僕のヒーローアカデミア 偽りの福音   作:ペプシ飲みたいマン

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第参拾七話 答えのない視線

「……疲れました……」

 

 思わず、そんな声が零れた。

 保健室からの帰り道、私は廊下をゆっくり歩きながら、凝り固まった肩をぐっと伸ばす。

 身体の奥に溜まった疲労が、じわじわと表に浮かび上がってくる感覚があった。

 

 今日は、正直言って、かなり濃い一日だった。

 

(……アルエちゃん)

 

 心の中でそう呼びかけると、すぐに静かな気配が応じる。

 

『なに』

 

 短いけれど、突き放すような冷たさはない。

 

「今日は……びっくりしましたね」

 

 言いながら、自然と今日の出来事を思い返していた。

 

『ええ。さすがの私も、あれには驚いたわ』

 

 アルエちゃんの声は、淡々としているけれど、ほんの少しだけ感情の揺れが混じっていた。

 思い浮かぶのは、今朝の出来事だ。

 

 実験用として届いた、生きたままの──お魚さん。

 

 透明な水の中で、水滴を跳ねさせながらぴちぴちと動くその姿は、「生きている」という事実を、嫌というほどはっきり伝えてきた。

 

 まな板の上に移されたときも、尾びれを打ち、身体をくねらせ、必死に逃げようとしていた。

 

 その感触を、私はまだ覚えている。

 

 ぬるりとした皮膚。

 小さく震える筋肉。

 確かにそこにある、命の重さ。

 

 ……それでも、私は触れた。

 

 そして、浸食を行った。

 

 浸食そのものは、驚くほどあっさり終わった。

 いつも通り、流れるように、問題なく。

 

 問題だったのは──その後だ。

 

「まさか……光りだして、空を飛ぶとは思ってませんでした」

 

 思い返すだけで、少しだけ苦笑いが浮かぶ。

 

 白く発光しながら、ふわりと宙に浮かび上がったお魚さん。

 重力を忘れたみたいに、実験室の中を漂い始めた光景。

 

 あれは……さすがに予想外だった。

 

『魚とはいえ、魂を持つものへの浸食は難しいの』

 

 アルエちゃんは、静かにそう言った。

 

『人間とは構造も違うし、抵抗の仕方も違う。

 結果が不安定になるのは、自然なことよ』

 

「……そうですね」

 

 私は小さく頷く。

 

「でも、リカバリーガールも言ってました。

 失敗は成功のもと、って」

 

 そう口にした瞬間、

 保健室で聞いた、あの優しい声が思い出された。

 

 大丈夫よ、焦らなくていい。

 一つずつ、できるようになればいいんだから。

 

 その言葉に、どれだけ救われたか分からない。

 

『……前向きね』

 

 アルエちゃんの声に、わずかな変化があった。

 

『悪くないと思う』

 

 その一言に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 廊下の曲がり角を曲がった、その瞬間だった。

 

「渡我か。今日はもう終わったのか?」

 

「わっ」

 

 思わず足を止める。

 そこに立っていたのは、いつもの眠そうな目をした相澤先生だった。

 

「せ、先生! はい、今日はもう自習するように言われました」

 

 そう答えると、先生は小さく頷く。

 

「そうだったのか。今の時間なら、新世は運動場だと思うぞ」

 

「……運動場、ですか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが生まれる。

 

「……先生は、どうして福音君のことを教えてくれるんですか?」

 

 少しだけ考えてから、口にした。

 先生は一瞬だけ視線を逸らし、それから淡々と答える。

 

「いや。お前らを一人だけにさせるのは、少し危なっかしい気がしてな」

 

 その言葉に、思わず眉が寄る。

 

「俺もこのあと授業があって、そばを離れなきゃいけない。

 だから、知ってることは先に言っておこうと思っただけだ」

 

「……」

 

 危なっかしい、か。

 

 確かに。

 私も福音君も、どちらかと言えば無茶をするタイプだと思う。

 それは否定できない。

 

 でも。

 

「……でも先生たちのおかげで、少しは減ったんですよ。危ないところ」

 

 そう言うと、先生は一瞬だけこちらを見てから、鼻で息を吐いた。

 

「そういうのは、魚を光らせないやつが言うことだ」

 

「うげっ!」

 

 思わず変な声が出た。

 

「もう先生まで伝わってるんですか!?」

 

「保健室が軽く騒ぎになってたからな」

 

 先生は肩をすくめる。

 

「……恥ずかしい……」

 

