朝のニュースの音が、部屋に淡く響いていた。
一人で過ごすことになった部屋。
カーテン越しの光は柔らかくて、昨日までとは何も変わらないはずなのに、空気だけが少し違う。
制服に袖を通しながら、学校の支度を進める。
留年が決まった、その翌日。
正直に言えば。
不安よりも、わくわくの方が勝っていた。
これから始まる雄英での生活は、誰にも予想できない。
普通のクラスメイトもいない。
時間割も、立場も、全部が“例外”だ。
そんな日々を思うと、胸の奥が静かに高鳴る。
『──先日起こった、“ヘドロ事件”について……』
テレビから流れてきたニュースキャスターの声に、手が止まった。
「……ヘドロ事件?」
聞き慣れない言葉だった。
思わず、画面を見る。
『中学生を人質に取ったヴィランは、その後も激しく抵抗を続け──』
映像が切り替わる。
荒れた路地。
煙。
逃げ惑う人々。
そして──
「……これは……」
画面の中に、緑色の髪の少年が映っていた。
ヒーローじゃない。
コスチュームもない。
明らかに、一般人中学生だ。
その少年が、ためらいもなく、敵に向かって突っ込んでいく。
次の瞬間。
現れたのは、オールマイト。
一撃で敵を吹き飛ばし、人質は無事に解放される。
『さすがは平和の象徴、オールマイト!
今回も被害は最小限に抑えられ──』
ニュースは、オールマイトの活躍を大々的に称えていた。
いつも通りの構図だ。
だけど──俺は、違った。
目に焼き付いて離れなかったのは、オールマイトでも、現地にいたプロヒーローたちでもない。
あの、緑髪の中学生。
名前も知らない。
何者かも分からない。
それでも。
あの一瞬、恐怖のど真ん中に飛び込んでいった姿が、どうしても、頭から離れなかった。
理由は分からない。
言葉にもならない。
ただ、胸の奥に、小さな引っかかりが残ったままだ。
答えが出ないまま、俺はテレビの電源を切る。
部屋は、急に静かになる。
玄関へ向かい、靴を履く。
「……行ってきます」
誰もいない部屋にそう言って、
俺は、新しい一日の中へ踏み出した。
◇◇◇◇
学校に着くと、僕と被身子専用になった、少し狭い教室へ向かった。
教室に入ると、机は二つだけ。
昨日と同じ光景なのに、不思議と落ち着く。
席に腰を下ろしながら、昨日、相澤先生に言われた言葉を思い出す。
(雄英の仕事を手伝って、単位を取る……か)
どんな仕事を任されるんだろう。
ヒーローの現場、なのか。
それとも、裏方の業務、なのか。
どちらにせよ、ただ“待つ”よりは、ずっといい。
「ね、福音君」
被身子が、机に肘をついてこちらを見る。
「今日から、もう普通の授業じゃないんですよね」
「うん。たぶん、僕たちは少し違う時間を進むことになる」
そう答えると、被身子は少しだけ目を輝かせた。
「……なんだか、不思議ですね。でも、嫌じゃないです」
「僕もだよ」
未知は怖い。
けれど、それ以上に──興味深い。
そんなことを二人で話していると、教室の扉が静かに開いた。
軋む音と一緒に、入ってきたのは相澤先生だった。
「おはようございます」
被身子が先に挨拶をする。
「おはようございます、相澤先生」
僕も続ける。
「ん。おはよう」
相澤先生は、相変わらず淡々としている。
「じゃ、昨日話した通りだ」
そう前置きして、要点だけを告げる。
「お前ら二人には、今日から特別なカリキュラムを受けてもらう」
一拍。
「今日は試しも兼ねて、別々の教員の下で一日過ごしてもらう」
被身子と、思わず顔を見合わせる。
「荷物はここに置いていけ。必要なものは、向こうで用意する」
そう言ってから、踵を返す。
「ついてこい」
「はい!」
被身子が、元気よく返事をする。
「分かりました」
僕も席を立ち、軽く鞄を整える。
そして、並んで教室を出た。
「まず新世、お前はパワーローダーの所へ連れていく」
相澤先生が、歩きながらそう告げる。
「……パワーローダー?」
思わず聞き返してしまった。
正直に言えば、プロヒーローについてそこまで詳しいわけじゃない。
「教員の一人で、サポート科を受け持ってる」
