レース前となると考えることが多すぎて投稿頻度下がるの嫌だなぁと自分でも思うのだ(-_-;)
てことでヒメちゃんの頑張り、みんなの頑張り、応援してあげてください!!!
そしてそしてジュウリョクピエロ、オークス制覇おめでとう!!!
※5月29日 後半大幅修正
宝塚記念当日 阪神競馬場
6月の阪神は、蒸していた。
梅雨の晴れ間。空が、白く霞んでいた。湿った風が、馬の鋭い嗅覚を刺激するかのごとく芝の匂いを運んでくる。
ああ、ようやくこの時が来たんだ。私とタイホ君、どっちが強いか証明する時が ̄ ̄
パドックに入った瞬間、声が降ってきた。
「サクラノヒメーッ!!!!」
「ヒメちゃーん!!!!!」
『(うわ、うるさすぎでしょ……)』
ここ競馬場よ?馬の耳繊細よ?
でも……嬉しかった。
私のことをこれだけ応援してくれる人が沢山いるってことなんだなぁと。
「今日は頑張ろうな、ヒメ」
『ブモッ(うん、勿論よ!)』
田中さんが曳きながら話しかけてくれる。
いつもの温かい田中さんのおててで横顔を撫でてくれるの、地味に好きなんだ。
競馬場が割れそうなくらい揺れていた。
18頭の出走馬が周回するパドックに、あれだけの声援が飛んでいる。
田中さんが、誇らしそうな顔をしながら私の手綱を曳いていた。
私は、パドックを歩きながら、周囲を見渡した。
前を歩く青鹿毛の馬が、こちらをちらりと見た。
同じ青鹿毛だが、レーベンちゃんとは全然違う毛色。私にはわかるんだ。
落ち着いた目だった。
体格がいい。前脚の捌きが、滑らかだ。
私は、ゼッケンに書かれている名前をじぃっと見つめる。
……ヒシイグアス。
強い。聞いたことのある名前だし、確かこの宝塚記念で上位に来る馬だと覚えていた。
少し前を歩く青鹿毛の牝馬が、スタンドの声援に耳を動かしていた。
大きな体。でも歩様は軽い。
デアリングタクト。無敗の三冠牝馬……
うわーまた知ってる。また知ってる。また知ってる。このパドック、知っている馬が多すぎる。
『(ま、いいや)』
私は、前を向いた。
今日は……全部知っていても、関係ない。
今日だけは。
タイトルホルダーに、勝つために来た。
その時前方の列に、見知った(実際会ったことは無いが)馬体が見えた。
鹿毛。しなやかな体躯。静かな目。
パンサラッサだった。
『(パンサラッサ。逃げ馬。このレース、前半1000mを57秒6で刻む馬。殺馬級のハイペースで逃げて……タイトルホルダーがそれを追走して……コースレコードを作る馬。)』
あの馬が、今日のペースを作る。57秒6だったはず。それをタイトルホルダーが2番手で追いかけて……
そのまま押し切る。
『(……た、大変なレースになるわ)』
自分の脚を、少し確かめた。大丈夫だ。今日の状態は、いい。気力も体力も最高といってもよいだろう。
田中さんが献身的にお世話してくれたお陰だね。
水野さんが「ドバイの疲れは抜けた」と言っていた。
たけしが帰ってきた。調教でも乗れてたし。
きっと、大丈夫、だよね。
『(……大丈夫なんだけど、57秒6はいくらなんでも……)』
『ヒ〜メ』
後ろから声がした。
振り返ると……レーベンちゃんだった。黒い馬体が、真後ろに並んでいた。
『(久しぶりだね、また勝ったって聞いたよ。おめでとう)』
『ありがとう』
『(状態は?)』
『いい。ヒメは?』
『(最&高)』
未来が変わっている。ユーバーレーベンという馬は本来2勝、新馬戦とオークス勝ちのみ残して引退&繁殖入りしてたはずだ。
私が生まれたことで、走っていることで、未来が変わったんだ。
……そう、このレースだって、タイトルホルダーが勝つはずなんだ。
でもね。
『(今日、負けないから)』
『知ってる』
『(……なんで知ってるの)』
『ヒメの目を見たら、わかる』
私は、少し黙った。
それから、前を向いた。
『(レーベンちゃんも負けないんでしょ)』
『うん』
