青い炎は、眠る英雄を照らす。   作:杞憂谷

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第十話 『予兆』

昼下がり。差し込む光が眩しく、思わず目を細めた。

 

体を起こすと、徹夜の疲れが脚と肩にまだ残っている。

 

「……寝すぎたな」

 

大きく伸びをしてから、急いで支度をして、廊下を挟んで向かいの部屋の扉をノック一つ。すぐに、ぱたぱたと軽い足音。

 

「はーい!」

 

扉が開き、アリエッタが顔を出した。眠そうな気配なんてまるでなく、いつもの笑顔。

 

「メティちゃん、おはよー!今日も可愛いね!」

 

「ふふっ、何それ。早く報告済ませにギルドいこ」

 

私たちは並んで宿を出ると、昼の喧噪で賑わう通りを抜け、ギルドへと向かった。

 

受付でクエスト完了の報告を済ませると、銀貨十五枚。ずしりとした重みと、胸の奥の小さな達成感。

 

続いて、アリエッタも同じように報告を済ませ、同じように銀貨を受け取る。

 

「よーし!これでしばらくは食べていけるね!」

 

アリエッタが銀貨を握って笑う。私もつられて口元が緩んだ。

 

そのまま二人で集会所へと足を運ぶ。

 

――いつもの席。

 

そこにはやはり、ゼハンがいた。

 

ただ今日は違う。机に突っ伏したまま、動かない。

 

そしてその隣には、イレーネが座っていた。

 

彼女はゼハンに何か話しかけているが、ゼハンは反応を返さない。

 

私とアリエッタが近づくと、イレーネはぱっと顔を上げて、安堵と苛立ちの混じった視線を向けてきた。

 

「来たのね。ちょうどいいわ。報告書があるのに、この人、まともに答えないの」

 

彼女の声には、夜の出来事の続きがまだ終わっていないことを告げる熱がこもっていた。

 

私とアリエッタは顔を見合わせ、そして向かいの席に腰を下ろした。

 

ゼハンが机に突っ伏したまま動かないのを見て、私は苦笑いを浮かべる。

 

「あぁ、この人クセがすごいからね」

 

そう口にすると、アリエッタが「あ、そうだ!」と手を打った。

 

「夜間警備の分け前渡すよ!」

 

彼女は腰の袋をごそごそと探り、銀貨四枚を取り出してゼハンの前に差し出した。

 

その瞬間、ゼハンが跳ね起きた。

 

寝ぼけ眼で何を考えているのかはわからないが、その手は迷いなく銀貨を受け取った。

 

「……え、こんなに?いいのか?お前、さてはいい奴か……?」

 

普段のぞんざいな態度からは想像できないほど素直な声色に、私は思わず呆気に取られる。

 

アリエッタはにこにこと笑いながら「もちろんだよー!」と頷いた。

 

私は肩をすくめて、今度は自分の袋から銀貨二枚を取り出し、アリエッタに渡す。

 

「四枚のうち二枚、私が負担。――割り勘ね」

 

「ありがとメティちゃん!」

 

そんなやりとりをしていると、イレーネがぽかんと口を開けたまま、事態を飲み込めずに固まっていた。

 

「ちょ、ちょっと待って……どういうこと?報酬の山分けって……」

 

私はゼハンを指差しながら説明してやる。

 

「こいつ、Gランク冒険者だから。夜間警備のクエストは正式には受注してないのよ」

 

「はぁ!?」

 

イレーネが素っ頓狂な声を上げ、椅子を軋ませて立ち上がりそうになる。

 

「どう考えても、あのときの魔術はSランク並みだったじゃない!あれがGランクってありえないでしょ!?」

 

アリエッタは困ったように頭をかき、私も深いため息をついた。

 

「……まぁ、私たちにもわからないんだよね」

 

「うん。なんでこいつがGランクのままでいるかは、誰も知らないんだ」

 

淡々と告げると、イレーネは口を開いたまま固まり、視線をゼハンへ向ける。

 

けれど当の本人は、銀貨を一枚一枚数えながら、まるで子供のように小さな満足げな笑みを浮かべていた。

 

「見たことないくらい機嫌良さそうだし、今聞けば教えてくれるんじゃない?」

 

