引きずられているわけではないけれど、今の自分を表すにはそれが一番適している。
数人の親指の構成員に囲まれながらその列を崩さないように、落伍しないように歩みを進める。私の右手にある剣に対して、汚物を見るような視線を何度も浴びせられた。私だって、これが何か分かっていないのだから勘弁してほしい。
連れてこられた建物は事務所のようにただ木材を使った簡素な家ではなく、廊下や天井にまで至るまで少し華美すぎるのではないかと思うほどの装飾が施されている。
あれってシャンデリアって言うんだっけ、初めて見た。絨毯も派手だ、もし踏んだり雑に扱えばどうなるのか想像はしたくない。
四肢を木の棒みたいに捥がれた痛みがまだ体に染み付いていて、抜けきっていない。治っている筈なのに。
臨死という体験がこれ程までに体を竦ませるなんて思わなかった。予想を遥かに越えていた。死ぬ覚悟はしていたけれど、それが全く分不相応であったことをまざまざと知らされてしまった。死ぬ覚悟はできている、なんて台詞は金輪際吐けない気がする。
しばらく進み続けていると行進が止まり、レンナの周りから蜘蛛の子を散らすように構成員が道を開けた。
「さあ、こちらに来い。君たちも聞き耳を立てるんじゃないぞ、ここからは私達の秘密の密会だ。言うまでもないことだろうが、礼を欠けば、分かっているな」
彼女は手を差し伸べ、私を招き入れる。同時に周りの人間に脅し文句を言い放った。
一見して分かったことは彼ら彼女らは全く目を合わせずにそれを聞いていたことだ。それこそ不敬ではないのだろうか。常識が通用するかもわからない空間でそんなことを言う蛮勇は私には持てないけれど。
空いている左手を差し出し、その手を力強く掴まれる。また千切られてしまうのではないか、そんな恐怖が体の奥から湧き上がってきた。冷や汗が出て、視界が揺らめく。その瞬間力が弱められ、子供を引く親のように手を包まれた。ふと、懐かしさを感じてしまった。
手に従って私と彼女は部屋に進む。扉が大きな音を立てて閉められる。悪い想像ばかりが頭の中を駆け巡っている。数分ぶりの緊張が私の心臓を締め付ける。
「この椅子にでも座って。これは命令だから」
茶会でも行うためにあるであろう机に備えられた椅子を引いて彼女は言った。不安感を踏み潰すためにその椅子に座り、彼女に向き合う。
「わたしも君も色々聞きたいことはあるだろうけど、まずはわたしからにさせてもらう」
黙って頷く。
「まず君の事務所の代表から、わたしに対して君の訓練を願う依頼が来た。馬鹿らしいと思ったよ。自分ですれば良いのにわざわざ外部の、それに指の人間に依頼するとは面倒を承知でしてるんだと思ったよ。それでも親指を選んだ点は評価できる。やっぱり他の指とは違うという事をよく理解しているんだね」
言外に他の指は頭がおかしいと言いたげな言葉に私は首を傾げそうになった。なんとか抑える事はできたけれど。親指だって相当のものだろ。
「あと、聞きたいことはそれだね。なんなの?それ。文献や記録をできる限り漁っても頭に語りかけてくる血鬼の武器なんて出てこなかった」
私の右手を指差して、鉄のような冷たさで問われる。
「私にも、分かりません。ある男の声が聞こえていたと思っていたら、いつの間にか」
事実を窄みゆく声で、淡々と伝える。
「ふうん。実はさ、君が意識を失っている間にそれをぶっ壊してやろうと思ったんだよ。私の部下を文字通り食い物にしてくれたから」
「そう、なんですね」
正直武器の誤作動のようなもので死んだなんていう言い掛かりはよしてほしい、けど嘘を言っているようには思えない。
「煮え切らないみたいだね、頭や耳に近づけてみてくれないか。話はそれからの方が良かったね」
ため息を交えながら、彼女は言う。煙草だろうか、太く巻かれたものに火をつけて吸い始めた。湧き上がる臭気が鼻に侵入し、頭を刺激する。彼女に会った時に感じた甘い匂いはこれだったのか。
