この都市で生きている   作:nashi08

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悲劇 焦燥 勃発

 目の前に横たわる父親を見て、最初に感じたのは喪失だった。

あの幸せとは言い切れない、でも確かに一握りの安心が居る日常。その確固たる象徴の一つとして存在していた人。

 それが、命を抜き取られて横たわっている。

寝転んでいれば見えるはずの胸の縮拡も、発色の良かった皮膚も、生きている証が何も残っていなかった。

 

 体が動かない。ただ、息が出入りしていくだけだった。

「どうかしたのかい。ああ、私たちの食事に関してはすでに済ませてあるから。安心して味わってよ。

ほら、ちゃんと椅子も用意されてある。ふむ。一緒に食べないの、か。食べる時を同じくしなくたって一緒のものをこうやって食べたり、誰かが食べている時に待ってあげるのも家族としての証だ。君もそう思うよね」

「はい、父上」

 私を置き去りにし、自分達の世界で会話を繰り広げている化け物共の言葉が嫌でも耳に入ってくる。

 

 不快、その二文字が私の心象に相応しい言葉だった。

「あまり急かすのはよくないけど、腐ったりしたら大変だ。さあ、早く食べなさい」

血鬼は私の腕を掴み、引き摺って私を椅子へ座らせた。

喪失に対しては痛みですらも穴を埋めてくれるモノになるのかな、なんてことを考えてしまった。

行儀良いとは誰も言わないだろう格好で私は座らされた。顔は勝手に項垂れた。

 前なんて向きたくなかった。それでも、擦りむいた皮膚の痛みが前を見ろと叫んでいる。

 

 父の胸が裂かれている。皮膚だけでなく、肋骨ごと。心臓や肺がきちんと露わになるよう丹念に入れられた切り込みに沿って。

柱が折れる音が人体から起こっている。赤黒い何かが付着した、檻の断片のようなものが部屋の隅に放り投げられた。

 それが視界に映ったのも束の間。父の胸に奴の腕が捩じ込まれていった。

繊維が引きちぎれる音が弱く響く。現れたのは心臓だった。小さな傷がそこらかしこに刻まれている。本当に丁寧に殺したのか、と似つかわしくない疑問が湧いてきた。その疑問に意識を向けて目を逸らしたかった。

 

 見るも無惨に解体されていく父親には喪失は感じなかった。

ただの死体が肉の塊に戻っていっているだけだと、ただ当然の摂理なのだと言い聞かせるために神経を閉ざそうとした。

心なしか、見えているはずの視界に靄がかかって見えた。

 

 そんな逃避も、横にいる化け物に邪魔をされてしまった。

顎下を尖り切った爪を持った手で乱暴に掴まれる。瞼を無理やりにこじ開けられる。

認識できるのはただの死体。ただの死体、それ以外の何でもない、それが明らかな事実だ。真実なんだ。なのに、だというのに繫がりの見えない感情と胸の苦しみに襲われてしまった。

 

「さあ、ここが美味しいだろう、多分」

そう言ってアリーシャだとかいう血鬼が肉とも内臓ともつかない物体を載せたスプーンを私へと差し出してきた。

「実をいうとね、人間との家族というものがこれで正しいのかわからないんだ。だから間違えることがあると思う、どうか容赦してくれないか」

その言葉に文句の一つさえ浮かばなかった。

 

下顎に添えられていた手は頬にまで上がってきて、私の意思など関係なく口を開かせた。喉奥から感じる吐き気を何故か我慢しながら私は迫ってくる悪意を受け入れようとしていた。

そうして、それは私の口の中を侵し始めた。自分のものとは違う血の味、何故か既視感のある風味。そして、どこか美味を感じた。

私は、やはり23区の人間なんだと生まれて初めて実感させられた。

 

 咀嚼し、嚥下する。その行程に先ほどのような吐き気は感じなかった。何故か涙が流れてくる。

「美味しかったかい」

私の首は頷いてしまった。

「それはよかった」

 気持ちの悪い笑みのはずなのに、目の前の化け物が一瞬父親の雰囲気を纏っているように感じた。

 

 突然、何かが跳ね飛ばされる音が背後から聞こえた。

横に立っていた母の紛い物は飛んできたドアに吹き飛ばされ、目の前のアリーシャに抱えられた。

「外に居た血鬼か血袋だか分かんないけど、アイツら量が多くてかなわないねえ」

英雄のように現れたクレスさんはハナの服に赤黒い染みをべったりと付け、軽く肩で息をしていた。

「で、アンタらが報告にあった首魁ってわけか。悪趣味だね、子供に父親を食わせようだなんて。本当に」

 クレスさんは黒々とした有機的な槍を奴らに向けて挑発のように言葉を吐いた。

 