淡々とした口調で説明が続く。
「お前が言ってた電力供給ケーブルの件な。あれで一番力になれるのが、あいつだ」
なるほど、と胸の中で頷く。
確かに──
“雄英に電気を供給する”と言っても、どういう形で、どこに、どんな安全対策をして、どれくらいの出力で、なんてことは、僕一人では分からない。
そこをプロに任せられるなら、これ以上心強い話はなかった。
(願ったり叶ったり、だね)
そんなことを考えながら歩いていると、相澤先生が足を止める。
「着いたぞ」
視線を上げると、そこには見慣れない建物の一室があった。
ドアが開かれ、中に入る。
瞬間、目に飛び込んできたのは──
工具、配線、端末、アーム、図面。
まるで研究室と工場を無理やり一つにしたような空間だった。
「来たか、イレイザーヘッド」
低く、響く声。
声のした方を見る。
そこにいたのは、重機のようなヘルメットを被り、上半身裸の男性だった。
その姿だけで、普通の教師ではないことが分かる。
「彼が、例の生徒か」
「そうだ」
相澤先生が短く答える。
僕は一歩前に出て、姿勢を正した。
「ヒーロー科一年、新世福音です。よろしくお願いします」
頭を下げる。
「イレイザーから話は聞いてるよ」
男性は腕を組み、こちらを見下ろす。
「サポート科を受け持ってる、パワーローダーだ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
──この、作るための空間で。
僕の新しい生活が、始まるのかもしれない。
「じゃあ俺はもう一人を案内する。あとは頼んだ」
「任された」
短いやり取りのあと、相澤先生はこちらを振り返る。
「新世。今日はパワーローダーの指示に従え。終わったら教室で待ってろ」
「はい」
そう答えると、先生は被身子と一緒に部屋を出ていった。
扉が閉まる、その直前。
被身子がこちらを振り返り、小さく口を動かす。
「……頑張ってください」
その声はほとんど聞き取れないほどだったけれど、確かに届いた。
静かになった研究室で、パワーローダー先生がこちらを見る。
「じゃあ、早速始めようか」
ヘルメット越しの視線が、僕の背中に向けられる。
「背中のケーブル、詳しく教えてほしい」
「はい……じゃあ、実物を見せながらの方がいいですよね。服、脱いでもいいですか?」
「構わないよ」
了承をもらい、僕はその場で変身する。
紫色の装甲が生成され、身体を覆っていく。
──初号機。
いつもなら生成しない部分に意識を向け、背中だけを調整する。
(MAGI、ケーブルの切断をお願い)
次の瞬間、背中で微かな感覚が走り、ソケット部分だけが“外れた”。
地面に落下する前に、それを掴み取る。
それを、見せるように差し出す。
「僕はこれを、アンビリカルケーブルって呼んでいます」
言葉を選びながら、続ける。
「たぶんですけど……本来は、僕自身に電力を送るためのケーブルだったんじゃないかって思ってます」
「へぇ……これが、か」
パワーローダー先生は、興味深そうにソケットを受け取り、じっと観察する。
「背中に直接ケーブルを繋いで電力供給をする、か……となると、移動範囲はどうしても狭まるな」
「そうですね」
僕は素直に頷く。
「雄英の中、各所に接続ポイントを作れれば……いろんな場所で電力供給はできると思うんですけど」
「ふむ……」
ヘルメット越しに、考え込む気配。
「ちなみにだが、これを何個か生成することは可能かい?」
その質問に、僕は小さく首を横に振った。
「それが……できないんです」
言葉を選びながら、続ける。
「初号機の変身を解除すると、自動的に消滅してしまって。残すことができなくて……」
「そうか」
パワーローダー先生は腕を組む。
「となると、その姿でいてもらってる間に分解・解析して、量産するしかないか」
ぶつぶつと呟きながら、頭をひねる。
(……なんとかする方法は、ないのか)
僕も一緒に考える。
けれど、すぐに名案が浮かぶほど、簡単な話じゃない。
(こういうときは……)
分からないことは、分かる存在に聞くのが一番だ。
(MAGI、なんとかならないかな?)