早くしろと言わんばかりに、煙を顔に吹きかけられる。分かりました、やればいいんですよね。
言われた通りに顔に剣を近づけてみると、優しい父の声が聞こえてくる。
とても気持ちが悪い。あの人はこんな風に飴を溶かしたみたいな喋り方をする人じゃない。でも、何故か父親という概念が頭に流し込まれると言いたくなる感覚だ。理想の、幻想の父を押し付けられているとでも言うのだろうか。
「……声が聞こえました。私の過去を逆撫でするような、父親をこねくり回したような」
私の答えを聞いてか、彼女は頭を傾けて指でこめかみを擦り始めた。冷血な存在が癖というものを示している事にどこか違和感がある。強者はそんな自分を見抜かれる所作は廃していると思っていたのに。
「私が聞いたものとは違うのかな。私は父なんて単語は聞かなかったし、人によって違う精神汚染を振り撒くのかもしれないね」
仮説とも言い難い場当たり的な推論ではあるけれど、ないよりマシだろうか。
「不気味で仕方がないでしょ?わたしの判断も間違いじゃない。でも、壊せない。壊そうとできなかったんだよ」
目が細まり、私の右手をじっと見つめる。その視線で私の手も切れそうだった。
この問答を通したところで私の不安も疑問も解消されないし、無駄だったんじゃないかと思ってしまう。でも、この生き物のような武器の利用価値はある程度ある。他にも使い方がある筈だ。
それにこの人との訓練を代表が取り持ってくれたのなら、最大限利用しなければならない。良くも悪くも指の人間と関わる事で得られる物はある。平時であれば害が勝ると思うけど。
「そうそう。君とは昔会った事があるんだよ、覚えているかい?」
私が思案に頭を働かせている時に急に耳を疑う言葉が聞こえてきた。
いきなり何を言い出すのだ。私はこんな頭のおかしい女にあった記憶は全くない。何かの間違いではないのか。
首を黙って横に振り、彼女の顔を見る。
「あれ?そうだったっけ。確かに話した事があるような......だから変わってしまったと思ったんだけど。君のような人は都市では珍しいから絶対に忘れないと思ったんだよ」
訳の分からぬことを散々と口走り、私に困惑を絶え間なく浴びせてくれる。アンタのその若い見た目は飾りなのか?私よりも頭二つほど小さくて、今にも成長する子供に見えるのに頭は脳以外が詰まっているのか。
「……すまない。この事は忘れてくれ、好きなモノにはこうした変な記憶がたまに湧くんだ」
彼女は額を右手で抑え、左手を開いて押し出しながら言った。妄想、だろうか。下手な因縁でもつけられてしまいそうだ。
「でも、君を見かけた事は事実だと思う。そうでなきゃ君を呼ばない」
芯のあるハッキリとした声で、私に語る。
彼女がそう思っているのならそうなのだろう。あまりその事に首を突っ込む気は起きない。触れたところで改善される問題じゃないだろう。
彼女が合わせてきた目は、やっぱり私でいて私でないものを見つめているようだった。
「さて、私の言いたいことは言い終わったし。早速やろう。依頼を反故にすれば私だけでなく親指の揺るぎない名声が小石で小突かれるかもしれない」
机の上に置かれている金属の灰皿に葉巻を置いて帽子を被り、彼女は立ち上がった。ここに連れてこられるまで帽子を脱いでいたから分からなかったけれど、帽子を被る前と雰囲気がまるで違う。見かけ相応の部分がさっきまではあった、でも今は冷たさが私の皮膚に突き刺さる。今不意打ちを仕掛けても簡単にいなされてしまう気がする。
私も彼女の動きに釣られて立ち上がる。すると彼女が思い出したかのように呟きはじめた。
「君は他人を殺す事に何を想っている?」
藪から棒に聞かれた質問に私は頭の中が一瞬空っぽになった。真空状態になった頭に思考とも言えない断片的な考えや言葉が詰まっていく。
他人の命を奪う事に必要以上に躊躇う事なんて無駄でしかない。結局そうしなければ生きていけないのがこの世界なのだから。依頼だなんだと講釈や弁明を聞かされたところで命を奪う事に変わりはない。ならばこそ、私がこの場で本心を隠さずに言うのであれば。
