アヤメとナグサの青春崩壊   作:あばなたらたやた

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五話:お前は『完璧であらねばならぬ』

 夕焼けが、崩れたビルの稜線を血のように染める。

 三人は屋上から屋上へ跳躍する。ナグサが先頭でスナイパーライフルを構え、遠くの路地を監視。

 アヤメが中央で百蓮を握り、ユカリを背後に守る。

 下の通りでは、銃声が遠く響く――増援が旧市街を封鎖し始めている。

 ナグサが振り返り、言う。

 

「敵は三方向。東の橋は封鎖済み。アヤメ、屋上を西へ抜けるルートでいい?」

 

 アヤメは頷き、ユカリに微笑みかける。

 

「西の屋上ルート、悪くないね。私としては、博物館まであと十分。ユカリちゃん、息は大丈夫?」

 

 ユカリは銃を肩に担ぎ、八重歯を覗かせて笑う。

 

「はいですの〜! 身共、こんな冒険、初めてですわ! でも……博物館、絶対に行きたいんですの!」

 

 屋上の風が、少女たちの髪を乱す。

 アヤメは歩きながら、紫瞳を細めて尋ねる。

 

「なるほどねぇ……ユカリちゃん、博物館に興味がある理由、もっと聞かせてくれる? 私も、歴史は好きだから」

 

 ユカリの顔が夕陽に輝く。

 

「実は、身共の家系、昔はキヴォトスの守護者だったんですわ! 博物館の奥に、『勘解由小路の槍』が展示されてるって聞いて……あれが、身共の先祖の武器なんですの! 触ったら、先祖の誇りがもっと強くなる気がしますわ!」

 

 アヤメはくすりと笑う。

 

「ははは! 先祖の槍かぁ……伝統と絆、いいよねぇ。私としてはも歴史を知ることで、みんなのモチベーションが上がるかなって思うの。私も、実は……」

 

 彼女は一瞬、言葉を切り、百蓮を撫でる。

 

「……昔、委員長になる前に、博物館で『調停の石碑』を見たの。あれが、私の信念の原点。だから、ユカリちゃんの槍も、きっと力になるよ」

 

 ナグサが、屋上の端で銃を構えながら呟く。

 

「……アヤメの原点」

「アヤメ先輩の原点ですの!? 身共、感動しましたわ! 博物館で、一緒に先祖の力を感じる……これぞ、百花繚乱の絆ですの〜!」風が止む。

 

 前方、博物館の尖塔が見える。だが、その手前――屋上の影から、新たな敵影。

 ナグサの銃口が光る。

 一発。

 敵が倒れる。

 戦闘は、一瞬で終わる。アヤメは微笑む。

 

「はいはい、そういう感じね。博物館まで、あと少し。私たちは、ユカリちゃんを守るから安心してね」 

 

 ユカリの笑顔が、夕陽に輝く。

 

「身共、みんなと一緒なら、どんな敵も怖くありませんわ! 社会科見学、最高の思い出にしますの〜!」

 

 博物館の扉が、遠くに見える。

 銃声は遠く、博物館の奥はまるで別世界だった。薄暗い照明が、古い木の床を優しく照らす。空気はひんやりと澄み、紙と墨の匂いが漂う。少女たちの靴音だけが、静かに響く。

 

 ユカリは展示ケースに顔を寄せ、八重歯を覗かせて息を弾ませる。

 

「わあ……これが、『鬼火の玉』ですの! 昔の百鬼夜行では、夜道をさまよう人を惑わす怪異だったんですって。でも、百花繚乱の先人が、退魔の札で封じて……今はただの光る石ですわ!」

 

 アヤメは隣で、紫瞳を細めてパネルを読む。

 

「ふむふむ……『鬼火は人の迷いを映す』か。心の弱さを試す怪異、ね」

 

 ナグサは無言で後ろに立ち、アヤメの背中を静かに見守る。

 

「……アヤメが興味ある? なら全部見よう」

 

 

