 あんたの課題は、これからたっぷりあるってことさ」

 

 心臓が、どくんと鳴った。

 

 まさか、私との短い会話と事前の情報だけで、そこまで見抜かれるなんて。

 

(……これが、プロヒーロー)

 

 その言葉の意味を、私は今になって本当の意味で理解した気がした。

 強いとか、有名とか、それだけじゃない。

 人を見て、危うさに気づいて、それでも突き放さずに手を伸ばす、それが“プロ”なんだ。

 

 少し気持ちを切り替えるように、私は話題を変える。

 

「ちなみに……厨房に、何をもらいにいくんです?」

 

「いきなり人間で試すわけにはいかないからね」

 

 リカバリーガールは、当然のように言った。

 

「最初は魚なんかで試そうと思ってるんだよ。

 構造も分かりやすいし、失敗しても取り返しがつくからね」

 

「……お魚さん、ですか」

 

 思わず、ぽつりと呟いてしまう。

 

 人じゃないと分かっていても、胸の奥が少しざわつく。

 でも同時に、段階を踏んでくれることに、ほっともしていた。

 

「さ、考えるのは後だよ。まずは厨房に行こうか」

 

「……はい」

 

 私は小さく頷いて、立ち上がった。

 

 怖くないと言えば嘘になる。

 それでも──今度は、ちゃんと“前に進むための一歩”だと思えた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「どうだイレイザー、例の新入生」

 

 職員室。

 パソコンの画面に向かったまま、指だけを動かしながら作業を進めていると、背後からやけに通る声が飛んできた。

 

 視線だけをそちらに向ける。

 

「マイク。そろそろ授業に行く時間じゃないか」

 

「うわ、マジだ!」

 

 マイクは慌てて腕時計を確認し、「やべぇやべぇ」と騒がしく言いながら、嵐のように職員室を飛び出していった。

 

 ……相変わらずだ。

 

 小さく息を吐いて、視線を画面に戻す。

 溜まっている書類仕事は、放っておいてくれるわけがない。

 

「イレイザーヘッド、ちょっといいか」

 

 再び声をかけられて、今度は手を止めた。

 

 顔を上げると、そこに立っていたのはパワーローダーだった。

 

「今度はお前か。どうだった、新世は」

 

「おう。お前の言う通り、規格外の奴だったよ」

 

「……やっぱりか」

 

 こいつがそう言うなら、相当だ。

 サポート科の人間が「規格外」と言う時は、大抵ろくなことにならない。

 

「それでな。一回、お前に見てもらいたいものがある」

 

 そう言いながら、パワーローダーは分厚い紙の束を差し出してきた。

 

「紙? なんだこれは」

 

「今日、新世から渡されたサポートアイテムの設計図だ。

 データで残すのは不安でな。確認してもらったら、一度焼却するつもりだ」

 

 ……焼却? 

 

 いくら新世が特異な存在だとしても、パワーローダーがここまで慎重になるのは珍しい。

 

「一回、見てみろ。俺がここまでした理由が分かる」

 

 どうやら、訝しむ表情が顔に出ていたらしい。

 

 俺は受け取った資料に目を落とし、ページをめくる。

 

「……これは」

 

 気づけば、言葉が漏れていた。

 

 設計図の上部に、大きく記された名称。

 

 プログレッシブ・ナイフ

 型式番号 PK-01

      PK-02

 

 その下に、びっしりと続く技術資料。

 

「ブレード部分に高振動粒子を採用。

 外部からエネルギーが加わることで、超高速の自振運動を行う、特殊粒子で接触した物質の分子結合力に直接作用し、その結合を無効化する。

 ……要するに、理屈の上では“何でも切れる”ナイフだ」

 

 パワーローダーが、淡々と内容を要約していく。

 

「……はぁ……」

 

 自然と、ため息が漏れた。

 

 切断力の理論は理解できる。

 いや、理解できてしまうこと自体が問題だ。

 

 これはヒーロー用のサポートアイテムじゃない。

 対装甲、対“人外”を想定した──戦闘用の設計だ。

 

「新世は、どう言ってこいつを出してきた」

 

 資料から目を離さずに聞く。

 

「戦闘時の武器として使う、ってな」

 

 俺の言葉に、パワーローダーは腕を組み、低く唸った。

 

「なあ、イレイザー。

 あいつは一体、何と戦うつもりなんだろうな」

 

「……」

 

「漫画やアニメを見て、こういうのを妄想して“武器”として考えるってのは、まあ分かる。

 若いなら、誰だって一度は通る道だ」

 

