男主人公=チリの後輩です。そのため一人称を俺にしています。
Youtubeでチリちゃんの面接動画が流れてきて、チンと来てチリちゃんを雌堕ちさせよと囁かれた気がします。なので罪はYoutube君が被ってくれると思います。
パルデア地方の喧騒から少し離れた、路地裏にある隠れ家的な居酒屋。暖色の照明がグラスについた水滴を照らしている。
ジョッキの中身が半分以下になったハイボールを揺らしながら、チリはテーブルに頬杖をついた。アルコールが回った身体はふわふわと熱く、普段の鋭い思考も少しだけ輪郭を溶かしている。
「ほんま、やってられへんわ……。オモダカさんも人使い荒すぎんねん。あっち行って視察、こっち行って面接……チリちゃんの身体が何個あっても足りひんっちゅーの」
目の前に座る後輩に向かって、愚痴が口をついて出る。普段ならリーグの面目やら四天王の威厳やらが邪魔をして、ここまで明け透けには言わへん。けど今日はあかん。酒の席やし、相手は後輩やし。
「聞いてるんか? 自分。……ハッサクさんもハッサクさんやで。すぐ泣くし感動屋なんはええけど、その後のフォローすんの誰や思てんねん。ポピーちゃんかて、まだ子供やしな。結局しわ寄せ全部こっちに来よる」
また一口グラスを煽る。喉を焼く炭酸とアルコールの刺激が心地いい。目の前の自分は困ったような、でもどこか優しい顔をして頷いているだけや。その顔を見ると腹の奥がむず痒くなる。
(……なんやねん、その顔。そんなふうに大人しく聞かれると調子狂うわ)
チリちゃんはグラスをテーブルにコト、と置いた。ネクタイを少し緩める。首筋が熱い。
「……あーあ。チリちゃんも、もっと気楽な仕事選べばよかったわ。なぁ、自分もそう思うやろ? 毎日毎日、挑戦者睨みつけて、不合格突きつけて……嫌な役回りやで、ほんまに」
酔いに任せて弱音を吐く。少しだけ、甘えたい気持ちがあったんかもしれへん。自分がどんな反応するか、試したい気持ちも。どうせまた「大変ですね」とか「お疲れ様です」とか、当たり障りのない返事が返ってくるんやろうと思ってた。真面目で少し堅物な後輩やから。
けれど。
『俺は知ってますよ。チリさんがいつも、誰よりも頑張ってること』
不意に投げかけられた言葉に、思考が一瞬、空白になった。ガヤガヤとした店内の喧騒が遠のいていく。
「……は?」
間の抜けた声が出た。視線を上げると、自分が真っ直ぐにこっちを見ていた。その瞳に嘘がないことくらい、面接官をやってるチリちゃんには嫌というほど分かってしまう。お世辞でも気休めでもない。本心からの労い。誰よりも近くで見ていたからこそ言える、絶対的な肯定。
(──不意打ち、すぎんねん……あほ)
カァッ、と顔の温度が跳ね上がるのが分かった。酔いのせいじゃない。絶対に違う。心臓が肋骨を叩く音が、耳の奥でうるさいくらいに響く。いつもはあしらわれているくせに。こういう時だけ核心を突いてくる。ズルイにも程があるやろ。
「……っ、な、なに言うてんねん」
動揺を隠そうとして、わざとぶっきらぼうな声を出した。でも口元が緩みそうになるのを止めるのに必死で、声が少し上擦る。
「当たり前やろ。チリちゃんやぞ? パルデア四天王の一角や。誰よりも働いて誰よりも強くて、誰よりもカッコええんが仕事やねん」
グラスを掴む手に力が入る。自分の方を見られなくて、わざとらしく視線を逸らした。
「……せやけど、ま、……自分がそう言うんやったら、あながち間違いでもないんかもな」
ボソリと付け加えて、残っていたハイボールを一気に流し込む。氷がカランと涼やかな音を立てた。喉を通る冷たさでも、この頬の熱さは冷ませそうにない。
(ほんま、調子狂うわ……。こんなん言われたら、また頑張らなあかんようになるやんか)
チラリと盗み見ると、自分はまだ穏やかな顔でこっちを見ている。その視線がくすぐったくて嬉しくて、でも素直になれなくて。
「……あー! もう! 酒や酒! すいませーん、濃いめのハイボールもう一杯!」
大声で店員を呼んで、誤魔化すように笑ってみせる。テーブルの下、ブーツのつま先で自分の足をコツンと小突いた。
「自分も飲むやろ? 今日はチリちゃんが奢ったるから、朝まで付き合い。……ええな?」
断らせへんで、という含みを持たせた視線を送る。先輩としての顔を取り繕っているつもりやけど、今のチリちゃんがどんな顔をしているか、自分にどう映っているか、考えるだけで酔いがさらに回りそうやった。
頼れる先輩のフリをするのも、楽じゃないわ。ほんまに。
席を挟んで話すのも、なんやじれったい。アルコールのせいや、きっとそうや。思考のタガが外れかけたチリちゃんは、ふらりと立ち上がると、自分の隣の席へと移動した。ドスン、と椅子に重みを預け肩が触れ合うくらいの距離に詰め寄る。自分から漂う制汗剤の匂いと、居酒屋の出汁の匂いが混ざり合って、頭がクラクラした。
「なあ、これ見いや。こないだ撮れた奇跡の一枚」
ポケットからスマホを取り出し、画面を自分の目の前に突き出す。映っているのは、泥沼から顔だけを出して虚空を見つめるドオーのドアップや。
「この間の抜けた顔、たまらんやろ? エクレアみたいで……あっ」
画面を見せようとしたその時、後輩がチリちゃんのスマホを持つ手に、自身の手を重ねてきた。ゴツッとした男の手のひらが、チリちゃんの指ごとスマホを包み込む。体温が皮膚を通して直接流れ込んでくる。
(……っ、ちか、近ない!? つーか、手ェ触っとるし!)