『(タイトルホルダーがいても?)』
レーベンちゃんは、少し前方を見た。少し先に、いた。タイトルホルダーが、静かに歩いていた。
鹿毛。しなやかな体。引き締まった首筋。天皇賞・春を7馬身差で勝った馬が……今日は、ここにいる。
『……うん』
レーベンちゃんが、小さく鼻を鳴らした。
『まあでもそういうことだよ』
それだけ言って、レーベンちゃんは前を向いた。
『ヒメには負けるつもり、ないから』
返し馬に出た。阪神の正面スタンド前、ちょっと奥まったとこからスタートするんだ。だから、直線がめっちゃ長い。この季節、馬場の芝が、みずみずしかった。湿った匂いがした。
体を慣らしながら、ゆっくりとキャンターを始めた。
たけしの手綱が、いつも通りだった。帰ってきた。本当に、帰ってきた。
この手綱が……戻ってきた。
「……ドバイ、ひとりにさせてごめんな」
『ブルルッ(ノリさんが乗ってくれたから寂しくなかったよ)』
「これからはあんなヘマしないから」
『ブモブモ!(まったく、気いつけよしや)』
そんなことがあれば今度は私が振り落としちゃるからな!
その時、斜め前からひょいっと声をかけられた。
『サクラノヒメ〜』
振り向くと、青鹿毛の馬がいた。てゆうか青鹿毛多くない?走り方が軽い。
目が……なんというか、のほほんとしていた。
……誰だっけ。
『ぼくさ、ディープボンドって言うんだけど。初めましてだよね〜』
ああ、そうだ。ディープボンド。この馬は今日好走するはずだ。
うおお本当にこしあんボディやんけ……おケツがぴっちぴちのぷるんぷるんだnゲフン、失礼。
この子の態度が性格というかもう全てを物語るかのようにのほほんとしてんなぁと実感しました。
この子がズブいというのも納得や〜。
ただ3年連続春天で2着に来てんのって何気にバケモンじゃねぇの?と内心思ってるんだが。
『(いいレースにしようね)』
『そうだねぇ、きみの後ろゆっくり走らせてもらうよ〜』
『(……マジでゆってんの)』
『うん。タイトルホルダーにはこの前のレースの借りを返したいし、サクラノヒメにも負けたくないし』
『(欲張りさん)』
『ぼくらは走るために生まれてきたんだから、このくらい欲張ったっていいじゃんか〜』
ディープボンドが、相変わらずのほほんとした声で語った。
嫌な馬じゃなかった。初対面だけど、でも、ちゃんと受け答えしてくれるというか。
『(頑張ってね)』
『お互いね〜。まぁ、ぼくが勝つけどね〜』
『(……)』
ディープボンドが、軽やかに前へ行った。
その背中を見ながら、私は少しだけ笑った気がした。
……と、その時。私の目に、信じ難い光景が写った。
え?思わず二度見してしまった。
馬体が小さい、小さすぎる。体高が明らかに低すぎる。私と見比べてもかなり小さい。いや、私がでかいのかってうるせぇ!!!
……ゴホン、でかい馬たちに周りを囲まれても、気にしていないかのように堂々と歩く姿。キラキラした目。顔半分が白い流星という愛らしいチャームポイント。
ゼッケンの名前を見て、私は納得してしまった。
こりゃ嗅ぐしかないよな!ってことでたけし行くぞい!
「うおっ!ってどうしたヒメ!」
たけしが手綱を軽く引いたが私は構わず、ぐいっと首を伸ばした。
においを、嗅いだ。
『(くんかくんか)』
こりゃたまらん!
『……は?』
そのキラキラした目で私を見つめていた。
完全にドン引きした目だった。
キラキラしていた目が、完全に引いていた。
『ちょっと、何してんの』
『(嗅いでた)』
『なんで!?』
『(嗅ぎたいから)』
『は????????』
またもや「は?」を食らってしまった。
私は構わず、もう一度においを嗅ごうとするも……
「ヒメ!!」
たけしがいよいよ焦った声を上げた。
そう、何を隠そうアイドルホースであるメロディーレーンの担当の人が「え、えっと……」という顔になっていた。
申し訳ない!