 そう前置きしてから、設計図を指で叩く。

 

「だが普通は、そこで終わりだ。

 空想で、憧れで、頭の中だけの話でな」

 

 指先が、紙の端をなぞる。

 

「こいつは違う。

 ちゃんとした設計図として、ここに完成形がある」

 

 静かな声が、妙に重く響いた。

 

「なにより、ここまでの武器を“将来使う前提”で考えている。

 そういう個性なら、まだ分かる。

 自分の延長線上にある能力だからな」

 

 だが、と続ける。

 

「これは違う。

 運用する武器として考えられている」

 

「自分の個性とは、切り離された道具として。

 それを“自分が使う武器”として、当然のように認識している」

 

 パワーローダーは、そこで言葉を切った。

 

「それが、どうにも不思議でな」

 

 ……確かに、その通りだ。

 

 俺の場合、直接相手に物理的ダメージを与えない個性だ。

 だからこそ、捕縛布を使う。

 

 個性を活かすための補助。

 あくまで“延長線上”の道具だ。

 

 だが、新世は違う。

 

(人造人間という個性で、行き着いた武器が……これか)

 

「俺が一番気になるのは、ここだ」

 

 そう言って、パワーローダーは資料の一角を指で叩いた。

 

「ヴィランや一般人による誤作動を防ぐために、新世自身が握った時だけ電力供給が行われる構造になってる」

 

 視線を落とし、改めて設計図を見る。

 

 生体認証。

 使用者限定。

 しかも、想定は“事故防止”だ。

 

「正直に言うぞ」

 

 パワーローダーは、少し言葉を探すように間を置いてから続けた。

 

「サポートアイテムに関しては、あいつは素人だと思っている。

 発想はあっても、形に落とし込む段階で詰まるタイプだってな」

 

 だからこそ、と声が低くなる。

 

「なのにだ。

 新世から渡されたのが、これだ」

 

 紙の束を軽く持ち上げる。

 

「安全機構まで織り込まれてる。

 しかも、“ヒーローが使う前提”でな」

 

 パワーローダーは、どこか自分の考えを疑うように、首を傾げた。

 

「つまり俺は、こう思った」

 

 一拍。

 

「これは、あいつが“考えた”ものじゃない。

 あいつの中に、最初からあったものなんじゃないかってな」

 

 自分でも何を言っているのか分からない、そんな表情で言葉を重ねる。

 

「記憶なのか、設計思想なのか……

 理由は分からん。だが、ゼロから作った感じがしない」

 

(……誰かが作った?)

 

 いや、違う。

 

(“何か”が、だ)

 

 脳裏をよぎるのは、あいつの口にした名前。

 

(MAGIシステム……)

 

 あいつの身体に最初から内包されている存在。

 解析し、最適解を提示し、判断を補助する“何か”。

 

 それが、設計図の正体だとしたら──。

 

 また一つ、疑問が増えた。

 

 俺は、椅子の背もたれに深くもたれかかり、天井を仰ぐ。

 

「……まあ、悪いことばかりじゃない」

 

 俺がそう言うと、パワーローダーは続きを引き取るように頷いた。

 

「このプログナイフがあれば、戦闘だけじゃなくて瓦礫の撤去なんかにも使えるだろうな。

 救助活動との相性は、むしろかなりいい」

 

 確かに、その通りだ。

 

 分子結合に直接作用する刃。

 力任せに壊す必要がなく、周囲を巻き込まない。

 

(……使い方次第では、“守るための武器”になる)

 

 少なくとも、無差別に暴れる類の代物じゃない。

 

(とりあえず今は、あいつの新しい一面が見られたことを喜ぶべきか)

 

 俺は、手にしていた書類をまとめ直し、パワーローダーに返した。

 

「情報の共有、助かった。

 もし、同じようなことがあったら……また頼む」

 

「任せな」

 

 パワーローダーは、楽しそうに口角を上げる。

 

「俺個人としてはな、あいつから出てくる情報は、どれも面白い。

 技術屋として、純粋に興味が尽きないよ」

 

 そう言い残して、足取り軽く職員室を後にする。

 

 静かになった室内で、俺は一人、椅子に深く腰を下ろした。

 

「……前途多難、か」

 

 守るべき生徒は、二人。

 力は規格外で、価値観は危うい。

 

 だが──

 

(それでも、見捨てる理由にはならない)

 

 だからこそ、俺はここにいる。

トガヒミコに変わる、敵の追加

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