青い炎は、眠る英雄を照らす。   作:杞憂谷

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第十一話 『追憶』

森に入る。柔らかな光が木々の間を揺れ、葉擦れと小鳥のさえずりが昼下がりの静けさを彩っていた。

 

踏みしめられた土と草の匂い。遠くでは誰かが薬草を摘んでいる。

 

「ここ、平和だね。モンスターの気配もしない」

 

思わず小声で呟くと、アリエッタはにっこり笑いながら籠を揺らした。

 

「ほんとだねー!モンスターの痕跡もないからね!さあ、いっぱい採ろう!」

 

葉の擦れる音が心地いい。ふと手を止めると、斜めの日差しに葉影が揺れていた。

 

沈黙の中、私は口を開く。

 

「そういえば、ずっと一緒にいるのに、アリエッタのこと、まだあまり聞いてなかった」

 

アリエッタは軽く肩をすくめて笑った。

 

「そうだね!そういえば私もメティちゃんのことあんまり聞いてないなぁ」

 

「じゃあさ、アリエッタのこと聞かせてよ。出身地のこととか、なんで冒険者になったかとかさ」

 

「うん、いいよー!そうだなぁ……どこから話したらいいんだろう」

 

アリエッタは少し考え込んで、目を細めた。

 

「えっと、私の村は、栄えても寂れてもない“普通”。みんな仲良し。うちは少しだけ大きな家――昔の名家らしいけど、よく分かんないけどね!」

 

「普通の村……って、何して遊んでたの?」

 

「物心ついた頃から一緒にいた同い年の女の子と、いつも殴り合いしてたんだ!村には娯楽がなくて、そんくらいしかやることなかったの」

 

「他にやることあるでしょ……?」

 

「あったはあったけど、子供の頃から勉強とか礼儀とか色々教え込まれてたんだけど、隙を見つけてはその子に会いに行って、日が暮れるか、家の人に見つかるまで結局殴り合いしてたなぁ……」

 

私は思わず吹き出してしまった。

 

「何してんのほんと……」

 

「六つ上の兄とも、よく“じゃれ合い”。毎回、泣かされてたけどねー!」

 

「殴り合ってばかりじゃない……」

 

「んー、まあね!でも十歳のときに道場に入ったんだ、幼馴染と一緒にね。私は剣や魔法の才能はなかったから、武術を極めたいなって思ったんだ!」

 

「そうだったんだ、だから今でも拳を武器にしてるんだね」

 

「そう!毎日殴り合って、武術を学んで、強くなるのは本当に嬉しかったよ!十五歳の頃、師範を除けば私たちが最強。だから――本気でぶつかった」

 

私は頷きながら聞いた。

 

「うんうん、それで?」

 

「まるで歯が立たなかったよ!ボッコボコにされたー!悔しくって泣きまくったよー!泣きすぎて吐いたもん!」

 

「その情報はいらないよ……でもアリエッタをボコボコにできるくらい強いなんて、すごいね、その幼馴染」

 

「うん!今まで互角だと思ってたのに、後で聞いたら『互角に見えるよう、ずっと手加減してた』――小さな頃から、ずっと」

 

私はそっと息を吞んだ。

 

「ええ、なんで手加減なんてしてたんだろう?」

 

「勝っちゃうともう殴り合いごっこしてくれなくなると思ったんだって。アリエッタしか友達いないからって……出会ってから十年くらい気を遣わせ続けてたって知ったときは、胸が押し潰されそうになったよ」

 

私はそっと頷いた。

 

「うわぁ……それ辛いね」

 

「うん、だからね!その子が本気で闘っても互角でいられるように、気を遣わなくてもいいように強くなろうと思ったの。今まで以上に頑張ったんだ!」

 

「いいね、そこで心折れなかったのは強いよ」

 

「追いつけないまま――十六の年、兄が死んだ」

 

「ええ……。なんで?」

 

「兄は冒険者だったんだ。ある日、家に遺品が届いて……遺体は回収できなかったって。葬儀が終わったあと、お父さんから兄の遺品、これを貰ったんだ」

 

アリエッタはゆっくりと首に巻かれた燻んだ革紐に通された、くすんだ銀のリングに触れる。その指先がわずかに震えているのを見て、私は胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 

小さな銀の輪の中に、たくさんの想いと時間が詰まっているのが伝わってくる。

 