でもどうしても離れらんないんだよな!
『なんで嗅ぐの』
『(気になるから)』
『何が』
『(全部♡)』
『意味わかんない!あんたもしかして牡馬!?……牝馬よねぇ』
メロディーレーンは、私の性別を確認した後に鞍上の方を見た。
どうにかしてくれという目をしているが、人間にはどうしようもないらしい。
非常に困った顔をしてたから。
私は三度目を嗅ごうとした。
……しかしそれはたけしから綱を必死に引かれたことによって阻止されてしまうのだった。
たけしに引かれながら、私は思った。
レース後、もう一回嗅ぎに行こう。
今度はもっとうまくやってやるわ。ってな!
……そして、少し離れたところで、エフフォーリアが静かにキャンターをしていた。鹿毛。体格がいい。
でも、目が、どこか、くすんでいた。
エフフォーリア。元気にしてたかな?と思ったけど、記憶の限りでは大阪杯で9着。今日も好走出来ずに終わっていたはずだ。1番人気連敗記録を伸ばしてしまう。
この馬が本来どれだけ強いか……私は知っている。
2021年の春から秋、あの馬がどれだけ輝いていたか。
私が奪った皐月のタイトルも、シャフと共に死闘を演じたダービーも、秋天も、有馬も。
今は、何かが噛み合っていない。それだけだ。強さは、消えていない。そうだろ?
思わず、エフフォーリアの方を向いた。
エフフォーリアも、こちらを見ていた。
何も言わなかった。でも……少し、目が動いた気がした。
……頑張れ。
心の中だけで、思った。
その時だった。
前方から、静かに近づいてくる馬がいた。
鹿毛。引き締まった体。しなやかな首。
目が静かで、深かった。
……あぁ、久しぶりだね。タイトルホルダー。
向こうも、こちらに気づいた。
少し、距離が縮まった。
並走するような形になった。
キャンターの速度が、たまたま合ってしまった。
沈黙があった。重い沈黙ではなかった。
でも……軽くもなかった。
タイトルホルダーが、口を開いた。
『ようやくこの時が来たね』
静かな声だった。
『(うん、来たよ)』
私は、前を向いたまま答えた。
『(菊花賞以来だね)』
『そうだね』
『(タイホ君はあの時より強くなってるね)』
タイトルホルダーは、少しだけ視線をこちらに向けた。
『君もだろう?』
また、沈黙があった。並んで走る。
ただ、それだけだった。
スタンドから見ていたら、この2頭が並んで返し馬をしている光景は、なかなかのものだっただろう。
『……ドバイとやら、聞いたよ』
タイトルホルダーが、言った。
『一頭だけ引き離されていたというのに、それでも勝ったんだ』
私は、何も言わなかった。
『今日も来るつもりなんだろ、いつものように』
私は、タイトルホルダーを見た。
真っ直ぐな目だった。挑発でも、嘲りでもない。
ただ確認していた。
本物かどうかを、確かめていた。
『(当たり前だよ)』
タイトルホルダーは、少しの間だけ沈黙した。
それから小さく、頷いた。
『僕も』
静かな宣戦布告だった。
穏やかで、でも揺るぎなかった。
ステイヤー、鹿毛の阪神王者がそこにいた。
それだけの意味が、その一言にあった。
『(待ってた?)』
私も、静かに言った。
『待ってたよ』
タイトルホルダーが、前へ出た。
その背中が、遠ざかっていく。
天皇賞・春を7馬身差で制した馬の背中。
本当に、強い。
でも……燃えた。怖いくらい、燃えた。
その時、後ろから声がした。
『ヒメー!』
レーベンちゃんだった。
追いついてきたらしかった。
『何話してたの〜?』
『(……戦う、って)』
『ロマンチックじゃん!!』
『(そういうわけじゃないよ……)』
近親なんで無理でございます……
その時、また別の声がした。
今度は前方から。
『あのー、すみません』
振り向くと、これまた鹿毛の馬がいた。
私よりもすこし小柄で……でも、目が真剣だった。
パンサラッサだった。
『サクラノヒメさんですよね』
『(……そうだけど)』
『今日、逃げます。それも全力で。邪魔になるかもしれないですけど、覚悟してくださいね』
あぁ、この馬は今日、1000mを57秒6で刻む。
知っている。それを知っているんだ。この馬は今、私に宣言している。
『(……わかった)』
私は、正直に言った。
『(速いペースで行くんだね)』
『はい。それが私の走りなので。後ろから来るあなたには申し訳ないですけど……叩き潰しますので』
『(へぇ……いや、むしろありがとう)』
パンサラッサが、きょとんとした顔をした。
『え?』
