僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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第参拾六話 見つけた存在、あなたは誰?

 雄英高校での生活も、気づけばもうひと月が過ぎていた。

 時間は、思っているよりも静かに流れていく。振り返ってみて初めて、その速さに気づくものだ。

 

 中学までの日常とは、やはり違う。

 ヒーローがニュースや物語の中の存在ではなく、すぐそばにいる学園生活は、毎日が予想外の連続だった。

 驚きもあるし、戸惑いもある。けれど、それだけじゃない。

 どこか、胸の奥がざわつくような、前向きな感覚もあった。

 

 今の僕は、何をしているかというと──

 ヒーロー科の戦闘訓練が行われた跡地の片づけをしている。

 

 砕けた地面。

 歪んだ鉄骨。

 崩れた壁。

 

 戦いが終わったあとに残るものは、いつも静かで、だけど雄弁だ。

 

 僕の姿は初号機。

 けれど、その上からジャージを上下ともに着ている。

 背中にはアンビリカルケーブルが接続され、安定した電力を外へ流している。

 

 そう。

 今の僕は初号機の姿のまま、服を着ている。

 

 少し前までの僕には、考えられなかったことだ。

 

 パワーローダー先生の手でケーブルの量産が終わり、雄英の各所に接続ポイントが設置された頃。

 その後の運用について話していたとき、ふと現実的な問題が浮かび上がった。

 

 ──さすがに、初号機の姿で裸のまま学校生活を送るのは、目立ちすぎる。

 

 どうにかならないか、と話し込んでいたときのことだった。

 先生が、何気ない調子で口にした。

 

「装甲を着脱できないのか?」

 

 一瞬、言葉に詰まった。

 そんな発想は、今まで一度も考えたことがなかったからだ。

 

 すぐに、MAGIに確認した。

 半信半疑だったけれど、返ってきた答えはとても簡潔だった。

 

 ──可能です。

 

 思わず、拍子抜けしてしまった。

 同時に、長年抱えてきた悩みが、嘘みたいに軽くなった気もした。

 

 今思えば、不思議でもなんでもない。

 劇場版では、初号機の肩の装甲が弾け飛んでいた。

 零号機だって、改修後には肩に装備が追加されている。

 

 装甲は、固定されたものじゃない。

 状況に応じて変化する、機能の一部だった。

 

 それなのに僕は、この姿は最初から最後まで変えられないものだと、どこかで思い込んでいた。

 

 変われなかったのは、身体じゃない。

 僕の考え方のほうだったのかもしれない。

 

「……っ、またか……」

 

 ふと、背中にじわりとした感覚が走る。

 誰かに見られている──そんな気配。

 

 思わず手を止め、顔を上げて周囲を見渡した。

 

 体育館の端。

 瓦礫の山。

 補修用の資材。

 行き交う人影は、もうほとんどない。

 

 視線を感じたはずなのに、

 こちらを見ている人物は見当たらなかった。

 

「……気のせい、なのかな」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 答えは返ってこない。

 

 胸の奥に残る、わずかな違和感を振り切るように、僕は再び作業へ戻った。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 ある日の午後。

 僕は相澤先生に呼ばれて、体育館に来ていた。

 

 午前中にヒーロー科の授業が行われていたらしく、床にはまだ砕けたコンクリートや金属片が残っている。

 訓練の熱が、かすかに空気に残っているような場所だった。

 

「ここ、午前中に使ってたんですね」

 

 そう言いながら、足元の瓦礫を拾い上げる。

 

「午後は……修繕前の瓦礫撤去、ですか?」

 

 いつもの作業だと思っていた。

 だから特に警戒もせず、淡々と片づけを続ける。

 

 その背後で、先生が持ってきた鞄を開ける音がした。

 布が擦れる音。

 何かを取り出している気配。

 

「いや」

 

 相澤先生の声が、いつもより少しだけ低い。

 

「せっかくだ。今日は、違うことをしようと思ってな」

 

「……違うこと?」

 

 思わず手を止めて振り返る。

 

「いったい、何を──」

 

 言い終わる前に、視界が埋まった。

 

 拳だ。

 

 次の瞬間、反射的に身体が跳ねる。

 床を蹴り、後方へジャンプ。

 

 風を切る音とともに、拳が通り過ぎた。

 

「い、いきなりなんなんですか!」

 

 着地しながら距離を取る。

 視線を上げた先にいたのは──

 

 ゴーグルを装着し、首元には捕縛布を巻いた相澤先生。

 完全に“戦闘態勢”だった。

 

「お前も一応、ヒーロー科の生徒だからな」

 

 淡々とした声。

 

「戦闘訓練をしておこうと思ってな」

 

 言い終わると同時に、捕縛布が投げ放たれる。

 

「……っ!」

 

 思考を切り替える。

 回避。距離を取る。視線を布の軌道に集中させる。

 

 身体を反らし、かわそうとした──その瞬間。

 

 動きが、止まった。

 

 背中に、引っ張られる感覚。

 わずかな抵抗と、明確な制限。

 

(……っ、ケーブル!)

