桜の姫がターフを駆けた軌跡   作:夜刀神 闇

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第3話 デビュー戦芝1800m

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクラノヒメの距離適性について、少し話をしたい」

 

 

 

デビュー戦の一週間前。

 

水野調教師が、田中さんと調教助手たちを集めて会議を開いた。

 

 

 

「これまでの調教を見る限り、この馬の特徴は明確だ」

 

 

 

水野調教師が、調教タイムの記録を広げる。

 

 

 

「坂路でのタイムは優秀。特に、後半の伸びが良い」

 

「併せ馬でも、直線での加速が鋭い」

 

「つまり——瞬発力型だ」

 

 

 

田中さんが頷く。

 

「確かに、ラストの伸びが凄いですよね」

 

 

 

「そして、この馬は繊細だ。気性は大人しいが、長く走らせると集中力が切れる可能性がある」

 

 

 

水野調教師が、私の映像を見ながら続ける。

 

 

 

「総合的に判断すると……この馬の適性は、マイルから中距離くらいまで。1600mから2000mが理想だろう」

 

 

 

他の助手たちも、納得したように頷いている。

 

 

 

 

水野調教師が、記録を閉じた。

 

「デビュー戦は、芝1800mの新馬戦。まずは無理のない距離で、様子を見る」

 

 

 

私は馬房の中で、その会話を聞いていた。

 

 

 

マイルから中距離、か。

 

 

 

確かに、今の私の調教を見れば、そう判断されるのは自然だ。

 

瞬発力はある。ラストの伸びもいい。

 

 

 

でも……

 

 

 

なんとなく。

 

 

 

 

 

もっと遠くへ行ける気がする。

 

 

 

 

 

……まあ、でも。

 

 

 

まずは、デビュー戦。

 

そこで、結果を出さないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……デビュー戦の三日前。

 

 

 

「サクラノヒメ、今日は騎手が来るぞ」

 

 

 

田中さんが、いつもより念入りにブラッシングをしてくれた。

 

 

 

騎手。

 

 

 

レースで私の背中に乗ってくれる人。

 

人間だった頃、テレビで何度も見た、あのカラフルな勝負服を着た人たち。

 

 

 

「今回乗ってもらうのは、横川武司騎手だ」

 

 

 

横川……?

 

 

 

その名前を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

 

 

 

聞いたことがある。

 

 

 

てか、知ってる。

 

 

 

横川武司騎手……確か、2020年代に活躍し始めた若手騎手。

 

横川典広騎手の息子で……

 

 

 

待って、2020年?

 

 

 

ということは、今はまだ……

 

 

 

「まだ若いけど、腕は確かだ。新馬には丁度いいだろう」

 

 

 

田中さんの言葉で、現実に引き戻された。

 

 

 

そうか、今はまだ2020年。

 

横川武司騎手も、まだこれから実績を積んでいく時期なんだ。

 

 

 

エフフォーリアとの出会いも、まだ先。

 

 

 

つまり。

 

 

 

私が、彼の初期のパートナーの一頭になるのかもしれない。

 

 

 

胸が、また高鳴った。

 

 

 

 

 

しばらくして、厩舎に若い男性が現れた。

 

 

 

二十代前半……くらいだろうか?

 

引き締まった体格。

 

真面目そうな顔立ち。

 

でも、どこか緊張している様子。

 

 

 

横川武司騎手だ。

 

 

 

「水野調教師、お世話になります」

 

 

 

丁寧に頭を下げる姿が、初々しい。

 

 

 

「おう、武司君。こいつがサクラノヒメだ」

 

 

 

水野調教師が、私を紹介してくれた。

 

 

 

横川騎手が、ゆっくりと近づいてくる。

 

その目は、真剣そのもの。

 

 

 

「……白毛、珍しいですね」

 

 

 

彼が、私の顔を覗き込んだ。

 

 

 

「初めまして、サクラノヒメ。俺は横川武司。よろしくな」

 

 

 

その声は、優しかった。

 

 

 

彼が手を伸ばして、私の鼻先に触れる。

 

私は、その手に顔を寄せた。

 

 

 

よろしくね、横川騎手。

 

 

たけしって呼んでいい?