『こちらで設計図を用意し、データとして転送してみてはいかがでしょうか』
(……それ、できるの?)
一瞬、驚く。
(できるなら、ぜひお願いしたいんだけど)
『では、スマートフォンを外部端末に接続してください。データを送信します』
(ありがとう)
短く礼を言って、顔を上げる。
「パワーローダー先生、ひとついいですか」
「最悪、うちの生徒にも手伝わせて──ん? どうした」
「僕をサポートしているシステムがあるんですけど……もしかしたら、それ経由で設計図データを送れるかもしれなくて」
一瞬の間。
「……それはいい」
即答だった。
「じゃあ、その端末に繋いでみてくれるか?」
「分かりました」
僕は脱いだズボンからスマホを取り出し、先生のパソコンへとケーブルを繋ぐ。
その瞬間。
画面が一瞬だけ暗転し、見慣れないウィンドウが次々と立ち上がった。
MAGIが、何も言わず、自動でデータを送信していく。
数字、設計図、構造図。
専門知識がなければ理解できない情報の洪水。
「……これは……」
パワーローダー先生の声に、明らかな熱がこもる。
「背中に直接接続する規格になってるな……それで、これは……取っ手か?」
設計図を睨みつけながら、ぶつぶつと独り言を続ける。
「この穴、外した時の衝撃緩和用のスラスター……か」
指先で画面をなぞり、拡大縮小を繰り返すその姿は、完全に研究者のそれだった。
「……どうでしょう」
少しだけ不安になって、声をかける。
「これで、できそうですか?」
「おっと、悪い悪い」
そう言いながらも、先生の視線は設計図から離れない。
「どうにも興味深くてね。くけけ……」
悪いと言いつつ、全く反省している様子はない。
(巨大なエヴァ用の構造を、人間サイズに落とし込んでるから、プロの目から見ても、やっぱり異様なんだろうな)
分かってはいたことだ。
でも、こうして改めて突きつけられると──
僕が“エヴァ”であるという事実の重さを、ここでも感じてしまう。
「……詳しく見るのは、あとにするとしてだが」
先生はそう言いながら、ようやくこちらへ向き直った。
「とりあえず、君の送ってくれたデータのおかげで、なんとかなりそうだよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、すっと軽くなる。
「……よかったです、無駄にならなくて」
「よし」
パワーローダー先生は、勢いよく椅子から立ち上がる。
「今日は、君が生成したやつから直接電気を送ってもらおう。
どんな挙動になるか、実際に見てみたい」
そう言って、奥にある実験室へと向かっていく。
「はい!」
僕は、少し大きめの声で返事をした。
胸の奥が、自然と高鳴る。
不安よりも、期待の方が勝っている。
◇◇◇◇
福音君と別れて、私は先生の少し後ろを歩いていた。
廊下の床を踏む音が、やけに大きく聞こえる。
(福音君は……実験室みたいなところだったよね)
白い壁と、少し薬品っぽい匂い。
機械がいっぱいあって、きっと楽しいんだろうな、って思う。
それに比べて、私は──。
(昨日、先生に話したのって、ほとんど医療のことだったし)
血のこと。
再生のこと。
浸食の応用のこと。
(……ってなると)
自然と、行き先の予想がついてしまう。
(やっぱり、保健室かな?)
そんなことを考えていると、前を歩いていた先生が足を止めた。
「着いたぞ」
その一言で、思考が現実に引き戻される。
私は顔を上げて、ドアの上にあるプレートを見る。
──保健室。
(……やっぱり!)
