聖女様の飼い猫 作:もふもふもふも
街の南東に位置する、決して大きくはないが、清掃がよく行き届いている華やかな劇場。
そこでは、大勢の人々が午後6時から始まる、カルミナのコンサートを今か今かと楽しみに待っていた。人々の視線は、緞帳の向こう側──『聖天の世界』へと向けられており、その心境は期待に満ち溢れている。
それらから強く伝わる感情を感知し、緞帳の先にいるテレスは眉根を寄せた。
「控室に居ても……随分と伝わるモノなんですね。人々の“熱”というものは」
「ええ。この“幸福な喧騒”が、私に力を与えてくれるの」
ソファに座り、カルミナは優雅にティーカップに口を付けた。
コンサートが始まるまで後1時間を切っている。つまりは、昨日敵に告げられた『本番開始』における、最も警戒すべき時間がやってきたと言っても過言ではないだろう。にも拘らず、目の前の少女はまるで気負う様子も焦った姿も見せはしない。
テレスとは違う世界を、彼女は見ているかのようだった。
「……何とも情けない。このような、回避不可の瞬間に至るまで、何一つ行動を起こせないなんて……本当に、己の弱さに腸が煮えくり返りますっ」
怒りで震える拳を、テレスは強く握りしめる。
数々の実績を上げてきたテレスにとって、今の“見ていることのみを強制されている”状態は、死よりも悔しい敗北。ここまでの失態は記憶にない。敵に言い様に遊ばれ、捨て駒として戦うことすらできない、どこまでも耐え難い侮辱であった。
「仕方がないわ。私も、あれほどの強制力を持つ魔法を受けたのは生まれて初めてだもの。彼女が扱っていたのは恐らく、神代にあった最高クラスの魔法よ。抗えないのは、何ら恥ずべきことじゃない。貴方はとても優秀な人、それは私が保証する」
「………慰めなど不要です。今の私は、何一つ成せてはいない。敵の強さを見誤り、彼等の能力、計画を最高単位で警戒できていなかった。心の何処かで、私がいれば問題ないと驕っていたんです。そして、貴方を護ることが出来ずに、全てを敵に上回られた……無様を晒す只の『クソ』に他なりません」
「クッ……ず、随分と辛辣な評価ね」
「結果が全てですから。……私は、弱い。只、それだけのこと」
自分を貶め、顔を歪めるテレス。
冒険者としてではなく、かつての騎士としての矜持。己の弱さ故に誇りを汚された彼女の心は、酷く荒れていた。
「もう、混乱は避けられないでしょう。少なくない死者が出ることになる。昨日の彼女の目を見て確信できました……コレは最早確定なのだと」
「……そうとも限らないわよ。まだ、結果は出ていないのだから」
「!」
希望を観測するには十分すぎるカルミナの言葉に、テレスは顔を上げた。
「騒乱が始まるまで、私達はそれに害なす行動、言動、その他一切が禁じられています。も、もしや、魔法を破る術があると? であれば──」
「いいえ、あの強大な魔法を破る術はないわ。もし破れたとしても、彼女の仕掛けたという呪物を解呪することなど不可能でしょうね」
「………っ」
「けれど、悲観的になる必要など何処にもない。私にはとっておきの“切り札”があるの」
カルミナは、絢爛かつ儚げな笑みを浮かべた。
その言葉が、偽りではないのは何となく解る。彼女は、このような場面でこんなくだらない希望をもたせる人物ではない。
しかし、だからこそ。あの儚い笑みの裏に隠された詳細に胸騒ぎがした。
此処に来てから、ずっとそうだ。コトある事に、消えてしまいそうな気配を纏っている。彼女は、何か取り返しのつかないモノを犠牲にしようとしているのではないか? そんな、言い知れぬ大きな不安がテレスを襲った。
「カルミナ……貴方は、何を……なにをするつもりなのですか?」
「ごめんなさい、それに答える気はないわ。貴方が頼りないとか、そういう問題じゃないの。誰であろうと、コレから私がすることを教えるのは、褒められた行為ではないからよ」
ティーカップの水面に映る自身の表情を眺めながら、カルミナは言葉を続ける。
「一人でいる方が都合が良い。全ては私の独り善がりで、救いを掲げたいだけの自己満足に他ならないもの。だからテレス──貴方達が“私を護る”という契約は、此処で終了としましょう」
「なっ」
思いもよらなかったカルミナの発言に、テレスは大きく目を見開いた。
「金銭はちゃんと払われるだろうから安心して頂戴。それに、相手のこともそうよ。全てを敵の思い通りになんかさせない……彼等の目的が私であるのなら、尚の事ね。大丈夫、人々の幸福は、私が護ってみせるから」
「────………」