 

 

言葉通じないけど。

 

 

ブルルッと言いながら私は、たけしの顔に鼻先を寄せた。

 

 

 

「……おお、人懐っこいな」

 

 

 

たけしが、少し驚いたように笑った。

 

 

 

「性格は?」

 

「大人しくて、従順です。調教では一度も嫌がったことがない。ドゥラメンテの性格は受け継いでないな」

 

「へぇ……珍しいタイプだ」

 

 

 

水野調教師が、私の資料を見せながら説明する。

 

 

 

「能力は高い。調教タイムも優秀で、併せ馬でも好成績だぞ。あのタイトルホルダーと良い勝負だった。牡馬とだって、動じることなく併せていたんだ」

 

「マジですか?」

 

「ああ。ただ、まだ新馬だからな。レースでどう動くかは未知数だぞ」

 

 

 

たけしが、真剣な表情で頷く。

 

 

 

「分かりました。丁寧に乗ります」

 

「頼むぞ。こいつは、大事な馬だ」

 

 

 

水野調教師が、私の首を軽く叩いた。

 

 

 

たけしが、もう一度私を見つめる。

 

「サクラノヒメ、一緒に頑張ろうな」

 

 

 

その目は、まっすぐだった。

 

 

 

私は、小さく鼻を鳴らした。

 

 

 

うん。

 

一緒に、頑張ろう。

 

 

 

後に、たけしと共に、数々の実績。偉業。前例。を作っていくことになるなんて。

 

この時の私は、まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

2020年6月14日、東京競馬場 第5R。

 

2歳新馬戦、芝1800m。

 

 

 

私の、デビュー戦。

 

 

 

朝から、厩舎は慌ただしかった。

 

 

……というか。雨、降ってる。嫌だなあ。ぐっちょぐちょで走りにくいんだよなあ。

 

 

地面がぬかるんでると歩きにくい走りにくいのは人間も馬も同じなんだなってことを今更理解したんだよね。

 

 

不良馬場でもガンガン走って好成績を残す競走馬はマジで凄かったんだなっていうのを、生まれ変わってから思い知った。

 

 

 

「お姫様、今日が本番だぞ」

 

 

 

田中さんが、念入りにブラッシングをしてくれる。

 

いつもより丁寧で、いつもより時間をかけて。

 

 

 

「緊張してるか?」

 

 

 

私は、首を軽く振った。

 

 

 

緊張、してない……と言えば嘘になる。

 

 

雨、降ってるし。スピードだって、出ないでしょ。

 

 

 

……でもね、怖くはないんだ。

 

むしろ、ワクワクしている。

 

 

 

人間だった頃、何度もテレビで見た景色。

 

スタンドから、双眼鏡で追いかけた馬たち。

 

 

 

今度は、自分がその中にいるんだ。

 

 

 

「よし、積み込むぞ」

 

 

 

馬運車に乗り込む。

 

トレセンから競馬場までの道のり。

 

 

 

窓の外を、景色が流れていく。

 

 

 

東京競馬場。

 

 

 

人間だった頃、一度だけ行ったことがある。

 

ダービーの日だった。

 

スタンドから見た、あの緑の芝生。

 

ゴール前の興奮。

 

 

 

今日、私はあの芝生を走るんだ。

 

 

…………ゆくゆくは、あのダービーでだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

………………て、ははっ。そりゃ無理か。私牝馬だもんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

競馬場に到着すると、そこは想像以上の喧騒だった。

 

 

 

人、人、人。

 

 

 

たくさんの人間たちが、行き交っている。

 

家族連れ、カップル、競馬ファン。

 

 

 

そして……馬たち。

 

 

 

他のレースに出る馬たちが、次々と厩舎エリアを移動していく。

 

みんな、引き締まった表情。

 

これから戦う、戦士たちなんだ。

 

 

 

「サクラノヒメ、パドックだぞ」

 

 

 

田中さんが手綱を引いて、パドックへと導いてくれる。

 

 

 

