慌てて、開けたばかりの扉を閉める。力が増したはずの私の力でも以前よりも重くなってしまったと感じてしまった。
閉まった事に自然と息が吐かれる。それも束の間、私は穴へ落ちるかのように床へとへたり込んでしまった。
赤子のように足を抱えて内省する。
足取りは変になっていなかったか。何か気取られて、代表に私はまだ守る存在だとか思われていないか。今さらそんな風に思われたくなんてないのに、私はどうしてしまったんだろう。さっきの震え様は自分でも異常だと思う。私の心はおとぎ話に怯える子供のように揺れやすいものではなかったはずなのに。
私は強くあらねばならない、そうやってあの時、自分を縛ったはず。どうして、今もこんなに弱いの。揺らいでしまうの。
整えたはずの息が、また乱れて足に少しの震えを感じる。
星、この都市での恐怖の象徴。
代表の口からその言葉が溢れた時に私はこの世界ではありふれた最悪、そして今の自分の始まりを思い出してしまった。その言葉自体に直接の関与なんてものはない。
でも、その言葉に集まっている恐怖は私の怯えを掘り起こすのに十分だった。今までは、そんなことを思い出す間も感じる余裕もなかった。明日の空気を吸うので精一杯で、そのことだけを考えていれば良かったから。
ここまで生きてきて、凄惨な光景はもう目に入れても痛くない。血や臓物などの鼻を刺す臭いはもはや空気と同じだ。あの時、初めて味わった味も慣れてしまった。
だのに、震えた。見窄らしい、現状への執着が自分の根幹を捻れさせようとした。そんなことを私は許しておくべきではないのだ。
足を理性で添え木して立ち上がり、肺をはち切れさせんばかりに空気を取り込み、顔に拳骨を添える。
そして思い切り振りかぶった。
施術で強化された腕力で、頭を吹き飛ばす程の衝撃を顔へ叩き込む。首の皮が引かれ、顎が軋み、口の中が少し切れる。舌先を慣れ親しんだ味が包む。視界が歪み、足元がふらついた。右頬に少しの熱が残る。辺りから見れば自分はなんて馬鹿なことをしているのだろう、と指を指されて笑われるのだろうか。強化施術で強化した力をわざわざ自分を傷つけるために振るうなんて。
それでも、まだ弱い私には必要なものだ。そうだ、そのはずなんだ。
散々の自嘲の果てに張りぼての答えを作る。私を支えるのはただの薄壁で十分だ。
ふらつく視界にふと、買ってきたばかりの青黒い刀身を持った大剣が目に入る。前の持ち主は弱いからこの剣と命を失う羽目になったんだろう。私はその轍を踏まない、踏んでたまるものか。
私が睨んだその剣は私の輪郭をただぼやけた線で映し出すだけだった。
そうだ、早く準備をしないと、いつものように振る舞わないと。
未だ顔に残る痛みが私に思い出させる。こんな自分は見せられない。準備が遅れているから、何か起こったのかと思っているかもしれない。慌てて不要な装備を外し、部屋に放る。見慣れた部屋は何故か、孤独さを孕んでいた。
「すみません、ちょっと遅れました」
「ん、ああ。すまない、依頼の手続きに必要な書類を書いていた。今から準備を済ませるから、少し待っていてくれ」
代表は、左手にも右手にも書類を持って事務作業に勤しんでいた。遠目で見える文字には予算、残高、交渉条件などがある。こういった手続きや交渉事といったものに対して自分はまだ力不足だと実感している。そして、それが甘えでしかないことも。
代表は椅子から立ち上がって、蒼黒色を基調としたくすみ切った金色のライン状装飾が施されているコートを整え直す。先程私に向けた長剣を机の上に持ち上げて、後ろにある鞄から無骨な杭打ち機を取り出した。先端部分を鋭利な金属部品から木製の棒へと取り替え、盾のような側面を振りかぶって叩き動作を確認している。殴打した衝撃がその機械に吸い込まれるように見えた次の瞬間、勢いよく棒が突き出る。
「よし、調子は大丈夫そうだ。出るか」
そう言って代表は早足で外へと出ていく。それにつられて私も事務所を出る。
外に出ると、こびりついた赤褐色の染みが黒や灰色の壁や地面に付着している光景が目に入る。事務所の中より少し濃い鉄の匂いが鼻腔をくすぐる。
夜に何かがあったのだろう、その程度の小さな引っ掛かりは無視して大通りへと進む。この地域は幸運か否か人が殆ど住んでいない。背中を刺されることはないし、盗みに入られることもない。もし金品を盗めば代表が地の果てまで追いかけるかもしれないし、そもそも盗みのためだけにこんなところには来ないのだろう。それに、組織の息がかかった人間も居ない。おかげで余計な問題事も起きることはなく、白昼堂々戦闘をしても誰かを巻き込むこともない比較的平和なところだ。人のいない理由に目を瞑ればだけど。
大通りへと立ち入れば、玄関らしきものが破壊され、家としての機能を奪われた建物が道沿いに行列を作っている。
新しく家を作るだけの金を持つことができない、裏路地の住民からすれば利用できる空き家がないというのは文字通り死を意味する。
私も昔にここへ迷うことがなくて本当に幸運だった。
どうしてこんな状態になったのか、そんなことを聞いたこともあった。帰ってくるのは要領を得ないものばっかりだったけど。
しばらく歩いて、代表が足を止めた。それと同時に、風が体を抜けていく。
「相変わらずのところですね、ここは」
ふと、呟きが漏れる。その響きはただ空気に散っていった。
裏路地にしては似つかわしくない、数階建ての建物。単純な崩落もあれど、人為的な破壊の跡もそこらかしこに。もうどの傷が私たちが与えたものか、元々あったものなのか忘れてしまった。しかし、目の前の建物が放つ寂寥感は最初に出会った時と何一つ変わらない。
足元の砂利を踏みつぶし、目の前の建物に向かって音の尾を引いていく。風の音も合わさり、寂しさが調和の中に溶け込んでいくようにも思えた。
玄関だったはずの、壁が小さな箱のような一片に破砕された空間から内部へと侵入する。内部の冷たさは、この世界の冷たさをそのまま内包したものだ。穴の空いた天井、錆びついて身の一部を落とした階段。
裂けた椅子、埃と建物の代謝に身を包む絨毯の部屋。
見慣れた景色に想いを馳せず、ただ目的地に足を進める。
一等壊れ、死に体のまま根付いている空間。風は外よりも通っていた。思わず、コートを押さえる。生き物の臭いもここでは土塊の香りに覆われている。私の鼻にこびりついた血の香りを削いでいく。
少しだけ世界の残酷さから目を背けられる。それに甘える弱い自分は嫌いだけれど。
この空間は好きだ。
文量が書けない