「ただ、それは弱かったんだ。と思います」
彼女は私の言葉を飲んでいるのか、下を向き考え込むような姿勢をとった。また癖だろうか、私の中の強者の理想を崩してくる極めて不快な光景だ。
彼女が私と目線を合わせた瞬間。
テーブルが音を立てて吹き飛んだかと思うと、私の右手に繋がった荊と彼女の剣が打ち合っていた。
「だったらこの場で殺されても、文句は言わないんだよね」
先程までの、彼女にとっては談笑であっただろう時とは違う鉄の声。それが私の耳を、ひいては頭を貫こうとしている。
体の末端から震えが伝播して私の幹が震えそうになる。
怖い。逃げ切れた筈の恐怖がまた目の前に姿を見せている。依頼云々は全て嘘だったのだろうかと無駄な考えも私の中に現れる。
「本当に怖いですけど、言えません。他人に対して思ってる事を自分に適応できない程愚じゃないと自負はしてます」
今際の際であるというのに、スラスラと言葉が出てきた。
「そう啖呵を切るのはいいけれど、今君はそれに守られているよね。それはどう思うの」
一層彼女が踏み込み、刃が私の顔に近づいてくる。解答までの猶予が差し迫っていた。
「それ、は・・・」
でも、事実だ。守られているのは事実だ。誤魔化しようのないものを前にして、違うとほらを吹くことができる程私は、強くない。
彼女は大きくため息を吐いて、私を壁に向かって吹き飛ばした。
「かっ・・・」
背中が壁にぶつかり、肺から空気が搾り出される。そのまま、地に伏して彼女を睨みつける。
「やっぱり、原石だね。まだ」
剣を納め、私を見下しながらまた葉巻を吸っている。また、あの甘ったるい匂いが私の鼻を刺す。
「まあ、いいや。これからしごいてやれば良い。そう頼まれてるしね」
彼女は葉巻を灰皿に押し付け、私の手を取って起き上がらせた。
私はこの人の事が分からない。
私を瀕死に追い込んで、私の手を取って、私のなけなしのプライドを踏み躙って。親指の人間だから?強者だから?自分の中に浮かんでくる理由はどれも、ぴったりと彼女の輪郭には当てはまらない。この人が私を強くする理由はなんだ、依頼だからってこんな頭のおかしい人間が素直に従うとは到底思えない。一体なにが、彼女に枷を嵌めているのか。
「どうしたの?まだ、ふらつくの?」
彼女に手を取られたまま、呆然としてしまった。すかさず彼女から距離を取り、頭を下げた。
「御手を煩わせてしまいました」
他の親指の仕草が無意識のうちに染み込んだのか、出てきた言葉は気持ちの籠っていない形骸化した謝罪だった。
「別にいいよ、私がした事だし。それに君に謝られるのは、なんだか気持ち悪い」
私の顔が下を向いていて良かった。今の私は、きっとあの血鬼を見た時と同じ目をしている筈だから。
自分の中で暴れる嫌悪が鳴りを潜めた。それを自覚してようやく顔を上げる。
彼女は何かを棚の中から探している、ゴソゴソという文字が浮かび上がって見えるほど慌ただしく動いている。
「ああ、あったあった」
目当てのものを見つけたのか、彼女は微笑んでそれを見る。そしてそれを私の方に優しく投げてきた。
「これは・・・」
彼女が吸っていた葉巻だろうか、それにしては少しばかり箱が古びている。
「試しに一本どう?あ、吸い慣れてる?」
「はい、安物の紙煙草ですが」
「そう、なら丁度いいや」
彼女は、葉巻の先端をナイフで切り私に点火するよう催促する。それに従い火を点けると、いつの間にか口に突っ込まれていた。口から鼻に向かって来る臭気が私をむせさせる。
「ふーん。合わなかったか」
彼女が吸っていたものよりも強い甘味、そして香ばしさ。それらはただの匂いであるのに自分を内側から塗りつぶしてくるようで、吐き気が込み上げてきた。反射的に出た涙を拭うと、彼女はもうその葉巻の火を消していた。
砂時計のようなTの字が刻印された小箱にそれを彼女は収納した。T社の時間密閉装置、実物は初めて見た。