 

 アンビリカルケーブルの長さ。

 接続ポイントから、これ以上離れられない。

 

 判断は一瞬だった。

 

(切断しなくちゃ!)

 

 飛んでくる捕縛布を、前かがみになることで紙一重でかわす。

 同時に、頭の中で強く念じた。

 

(切断)

 

 炸裂音とともに、背中の感覚が途切れる。

 引っ張られていた重さが消え、身体が完全に自由になった。

 

 屈んだ姿勢のまま、床に散らばっていた小さな瓦礫を掴み、そのまま先生へと投げつける。考えるより先に体が動いていた。

 

 瓦礫は一直線に飛ぶが、先生は冷静に身を翻し、難なく回避した。

 

「急な戦闘訓練ですけど……先生の言った通り、雄英は本当に自由ですね」

 

 そう言葉を投げかけながら、意識を切り替える。

 僕を中心に、不可視の領域が広がった。空気が歪むような感覚。

 

「ほぉ、よく覚えていたな!」

 

 感心したように言いながら、先生は足元の瓦礫を蹴り上げる。鋭い弾丸のように飛んでくる破片。

 

 けれど、僕は避けなかった。

 お構いなしに前へ踏み込む。

 

 瓦礫はATフィールドに触れた瞬間、勢いを失い、弾かれる。

 衝撃は届かない。このまま一気に距離を詰めようとした、その瞬間だった。

 

 再び、捕縛布が視界を横切る。

 

 本来なら、フィールドで防げるはずだった。

 それなのに。

 

 次の瞬間、左手に確かな感触が走った。

 

「……っ!」

 

 捕縛布が、僕の左腕に絡みついている。

 

「ちぃ……!」

 

 このまま突っ込むのはまずい。そう判断し、とっさにその場で急停止する。

 先生は布を引いたまま、低い声で言った。

 

「一応だが、俺の個性はお前にも効くみたいだな」

 

 視線を向けると、先生の髪がふわりと浮き上がり、ゴーグルの奥の目が赤く光っているのが分かった。

 

(先生の個性……? ってことは、先生もATフィールドを?)

 

 そう考えた瞬間、頭の中に情報が流れ込んでくる。

 

『ヒーロー名、イレイザーヘッド。目視した対象の個性を抹消する個性です』

 

(抹消……そんな個性も、あるのか)

 

 僕は視線を逸らさず、先生を睨むようにして間合いを測る。

 先生は捕縛布に力を込めたまま、引くのをやめない。

 

 静かな力比べ。

 

(パワーだけなら、負けない気はする……)

 

 けれど、このまま相手の土俵で踏ん張り合うのは、どこかまずい気がした。

 相手は百戦錬磨のプロヒーローだ。力押しに持ち込めば、必ず隙を突いてくる。

 

(──なら)

 

 僕は左肩に、意識を集中させた。

 

 次の瞬間、

 ガコン、という無骨な音とともに、肩の装甲がわずかに展開する。

 

 露出した内部からせり出してきたそれを、右手で掴み、そのまま迷いなく振る。

 

 刃が走る。

 

 捕縛布は、抵抗らしい抵抗もなく、音もなく断ち切られた。

 

「……っち」

 

 先生は短く舌打ちし、即座に後方へと跳ぶ。

 この距離はまずい──そう判断したのだろう。

 

(……さっそく、役に立ったな)

 

 僕の右手には、一本のナイフが握られていた。

 

 生前、テレビの中で何度も見た形。

 プログレッシブ・ナイフ。

 

 パワーローダー先生に相談し、試しに作ってもらった試作品だ。

 人間サイズに落とし込まれたそれは、今、微細な振動を発しながら低く唸っている。

 

 刃に伝わる震えが、威力を確実に底上げしているのが分かる。

 

 僕は一度、呼吸を整え、ナイフを構え直した。

 視線を、まっすぐ先生へと向ける。

 

 とっさにナイフを抜いたのはいい。

 けれど、この刃は威力がありすぎる。

 

(……生身の人間に、当てるわけにはいかない)

 

 迷いは一瞬だった。

 

(だったら──!)