私はゼハンを横目に見ながら、からかうように笑った。

 

イレーネは姿勢を正して、少し緊張した声で問いかける。

 

「ゼハンさんは……どうしてGランクのままでいるんですか?」

 

ゼハンの顔がすぐに真顔に戻る。さっきまでの柔らかさが嘘みたいに消えた。

 

「ん、まぁ……色々とな」

 

それだけ。

 

「ダメだったみたいだね」

 

私は口元に笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。イレーネは落胆したようにため息をつく。

 

「でもゼハンさん、Gランクのクエストたくさんやってるから、もうFランクとかになっててもいいのにね?」

 

アリエッタが無邪気に言うと、ゼハンは淡々と答えた。

 

「昇格の話は来る。断ってるだけだな……」

 

「それは何か理由があるの?」

 

私は思わず問い返した。

 

「弱いフリして、誰からも期待されない方が、案外楽な場面って多いからな」

 

ゼハンの声は低くて、妙に重みがあった。

 

するとイレーネが顔を上げ、ムッとした表情で言う。

 

「さっき同じようなこと聞いたのに、なんで答えてくれなかったんですか!?」

 

だがゼハンは完全に反応を返さない。

 

「まだイレーネちゃんには懐いてないみたいだねー!」

 

アリエッタが明るく声を出す。私は思わず小さく苦笑した。

 

「えっ!?懐くとかあるの!?」

 

イレーネの瞳が一瞬でまんまるになり、口元もぱかっと開く。完全に驚きの波に飲まれている様子だ。

 

ゼハンは目隠しの奥で一瞬だけ目を細め、無表情に答えた。

 

「懐くとか、ねぇよ」

 

その淡白な一言に、アリエッタはちょっと肩を落とし、軽くため息をつくように「懐いてなかったのか……。残念……」と呟く。

 

私はその声を聞きながら、なんだか微笑ましくて、つい口元が緩む。

 

「けど、また私たちがクエスト受注したら助けてくれる?」

 

私も少し期待を込めて訊いてみる。

 

ゼハンは肩をすくめ、いつもの無頓着な態度で返す。

 

「もういかねぇよ。金に目が眩んで着いて行ったら、結局面倒なことになったじゃねぇか」

 

「面倒なことって?」

 

私の問いに、ゼハンはちらりとイレーネを指差す。

 

「それは、こいつのことだよ」

 

「私!?ですか……?」

 

イレーネの声は戸惑いに満ちて、少し震えている。

 

「報告書がどうたらって話になってるじゃねえか」

 

ゼハンは淡々と、でもどこか含みのある言い方で続ける。

 

私の胸の奥で、ふわりと妙な感覚が走る。そうか、あいつがちょっと本気を出すと、こうやって面倒ごとが増えるのか。

 

「確かに、あんたがちょっとやる気出すとこうなっちゃうのね」

 

思わず苦笑いを零す。

 

「そんな……。報告の義務があるのに……」

 

イレーネの小さな眉間のしわと、肩を少し落とした姿が痛ましい。私は胸の奥で、くすぐったいような感情を覚える。

 

「まぁ、ありのまま報告してもいいと思うけど、俺はGランク冒険者だぞ」

 

ゼハンは淡々と、でも少しだけ皮肉めいた口調で言う。

 

「そのまま報告しちゃうと上官も信じてくれないかもね!……なんてね!」

 

アリエッタは楽しそうに小首をかしげ、ニヤニヤしている。

 

私は思わず口元を手で覆い、悪戯心がむくむくと湧き上がる。

 

「真面目なイレーネの評価、下がるかもね」

 

わざとからかうように言ってみると、イレーネの顔が一瞬で赤くなる。

 

「何よー!楽しそうにしちゃって!どうしたらいいのよ!」

 

イレーネが小さく声を張り上げる。手で膝の上を叩きながら焦っている様子は、見ていて可愛いというよりも痛快だ。

 

ゼハンは目隠しの奥で私たちの様子を眺め、いつものように淡々とした声で締めくくる。

 

「そういうことだ。大人しく俺の手柄を取って褒め称えられるしかねぇな」

 

「うぅ……なんでこんなことに……!それもこれもあんた達がこの人連れてくるから悪いんでしょ!」

 

