ダンジョンに潜る。ダンジョンに潜る。ダンジョンに潜る。
本日も例の如くエリナが同行していた。けれど、今日はいつもとは少し違う。ダンジョンは静まり返り、俺たちの間に軽口は無い。
瞼の裏で鏡面が耐えきれずに揺れ始めた。熱を孕んだ頭を冷ますために水を飲んだ。乾燥した顔にうざったい湿気が張り付いた。
彼女を見る。顔が見えているはずなのに、表情が読めない。真顔ではない。笑ってもいない。何を想っているのか全く分からない。不快だ。
「じゃあ、やろうか」
そこは一昨日と同じ場所だった。
そうか。やろうぜ。
「ルールは前回と同じで」
分かった。
俺たちは背中を合わせた。汗が滲んだ。
「行くよ」
来いよ。
「一」
踏み出す。
「二」
靴音が反響する。
「三」
鞘が擦れる音。
「四」
目を閉じる。
「五」
天秤が揺れる。
「六」
鏡面が漣を立てる。
「七」
糸が軋む。
「八」
天秤がその片手を大きく下げた。
「九」
エリナベラ・ソルベル:不意打ちー>補正値:120
俺は横に飛んだ。
「十」
斬撃が壁を切り裂いた。深さから見ても完全に殺す気の一撃だった。
風が抜ける。振り返れば、刀を薙いだ姿勢で硬直するエリナが居た。やると思ったよ。
答え合わせをしようぜ。
やっぱり契約切らないのおかしいよ。だってメリットないじゃん。500万の借金がある。しかも、多分まともな筋じゃない。一刻も早く完済したい筈なのに、悠長に俺の育成してる。バカなの?
ということはつまり、俺に返す当てがあるということだ。可能性はいくつか考えた。
一つ、俺がとんでもなく強くて、LV2相当の階層でも訓練できるから。そんなところ行ってないからなし。
二つ、俺を売る気だった。これもなし。お前、もう俺のスキル読み切ってるだろ。そんなことは出来ないと分かっている。
三つ、俺の家、正確には神様の家に金目のものがある。魔導書とか。
俺はエリナの様子を伺った。正解らしい。
とすると、何が目的かって話になるが、もう言った通り魔導書だろう。俺が消費したのかしていないのか分からないあの一冊。
ではなくて、本棚の最下段に敷き詰められている方だ。
「気付いてたんだ」
もちろん。俺が酔いつぶれたあの日、神様は椅子に本を積んで、上の段の本を取ろうとしていた。下の方の段に本を入れればいいのに、何故手の届かない上に置いたのか。一番下の段が埋まっていたから、上に入れるしかなかった。何故下の段に魔導書を入れたのか。角度的に、一番見えにくい場所だからだ。
「もっと別の場所に隠せばよかったのにね」
別の場所に隠すと、盗まれているかどうかの判断がつきにくい。それに、それを確認する行為はどうしても不自然になるから、バレやすい。その点、本棚は完璧だ。木を隠すなら森の中。魔導書とただの本の区別は普通つかない。
「じゃあ、なんで私は分かったんだと思う?」
タイトルだ。あそこの魔導書は全て盗品だった。だから、特定のためのタイトルが公表されていた。お前はそれを知っていた。
これが真実だ。
「うん。うん。なるほど。おおむねあってるよ。一つ足りないけど」
足りない? それは――。
一瞬の後、不可視の斬撃が俺を襲う。だが、矢のようなスピードで地を這うそれは、決して不可避ではなかった。回転しつつ、恐らく斬撃が通るであろう場所を避ける。後方の壁にヒビが入る音がした。