 

 足に力を込め、床を蹴る。

 初号機の脚部が跳躍に応じ、視界が一気に持ち上がった。

 

 落下地点にいる先生を捉える。

 狙いは急所じゃない。地面だ。

 

 着地と同時に、ナイフを真下へ突き立てる──そのつもりだった。

 

 だが、先生はそれを読んでいた。

 

 紙一重で身をかわし、床に刃が突き刺さる。

 振動が手首に返るより早く、僕は立ち上がりざまにナイフを横へ薙いだ。

 

 空気が裂ける。

 

 刃は先生の身体には届かない。

 だが、袖口をかすめ、布地に一直線の切れ目を刻んだ。

 

「……!」

 

 間髪入れず、空いた左手を握り込む。

 そのまま踏み込み、渾身の一撃を叩き込もうとする──が。

 

 次の瞬間、左腕に違和感が走った。

 

 捕縛布。

 

 いつの間にか、先生の布が僕の左手首に巻き付いている。

 

 引かれる。

 

 それも、躊躇のない全力で。

 

 僕の拳は空を切り、体勢が一気に崩れた。

 先生はそのまま距離を詰め、僕の横をすり抜ける。

 

 ──来る。

 

 直感した瞬間、首元に衝撃。

 

 鋭い蹴りが、装甲越しでも分かるほどの力で叩き込まれた。

 

「っ……!」

 

 視界が揺れる。

 だが、倒れない。

 

 僕は歯を食いしばり、左手に絡んだ布に力を込めた。

 

(──今度は、こっちが!)

 

 さっき先生がやったのと同じだ。

 相手を引き寄せ、体勢を崩す。

 

 その動作に入った、まさにその瞬間。

 

 先生が、こちらを見た。

 

 そして瞬きをする。

 

 同時に、手首の布が、わずかに緩む。

 

「……なっ」

 

 僕と先生を繋いでいた捕縛布は、

 抵抗する間もなく、ぷつりと切断された。

 

 反動で、布の端が床に落ちる。

 

 先生は距離を取り、こちらを見据える。

 ゴーグルの奥、その赤い光は、もう消えていた。

 

 ……解除した。

 

 自分の個性を、意図的に。

 

 その意味が分かり、背筋に冷たいものが走る。

 

「……中間地点に物があると、そうなるのか。やっかいなもんだな」

 

 相澤先生は、切断された捕縛布を淡々と手元に回収しながら言った。

 そこには、勝ち誇った様子も、焦りもない。ただ状況を確認し、次に繋げるための声色だけがある。

 

「わざと個性を解除して逃げるなんて……どんな判断力ですか」

 

 左手に残っていた布の切れ端を外しながら、視線だけは先生から逸らさない。

 今この瞬間、ほんの一瞬でも目を離せば──やられる。

 そう思わせるだけの“差”が、確かにそこにあった。

 

「まあな」

 

 先生は短く答え、戦闘態勢を崩さない。

 

「これでも一応、プロだからな。さすがに死線くらいは、何度もくぐってきた」

 

 軽く言っているが、その言葉の重みは違う。

 経験の量。修羅場の数。

 それらが、動き一つ、判断一つに滲み出ている。

 

 先生は低く重心を落とし、こちらを見据えたまま告げる。

 

「続けるぞ」

 

 一拍。

 

「……最後まで、油断するなよ」

 

 その声に、自然と背筋が伸びた。

 

(……まだ、終わりじゃない)

 

 むしろ、ここからが本番だ。

 そう直感して、僕はナイフを握り直す。

 

 ──雄英は、自由だ。

 そして同時に、容赦がない。

 

 その意味を、今まさに身体で教え込まれている最中だった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 僕は、ひび割れた運動場の一角で、瓦礫を拾い集めていた。

 自分で壊した場所を、自分で片付ける。

 それもまた、今日の訓練の一部だった。

 

 結局、あの後──

 僕は一度も、先生に触れることすらできなかった。

 

 思い返してみれば、当たった攻撃はたった一つ。

 プログナイフが、服の袖を裂いた、あの一閃だけだ。

 

(……情けないな)

 

 そう思いかけたところで、背後から声がかかる。

 

「がっかりしてる顔だな」

 

 振り向くと、相澤先生が立っていた。

 ゴーグルは外し、いつもの少し気だるげな表情に戻っている。

 