心臓が早鐘を打ち出した。動揺を悟られまいと、チリちゃんは必死に口を動かす。
「み、見ろやこれ。このつぶらな瞳。何考えてんのか全く分からへんところが、癒やしやねん。リーグの激務も、この顔見たら吹っ飛ぶっちゅーもんや」
早口でまくし立てるチリちゃんを横目に、自分はスマホ──というよりは、チリちゃんの横顔をじっと見つめている気配がした。
『可愛いですね』
「……せ、せやろ!? 分かってるやん自分! ドオーの可愛さが分かる奴に、悪い奴はおらへんからな!」
自分が何に対して「可愛い」と言ったのか、深く考えるのは止めた。自意識過剰になったら負けや。これはドオーの話や。そう言い聞かせて、さらにドオーの魅力を語ろうとした時やった。
重ねられた自分の指先が、チリちゃんの手の甲をゆっくりと撫でた。
「っ……!」
言葉が詰まる。親指の腹が骨の隆起をなぞり、指の股をくすぐるように這う。ただ手を支えているだけやない。これは明らかにそういう意味を持った愛撫や。ゾワゾワとした甘い痺れが、指先から腕を伝って、背筋へと駆け上がる。
(あかん、あかんて……! こんなとこで、何してんねん自分!)
口ではドオーの毒の成分について説明してるつもりやけど、もう何言うてるか分からへん。頭の中は自分の指の動きだけで埋め尽くされていく。熱い。手が、体が、触れられている部分が火傷しそうや。
「ちょ、待ち……自分、ここ店やで? 居酒屋や」
耐えきれずに小声で嗜める。嬉しくないわけがない。好きな男に触れられて拒めるはずがない。せやけどチリちゃんは四天王や。面が割れてる。
『うん、チリさんは有名人だから、皆に見られてますね』
自分は悪びれもせず、事も無げに言うてのけた。その言葉とは裏腹に指先はさらに大胆に、今度はチリちゃんの手のひら側へと侵入してくる。敏感な手の中央を指先でカリリと掻かれて、吐息が漏れそうになった。
『チリさんがいつも通りにしてれば、バレないよ』
「……っ、無茶苦茶言うなや……!」
耳元で囁かれた言葉に、耳まで赤くなるのが分かる。周りの客は楽しそうに飲んでいるチリちゃんと、その後輩にしか見えてへんやろう。テーブルの下や身体の陰でこんなことされてるなんて、誰も思わへん。
(いつも通り……って、できるかボケェ……)
皆に見られてるかもしれへんという背徳感と、自分に翻弄される心地よさ。チリちゃんは平静を装うために、震える手でジョッキを掴もうとしたけど、それすらも自分の指に阻まれてただ絡め取られるだけやった。
「……覚えときや、後で絶対しばくからな……」
涙目で見上げても自分が涼しい顔をしているのが、なんとも憎らしくて、愛おしかった。
『もっとドオーのこと、教えてくださいよ』
そんなふうにねだられて断れるわけがない。チリちゃんは深呼吸をひとつして、乱れかけた呼吸を整える。これはポケモンの話や。専門分野や。これなら平常心で喋れるはずや──そう自分に言い聞かせて口を開く。
「……せ、せやな。ドオーはな、見た目によらずめっちゃ頑丈やねん。特に特殊技には滅法強くてな、生半可な攻撃じゃ倒れへん。それに、あの子はほんまに素直でええ子なんよ。トレーナーの指示を信じて、どんな攻撃もじっと耐える健気さがあってな……」
務めて冷静に四天王としての知識を披露する。周りから見れば、熱心に後輩に指導する先輩の図、そのものやろう。せやけどテーブルの下では──事態は悪化の一途を辿っとった。
自分が重ねていた手とは反対の手がするりとチリちゃんの二の腕に伸びてきたんや。死角になってるのをいいことに、Yシャツの上からゆっくりと確かめるように撫で回される。
「っ……ん、ぅ……」
布越しに伝わる熱が、さっきよりも生々しい。指先が二の腕の柔らかいところを這い、時折、親指がグイと筋肉の筋を押す。まるで手持ちのポケモンのコンディションを確かめるみたいな手つき。喋り続けなアカン、黙ったら変に思われる──その強迫観念だけで、チリちゃんは口を動かし続ける。
「そ、それでな……“ちょすい”の特性もあるから、水技かて無効化できるし……ど、毒仕込んでじわじわ攻めるんも得意で……あッ……!」
