第4話 夢の残響
翌朝。
目が覚めると、天井がやけに白く見えた。
寝汗が冷たくて、息が浅い。
悪夢でも見たのかもしれない――そう思った。
だが、不思議と恐怖の感覚はなかった。
むしろ、胸の奥に温かい余韻があった。
(……変な夢だった気がする)
ベッドの端で、微かに金属のきしむ音がした。
誰もいないはずの部屋。
それなのに、カーテンの影がふわりと揺れた気がする。
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昼過ぎ、研究所から呼び出しがあった。
昨日と同じ監視業務。
ただ今日は、赤い部屋ではなく別のフロアだった。
「今日はV-02の監視をお願いします」
神崎の説明は相変わらず事務的だった。
V-02――夢に干渉する“夢魔”の被検体だという。
「あの、干渉って……夢を見させる、ってことですか?」
「その通り。
対象の睡眠状態を利用し、潜在意識へ接触する。
情報抽出のために設計された個体です」
「つまり、寝ると……?」
「会話することになるかもしれませんね。もっとも、記憶には残りませんが」
神崎は無表情のまま端末を操作した。
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観察室のガラス越しに、V-02――リリスがいた。
白い髪を肩まで垂らし、眠るように椅子にもたれている。
その唇は薄く微笑んでいて、まるで何かを待っているようだった。
室内の照明が落とされる。
スピーカーから低い電子音が流れると、突然、まぶたが重くなった。
――眠気が、くる。
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闇の中で、誰かの声がした。
「やっと、来てくれたのね」
どこかで聞いたような声。
優しく、甘く、包み込むような響き。
「あなたの名前は……ユウ、でしょう?」
「……なんで、それを」
「知ってるわ。
ずっと、見てたから。
あなたが“赤い部屋”に入るときも、怖がっていた夜も」
声の主が、ゆっくりと姿を現した。
白い髪、深い紫の瞳。
リリス――現実の映像で見た少女と同じ顔だった。
「ここは夢。でも、嘘じゃないのよ」
「夢の中なのに……嘘じゃない?」
「ええ。
わたしの世界は“人の眠り”の中にしかないけど、
あなたの心が触れれば、現実と同じになる」
彼女は一歩、近づいた。
息がかかる距離で、囁くように言う。
> 「ねぇ、ユウ。
あなたは何を怖がってるの?」
「……俺は、怖がってなんか――」
「嘘。でもいいの。わたしが抱きしめてあげる。
眠っている間だけ、あなたは“傷つかない”から」
その手が、頬に触れる。
冷たくて、でもなぜか落ち着く。
心臓の音が遠のいていく。
「おやすみ、ユウ。
また、夢の中で会いましょう」
最後の言葉が、やけに優しかった。
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――目が覚めたとき、朝になっていた。
時計の針は一周している。
机の上のメモに、いつの間にか小さな花の絵が描かれていた。
自分で描いた覚えはない。
(……変だな)
なのに、その花を見ていると、なぜか心が穏やかになった。
夢の内容は思い出せない。
けれど、何かに触れた感覚だけが、確かに残っていた。
昼下がりの研究所は、いつもより静かだった。
機械音が響く通路を歩いていると、どこかで誰かの笑い声が聞こえた気がした。
この場所で笑い声なんて、ありえないのに。
俺はモニタールームへ向かう途中、
ふと、ガラス越しに見えた白い影に足を止めた。
――リリス。
昨日、夢で見た“ような気がする”少女。
でも、夢なんかのはずがない。
あれはただの監視対象、作られた存在。
それなのに、彼女がこちらを見た瞬間――
「……ユウ」
その唇が、確かに俺の名前を呼んだ。
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「おい……なんで俺の名前を……」
職員がそばにいたわけでもない。
呼び方を教える者などいないはずだ。
リリスは薄く笑って、手をガラスに添えた。
その仕草が、妙に懐かしい。
「やっと会えたね。今度は、夢じゃないよ」
「夢……? 何の話だよ」
「覚えてないのね。でもいいわ、体が覚えてるもの。
あなたの“心の奥”は、まだ眠ってるけど――」
その言葉に、背筋がぞくりとした。
彼女の目が、まっすぐ俺の心を覗き込む。
「ねぇ、ユウ。わたし、昨日の夜――あなたを抱きしめたの」
「は……? いや、それは夢だろ?」
「夢と現実の境目なんて、曖昧よ。
あなたが感じた温もりは、ほんものだった」
リリスは微笑みながら、ゆっくりとガラスに額を押し当てた。
その動作が、まるで祈りのようで、美しかった。
だけど同時に、怖かった。
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しばらく沈黙が続いた。
俺は何か言おうとしたが、喉が動かなかった。