「だが、一つ言っておく」

 

 先生は、瓦礫だらけの運動場を一瞥してから、僕を見る。

 

「お前の動き自体は、悪くなかった」

 

 その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。

 

「ただな……途中から分かりやすかったぞ」

 

 先生は、淡々と続ける。

 

「ナイフの威力を警戒しすぎてた。

 途中から、決定打を左手か足だけに限定してただろ」

 

 言われて、はっとする。

 

「そのせいで、攻撃の選択肢が一気に減ってた。

 結果、俺から見れば“次に何が来るか”が読みやすくなった」

 

 ……図星だった。

 

 威力がありすぎる。

 生身の人間に当てたら、取り返しがつかない。

 

 そう考えるほど、無意識に“安全な手段”だけを選んでいた。

 

「……課題は、多いですね」

 

 そう言うと、相澤先生は小さく肩をすくめた。

 

「そうだな。課題は多い」

 

 だが、と前置きして、続ける。

 

「裏を返せば、それだけ“修正点がはっきりした”ってことだ」

 

 先生の視線は、厳しいが、突き放すものじゃない。

 

「威力を制御する方法。

 ナイフを使わない選択肢。

 あるいは、“使う前提”でどう組み立てるか」

 

 一つずつ、指を折るように。

 

「それをこれから潰していけばいい。

 できない理由じゃなくて、できる形を探せ」

 

 その言葉は、重くて、でも不思議と前向きだった。

 

(……まだ、伸びるってことか)

 

 僕は手にした瓦礫を所定の場所に置き、静かに息を整える。

 

 完敗だった。

 それでも──無意味じゃなかった。

 

 この人は、僕を“戦えない存在”だとは見ていない。

 ただ、“まだ未完成な生徒”として、きちんと見ている。

 

「……ありがとうございます」

 

 そう言うと、先生は短く頷いた。

 

「礼を言うのは、次に一つでも改善してからにしろ」

 

 そう言い残して、首元の布を解きながら歩き出した。

 戦闘の緊張が抜けた背中は、いつもの担任教師のそれに戻っている。

 

 数歩進んだところで、ふと思い出したように足を止め、振り返った。

 

「この場所、今日はもう使う予定はない」

 

 指で運動場を示しながら、淡々と続ける。

 

「動き足りないなら、使ってもいい」

 

 その一言は、僕にとって思っていた以上に大きかった。

 

 さっき見えた課題。

 考え方のズレ。

 動きの迷い。

 

 それを、今すぐ試せる場所と時間がある。

 

 こんなにありがたいことはない。

 

「……ありがとうございます、先生」

 

 自然と頭が下がっていた。

 

 先生はそれを横目で見て、少しだけ気まずそうに頬をかく。

 

「俺がいないからって、無茶だけはするなよ」

 

 歩き出しながら、背中越しに言葉を投げる。

 

「放課後までには戻れ。いいな」

 

「はい」

 

 短く答えると、先生はもう振り返らなかった。

 

 やがて、運動場の出入口の扉が閉まり、

 足音が完全に遠ざかる。

 

「……タブリス、出てきてくれ」

 

 呼びかけると、空気がゆっくりと歪み始めた。

 まるで形を持とうとするかのように、揺らぎが輪郭を得ていく。

 

 次の瞬間、目の前に人型の影が立ち上がり、やがて見慣れた姿へと収束した。

 

「やあ」

 

 静かな声とともに現れたのは、タブリスだった。

 

「今の訓練、見てたか?」

 

 俺がそう聞くと、タブリスは小さく頷く。

 

「ああ、見ていたよ。……僕を呼んだってことは、シミュレーターだね」

 

「察しがいいな」

 

 俺は視線を運動場の周囲へ向けながら続ける。

 

「せっかく使える場所がある。

 MAGI、ここ付近の監視カメラに侵入して、映像の書き換えを頼む」

 

『了解。監視映像を別データへ上書きします』

 

 即座に返ってくる応答。

 

 タブリスは、少し意外そうに首を傾げた。

 

「どうしたんだい? 

 そこまでするなんて、君にしては珍しい」

 

 俺は肩をすくめる。

 

「俺がシミュレーターやってるところって、はたから見たらただ一人で動き回ってるだけだろ。

 ……正直、それを誰かに見られるのは、あんまり気分よくなくてな」

 

「確かに」

 

 タブリスは目を閉じ、納得したように言葉を紡ぐ。

 

「その判断は、合理的だと思うよ」

 

「それに、今日はいつもと違うことをやろうと思ってる」

 

 その言葉に、タブリスが再び目を開いた。

 

「違うこと、かい? 