 次の展示は、巨大な巻物。

 【怪異図鑑・其の七 「雪女」】 冬の山に現れ、息を吹きかけて人を凍らせる。しかし、百鬼夜行の娘が自らの孤独を差し出して語りかけ、雪女は涙を流し、春を呼ぶ存在へと変わったという。

 ユカリが頬を染める。

 

「孤独を分かち合う……これ、原点ですわ! 身共、胸が熱くなりますの〜!」

 

 アヤメはくすりと笑い、百蓮の銃身をそっと撫でる。

 

「ははは! 力じゃなくて、言葉でね。私たちも、そうありたいよね」

 

 百花繚乱調停委員会の本質は、対立者同士の調停である。お互いが納得し、平和的な解決することである。しかし武力で制圧して争いを消滅させるのが現在である。

 

 さらに奥へ。

 ガラスケースに、割れた鏡が置かれている。

 埃一つなく、しかし鏡面は歪んでいる。

 パネルには、静かに文字が浮かぶ。

 

【怪異図鑑・其の十三 「ドッペルゲンガー」】

 「会えば死ぬ」と恐れられる影の分身。だが百鬼夜行の古記録によれば、それは「己の内なる自分」を映す鏡に過ぎない。暴走を恐れて打ち払うのではなく、向き合い、受け入れ、融合することで、自らを調伏する一助となる。

 勘解由小路の槍と百蓮が並び立った夜、鏡は砕け、少女は「完全な自分」となった。

 

「……身共の、内なる自分? 融合……?」

 

 アヤメは、鏡の前に立ち尽くす。

 紫の瞳が、鏡の中に――自分自身の笑顔を映す。

 完璧に演技された笑顔。その奥に、疲労と、本当の願いが、ちらりと見える。

 

「……なるほどねぇ」

 

 彼女は、ゆっくりと息を吐く。そして思わず、内心を吐き出した。この人数なら大丈夫だろう、という油断の台詞だった。

 

「これを見てると私はずっと『完璧な委員長』でいなきゃって思ってた。でも……これなら、疲れた自分も、弱い自分も、受け入れていいのかもね」

 

 ナグサが、初めて自分から一歩前に出る。

 

「アヤメ。アヤメは完璧だよ。アヤメは疲れもしないし、弱い部分なんて存在しない」

 

 アヤメの胸に、冷たい棘が突き刺さるような感覚が広がった。ようやく、鏡の前で零れ落ちた本音――疲れた自分、弱い自分を、受け入れてもいいのかもしれないという、僅かな希望の言葉。

 

 それを、ナグサは一瞬で踏みにじった。

 完璧だ、疲れない、弱くない。まるでアヤメの内なる叫びを、存在しない幻として否定するかのように。

 

(……どうして。どうして、わかってくれないの?)

 

 絶望が、静かに確実に彼女の心を蝕む。

 ナグサの言葉は、愛情のつもりかもしれない。依存の証かもしれない。でも、それはアヤメを人としてではなく、理想の偶像として縛りつける鎖でしかない。

 

 弱さを共有したかったのに、受け止めてもらえなかった。むしろ、強制的に「完璧」を塗り固められる。笑顔の仮面の下で、誰も本当の自分を見てくれないこの牢獄が、ますます深く、暗く感じられる。

 

 誰も、労ってくれない。

 誰も、弱いアヤメを抱きしめてくれない。そして、ナグサへの失望が、静かな怒りとなって湧き上がる。相棒のはずの彼女が、こんなにも鈍感で、こんなにも自分本位で。

 ナグサの目には、アヤメの疲弊など映っていない。ただ、自分の居場所を確保するための「完璧なアヤメ」を求めているだけ。

 指示待ちの副委員長として、補佐役としてではなく、本当のパートナーとして向き合ってくれない。

 失望は、信頼の糸を一本ずつ引きちぎる音のように、心の中で響く。

 

「……ふむふむ、そうねぇ」

 

 アヤメは、いつもの曖昧な口調で返す。笑顔を崩さない。だが、内側では、希望の欠片が砕け散る音が、虚しくこだまするのだった。

 