思わず、心の中で小さくガッツポーズ。
当たると、ちょっと嬉しい。
なんだか、胸の奥がくすぐったくなって、自然と足取りが軽くなる。
るんるん、って言葉がぴったりな気分。
先生の背中を追って、保健室の中へ入る。
室内は、白くて、清潔で。
どこか安心する匂いがした。
そして──。
視線の先に、小柄な人の姿があった。
「リカバリーガール」
先生が、いつもの調子で声をかける。
「昨日、話した生徒を連れてきた」
その言葉を聞いた瞬間。
(……あ)
胸の奥が、少しだけ、きゅっとする。
ここは、“治す人”がいる場所だ。
私は、無意識に背筋を伸ばしていた。
──さて。
(どんな話になるのかな)
ちょっとだけ、緊張。
でも、それ以上に──。
(ちゃんと話したいな)
そう、思っていた。
「来たかい、イレイザー。で、その子が渡我被身子だね」
柔らかくて、少しだけ年季の入った声。
その声に促されるように、私は一歩前に出た。
「渡我です! 渡我被身子。よろしくお願いします!」
まずは元気よく。
こういう場所では、それがいちばん大事な気がした。
「ふふ、元気があっていい子だねぇ」
そう言って、その人──リカバリーガールは、小さな袋を差し出してくる。
「はい、ハリボー。お食べ」
「ありがとうございます!」
素直にお礼を言って、グミを一つ口に放り込む。
噛んだ瞬間、甘酸っぱい味がじゅわっと広がって、思わず頬が緩んだ。
(……おいしい)
緊張していた気持ちが、少しだけ溶ける。
なんだか、不思議と安心する場所だ。
「じゃあ、俺は業務に戻る」
そう言って、相澤先生が踵を返す。
「後は、頼みます」
「ええ、任せておきな」
先生が扉に向かうのを見て、私は慌てて頭を下げた。
「相澤先生、ありがとうございました!」
すると、先生はドアノブに手をかけたまま、ふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうだ。忘れるところだった」
一拍置いて、こちらを見る。
「今日は一日、リカバリーガールに付いて、今後のことも含めていろいろ教えてもらえ」
「はい!」
「全部終わったら、教室で待機だ。新世も、たぶん同じくらいの時間になる」
その名前を聞いて、胸の奥が少しだけきゅっとなる。
「分かりました」
「じゃあな」
短くそう言って、相澤先生は保健室を後にした。
「さて、と」
リカバリーガールは、私の方を見てにこりと笑う。
「まずは自己紹介からだねぇ。保健室担当の修善寺治与さ。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「じゃあ、これからのことについて話そうか」
そう言いながら、椅子を指差して合図を送ってくる。
「失礼します……」
小さくそう言って、私は椅子に腰を下ろした。
「……あんたも知ってるだろうけどね」
リカバリーガールは、少し真面目な顔になる。
「回復系の個性ってのは、珍しいんだよ。だからどうしても、教えられる人間も少なくなっちまう」
その言葉を聞いて、今までのことが頭をよぎる。
確かにそうだ。
学校でも、病院でも、周りに回復の個性を持った人はいなかった。
治す側はいつも、限られた誰かだけだった。
「……だからこそ、ですよね」
私は、自然と口を開いていた。
「他人を治せる可能性がある私を……リカバリーガールが、鍛えてくれる」
「そうさね」
即答だった。
「血の量産って発想も、《浸食》を回復に使おうって考えも……どっちも、とんでもない可能性を秘めてる」
そう言って、私をまっすぐ見る。
「使い方次第じゃ、人を救う“切り札”になる」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
私にも、できることがある。