パドック。レース前に、馬を観客に見せる場所。

 

人間だった頃、ここで馬を眺めながら予想を練ったっけ。

 

 

 

今度は、自分が見られる側なんだ。

 

 

 

パドックに入ると……

 

 

 

 

 

 

「おお、白毛だ!」

 

「珍しいな、綺麗な馬だ」

 

「サクラノヒメ、ドゥラメンテ産駒……か」

 

「2歳牝馬にしてはでかくないか?」

 

「重いな……この馬場状態なら逆に有利に働くか?」

 

 

 

観客たちの声が、あちこちから聞こえてくる。

 

 

 

……そこ、重いとかでかいとか言ったな。あとで覚えときなさいよ。

 

レディに対して失礼ですことよ。

 

 

 

視線が、集まる。

 

 

 

人間だった頃は、見る側だったから気にならなかった。

 

でも、見られる側になると。

 

 

 

ちょっと、恥ずかしい。

 

 

 

でも、悪い気はしない。

 

 

 

私は、背筋を伸ばして歩いた。

 

たてがみを風になびかせて。

 

白い毛並みを、堂々と見せつけて。

 

 

 

「いい馬体だな」

 

「歩き方も綺麗だ」

 

「これは期待できるかも」

 

 

 

そんな声が、聞こえてくる。

 

 

 

 

 

 

他の馬たちの声も聞こえてくる。

 

 

『うう、怖いよー』

 

『…人間ばっかり……』

 

『やーーだー…………』

 

 

 

 

そんな馬たちの中で、私だけが堂々とした態度だった。

 

 

キョロキョロしたり落ち着かない様子の中、しっかりと歩く。

 

首を伸ばし、目だけ動かして他の馬の様子を見る。

 

……ゼッケンに書かれた馬たちの名前が見える。

 

 

 

 

 

というか、オスばっかだな。

 

女の子いないんじゃない?レベル。

 

 

……あっ、いたわ。私以外に2頭(ふたり)だけ。

 

 

1番のユーバーレーベンと、7番のフミロア。

 

 

てかユーバーレーベンじゃん。

 

まじか、新馬戦一緒になっちゃったよどうしよう。

 

お話したいな。タイトルホルダー君は仕草だけで話しかけるには躊躇しちゃったんだよね。

 

牝馬同士なら緊張せずにイケる気がするけど……

 

 

 

 

水野調教師が、パドックの中央に立っていた。

 

 

 

「サクラノヒメ、調子はどうだ?」

 

 

 

水野調教師が、私の様子を確認する。

 

 

 

「問題ないですね。落ち着いてます。ただやっぱり少し緊張してるのか、キョロキョロしてますね」

 

 

 

田中さんが答える。

 

 

ごめんよ、レーベンちゃんが気になっちゃってさ。

 

 

何周かしたあと、パドックの奥から騎手たちが出てくる。

 

 

さぁて、私の背中に乗ってくれる予定のたけしは……おー?………………いた!

 

 

 

たけしが、私に近づいてきた。

 

「よし、ヒメ。いよいよだな」

 

 

 

彼が、私の首を軽く叩いた。

 

 

 

「前目につけていく。道中は我慢して、直線で伸びてくれ」

 

 

 

作戦は、差しらしい。

 

 

 

前に行きすぎず、後ろに下がりすぎず。

 

中団あたりで脚を溜めて、直線で勝負。

 

 

 

私の瞬発力を活かす作戦だ。

 

 

逃げ、やってみたかったんだけどなあ。

 

 

まぁ水野さんの言う通りにいたしますよ。

 

 

 

「騎乗してください」

 

 

 

田中さんが、たけしを乗せる準備をする。

 

 

 

たけしが、私の背中に跨った。

 

 

 

その重みが、心地いい。

 

 

 

「行くぞ、ヒメ」

 

 

 

パドックを後にして、本馬場へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲートをくぐって、本馬場に入った瞬間……

 

 

 

視界が、開けた。

 

 

 

広い。

 

 

 

想像以上に、広い。

 

 

 

東京競馬場の芝コース。

 

テレビで何度も見た、あの緑の絨毯。

 