 思わず顔を覆う。

 あれは本当に、予想外だったのに。

 

「だがまあ、前進してるのは確かなんだ。無理せずに精進しろ」

 

「……はい! わかりました」

 

 思わず、少し大きめの声で返事をしてしまった。

 けれど、「無理せず」という言葉だけ、やけに力がこもって聞こえた気がする。

 

 先生はそれ以上何も言わず、軽く手を上げてそのまま廊下の向こうへ歩いていった。

 私も深く考えすぎないようにして、運動場へ向かう。

 

 先生の話では、この時間なら中で福音君が訓練をしているか、後片付けをしているらしい。

 運動場の扉の前に立ち、取っ手に手をかけた──そのときだった。

 

『待って』

 

 アルエちゃんの声が、はっきりと響く。

 

(……どうしたんですか?)

 

 ただ事じゃないと感じて、声には出さず、頭の中で問いかける。

 

『中に、彼以外の存在がいる感じがする』

 

 一拍。

 

『それに……彼が、少し変』

 

(変、って……?)

 

 詳しく聞く前に、私は扉をほんの少しだけ開けた。

 隙間から、中の様子をそっと覗く。

 

 ──そこにいたのは。

 

(……あれ?)

 

 私の探していた人じゃ、なかった。

 

 運動場の中心に立っていたのは、二人。

 

 一人は、白い髪の少年。

 もう一人は、青い髪の少女。

 

 青い髪の子は、完全に初めて見る顔だ。

 でも──白い髪の少年のほうは。

 

(……初めて見る、感じがしない)

 

 胸の奥に、微かな引っかかりが残る。

 

「温泉ペンギン。新種のペンギンだよ」

 

 白い少年が、そう言った。

 

「温泉? ペンギンなのに温泉? 不思議だねー」

 

 青い髪の少女は、楽しそうに声を弾ませる。

 二人は、まるで友達同士みたいに、穏やかに会話をしていた。

 

 ──その瞬間。

 

「……!」

 

 思わず、息を呑む。

 白い少年から発せられたその声は──。

 

(……福音、君?)

 

 間違いない。

 聞き間違えるはずがない。

 

 胸の奥で、何かが弾ける。

 同時に、記憶が呼び起こされた。

 

 ──中学の頃。

 

 初めて放送室で、放送することを聞き実践したあの日。

 

 一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ。

 

 彼の姿が、別の何かに見えたことがあった。

 

(……あの時の)

 

 胸の奥で、言葉にならない感覚が広がった、その直後だった。

 

『……彼が、表に出てきているなんて……』

 

 アルエちゃんの声が、珍しく言葉を失ったように揺れる。

 その響きに、思わず背筋が伸びた。

 

(アルエちゃん……あの人は?)

 

 声に出すのは危険だと思い、私は頭の中で問いかける。

 

『ヒトに行きつき、ヒトに好意を示した……最後のシ者』

 

「……最後の、シ者」

 

 気づいたときには、言葉が口から零れていた。

 小さな声だったはずなのに、その響きが、やけに重く胸に残る。

 

 最後。

 その二文字が、頭の中で何度も反芻された。

 

(……なんで、そのシ者が、ここにいるんですか? 

 それに……福音君は、どこに……)

 

 問いは、自然と二つになった。

 

『彼は──』

 

 アルエちゃんは、少しだけ間を置いてから続ける。

 

『彼の中に存在する者たちの統括者。

 上に立つものであり……代弁者でもある』

 

(……?)

 

 一瞬、意味を取り損ねる。

 言葉は分かるのに、繋がらない。

 

(……つまり、それって)

 

 慎重に、確認するように尋ねた。

 

(福音君にとっての……アルエちゃん、ってことですか)

 

『そう思ってくれて、いいわ』

 

 即答だった。

 

 迷いのない声。

 

 それを聞いた瞬間、胸の中で何かがすとん、と落ちた。

 

(……なるほど)

 

 完全に理解したわけじゃない。

 でも、輪郭は見えた。

 

 あの白い少年は、福音君の“中”にいる存在。

 ただの別人格でも、幻でもない。

 

 彼の代わりに立ち、

 彼の代わりに話し、

 彼の代わりに人と関わることができる存在。

 

(……でも)

 

 そこで、ふと疑問が湧く。

 

(あの人が、あそこにいるのって……いいことなんですか?)