“人々”……その中には、カルミナは勘定されているのだろうか。いや、されているわけがない。何もかもが不条理な現状の中で、それだけはハッキリと理解できた。
故にテレスは、冷静に物事を捉え、己のするべきことを明確にすることに迷いがなくなる。
失敗に囚われていたり、迷っている時間など今はない。彼女が自分勝手に己の道を突き進むというのであれば、護衛を担うテレスの役割など決まっている。何時までも俯き弱気を晒すなど、『星詠の聖典』──ましてや、騎士として最大級の恥だ。
──思い出せ。全てを持っていなかった、何もできなかった。幼く弱い頃に掲げた、あの“衝動”を。
ゆっくりと、雑念を払うように息を吐いた。
「はあ……貴方には、何を言ってもムダであることはもう既に解っています。貴方はとんだ我儘姫ですから」
「あら、酷い言われようね。でも解ったのなら、貴方達はもう──」
「──なので、貴方のことは私が命に代えても護りましょう」
「!」
想いの籠った真っ直ぐな言葉。思わずカルミナは、目を見開いた。
「次こそ、後れは取らない。驕りも慢心も成功の記憶も。全てを投げ捨てて、貴方を護る剣となることを───私、テレスは今一度誓います」
「……断ると言ったら?」
「構いません、別に貴方に誓っているワケじゃない。コレは仕事です……一度引き受けた仕事は、絶対に最後までやり通す。今更依頼をキャンセルしようとしてもムダですよ。私は私で己の中にある“衝動”に従い、勝手に貴方のことを護ると決めたんですから」
「……ふ、ふふっ! 貴方の方こそ、とんだ我儘騎士じゃない」
「はい、だから諦めてくださいね?」
クスクスと笑うカルミナに、テレスは手を差し伸べる。
もう直ぐ始まるのは、狂乱の宴。今はその直前、覚悟を決めるためのほんの僅かな誓いを定める時間。
誰がどのような思惑で動こうと。敵の策略が、どれだけ悪意を周囲にばら撒こうと。必ず護ると──言い聞かせるための刹那の一時なのだ。
「……後悔するわよ」
「もう己の未熟さに後悔以上の絶望が襲っていますから、何ら問題ありません」
「……ふふっ、そう。なら私が、その後悔の想いも、絶望の記憶も全てを覆す──最高の歌を披露するわ」
覚悟と諦めを表すように、テレスの差し出した手をカルミナは手に取った。
「………今日の朝ね、聖女様の“光”を見て、懐かしくも、とても嬉しい感情に襲われたわ。『ああ、生きていてくださったんだ!』って」
「………」
「昔のことを沢山思い出せた。辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しかったこと。聖女様のこと。……私に残された、唯一の同胞であり──大切な友達のこと。彼女と過ごした、何気ない日々のことも」
目を閉じ、全ての記憶を振り返る。多くの刹那を体験してきたからこそ、今のカルミナがある。
夢も希望も、何もかもを純粋に希った、綺麗な少女が今も胸の中にいる。
──故に。
「私は世界に愛された種族、『聖天族』の1人として……そして、『歌姫』と称される1人の護り手として。……人々に降りかかる暗澹たる絶望を打ち払ってみせる」
「そうですか。なら私は、その貴方の背中を護るとしましょう」
「ふふっ……ありがとう」
間髪入れることなく告げられたテレスの誓いの言葉。それに対し、純粋な感謝の笑みをカルミナは見せた。
「始まりは、敵の成した“開演”の起こりが、この五感に触れた瞬間よ。そのとき、私が何をするのか……見せてあげるわ」
本番開始の合図まで、後30分。
狂乱の開演は、直ぐ間近だ。
「ん、私も居ることを完全に忘れてそう……話に入りづらい。……なんか、凄くにゃんこを触りたい気分」
テレスとカルミナ、2人が覚悟を定めている最中。それをずっと近くで見ていたムクロは、気不味そうにソファの上に寝転がるのだった。
◆◆◆◆◆
「んー……ぴー……」
「……まさか、膝の上で猫ちゃんが眠る光景が見られるなんてね……その相手が私じゃないことは悔しいけれど、とんでもない眼福だっ。カロス、君は本当にその子に好かれているんだね」
「ぐっ! 私、仕事中なのにっ……動けないじゃないのよもう! コラ、起きなさいバカにゃんこ!」
「ぷー……んぐー……」
「………ああ、もうッ。ほんと空気を読めない奴ッ」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました! お陰様で猫さんがのんびり睡眠中でございます!
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