身を翻して外套をはためかせ、正確な位置を誤魔化す。同時に外套を脱ぎ去り、ダミーにして駆け出した。だが、暴風雨の如き斬撃の群れは俺を逃さない。前回の模擬戦の焼き直しだ。このままでは負ける。打開策が必要だ。
斬撃は透明なのが一番ヤバい。手元を見ないと向きと大きさが分からないのに、速過ぎてその動きを目で捉えられない。だから、大げさに避けることしかできない。
それを補強するのは彼女の立ち回りだ。微妙な位置調整や誘導で、着実に俺を追い詰める。時間をかければかけるほど、動きを学習されて不利になる。
今、唯一の救いは彼女が後退しないことだ。所謂「引き撃ち」をすれば、彼女が負ける確率は著しく下がるだろう。彼女はそれを理解して、それをしない。彼女は、俺を殺すために後退をしない。
で、どうするかというと、結局「何とか近づいて殴る」以外に選択肢はない。要は気合いだ。
返す踵に斬撃が降る。一つをナイフで逸らそうとするが、刃の方が負けて半ばから切り落とされた。このままだと直撃コースなので瞬時に体を捻って回避を図る。景色が横に流れる。斬撃はシャツのボタン付近を切り裂いて行った。
崩れた姿勢に斬撃が通り過ぎ、腕に赤い線が走る。このままではジリ貧だ。だが熱くなってはいけない。クールに行こう。大切なのは思考を止めないことだ。
再び足を切り返して偏差攻撃を躱した。景色が何処か妙だ。直感がそれに反応する。今一度景色を脳で再現する。壁、床、俺の腕、彼女。それ以外は何もない。しかし、その景色に違和感を覚える。クソが。思考が纏まらない。
エリナベラ・ソルベルー>補正値:500
足が軽くなり、走行速度が上昇する。
息を吐いて直角に曲がり、正面から彼女に突っ込んだ。次の瞬間、今までにない程大量の斬撃が向かって来るが、俺はそれを最小限の移動で避ける。当然斬撃は見えない。だから、適当に躱す。
半身引いて、しゃがんで、跳んで攻撃を回避しながらも、彼女の手元を注視する。服が破れた。髪が一房落ちた。頬が切り裂かれた。肩に無数の傷が付いた。まだ平気だ。死んでないし、天秤は傷に比例して傾きを大きくしている。
エリナベラ・ソルベルー>補正値:600
動きが冴える。鶴嘴が軽くなった。若干身軽になったことで加減速の幅が広がるが、それは意味をなさない。最初に距離を離されたのがここになって響いてきた。彼女までは十五メートル。大きめの横断歩道くらいの距離が、今はひどく遠い。だが、何かおかしい。何が?
鶴嘴で地面を穿ち、小石を飛ばす。しかし、彼女は当然のように刀で切り捨てた。やっぱりおかしい。
なんだか、彼女の斬撃を生み出すスキルには隙があるように思える。例えば斬撃の形状。よくある三日月型ではなく、もっと奇妙な形だ。当たってないと思えば当たっており、逆に何故か当たってないこともある。
数センチ後ろを次々に透明の咢が切り裂いて行く。壁を走って高度を稼ぎ、軸ずらしを試みるが、彼女のエイムはブレることなく俺を追尾した。高頻度で飛んで来る偏差攻撃を躱す。脚には飛散した石礫のダメージと疲労が確実に蓄積していた。
エリナベラ・ソルベルー>補正値:700
ああ、なるほどね。俺は立ち止まった。
瞬間、轟々と降り注ぐ殺意の塊。しかし、その何れも俺に致命傷を与えられない。
斬撃が増える。まだ死なない。
また増える。まだ死なない。
もっと増える。まだ死なない。
流石に彼女も焦り始めたらしい。それが手に取るように分かる。俺は死なない。死なない。全身から血を流し、ボロ雑巾のような風貌へ成り下がっても、俺はまだ生にしがみついていた。何故だ?