 

 思わず、聞いてしまった。

 

 今までだって、福音君は何度も規格外なことを起こしてきた。

 けれど──。

 

 彼の中にいる存在が、主導権を握り、姿を変え、“そこに存在している”。

 

 そんな光景を見るのは、これが初めてだった。

 アルエちゃんは、すぐには答えなかった。

 その沈黙が、何よりも不安を煽る。

 

『……危ないかもしれない』

 

(……本当ですか? 一体、どうしたら……)

 

 問いかけながら、胸の奥が冷えていく。

 アルエちゃんの言葉は、聞きたくなかった答えだった。

 

(……危ないのは、福音君じゃない)

 

 自然と、思考が別の方向へ向かう。

 

(あの女の子の方)

 

 そっと、視線を移した。

 

(……あの子)

 

 そこには、さっきと変わらず、楽しそうに笑う青い髪の少女がいた。

 作った笑顔じゃない。

 無理をしている様子もない。

 

 心の底から、誰かと話すことを楽しんでいる、そんな笑顔だった。

 

(……危ないって、いったい何が危ないんですか?)

 

 どう見ても、危険な空気なんてない。

 むしろ、幸せな時間にすら見える。

 

『……今、見せるわ』

 

 その瞬間だった。

 

「……っ!」

 

 鋭い痛みが、頭を貫いた。

 思わず息を呑む。

 

 視界が反転する。

 情報が、流れ込んでくる。

 

 ──それは、まるでアニメのラフ絵みたいだった。

 

 輪郭が曖昧で、色も定まらない世界。

 夕暮れの中、孤独な少年が立っている。

 

 その前に、もう一人の少年が現れる。

 

 微笑みながら。

 すべてを包み込むような、優しい表情で。

 

 孤独な少年は、少しずつ心を開いていく。

 初めて、自分を肯定してくれる存在に出会ったかのように。

 

 ──けれど。

 

 過酷な運命が、それをあざ笑う。

 

 仕組まれたシナリオ。

 避けられない流れ。

 

 少年は、さらに深い絶望へと引きずり込まれていく。

 

(……今のは、一体……)

 

『今のが、彼らの出会い』

 

 アルエちゃんの声が、静かに重なる。

 

『出会いは、まるで運命のようだった。

 でも……その最後は、悲劇だった』

 

 私は、顔を上げる。

 

 目の前には、運動場の二人。

 

 白い少年と、青い髪の少女。

 

 少女は、まるで恋焦がれる人を見つけたかのように、距離を測りながら、そっと寄り添おうとしている。

 

 その光景と重なるように、紫の巨人の、赤く染められた手が、脳裏に浮かんだ。

 

(……このままだと)

 

 喉が、ひくりと鳴る。

 

(このままだと……あの人たちも、ああなるんですか?)

 

『……分からない』

 

 アルエちゃんの声は、いつになく弱かった。

 

『でも、彼が表に出てきた場合……ほとんどの結末は、ああなる』

 

(……だったら)

 

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

 

(だったら、止めなきゃ……)

 

 一歩、踏み出そうとした。

 

 けれど。

 

 女の子の顔が、視界に入った瞬間、足が止まる。

 

 あまりにも、幸せそうで。

 あまりにも、無防備で。

 

 その時間を、壊していいなんて──思えなかった。

 

『……被身子?』

 

(……私には、できません)

 

 小さく、でもはっきりと答える。

 

(……あれを、止めることは)

 

 私は、そっと扉を閉めた。

 音を立てないように、ゆっくりと。

 

 そして、その場を離れる。

 足を進めながら、胸の奥で問いかける。

 

(……アルエちゃん)

 

(ここでも、ああなるって……決まったわけじゃない、ですよね?)

 

『……分からないわ』

 

 即答ではなかった。

 少しだけ間を置いた、その声は、迷いを含んでいた。

 

(……だったら)

 

 私は、小さく息を吸う。

 

(今は……そっと、しておいてあげましょう)

 

『どうして、被身子がそうするの?』

 

 問いは、責めるものじゃない。

 ただ理由を求める、静かな声だった。

 

(あの人たちの関係を、私にはまだ分かりません)

 

 一つずつ、言葉を選ぶ。

 

(でも……)

 

 運動場の奥。

 さっきまで見ていた二人の姿を、思い浮かべる。

 

(あの人にとって、あのシ者さんは……私にとっての、福音君だと思うから)

 

『……』

 

 アルエちゃんは、何も言わなかった。

 

 肯定も、否定も。

 ただ沈黙だけが、そこにあった。

 

 けれど──。

 