見たくないものも、初めて見るものもここでは多い。これも、代表が考えていた事なのだろうか。
「さて、これから君の練習に付き合ってあげてもイイんだけど、それより前に注意や案内をしないとね」
彼女は私の隣を通り過ぎ、入ってきた扉の取っ手を掴んでいた。
「ああ、言い忘れてたけどあいつに頼まれたのは10日間だ。もう8日しかない、君があの後1日寝ていたからね。まあ、それについては文句は言わないさ。その分密度を上げれば良い」
その言葉に私はここにきて初めて、興奮というものを感じた。どれだけ恐怖があっても、それよりも渇望が勝るのだと私は知った。
彼女に案内され、あの豪華な内装の建物から抜け出す。私が寝ていたテントがあった方角とは違う方角のようだ。血の匂いは薄く、小綺麗。
ここはどちらかと言えば巣に近い。様々な店や、工房が立ち並んでいる。親指の領域に相応しく、工房が取り扱っているものは銃や弾が大半を占めている。
「カポ様。そちらが、客人でしょうか」
私たちのもとに近づいてくる親指の構成員がそう尋ねた。
その瞬間彼の腹を彼女は殴りつけた。
「分かっているでしょ。わざわざ聞かないでよ、あんまり時間ないんだから」
「・・・・・・申し訳ありません」
先程までの彼女とは違い、親指らしい行動をしている。私に向ける得体の知れない不吉な目線と違って、ただ冷たいだけ。横顔からはそう受け取れた。
「見てわかる通り、ここは補給をする場所だ。まあ、君には関係ないだろうけどね武器が違うし。私たちが入ってきた入り口を右手に回ると、休憩施設だ。そこで終わった時には休むといい」
彼を手で払った後、簡潔に彼女は言う。しかし、気になることがある。私は彼女に対し手を挙げ、許可をもらう。
「親指じゃない私が使ってもいいんですか?」
「なるほど、それは愚問だね。私は一応この施設は任されてる。私がいいと言えばいいんだ」
そういうものなんだ。親指らしく上の者の言うことは絶対、か。
「分かりました」
「他に聞きたいことは?後になると面倒だ」
そう尋ねる彼女の足は止まらず、どこかへ向かっている。それになんとか追いつきながら、聞くべきことを思案する。その間に何か親指とは違う服装の人間が目についた。
「頼む、これだけはかき集めてきた。俺ができる全てをして集めたんだ。だから・・・・・・だから、まだ匿って。守ってください!!」
一人の男が親指の構成員の足にしがみついている。巣にいられなくなった人間か、単純に弱い人間か。組織に上納金を払い身を守ってもらうというのはなんというか、私のプライド的にはしたくないな。
喚き散らす男にレンナが近づく。それと同時に他の構成員がばらけていった。
地を這う男に、脚を屈めてで彼女は見下ろす。彼女はその男をじっと見つめたかと思うと、立ち上がった。
「お前、さっき言った事本当だな。分かった。今月分はその金で勘弁してやる。でも、次は無い。これは確定事項だ、ゴッドファーザー様に誓って曲げない。精々励むように」
淡々と彼女は告げる。その言葉に彼女の周りからざわつきが漏れる。甘いのではないか、わざわざただの金蔓に情けをかける必要があるのかと独り言が聞こえる。直接言っていないからなのか、彼女も特に手を上げることはなかった。
「私が言った。それだけで良いでしょ」
彼女は群衆に向き直り、吐き捨てる。
そう濫用して大丈夫なのだろうか、いや要らない心配か。
男をどこかへ彼らが行かせ、彼らも様々な場所へと散らばっていく。彼女も私の隣へと戻ってきた。
「ああやって、金を払えない人間は何人もいた。でも、あいつはあいつなりの礼儀を尽くしていた。だから、ああしていいと思ったんだ」
そう彼女は私に語る。それを彼らの前で言えば、まだあんな風に騒ぎにならなかったのではないか。彼女に対する疑問は再開された彼女の歩みで潰された。
任意の評価、感想をお願いします
読み応えについて
-
読む価値はある
-
無味無臭
-
つまらない