2人の幸せ   作:言うても

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15話 約束

――送迎車内。

 

 エンジンの低い唸りだけが、車内の沈黙を薄く撫でていた。夜の街灯が窓ガラスを斜めにすべり、オレンジの帯が座席を断ち切る。助手席にはビーム、後部座席には二人。運転席の雄英職員は前方の闇だけを見据えている。

 

「……なぁ、レゼ」

 

 不意に漏れた声は、警戒と焦りを少しだけ含んでいた。

 

「お前の“お願い”って、なんなんだよ」

 

 彼女は窓の外に目を置いたまま、口元に小さな笑みをつくる。

 

「お願い……?」

 

 小さく繰り返して、わざとらしく首を傾げた。

 

「とぼけんなよ。さっき言ってただろ」

 

 ゆっくりと視線がこちらへ向く。街灯の光が瞳に反射して、いたずらっぽく光った。

 

「……あぁ、あれね」

 

 軽い調子で言うと、唇に指を当て、考えるふりをする。

 

「ん〜、どうしよっかなぁ」

 

 その仕草に、肩がピクリと動いた。

 

「おい、まさか今考えてんのか!?」

 

 くすっと笑い、彼女は短く間を置く。

 

「ううん、忘れてないよ。ちゃんと覚えてたもん。……でもね、聞かれたら、ちょっと考え直したくなっちゃった」

 

 あまりにも軽い言い方に、喉がゴクリと鳴る。

 

「で……何頼む気だよ」

 

 彼女は視線を落とし、髪を指にくるくると絡めた。窓の外、信号の赤が車内をうすく染める。

 

「ふふっ……そうだなぁ……」

 

 ――沈黙。エンジン音が腹の奥を揺らし、時間だけが進む。息を詰めたまま、横顔を盗み見る。

 

「ま、まさか……変なこと言う気じゃねぇだろうな」

 

「変なことってなに?」

 

「おい、わざとだろ!」

 

 笑い声が、緊張をやわらかくほどいた。

 

「じゃあ、決めた」

 

「……は?」

 

「明日、デートしよ」

 

「……デート?」

 

「うん。合格祝い。二人で、ね」

 

 一拍。思考が白く途切れる。

 

「……二人で?」

 

「うん、二人で。……ダメ?」

 

 ほんのり甘い声音に、耳がみるみる赤く染まる。

(な、なんだ……デート?デート!?デート!!)

 

手のひらに、じんわり汗がにじむ。

 

「ビ、ビームは……?」

 

「今回はお留守番かな」

 

「分かりました! レゼ様!」

 と助手席が間髪入れずに即答した。

 

「おい、ビーム……」

 

 ――カタン。車が軽く揺れて、肩と肩がふれ合う。柔らかな髪の香りが、ふっと鼻をかすめた。

 

「明日、空けておいてね」

 

「……なんだよ、急だし場所も言わねぇで」

 

「ナイショ。当日までのお楽しみ」

 

 いたずらっぽくウィンク。視線を外へ滑らせる。ネオンの光がチカチカと流れていく。胸の奥だけが、落ち着かない。

 

「……まぁ、しゃーねぇ。勝負は勝負だしな」

 

「楽しみにしてて」

 

 頬をかきながら、ぼそり。

 

「……変なとこじゃねぇだろうな」

 

 それでも、口元はどこか嬉しそうだった。街の光があとへ遠ざかり、後部座席にテールランプの赤が淡く滲む。――その夜、なかなか眠れなかった。目を閉じても、横顔と「デート」の3文字がまぶたに残る。

 

          

 

――施設・朝。

 

 カーテンの隙間から、やわらかな朝の光がこぼれていた。遠くで鳥が鳴き、廊下の時計が静かに秒を刻む。鏡越しに乱れた髪を撫でつけながら、小さくつぶやく。

 

「デンジ君起こさなきゃ」

 

 昨夜の帰り道の緊張が嘘みたいに、「デートしよう」と言った瞬間の顔を思い出すと、頬がゆるむ。軽くノックして、ドアを開けた。

 

「デンジ君起きてる?」

 

 ……静か。布団はぐちゃぐちゃに乱れているのに、肝心の本人がいない。

 

「え?」

 

 机に昨夜脱ぎっぱなしのシャツ、窓際には乾ききらないタオル。小首を傾げて室内を見渡す。

 

「まさか……もうお風呂?」

 

 スリッパの音――パタ、パタ――を響かせ、廊下へ。浴室の前で耳を澄ますも、水音はない。食堂をのぞけば、食堂のおばちゃんが振り返り、にこり。

 

「おはようレゼちゃん デンジ君なら、朝早くから玄関にいるわよ」

 

「え、もう玄関に? ……早すぎない?」

 

 小走りで玄関へ向かうと、かすかな靴の擦れる音と話し声。

 