 歩き出した私の意識の端で、アルエちゃんが、最後まで運動場の方を見つめている気配がした。

 

 見えなくなる、その瞬間まで。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 先生との模擬戦があった、その次の日。

 

 僕は教室の机に座り、朝のHRが始まるのを待っていた。

 窓から差し込む朝の光はいつもと変わらないのに、身体の奥だけが少し重い。

 

(……昨日は)

 

 殺さないための特訓。

 量産機を相手に、無力化だけを考え続けた時間。

 

 そのあと──気が付いたら、僕は教室に戻っていた。

 

(……疲れてたのかな)

 

 記憶が途切れているわけじゃない。

 ただ、そこだけが妙に曖昧だった。

 

 そんなことを考えていると、教室の扉が開く。

 

「おはよう」

 

 低くて気だるげな声。

 相澤先生だった。

 

 軽く挨拶を交わし、先生は教卓に立つ。

 そして、いつもより少しだけ真面目な顔で言った。

 

「お前らには、重大な発表がある」

 

 一拍。

 

「戦いが始まるぞ」

 

「っ……!」

 

 思わず、身体が強張った。

 背筋に反射的な緊張が走る。

 

「……戦い?」

 

 被身子が、つぶやくように言う。

 

「まさか、ヴィランによる雄英への襲撃作戦でもあるんですか?」

 

 僕がそう口にすると、先生は露骨にやれやれといった顔をした。

 

「なんでそうなる」

 

 ため息一つ。

 

「雄英体育祭が迫ってるって話だ」

 

「……」

 

 一瞬、教室の空気が止まる。

 

 僕と被身子は、ほぼ同時にぽかんとした。

 

「体育祭……?」

 

 少し遅れて、言葉が出る。

 

「……ああ、そんな時期でしたっけ」

 

 自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。

 

 それを聞いた先生が、少しだけ眉を上げる。

 

「やけに冷静だな。

 そこは“学校っぽい”とか言って、盛り上がるところじゃないのか?」

 

「……でも」

 

 そう言いかけたところで、被身子が手を挙げる。

 

「二人だけの留年クラスで、体育祭もくそもないと思います」

 

 なんとも言えない顔だった。

 

「おい渡我、口が少し汚いぞ」

 

 即座に、先生のツッコミが飛ぶ。

 

「……お口にチャックします」

 

 そう言って、被身子は素直に黙った。

 教室に、短い静寂が落ちる。

 先生は、もう一度ため息をついてから続けた。

 

「まあ、渡我の言う通りでもある」

 

 淡々と。

 

「お前たちは、ヒーロー科一年として体育祭には出場できない」

 

 先生はそう言い切ると、手元にあった紙の束を僕らの机に配った。

 

「簡単な体育祭のパンフレットだ。

 当日は、出店なんかもいろいろ出る予定になっている」

 

 受け取ったパンフレットに目を落とす。

 そこには、たこ焼き屋、イカ焼き、焼きそば、クレープずらりと並んだ出店一覧が載っていた。

 

「……いろいろ出るんですね。なんだか、夏祭りっぽいです」

 

 思わずそう言うと、先生は小さく鼻で笑った。

 

「今じゃ、ウチの体育祭は日本のビッグイベントの一つだ」

 

 淡々と、でもどこか誇らしげに続ける。

 

「かつてのオリンピックに代わるのが、雄英体育祭だ。

 それに伴って、全国のトップヒーローや、それにつらなるサポート会社、スポンサーも観客として集まる」

 

 一拍。

 

「一般人も含めれば、相当な人数になる。

 だからそれに合わせて、経営科も“経済活動”を兼ねて動いてる」

 

「……ほえー」

 

 被身子が、パンフレットを見ながら素直に声を上げた。

 

「そこまでなんですね。知りませんでした」

 

「当日、僕たちは出店や、それ以外の部分を手伝うってことですか?」

 

 僕がそう聞くと、先生は頷いた。

 

「そうだ。

 こちらから二人に合った場所を指示する」

 

 そして、少し間を置いてから付け足す。

 

「もしくは──お前たちが“何かやりたい”っていうなら、それをやってもいい」

 

 その言葉に、僕は被身子と顔を見合わせた。

 

「福音君は、何かやりたいことあります?」

 

 被身子にそう聞かれて、僕は少し考える。

 

「そうだね……」

 

 頭の中で、今までの経験を振り返る。

 

 放送──

 一瞬そう思ったけれど、すぐに首を振った。

 

