次の日の昼前。昨夜の嵐が嘘だったかのように、私の部屋には静かな時間が流れていた。窓から差し込む光がティーカップの表面できらきらと反射している。
コン、コン。
控えめなノックの音が、その静寂を破った。少しの間を置き私が「どうぞ」と応えると、ゆっくりとドアが開かれた。
「お邪魔します、キョウヤ」
入ってきたのは同じMZ団のメンバーであるデウロだった。彼女はいつも通りどこか踊るような軽やかな足取りで部屋へと入ってくる。
私はソファに腰掛けたまま優雅に空の紅茶のカップを口に運び、彼女に視線だけを向けた。
「ああ、デウロか。どうしたんだ」
「ちょっと聞きたいんだけど、タウニーを知らない?」
デウロは部屋の中を見回しながら私に尋ねた。私はカップをソーサーに戻しながら、何でもないことのように首を振る。
「いや、知らないな。何か用があったのか?」
「そう。朝から姿が見えなくて、探してるんだけど……」
デウロは、少し困ったように頬を掻いた。
「まあ、いいや。キョウヤがもし会ったら言っておいてくれる?」
「ああ、構わないが」
「タウニー宛に荷物が来たから、受付に置いておいた、って。大したものではないんだけど、一応ね」
「分かった。会ったら伝えておこう」
「助かる」
デウロはそう言うと満足したように頷き踵を返そうとした。だがその視線が部屋の隅にある私のベッドの上でぴたりと止まった。
ベッドの布団が中央だけ不自然なほどこんもりと盛り上がっている。まるで大きな何かがその下に隠れているかのように。
「……ねえ、キョウヤ」
デウロがその盛り上がりを不思議そうに指差した。
「あれ、どうしたの? ベッドメイクが崩れてるだけにしては、妙な形だけど」
布団の盛り上がりが彼女の視線に気づいたかのように、わずかにピクリと動いた。
私は表情一つ変えずにカップを再び手に取った。
「ああ、それか」
「……」
「私のポケモンたちがかくれんぼをしているんだ。今、鬼役のポケモンが探し回っているところだから、悪いが開けないで上げてほしい」
「……へえ?」
デウロはその不自然な盛り上がりと平然と紅茶を飲む私を、面白そうに見比べた。
「……なるほどね。かくれんぼ、か。それはお邪魔しちゃ悪いわね」
彼女はそれ以上は追求せず、納得したように笑った。
「それじゃ、言伝、よろしくね!」
デウロはそう言い残すと、今度こそ軽やかなステップで部屋を出ていった。バタン、とドアが閉まり、部屋には再び静寂が戻ってくる。
私は紅茶を静かに飲み干すふりをした。ベッドの上の盛り上がりが、まだ恐る恐るといった様子で、ゆっくりと動いているのが、視界の端に映っていた。
デウロが出て行ったドアが、パタンと軽い音を立てて閉まる。部屋には再び私と、そしてもう一つの気配だけの静寂が戻ってきた。デウロが訝しげに見つめていたベッドの盛り上がりがごそごそと遠慮がちに動き出す。
「……行った?」
布団の隙間からくぐもった声が聞こえる。私が「ああ」と短く応えると、盛り上がっていた布団が内側から勢いよく跳ね除けられた。
「はぁ……っ! びっくりした……!」
そこから現れたのは、案の定タウニーだった。ホテルのシーツに包まっていたせいで髪は少し乱れ顔は耳まで真っ赤に染まっている。彼女は布団から這い出すと慌てて自分のトレードマークであるトップスとホットパンツの乱れを直した。
デウロがこの部屋を訪れる直前まで、私とタウニーは二人で楽しんでいたのだ。もちろん、それは昨夜の「教育」の続きというわけではない。朝から散々昨夜のやり方について文句を言われ叩かれ、ようやく宥めすかしてベッドの上で優しく彼女を撫でていたところだった。そこへ突然のノック。タウニーは弾かれたようにベッドから飛び起きようとしたが私が「隠れろ」と一言命じると、彼女は昨日までの教育の成果か、あるいはただパニックになっただけか、慌てて布団の中へと潜り込んだ。まさにかくれんぼをしているポケモンのように。
