評価入れてくださった方々ありがとうございます。
やはりトガちゃんが登場したからでしょうか、トガちゃんはダークマイトだった?
今後も楽しんでいただければと思います。
放課後のチャイムが鳴って、教室の空気が一気にゆるむ。
太陽が窓ガラスを照らし、教卓の影が長く伸びていた。
僕は包帯の端を整え、静かに立ち上がる。
――昨日の、あの河川敷。
仮面の笑顔を外した少女。
“血が好き”と呟いた、トガ ヒミコ。
あの日、初めて彼女の“本当の笑顔”を見た。
それは、どんな光よりも柔らかくて、少し切なかった。
校門を出て、ランドセルを背負ったまま夕風を受ける。
胸の奥のコアが、鼓動のように淡く光った。
――もう一度、会いたい。
その想いに導かれるように、足が自然と川へ向かう。
高架の下、風が草を揺らし、川面をオレンジに染めていた。
やっぱり、そこにいた。
彼女は草の上に座って、空を見上げていた。
昨日よりも少しだけ、顔が穏やかに見えた。
「やあ」
声をかけると、トガがぱっと振り向いた。
「……あなた、また来たの?」
「昨日の“また明日”って言葉を信じたからね」
「ふふっ、変なひと」
笑ったその顔が、昨日よりも自然だった。
「昨日の話、覚えてる?」
「うん……。なんかね、あなたが言った言葉、ずっと頭に残ってるの」
「どんな言葉だい?」
「“ここでは呼吸していい”ってやつ。
あれね、胸があったかくなったの。久しぶりに、息してもいいんだって思えた」
僕は静かに頷く。
「それは、嬉しいことだね。息をすることは、生きることだから」
「でもね……やっぱり、怖いの」
「怖い?」
「“普通じゃない”って言われるの、イヤなの。
あたし、みんなに嫌われたくないの」
僕はその言葉に少し息を詰めた。
脳裏に、幼い頃の記憶がよぎる。
――あの視線。
声も出せず、目しか動かせなかった僕を見た、両親の冷たい目。
あの“拒絶”の感情。
それはきっと、彼女の言う“怖さ”と同じものだった。
「……分かるよ。僕も、怖かった。
初めて自分を見た人たちの顔が、悲鳴と同じだったから」
トガが小さく目を見開く。
僕は続けた。
「嫌われるのは、怖い。
でもね――自分を隠しつづけたら、君の中の“君”が消えてしまう。
それは、もっと怖いことなんだ」
トガは口をぎゅっと結んで、足元の草を指でつまむ。
「……むずかしいけど、なんかわかる」
「焦らなくていい。わかろうとすることが、もう一歩だから」
「僕のこと、少し話してもいい?」
「うん、聞きたい」
「僕はね、生まれたとき“人の形”をしてなかった。
声も出せなかったし、目だけが動いた。
それを見た両親は、怖がって僕を捨てたんだ」
トガは目を丸くして、そっと息を呑む。
「……そんなの、ひどいよ」
「うん。でも今は孤児院で暮らしてる。
みんな優しくてね、“人じゃない”僕に、毎日話しかけてくれた。
“おはよう”とか、“今日はいい天気だね”とか」
トガの唇が、かすかに震える。
「……それ、すてき」
「だろう? だから、もし君が望むなら、今度一緒に来る?」
「えっ、いいの?」
「もちろん。孤児院にはね、僕みたいな”子がたくさんいる。
でもみんな、笑ってる」
トガは下を向いて、小さな声で言った。
「……行ってみたい。そういうとこ」
「じゃあ、決まりだね」
僕は小さく微笑む。
「ねえ、学校では……あんまり話しかけないほうがいいと思うんだ」