戦うだけじゃない、助ける力が。
「まずはね、人間の体について学んでほしいんだよ」
リカバリーガールは、穏やかな声でそう切り出した。
「個性で“治す”にしても、前提として人の体を知らなきゃいけない。
どこがどうなって、何が起きてるのか。それがわからなきゃ、正しい治し方なんてできないからさ」
……確かに。
私の個性は、感覚的なものだ。
触れて、変えて、私にする。
それができる理由を、言葉で説明しろと言われたら──正直、できない。
もしこれからヒーローとして、
人前で個性を使うなら。
「どういう処置をしたのか」
「何が起きて、どう回復したのか」
それを説明できなきゃ、信頼なんて得られない。
「……わかりました。やってみます」
口では、そう答えた。
でも。
胸の奥には、どうしても不安が残る。
福音君に黙って、自分の体を使って浸食のテストをしたり。
怪我をしても、再生するか確かめたり。
そういう“個性や体を動かす特訓”なら、何年もやってきた。
でも──医療は違う。
絆創膏を貼る、なんて簡単な話じゃない。
命を預かる、ってことだ。
そう考えたら、自然と顔が曇ってしまった。
「……不安そうだねぇ」
すぐに、気づかれてしまう。
「そう……ですね」
私は、正直に答えることにした。
「本当のこと言うと……まだ実感が湧かない、っていうのが本音です」
「そうだろうね」
リカバリーガールは、私の言葉にゆっくりと相槌を打った。
「でもさ、単位を取るために“人を治す”って選択肢を選んでくれたこと、私は嬉しかったよ」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出る。
嬉しい、なんて言われると思っていなかった。
「ほかにも、いくらでもあったはずさ。
学校行事の手伝いだとか、用務員さんの補助だとか、もっと気楽で、責任の軽い方法もね」
確かに。
言われてみれば、その通りだ。
「その中で、あんたは“人を治す”を選んだ。
それはね、あんたが心の奥で本当にやりたいこと“人を助けたい”って気持ち、そのものだと思うよ」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
そんなふうに考えたことは、なかった。
「そんなすごい選択をしたんだ。あんただったら、きっと乗り越えられると思うよ」
その言葉を聞いて、私はただ驚くしかなかった。
私が待合室で一人、考えていたこと。
迷って、悩んで、うまく言葉にもできなかった気持ちを──
この人は、ちゃんと受け止めてくれている。
それだけじゃない。
その上で、背中を押してくれる。
信じて、託そうとしてくれる。
ここまでしてくれるんだ。
そう思った瞬間、迷いはすっと消えた。
だったら、私の答えは一つしかない。
「……そこまで言ってくれて、ありがとうございます」
声が、少し震える。
「私、やってみます。
間違えちゃうかもしれないし、失敗するかもしれないけど……」
一度、息を吸って。
「やる前から、逃げたくないです」
私の答えを聞いたリカバリーガールは、ゆっくりとうなずいて、にこりと笑った。
「じゃあ、今日から一緒に頑張っていこうか」
「はい、お願いします」
私は深く頭を下げる。
「それじゃあまずは、厨房からもらってこないとね」
「……え? 何をもらってくるんですか?」
思わず聞き返してしまった。
人の体を知る話と、厨房がどう繋がるのか、まったく想像がつかなかったからだ。
「座学と同時にね、あんたの“浸食”と“解除”の練習も、並行して進めたいんだよ」
「それで……厨房、ですか?」
「ああ。まだ他人には試したこと、ないんだろう?」
「……はい」
素直にそう答えた瞬間、胸の奥がひやりとする。
──ちょっと待って。
今、“他人”って言った?