「これでいいのか? どう思う、ビーム?」

 

「カッコいい! 完璧! 完璧!!」

 

「そ、そうか? 服とか変じゃねぇか?」

 

 扉からそっとのぞけば、私服姿と、横で励ます影。リュックを背負い、靴紐を何度も結び直している。

 

「……なにしてんの?」

 

「お、おう!」

 

 顔を上げた目の下には、薄いクマ。

 

「早くない? いつもなら寝てるのに。朝ごはんは?」

 

「もう食った。……レゼも食べてこいよ」

 

 思わず、ため息まじりの笑みがこぼれる。

 

「出かけるにはまだ早いよ。私も準備してくるね」

 

 踵を返して廊下の奥へ。――カツ、カツ。遠ざかる足音と入れ替わりに、玄関で息が抜ける。

 

「うわぁ……ドキドキ止まんねぇ……」

 

 縁に腰を下ろし、夜のことを思い返す。布団に潜っても頭の中がうるさくて、寝つけなかった。二人きりで、出かける――その言葉だけで胸が騒ぎ続けた。

 

「なんで俺、ただ出かけるだけでこんな緊張してんだ……。何着てけばいいんだよ……聞くのもなんかアレだし……」

 

 数少ない服を何度も着替え、髪をぐしゃぐしゃにしては直し――寝不足の朝。気づけば夜明け前に起き出し、玄関でうろうろ。

 

「……くそ、俺ってホント落ち着きねぇな」

 

 それでも口元はどこか緩んでいて、もう一度靴紐を締め直す。

 

 ――数十分後。廊下の奥から足音。

 

「おまたせ」

 

 顔を上げた視界に、とくん、と音が走る。淡いブラウスに薄手のコート。髪はゆるくまとめられ、差し込む光に肩先がきらりと揺れた。

 

「カワイイ!!」

 

 裏返った声を、慌てて手で塞ぐ。

 

「ふふ、どうしたの?」

 

「……その、カワイイなって」

 

 顔を真っ赤にして、リュックの肩紐を背負い直す。

 

「ありがとう。――じゃあ、行こっか」

 

「……お、おう!」

 

「行ってらっしゃい!チェーンソー様!、レゼ様!」と背中に声が飛ぶ。扉が開き、朝の光が二人の影を並べた。

 

          

 

――昼下がりの街。

 

 冬の光は白く、冷たく、やわらかい。頬を刺す風に、ビルの影が長く伸びる。アスファルトに落ちた影が、寄っては離れ、また重なる。肩が触れそうで触れない距離で並んで歩く。白い吐息が重なるたび、どちらともなく目を逸らした。

 

「ねぇデンジ君」

 

「ん?」

 

「……手、繋いでもいい?」

 

 ぴたりと足が止まる。視線が泳ぎ、喉が――ゴクリ――と鳴った。

 

「……い、いいけどよ」

 

「うん」

 

 迷いなく、手を取る。指と指が絡む――恋人繋ぎ。混ざり合う体温に、心臓が不意に跳ねた。

 

「ちょ、近くね!?」

 

「寒いんだもん。あったかい方がいいでしょ?」

 

「……そ、そういうもんかよ……」

 

 赤くなる耳、伏せられる視線。その横顔に、小さな笑みがこぼれる。風が髪を揺らし、二人のあいだをそっと通り抜けた。

 

 商店街を抜け、雑貨屋やカフェを巡る。ガラス越しに冬の日差しが反射して、眩しい。

 

「見て、猫のマグカップ」

 

「おお、耳ついてるじゃん。飲みにくそう」

 

「可愛いものは機能より見た目だよ」

 

「……よくわかんねぇ」

 

 可笑しそうに笑う横顔だけで、胸の奥が少しあたたまる。やがてゲームセンター。電子音と歓声の渦のなか、瞳がきらりと光る。

 

「ねぇ、あれ取ってみようよ!」

 

 指さす先は、ぬいぐるみがぎゅうぎゅうに詰まったクレーンゲーム。

 

「まかせろ!」

 

 百円玉を落とし、レバーを握る。爪はギリギリで景品を逃し、同じ位置へ落ちた。

 

「くそっ、あとちょっとだったのに!」

 

「ふふ、惜しかったね」

 

「クソッ、もう一回!」

 

「今度は私がやってみよっか?」

 

 身を寄せて手元を覗く視線の前で、クレーンは一発でぬいぐるみを掴み取る。

 

「……うそだろ!? 一発かよ!?」

 

「ふふん、どう? これ、あげる」

 

 差し出された小さな犬のぬいぐるみを、照れくさそうに受け取る。

 

「……ありがと」

 

「うん。似合うよ」

 

「似合うってなんだよ!」

 

 人混みのただ中で、笑い声だけがふっと浮かんで弾けた。屋台では、紙皿の焼きそばを分け合う。ソースの香ばしさに、冷たい空気が少しだけ温まった。

 

