――夕方だった。
西の光が窓から差して、机の上のノートを照らしていた。
蝉の声が、やけにうるさい。
「“ひ”って、こう書くんだよ」
「え、これ“く”に似てんじゃん。区別つかねぇ」
「つかないのデンジ君だけだよ」
「なんだよ、ひもくも似たような顔してんのが悪いんだろ」
「ふふ、理屈がめちゃくちゃ」
「めちゃくちゃって書けねぇから言ってんだよ」
「じゃあ、“あ”は?」
「“あ”? えーと……くるって、まわして……ぐしゃ」
「ぐしゃってなに」
「これが“あ”だ」
「ふふっ、面白いね」
「笑うなよ! オレ真剣なんだぞ!」
「うん、知ってる。……でも、真剣なのが一番おもしろいの」
レゼは笑いながら、デンジのノートに赤ペンを入れた。
髪が肩から滑り落ちて、甘い匂いがふっと漂う。
デンジの脳が止まる。
(……いい匂いすんな)
気づけば、視線が胸元に吸い寄せられていた。
「……どこ見てるの?」
「べ、別に! ノート見てんだよ!」
「ふふ、そう。じゃあ次、“でんじ君の名前”書いてみよ?」
「おう! “でんじ”だろ? “でん”はこうで、“じ”は……こうだ!」
「正解!」
「よっしゃぁ!」
「ふふ、面白いね」
「言うなよ!」
「言うよ。面白いんだもん」
「ニヤけんなよ」
「ふふふ」
机の上の扇風機がくるくる回って、風が紙を揺らした。
レゼが静かにペンを置く。
「ねぇ、デンジ君」
「ん?」
「今日ね、花火大会があるんだって」
「花火? 爆発のやつか!?」
「そう。それに食べ物も沢山売ってるみたいだよ」
「飯!? 行くー花火!!!」
「ふふ、即答だね」
「うめーもんがあるのに断る理由ねぇだろ!」
「じゃあ、夜。外出しよ」
――
夜。
施設の玄関。
「おっせぇぞ。もう行く所だったぞ」
「ふふ、女の子には準備があるの」
ドアが開いた瞬間、
デンジの頭が真っ白になった。
藍色の浴衣、白い帯。
髪をまとめて、うなじが月に照らされていた。
光が当たるたび、肌がやわらかく光る。
「……お、お前、それ……なんだその服……」
「浴衣。お祭りの服だよ。夏限定」
「ゆ、ゆかた……初めて見た……」
「変?」
「変じゃねぇ……てか……やべぇ」
「やばい?」
「うん、ヤバいくらい……かわいい」
レゼが一瞬だけ目を丸くして、すぐに笑う。
「……デンジ君、それ素で言った?」
「し、知らねぇ! 口が勝手に動いた!」
「ふふ、いい口だね」
「バカ言うなよ!」
「じゃあ行こ、“花火大会”」
「お、おう」
レゼが袖を引いた。
指先が少しだけ触れる。
心臓が、うるさい。
――
祭りの通りは、光と音であふれていた。
紙提灯が風に揺れ、屋台の匂いが鼻をくすぐる。
鉄板の上でソースがはね、鈴が鳴り、人が笑う。
「うわぁ……なんだよこの数!?」
「多いね」
焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、とうもろこし。
どれも煙を上げてて、腹が鳴る。
「デンジ君、あれ……雲食べてる」
「どれ!? うわっ! もくもくのやつ!?」
「甘い匂いする」
「綿あめってやつか!? 食う!!!」
――数分後。
「なにこれ……口の中で消えた!」
「おい、消えたぞ!? 詐欺じゃねぇか!?」
「でも甘いよ」
「うめぇ……! 口の中、天国だ」
「ふふ、デンジ君の“天国”すぐ来るね」
「うるせぇ、幸せ耐性が低いんだよ」
二人で笑う。
その笑い声が夜空に吸い込まれていった。
「これ、“リンゴあめ”だって」
「見たことねぇ真っ赤さだな。燃えそう」
「燃えないよ、食べるの」
「マジか、燃えねぇ……すげぇ」
「……半分こする?」
