「福音くん! また服を消したでしょう!」
窓の外はもう暗く、外灯の光がテーブルの上を照らしている。
僕はその前に立たされ、縮こまりながら返事をした。
「……すみません。試したら、また消えてしまって」
先生は腰に手を当て、深くため息をついた。
母親のような顔で、それでいて本気で心配している。
「危ないでしょ。もし誰か見てたらどうするの? 夜中にそんな姿で歩いてたら、通報されちゃうわよ」
「……はい。気をつけます」
「もう、“はい”じゃなくて、本当に気をつけてね。
福音くんの“個性”はすごいけど、同時に危険でもあるんだから」
叱る声は厳しいけれど、その奥には確かな優しさがあった。
僕が何者であっても、ちゃんと“子ども”として叱ってくれる人。
だからこそ、余計に胸が痛む。
「今日はもう寝なさい。反省は明日でもできるから」
そう言われ、僕は静かに頭を下げた。
背後で先生が片付ける音を聞きながら、廊下を抜けて自分の部屋に戻る。
◇◇◇◇
部屋の灯りを落とすと、薄暗い天井が静かに浮かび上がった。
僕が使っている小さな個室。
年齢も体の大きさも成長速度も、他の子どもたちとは違うから──自然と、こうなった。
夜は静かだ。
廊下の奥からは、微かに寝息が聞こえるだけ。
ここだけが、世界から切り離されたような空間だった。
そんな中僕は、まだ目を閉じられずにいた。
──“エヴァの姿になれた”。
思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
かつてスクリーンやテレビの中でしか見たことのなかった存在に、自分が“なった”のだ。
夢のような、現実離れした出来事。
けれど、その喜びは長く続かなかった。
昨日──あの街中で見た光景が、脳裏に蘇る。
崩れる建物。叫ぶ人々。
そして、子どもたちのすぐそばで笑っていた“ヴィラン”の顔。
あれまで、テレビの向こうの話だった。
ヒーローとヴィランは遠い存在で、どこか作られた物語のように感じていた。
でも、違った。
あの凶器のような笑顔も、血の臭いも、現実だった。
──僕は、わかっていなかったのかもしれない。
この世界が、“本当に生きる場所”だということを。
オールマイトがいなければ。
ほんの数秒、遅れていたら。
トガちゃんは──いや、僕自身も──どうなっていたか分からない。
その“もしも”を思うだけで、体がわずかに震えた。
胸の奥で、鼓動が痛いほど響く。
「……怖い、のか、僕は」
ぽつりと呟く声が、暗い天井に吸い込まれていく。
怖い。けれど、あの瞬間──守りたいという気持ちは、確かにあった。
その気持ちが、今の僕を動かしている。
それでも、不安は消えなかった。
“次”があったらどうする?
オールマイトがいなかったら?
僕は、もう一度“守れる”のか?
考えるほどに、胸の奥が冷たくなっていく。
やがて思考が霧のように薄れていき、意識が遠のいていく。
◇◇◇◇
意識が、ふと浮上した。
耳鳴りのような静寂。
波の音が、遠くでくぐもって響いている。
──目を開ける。
そこは、見知らぬ場所だった。
白い砂浜。
地平線の果てまで続く、真っ赤な海。
空は暗くで、光が差しているのにどこか冷たい。
足元を波がなでる。
その水はぬるく、指先を染めるように赤かった。
(……どこだ、ここは)
声を出しても、返事はない。
ただ、風と波の音だけが交互に揺れていた。
その時。
「──ようやく、ここで会えたね」
背後から、穏やかな声がした。
振り向くと、そこに“彼”が立っていた。
白いシャツに灰色のズボン。
整った銀髪が風に揺れ、紅の瞳が静かにこちらを見つめている。
「……渚カヲル?」
思わず口に出た。
だが次の瞬間、自分でその違和感に気づく。
彼は確かに“カヲル”の姿をしている。
けれど、その表情にはどこか自分と同じ匂いがあった。
「違う……君は、誰なんだ?」
銀髪の少年は、ゆっくりと微笑んだ。
「僕は君だよ。
君の“心”が形をとった存在なんだ」
「俺の……心?」
「そう。君が日々模倣している“渚カヲル”という存在。
その話し方、その在り方。
それは君が“こうありたい”と願っている理想の形なんだ。
だから僕は、その姿を借りているだけ」
俺は無意識に自分の胸に手を当てる。
温もりはある。鼓動もある。
でも、世界の色がどこか現実よりも淡い。
「……ここは、夢の中なのか?」
「そうだね。けれどただの夢ではない。
これは君の“無意識の世界”──
君自身が、ようやく“心”で立った場所だよ」
「心で、立った……?」
「初めて成長したとき、君はまだ言葉を持たなかった。
感情も、痛みも、輪郭のない世界にいた。
けれど今の君は違う。
言葉を覚え、出会いを重ね、大切なものができた。
守りたいものも、ね」
赤い海の波音が、少しだけ強くなった。
遠くで海鳥のような影が横切る。
「……あの時、君は踏み出したんだ。
“自分の意志”で。
君の言葉で言うならば──」
少年は目を細め、微笑を浮かべて言った。
「“新世 福音のシナリオ通りに”、だね」
その言葉に、思わず小さく笑ってしまう。
「シナリオ、か……そうだったらよかったんだけどな」
「ふふ、やっぱり君は優しい。
けれど同時に、怖がりでもある」
「……怖がり?」
「そう。
君は怖いんだ。
大切な人たちが“いなくなる”ことが。