『(あなたが作るペースで、いいレースになると思う)』
『……はあ』
『(ま、頑張って)』
よくわかっていない顔をしながら、パンサラッサが前へ行った。
レーベンちゃんが、私の横に戻ってきた。
『なんか色々あったね』
『(うん)』
『ディープボンドにも話しかけられてたじゃん』
『(そうだね)』
『タイトルホルダーとも話して』
『(うん)』
『パンサラッサにも』
『(うん)』
レーベンちゃんは、少し笑った気がした。
『うん、うんってずっと言ってるけど将来の為にも好みの牡馬に目付けといたらいいじゃん。牝馬の匂い嗅ぎまくる習性さえ除けば人気者なんだし』
人気者というか、みんな話しかけてくるというか……というか今日、57秒6のペースを追いかけながら差さないといけないんだけど……という情報を前世の記憶から持っているんだけど……それを誰にも言えないんだけど……
『(心がいくつあっても足りない)』
「ヒメ大丈夫か?調子悪いか?」
『ブモッ(いやはや、大丈夫でございますよ)』
私は、無事を表すように首を少し振って答えた。
レーンちゃんの匂い嗅げたらいいんだけどね〜。
エレーナちゃんやレーベンちゃんの匂いとはまた違った良い匂いだった♡
たけしが、そうかと言って手綱を少し引いた。
ゲートが、近づいてきた。
スタンドから、また大きな声が降ってくる。
私は、深く息を吸った。
梅雨の晴れ間の、阪神の空気。
湿って、重くて……それでも、芝の匂いがした。
帰ってきたんだ。
菊花賞からずっと……
ドバイで世界を見てきた。その答えを、今日出す。
世界を見てきた私が、同じくらい強くなったあなたに、絶対に勝つから。
胸の中で、あの時誓った言葉を、もう一度だけ心の中で反芻した。
そして、全頭がゲートインし……
ガシャァァァン!!!
弾けた。
18頭が、一斉に動く。スタートは、良かった。
たけしの手綱が、最初の一歩で確認できた。
帰ってきた。この手綱が、帰ってきた。
「さぁみんなの夢乗せて、17頭が走ります宝塚記念……飛び出した。サクラノヒメは今日は上手く出ました。エフフォーリアも上手く出た、ちょっとタイミングが会わなかったのがアイアンバローズです。さぁタイトルホルダーがまずは行った。おっと、タイトルホルダーがまずは行ったぞ!?さぁパンサラッサどうする!?」
前が、動いている。
タイトルホルダーが、好スタートから先頭に立った。
一瞬タイホ君が先頭なのか、と思った。
……でも違った。
1コーナーに差し掛かる前に、パンサラッサが動いた。じわりと上がってくる。
タイトルホルダーはそれとは競り合わなかった。
すっと、2番手に下がった。
賢いな。カズオさんも上手い……消耗しない。自分のペースを守る。
あの馬は、最初からそれだけを考えて走っている。
私は、8番手あたりにいた。
水野さんの指示通り……タイトルホルダー対策で5番手以内を目指していたが、スタートの位置取りで少し後ろになった。
たけしが、静かに前との距離を測っていた。
大丈夫。まだ動けるタイミングじゃない。
ああ、これだ。これを待ってたんだよ。
たけしとの呼吸が合う、この瞬間を。
向こう正面に入った。
パンサラッサが、前との差を広げていく。後続は縦長になっていた。
私は、馬群の中にいた。
内側のヒシイグアスが見えた。外にデアリングタクトがいる。
前のタイトルホルダーとの距離……今、何馬身あるだろう。
6馬身。
7馬身。
離れていく、離れていく。
でも、焦らなかった。
まだ、3コーナーが来ていない。
水野さんたちが言っていた。3コーナーで動く、って。
最初の1000m……57秒6。
『(あぁクッソ、流石に速いなぁ!?)』
後ろから伝わってくる……後続馬たちの息遣いが、すでに少し荒くなっていた。
このペースで1000mを走れば、そうなる。
私らの
でも……ここから見えるタイトルホルダーは平然としていた。
2番手から、前のパンサラッサを見ながら、淡々と走っていた。
あの馬だけが……別の生き物みたいに、消耗していなかった。
…………3コーナーの入り口が、来た。
その瞬間……ディープボンドが動いた。
早めの仕掛け。前との差を一気に詰めようとしている。
そしてタイトルホルダーも動いた。
ディープボンドの仕掛けに合わせるように、前との差を詰め始めた。
パンサラッサ、タイトルホルダー、ディープボンド3頭が並ぶような形になった。
ああ、これがあんたらの戦い方なんだね。
本当に頭おかしいよ、このハイペース。殺す気で来てるよね?