 この学校には、プレゼント・マイクがいる。

 その役割を、僕が代わりにやるのは違う。

 

 だったら、先生の言う通り、出店か裏方の手伝いだろうか。

 

(……いや)

 

 そこで、ふと立ち止まる。

 

(ちょっと待てよ……)

 

 頭の中に、ある“姿”が浮かんだ。

 

 こういう場面で。

 こういう規模で。

 こういう「人が集まる場所」で。

 

 これ以上ないくらい、ドンピシャな存在が。

 顎に手を当てたまま、僕は一人で小さく頷いていた。

 

「……?」

 

 その様子に気づいた被身子が、首を傾げる。

 

「その感じ……なにか思いついたみたいですね」

 

 被身子のその一言に、僕は小さく頷いた。

 

「うん。百聞は一見にしかず、かな」

 

 そう言って、僕は立ち上がる。

 

「……新世?」

 

 相澤先生が、訝しげにこちらを見る。

 僕は返事の代わりに、制服の上着に手をかけた。

 

「先生に、見てほしい姿があるんです」

 

「……は?」

 

 次の瞬間。

 

 身体の奥で、確かな反応が走った。

 

 初号機と量産機とは違う。

 僕の中に“生まれた”、もう一つのエヴァ。

 

 光が溢れる。

 

 赤く、黄色く、眩しいほどの光が僕の輪郭を包み込み次の瞬間、それは一気に収束した。

 

 そこに立っていたのは、初号機ではない。

 

 赤と黄色の装甲。

 どこか丸みを帯びたシルエット。

 そして、異様に“親しみやすい”存在感。

 

「……その姿は」

 

 相澤先生が、珍しく目を見開いた。

 

 この学校で。

 雄英で。

 

 この姿を見せたのは、これが初めてだった。

 

「M号機」

 

 僕は一歩前に出て、はっきりと言う。

 

「これが、僕のもう一つの姿です」

 

 赤い装甲が、淡く光る。

 

 僕は片手に意識を集中させた。

 エネルギーが、掌の中に集まっていく感覚。

 

 そして──。

 

 光が弾け、収束したその手の中に現れたのは。

 

 フライドポテト(Sサイズ)。

 

 教室に、短い沈黙が落ちる。

 

「……」

 

「……」

 

「……いや」

 

 相澤先生が、ぽつりと口を開いた。

 

「マックだろ」

 

 完全にツッコミだった。

 

「いいえ、M号機です」

 

「いや、その配色」

 

「M号機です」

 

「肩にロゴが──」

 

「M号機です」

 

 短い沈黙が、教室に落ちた。

 

 誰も何も言わない。

 ただ、僕の手の中にあるポテトだけが、ほかほかとした熱を主張している。

 

 ……が。

 

 静寂が続くにつれて、その温かさも、ゆっくりと失われていった。

 

「あの……」

 

 僕は咳払いを一つしてから、ポテトを差し出す。

 

「とりあえず、食べてみてください」

 

「……」

 

 先生は怪訝そうな顔でそれを受け取り、しばらく眺めたあと──

 一つ、口に運んだ。

 

 もぐ。

 

「……美味いな」

 

「そうでしょう!」

 

 思わず、即答してしまった。

 先生はもう一本つまみながら、淡々と続ける。

 

「……で。他に、どんなのを出せる」

 

「ハンバーガーからサイドメニュー各種、それにドリンク、アイスとかもいけますよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

「はぁ……」

 

 相澤先生は、心底疲れたように大きくため息をついた。

 

「お前のその個性は、確かにすごい」

 

 一拍。

 

「だがな。見た目がまずい」

 

「……見た目、ですか」

 

「そうだ」

 

 先生はポテトを机に置く。

 

「個性で出したものとはいえ、無断コラボはさすがにまずい。

 スポンサーや企業が絡む場だ。黙って見逃される話じゃない」

 

「……」

 

 それを言われると、黙るしかなかった。

 

 確かに、このM号機どう見ても、マクドナルドすぎる。

 というか、メニューがそのままだ。

 

(……これでお金を取るのは、アウトか)

 

 そんなことを考えていると。

 

「……先生、一ついいですか?」

 

 隣で、被身子が手を上げた。

 

「どうした、渡我」

 

「福音君が“お客さんに直接見られない形”で食べ物を提供できれば、問題はないですか?」

 

「……ほう」

 

 先生が、少しだけ興味を示す。

 

「マックで買ったものを、オリジナル商品として売るわけじゃありません。

 あくまで、福音君の“個性”で出したものです」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「だったら、私が店員をやって、

 お客さんに渡す容器も全部オリジナルのものに変えたら……どうでしょう?」

 

 教室が、静かになる。

 先生は顎に手を当て、しばらく考え込んだ。

 

「……」

 

「……」

 

 数秒後。

 

「確かに、それは……アリだな」

 

 ぽつりと、先生が言った。

 

「……っ!」

 

 被身子が、ぱっと顔を明るくする。

 

 僕も、思わず拳を握った。

 

(いける……!)