 血鬼達はその話を聞き流し、奴ら特有の逢瀬を行っていた。

血を与えて、受け取って。人間がする接吻をもっと命に関わる形に作り変えた行為。その行為に母の紛い物が恍惚とした表情を浮かべている。

 気持ち悪い。アイツらの間に剣でもぶっ刺してやりたかった。

でも、私にはどうすることもできなかった。私が弱いから。

 

「アイツらが馬鹿なことやっている間に早く逃げな。忠告を無視した事はこの際いい。その代わりに頼み事がある」

 頼み事。わざわざ私に何をしろというのだろう。

「この近くに私の弟の事務所がある。そこで弟を呼びだしてくれないかい。嫌な予感がする」

 私に何があったのか気を留めない様子が心底腹立たしかった。だから、私は吐き捨てた。

「遅いよ。今更」

 意味があった言葉なのかは分からない。でも、そうしないと処理できない気がした。

「ああ、そうだね。ごめん」

 謝らないでよ。私が勝手に言った言葉なのに。

 胸の中の言葉は口を滑る事は何故かなかった。

彼女は合言葉を私に伝えて終わると奴らに向き合った。それと同時に私はかつての我が家から走り去る。

 

 五分、十分。それくらい走った後、私の体は途端に動きを止めた。

喉奥から感じる寒気、胃が震える違和感。私にはもうそれを耐え切る力はなかった。

「ごぼっ、げぇ。ふぅ、ふぅ」

喉が軽く焼ける痛みと、あの肉の味が混じった酸味。

それを忘れるためにまた吐き気が起こった。

 

 味が段々と薄れていくと同時に私の体は立ち上がる。

前方には家と言うにはあまりにも損壊の激しい建物の行列が並んでいた。

ここがあの人の言っていた弟がいる場所。だけど、こんな所に人が住んでいるの。そんな疑問を抱えたまま、辺りを探し回ると細い道の先に一軒だけ綺麗な建物が見えた。

 クレスさんが言っていた特徴に合ってる。あれがあの人の弟の事務所。

既に疲労が表立っている体を無理矢理動かす。いつもの距離と倍近くの差を感じてしまう。

地面と靴が擦り減る音が聞こえる度に私は自分の中の何かが削れている気がした。

 

 事務所の扉をノックしても何か返事が来る事は無かった。三度深呼吸。意を決して扉を開ける。

そこには、私の身長より半分程大きい背丈の男が私に長剣を向けて立っていた。

「子供か。誰の差金かだけ言ってくれたら苦しめはしない。さあ、早く言うんだ」

 開口一番に私は殺される予定であると告げられた。気迫が違う。あの父よりももっと冷徹な存在感を放っていた。

怖い、血鬼達と同じくらい。でも、言わなければあの人を助けないと。

「クレスさん、です。貴方の、姉、であるはずの。合言葉も聞いて、ます」

その言葉と私が言った合言葉を聞いてか、目の前の男の顔は青ざめたような気がした。

 

 そして、私に剣を持っていない手を近づけたと思うと、

「がぁっ」

首を掴まれて持ち上げられていた。

「その言葉を何故知っている。あの人が、そんな状況に陥るとは。思えない」

「でぇも、わだしはちゃんと聞きました。ごれは事実です」

 苦しい。でも、こんな状況でも弁明の言葉はきちんと口から出てきた。

さっきよりはマシだ、納得させればいいだけだから。

「その言葉を聞いた状況を説明しろ、それで考えてやる」

 私はあの人の場所、最低二人以上の血鬼に襲われている事、増援の可能性がある事、一人は第三の眷属と名乗っていた事を伝えた。

弟さんは私の首から手を離して少し俯いて考えだした。数十秒あたり経った頃だろうか彼が床から私に目線を向けて話しだした。

「分かった、君の言葉は信用しよう。それと無礼な真似をして済まなかった」

「・・・・・・謝っている暇はないと思います」

 私は少しばかり軽口を叩いた。だが、謝罪の数瞬後には彼は剣やガントレット等様々な武具が仕舞われているケースを開いていた。

彼は腰に掛けていた鞘を変えて、剣を橙赤色の刻印の刻まれたものにしていた。そして黄土色にくすんだ生地に茶色の鉄細工のようなものが施されたコートを身に纏って玄関に移動していた。

「君はここにいろ。足手纏いだ。それと、不用心に扉は開けるものじゃない。俺みたいな奴は何をするか分からないからな」

「ありがとう、ございます」

そう言って彼は扉から飛び出すと、すぐに小さくなった。

 

 私以外がいなくなった部屋で私はへたり込んでしまった。

はは、ああそうか。そういえばそうだった。もうお父さんも死んじゃったしこの先どうなるんだろ。弟さんに殺されるのかな、用が済んだだとかであり得るなあ。はは、は。

 どうすれば良かったのかなあ。でもさ、一つだけたしかな事があるんだよね。

私が協会に押し込まれたのも、アイツらが私のことを歯牙にもかけなかったのも、お父さんが死んだのも、こうして置き去りにされたのも、

 全部、全部私が弱かったからだよ。

 