 どんなふうに設定を変えるつもりなんだい」

 

 俺は一瞬、言葉を選ぶ。

 

「今までは敵を“殺す”前提の訓練をしてた」

 

 頭の奥に、嫌でも浮かんでくる。

 

 夜中の特訓。

 量産機との、終わりのない戦い。

 

 武器を振るい、

 互いの身体を切り刻み、

 切断し、血を流しながら続ける訓練という名の、ほとんど殺し合いだった。

 

「でも俺がなるのは、ヒーローだ」

 

 広い運動場に、一人きり。

 僕は一度、深く息を吸ってから、静かに口を開いた。

 低く、言い切る。

 

「相手は使徒じゃない。人間のヴィランだ。

 殺すんじゃない、捕まえるのが仕事だ」

 

 その言葉に、タブリスはわずかに目を細めた。

 

「……でも、それは簡単なことじゃないよ」

 

 静かな声だったが、否定ではない。

 事実をそのまま置いただけの言葉だ。

 

 確かにその通りだ。

 相手は命を持つ人間で、こちらの一撃一撃が取り返しのつかない結果を生む。

 

 だが──

 それを引き受けなければならないのが、ヒーローなんだろう。

 

 今日、相澤先生と戦って、俺はそれをはっきりと実感した。

 力があるだけじゃ足りない。

 判断と制御がなければ、守る資格はない。

 

「だから、特訓するんだ」

 

 俺は運動場を見渡しながら続ける。

 

「そのための場所が、ここにある。

 使わない手はないだろ」

 

 タブリスは一拍置いてから、静かに頷いた。

 

「わかった。

 君から過剰な攻撃が出た場合、その時点で君の敗北判定を出そう」

 

「助かる」

 

 俺は短く答える。

 

「まずは、量産機一体で始めたい」

 

 その言葉を聞いたタブリスは、片手を軽く上げた。

 

 次の瞬間──

 地面が脈打つように盛り上がり、まるで生えてくるかのように、量産機が姿を現す。

 

 無機質な白。

 何度も向き合ってきた、訓練相手。

 

 俺は左肩に意識を集中し、ウェポンラックからナイフを引き抜いた。

 構えを取り、呼吸を整える。

 

 量産機が動き出すのと、ほぼ同時に俺も踏み出す。

 

 これは、殺すための戦いじゃない。

 

 捕らえるための戦い。

 壊さず、終わらせるための特訓だ。

 

 今、俺の新しい戦いが始まった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 

 目の前で、戦いが繰り広げられている。

 

 初号機は量産機の背後に回り込み、そのまま腕を絡めて首を締め上げていた。

 以前の彼なら、迷いなく頸椎を断っていただろう。

 でも、今日は違う。

 

 量産機はもがき、腕を外そうと暴れる。

 その瞬間──初号機は、あっさりと拘束を解いた。

 

 そして距離を詰める。

 胴体へ、拳を叩き込む。

 一発、二発、三発。

 

 力任せじゃない。

 確実に、機能を奪うための打撃。

 

 何度かの衝撃の後、量産機の動きが止まる。

 完全な活動停止。

 

 それを確認した直後、初号機もまた、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

 まるで気絶するかのように。

 

「おめでとう。君の勝ちだよ、福音君」

 

 動かなくなった彼を見下ろしながら、労うように声をかける。

 

 今までとは明らかに違う戦い方。

 殺すためじゃなく、無力化するための選択。

 

「……無力化のための戦い方、か」

 

 静かに息を吐く。

 

「ここでの生活が、君に影響を与えているみたいだね」

 

 彼は変わろうとしている。

 良くも、悪くも。

 

 それは事実だ。

 けれど──

 

「でも、僕には分からないよ」

 

 誰に向けるでもなく、そう呟く。

 

 変わることが、正しいのか。

 変わらないことが、罪なのか。

 

 彼が向かおうとしている先が、幸福なのか破滅なのか。

 それを判断する材料を、僕はまだ持っていない。

 

 そんなことを考えていると──

 運動場の外側から、微かな気配が流れ込んできた。

 

(……まずいな)

 

 反射的に、意識をそちらへ向ける。

 

 量産機はすでに処理した。

 だが、今この場で初号機が倒れている姿を見られれば、騒ぎになる。

 

 人を呼ばれる。

 説明が必要になる。

 そして、余計な干渉が増える。

 