 

 戦わない体育祭。

 でも、確かに“役に立つ”方法。

 

「材料費も、作るための設備も、電気代もかからない。

 それなら売り上げも、かなりいいはずだ」

 

 相澤先生はそう言いながら、手元の端末に素早くメモを取っていく。

 

「俺のほうから、経営科にお前らの企画を持っていこうと思う」

 

 その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 

「それ以外に、何かあるか?」

 

 先生の問いに、僕は少し考えてから口を開く。

 

「……僕の姿を隠せる形の出店と、

 その場で“作ってる”ように見せられる装置があればいいんですけど」

 

「ほう?」

 

「飲食の出店なのに、料理してる音が一切しないのは……

 さすがにお祭りとしておかしいかなって」

 

 頭の中で、あの賑やかな屋台の光景を思い浮かべる。

 

 鉄板の音。

 油の跳ねる音。

 それがあるから、少し高くても、つい買ってしまう。

 

「……確かにな」

 

 先生は短く頷いた。

 

「分かった。新世、お前はそれも含めて、パワーローダーのところに行ってこい」

 

「わかりました」

 

 即答だった。

 

 僕はその場で変身を解き、姿を量産機へと戻す。

 制服を整えてから、教室の扉へ向かう。

 

 背後で、声がした。

 

「先生、一ついいですか。私もやりたいことがあって……」

 

 どうやら、被身子も何か提案するらしい。

 

 扉を開けながら、ふと笑みがこぼれた。

 

(……体育祭、か)

 

 出場できるわけじゃない。

 ヒーローとして脚光を浴びる舞台でもない。

 

 それでも。

 

(M号機を、生かせる場所が来た)

 

 胸の奥が、じんわりと熱を持つ。

 

 ──ワクワクが、止まらなかった。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 空が広がり、気持ちのいい風が吹く。

 これ以上ないくらいの晴天の下──ついに、雄英体育祭の日がやってきた。

 

 僕は、今日のために用意された出店の前に立ち、それをじっと眺めていた。

 

 大きく掲げられた看板には、こう書かれている。

 

《ネルフバーガー》

 

 その下には、ハンバーガー各種、ポテト、ドリンク、アイス──

 ずらりと並ぶメニュー表。

 

「……壮観だね」

 

 すでにM号機へと変身している僕は、感慨深くそれを見上げた。

 

(今日のために……本当に、いろんな人に助けてもらった)

 

 サポート科の面々は、出店そのものの制作を手伝ってくれた。

 外観、動線、裏側の仕組みまで、徹底的に。

 

 それだけじゃない。

 

 M号機の装甲色も、赤色から少し落ち着いた配色へ変更。

 肩のロゴも、「M」から「N」──ネルフマークへとペイントし直してもらった。

 

 これなら、人前に出ても問題ない……はずだ。

 

 食べ物の値段は、経営科が設定してくれた。

 ほかの出店と比べて、ひときわ安い。

 

(……まあ、食材原価ゼロ、容器も消耗品ゼロなら、こうなるか)

 

 一人で勝手に納得し、うなずいていると──。

 

「福音君、お待たせいたしました」

 

 後ろから声をかけられた。

 

 振り返ると、そこには被身子が立っていた。

 ……ただし、いつもと様子が違う。

 

 マントを羽織り、首から下をすっぽり隠した姿。

 

「……すごい格好だね」

 

「ちょっと待っててくださいね。最終準備をしてくるんで」

 

 そう言って、彼女は出店の中へと入っていく。

 

 中から、何かが切り替わるような気配がした。

 ──個性、発動。

 

「ついに来たわね。この日が!」

 

 そう言いながら、出店の中から現れたのは。

 

「……!」

 

「どう?」

 

 そこに立っていたのは──ミッドナイトだった。

 

「驚いた……まさか、ミッドナイトだなんて」

 

「ふふん」

 

 被身子──いや、“ミッドナイト”は、腰に手を当てて得意げに笑う。

 