タウニーはまだ心臓がバクバクしているのか、自分の胸を押さえながら、不安そうな潤んだ瞳で私を見上げた。
「……大丈夫? 今の、バレてない?」
デウロに聞かれたかもしれない。「かくれんぼ」という言い訳は通じたか。リーダーである自分が、Aランクトレーナーの私室のベッドに昼間から潜り込んでいるなど、知られたらどうなるか。様々な不安が彼女の頭を駆け巡っているのだろう。
私はそんな彼女の不安を打ち消すように、ソファから立ち上がり、彼女のそばへと歩み寄った。そしてその赤い頬にそっと手を添える。
「大丈夫だよ。何もバレていない」
私の落ち着いた声と、手のひらから伝わる体温に、タウニーの強張っていた肩から、ふっと力が抜けたのが分かった。
「……そっか。よかった……」
ほっと息をついた彼女のその無防備な唇。私は吸い寄せられるように、自分の唇を重ねた。昨夜のような支配的なものではなく、ただ触れるだけの優しく穏やかなキス。
「……ん」
タウニーは驚いたように一瞬だけ目を見開いたが、やがてゆっくりとその目を閉じた。私の背中に回された彼女の手が、私のシャツの裾をぎゅっと掴む。
唇が離れると吐息がかかるほどの距離で、彼女が私を見上げた。その瞳はまだ潤んでいて、熱っぽい。
「……キョウヤ」
「なんだ」
「……もっと、優しくして」
その懇願するような甘えた声。私はその言葉に胸の奥が小さく痛むのを自覚した。
(……やはり、昨日はやりすぎた)
私は内心深く反省していた。昨夜の教育。椅子に縛り付け鏡と、そして何より彼女が最も大切にしている母親の形見の前で、あの屈辱的な告白をさせたこと。あれは私の完全な暴走だった。
ここ最近タウニーへの「教育」も、マチエールへの「調教」も、驚くほどうまくいっていた。父の本(ポケモン調教術)の理論が人間相手にも完璧に通用することに、私は正直、浮かれていたのだ。自分の思い通りに相手が屈服し快感に溺れていく。特に目的もなく、その万能感に私は調子に乗っていた。
そしてその暴走に拍車をかけたのが、先日私の姉が命令し、私に無理やり買って送らせた、数冊の本だった。 『服従宣言は、寝室(ベッド)の上で』 『独占欲(こい)に囚われて、喘ぐ夜』 ……そのタイトルからも分かる通り、それは父の健全な調教術とは似ても似つかぬ、筋金入りのR18の本だった。姉は「やっぱりミアレシティのような都会だと進んでるわね」などと嘯いていたが、悪趣味にもほどがある。
私はその悪趣味な本の内容を、タウニーの「泥棒」という格好の口実を得たことで、実践してしまったのだ。結果が昨夜のあれだ。鏡も母親の形見も、すべてあの本に載っていた「対象のプライドを完全に破壊し、絶対的な服従関係を築くための倒錯的演出」という項目を参考にしたものだった。 行き過ぎだった。タウニーはポケモンではない。ましてや本のタイトルや姉のようなケダモノでもない。
(……姉さんの本は、もうマイルドな手法だけ参考にしよう)
私は心に固く誓った。あの本には「じっくり相手をコントロールする」といった、使えそうな項目もいくつかあった。今後はそちらだけを参考にすべきだ。
そんな私の反省など知る由もないタウニーは、今朝、目を覚ますなり私に飛びかかってきた。
「よくもあんなことしてくれたわね!」
「お母さんのジャケットまで使うなんて、サイテーよ!」