「でも連れてこなかったら大変なことになってたかもしれないじゃん」

 

「そうだよー!あんなおぞましいモンスターが街に入って来てたらと思うとねー?」

 

アリエッタは嬉しそうにクスクス笑い、私は二人を見て微笑む。

 

俯いて何も言わなくなってしまったイレーネを見て、憐れみと痛快さが同時に湧き出る。

 

イレーネが勢いよく椅子を引き、ぷくっと頬を膨らませたまま言い放つ。

 

「もう、分かった。――どうなっても知らないから。私がやったことにして、報告に戻る」

 

そのまま、つかつかと小気味いい足音を鳴らしてギルドを出ていった。

 

去り際の背中まで、律儀で真面目そうな形をしている。

 

「やっと行った。……いい気味」

 

口ではそう言いながら、口元は緩む。あの子の怒り方って、どこか子供みたいで憎めない。

 

アリエッタが隣で両手を後ろに組み、のんびり笑う。

 

「ちょっと可哀想な気がするけど、褒賞とかも貰えるだろうし、よかったんじゃないかな」

 

「そうね。あの子、褒められるの大好きだし、ちょうどよかったと思うわ」

 

皮肉混じりに言いながらも、どこか胸の奥がくすぐったい。

 

――昔から変わらない。努力の果てに得た結果を、人一倍嬉しそうに報告するタイプだった。

 

「そういえばイレーネちゃんってどんな子なの?士官学校を首席で卒業したとかは聞いたけど」

 

アリエッタの声が弾む。まるで、初めて知る人の話を心底楽しみにしている子供のようだった。

 

「親しかった訳じゃないから詳しくはないけど、ドルミナ家っていう代々この王国の魔導士団に魔導士を輩出してる名家のお嬢様って感じじゃないかな」

 

「ドルミナ家かぁ!なんか聞いたことはあるかもー!小さくてなんかプンスカしてて可愛いね!」

 

思わず笑ってしまう。

 

「ただ幼稚なだけよ。けど真面目だし、頭も良いし、魔術のセンスはずば抜けてたわ。剣術も武術も普通だったけど」

 

士官学校の実技試験。あのときの彼女の魔法陣の展開速度は、いまだに忘れられない。魔力を流れるように編む手際に、少し嫉妬した。

 

「ふぅーん!そうだったんだー!また会いたいなー!」

 

アリエッタが嬉しそうに言う。

 

「私はご免よ」

 

そう言いながらも、心のどこかが少しだけ温かくなる。

 

「あはは、その割にはイレーネちゃんと話してるときのメティちゃん、嬉しそうだったけどね?」

 

アリエッタの無邪気な笑顔に、思わず頬が熱くなる。

 

「うっさいなぁ」

 

視線を逸らして、窓の外に目をやった。昼の陽射しが強くて、ほんの少しだけ眩しい。

 

そのとき、集会所の扉が風を切って開いた。

 

そして現れたのは、スイナだった。

 

スイナは相変わらずキョロキョロして、私たちを見つけては、ピンッと耳を立てながらこちらに来る。

 

「みなさん、こんにちはー!三人で何話してらっしゃったんですかー!?」

 

聞き慣れた甲高い声。手にはクエスト書。

 

スイナ・オラージェス。今日もテンションは高い。明るい彼女の登場に温かい雰囲気が流れる。

 

「わっ、スイナちゃん!やっほー!」

 

アリエッタが手を振る。

 

私も軽く手を振りながら、口をつく。

 

「今はこの男が昨日やらかしたことについて話してたのよ」

 

「ええー!?ゼハンさんが何かやったんですか!?」

 

「それがね……」

 

――と、私は昨日の夜警のことをざっくり説明した。

 

命がけだったのに、こうして話すと他人事みたい。

 

スイナは途中から「えっ」「ひぇぇ」と声を上げながら、目を丸くして聞いていた。

 

「なるほど!そういうことだったんですねー!そういえば先ほどギルドの前の通りで“もぉー!”って涙目で叫びながら歩いてる魔導士団の制服の女の子がいました!」

 

その様子が脳裏に浮かんで、私は苦笑する。

 

「あー、それ完全にイレーネね」

 