(まさか……)
思わず、リカバリーガールを凝視してしまう。
すると彼女は、私の顔を覗き込むようにして、視線を合わせてきた。
「その顔……やっぱり、だね」
小さくため息をつきながら、彼女は続ける。
「浸食。とんでもない力だよ。
ここまで使えるようになるには、相当頑張ったはずさ」
胸が、ちくりと痛む。
「それにね。
他者を“治す”って考えに行き着いたってことは……あんた自身が、身をもって分かってるってことだ」
一瞬、言葉が止まる。
「……つまり、あんたは自分自身で──」
そこで、彼女は言葉を切った。
「いや、これ以上は言わないよ」
静かだけど、逃がさない視線。
「その“そういうところ”も含めてね。
あんたの課題は、これからたっぷりあるってことさ」
心臓が、どくんと鳴った。
まさか、私との短い会話と事前の情報だけで、そこまで見抜かれるなんて。
(……これが、プロヒーロー)
その言葉の意味を、私は今になって本当の意味で理解した気がした。
強いとか、有名とか、それだけじゃない。
人を見て、危うさに気づいて、それでも突き放さずに手を伸ばす、それが“プロ”なんだ。
少し気持ちを切り替えるように、私は話題を変える。
「ちなみに……厨房に、何をもらいにいくんです?」
「いきなり人間で試すわけにはいかないからね」
リカバリーガールは、当然のように言った。
「最初は魚なんかで試そうと思ってるんだよ。
構造も分かりやすいし、失敗しても取り返しがつくからね」
「……お魚さん、ですか」
思わず、ぽつりと呟いてしまう。
人じゃないと分かっていても、胸の奥が少しざわつく。
でも同時に、段階を踏んでくれることに、ほっともしていた。
「さ、考えるのは後だよ。まずは厨房に行こうか」
「……はい」
私は小さく頷いて、立ち上がった。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも──今度は、ちゃんと“前に進むための一歩”だと思えた。
◇◇◇◇
「どうだイレイザー、例の新入生」
職員室。
パソコンの画面に向かったまま、指だけを動かしながら作業を進めていると、背後からやけに通る声が飛んできた。
視線だけをそちらに向ける。
「マイク。そろそろ授業に行く時間じゃないか」
「うわ、マジだ!」
マイクは慌てて腕時計を確認し、「やべぇやべぇ」と騒がしく言いながら、嵐のように職員室を飛び出していった。
……相変わらずだ。
小さく息を吐いて、視線を画面に戻す。
溜まっている書類仕事は、放っておいてくれるわけがない。
「イレイザーヘッド、ちょっといいか」
再び声をかけられて、今度は手を止めた。
顔を上げると、そこに立っていたのはパワーローダーだった。
「今度はお前か。どうだった、新世は」
「おう。お前の言う通り、規格外の奴だったよ」
「……やっぱりか」
こいつがそう言うなら、相当だ。
サポート科の人間が「規格外」と言う時は、大抵ろくなことにならない。
「それでな。一回、お前に見てもらいたいものがある」
そう言いながら、パワーローダーは分厚い紙の束を差し出してきた。
「紙? なんだこれは」
「今日、新世から渡されたサポートアイテムの設計図だ。
データで残すのは不安でな。確認してもらったら、一度焼却するつもりだ」
……焼却?
いくら新世が特異な存在だとしても、パワーローダーがここまで慎重になるのは珍しい。
「一回、見てみろ。俺がここまでした理由が分かる」
どうやら、訝しむ表情が顔に出ていたらしい。
俺は受け取った資料に目を落とし、ページをめくる。
「……これは」
気づけば、言葉が漏れていた。
設計図の上部に、大きく記された名称。
プログレッシブ・ナイフ
型式番号 PK-01
PK-02
その下に、びっしりと続く技術資料。
「ブレード部分に高振動粒子を採用。
外部からエネルギーが加わることで、超高速の自振運動を行う、特殊粒子で接触した物質の分子結合力に直接作用し、その結合を無効化する。
……要するに、理屈の上では“何でも切れる”ナイフだ」
パワーローダーが、淡々と内容を要約していく。
「……はぁ……」
自然と、ため息が漏れた。
切断力の理論は理解できる。
いや、理解できてしまうこと自体が問題だ。
これはヒーロー用のサポートアイテムじゃない。
対装甲、対“人外”を想定した──戦闘用の設計だ。