(それは、避けたい)

 

 一瞬の逡巡。

 それから、僕は小さく肩をすくめた。

 

(……仕方ないか)

 

 空気に溶けるように、一歩踏み出す。

 

 倒れている彼の体に手を合わせ、目を閉じた。

 

 意識を預ける。

 呼吸を重ねる。

 波長を、合わせる。

 

 次の瞬間、僕の感覚は境界を越え、彼と溶け合った。

 

 世界が反転する。

 視界が、紫の装甲越しのものに切り替わる。

 

 ──初号機の中。

 

 倒れていた身体を、ゆっくりと起こす。

 関節の軋み、重量感、地面の感触。

 すべてが、彼のものだ。

 

 僕は福音君の“ふり”をするように、散らばった瓦礫に手を伸ばした。

 一つ、また一つ。

 訓練の後片付けをしている──ただそれだけの光景を作る。

 

 そのときだ。

 

 運動場の入口から、足音が近づいてくる。

 躊躇いがちで、それでもまっすぐな足取り。

 

「ごめんなさい、ちょっといいかな」

 

 声をかけられる。

 

「はい……どうしま──」

 

 振り返り、相手を見る。

 

 そこにいたのは、青い髪の少女だった。

 

(……波動ねじれ)

 

 一瞬で理解する。

 そして同時に、疑問が浮かぶ。

 

 どうして、彼女がここに? 

 

 偶然──? 

 いや、それは違う。

 

 先生は言っていた。

 この場所は、今日は使う予定がないと。

 

 ならば答えは一つだ。

 彼女は、自分の意志でここへ来た。

 

(厄介だね)

 

 しかも僕は、彼女とすでに“会っている”。

 渚カヲルの姿で。

 

(まさか、あの時の行動が、ここで足かせになるなんて)

 

 福音君と僕。

 二つの存在を結びつけられるのは、まずい。

 

 考えろ。

 どう抜ける? 

 

「……その、迷惑だったかな?」

 

 僕が答えないでいるのを、不審に思ったのだろう。

 彼女は、少しだけ声のトーンを落として尋ねてくる。

 

 時間をかけすぎている。

 これ以上は危険だ。

 

(……やってみるか)

 

 幸い、この初号機の姿で彼女と会話をしたことはない。

 渚の僕と、今の僕は、見た目も雰囲気もまるで違う。

 

 ならば切り離すことは、できる。

 

「いえ、別に……迷惑ってわけじゃ……」

 

「え? その声」

 

 反射的に、喉の奥で“切り替える”。

 音の高さ、息の混じり方、言葉の震え。

 

 碇シンジの声へ。

 

「こ、声が……どうしました?」

 

 戸惑いを前に出した、頼りない調子。

 自分でも分かるほど、露骨な変化だった。

 

 どうやら最初に返事をしたとき、僕の声で応じてしまったらしい。

 

 だが今、彼女の前にいるのは──別人だ。

 

 声は、人を形作る大きな要素だ。

 外見も、体格も、雰囲気も違う。

 そこに決定的な“声の断絶”を見せつければ、人は自然と別の存在として認識する。

 

 彼女は一瞬言葉を詰まらせ、慌てたように手を振った。

 

「ご、ごめん! その……別に変な声とか、そういう意味じゃなくて……」

 

 視線が泳いでいる。

 戸惑いと、軽い混乱。

 

(……うん、効いている)

 

 疑念は芽生えたが、確信には至っていない。

 今のところ、こちらのペースだ。

 

「そ、そう……ですか……」

 

 少し間を置いてから、恐る恐る尋ねる。

 

「えっと……あなたは……?」

 

「あっ、ごめんね!」

 

 彼女は背筋を伸ばし、明るく名乗った。

 

「私、波動ねじれ。ヒーロー科2年!」

 

「2年……! せ、先輩だったんですね。す、すみません」

 

 自然に頭を下げる。

 立場を下に置くのは、警戒を解く一番簡単な方法だ。

 

「ぼ、僕は……」

 

 名を告げようとした、その瞬間。

 

「新世福音君、だよね?」

 

「……僕の、名前を?」

 

 一瞬、心臓が跳ねる。

 

(知っている……?)

