桜の姫がターフを駆けた軌跡   作:夜刀神 闇

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現実世界のアレコレはできる限り調べましたが、再現し切るのはだいぶ難しいなー!と思いましたわぁ。
感想や評価などいつもありがとうございます!!!
そしてエバヤン、サウジカップ連覇おめでとう!!!!!


第28話 託す

 

 

 

 

「……痛ぇ」

 

武司は、ベッドの上で天井を見つめていた。

包帯で巻かれた胸が、呼吸するたびにジキジキと痛む。

肋骨3本の骨折。全治1ヶ月。

 

でも……その痛みより。

 

「(ヒメ……)」

 

ずっと、それだけを考えていた。

ドバイにいる、あの白毛の牝馬を。メイダン競馬場で、自分を待っている、あの。

 

なのに……

 

「(俺は……行けない)」

 

天井が、滲んだ。

 

「バカ野郎……俺の……バカ野郎……」

 

ドアが、静かに開いた。

 

「……起きてたか」

 

低い、落ち着いた声。

横川典広だった。

白髪交じりの髪。

深い皺が刻まれた顔。

細い目が、息子を見ていた。

 

「……父さん」

 

武司が、声を絞り出した。

 

「遅いぞ、こんな時間に」

 

典広が、ベッドの横の椅子に座った。

 

「どうせ眠れてないだろうと思ってな」

 

「……」

 

武司は、何も言えなかった。

 

「ヒメのこと、考えてたか」

 

典広が、静かに言った。

 

「……ずっと」

 

武司が、震える声で答えた。

 

「……父さん、俺……」

 

言葉が、続かなかった。

 

「……ヒメは、ドバイにいるんだ」

 

典広は、何も言わずに聞いていた。

 

「あいつは……」

 

武司の声が、掠れた。

 

「……白毛の牝馬でね」

「……ああ」

「見た目は……大人しそうで。でも……本当は、めちゃくちゃ気が強い子で」

 

武司が、天井を見上げたまま話し始めた。

 

「……ジャパンカップの時、俺の指示を無視して大逃げしたんです」

「ほう」

「止めようとしたんだけど……全然止まらなくて。もう、諦めて乗っかるしかなかった」

 

典広が、微かに笑ったような気がした。

 

「でも……あいつなりに、考えてたんだと思う」

「……」

「コントレイルに並ばれたくないって……本能に従った。だから、大逃げを選んだ」

 

武司の目から、涙が一筋流れた。

 

「……それでも、負けたんだけどね」

「……」

「レース後、めちゃくちゃ泣いてたんですよ、ヒメ。号泣してた」

「そうなのか」

「泣くんです。あいつは」

 

典広は、黙って聞いていた。

 

「……パドックでね」

 

武司が、続けた。

 

「緊張してガタガタ震えてたんです。汗が吹き出して……コントレイルが来てからずっとおかしくて」

「……」

「でも、俺がしっかりしろって言ったら……落ち着いてくれた」

 

武司の声が、震えた。

 

「俺のこと……信頼してくれてるんです。あの子」

「……そうか」

「気が強くて……わがままなところもあって……でも……純粋で、一生懸命で」

 

武司が、顔を覆った。

 

「……俺、乗りたかった」

 

嗚咽が漏れた。

 

「ドバイで……ヒメと一緒に……走りたかった」

「……」

「世界で……一緒に勝ちたかった」

 

武司の肩が、震えていた。

成人した息子が、子供のように泣いていた。

典広は、黙ってそれを見ていた。

しばらくして……

 

「……ヒメは」

 

武司が、涙を拭いながら言った。

 

「ヒメは、従順なんですけど……ちゃんと騎手を選ぶんです」

「選ぶ?」

「なんというか……信頼してないと、言うこと聞かないというか」

「……」

「だから……知らない騎手だと、難しいかもしれない」

 

武司が、悔しそうに言った。

 

「でも……知らない騎手でも、ヒメは走ろうとするとは思う。あいつは、根っから競走馬だから」

「……」

「それでも……」

 

武司が、父を見た。

その目は、赤く腫れていた。

 