「なんで?」
「君、学校ではご両親の“普通”のを頑張ってるだろう。
僕が話しかけたら、頑張ってる時間を壊してしまうかもしれない」
トガは目をぱちぱちさせて、それからくすっと笑った。
「なにそれ、変な気づかい。でも、やさしいね」
「君が落ち着ける“壁”になれて、よかったよ」
「かべ?」
「うん。外の風が冷たくなっても、君を守る壁。
ぶつかってもいいし、休んでもいい」
トガは少し考えて、それから照れくさそうに笑った。
「……あったかい壁だね」
「ありがとう」
夕陽が沈み、川が紫に染まる。
トガが立ち上がり、スカートを軽く払った。
「じゃあ、また明日も来てもいい?」
「もちろん。君といると、ここが明るくなる気がする」
「ふふっ、やっぱ変なひと」
「よく言われるよ」
トガが笑って歩き出す。
僕はその背に声をかけた。
「ねえ、もしよかったら――君のこと、“トガさん”って呼んでもいい?」
「……えっ?」
「いつまでも“君”だけだと、少し距離がある気がしてね」
トガは振り返り、口元に指を当てて小さく首を傾げた。
「……いいよ。でも“さん”は、カァイイくないです」
僕は思わず吹き出した。
「じゃあ、“トガちゃん”はどう?」
「……そっちのほうが、カァイイです!」
「じゃあ、決まりだね。……また明日、トガちゃん」
彼女は少し照れたように、でも嬉しそうに頷いた。
「……うん、また明日!」
風が草を撫で、川が光を返す。
その背を見送りながら、僕は胸の奥のコアが静かに脈打つのを感じた。
次の日の放課後。
教室を出た僕は、昨日と同じ道を歩いていた。
ランドセルの中には、今日こそ話したい“ひとつの提案”が入っている。
川沿いの風が頬を撫でる。
高架の下――昨日と同じ場所に、トガがいた。
スカートの裾を押さえながら、草の上で足をぶらぶらさせている。
「やあ、トガちゃん」
「あ、あなた……じゃなかった、えっと……ふくいん君!」
「その呼び方、ちょっと照れるね」
「ふふっ、変な顔~」
彼女の笑顔は、昨日よりもずっと柔らかい。
包帯の奥の僕の頬にも、自然と熱が差した。
「ねえ、今日はね――もしよかったら、僕の“家”に来ない?」
「おうち?」
トガは首をかしげて、ぱちぱちと瞬きをする。
「うん。前に話した場所だよ」
僕は微笑んだ。
「みんなが待ってる。君にも、会わせたい人たちがいるんだ」
トガは少しだけ戸惑ったように視線を泳がせ、それから顔を上げた。
「……いいの? わたしなんかが行っても」
「もちろんだよ。君が来てくれたら、きっとみんな喜ぶ」
「……じゃあ、行く。行ってみたい」
トガは唇の端を上げて、少し照れくさそうに笑った。
「だって、ふくいん君の“だいじ”な場所なんでしょ?」
「うん。君にも見てほしい」
僕は立ち上がり、手を軽く差し出す。
彼女は一瞬だけ迷って――そっと僕の手を取った。
小さな掌は、少し冷たくて、でも確かに温かかった。
「じゃあ、行こうか」
並んで歩き出す。
川沿いの夕風が二人の包帯と髪を撫で、草の音が足元でやさしく鳴った。
その音が、まるで“新しい日常”の始まりを告げるように響いていた。
孤児院は、町の外れにある緩やかな丘の上に建っている。
住宅街から少し離れた静かな区域で、周囲をぐるりと高いコンクリートの塀が囲んでいた。
入口には防犯用のゲートと監視カメラ。けれど、建物の外壁は淡いベージュで、どこか優しさを感じさせる。