 

 

そして。

 

 

 

「おおおおっ!」

 

 

 

観客の歓声。

 

 

 

スタンドを埋め尽くす、たくさんの人たち。

 

手を振る人、双眼鏡を構える人、声援を送る人。

 

 

 

人間だった頃、私もあそこにいたんだ。

 

 

 

でも今は。

 

 

 

このターフの上にいる。

 

 

 

しっかりと、踏みしめて、立っている。

 

 

 

胸が、高鳴った。

 

 

 

「落ち着いてるな、ヒメ」

 

 

 

たけしが、少し驚いたように呟いた。

 

 

 

「普通、新馬はもっとビビるもんなんだけどな」

 

 

 

ごめんね、たけし。

 

私、ここを知ってるんだ。

 

人間だった頃から。

 

 

 

だから、怖くない。

 

 

 

むしろ……

 

 

 

ワクワクしてる。

 

 

 

……体が、ブルブルと震える。

 

 

体全体を震わせ、ヒヒィィンと嘶いた。

 

 

たけしが、どうした?という表情(かお)をしているのが見える。

 

 

大丈夫だよ。

 

 

これは。

 

 

 

……武者震いだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「返し馬だな」

 

 

 

たけしが、軽く手綱を操作する。

 

 

 

返し馬。レース前に、馬の調子を確認するための軽い運動。

 

ゆっくり走って、体をほぐす。

 

 

 

私は、指示通りに軽く駆けた。

 

 

 

芝の感触。

 

 

 

トレセンのダートとは、全然違う。

 

柔らかくて、でもしっかりしていて。

 

蹄が、気持ちよく地面を掴む。

 

 

 

 

ああ、これが芝か。

 

 

 

これが、本物の競馬場の芝なんだ。

 

 

 

「いい動きだ……」

 

 

 

たけしが、満足そうに呟いた。

 

 

 

「この馬、本当に新馬か?」

 

 

 

そんな声がどこからが聞こえてくる。

 

 

……そんなあなたの馬券、当たるかな。外すかな。

 

 

 

返し馬を終えて、ゲート前へ。

 

 

 

他の馬たちも、次々と集まってくる。

 

 

 

全部で14頭。

 

私の枠番は、7番。

 

真ん中あたり。

 

 

 

悪くない位置だ。

 

 

 

「輪乗りするぞ」

 

 

 

ゲート前で、馬たちが輪を描くように歩く。

 

これが、輪乗り。

 

ゲートに入る前の、最後の準備運動。

 

 

 

周りの馬たちを見る。

 

 

 

みんな、緊張している。

 

耳を動かし、尻尾を振り、落ち着かない様子。

 

 

 

新馬だから、当然だ。

 

初めてのレースだもん。

 

 

 

私も……

 

 

 

緊張してる。

 

 

 

でも、怖くない。

 

 

 

走りたい。

 

 

 

ただ、走りたい。

 

 

 

 

 

「サクラノヒメ、ゲート入れます!」

 

 

 

係員が、優しく後ろから誘導してくれる。

 

 

 

私は、迷わずゲートの中へ。

 

 

 

ガシャン、と扉が閉まる。

 

 

 

狭い空間。

 

鉄の匂い。

 

前を塞ぐ扉。

 

 

 

でも、大丈夫。

 

 

 

これは、何度も練習した。

 

 

 

前を見つめる。

 

扉の向こうに、1800mの戦いが待っている。

 

 

 

たけしが、私の首を軽く叩いた。

 

「頼むぞ、ヒメ」

 

 

 

隣のゲートに、鹿毛の馬が入った。

 

その隣にも、また別の馬。

 

 

 

全頭、ゲートイン完了。

 

 

 

静寂。

 

 

 

心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 

 

ドクン、ドクン、ドクン……

 

 

 

さあ、来い。

 

 

 

扉が開く瞬間を、待つ。

 

 

 

と、その時。

 

 

 

ブゥゥン……

 

 

 

小さな羽音が。

 

 

 

え?