 ユカリは両手を握りしめ、声を震わせる。

 

「身共も色々と辛いことはありますが、先輩方と一緒に頑張りますわ!」

 

 鏡映ったユカリが光に溶けていく。その純真さにアヤメは笑う。

 

「はいはい、そういう感じね。私としては……これからも、みんなと一緒に、全部抱えて歩こうか」

 

 ユカリが、ぽん、とアヤメの手を握る。

 

「身共、約束ですの! 内なる自分も、外の自分も、全部百花繚乱の誇りですわ!」

 

 ナグサは、静かに頷く。

 

「……アヤメとなら、私も」

 

 展示室の奥、照明がゆっくりと明るくなる。

 鏡は、もう割れていない。

 ただ、静かに、三人の姿を映していた。

 ユカリとナグサは、少し離れて次の展示「河童の手形」に目を奪われている。

 笑い声が、遠く響く。だが、アヤメだけが、鏡の前に立ち尽くしていた。

 紫の瞳が、鏡の中の自分を見つめる。

 完璧な笑顔。

 エルフ耳の先が、わずかに震える。

 

『本当の自分ってなんだろうね?』

 

 そう問いかけて来ているようだった。

 百蓮が、腰で重く沈む。

 怖い。言葉には出さない。

 出せない。

 

 辛いことはいつだって消してきた。

 「ははは!」と笑って誤魔化すこともできる。

 「なるほどねぇ」と流すこともできる。

 でも、今は――誰も見ていない。怪異。

 人の心の闇を喰らう存在。

 ドッペルゲンガー。

 己の内なる自分。

 暴走ではなく、融合。

 百蓮。

 退魔の銃。

 怪異を封じる力。

 

 でももし、私の中にも、怪異がいるなら?

 もし、私の「完璧な演技」が、ドッペルゲンガーなら?

 百蓮が、私自身を封じているとしたら? 鏡の中の自分が、笑う。でも、その笑いは本物じゃない。アヤメの指が、百蓮のグリップを強く握る。

 冷たい。

 まるで、銃が「触るな」と囁いているように。

 私は、百花繚乱の委員長。

 みんなの希望。

 誰も泣かせない世界を創る。

 でも、本当は――疲れた。

 

 怖い。

 本当の自分を見たら、みんなが離れていくかもしれない。

 弱い自分を認めたら、もう笑えなくなるかもしれない。

 百蓮が、私を封じてくれているから、今の私が成り立っているのかもしれない。

 鏡の中の自分が、ゆっくりと首を振る。

 違う。

 

 お前は、もう逃げられない。

 融合しろ。

 さもなくば、暴走する。アヤメの喉が、かすかに鳴る。

 息が、浅くなる。

 自分の防衛センサーが跳ね上がるような錯覚。

 

「………」

 

 言葉には出さない。

 出したら、崩れる。

 笑顔が、崩れる。

 委員長が、崩れる。

 彼女は、ゆっくりと百蓮を抜く。

 銃口を――鏡に向ける。

 紫の光が、銃身を走る。

 まるで、拒絶するように。

 封じろ。

 私の中の怪異を。

 ドッペルゲンガーを。

 弱い自分を。でも、銃口は震える。

 引き金に、指がかからない。ユカリの声が、遠くから響く。

 

「アヤメ先輩! 次は『天狗の羽』ですの〜!」

 

 アヤメは、銃を下ろす。

 笑顔を、完璧に貼り付ける。

 

「……ふむふむ。すぐ行くよ」

 

 鏡の中の自分が、微笑む。まだ、逃げられると思っている。

 アヤメは背を向け、歩き出す。

 百蓮は、腰に戻る。

 重い。封じられた怪異のように。

 怖い。でも、言えない。

 言ったら、終わりだから。彼女は、ユカリとナグサの元へ歩いていく。

 笑顔は、完璧。でも、背中だけが――震えていた。鏡は、静かに、何も映さなくなった。

 

 

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