二の腕の内側、敏感な場所を強めに擦られ言葉が跳ねた。ビクッと肩が揺れるのを、酔いのせいに見せかけて誤魔化す。睨みつけようとして横を見ると自分は楽しそうに目を細めていた。
『ドオーは素直で、防御も固いんですね』
耳元で甘い毒みたいな言葉が注がれる。
『口だけで抵抗する飼い主さんとは、大違いだ』
「なっ……!」
カッとなって反論しようとした瞬間、二の腕を掴む手に力が込められ甘い痺れが全身を駆け巡る。意地悪な指使いに、足の指がギュッと丸まる。防御が固い? 口だけ?そんなことあらへん。チリちゃんはいつだって鉄壁や。せやのになんでこんなに、身体の芯が熱くて、力が入らへんのや。
『いつもチリさんから、俺にアプローチしてきてたくせに』
トドメとばかりに囁かれた言葉に、思考が真っ白になった。バレてた。受け流されてると思ってたあのアプローチも、全部。自分が分かってて泳がせてたんやとしたら──チリちゃんはずっとこの男の手のひらの上で踊らされてたってことか?
「……じ、ぶん……性格、悪すぎやろ……」
悔し紛れに吐き捨てた言葉も、震えてしまって迫力のかけらもない。嫌がっているはずなのに腕を撫でるその手を振り払えない自分が、何よりも一番言うことを聞かない素直な生き物になり下がっている気がした。
『ほら、またそうやって口だけ抵抗する』
耳にこびりつくような低い声と共に、スマホを握るチリちゃんの手がいやらしく弄られた。指と指の間に自分の指を割り込ませて絡め取るようにして締め付けられる。ただ手を繋ぐんやない。指の腹で敏感な皮膚を這うように愛撫され、手のひらをくすぐられると、背筋にゾクゾクしたものが走って声が出なくなった。
「……ッ、ぁ……」
言葉が途切れる。ドオーの話をせなアカンのに頭の中が真っ白になって、呼吸が止まる。
『──おっと、ダメですよチリさん。黙り込んだら怪しまれます。ほら、あっちの人、チリさんのこと見てますよ』
「ッ!?」
囁き声にハッとして視線を泳がせる。ホンマか? 誰か見てるんか?四天王としての矜持が、泥酔寸前の頭の中で警鐘を鳴らす。あかん、ちゃんとせな。いつも通り格好いいチリちゃんでおらな……!
「あ、あとな……! ドオーは、その……と、トゲが出るねん! 背中から、こう……ニョキッとな! 普段はあんな、きなこ餅みたいな顔しとるくせに、やる時はやる子で……!」
必死で言葉を継ぐけど舌が回らへん。自分でも何を言うてるか怪しいくらいのしどろもどろ具合や。そんなチリちゃんの様子を見て、自分は喉の奥で「くすっ」と意地悪く笑った気がした。
『へえ、やる時はやる子なんですね。……チリさんみたいだ』
楽しげな声とは裏腹に二の腕を這う手つきが、さっきよりも湿度を増した。ねっとりと服の布地に指を沈み込ませるようにして、ゆっくりと腕をさすり上げてくる。まるで獲物を味わうような、粘着質な愛撫。
「そ、そう……なんや……意外と、攻撃力も、あって……あぅ……ッ」
腕から伝わる熱が全身を溶かしていくみたいや。抗う気力なんて、とっくにへし折られてる。されるがまま触られるがまま。チリちゃんはもう、自分が何の話をしてるのかも分からなくなって、ただ熱っぽい息を吐くことしかできんかった。
「失礼しまーす。ラストオーダーのお時間ですが──」
店員の声が救世主のように響いた。ビクリと肩を震わせて固まるチリちゃんの横で、自分は涼しい顔をして財布を取り出す。
『ああ、もう大丈夫です。ここでお会計お願いします。……連れがもう、限界みたいなんで』
「かしこまりました」
店員が去っていくのを見送りながら、チリちゃんは深く息を吐き出した。限界、て。誰のせいや思てんねん。
ふと、壁に掛かった鏡が目に入った。そこには今にも茹で上がりそうなくらい顔を真っ赤にして、瞳を潤ませた女が映っとった。
(……うわ、なんやこの顔……)
こんな顔して喋っとったんか、チリちゃんは。酷いもんや。これじゃまるで情事に溺れた後の女の顔やないか。
(いや、違う……これは酒や。酒のせいで赤なってるだけや……!)