「これも、売り上げアップのための作戦よ?」

 

 口調も、仕草も、完全に本人寄り。

 正直、ここまで再現されると、本物と見分けがつかない。

 

「……にしても相澤先生が、よく許可してくれたね」

 

 僕は思わず言った。

 

 “ミッドナイト”は、にやりと笑う。

 

「条件付き、だけどね。

 過度なサービス禁止、接触禁止、教育上アウトな演出は全部NG」

 

「……まあ、そりゃそうか」

 

 それでも。

 

 目の前の出店。

 並ぶメニュー。

 そして、ミッドナイト。

 

「よし……せっかくだし、売り上げ一位、取ってみるか」

 

 僕がそう言うと、

 

「いいですね! 狙うは一等賞です!」

 

 被身子が、ぐっと拳を握って元気よく答えた。

 

 ……あ。

 

 テンションが上がりすぎたせいか、口調が完全にいつもの被身子に戻っている。

 

「……今、素が出てたよ」

 

「えっ。……あ」

 

 一瞬だけ間を置いて、彼女は咳払いをした。

 

「こ、コホン……ええと。

 本日はネルフバーガーへようこそ、なのよ?」

 

 若干あやしいが、まあいい。

 

 それでいいんだ。

 

 この元気さ。

 この勢い。

 

 きっとそれが、今日一日の糧になる。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 雄英高校体育祭。

 それは、未来のヒーローたちの原石を間近で目にできる、数少ない機会のひとつだ。

 

 その瞬間を逃すまいと、会場には朝から多くの人間が詰めかけていた。

 一般観客、ヒーロー志望の子どもたち、関係者、そして各分野のプロたち。

 

 注目の的は、当然ながら生徒たちによる各種競技。

 出店や売店は、それを盛り上げるための“前座”──本来は、その程度の存在に過ぎない。

 

 ……そのはずだった。

 

 だが、この年の体育祭は、明らかに違っていた。

 

 理由は一つ。

 

 18禁ヒーロー・ミッドナイトによる飲食系出店。

 

 その噂は、開会から間もなくして会場を駆け巡った。

 彼女のファンはもちろん、普段はなかなか接点のないプロヒーローに会えるとあって、出店の前には瞬く間に人だかりができていく。

 

「お待たせ。てりやきバーガーセットよ」

 

 そう言って差し出されるのは、紙袋に入った食事。

 ヒーロー本人から、直接。

 

 そして最後に──さりげない笑顔。

 

 それだけで、心を射抜かれる者が続出した。

 

 大人だけではない。

 なぜか小さな子どもにまで、「なんだかよくわからないけどすごい」という感覚が伝染していく。

 

 だが、異常なのはそれだけではなかった。

 

 食べ物が提供されるスピードが、明らかにおかしい。

 

 会計を終えるころには、すでに商品は用意されている。

 調理の待ち時間はほぼゼロ。

 

 そのため、あれほどの行列にもかかわらず、列は詰まることなく、淀みなく流れていく。

 

 さらに──。

 

 値段は安い。

 味は良い。

 量もしっかりしている。

 

 その場限りの出店でありながら、あまりの完成度に、次々と写真や感想がSNSへ投稿されていった。

 

《雄英体育祭、ミッドナイトのバーガー屋がやばい》

《並ぶ価値あり》

《安くて早くてうまい》

 

 情報は拡散され、

 それを見た人間が、また列に加わる。

 

 こうして、会場の一角には、競技とは別の意味で異様な熱気を放つ場所が生まれていた。

 

 だが、その出店のすぐ横では、時折──不思議な光景が広がっていた。

 

 出店に隣接するベンチ。

 そこに腰掛けているのは、赤い装甲に身を包んだ、まるでロボットのような存在。

 

 人型。

 だが、明らかに普通ではない。

 

 その存在は、静かに本を読んでいたかと思えば、

 急にぱたん、と本を閉じて、独り言のようにつぶやく。

 

「……この本、前にも読んだな」

 

 次の瞬間、今度はスマートフォンが鳴る。

 ためらいもなく通話に出て、

 

「はい、M号機です」

 

 と、やけに丁寧な声で応答する。

 

 その様子を、周囲の客たちは遠巻きに眺めていた。

 

 そして──。

 

 迷子の子どもを見つけたとき、その存在は即座に立ち上がった。

 

 ゆっくりと近づき、子どもと同じ目線までしゃがみ込む。

 威圧感はない。むしろ、妙に親しみやすい。

 