守ろうとするほど、失うことが怖くなる。
それは誰にでもある自然な感情だけど──」
そこで、少年は一歩近づいた。
赤い波が足首を打ち、風が二人の間をすり抜ける。
「君の場合、その“恐れ”が力の根源にもなっている。
だから、君の“進化”はここから始まるんだ」
「進化……?」
少年──“もう一人の俺”は、淡く微笑んだ。
そして海を見つめながら、静かに言った。
「君が本当に願うなら、形は変わる。
君の心が“戦うこと”を選ぶなら、その姿もそれに応じて変わるんだ」
赤い海の波が、ひときわ強く打ち寄せる。
波音が胸の奥を叩くように響く。
「……戦うこと、を……選ぶ?」
俺の言葉に、銀髪の少年はゆっくりとうなずいた。
「そう。君は“守る”ために力を求めた。
けれど、力はただの手段にすぎない。
戦う覚悟がなければ、大切なものは守れない。
……だが、恐れすぎても壊れてしまう」
「俺が……戦う?」
問い返す俺の声は、波にかき消されそうに小さかった。
少年は目を細め、どこか優しげに微笑む。
「そう。君はすでに“戦士”の形を持っている。
あとは、心がその力に追いつくだけだよ」
“戦士”──その言葉が、胸の奥に刺さる。
思わず俯いた俺に、少年は静かに言葉を重ねた。
「君はもう知っているはずだ。
テレビの向こうで、何度も見てきただろう?
彼らの戦いを。
彼らの姿を。
……そして、心で感じていたはずだ。
“自分も、そうなりたい”と」
脳裏に、数えきれない映像がよぎる。
──逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
震える声でそれでも立ち上がる少年。
──負けてらんないのよ、あんたたちに!
コックピットの中で叫ぶ少女。
──あなたは、私が守るもの。
蒼い髪を揺らしながら、歩く少女。
──ありがとう。君に逢えて、嬉しかったよ。
そう言って微笑み、巨大な手に握りつぶされる少年。
そして──絶叫するエヴァ初号機。
胸の奥が熱くなる。
「夜が明ける頃、君は選ぶだろう」
少年の声が、赤い空に溶けていく。
「力に呑まれるか。
それとも、力と共に歩むかを」
風が止んだ。
波音も消える。
沈黙の中、俺は小さく息を吸った。
その胸の奥で、何かが静かに“芽吹く”音がした。
◇◇◇◇
──波の音が、遠ざかっていく。
光が差し込んだ。
まぶたの裏を焼くような、やさしい朝の光。
俺はゆっくりと目を開けた。
天井が見える。見慣れた孤児院の部屋だ。
……夢、だったのか?
息を吸うと、乾いた布団の匂いがした。
現実の感触。ぬくもり。
けれど、胸の奥に残るあの言葉の余韻だけは、まだ消えない。
──力に呑まれるか、力と共に歩むか。
その声が、まるでまだ耳元に残っているようだった。
夢の中の言葉。
あれはいったい、どういう意味だったんだろう。
いくら考えても答えは出ないまま、時間だけが過ぎていった。
気づけば、いつも通りの朝食、いつも通りの登校、いつも通りの授業。
だけど心の奥だけは、昨日までとは違っていた。
放課後、孤児院へ戻る途中。
夕日を背に歩いていると、横から声がした。
「ふくいん君、悩み事?」
トガちゃんだった。
両手を後ろで組み、覗き込むように見上げてくる。
「ん……まあ、ちょっと変な夢を見ただけだよ」
「夢?」
「うん。よくわからないけど……誰かに、何かを言われた気がするんだ」
そう答えると、トガちゃんはほっとしたように息をついた。
「なんだ、怖い夢かと思った。
よかったぁ、ふくいん君が元気なら、それでいいの」
そう言って、今日あった出来事を楽しそうに話し始める。
学校でのこと、先生にほめられたこと、昼休みの笑い話──。
その声が、やけにあたたかく響いた。
僕はその横顔を見ながら、ふと唐突に思った。
──この笑顔を、守りたい。
胸の奥で、昨日の夢の言葉が再びよみがえる。
「君は、力と共に歩むか」
……そうか。
僕はもう決めてる。
トガちゃんや、孤児院のみんな。
あの優しい時間を守るために、強くなりたい。
その日はトガちゃんと別れ、孤児院へ戻った。
部屋に入り、ベッドに腰を下ろす。
窓の外では虫の声が響いている。
「……どうすれば、守れるんだろうな」
ぽつりと呟いた声は、誰にも届かない。
少しの沈黙のあと、僕は小さく息を吸った。
「……よし、鍛えよう」
そう決めた瞬間、胸の奥の迷いがすっと消えた気がした。
◇◇◇◇
「鍛える」と言っても……どうすればいいのだろう。
腕立てや走り込みでは、きっと意味がない。
僕の体は普通の人間と違う。
だからこそ、“僕自身”の個性を理解しなければならない。
──僕の個性は、エヴァになれること。
身体能力は常人を遥かに超え、
A.T.フィールドを展開することもできる。
しかもエヴァと違い、アンビリカルケーブルによる電力供給も必要としない。
自分だけのエネルギーで稼働できる、それは大きな強みだ。
けれど、欠点もある。
ネルフの支援は存在しない。
武器も、補助装備も、誰かが整えてくれる整備施設もない。
肩のウェポンラックはあっても、その中は空っぽ。
それに、エヴァの姿でいるだけで体力を消耗してしまう。
人間の形を保っているより、ずっと重く、ずっと息苦しい。
「……どうしたものかな」
静かな部屋で、僕の声だけが響く。
けれど、すぐに一つの考えが浮かんだ。
──慣れれば、いいんじゃないか?
