聖女様の飼い猫 作:毛布野タビ
時刻は午前4時。
夜がまだ完全には明けきらない、夜明け前の時間帯。
礼拝堂の中で少女──カロスは、日課である“祈り”を捧げていた。
いつも、この時間は気分が重くなる。不甲斐ない罪ばかりの記憶を、特に思い出してしまうからだ。カロスは、己の過去に誇りを抱いたこともなければ、高揚を覚えたこともない。何時だって振り返りの際に感じ取ってしまうのは、失敗だらけのくだらない自分。
救われておきながら、自分は何一つ成せず救えなかったという、何の薬にもなり得ない事実だけだった。カロスには何も誇れるものがない。自分の『未来』ですら、上手く想像ができない。
“祈り”という行為を行うのは、何時だって過去の過ちへの懺悔。そして、不甲斐ない自分を苦しめるという、どこまでも後ろ向きかつ破滅的な理由からであった。
今の今まで祈り続けてきて、その認識が変わったことは一度たりともない。そして、それはこれからもそうなのだろうと、カロス自身は覚悟し受け入れていた。
──しかし。
「……いよいよ今日です、聖女様」
そんな覚悟とは裏腹に、此度の彼女の瞳は、非常に強い“希望”の色が灯っていた。どうしようもない過去を振り返り、自分を苦しめる“絶望”の色ではなく……これから先にあるであろう『未来』に期待して、強く焦がれる“希望”の色が。
この矛盾に、カロスは気が付いていない。気が付くための余裕が、今の彼女には微塵もなかった。
「今日私は……10年前に交わした貴方との約束を果たすべく、“星還りの廟”へと向かいます」
下ではなく、真っ直ぐに前を向いて告げられた言葉。力強く透き通った声が、誰も居ない礼拝堂に響き渡る。
忘れたことは一度もない。しかし、今の今まで逃げ続けてきた……聖女様と交わした大切な約束。叶えたいと、本当はずっと思い続けてきた願い。
過去の記憶が、甦る。
『もし貴方が自分の過去を背負い、前に進みたいと希ったのであれば……その時は、私と一緒にお墓参りにでも行きましょう』
『え……お、お墓参り? み、皆の?』
『はい。大切な人達のご冥福をお祈りし、感謝の心、言葉を伝えることは……必ず貴方が未来へ進む切っ掛け、手助けとなってくれる筈です。貴方のように心の美しい子であれば、それは尚のことでしょう』
『………よく、わからない。それに、私は……あの人達のお墓参りをする資格なんて……っ』
泣きそうな表情を晒すカロス。震えるその手を、聖女は優しく包みこんだ。
『貴方は独りではありません。私がいます。私達がいます。……悲しくて俯いてしまうときも、一生懸命前に進もうとするときも。絶対に独りになんかしてあげません……だから、そんな顔をしないでください。貴方に、悲しそうな顔は似合わない』
『………っ』
『ごめんなさい、意地悪なことを言いましたね……そもそも貴方に選択を強要する気はないんです。結局の所、選ぶのは貴方自身ですし、貴方がどのような選択肢を選ぼうとも、貴方を独りにする気はありませんから』
カロスの頭を緩やかに撫でると、人々の心を癒し導く、慈愛の微笑みを聖女は浮かべる。
『私の言葉は、飽くまで選択肢の一つ程度に捉えてくれれば構いません。……いえ、取るに足らない戯言と切り捨ててくれたっていい。所詮は個人の言葉なんですから』
『そ、そんなこと絶対にしない! 貴方から貰った言葉は、全部私にとって宝物なんだから!』
『え、そ、そうですか? なら……心の片隅にでも置いてくれていたら嬉しいです。今は、意味が解らないかもしれません。しかし、きっといつか……その想いは、貴方の手助けになってくれるでしょう。そして、気が向いたらでいいですから──』
切なげに、けれどどこまでも美しい笑みで、聖女は囁いた。
『“未来”に……目を向けてあげてくださいね』
聖女様に言われた、この言葉、あの表情をカロスは生涯忘れることはないだろう。
自分のためを想って見せてくれた……心優しいその在り方を。決して。
聖女様との過去を振り返り、改めてカロスは表情を引き締める。この選択肢が間違っているかどうかは解らない……自分にそんな資格があるとは今でも思えない。
けれど、あの人が提示してくれた道だ……絶対に後悔だけはしない。それだけは断言できた。