「セラファ家に代々伝わるネックレスらしいんだけど……これを付けたとき、幼馴染にも勝ててないし、兄にも勝ててない自分が、すごく情けなくなったんだ……」

 

私はしばらく言葉を失った。幼馴染との競い合いも、兄との関係も、ただ楽しいだけの思い出じゃなかったんだなと、背後の森の静けさの中で思い知らされる。

 

「でも……いいじゃない、いつか勝てば」

 

アリエッタは少し微笑んだ。だがその笑顔の奥には、まだ誰にも見せたくない悲しみがちらついていた。

 

「そうなんだよ……だから決めた。冒険者になる。拳で強くなって、天国にいる兄に――負けを認めさせるってね!」

 

私は思わず微笑む。アリエッタらしい、ひたむきさと前向きさ。立ち直りも早いんだろうな、彼女は。でも、その裏にどれだけの寂しさと焦燥があったかも、少しだけ分かる気がした。

 

「やっぱり立ち直り早いね。それで、幼馴染には冒険者になるって言ったの?」

 

「あはは、そう!そしたら、その子も目指すって言い出してね。十八歳のときに、幼馴染と二人でこの街に来て、冒険者になったんだ!」

 

私は少し胸が熱くなる。幼馴染と、兄と、自分の背負ったものを思うと、この明るい笑顔の裏に積もったものの深さを、なんとなく感じた。

 

「届くよ、きっと、アリエッタの想い」

 

「そうだといいけどねー、あはは」

 

私はふと思い出す。確か、幼馴染の子は王国直属の冒険者になったんだよね。その子も、たくさんの修羅場をくぐり抜けたんだろうな、強くて立派に。

 

「幼馴染の子は今、王国直属の冒険者になったんだよね?」

 

「うん、この街に来てすぐAランクになって、王国と契約したんだって。今は難しいクエストとか任されてるんじゃないかな。今度会わせてあげるね!」

 

私は少しニヤリとして言った。

 

「そうね……アリエッタをボコボコにできる人がどんな人か、一目見てみたいわね」

 

アリエッタは得意げに胸を張った。笑顔は明るく、でもその目にはほんの少し、かつて兄と幼馴染に抱いた複雑な想いの影が残っている。私はその微かな陰影を見逃さず、そっと頷いた。

 

「んじゃ私の話終わり!次メティちゃんの話聞かせてよ!楽しみー!」

 

アリエッタは籠いっぱいの薬草を脇に置き、まだ元気そうに私を見上げている。

 

「ハードル上げないでよ、特に面白いもんでもないから」

 

「いいからいいから!」

 

軽く押されるようにして、私は視線を落とす。足元の薬草が柔らかく揺れる。森の中には、午後の光が木々の間から斑に落ちて、私たちの影をゆっくり伸ばしていた。

 

「そうだなぁ、私は普通の街で生まれて、普通に育ち、普通に冒険者になっただけ……とか?」

 

「いやいや!もっとなんかあるでしょ!家族のこととかさ!子供の頃どうだったかとか!士官学校ではどうだったかとかさ!ね!」

 

私は小さく息をつく。話すほどでもない、でも伝えたいものもある。

 

「うーん、士官学校では優等生だったよ」

 

アリエッタは目を丸くして、声を上げる。

 

「え!?うそ!?すぐ人殴るし目つきの悪いメティちゃんが!?」

 

「目つきは関係ないでしょ。優等生だった……けど、教官を殴って、王国への推薦を蹴ってから、冒険者になった。普通にしてれば安定した人生だったんだけどね」

 

「ええー!もったいない!後悔とかしてないの?」

 

「後悔するかしないかは、これからの人生で決まるよ、きっと」

 

少し沈黙があって、アリエッタはふーん、と言った。私はその間に、川沿いの散歩道を思い浮かべる。

 

「そうだ、思い出した」

 

「何を!?」

 

「なんで優等生になったのかってこと」

 

アリエッタの目がキラリと光る。

 

「いいじゃん!そういうのちょうだいよー!」

 

私は息を整え、ゆっくり話し始める。

 

「私が五歳のとき、近所の子たちと遊んでる途中に、大雨が降り始めたんだ。慌てて家に帰ろうとしたとき、川沿いに白い仔犬がいた。捨てられたのか逃げ出したのかはわからない。けど、大雨で川が今にも溢れそうで……私はその仔犬を連れて帰ったんだ」