大きな施設だった。
二階建ての鉄筋造りで、屋根の上には避雷針。
庭は広く、芝生のほかに砂場や小さな温室がある。
塀の向こうからでも、子どもたちの笑い声が風にのって聞こえてきた。
「ここが、僕の“家”だよ」
僕は足を止めて、トガの方を振り返った。
彼女は目を丸くして、塀の向こうをじっと見つめる。
「……おっきい。なんか、学校みたい」
「よく言われるよ。でも、ここは学校よりも“優しい”場所だ」
僕はゲートの認証パネルに手をかざした。
ピッという音が鳴り、鉄の門がゆっくり開く。
外の街とはまるで別世界のように、敷地の中は穏やかで、空気が柔らかい。
花壇の隅には、小さな風車がいくつも並び、風に回っていた。
「……なんか、あったかい匂い」
トガがぽつりと呟く。
「うん。たぶん、台所で焼き菓子を作ってるんだ。
中に入ろう。みんな、きっと驚くよ」
僕が靴を脱ぎながら言うと、廊下の奥から声がした。
「――あれ? 福音くん、おかえり!」
「ただいま」
「って……えぇっ!? 女の子連れてる!? マジで!?」
廊下の向こうから、わらわらと子どもたちが飛び出してきた。
全員の目がトガに向かう。
「うそー! 可愛い女の子!?」
「マジ? “ボッチ・ザ・ボッチ”の新世兄ちゃんが!?」
「おい見ろよ、包帯の下の口! めっちゃ嬉しそうに動いてる!!」
「笑ってるー!! 写真撮れ! あっカメラねえ!!」
「クラスメイトの女の子連れてるぅぅぅ!!」
孤児院の廊下が一瞬で笑い声の渦になる。
トガは少し戸惑いながら、僕の袖をつまんだ。
「……なんか、すごくにぎやかです」
「うん、ここはいつもこうなんだ」
「でも……どうして、みんなそんなにびっくりしてるの?」
僕は肩をすくめて、少し苦笑する。
「僕ね、学校じゃあんまり話しかけられないんだ。
見た目のせいで怖がられちゃって。
だから、友達を連れてくるの、初めてなんだよ」
トガはきゅっと唇を結んで、僕を見上げた。
小さな眉が少しだけ寄っていた。
「……それ、イヤだね」
「うん。でも、今は嬉しいよ。君が来てくれたから」
そう言うと、トガは少しだけ照れて笑った。
その笑顔に、僕の胸の奥のコアが小さく光る。
「みんな、この子は僕の友達。トガちゃんだよ」
「トガちゃん!? 名前まで可愛い!」
「トガちゃん、こっちおいでー!」
「一緒におかし食べよう!」
「ヒーローごっこできる?」
みんなが一斉に話しかけてくる。
トガはその明るさに押されて、少しだけ後ずさる。
そんな中、ひとりの女の子が手を挙げた。
背が小さく、耳がとがっていて、腕に薄い膜のような羽がある。
「ねえねえ、トガちゃんはさ、なにか好きなものある?」
その言葉に、トガの体がぴたりと固まった。
指先が小刻みに震える。
僕はすぐに気づいて、そっと声をかけた。
「大丈夫。ここでは、怖がらなくていい。
君の“好き”は、君だけのものだよ。
無理に隠さなくていい」
トガは一瞬、僕を見た。
そして、小さく息を吸って、恐る恐る口を開く。
「……わたしね……血が、好きなの」
部屋が一瞬静まる。
その沈黙は、たった数秒――でも、トガにとっては永遠にも感じただろう。
そのときだった。
「えっ! 血!? あたしもだよ!!」
さっきの女の子――ナミがぱぁっと笑顔を広げた。
翼のような腕を広げて、トガの前に駆け寄る。
「わたしね、ナミチスイコウモリの個性なの!