エヴァの姿でいることに“慣れる”こと。
もしそれができれば、活動限界も自然と延びるかもしれない。
この形を“自分の自然な姿”として受け入れれば、
力の制御も、ずっと容易になるだろう。
「よし……できるだけ、エヴァの姿でいる時間を増やそう」
そう呟くと、胸の奥でコアがかすかに脈を打った。
この姿を“デフォルト”にしてしまえばいい。
それが、僕の“次のステップ”だ。
──ただ、一つだけ問題がある。
エヴァの姿になると、服が消滅してしまう。
まぁ……事前に脱いで変身すればいい話なのだけど、
肩のウェポンラックがどうにも邪魔だ。
日常生活を送るには、あの突起は不便すぎる。
「……もう少し、動きやすい形がいいな」
僕はベッドの上で、腕を組みながら思考を巡らせた。
頭の中に、いくつもの“エヴァ”が浮かぶ。
山吹色の零号機。
青く改修された零号機・改。
一本角の初号機。
赤く、四つ目を持つ弐号機。
黒い装甲に覆われた参号機。
そして──爆発して消えた四号機。
その光景の先に、もう一つの姿がよぎる。
白い体。
細身で、装甲の少ないシルエット。
肩のウェポンラックもなく、自由に動ける形。
顔には拘束具がなく、口を持つ異様な体。
エントリープラグを差す部分が背中から少し突き出している。
──ああ、そうか。量産機だ。
あの姿こそ、僕の求める“理想”に近い。
軽く、自由で、余計な装備がない。
それに……劇中では、食事だってしていた。
弐号機を“食べて”いたくらいなのだから、
僕もあの姿なら、食事も自然にとれ日常も送れるかもしれない。
「……量産機、か」
その名を口にした瞬間、胸の奥が微かに熱を帯びた。
もしかしたら、それが“次の形”なのかもしれない。
僕は窓の外に目を向けた。
夜風が静かに流れ、遠くの森がざわめいている。
窓から差し込む月明かりが、部屋の床を淡く照らしていた。
僕はゆっくりと立ち上がり、服を脱いだ。
包帯も、一枚の布も──すべて外していく。
この夜ばかりは、何かを隠していてはいけない気がした。
冷たい空気が肌を撫でる。
呼吸を整え、静かに目を閉じる。
意識を、深く深く沈めていく。
──思い出すのは、あの映像。
雲を切り裂いて飛ぶ、空輸機。
空に吊られたエヴァの巨体。
背中の部分だけが露出し、そこへエントリープラグが差し込まれる。
機体が震え、空へと放たれる。
次の瞬間、翼が展開される。
陽の光を浴びて、空を滑るように飛ぶ量産機たち。
量産機たちが、弐号機の上空を旋回し、翼をたたみ、地上へと降り立つ。
白い巨体が静かに立ち尽くすその姿は、どこか“人”のようでもあった。
僕は、そっと意識を現実に戻す。
──手を見る。
そこには、白く滑らかな装甲に覆われた腕があった。
細くしなやかで、しかし確かな力を感じる形。
ゆっくりと顔を上げ、鏡の前に立つ。
そこには──真っ白な量産機の姿が映っていた。
目はない。ただ滑らかな装甲の面が、月明かりを反射している。
口のように割れた裂け目が、かすかに動き、呼吸とともに音を立てた。
その“顔”は表情を持たないはずなのに、どこか微笑んでいるようにも見えた。
思わず笑みがこぼれた。
すると、鏡の中の自分も同じように笑った。
包帯で隠す必要のない“顔”。
感情を隠さずにいられる表情。
そのことが、ただ純粋に嬉しかった。
「これで……少しは、前に進める」
静かに呟くと、胸の奥のコアが淡く光を放った。
──僕は強くなる。
大切なものを守れるように。
そう誓う声が、夜の空気に溶けていった。
今回も読んでいただきありがとうございます。
感想欄で、主人公の個性の鍛え方を見事に当てていた方がいましたね。
予想していた方もいたかもしれませんが――
福音の特訓方法は「過剰変身による訓練」でした。
次回もお楽しみに!