「おぉ〜」
彼女の口から漏れたのは、そんな曖昧な響き。目の前に広がるのは、崩壊した街路。瓦礫の山、倒れた生徒たち。そして、繰り返される同じ光景。同じ時間。同じ場所。ループだ。
「ふむふむ。なるほどねぇ。同じ場所を繰り返してるみたいだ」
ユカリ。ロングヘアを優雅に払い、八重歯を覗かせて明るく笑う。お嬢様口調が、ループの重苦しさを少しだけ軽くする。
「これはなんですの!? また同じ瓦礫ですわ! でも、こんなループなんか吹き飛ばしてみせますの〜!」
ユカリの声はポジティブ。素直で、明るい。彼女のアリサカ38式狙撃銃が、陽光を反射する。
ループは三度目。いや、四度目か。記憶が曖昧になる。最初は、謎の敵の襲撃。空間が歪み、閉じ込められた。外の世界では、ナグサが一人で戦っていたはずだ。
アヤメの心の中で、摩耗が進行する。
演技の笑顔が、わずかに歪む。だが、口には出さない。
「疲れた」とは言えない。
「嫌い」とは言えない。
「ははは! 面白い状況ね。でも、厳しいし、かなり待たせることになるかもだけど、突破できるはずよ」
ナグサは頷く。アヤメの言葉を絶対視する。
「アヤメが言うなら、正しい。私の射撃で、敵を牽制する。アヤメの指示のおかげで、きっと……」
ユカリは鼻歌を交えながら、銃を構える。
「ふふん、命中率は完璧ですの〜!」
戦いが始まる。ループ内の敵は、影のような存在。繰り返し襲ってくる。銃声が響き、花びらのような弾幕が舞う。だが、いつも同じ。突破できない。死ぬ。戻る。
五度目のループ。アヤメの紫瞳が、初めて本気の光を宿す。退魔の銃「百蓮」を握るが、資格がない。使えない。ただの銃だ。
「なるほどねぇ……このループ、普通に戦っては抜けられないわ。逆方向に走る……それで、キャパオーバー。空間を崩壊させる」
彼女の思考はバランスが良い。リスクを把握し、メリットを口にする。否定はしない。「無理」とは言わない。
ユカリは興奮気味に。
「素晴らしいアイデアですの! 身共も全力で走りますわ! 百花繚乱の誇りをかけて!」
二人は逆方向へ。ナグサとユカリ。アヤメは中央で指揮。空間が軋む。ループの糸がほつれ始める。敵の影が歪む。キャパシティオーバー。
崩壊。
世界が砕け散る。
外の世界。キヴォトスの街路。銃声が遠くで響いていた。ナグサが、一人で戦っていた。ループの外の彼女。白髪が血で汚れ、息が荒い。
「アヤメ……早く……」
すぐに合流。ループから脱出したアヤメとユカリが、ナグサと出会う。だが、喜びは一瞬。新たな敵。「死の刃」を名乗る存在。黒い影。短刀を閃かせ、アヤメを狙う。貫こうとする。
「――ッ!」
アヤメの笑顔が、初めて凍る。避けられない。だが、ユカリが動く。
身を挺して。
「ユカリ!?」
短刀がユカリの胸を貫く。血が飛ぶ。
血が口元を染める。
「貴方の心に従って……アヤメさん……」
死の瞬間。ユカリの目が、穏やかに閉じる。八重歯が、わずかに覗く。笑顔のまま。アヤメは、茫然自失。初めてだ。完璧な演技が崩れる。
紫瞳が揺らぐ。本心が漏れる。
「疲れた」「嫌い」「助けて」――そんな言葉が、喉まで上がるが、飲み込む。
ナグサが、震える声で。
「アヤメ……笑って。完璧でなきゃ、駄目だよ……」
その言葉に、アヤメの心が凍る。依存の鎖。ナグサの願望。アヤメに頼られ、側にいたい。だが、それはアヤメの摩耗を増すだけ。「死の刃」は反撃に倒れる。ユカリの最後の射撃。
花びらの弾幕が、敵を粉砕。だが、ユカリは死んだ。アヤメは立ち上がる。笑顔を、強引に貼り付ける。だが、それは本物ではない。いや、決意だ。
「労りなんて、必要ない。全て、私が救う」
ナグサは頷く。依存を隠さない。