「まあ、あのときは廟があんな迷宮化するなんて思いもしなかったからね……そこはめちゃくちゃ後悔してるけど」
こんなことなら、さっさと決断するべきであったとカロスは溜め息を溢した。
「優しい貴方は……きっと『逃げていい』と言ってくださるのでしょう。でも……今は立ち向かいたい気分なんです。最後まで、足掻いてみたいんです……ほんと、救いようのない愚か者でしょう?」
祈る手を解き、立ち上がる。
未踏破迷宮への挑戦……命懸けの墓参りだ。こんなことしても、誰のためにもなりはしない。それなのに。
今までで一番……カロスの気分は悪くなかった。
「決断するのに10年も掛かったけれど……もし、貴方との約束を果たすことが出来たなら。少しは私も近づけるのかしら……“成りたい自分”に」
昔、聖女様に訊かれた『どのような人になりたいのですか?』という問い。その明確な解答には未だに辿り着けていない。
聖魔法だって、どれだけ練習しても使うことが出来なかった。何をやってもダメダメ。大切な友人にだって酷いことをしてしまった。一生赦されない、どうしようもない屑が自分だ。
しかし、だからこそ──
「貴方との約束だけは……意地でも叶えてみせる」
震える手を握り締める。
遙か先にある世界を見て、カロスは進み始めた。
◆◆◆◆
『猫さん……私は、漸く真理に辿り着きました。この世の代え難い真理に』
全てを悟ったかのような清々しい声で、聖女ちゃんが言う。
まーたなんか言い始めたな此奴……絶対俺関連のことだろ流石に解るぞ。聖女ちゃん俺のことしか基本発言しないし。
椅子の上で尻尾をパタンパタンとしながら、俺は欠伸をした。
『ふぐっ……ね、猫さんは、何故私という存在がこの世に居るのだと思いますか?』
え、何故って……俺と出会うためとかじゃないの? 聖女ちゃんのことだし絶対答えこんな感じのモノでしょ。
『ふふっ……そのカワイイお顔は、答えが解らないようですね。くっ、のほほんとした眠そうな表情も天使の極みすぎますッ』
「みゃあ」
別に眠くねーよ。ぱっちり可愛らしく開けてんだろうがオメメをよぉ!
『えへへ、答えは“猫さんと出会うため”、です! 猫さんには少し難しかったかもしれませんね……!』
やっぱり毎度のことながら正解やないかい!
寧ろ外す方が難しいんじゃないかコレ? ……聖女ちゃん石像のくせに読みやすすぎなんだよなぁ内心が。
『……私の目は、猫さんの姿を一生見つめるため。私の口は、猫さんに一生愛を告げるため。私の耳は、猫さんの尊い音を一生聴いていくため。私の鼻は、猫さんを一生吸い込むため。そして私の身体は、猫さんに一生尽くすために存在するのです。……そう! つまり私という存在は、余すことなく猫さんのために在るということです! ふふん!!』
誇らしげかつ、自信満々に聖女ちゃんが宣言した。
う、うわぁ……案の定重いよこの子……今更な話ではあるが。重めの猫飼いみたいなことを一々言うんじゃねえ!
尻尾を弾ませながら、俺は鳴いた。
「にゃあ」
『くっ……鳴き声天使! ああ、元の姿に戻ったら、1日当たり今の何千倍も一緒に居られるというのにっ。悔しくて仕方ありませんッ』
い、今の何千倍……? こ、この人なに言ってるんだろう……? 1日1000時間以上一緒にいるつもりか? すみません、時間の概念を取り払うの止めてもらっていいですか。
いい加減なことばかり言いやがって……かなり調子に乗ってるし、解らせる必要がありそうだなぁ! 50連猫パンチの刑だぜ!
『ふふっ……出来れば沢山パンチされたり、ケリケリされたり、引っ掻かれたり、伸し掛かられたりもしてみたいです……ううっ、イケないことだと解っているのに、幸福が溢れて堪りませんッ』
あ、この子強い。強すぎる。今は関わらないようにしておこう。
聖女ちゃんの所へ向かうのを止め、俺は椅子の上で爪研ぎを始めるのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました! お陰様で猫さんが爪とぎをしてくれました!
本当に、本当に励みになりますので、もしよろしければ高評価等も宜しくお願い致しますッ。