ふと、痛みに対して反射で浅く息を吸う。一秒にも満たない時間だったが、集中が欠けた。
エリナベラ・ソルベルー>補正値:900
瞼の天秤が今までで一番激しく傾くと同時に、左腕に鋭い痛みが走った。冷たい異物が内側に入り込んで、熱を発しながら体細胞を破壊して駆け抜けた。パッと鮮血が舞う。無色は前腕中部から手首までの直線で、俺の左手を切り飛ばした。楕円の断面に骨と肉が見え、瞬く間に血が滲み溢れて姿を眩ました。一拍遅れて激痛が襲う。呼吸が乱れる。
斬撃の雨が止んだ。彼女は手を止めたらしい。
振り返れば壁に傷。床に左手。
ニヤリと笑って彼女の目を見る。彼女もまた、こちらを見つめていた。
左手を拾い、腰のベルトに挟んだ。痛みは酷い。けれどまだ動ける。
暗赤色の結晶よ。
左腕の断面に手を翳し、覆うように脈打つ布を生成した。焼灼も蓬も止血の意味を持つ。これが本来の使用法と断定はできないが、使えることに変わりはない。
あんたの弱点。分かったぜ。
「言って見なよ」
斬撃は刃渡り以上の距離を貫通しない。
見えない斬撃の正体は攻撃判定の移動だ。そして透明なのは、判定にはグラフィックもエフェクトも存在しないからだ。
証拠は俺の腕、ナイフでそれぞれ受けた時の感触だ。どちらも何かに切られる感覚があったが、そのベクトルは斬撃の進行方向とは違った。加えて後ろの壁だ。俺がこんなにボロボロに被弾しているのに、壁は数えるほどしか傷が付いていない。
「やっぱりバレたか」
それと、お前は俺を殺す気がない。
エリナは硬直した。その反応はどっちだ?
「……そう思いたければそう思っていればいい」
夕立の様に斬撃が降り始める。俺は鶴嘴で地面を穿ち、浮いた石礫を打ち出した。大小様々な礫は空中で真っ二つに切断される。俺に傷は、ない。
天秤が大きく揺れ動き、鎖の音と共に補正が切り替わる。器用が下がり、力と俊敏が大きく上昇した。では、反撃開始だ。
小石、魔石、コインの弾幕を展開しつつ前へ進む。斬撃はそれらの小物に反応して消費され、俺には一つとして届かない。
先ほどまで遠かった距離を一瞬で詰め、先ずはその足に鶴嘴を叩き込んだ。だが彼女は体制を変えつつ敢えて一歩踏み込むことでそれを躱し、前のめりになった俺の首めがけて反撃を放つ。俺は振り切った姿勢を強引に動かしたが、避け切れず切先が顎を浅く切り裂いた。
小石を彼女の目線まで蹴り上げ、五拍子のステップでテンポをずらす。俺は強引に隙を作り、ディレイを掛けつつ鶴嘴を振り下ろした。一瞬銀が煌めいて、その攻撃は大きく彼女から逸れていく。俺はそれを見て、無理矢理軌道を変えて振り上げた。しかし彼女はその切り返しを分かっていたかのように躱す。
バックステップで一旦距離を置き、呼吸を整え、跳んだ。急停止して全ての運動エネルギーを乗せ、大きく薙ぐ。食い気味に、それを狩るようにカウンターの一撃が来る。俺は遠心力のままに身体を一回転させて受け止めた。一瞬固まった彼女の足を払おうとするが、その前に腹に蹴りを貰ってよろめく。空かさず来る追撃を一歩下がって避け、今度は俺がカウンターを仕掛けた。流石に流せなかったのか、彼女はこの攻撃を受け止める。一瞬の後、互いに次の手が無くなったので飛び退った。
エリナベラ・ソルベルー>補正値:1200
今度は彼女からだ。滑るように前進し、身体を捻って袈裟斬りを繰り出した。俺は短く握った鶴嘴でそれを逸らしつつ、回転からの一撃を放つ。彼女はそれを屈むことで躱し、立ち上がると同時に切り上げた。咄嗟に鶴嘴で受ける。奇妙にもその攻撃は先ほどよりも数倍重く、持つ手が痺れた。思わず鶴嘴を落としそうになるが、なんとか持ちこたえる。
スキルで飛ばした判定に別の攻撃を重ねた? いつ仕込んだんだよ。
「あれ、君。こんなに強――」