周りの客も店員も、きっとそう思ってくれてるはずや。そう自分に言い聞かせな、今すぐこの場から逃げ出したくなるくらい、鏡の中の自分は隙だらけで、どうしようもなく「メス」の顔をしていた。
店の外に出ると夜風が火照った頬を撫でた。少しは頭が冷えるかと思うたけど、全然あかん。むしろ、静かな夜の空気のせいで、さっきまでの鼓動の音が余計に大きく聞こえる気がする。
隣を歩く後輩は何事もなかったような涼しい顔をしとる。それがまた無性に悔しい。散々チリちゃんのことを弄り倒しておいて、最後はスマートに会計まで済ませよってからに。
(……あかん、このまま帰してたまるか。一言言うてやらな気が済まんわ)
チリちゃんは足を止めバッグから財布を取り出した。先輩として、いや、あんな恥ずかしい姿を見せた詫びとしても、金くらいは払わせてもらわな割に合わん。
「おい自分、待ち。さっきの会計やけどな……」
財布を開きかけながら、チリちゃんは彼の方を向く。
「割り勘に決まっとるやろ。つーかチリちゃんの方が先輩なんやから、多めに出すのが筋ってもんや。ほら、いくらやったん? レシート出し──」
言いかけた言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
財布からお札を抜こうとしたその手をガシッと掴まれたからや。
「ッ……!」
またや。さっき店の中で散々チリちゃんを翻弄したあの手が、今は真っ直ぐに、力強く手首を握っている。いやらしい撫で方やない。逃がさへんぞという男の力強さ。その温度に心臓がドクリと跳ねた。
『今日は俺が払いますよ』
街灯の下、後輩は穏やかに、でも有無を言わせない強さで微笑んでいた。その余裕たっぷりの表情が、今のチリちゃんには眩しすぎて、直視できひん。
「な、何言うてんねん……後輩に奢らせるわけには……」
抗議しようとしても握られた手から伝わる熱が思考を鈍らせる。この手でさっきまであんなことをされていた。そう思い出した瞬間、身体の奥がまた疼くような錯覚を覚えた。
『また誘ってくださいね』
トドメとばかりに放たれた言葉。それは「また飲みにいきましょう」という社交辞令なんかやない。「また、今日みたいなことをしましょう」という、共犯の誘いに聞こえた。チリちゃんからの好意も、今日のアプローチも、全部受け止めた上での──余裕の勝利宣言や。
(……あーあ。ほんま、勝てんわ……)
完敗や。チリちゃんは小さくため息をついて、肩の力を抜いた。これ以上意地を張っても、可愛くないだけやろうし。
「……分かった。分かったから」
掴まれた手を見つめたまま、ぶっきらぼうに呟く。
「次はチリちゃんが払うからな。……覚悟しとき」
精一杯の強がりを含んだ返事に、自分は満足そうに目を細めた。そしてゆっくりと手を離す。名残惜しさを感じる間もなく後輩は一歩後ろに下がった。
『はい。楽しみにしてます』
軽く手を挙げて、自分は背を向ける。
『おやすみなさい、チリさん』
「……おう、おやすみ」
夜の闇に消えていく背中を見送りながら、チリちゃんはその場に立ち尽くした。握られた手首には、まだ熱が残っている。左手でその場所をそっと抑えながら、チリちゃんは誰もいない夜道で、深く深く顔を覆った。
「……あんなん、ズルいやろ……」
次誘ったら今日以上のことが待ってるんやろうか。そう考えると恐怖よりも期待が上回ってしまう。ドオーの毒よりも甘くて危険な余韻に、チリちゃんはしばらく動けそうになかった。