「……ヒメに、ちゃんと勝たせてあげたくて」

 

 

 

 

……しばらくの沈黙の後。

典広は、息子の目を見つめた。

 

「……分かった」

 

静かに、立ち上がった。

 

「父さん?」

「携帯、貸せ。水野さんの番号、入ってるか?俺、知らねぇから」

 

武司が、目を見開いた。

 

「え……?」

「……」

「……父さん、何を!?」

 

典広が、振り返った。

 

「お前が、そこまで言う馬だ」

 

その目が、静かに光っていた。

 

「……見てみたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻 ドバイ 関係者控室

 

 

水野調教師の携帯が鳴った。

 

「……誰だ、こんな時間に」

 

怪しみつつ電話に出る。

 

「……はい、水野です」

『夜遅くに失礼します。横川典広です』

 

低い、落ち着いた声。

 

「横川さん……!」

 

水野調教師の声が、裏返った。

 

『武司から、話を聞きました』

「……はい」

『俺でよければ……乗らせてもらえませんか』

「……!」

 

水野調教師は、言葉を失った。

一瞬の沈黙の後……

 

「……本当に、よろしいんですか」

『ええ。武司が……ずいぶんと惚れ込んでる馬みたいだから』

「……」

 

水野調教師の目が、潤んだ。

 

「……お願いします」

 

声が、震えていた。

 

「サクラノヒメを……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日 水野調教師、桜井オーナー、田中さんの三人が集まった控室

 

 

「武司君の親父さんが……」

 

田中さんが、信じられないという顔をした。

 

「あの、横川典広さんが乗ってくれるんですか?」

「ああ」

 

水野調教師が頷いた。

 

「親父さんが直接乗るんだと言ったそうだ」

「……」

 

田中さんの目が、潤んだ。

 

「武司君……」

 

桜井オーナーが、静かに言った。

 

「……息子の代わりに。父親が」

「はい」

「……素晴らしいですね」

 

その声には、深い感謝が滲んでいた。

 

「明日、現地入りするそうです」

「わかりました」

 

水野調教師が、深く息を吐いた。

 

「あとは……ヒメが、受け入れてくれるかどうかだ」

「……」

 

田中さんが、不安そうに言った。

 

「ヒメは、武司君以外の騎手で試したことないですからね」

「ああ」

「武司君以外の人が乗って……大丈夫でしょうか」

 

水野調教師は、しばらく黙っていた。

 

「……やってみるしかない」

 

その声は、静かだったが。

確かな覚悟があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日 メイダン競馬場 厩舎エリア

 

 

 

私は、田中さんに体を手入れしてもらっていた。

 

「よし、今日も綺麗だな、ヒメ」

「ブルルッ」

 

田中さんの手が、心地よい。

 

「(たけし、いつ来るんだろう)」

 

そう思っていた時。

 

「ヒメ」

 

水野さんの声がした。

 

「今日、新しい騎手さんが来る」

「(……?)」

 

私は、首を傾げた。

 

「(新しい騎手?)」

「……武司君が、来られなくなったんだ」

「ブルルッ!?(え!?)」

 

私は、驚いた。

 

「落馬で怪我をしてしまってな……でも、大丈夫だ。代わりの騎手さんを連れてくる」

「(たけしが……来ない……?)」

 

胸が、ズキンと痛んだ。

たけしが、なんで、どうして、なんで。

どうして、こんなタイミングで…………

 

「(なんで……)」

 

でも……水野さんが大丈夫だと言っている。

信じるしかない。

 

「(……わかった)」

 

しばらくして。

厩舎の入口に、人影が現れた。

田中さんと水野さんが、出迎えに行く。

 

「横川さん、遠いところ……」

「いや。それより、馬を見せてください」

 

低い、静かな声。

その人が、厩舎の中へ入ってきた。

 

「(……)」

 

私は、その人を見た。

白髪交じりの短い髪。深い皺が刻まれた顔。細い目が、まっすぐ私を見ている。

 

「(……誰だ)」

 