鶴嘴を投げる。エリナはそれを弾くが、それに合わせて距離を詰める。ナイフの間合いだ。
数歩下がりながらの真向切りが降りかかる。
暗赤色の結晶よ。
SAN-10=█
俺は横に避けながらそれを生成した鶴嘴で受け流した。そして、衝撃が手に伝わる前に鶴嘴を離した。鶴嘴は後ろへ吹き飛ばされる。予想通り、多重攻撃だ。
だが、こっちも仕込んである。
同時に生成した腱の糸によって鶴嘴はその軌道を変え、俺に周りを回転して彼女へとその矛先を向けた。彼女はそれを片手で止めた。その隙を逃さず、下から跳びあがるようにしてナイフを振るが、彼女は鶴嘴から手を離し普通に躱す。
俺は腱を引いて鶴嘴を回収した。
一瞬、俺達は硬直する。
暗赤色の結晶よ。
SAN-2=█
エリナベラ・ソルベルー>補正値:1500
天秤が揺れる。並列思考が廻る。
俺は腰のナイフを投擲した。彼女がそれを弾く前に、第二の投擲。投げたのは俺の左手だ。
「な――」
この世界の医療はよく知らないが、切れば俺は永久に左腕を失うだろう。ポーションは傷を回復するが再生は出来ない。
彼女は躊躇い、少し遅れてそれを叩き落した。やはり甘い。俺はその隙を逃さなかった。食い気味に鶴嘴を左から右へに薙ぐ。軌道はその頭部を正確に捉えている。彼女はそれを受け流そうとした。
かかった。
解けろ。
呟くような一言で鶴嘴は血に還る。解呪式だ。赤黒い目眩しが彼女にへばり付いた。
暗赤色の結晶よ。
SAN-2=█
かつて鶴嘴だった空中の血が再結晶化し、ナイフになる。距離がゼロになる。俺は行先を失った刀が再起する前に、その首目掛けてナイフを逆手で振り抜いた。
彼女は後ろに跳んだが、躱し切れずに首に赤い線が走り、血が迸った。
「はは、残念」
しかし、それだけだった。決して深い傷ではない。彼女のターンだ。
ゆらりと切っ先が揺れて、袈裟斬りが放たれる。俺はナイフを咄嗟に構えるが、衝撃に耐えかねて刃が砕けた。次の攻撃までに詠唱する時間は無い。彼女もそれを察したらしく、断頭台のように刀をゆっくりと掲げた。そして振り下ろした。
やっぱり、甘い。
【ショウシャクヨモギ】、遅延発動。
詠唱は20行以上前に終わっている。イメージは太刀。彼女の刀を刃渡りだけ長くしたような太刀だ。この戦いを通して、その構造はよく分かっていた。
左腕の断面から生えた柄に手をかけ、俺はそれを引き抜くように振り抜いた。
高速で血が鱗のように噛み合って刃を形成する。紅が弧を描いて空中に飛散する。居合めいたその一閃は唸るような金属音と共に彼女の刀を打ち破り、砕いた。
彼女は武器が破壊されたことに瞬時に気付き、タックルを仕掛ける。だが、もう決着はついた。俺は素早く横に避けて、彼女の浮いた頭を地面に叩きつけた。
俺の勝ちだ。
おい。起きてんだろ?
「……」
おい。
「……何?」
お前手ェ抜いてただろ。スキルで分かんだよ。
「最後のは本気だったよ」
知ってる。本気で殺そうとしたから、迷いが出た。だから勝てた。
「ああそう。じゃあもう、好きにして」
それでいいのか?
「……」
お前、何を恐れてるんだ?
「……」
俺はお前が怪我をしたところを見たことがない。深く潜りすぎて負傷するのも考えられない。
「……」
お前、ポーションを何に使ってるんだ?
「……」
何で魔導書を盗まなかった? やろうと思えばいつでもできた筈だ。
「……」
お前は……何を隠してる?
「……知りたい?」
お前は言いたいことだけ言えばいい。やりたいことをすればいい。
俺は手を差し出した。
それを手伝ってやるよ。恩もあるしな。
「はは。そっか。思ったより、いや、何でもない」
エリナは俺の手を取った。
「助けてよ」
いいぜ。
この調子で書ききりたい。
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