彼女の声が、脳の奥で直接響いているような錯覚がする。
「あなたと話してるとね、世界が静かになるの。
だから……お願い。帰らないで」
「……ここにいるのが仕事だからな」
「そうじゃない。“心”のほうよ。
あなたの目がどこかにいっちゃうと、わたし、寂しくなるの」
その瞬間、警報が鳴り響いた。
天井のライトが赤く点滅し、職員たちが走り出す。
「な、なんだ!?」
神崎が通信機を握りしめて叫ぶ。
「V-02が、意識干渉を外部へ拡張しました! 遮断を!」
リリスはガラスの向こうで微笑んだまま、囁いた。
「……ユウ、また夜に会おうね」
視界が一瞬、白く弾けた。
そのまま、意識が遠のいていく。
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気づけば、自室のベッドの上だった。
どうやって戻ってきたのか覚えていない。
ただ、手のひらの上に白い花びらが落ちていた。
触れると、少しだけ温かい。
(リリス……)
口に出すと、なぜか胸が締めつけられた。
夢の中で誰かに呼ばれたような――そんな感覚だけが、残っていた。
数日ぶりに呼び出しが来た。
神崎の声は、いつもより少しだけ硬かった。
「来てくれ、ユウ君。――V-03に関する資料を確認してほしい」
俺は「はい」とだけ返事をして、研究所の奥へと向かう。
無機質な廊下。蛍光灯の白い光が、少しずつ奥へ吸い込まれていく。
V-03――あの未来予知の被検体。
まだ直接、会ったことはない。
神崎のオフィスの端に置かれたモニターに、ひとつの映像が再生されていた。
椅子に座る、小柄な少女。白衣を着せられたまま、膝の上で指をいじっている。
無表情のようでいて、時折なにかを「思い出す」ようにまぶたを震わせる。
「これが、V-03の記録映像です。彼女は、未来の断片を“視る”ことができる。だがそれは無意識のうちに――」
「無意識……?」
「そう。彼女自身も制御できない。けれど……あなたに関してだけ、意識的に“視た”という」
「俺に?」
神崎が頷いた。
「彼女は、こう言った。“私の未来には、あなたがいる”と」
背筋が粟立つ。
神崎は眉をひそめ、続けた。
「奇妙なことに、彼女がその発言をした以降、被検体たちの間で微弱な干渉波が観測されている。エリカ、リリス、そして――V-03。
まるであなたを中心に、何かが共鳴しているようにね」
俺は返す言葉が見つからず、ただ苦笑した。
「そんな大層なもんじゃないですよ。俺なんてただのバイトで――」
「……彼女に会ってみてくれないか」
神崎の言葉に押され、俺は研究区画のさらに奥へ案内された。
赤くも青くもない、中間色の部屋。
中には、あの映像で見た少女がいた。
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「こんにちは、監視員さん」
声は驚くほど澄んでいた。
俺が名乗るよりも早く、彼女――ミナは俺の名前を口にした。
「ユウ、さん……ですね」
「なんで俺の名前を?」
「だって、知ってますもん。……未来で、何度も呼びましたから」
小首をかしげ、彼女は柔らかく笑った。
その笑みが、不思議と冷たく感じた。
「“未来”で俺があなたを呼んだってこと?」
「はい。私たちは、きっと結ばれてました。だから……あなたがここに来ることも、全部わかってました」
冗談めかしているわけじゃない。
瞳の奥は、まるで決意そのもののように静かだった。
「未来が見えるなんて、便利そうだな」
「便利じゃないですよ。見たくなくても、見えるんです。……“あなたが消える未来”とかも」
「……俺が?」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ沈む。
ミナは小さく微笑んで――そして、ほんの少し震えた声で言った。
「だから……変えなきゃいけないんです。
ユウさんを“私の未来”に縛りつけておかないと」
「……」
「エリカさんも、リリスさんも、あなたのこと……気にしてる。
でも大丈夫。
私が全部、“先に視て”おきますから」
そう言って、ミナは俺の手を取った。
指先は冷たいのに、熱が伝わってくるような錯覚を覚える。
その小さな手を離すことが、なぜか怖かった。
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部屋を出ると、神崎が俺を見つめていた。
「どうだった?」
「……正直、よくわからない。ただ――」
「ただ?」
「“彼女は本気だ”ってことだけは、わかりました」
神崎は短く息をつき、メモを取る。
「やはり干渉が始まっているようだ。……ユウ君、気をつけたまえ。彼女たちの“愛”は、設計されていないはずだからね」
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その夜、部屋に戻った俺は、どこか心臓がざわつくのを感じていた。
脳裏に焼きついたミナの微笑。
あれは“未来を知る者の笑み”ではなく、
“未来を奪おうとする少女の笑み”だった。