「アヤメの言うなら……やる。アヤメのおかげで、私は必要とされる……」
キヴォトスの空は、変わらず青い。だが、アヤメの心に、亀裂が入った。ユカリの死は、贖罪の始まり。百花繚乱を最強に。誰も泣かせない世界を。本当の笑顔で、みんなと笑いたい――その願望は、遠く。
瓦礫の山は、すでに死の庭だった。血と硝煙が混じり、キヴォトスの空を朱に染める。ユカリの亡骸は、静かに横たわり、八重歯を覗かせたままの笑顔が、永遠に凍りついている。
アヤメは動かない。
紫の瞳に、感情の色が落ちた。
演技ではない。
完璧ではない。
ただ、空白。ナグサの声が、凍てついた空間を割る。
「笑って……完璧でなきゃ、駄目だよ……」
その言葉は、呪いだった。
依存の鎖。
鋼の楔。
アヤメの魂を、根こそぎ穿つ。
『労りなんて、必要ない。全て、私が救う』
空白が、軋む。
空白が、燃える。
空白が、鋼になる。
開くのは、英雄の眼だ。アヤメの体が、震えた。退魔の銃「百蓮」は、資格なきままに握られている。だが、今は違う。銃ではない。それは、彼女自身の延長。
鋼の意志の、刃。敵が来る。
「死の刃」の残党。黒い影。短刀。銃。爆薬。百を超える刃が、彼女を貫こうとする。最初の一撃は、肩を裂いた。血が飛ぶ。痛みはない。痛みは、ユカリの死に比べれば、塵。二撃目は、腹を抉る。内臓が零れかける。だが、気合が、肉を縫う。
根性が、血を止める。
英雄は、死なない。
英雄は、壊れない。
「ははは……!」
笑い声が、戦場を震わせる。
それは、狂気ではない。
覚醒だ。
鋼の英雄の、咆哮。アヤメが動く。
一歩。
瓦礫が砕ける。
二歩。
空間が歪む。
三歩。
敵の首が、飛ぶ。百蓮は、銃ではない。
それは、彼女の意志の具現。
引き金を引くたび、敵の「死」が確定する。
直死ではない。
英雄の死。
完璧な死。
誰も泣かせない死。銃弾が、彼女の胸を貫く。心臓が、止まる。だが、止まらない。気合が、心臓を再起動させる。根性が、血を逆流させる。
英雄は、死を超える。
「ふむふむ……なるほどねぇ。君たちは、私の敵……?」
声は、穏やか。だが、その背後に、奈落がある。紫の瞳に、敵の「終わり」が映る。全ての刃が、彼女に突き刺さる。全ての銃口が、彼女を狙う。全ての爆薬が、彼女を焼き尽くす。だが、無意味。
英雄は、傷つかない。
英雄は、壊れない。
英雄は、皆を救う。
一閃。
百蓮が、弧を描く。
敵の群れが、蒸発する。
血は、霧になる。
肉は、塵になる。
魂は、鋼に吸われる。ナグサは、遠くで見ている。白髪が、風に靡く。瞳が、焼ける。脳が、溶ける。
「やっぱり……アヤメは、最高だよ……」
呟きは、祈り。
呟きは、信仰。
呟きは、狂愛。アヤメは、進む。
傷だらけの体で。血まみれの笑顔で。鋼の英雄として。敵は、もういない。瓦礫の山は、平らになった。血の海は、乾き始めた。ユカリの亡骸だけが、静かに眠る。アヤメは、跪く。初めて、演技ではない涙を流す。だが、声は出さない。
「疲れた」とは言わない。
「嫌い」とは言わない。
「助けて」とは言わない。
ただ、決意する。
全て、私が救う。誰も、泣かせない。屍山血河を越えて輝く明日を掴むのだ。
ナグサが、近づく。白髪を垂らし、跪く。
「アヤメ……私は、アヤメの補佐でいい……ずっと、側に……」
アヤメは、答えない。ただ、立ち上がる。鋼の英雄は、振り返らない。前だけを見る。百花繚乱を、最強に。キヴォトスを、明るく。だが、その背中に、ユカリの影が重なる。
「貴方の心に従って」
その言葉が、永遠に響く。鋼の英雄は、孤独だ。
だが、それでいい。英雄は、孤独でなければ、英雄ではない。戦場は、静寂に包まれる。
血の匂いだけが、残る。そして、鋼の足音だけが、響き続ける。