「まだかな。荷物、重たいんだけどな……」
バレンテ王国の王都ミレスの西門、入市審査の列は長く続いていた。
商人の荷馬車、武装した冒険者、物見遊山の旅人――誰もが同じように足止めを食らっている。
私はと言えば、リュックの紐が肩に食い込んで痛い。正直、イライラしていた。
門の前には王国兵たちが仁王立ちし、書類の確認と簡単な検問をしている。かつての私なら、あの制服を着て『検問する側』に立っていたのかもしれない。
いや、それどころか、私の成績なら憲兵隊や王城警備といった花形の配属だって狙えただろう。
「ま、今となってはどうでもいいんだけどね……」
ぼんやりとそんな妄想に耽っていたそのとき――
「……ん、書類」
ぶっきらぼうな声に顔を上げる。無精髭の兵士が無愛想に手を差し出していた。
「こちらです。お願いします」
あらかじめ用意していた書類を渡すと、男はちらりと目を通した。
「メティス・イグレナ……っと、これが士官学校からの推薦状ね。冒険者ギルド宛か。へえ……弱そうなのにCランクスタートの推薦か。いいご身分だな、士官学校出たやつは」
イラッとした。
今すぐぶん殴ってやりたいが、ここで揉めるのは得策じゃない。
だから、私は作り笑いで返した。
「いやー、あはは……。いつも国を守ってくださってありがとうございます。審査作業、板についていらっしゃいますね。人様を批判できるほど優秀だというのに、王城じゃなくてこんなところにいるのは勿体ないですね」
兵士は面食らった様子で吐き捨てる。
「チッ、通ってよし」
書類を投げるように返される。
拾い上げて、門をくぐる。
これで、私の旅が始まる。
二十二歳になった今まで、私は誰かの望む通りに生きてきた。
勉強も、剣術も、魔術も、それなりにこなせたし、努力もしてきた。けれど、それは全て“良い子”であるためだった。
士官学校に進んだのも両親の勧めだ。夢なんてなかった。
唯一、子供の頃に王都で食べたクレープが美味しくて、「クレープ屋さんになりたい」と思った瞬間があったっけか。
でも今、私は自分の意志でこの門をくぐった。
そのことが、何よりも誇らしい。
それもこれも、あの日――
いつもなら右に曲がる通学路を、左に曲がったあの瞬間から始まったのだ。
川辺の丘の上に座り。未来の自分を思い描いた。
兵士になった私は、果たして幸せだろうか?
私の周りの人間は幸せそうにしているだろうか?
答えは出せずにいた。
ふと、川を見ると一匹の魚が跳ねて川岸に飛び出した、砂利の上で必死に跳ねていた。
二、三分、いやそれ以上の時間、その光景を無心で見つめていただろうか。
その魚は最初ほどの元気はなかったが、まだ生きていた。
私はため息をつき、立ち上がると、川岸まで下りた。
川で手を濡らした後、今にも息絶えそうな魚を掴み、川へ放り投げる。
魚は水中に戻ると、何事もなかったかのように元気に泳いでいった。
私はその場に立ち尽くした。
「……やること、ないな」
それだけ呟いて、私は士官学校へ戻った。そして、教官にコテンパンにされた。
あれから三か月、私は士官学校を卒業した。
卒業式に両親は来なかった。
教官は最後に「頑張れよ、問題児」と笑って言った。
それから数日後、家を出るときが来た。父は「死ぬなよ」、母は「どうしようもなくなったら帰っておいで」と父に見えないように銀貨や銅貨が数枚入った袋を渡してくれた。
本当はもっと感謝も、何か気の利いたことも言いたかったけど、なんだか照れくさくて「ありがとう」とだけ言って家を出た。
冒険者になろうと思ったのは思いつきだった。
ただ、道を外れてみたかっただけ。兵士じゃなければなんだってよかったのかもしれない。
兵士という職業が悪いわけじゃない。けれど、何者かになれば、あの日クレープを食べたとき以上の感動が、この先にある気がした。ただそれだけだった。
冒険者の方が命の危険性は高い。
でも、それでもいいと思った。冒険者になるって言ってしまったあの日から、生きる意味を見出す冒険がしたいと思っていたから。
「……やっぱり王都はでっかいなあ」
石畳の通りには露店が並び、魔装具屋、装備屋、道具屋、酒場とあらゆる店が軒を連ねる。
人、人、人。どこを見ても喧騒と熱気で満ちていた。
「あ、あれは……クレープの屋台……。かな?」
思わず足が止まる。
幼き頃の記憶と夢を思い出す。あのとき食べたクレープの感動。
口の中が甘くなり、脳内で汁が噴き出す。そんな感覚。
「……あの感動、取り戻せるかな……」
気づくと足はクレープ屋に向かっていた。
屋台の店主は赤髪の大男。肩甲骨まで伸びたボサボサの長髪、豪快な髭、黒いシャツに黒い短パン。変な格好だが王都にはそういう人もいるのだろう。
「クレープ、一つください」
「へーい、いらっしゃい!トッピングどうしよっか?おすすめはイチゴとバナナとブドウだよ!全部乗せよっか?」
「……じゃあイチゴとバナナで。ブドウは……苦手なので」
「了解〜!」
手際よく生地を焼き、クリームを塗り、イチゴとバナナを包み、最後にとろりと茶色い液体をかける。
「はい、どうぞー!」
「これチョコレート……?」
「あーそれね!チョコレートだな!チョコレート知らないのか!珍しいねぇ!」
「知ってますけど……。田舎者で、すいませんね。田舎じゃ高級品なんですよ」
少し悪態をつきながら、銅貨を三枚男に渡し、少しその場を離れて一口。
「……うわっ!すごく美味しい……」
思わずびっくりしてしまった。
甘さと酸味、クリームのまろやかさに時折ビターなチョコレートの風味。まるで感情の波みたいに絡みつく味。
「……複雑な味だな、やっぱり好きだな。また来よう」
クレープを頬張りながら、私は宿屋に向かう。
宿に着き、帳場を済ませると、部屋は二階の一番奥に案内された。
荷物を下ろして、腰に掛けていた剣を壁に立てかける。レザーベルトを外し椅子にかけ、持参した自分の枕をリュックから取り出しベッドに置く。
「枕、変わると寝れないんだよなぁ」
と独り言を漏らし、あらかじめ置かれていた枕を椅子の上に放り投げ、手に持っていた枕を置く。
ギシギシと軋むベッドに横たわってみる。悪くない。
「ちょっとだけ……休憩……」
――そのまま、意識は沈んだ。
気がつけば窓の外、空は茜色。
「うわっ、寝過ごした……!でもまあ、今からでも間に合うか」
髪を手櫛で整え、腰にベルトを巻き、剣を提げ、書類をリュックにしまう。部屋を出て一階に降りると、宿の女将が声をかけてきた。
「あら、どこか行くの?戻ったらご飯ね。今日は蒸かし芋にトウモロコシのスープよ」
「冒険者ギルドに用がありますので。戻ったらいただきますね」
どうしても愛想よく返事を返してしまう。癖というのは恐ろしいものだ。
冒険者ギルドは街の中央、大通り沿いにある大きな建物だ。
夕暮れの街を歩きながら、屋台の片付けに追われる人々、格子戸が閉まる音が続く。
ギルドの建物にたどり着き、重厚な扉の前で足を止める。
中から冒険者たちの笑い声、酒の匂い、混沌の気配が漏れてくる。
私は深呼吸を一つして、その扉に手をかけた。
もう戻れない、今日から私は冒険者だ。私の物語は、私が決める。