たけしの手綱が、変わった。
いけ、ヒメ!
あああぁいっちゃっていいんだね?いくよ?いっちゃうよ?
『(おらあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!)』
『ひぃっ!?』
馬群をこじ開けて無理やり外に出た。
他馬がビビって悲鳴をあげるが知ったことか!これはGIだろ?!
前が、開ける。視界が、一気に広くなった。
タイトルホルダーの背中が……見えた。
…………3馬身。
水野さんの声が、脳裏に響いた。
''最終コーナーを回った時点で、これだけ詰めていれば間に合うだろう''
3馬身、か。
もう少し。もう少し、もう少し詰めておくべきか。
馬どうしにしか分からない、奴の……タイホ君の怖いところ。
直線に入る前に、有り余るスタミナをゴリッゴリに削らせておかなければいけない。
そうでもしなければ、間に合う気がしないから。
「各馬3コーナーに差しかかる!!!パンサラッサまだ先頭か!タイトルホルダーが動いた!ここで動いた!ディープボンドも早めに仕掛けている!そして中団から ̄ ̄ ̄サクラノヒメが外に持ち出したッ!!ユーバーレーベンもそれに続くようにスパートをかけるッ!!!」
後ろからレーベンちゃんが見えた。
内側から……静かに、でも確実に、前へ向かっていた。
……レーベンちゃん、今日も私がゴールするからね。
4コーナーに入った。直線が、近い。
タイトルホルダーが加速した。
パンサラッサを交わした。あっさりと。まるで……そこに壁なんてなかったみたいに。
そして、後続を、引き離し始めた。
『(……ッ、なんで!?)』
速い。
速い速い速い。
なんで、なんで。
天皇賞・春を映像で見たことがある。
あの加速を、映像で何度も見た。後ろの馬なにしてたんだと思った。頑張れば追いつけただろ、なんて思ってた。
でも……実際に後ろから追いかけてみるけど、全然違った。
伸びていく。
伸びていく。
止まらない。
3馬身が……4馬身になった。
なんで、そんなに、速さを保っていられるの。
あれ?タイトルホルダーってこの時点で後続をこんなに離していたっけな?
私は嫌な感触がどうしても拭えなかった。
「拍手と歓声が迎える第4コーナー!タイトルホルダー先頭か!タイトルホルダーが先頭に立ったか!後続を引き離していくッ!!ぐんぐん伸びる!差が開く!差が開く!その後ろからはヒシイグアスが伸びてくる!デアリングタクトも外から来ている!そして……サクラノヒメ!断然1番人気、白毛の女王だ!今日も大外からサクラノヒメが来たぁぁぁぁッ!!!!!」
でも、全部……今。
今、私が勝たなきゃ。勝たなきゃ。意味が無いんだ!!!