「え、い、いいけど」
同時にかじる。
硬い飴が歯に当たって、カチンと音が鳴る。
唇が少しだけ触れて、二人とも動けなくなった。
「……あ」
「……お、おう」
「甘いね」
――
川沿いは暗くて広かった。
提灯の光が水面に映って、揺れている。
「こうして座ってるの、なんか不思議」
「オレは腹いっぱいで楽しいぜ!」
「デンジ君らしい」
ドンッ。
空が光った。
「うおっ!? 爆発した!!」
「わぁ……綺麗」
赤、青、金。
夜が色を変えていく。
音が胸に当たって、内臓が震える。
「なぁレゼ、爆発なのに誰も死なねぇ」
「うん……こんなに綺麗な爆発。初めて見た」
「オレもだ。なんか、不思議だな」
「ふふ、変なの。」
「でも、オレら、こういうの、見てこなかったじゃん」
「……そうだね」
しばらく沈黙。
空の光だけが、二人の影をゆらす。
レゼが小さく息を吸った。
指先が、デンジの袖をそっと掴む。
「ねぇ、デンジ君」
「ん?」
「――あたし、デンジ君の事好きだよ」
デンジの目が見開く。
音が遠のく。
花火の光がゆっくり流れ落ちて、
レゼの横顔が赤く染まる。
「……マジで?」
「うん。たぶん、これが“好き”ってやつ」
少し間を置いて、レゼが微笑んだ。
その瞳が、デンジをまっすぐ見つめる。
「デンジ君は? ……あたしのこと、好き?」
「――好き!!!」
間髪入れずに叫んでいた。
花火の音より早く、
理屈より先に。
レゼが一瞬ぽかんとして、それから吹き出す。
「……即答すぎ」
「だってよ、考える暇いらねぇだろ!」
「ふふ、ほんとバカ」
「バカで上等だ!」
「うん……でも、嬉しい!」
――そして。
レゼはゆっくり身を寄せて、
デンジの頬に手を添えた。
「……デンジ君、目つぶって」
「は? な、なんで?」
「いいから」
そのまま、レゼの唇が触れた。
ほんの一瞬、やわらかく。
甘い匂いと、甘いリンゴあめの香りが混ざった。
デンジの頭が真っ白になる。
何も考えられず、
ただ“生きてる”って思った。
静かな夜風。
その沈黙を破るように――
ドン。
再び空に、
金色の花火が咲いた。
光が二人を包み、
風が髪をなでた。
「来年も、一緒に花火見に行こうね」
「おう。次はもっとでけぇやつな」
「うん、約束」
二人の指が絡んだまま、離れなかった。
光が消え、世界が静まる。
デンジは空を見上げて、笑った。
「オレ……今、超生きてる」
胸の奥で、心臓がドクンと鳴った。
――静寂。
風の音だけが残る。
と、その時。
地面が、ぼこっ……と揺れた。
「……ん?」
レゼが目を丸くする間もなく、
地面の土が盛り上がり――
ドガァッ!!!
「チェンソー様ァァァァァ!!! おめでとぉぉございますッスゥゥゥゥ!!!」
夜空を突き破る勢いで、
**ビーム**が地面から飛び出した。
「うおお!? おまっ!! 出てくんなよ!!!」
「祝福!!祝福! 恋の爆発!!!」
「どこで見てたんだよお前ぇ!!」
「影からッス!! 尊かったッス!!」
「怖ぇわ!!」
「ふふ、ビームくん、ありがとう」
「レゼ様ァァ!!チェンソー様!! 幸せ!! 幸せ!!!」
「うるせぇ!! 地面戻れぇ!!!」
「はいッス!!!」
ドボォン!!
また地面が閉じる。
何事もなかったように、夜風だけが残った。
レゼがくすっと笑う。
「……ほんと、賑やかだね」
「マジで心臓止まるかと思った」
「止まらないよ、ちゃんと動いてる」
デンジは胸に手を当てて笑った。
「……あぁ、確かにな」
夜空の奥で、最後の小さな花火が光った。
それは、まるで**二人への祝福**みたいに――
静かに、優しく、夜を照らしていた。