「どうしたの? お父さんとはぐれちゃった?」

 

 子どもの緊張が、少しずつ解けていく。

 数秒後、会場アナウンスが流れ、やがて親が駆け寄ってくる。

 

 役目を終えると、その存在は静かに一歩引いた。

 

 去り際。

 

「ねえ、お兄ちゃん。靴の大きさって、どれくらい?」

 

 子どもがそう聞くと、

 

「うーん……ハンバーガー四個分くらいかな」

 

 と、気さくに返す。

 

 子どもは笑い、親は頭を下げ、

 赤い存在はまた、何事もなかったかのようにベンチへ戻る。

 

 そのすぐ隣では、相変わらずミッドナイトが接客を続けている。

 

 客たちは、

 ミッドナイトの店に並びながら、

 ときどき、その謎の存在へ視線を向ける。

 

 どちらも気になる。

 どちらからも、目が離せない。

 

 結果として、人々はその場を離れず、

 自然と時間を潰すことになる。

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 相澤消太は、会場内を歩いていた。

 

 生徒たちの種目競技が、ひとまず昼休憩に入ったためだ。

 その間に見回りも兼ねて、自分の受け持つ生徒たちの出店を確認しておこう──そう思って足を運んだ。

 

 ……そして。

 

「……なにやってるんだ、あれ」

 

 思わず、そんな独り言が漏れた。

 

 まず目に入ったのは、出店横に立てられたスタンドミラーの前。

 そこでは、赤い装甲の“あの存在”が、

 

「フッ★ フッ★」

 

 などと、妙にキレのある掛け声を出しながらダンスの練習をしていた。

 

 ポーズを決めては角度を確認し、

 少し首を傾げて、またやり直す。

 

 完全に、ノリノリだ。

 

 そして、そのすぐ横。

 

 何度目かの商品購入らしいリピーター客に向かって、ミッドナイトが満面の笑みでカップを差し出している。

 

「サービスよ♡

 その名も──“最低だ俺カクテル”」

 

 中身は、どう見ても謎の白い液体。

 

「……」

 

 言葉が、出てこない。

 

 本人のキャラ的にいいのか。

 ヒーローとしてどうなのか。

 そもそも、これは何なのか。

 

 あまりにも情報量が多すぎて、相澤はとりあえず──

 反射的にスマートフォンを取り出し、写真を一枚撮った。

 

 記録として。

 

 そのまま、なんとなくSNSを確認する。

 

 すると、案の定。

 

 ──ミッドナイト、プチ炎上中。

 

「……ああ」

 

 相澤は、どこか納得したように小さく息を吐いた。

 

「まあ……普段の言動の積み重ねだな」

 

 本人がその場にいないところで、勝手に燃え上がっているあたりも含めて、実に“らしい”。

 

 深く考えるのはやめた。

 今日は体育祭だ。

 

 相澤はスマートフォンをしまい、踵を返す。

 

 この件については、スタッフルームに戻ってから、ゆっくり頭を抱えることにしよう。

 そう決めて、彼は静かにその場を後にした。

 

 

 その光景を、少し離れた場所から眺めている二人組がいた。

 

 雄英高校のジャージに身を包んだ、二人の生徒。

 人混みの端で足を止め、例の出店付近を指さしている。

 

「見ろよ、環! すごいのがいる!」

 

 先に声を上げたのは、底抜けに明るい少年だった。

 目を輝かせ、面白いものを見つけた子どものように笑っている。

 

 それに対して、隣の少年は肩をすくめるようにして、おずおずと答えた。

 

「そ、そんな……あんな大人数の前で踊るなんて……俺には、絶対できない……」

 

 二人の視線の先では、

 並ぶのに飽きてしまった子どもたちのために、赤い存在が輪の中心に立っていた。

 

 子どもたちと同じ目線で、同じ動きで。

 ぎこちないながらも全力で。

 

「ラン、ラン、ルー!」

 

 掛け声とともに、子どもたちが真似をして跳ねる。

 笑い声が弾け、周囲の空気が一段明るくなる。

 

「……なんなんだ、あれ」

 

 明るい少年が、心底楽しそうに言った。

 

 だが、その掛け声の意味を。

 その動きの由来を。

 

 今この場で、正確に理解している者は誰一人として、いなかった。

 

 雄英体育祭の片隅で、

 またひとつ、“よくわからないけど楽しい光景”が、静かに増えていくのだった。

トガヒミコに変わる、敵の追加

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