2人の幸せ   作:言うても

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1話

 

雨がやんでも、空気はまだ錆びてた。

トタン屋根の上に溜まった水がぽたぽた落ちて、

油と血の臭いが混ざる。喉の奥がじんわり焼ける。

 

ここはスラム。

ヒーローのポスターだけがやたら綺麗で、

実物は一度も見たことがない。

 

デンジは、刃の先を布で拭いていた。

赤黒い汚れが、なかなか取れない。

足元ではポチタが丸くなって眠っている。

チェンソーの悪魔だけど、寝息は人間みたいに静かだった。

 

「……ポチタ、昨日の分は終わりだ。」

「ワン。」

 

それだけの返事で、少し落ち着いた。

 

背後で足音がする。

レゼが髪を拭きながら近づいてきた。

服の袖口は焦げていて、

その匂いがこの工場によく似合っていた。

 

「おはよう、デンジ君。朝から血の匂いだね。」

「俺の匂いじゃねぇ。仕事の匂いだ。」

「ふふ。うちら、“雇われ”だもんね。」

 

レゼが缶コーヒーを投げてよこす。

ラベルが剥がれかけ、底が錆びていた。

開けた瞬間、酸っぱい匂いが鼻に抜けたけど、飲んだ。

苦くて、うまい。

 

「今日も?」

「あぁ。仕事だ。」

「じゃあ、私が行く。爆発なら早いし。」

 

レゼは首元に手をやり、

ぶら下がったピンを無意識にいじる。

デンジが顔を上げる。

「その個性、あまり使うな。……痛ぇだろ。」

 

レゼの指が止まり、少し笑った。

「平気だよ。慣れてる。」

 

デンジは刃を置き、声を落とす。

「個性使った時、痛そうじゃねぇか。」

 

レゼが目を瞬かせ、笑顔がわずかに揺れた。

「……見てたんだ。」

「そりゃ見てたよ。お前、顔に出るし。」

「デンジ君、優しいね。」

「違ぇよ。お前が爆発すると、ポチタがビビるだけだ。」

「ワン。」

 

レゼはくすっと笑い、ピンをそっと押さえた。

「……でも、ありがとう。」

その声が、やけにあたたかかった。

 

 少し間をおいて、レゼがぽつりと言う。

 「ねぇ、デンジ君。……学校って行ってみたかったな。」

 

 デンジが眉をひそめた。

 「学校? あんなとこ、だりぃだけじゃねぇの?」

 「うん。たぶんだるいよ。でもさ、制服着て授業受けて、友達と笑って……

  そういう“普通”の毎日、ちょっとだけ憧れるんだ。」

 

 レゼは少し笑って、続ける。

 「……デンジ君、字読めないでしょ?」

 「……ああ。看板の漢字とかもわかんねぇ。」

 「そっか。」

 

 レゼは立ち上がり、口の端を上げる。

 「じゃあさ、私が勉強教えてあげる。授業ってやつ、してあげるよ。」

 「は? 今さら勉強?」

 「うん。ここで、二人だけの学校。」

 

 レゼが笑う。目が本気だった。

 デンジは目を逸らして、少しだけ口の端を上げる。

 

 「……学校なんて興味なかったけど、

  レゼと一緒なら、行ってみてもいいかもな。」

 

 レゼが一瞬、目を丸くして、ゆっくり笑った。

 「じゃあ決まり。私が先生ね。」

 「宿題とか出すなよ。」

 「うふふ、優しくしてあげるから大丈夫。」

 

 その笑い声が、少しだけ救いみたいに響いた。

 ポチタが「ワン」と鳴き、尻尾を振る。

 

 そのとき、古びた通信端末が震えた。

 レゼが拾い上げ、画面を見つめる。

 

 「……ねぇデンジ君、連絡きたよ。」

 「読んどいてくれ。字、わかんねぇ。」

 「うん、わかった。」

 

 レゼは画面を指でなぞり、

 先生みたいな声で読み上げた。

 

 「標的、幹部・サワダ・ケイジ。

  個性は“鉄皮”。夜明け前に西倉庫街へ移動、排除せよ。」

 

 「鉄皮か。硬ぇのはめんどくせぇ。」

 「うん。でも、こういうの読むときちょっと先生っぽいね、私。」

 「先生が殺しの授業すんなよ。」

 「ふふ、特別授業だよ、デンジ君。」

 

 デンジは笑って、ポチタの頭を軽く撫でる。

 「……じゃあ、先生。今日も宿題、片付けるか。」

 「うん。終わったら、また授業ね。」

 

 雨音が完全に止んだ。

 代わりに、心臓の音がやけにうるさい。

 

 「もし生まれ変わったら、“殺す仕事”じゃなくて、“笑う仕事”がしたいな。」

 レゼがぼそっと言った。

 「じゃあ、そんときゃ一緒にやろうぜ。」

 「……うん。約束だよ、デンジ君。」

 

 ポチタが短く鳴いた。

 その声だけが、やけに綺麗だった。

 

 錆びた街の朝。

 ヒーローなんて、今日も来やしねぇ。

 

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