血を吸うのが生きるためなの! だから、トガちゃんとおんなじだね!」
「……えっ……おんなじ?」
「うん! わたしも血が好きだよ! だってね、あったかくて元気になるんだもん!」
トガの目が見開かれ、瞬きを忘れたみたいに固まる。
信じられない、という顔。
その頬に、ゆっくりと笑みが浮かんでいった。
「……そっか。わたしと同じ子、いたんだ……」
小さな声が震えた。
涙ではなく、笑顔が滲んでいた。
周りの子どもたちがすぐに笑い出す。
「なーんだ! じゃあ二人は“血チーム”だな!」
「おー! ちーチーム! ちーチーム!」
「やったねトガちゃん、仲間入り!」
トガはその輪の中に引き込まれ、つられるように笑った。
――まっすぐで、自然な笑顔。
昨日より、今日のほうがずっと自由だ。
僕はその光景を少し離れた場所で見ていた。
胸の奥のコアが、またやさしく明滅する。
“血が好き”という言葉を、誰も否定しない。
それどころか、笑って受け入れる。
――それが、この孤児院の“普通”だ。
僕は小さく呟いた。
「……ようこそ、トガちゃん。ここは君のいていい場所だよ」
トガヒミコは初めて“世界に受け入れられた子ども”の顔をしていた。
夕方の孤児院は、やわらかな橙色に包まれていた。
窓の外では風が木々を揺らし、廊下の奥からは子どもたちの笑い声が絶えない。
僕は食堂の隅の木の椅子に腰を下ろし、その輪の中心を静かに見つめていた。
――トガヒミコ。
昨日まで仮面のような笑顔しか浮かべられなかった少女が、いま、子どもたちと話している。
まだ少しぎこちない。でも、その笑顔は確かに“生きていた”。
それは心臓よりも正直に、僕の“幸福”を教えてくれる灯りだった。
「……ふふ、笑顔が似合うね」
独り言のように呟いた時、背後から穏やかな声がした。
「可愛い子ね。あの子、あなたの友達?」
振り向くと、孤児院の先生が立っていた。
柔らかな髪を後ろで束ねた、優しい人だ。どんな子にも分け隔てなく話しかけてくれる。
「ええ。彼女は――僕の大切な友達です」
僕は自然と口元を緩めた。
「彼女の笑顔は、本当に嬉しそうなんです」
先生は目を細めて頷いた。
「でも最初は少し怖がってたみたいね。あんなに明るい子なのに」
「……彼女は、“血”が好きなんです」
先生の表情が一瞬止まる。けれど次の瞬間、いつもの優しい目に戻った。
「そう。……それでも、あの子の笑顔は本物ね」
僕は静かに息を吐いた。
――誰かが“違い”を恐れずに受け入れてくれる。
その当たり前が、こんなにも尊いものだと知る。
「先生。もしよければ、これから時々……彼女をここに連れてきてもいいですか?」
先生は少し驚いたように目を瞬き、それからふわりと笑った。
「ええ、もちろん。あなたがそう思える子なら、いつでも歓迎するわ」
「ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
ふと見ると、トガがこちらを見ていた。
子どもたちに囲まれながら、何か楽しそうに話している。
そして僕に気づくと、小走りでこちらにやってきた。
「ふくいん君、見てたでしょ!」
息を弾ませながら、頬をふくらませる。
「ふふ、見てたよ。みんなと仲良くできてるね」
「うん……まだちょっとドキドキするけど、でも楽しい!
みんな笑ってくれるし、優しいの。びっくりしちゃった」
「そうか。それでいいんだ」
僕は優しく言う。
「急がなくていいよ。君の“速さ”でいい。焦らなくても、ちゃんと届くから」
トガは首を傾げて、少し笑った。
「ふくいん君って、ほんと変なこと言うね。
でも……なんか、聞いてるとホッとするの」
「よかった」
僕は静かに微笑む。
「でも、もうそろそろ帰らないといけない時間だ。
流石にこれ以上遅くなると、ご両親が心配するよ」
その言葉に、トガの表情が少ししょんぼりと沈む。
「……そっか。うん、そうだね」
僕は小さく首を横に振って、やわらかく言葉を続ける。
「心配しなくていい。明日も、明後日も……また来よう」
トガの目がぱっと明るくなった。
「ほんとに? また来ていいの!?」
「ああ。君が望むなら、何度でも」
「やったぁ!」
トガは両手を胸の前でぎゅっと握り、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔に、僕は自然と微笑みを返す。
「……じゃあ、途中まで送るよ」
「え、いいの?」
「もちろん。僕の“友達”を夜道で一人にはできないからね」
トガは小さく頷き、顔を赤くしながら笑った。
「ふくいん君、やさしいね。……なんか、変な気分」
「それはきっと、“安心”っていうんだよ」
「へぇ……“あんしん”……」
トガは小さくその言葉を繰り返すように呟き、
まるで味わうみたいに、ゆっくりと笑った。
窓の外、沈みゆく夕日が街を紅く染めていく。
彼女の笑顔をその光が包み、包帯越しの僕の頬にも、同じぬくもりが触れた気がした。