 

「うん。あなたと、もう一人の子がいて……」

 

 彼女は少し言葉を選ぶようにしながら続けた。

 

「その……私たちの間で、ちょっと有名になっててさ」

 

「有名……?」

 

「ほら、イレイザーヘッドが“除籍にしないで、留年させた”って話。結構噂になってるんだよ」

 

 ……なるほど。

 

(そういう理由か)

 

 胸の奥で、静かに納得する。

 彼女がここに来た理由は、渚の出来事ではない。

 

 噂だ。

 雄英という閉じた環境で、異例の処置を受けた二人の存在。

 

(つまり──彼女は“興味”で来ただけ)

 

 ならば、この場は切り抜けられる。

 

「そう……だったんですね」

 

 小さく、曖昧に相槌を打つ。

 

 あの日の記憶と、今の僕。

 彼女の中で、それらはまだ繋がっていない。

 

「ぼ、僕には……よくわからないですけど……単位を取りながら、っていう話らしいです」

 

 少し歯切れの悪い返事になった。

 それでも、嘘は言っていない。

 

「……そうなんだ」

 

 波動先輩は、そう呟いてから視線を逸らした。

 どこか、ばつが悪そうに見える。

 

(……踏み込みすぎたと思った、かな)

 

 なら、今度は僕の番だ。

 

「その……波動、先輩は……それで、ここに来たんですか?」

 

「え?」

 

 一瞬だけ、彼女の肩が揺れた。

 

「ううん。私ね、確かめたいことがあって……」

 

「確かめたい、こと……?」

 

 胸の奥が、わずかにざわつく。

 

 ──そうだ。

 彼女は以前、言っていた。

「知りたいことがあると聞いてしまう」と。

 

(なるほど……)

 

 彼女にとって、この初号機の姿は。

 この“新世福音”という存在は。

 

 謎の塊、というわけか。

 

 僕はそう、勝手に結論づける。

 だから、きっと質問も、その延長線上のものだ。

 

「……一つ、聞いてもいいかな?」

 

「は、はい……僕でよければ」

 

 声が、少しだけ震える。

 それでも逃げなかった。

 

 波動先輩は、まっすぐに僕を見る。

 探るようでもあり、確かめるようでもある視線。

 

「あなたは──誰?」

 

「……え?」

 

 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

 

「ぼ、僕ですか? 僕は……新世──」

 

「違う」

 

 静かだが、はっきりと遮られる。

 

「今、話してるあなた」

 

「っ……!」

 

 息を呑む音が、自分でもはっきりわかった。

 

(……なぜ)

 

 胸の奥で、何かが冷たく落ちる。

 

(ばれた? いや……そんなはずは)

 

 声も、態度も、存在の輪郭も。

 すべて切り離したはずだ。

 

 なのに彼女は、そこに違和感を見つけている。

 

「……先輩が言っていることは、正直よくわからないですけど……どうして、そう思ったんですか?」

 

 できるだけ平静を装って問い返す。

 けれど、胸の奥では小さな警鐘が鳴っていた。

 

「私ね、探してる人がいるの」

 

「……探してる?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、心臓がわずかに跳ねた。

 本能的に思ってしまう──僕のことか、と。

 

「その……探してる人が、僕に似てるってことですか? 

 でも僕、相当珍しい姿してると思うんですけど……」

 

 初号機のこの姿を示すように、曖昧に肩をすくめる。

 

「ううん。見た目は、全然違うよ」

 

 彼女はそう言って、両手を軽く合わせた。

 自分の中で、何かを照合するように。

 

「たまたま、聞いちゃったんだ。

 先生と、あなたが話しているの」

 

「……」

 

 なるほど、そういうことか。

 

 彼女はそこで、福音君という存在に興味を持った。

 見た目は違う。けれど──声は、同じだ。

 

「それでね、気になって。

 時々、あなたのことを見てたことがあって」

 

 胸の奥で、点と点がつながる。

 

 最近、福音君が感じていた視線。

 あれは──彼女だったのか。

 

(……つまり、僕たちは見られていた)

 

「それに、今だって」

 

 波動先輩は、はっきりと僕を見る。

 

「私を見た瞬間、声を変えたでしょ。

 だから、なおさら……変だなって思った」

 

 言葉が、胸に突き刺さる。

 

(……最悪だ)

 

 良かれと思って取った行動が、完全に裏目に出ている。

 自分の浅はかさに、思わず嫌気が差した。

 

「でも……見た目は違うんでしょ? 