前が、見えた。
ヒシイグアスの背中。
デアリングタクトの外。
ディープボンドが粘っている。
次々と……抜けた。
飲み込んだ。道を切り拓いた。
「残り200を切った!さぁ、タイトルホルダーがぐんぐんゴールへ向かう!タイトルホルダーが止まらない!後続の各馬は間に合うのか!?サクラノヒメが必死で前を追ってくる!凄い脚だッ!!!ヒシイグアス、マイネルファンロンも来ている!内を割ってユーバーレーベンも伸びてきた!!!」
……前を見る。
タイトルホルダーが前を走っている。止まらない。顔が見えない。何を考えているんだろう?
私は、歯を食いしばった。
全部出した。全部、出していた。
ドバイで最後方から差し切った脚を、今ここで使っていた。
阪神の芝が、私の蹄の下を流れていく。
『(タイトルホルダぁぁぁぁーーーッ!!!!!)』
お前に。
負けて。
たまるか。
肺が。焼けそうなほど熱い。
阪神王者?最強のステイヤー?知ったことか!
ジャパンカップで2馬身差をつけられた時の、あの虚無を。
味わって、
たまるかッ!!!!!
届く。
届く。
絶対に、届く。
届く届く届く届く届く届く届く届く届く届く!!!!!!!!
並んだ。
確かに私は、その瞬間にタイトルホルダーに並んで前へ出たんだ。
グランプリホースの座は私のモンだ、なんて思ったりもした。
でも。
その瞬間。その一瞬の中で。
私は……反射的に、横を見た。
『君に勝たせてたまるものか!!!』
『(ハッ……!)』
単純に、怖かった。
走りながら、こちらを見ているタイホ君の目が。
表情……が…………。
その目の奥に、あったのは。
……まだ、終わらない。終わっていない。
それだけだった。余裕でも、驕りでもなかった。ただ終わっていなかった。
天皇賞・春で7馬身差をつけ、コースレコードを叩き出した馬が。
今この瞬間もまだ、走り続けていた。
使い果たしていなかった。
…………あ、あ、れ…………?
『(脚が……)』
前に、出ない……。
ダメなのか?
タイトルホルダーに勝てるという驕りが少しでもあったから。
このレースは絶対に勝てるという自信があったから。
タイトルホルダーとの差を、一瞬で。体が、理解してしまった。
……差し返された。
静かに、しかし確実に。タイトルホルダーが、前に出た。
1馬身。
また、1馬身。
止まらなかった。
「タイトルホルダー先頭だ!タイトルホルダー先頭だっ!!!サクラノヒメが前に迫ってくる、迫ってくるが…………しかし、しかし差が縮まらない!タイトルホルダーが止まらない!」
彼らの背中が、また遠ざかっていく。
あの目が……脳裏に焼きついていた。
まだ終わっていない、と言っていた目が。
『(クソッ!!!)』
初めて思った。
こんなに純粋に、なんなんだよ、と思ったのは。
コントレイルに負けた時とも違った悔しさが今、体の奥から、じわじわと滲み出てきた。
脚が、重くなってきた。
使い果たした脚が、正直に言っていた。
もう、これ以上は……ダメだって。
出ない。
出ないのに。
タイトルホルダーは……まだ走っている。
今からでも間に合わないか。このガラスの脚が折れようと、肺が破れようと、何がなんでも…………!