 

「おおー!幼き頃のメティちゃん優しいー!めっちゃいい子だー!」

 

少し恥ずかしくて、私は顔を背ける。

 

「うん、それで、親には叱られたし飼うことも反対されたけど、犬が可哀想だ、っていうのと、勉強とかいろいろ頑張るからって説得して、なんとか飼えることになったんだ」

 

「優しいけど、すぐゴネるところは昔からなんだね」

 

「うっさいなぁ……そんでその犬は、雨の日に拾ったから『レイン』って名前をつけて、とても可愛がってた」

 

「かっこいい名前だね!」

 

私は笑って小さく肩をすくめる。レインは本当にのんびりしていて、呼んでもやっとこっちに来るような子だった。

 

「でもさ、私が七歳か八歳くらいのときか、忘れたけど、頑張りすぎてストレスが溜まってて、家で勉強してるときにレインが邪魔してきたんだ。その時、『レインのために頑張ってるのに、どうして邪魔するの』って――強く叱った」

 

「うーん、仕方ない気もするけど……」

 

「叩いちゃったりもしたけど、それでもレインは尻尾を振って嬉しそうに私を見上げていた気がするんだ。そのとき、『あぁ、なんてことをしてしまったんだ』って気持ちになった」

 

「健気で良い子だね、レイン!」

 

私は微かに笑って、小さく頷く。

 

「レインにとって私たち家族が全てだったのだと、後になって痛感した。勉強の邪魔をしたのも、遊びたかっただけだと気づいたときの罪悪感は、幼いながらに重かったよ」

 

「反省できるメティちゃんも偉いね!素晴らしいっ!」

 

「ありがとう。それからは、習い事とかでストレスが溜まることも少なくなった。気づけば優等生になっていたのも、レインの存在があったからだと思う」

 

「へぇー!そうだったんだー!レイン様々だねー!レインはどんな犬だったの?」

 

「レインはね、大きくて、いつもボーッとしてて、呼ぶと怠そうにこっちに来るんだけど、時々元気いっぱいで、可愛い奴だった。癒しだったなぁ……二年前に死んじゃったけど」

 

アリエッタは少し寂しそうに小さく息をつく。

 

「そっかぁ。長生きしたし、メティちゃんみたいな心優しい人が飼い主で幸せだったんじゃないかな!うん、きっとそう思う!」

 

「そうだね。そう信じてるよ」

 

森の中に、葉っぱを揺らすそよ風が優しく吹き抜ける。木漏れ日の斑が私たちの影を更にゆっくりと伸ばして、時間の流れがゆったりしているのを感じた。

 

「……レインが居なくなったから、メティちゃんは教官をぶん殴るようなヤバいやつになっちゃったの!?」

 

アリエッタの瞳が好奇心で輝く。

 

「違うと思う。……今、“ヤバいやつ”って言った?」

 

「え、あ……あはは……」

 

ふふ、と笑うと、アリエッタの顔が少し赤くなっているのがわかる。普段の彼女なら絶対に見せない表情だ。

 

「アリエッタ、今物凄い変な顔してたよ。いつもはあんなに綺麗な顔してるのに」

 

「あはは、そんな意地悪しないでよ!」

 

気づけば、光は夕暮れ色に染まりつつあった。籠いっぱいの薬草を抱えて依頼者の元へ歩きながら、私はクエスト中のことを静かに思い返す。

 

アリエッタの幼い頃の話、兄や幼馴染との思い出、そして私自身の過去に起きた出来事――声にして話すことで、ただ隣にいるだけでは見えなかった彼女の一面が、少しだけ私の胸に届いた気がする。

 

笑いも、胸の痛みも――全部、今日の柔らかな余韻になった。

 

森を抜けて街へ戻る道すがら、私はふとアリエッタを横目で見る。籠を軽く揺らして笑う彼女の姿に、言葉では言い尽くせない温かさを感じた。

 

私とアリエッタはまだ知り合ったばかりの冒険者同士だけれど、少しずつ知り合い、信頼を重ねていく。――そう思うと、胸が温かい。

 

今日の森は、薬草の香りと木漏れ日の斑に満ちていた。平和――けれど確かに、冒険へ続く一歩だった。

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