 声が似てる人なんて、意外といると思うんですけど」

 

 最後の抵抗のように、そう口にする。

 論理としては、間違っていない。

 だからこそ──彼女がどう返すのか、怖かった。

 

「うん。私も、最初はそう思ったよ」

 

 波動先輩は、少し困ったように笑ってから、続ける。

 

「でもね……似てたの」

 

「……似てた?」

 

「話し方が。

 まるで、あの人を“真似してる”みたいだったから」

 

 ──ああ。

 

 そうなる、か。

 

 僕と福音君は、同じ“原型”を参照している。

 渚カヲルという存在を、言葉のリズムや間の取り方にまで落とし込んでいる。

 

 だからこそ、違和感として浮かび上がった。

 そして──。

 

(僕の姿を、見たことがあるのは……)

 

 この世界で、彼女だけだ。

 

 ならば当然だろう。

 僕に辿り着くのは、彼女だけになる。

 

「……そうか」

 

 小さく息を吐く。

 もう、誤魔化す理由はなかった。

 

「なら、これ以上嘘をつくわけにもいかないね」

 

 声を、元に戻す。

 碇シンジのそれではなく、僕自身の声へ。

 

「君の言う通りだよ。

 探していた存在は……僕だ」

 

 初号機の輪郭が、ゆっくりと歪む。

 装甲が霧のようにほどけ、形を変え、収束していく。

 

 白く、人の形をしたタブリスとしての僕。

 

 その姿を目にした瞬間、彼女は息を呑んだ。

 

「……っ!」

 

 言葉は出ない。

 ただ、スカートの端をぎゅっと握りしめ、込み上げる感情を飲み込む。

 

 そして──。

 

「……そっかぁ」

 

 ぽつり、と。

 熱を帯びた声が、零れ落ちる。

 

「やっと……見つけた」

 

 その声音は、無意識のものだったのだろう。

 だからこそ、重く、真実だった。

 

 僕は静かに首を傾ける。

 

「どうして、僕を探していたんだい?」

 

 問いは、穏やかに。

 けれど、逃がさない。

 

「僕らが話したのは、ほんの短い時間だったはずだ。

 それでも君はここまで辿り着いた」

 

 風の止んだ運動場で、視線が交わる。

 

「理由を、聞かせてほしいな」

 

「……ただ、お礼を言いたかっただけ」

 

 彼女は、そう言って小さく息を吐いた。

 

「お礼?」

 

「うん。あなたのおかげで、私は……間違えなかった。ちゃんと、選択ができた」

 

 その言葉を聞きながら、僕は思い起こしていた。

 以前の彼女は、確かに孤独だった。

 孤独であるがゆえに仮面を被り、他者との間に壁を築き、自分自身を守っていた。

 

 けれど──。

 

 あの場所で、僕が渚カヲルのように寄り添った結果。

 彼女の心の迷宮は、ひとつの答えに辿り着いたのだろう。

 

(変わる……そうか。君は、変わったのか)

 

 孤独を抱えたまま閉じこもるのではなく、他人を受け入れ、前に進む選択をした。

 

「そうか。それは……よかった」

 

 その変化は、きっといい方向だ。

 彼女は“他者”を拒まなかった。

 

「それができるのが、リリン……人間という存在なのかもしれないね」

 

 僕の呟きに、彼女は首を傾けるようにして、少しだけ間を置いた。

 

「……ねえ。もう一つ、聞いてもいい?」

 

 その問いに、僕は意識を向ける。

 

「構わないよ。何を聞きたいんだい?」

 

 彼女は、少し照れたように視線を逸らしてから、言った。

 

「あなたの……名前」

 

「名前?」

 

「そう。

『もし、次に君と会ったとき、君が僕に気づけたら。その時に、名前を教えるよ』って、言ってたから」

 

 ──ああ。

 

「確かに、そう言ったね」

 

 自分でも、そんなことを口にしていたのを思い出す。

 あの時は、もう二度と会うことはないと思っていた。

 だからこそ、あんな曖昧な約束を残したのだろう。

 

「僕は……」

 

 一瞬、言葉に迷う。

 

 福音君の名前では、違う。

 それは彼のものだ。

 

 渚カヲルでも、違う。

 それは“参考にした存在”であって、僕自身ではない。

 

 ならば──。

 

「僕は、タブリス。

 最後のシ者であり……彼と共に歩む存在だ」

 

「タブリス……」

 

 彼女は、その名を噛みしめるように、ゆっくりと口にした。

 

「それが、あなたの名前なんだね」

 

 福音君以外の誰かに、そう呼ばれるのは初めてだった。

 その音が、なぜか心地いい。

 

 名を呼ばれるという行為が、存在を認められるということなのだと。

 

 僕は、その瞬間、少しだけ理解した気がした。

トガヒミコに変わる、敵の追加

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