その時。
内側から、気配がした。
知っている気配だった。振り返らなくても、わかった。
……レーベンちゃんだった。
黒い馬体が、するすると上がって来ていた。
もうずっと前、3コーナーから動いていた。鞍上が早めに仕掛けていたんだ。
『(は、は……)』
その目に宿っていた。
ドバイで泣いていた馬の目じゃなかった。
ヴィクトリアマイルを勝った馬の目だった。
もう、後ろを見ていなかった。
前しか、見ていなかった。
強いね、レーベンちゃん。
凄いね、レーベンちゃん。
『……ヒメ!』
『(レーベンちゃんっ)』
『……お先に!!!』
抜かれた。
あっという間に前に出られた。
青鹿毛の馬体が白毛の馬体の隣を横切った。
まるで、真っ白な紙に筆で線を引いたように。
静かに、しかし確実に。
黒い馬体が、わずかに前に出た。
「ユーバーレーベン!ユーバーレーベンがサクラノヒメを交わしたかッ ̄ ̄」
『(ああ、かっこいいな)』
レーベンちゃんに抜かれて、悔しいよりも賞賛が出た時点で私はこのレースを勝つ資格が無かったのかもしれない。
レーベンちゃんの横顔がちらりと見える。
必死だ。前しか見てないんだ。ゴール板しか見えていないんだ。
……もう、届かないんだ。
「タイトルホルダー!重賞3連勝だ!!競馬界のエースは俺だぁぁーーーっ!!!タイトルホルダぁぁぁーーーっ!!!………………………………そして、そして、勝ちタイムは…………2分8秒5……2分8秒5!!??とんっっっでもないレコード!!!大レコードです!!!57秒6のハイペースを2番手で追走して……この時計です!!!前半から脚を使い続けて……それでもこの時計です!!天皇賞・春の7馬身差に続いて、宝塚記念もコースレコード!タイトルホルダー……今、日本競馬の頂点に立っています!!!2着にはヴィクトリアマイルでも見せた強烈な末脚の新女王ユーバーレーベン!そして、なんと、なんと……3着にまさかの、白毛の女王サクラノヒメが入線か!阪神競馬場は歓声とどよめきが交差しています!!!」
脚が緩んで力が抜ける。
今まで張っていた緊張の糸が緩んだ。
……あぁ、悔しいな。
あの目が、まだ残っていた。
タイトルホルダーの目が。
まだ終わらない、と言っていた目が。
私を睨みつけたあの目は、もう前のタイホ君の目じゃなかったんだ。
届かない、と。
体が、わかった。
それがいっっっちばん悔しかった。
『ひひぃぃぃん!!!(だげじぃ〜〜〜!!!ごめんよぉ〜〜!!!)』
「……まあ、そんな日もあるさ。でもお前は全力でやれたと俺は信じてる。前に行こうとしてたもんな」
『(うおーん!!!)』
……うん、悔しい!
悔しくて悔しくて胸の内がむかむかして悔しくて堪らない!!!
優勝レイが私の首じゃなくて史実通りタイホ君の首にあるのがとんでもなく悔しい!!!
でもおめでとう!!!これで晴れてグランプリホースだね!!!(泣)
たけしが私の首を撫でて気を落ち着かせてくれる。
あぁ……馬券買ってたみんなごめんなぁ……
そんでもって水野さんもごめんなぁ……
……え?気にする必要は無い?え?私が気にしてるの分かるの?念力?
いやまぁね、コントレイルにぶち抜かれた時とはまた違った気持ちなんだよ。なんでかは分からないけどさ。
……なんかさ、推しが。
強くなりすぎてて。
あぁ、そうか。
走りながら気づけなかったけど、今わかった。
私さ。タイトルホルダーのこと。
……好きなんだ。
ライバルとか、倒すべき相手とか、恋の相手とか、そういうのじゃなくて。
一人のファンとして、あの馬のことが、好きなんだ。
菊花賞で死闘を演じたあの日から。
休養中に厩舎を訪ねてくれたあの日から。
天皇賞・春で7馬身差をつけたあの噂を聞いた日から。
そして今日、並んだ瞬間にあの目を見た瞬間から。
私はずっと……あの馬を、すごいと思っていた。
だから。
負けたのに。
悔しくて堪らないのに。
胸の奥のどこかで……叫んでる。
『(うわ、タイホ君、コースレコードじゃん!!史実よりやんべぇタイム出してんじゃん!?57秒6追走してそれって何!?!?やばすぎ!!!!強い!めちゃくちゃ強い!!!推せる!!!!!)』
って。
……ダメだ、これ。
負けた直後に、推しの自己ベスト更新を喜んでる馬がいる。