「新世は、どう言ってこいつを出してきた」
資料から目を離さずに聞く。
「戦闘時の武器として使う、ってな」
俺の言葉に、パワーローダーは腕を組み、低く唸った。
「なあ、イレイザー。
あいつは一体、何と戦うつもりなんだろうな」
「……」
「漫画やアニメを見て、こういうのを妄想して“武器”として考えるってのは、まあ分かる。
若いなら、誰だって一度は通る道だ」
そう前置きしてから、設計図を指で叩く。
「だが普通は、そこで終わりだ。
空想で、憧れで、頭の中だけの話でな」
指先が、紙の端をなぞる。
「こいつは違う。
ちゃんとした設計図として、ここに完成形がある」
静かな声が、妙に重く響いた。
「なにより、ここまでの武器を“将来使う前提”で考えている。
そういう個性なら、まだ分かる。
自分の延長線上にある能力だからな」
だが、と続ける。
「これは違う。
運用する武器として考えられている」
「自分の個性とは、切り離された道具として。
それを“自分が使う武器”として、当然のように認識している」
パワーローダーは、そこで言葉を切った。
「それが、どうにも不思議でな」
……確かに、その通りだ。
俺の場合、直接相手に物理的ダメージを与えない個性だ。
だからこそ、捕縛布を使う。
個性を活かすための補助。
あくまで“延長線上”の道具だ。
だが、新世は違う。
(人造人間という個性で、行き着いた武器が……これか)
「俺が一番気になるのは、ここだ」
そう言って、パワーローダーは資料の一角を指で叩いた。
「ヴィランや一般人による誤作動を防ぐために、新世自身が握った時だけ電力供給が行われる構造になってる」
視線を落とし、改めて設計図を見る。
生体認証。
使用者限定。
しかも、想定は“事故防止”だ。
「正直に言うぞ」
パワーローダーは、少し言葉を探すように間を置いてから続けた。
「サポートアイテムに関しては、あいつは素人だと思っている。
発想はあっても、形に落とし込む段階で詰まるタイプだってな」
だからこそ、と声が低くなる。
「なのにだ。
新世から渡されたのが、これだ」
紙の束を軽く持ち上げる。
「安全機構まで織り込まれてる。
しかも、“ヒーローが使う前提”でな」
パワーローダーは、どこか自分の考えを疑うように、首を傾げた。
「つまり俺は、こう思った」
一拍。
「これは、あいつが“考えた”ものじゃない。
あいつの中に、最初からあったものなんじゃないかってな」
自分でも何を言っているのか分からない、そんな表情で言葉を重ねる。
「記憶なのか、設計思想なのか……
理由は分からん。だが、ゼロから作った感じがしない」
(……誰かが作った?)
いや、違う。
(“何か”が、だ)
脳裏をよぎるのは、あいつの口にした名前。
(MAGIシステム……)
あいつの身体に最初から内包されている存在。
解析し、最適解を提示し、判断を補助する“何か”。
それが、設計図の正体だとしたら──。
また一つ、疑問が増えた。
俺は、椅子の背もたれに深くもたれかかり、天井を仰ぐ。
「……まあ、悪いことばかりじゃない」
俺がそう言うと、パワーローダーは続きを引き取るように頷いた。
「このプログナイフがあれば、戦闘だけじゃなくて瓦礫の撤去なんかにも使えるだろうな。
救助活動との相性は、むしろかなりいい」
確かに、その通りだ。
分子結合に直接作用する刃。
力任せに壊す必要がなく、周囲を巻き込まない。
(……使い方次第では、“守るための武器”になる)
少なくとも、無差別に暴れる類の代物じゃない。
(とりあえず今は、あいつの新しい一面が見られたことを喜ぶべきか)
俺は、手にしていた書類をまとめ直し、パワーローダーに返した。
「情報の共有、助かった。
もし、同じようなことがあったら……また頼む」
「任せな」
パワーローダーは、楽しそうに口角を上げる。
「俺個人としてはな、あいつから出てくる情報は、どれも面白い。
技術屋として、純粋に興味が尽きないよ」
そう言い残して、足取り軽く職員室を後にする。
静かになった室内で、俺は一人、椅子に深く腰を下ろした。
「……前途多難、か」
守るべき生徒は、二人。
力は規格外で、価値観は危うい。
だが──
(それでも、見捨てる理由にはならない)
だからこそ、俺はここにいる。
トガヒミコに変わる、敵の追加
-
追加する
-
追加しない