警戒心が、じわりと湧いてきた。

たけしじゃない。知らない人だ。

 

「(……でも)」

 

なぜか、どこかで見たような気がした。

そして、初めて嗅ぐ匂いなのに、どうしてか、何故だか。

どこかで憶えたことのあるような、匂いがした。

 

「(……誰だっけ)」

 

耳が、後ろに伏せられた。

尻尾が、落ち着かなく動く。

 

「(見たことある……んだよな……どこで……)」

 

その人が、ゆっくりと近づいてきた。焦らず。急がず。ただ、静かに。

 

「(……)」

 

私は、一歩後ずさった。でも、その人は止まらない。ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。

 

「(っ……)」

 

その人が、私の前で立ち止まる。

そして……

手を、差し伸べた。

 

何もしない。

ただ、手のひらを上に向けて。

 

「(……)」

 

私は、その手を見た。

節くれだった、大きな手。

たくさんのレースを勝ってきた手。

 

「(……なんだろう、この感じ)」

 

警戒しているのに。

でも……その手が、怖くない。

田中さんが、後ろで言った。

 

「ヒメ、この方が横川典広騎手だ」

「(……横川、典広?)」

 

その瞬間。

 

「(ッ……!)」

 

記憶が、一気に溢れてきた。

 

 

 

 

 

ーー白いシャツ。テレビの画面。競馬中継。

 

熱狂する実況の声。

パドックを歩く姿。あの独特の佇まい。

重賞の勝ち方。差し切り。まくり。

何度見たか分からない、あの騎乗フォーム。

 

「(ノリさん……!!)」

 

前世で何度も何度もテレビで見た。

競馬ファンなら誰でも知っている、あの騎手。

 

ノリさんだ。

 

「(えっ……えっ!?ノリさんが……!?)」

 

私の耳が、ピクッと立った。

目が、大きく開く。

 

「(ノリさんが……ここにいる……!?)」

 

典広は、変わらず手を差し伸べていた。

じっと、私を見ている。急かさない。

ただ、待っている。

 

「(……)」

 

私は、ゆっくりと鼻を近づけた。

その手の、匂いを嗅ぐ。馬の匂いがした。

たくさんの馬と触れ合ってきた、その手。

 

「(……ノリさん)」

 

私は、そっとその手に鼻を押しつけた。

 

「……」

 

典広が、静かに私の鼻筋を撫でた。ゆっくりと。丁寧に。

 

「……サクラノヒメ」

 

低い声が、私の名前を呼んだ。

 

「息子の代わりに、俺が乗る」

「(……うん)」

 

私は、小さく鼻を鳴らした。

 

「よろしく頼むな」

「(……ノリさん)」

 

田中さんが、その様子を見て……

 

「あれ……受け入れた?」

 

驚いたように呟いた。

水野さんも、目を細めていた。

 

「……さすがだな」

 

ノリさんは、相変わらず私を撫でる。

 

「……いい馬だ」

 

その声が、かすかに柔らかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜 日本 横川家

 

武司の携帯に、メッセージが届いた。

父からだった。

 

『会った。いい馬だ。安心しろ』

「……父さん」

 

武司は、メッセージを見つめた。

 

「(父さんが……ヒメと……)」

 

胸が、熱くなった。

 

「(頼む……ヒメを……頼むよ)」

 

彼は、スマートフォンを胸に押し当てた。

窓の外、空には星が瞬いていた。ドバイも、同じ空の下だ。

 

「(頑張れ……ヒメ)」

 

 

 

 

 

 

 




誰乗らせるか迷いましたが結局親父にしました!!
既に現地入りしてる騎手にしようか迷ったのですが、都合上そうしました。
数日前に乗れなくなったあと、現地入り→騎乗するのだいぶギリギリだなぁ?と思ったけどなんとかしてくれるでしょう、、、と思ってます。
違和感などあればまたお待ちしてます。

凱旋門賞 前哨戦としてどこ行くか

  • ヴェルメイユ賞※牝限
  • フォワ賞
  • ニエル賞
  • ギヨームドルナノ賞
  • プランスドランジュ賞
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