でもそれだけじゃ、なかった。
私の少し前に、もう一頭。
青鹿毛の馬体が、いた。レーベンちゃんだった。
2着の、レーベンちゃんだった。
息を切らしながら、まだ興奮が冷めないみたいに、体を弾ませていた。
その横顔が見えた。
……あぁ。
胸が、また別の方向にぎゅっとなった。
ドバイで3着になって、「また勝てなかった」って、声を殺して泣いていた馬。
私がずっと……前にいた馬。
ずっと、私の背中を追いかけてきた馬。
その馬が、今日。
私を、抜いた。
『(……レーベンちゃん)』
悔しい。
抜かれて、悔しい。
親友だろうが何だろうが、抜かれたら悔しいに決まってる。
でも。でも、そのはずなのに。悔しいはずなのに。
胸の奥で、また別の声がしてる。
『(よかったね、レーベンちゃん)』
って。
ドバイで「次こそ私が勝つ」って、あんなに悔しそうに言ってたのに。
ヴィクトリアマイルを勝って、目が変わって。
そして今日……本物の2着を、自分の脚でつかんだ。
私を、抜いて。
ぐちゃぐちゃだ。
感情が、完全にぐちゃぐちゃだ。
タイトルホルダーには「推しが最高記録出して嬉しい」と「負けて悔しい」が殴り合ってて。
レーベンちゃんには「抜かれて悔しい」と「親友が報われて嬉しい」が殴り合ってて。
私の胸の中、今、四つの感情が乱闘してる。
たけしが私の首を撫でながら、ちょっと不思議そうな顔をしている。
「ヒメ……お前、悔しいのか嬉しそうなのかどっちなんだ」
両方だよ、たけし。
両方なんだよ。
……あぁ、これだ。
コントレイルにぶち抜かれた時と違う気持ちの正体は、これだ。
コントレイルの時は、ただ純粋に悔しかった。
強い馬に負けた、それだけだった。
でも今日は。
負けた相手が……好きな馬で。
抜かれた相手が……大事な友達で。
だから悔しさの中に、賞賛と、祝福が、ぐちゃぐちゃに混ざってくる。
その時。
前を行くレーベンちゃんが、ふと振り返った。
目が、合った。
息を切らしながら、レーベンちゃんが……少しだけ、申し訳なさそうな顔をした。
『……ヒメ、ごめんね』
私は、首を横に振った。
『(謝らないで。あなたが全力で走った結果でしょ?それを謝られたら……私が惨めじゃん)』
レーベンちゃんは、黙った。
それから……少しだけ、笑った気がした。
ドバイの夜には見られなかった、本物の笑顔だった。
『(おめでとう、レーベンちゃん)』
私は、心から言った。
悔しさを全部抱えたまま。
それでも……心から。
『(本当に強くなったね。同じ馬とは思えない。かっこよかった。今日のあなた、本当にかっこよかった)』
レーベンちゃんは、何も言わなかった。
ただ、首をほんの少しだけ私の方へ向けて……そっと、触れた。
ドバイの夜と、同じように。
でも今日は……立場が、逆だった。
慰める側じゃなくて。祝福する側に、私がいた。
それが……少しだけ、寂しくて。
少しだけ、嬉しかった。
たけしが、優しく言った。
「次があるさ。なあ、ヒメ」
うん。
次がある。凱旋門賞がある。ロンシャンがある。
そこでまた……タイトルホルダーと走れるかもしれない。
レーベンちゃんと走れるかもしれない。
推しにも、親友にも。今度こそ勝つ。
『(でも今日のレーベンちゃん、ほんとにかっこよかったな。タイホ君のコースレコードも、ほんとにすごかった)』
ダメだ。
やっぱり、ちょっと嬉しい。
悔しいのに、ちょっと、嬉しい。
たけしが、もう一度笑った。
「ヒメ、ほんとに忙しい動きするなぁ」
うるさいよ、たけし。
でも……ありがとう。帰ってきてくれて。一緒に走ってくれて。
今日は負けたけど。
3着だったけど。
あなたとなら、次はきっと……。
私は、空を見上げた。
梅雨の晴れ間の、白い空。
悔しさと、賞賛と、祝福と、感謝が、ぜんぶぐちゃぐちゃに混ざった胸を抱えて。
それでも前を、向いた。
思ったんだけど、ユーバーレーベンの前哨戦をヴェルメイユ賞、サクラノヒメの前哨戦をフォワ賞or別の欧州GIにするのもありかな?と思いました。またご意見お聞かせください!!!
今気づいたけど、ニエル賞は3歳限定だ……(-_-;)
サクラノヒメ 5歳以降どうする?
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