「ほら、ソースついてる」

 

「どこ!?」

 

「ここ」

 

 指先で口元をぬぐわれた瞬間、心臓が跳ねる。からかうでもなく、笑って指を拭った。赤提灯の揺れが、横顔をやわらかく照らす。

 

 午後、アクセサリーショップ。ガラス棚に並ぶチョーカーが、光を受けて星のように瞬く。

 

「ねぇ、そろそろ交換したいな」

 

「交換?」

 

「うん。これ」

 

 首元に触れた指先。黒いチョーカーは少し色があせ、革の端が柔らかくなっている。

 

「ちょっと古くなっちゃって。……選んでくれる?」

 

「俺が?」

 

「うん。せっかくだし」

 

 真剣に棚を見つめる。細い黒革、金具、布地。似ているようで、すべて違う。飾り気のない黒革の一本に視線が止まった。

 

「……これ、いいんじゃねぇか? 派手じゃなくてさ」

 

「私もこれがいいと思ってた」

 

 購入を済ませ、小箱を大事そうにバッグへ。

 

          

 

 電車に揺られ、窓の外の街並みが灰色に溶けていく。遠い水平線が、鈍く光った。シートにもたれた彼女の頭が、そっと肩に触れる。

 

「……眠い?」

 

「いや、別に……」

 

 本当は少し眠い。けれど、この重みを起こしたくはない。電車のリズムに合わせて、二人の呼吸が重なる。目が合うと、照れ隠しみたいに視線をそらした。

 

 海に着くころ、太陽は傾きかけていた。冬の海は静かで、澄んでいて、世界の端に立っているみたいだ。

 

「うわぁ……綺麗……」

 

 靴を脱ぎ、砂浜へ駆け出す。

 

「おい! 冷てぇぞ!」

 

「きゃっ! ほんとだ、つめたっ!」

 

 寄せる波が足首をかすめ、笑い声が風に流れる。

 

「ほら、こっち!」

 

「しゃーねぇな!」

 

 冷たい砂に顔をしかめながらも、笑いがこぼれる。並んだ足跡はすぐに波へさらわれ、消えた。風に舞う髪が、夕陽を抱く。その横顔が眩しくて、言葉を失う。

 

 ひとしきりはしゃいで、砂を払ってベンチへ。オレンジの光が波間にきらめき、風は冷たいのに、隣の温度は不思議とあたたかい。

 

「今日は、楽しかったね」

 

「ああ。……デートって、こんな感じなんだな」

 

「ふふ、気に入った?」

 

「……悪くねぇな」

 

 バッグが開き、小箱が取り出される。表情がすこし真剣に変わった。

 

「ねぇ、これ。つけてくれる?」

 

「ここで?」

 

「うん」

 

 髪をかき上げ、背中を向ける。白い首筋が夕日に照らされ、やわらかく光った。喉が鳴るのをこらえ、チョーカーを手に取る。指先がわずかに震え、留め金を探る。

 

 ――カチリ。小さな音が静寂に溶け、海風だけが戻る。距離は戻らない。

 

「……どう?」

 

「似合ってる。……すげぇ、綺麗だ」

 

「ありがと。デンジ君が選んでくれたから、だよ」

 

 振り向いた顔が、すぐそこ。睫毛が夕日を一粒すくい、音のない時間が落ちる。

 

「……なんだよ、その顔」

 

「なんでもないよ」

 

 波が一度だけ静かに寄せ、何も言わずに引いていった。

 

「ねぇ……目、つぶって」

 

「……は?」

 

「いいから」

 

 言われるまま、ゆっくりと目を閉じた。頬を撫でる風、潮の香り――そして、柔らかい温度が、唇に触れる。

 

 それは一瞬。けれど、世界が止まるには十分だった。指先が熱を帯び、心臓が激しく騒ぐ。目を開けると、彼女が少し照れたように笑っている。頬に夕日の赤が差し、瞳がかすかに揺れた。

 

「……これも、お願いのひとつね」

 

「ずりぃよ、それ……」

 

「勝負、私の圧勝だったもん」

 

「……反論できねぇ」

 

 そっと寄り添ってくる重み。波の音がどこまでも続く。太陽が水平線に沈み、夜の気配が街へ帰っていく。手を探して握った――恋人繋ぎ。今度は自分から。

 

 驚いたように瞬いた彼女は、すぐに笑って握り返す。冬の海の冷たさが、指先の温もりに溶けていった。

 

「ねぇ、またデートしようね。次は、どこに行こうか?」

 

「ああ……今度は、俺が考える」

 

「ふふっ、じゃあ楽しみにしてるね」

 

 空は紫に沈み、遠くでカモメが鳴いた。二人の影が長く伸び、砂の上でゆっくりと重なっていく。




頑張った
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