 血鬼二匹、それも位の高い。私もまあまあブランクがあるけどなんとかなると思いたいねえ。

手に持ってある槍をガントレットに変えて構える。奴らも、無視できないのか気持ちの悪い行動を終えて私に向き合った。

「個人的に聞きたいんだがねえ。なんでわざわざこんな風に大袈裟な真似をしたんだい。お前達ならもっと隠密な行動を取れたろうに」

「簡単な話だ。家族を迎えに行くのに何故遠慮をする必要がある」

思った通りというかなんというか、馬鹿げた理由この上ないな。家族だと思っているのなら、その身一つで向き合って迎えに行けばいいだろうに、それをしないのは結局は化け物ということかな。

「ああ、そう。つまらないね。結局血を啜る事だけ考えて生きてきたんだろうから期待するのも間違いだったよ」

「私の愛はやはり家族でなければ伝わらないか」

「そうなのでしょうね父上」

顔見知りが化け物の隣で頷くだけの人形になっているのは流石に堪える。早いところ終わらせるのがわたしとアイツの為だ。

 

 攻めるか。

空いた左手に剣を持って駆け出す。乾も使おう。

突然、机に横たわっていたアイツの死体が震えだした。心臓があった筈の場所から血の枝が私目掛けて生えてきた。

右腕でそれを防ぎ、砕きながら奴らに近づく。乾を使っているとはいえ軽い。ただの牽制か、だとしても。

「ほんとっに。趣味が悪いね」

「使えるものはなんでも使う。君たちもそうしてきただろう」

血の枝の成長が止まる。切り払って突き進む、あの男の腹に拳を叩き込んでやろう。

 

 しかし、横から血の固められた剣が拳を遮った。

「はは、本当人形みたいだね。主人に絶対服従ってわけかい」

「この方は私を愛してくれた。あの人とは違ってね」

「へえ。まだ、人間らしくていいんじゃないかなぁ!」

こいつの剣はこんなに軽くはなかった。化け物に堕ちて生き永らえた癖に弱くなっている。

 全く、笑えない。

 

 左手の剣で奴の右腕を切り落とす。防ぐ手立てが無くなり、胸ががら空きになった。

一人目。

そう思った途端、左から血の槍が飛んできた。

 

 ちっ。坤を切るか。

坤を使い、尚且つガントレットの一部を鎧にして受ける。

しかし、衝撃までは防げない。視界が上下し、家の外に弾き飛ばされた。

 

 おかしい。辺りにある筈の、私が薙いだ奴らの死体が残っていない。まだ夜ではない、だとするとあの男か。

使えるものはなんでも使う、ねえ。同族も否応なくって事かい。全く、家族ってなんなのかねえ。

 血液を扱う攻撃の威力は相当なものだった。そして、死体をなんらかの手段で再利用している。

面倒な事を押し付けられたもんだ。幾ら私が時代遅れの人間だからってこんな仕打ちとは、結局は協会も都市の一部って事かい。

 

 とりあえず、死体は再起不能にする為に鈍器で、奴さんらは動けなくする事優先で行こうか。

とはいえ、この路地は空き家が多い。どこから不意を突かれるか分かったもんじゃない。坎、離はもう使おう。今は体勢を整える事が重要だ。

坎離の使用が済んですぐ、死体が雪崩のように様々な空き家から流れ出てくる。

 

 どう対処する、奴らも見えない。四卦の一周は済んだが、まだ乾が使えない。力押しあるのみか。

ガントレットをつけた右腕を後ろに引き、突撃の構えをとる。

 踏み込み。

地面が軋むと共に、家屋が視界の後ろに飛ぶ。肉を砕く感触が止まった。一掃し終えた。

 

 そう思っていた。

右腕の肘から先が自分の腕から離れている。

 神経が引きちぎられ、自分の体がただの物体になる。その違和感と痛みが私の判断を誤らせた。

どこから?その疑問は簡単に解決した。

「家族の温もりに触れながら、家族の敵を始末できるこれほどまでに家族に貢献できると感じられる事はない」

あの男が、死体の中に潜伏していたのか。痛みに気を取られ過ぎた、坤だ。

這い出てきた奴の腕に付いた刃が私の体を袈裟斬りにした。

 坤を切れて良かった。だけど、この傷はなかなか堪える。坎離で気休めの回復と体勢維持をしながら何とかかね。

 

 しかし、依然不利。あの女はまだ姿が見えないし、辺りは血で浸っている。

ここからが第二ラウンドかな。

 

 右腕があった場所に黒色の拳を生やす。予備の剣を携えて機能を起動する。

まだ、死ねない。

 

 

 

 

 

 

 

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