アリエッタは「だよね」と肩をすくめ、スイナは「そっかぁ!」と手を叩いて納得する。

 

「……そう言えば、スイナちゃんこの前のクエストどうだったー?」

 

アリエッタがふと、話題を変える。

 

スイナはぴょん、と尻尾を揺らした。

 

「それが聞いてくださいよー!めっちゃくちゃ暇でした!鳥すら来なくて!六時間もストレッチしてたせいで逆に筋肉痛ですよ!」

 

「……スイナは落ち着きなさそうだもんね」

 

思わず口から出ていた。

 

「そうなんですよ!どうせなら体動かしてる方が楽ですよ!だから今回はちょうどこれです!」

 

勢いよく突き出されたクエスト書。

 

私はその紙を覗き込み――思わず眉をひそめた。

 

“草刈りをして欲しい”という旨の内容だった。

 

……また雑用。報酬は銅貨六枚。食費にも届かない。

 

「えっと、これは……?」

 

アリエッタが首をかしげる。

 

「草刈りをします!そうだ!ゼハンさんも行きますか!?一緒に草刈りしましょう!二人でやればすぐ終わるはずです!」

 

「……行かねえよ」

 

「なんでですかー!でも掲示板にはGランクのクエスト、これだけしかありませんでしたよ!」

 

スイナのしっぽがぷんぷん揺れている。まるで抗議する猫の尻尾。私はつい口を挟んだ。

 

「行ってあげなさいよ、どうせ暇なんでしょ」

 

「マジかよ……。はぁ、仕方ないな……」

 

「やったー!ほら!早速行きましょ!」

 

スイナは椅子を蹴る勢いで立ち上がっては、嬉しいのかしっぽをブンブンと振っている。

 

ゼハンは一呼吸しながら、渋々腰を上げた。

 

「んじゃ行ってきます!メティちゃん!アリエッタちゃんまたねー!」

 

白い尻尾がふわり――扉が閉まり、静けさが戻る。

 

アリエッタが笑って言う。

 

「行っちゃったねー!みんな頑張ってるし、私たちも頑張らないとね!」

 

「そうだね。……私たちもクエストでも選ぼうか」

 

「うん!そうしよ!」

 

私たちは並んで掲示板の前に立った。

 

木製の掲示板は昼下がりの陽に照らされて、紙の端が微かに揺れている。

 

私はひとつの張り紙に目を留めた。

 

「この薬草採取、一昨日はDランクだったのに、Cランクになってる。同じ内容なのに」

 

「もっと前はEランクとかだったよー!」

 

「そうなんだ……なんでだろう?」

 

「最近物騒になってきてるみたいだからねー。いるはずのない強いモンスターが急に現れたりするしさー!」

 

私は一瞬、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……それで私たちも死にかけたもんね」

 

「昨日の夜警だって普通はあんなことにならないはずなんだけどなぁ……」

 

「それってもしかして――山の上に棲みついたモンスターの影響……なのかな」

 

口に出してみた途端、胸の奥がざわついた。

 

隣国のSランク冒険者がそのモンスターを討伐しに行ったっきり帰ってこないという話もあったし。

 

「そういうのもあるかもね?」

 

アリエッタは軽い調子で言うけれど、私はここ最近の出来事が偶然ではない気がしてならなかった。

 

「確かにね……。ってことは、本来の難易度ではないクエストもここに貼られてる可能性があるのよね」

 

「そうなるかもー!」

 

「だとしたら、一応難易度が更新されてるっぽいし、この薬草採取のクエストでも受けようか。他のCランクのは実態Bランクとかありそうだし」

 

「今日は一旦それで様子見よっか!」

 

アリエッタと目を合わせ、笑い合う。

 

その笑みの奥に、微かに焦りの色が混じっていた。

 

ギルドを出ると、昼下がりの光が街を柔らかく包んでいた。

 

風に乗って人々の声や、遠くで揺れる屋台の幟が漂う。

 

昨日の夜のことも、ゼハンやスイナの騒ぎも、今は少し遠く感じられる。

 

少しだけ寂しい。でも街はいつも通りで、私もその流れに身を任せた。

 

アリエッタと並んで歩きながら、次の仕事へ向かう足取りは自然と軽くなっていた。

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