泣きながら真っ赤な顔で。私の胸をその小さな拳で何度も何度も叩いてきた。私はその非難と暴力をただ黙って受け入れた。すべて私が招いたことだ。 昨夜の支配的な姿はそこにはなく、ただひたすらに謝罪し、彼女を宥め優しく抱きしめ続け……そして今に至る。
「……もっと優しくね」
私は彼女の言葉を反芻する。その瞳は昨夜の恐怖や屈辱ではなく、ただ純粋な甘えの色を浮かべていた。
「ああ。分かった」
私は彼女をベッドの端に優しく座らせると、その前に膝をついた。そして彼女のトレードマークであるへそ出しのトップス、その隙間から覗く柔らかいお腹にそっと手のひらを当てる。
「ひゃっ……」
タウニーの体が小さく跳ねた。私の手のひらの体温が彼女の肌にじわりと伝わっていく。
「タウニー」
私は彼女のお腹をまるで壊れ物を労わるかのように、ゆっくりと優しく撫で始めた。昨日の教育の時のように意地悪く力を込めたりはしない。ただひたすらに優しく。
「……ん……っ」
タウニーはうっとりと目を細め私の手に自分の体重を預けるかのように、わずかに身を屈めた。
私はそのお腹を優しく撫で続けながら、愛の言葉を囁く。
「……ごめんな、タウニー。昨日は、怖かっただろう」
「……うん」
「もう、あんな酷いことはしない。約束する」
「……ほんと?」
「ああ。本当だ」
私は撫でる手を止めず彼女の潤んだ瞳を見つめた。
「タウニーは、綺麗だ」
「……え」
「肌も、髪も。……怒った顔も、泣いた顔も、全部可愛い」
「……な、なに、急に……」
タウニーの顔が、再び赤く染まっていく。
優しく、優しく。彼女の心の奥底に染み渡るように言葉を紡いでいく。 タウニーは、私のその言葉と優しい手つきに、すっかり骨抜きにされたようだった。彼女はもう私の胸に完全に寄りかかり、喉の奥で「ふぅ……」と、満足げな猫のような甘い息を漏らしている。
その表情に私は心の底から安堵した。 だがタウニーは私に身を預けながらも、ふと顔を上げ、釘を刺すように言った。
「……でも、昨日みたいなのは、もう、本当にダメだからね!」
「ああ」
「あたし、お母さんのジャケットのこと、本気で怒ってるんだから!」
「分かってる。本当に、すまなかった」
私が真摯に謝罪すると、タウニーは「……ふん」と鼻を鳴らした。まだ怒ってはいるが、私の謝罪は受け入れたという合図だ。
私はそんな彼女の強がりが愛おしくて、小さく笑みを漏らした。そして彼女の頭を優しく撫でる。
「タウニー」
「……なに」
「いつも、リーダーとしてありがとう」
「……!」
タウニーの肩が驚いたように小さく跳ねた。
「街の復興も団の運営も、タウニーが中心になって走り回ってくれてるから、みんなが安心して過ごせてる」
「そ、そんなの……別に、普通だし」
「普通じゃない。誰にでもできることじゃないんだ。……本当に、すごいよ、タウニーは」
私は彼女のお腹を撫でていた手を、今度は彼女の背中に回し優しく強く抱きしめた。 「だから、もっと俺を頼ってほしい」
「え……」
「一人で抱え込むな。金のことでも、街のことでも、何でもいい。……昨日みたいに、俺に怒りたい時も、ちゃんとそう言ってくれ」
私の腕の中で、タウニーは何も言えずに、ただ固まっていた。 そして数秒後。
「……うん」
私の背中に彼女の腕が、おずおずと回された。
「……わかった」
私はその小さな体温を感じながら彼女が安心しきってくれるまで、ただ優しく愛の言葉を囁き続ける。昨日の過ちを償うように、そしてこの「じゃじゃ馬」が、もう二度と私から逃げ出そうと思わないように、その心の奥深くまで、この優しさで満たしていくのだった。
人によってラインの違いはあるけど、やっぱり行き過ぎるとアウトだよね