 

 

……。

 

 

 

視界の端に、小さな黒い影。

 

 

 

虫だ。

 

 

 

ゲートの隙間から入ってきた、小さな虫が……え、ハチ!?

 

 

 

私の顔の前を、横切った。

 

 

 

ヒヒィィン(いやああっ)!!!??』

 

 

 

反射的に、立ち上がってしまった。

 

 

 

その瞬間。

 

 

 

ガシャァァンッ!!

 

 

 

扉が、開いた。

 

 

 

 

 

まずい。

 

 

 

体勢が、崩れてる。

 

 

 

周りの馬たちが、一斉に飛び出していく。

 

私は……

 

 

 

一歩、遅れた。

 

 

 

「おわっ……!」

 

 

 

鞍上から、たけしの声。

 

 

 

……やっばい。

 

 

 

 

 

「おっとサクラノヒメ、立ち上がった!出遅れです!バラついたスタートになりました」

 

 

 

実況の声が、スタンドに響いた。

 

 

 

スタートで、完全に後手を踏んだ。

 

 

 

ハチ、なんてタイミングで……!

 

 

 

私は慌てて加速したけど、もう遅い。

 

他の馬たちは、既に前を走っている。

 

 

 

最後方。

 

 

 

完全に、最後尾だ。

 

 

 

「白毛のサクラノヒメ、最後方、3馬身ほど遅れての競馬になりました。これは厳しい。そして10番のグアドループ後ろからです。好スタートは5枠2頭ベアナチュラルまず行きます2コーナーを迎えます……」

 

 

 

実況が、容赦なく伝える。

 

 

 

スタンドからも、「あー……」というため息が聞こえる。

 

 

 

水野調教師も、きっと頭を抱えているはずだ。

 

 

 

ごめん。

 

 

 

ハチが、怖かったんだ……

 

 

 

たけしが、手綱を操作する。

 

 

「落ち着け、ヒメ!まだ行ける!」

 

 

 

彼の声が、私を現実に引き戻した。

 

 

 

そうだ。

 

 

 

まだ、終わってない。

 

 

 

レースは、まだ始まったばかり。

 

 

 

1800m。

 

まだまだ残ってる。

 

 

 

ゆっくりと、脚を伸ばしていく。

 

 

 

焦っちゃダメだ。

 

出遅れたからって、無理に追いかけたら余計に厳しくなる。

 

 

 

まずは、落ち着いて。

 

リズムを作って。

 

 

 

前を走る馬たちの背中が、遠い。

 

 

 

でも……

 

 

 

私には、脚がある。

 

 

 

人間だった頃は、こんな風に走れなかった。

 

でも今は、四本の脚がある。

 

 

 

この脚で……

 

 

 

追いかけるんだ。どこまでも。

 

 

 

「おっと出遅れたサクラノヒメ、颯爽と外目を突いて上がっていきます」

 

 

 

実況の声が、少しトーンを上げた。

 

 

 

徐々に、前との差が縮まっていく。

 

 

 

一頭、また一頭。

 

 

 

抜いていく。

 

 

 

ぬかるんだ芝が、蹄の下で弾ける。

 

 

前の馬が芝を跳ね、顔に当たりそうになる。

 

 

たけしにも当たってないと良いけど。

 

 

 

……風が、顔を叩く。

 

 

 

気持ちいい。

 

 

 

やっぱり、走るのが好きだ。

 

 

「……内から2番のハイエストポイント、ハイエストポイントが先手をとって向正面です。リードが2馬身…………」

 

 

 

コーナーを回る。

 

まだ中盤。

 

 

 

前方では、先頭集団が激しく競り合っている。

 

 

 

私は、その後ろ。

 

 

 

「……8番のレガトゥスは、4番手です。そして一馬身差、コスモアシュラ中団、更には5番のセイウンゴールド3コーナーに向かいます!」

 

 

 

でも、焦らない。

 

 

 

直線まで、脚を溜める。

 

 

 

たけしも、無理に急かさない。

 

じっくりと、私のリズムに合わせてくれている。

 

 

 

ありがとう、たけし。

 

 

 

信じて、待っててくれてるんだ。

 

 

 

なら……

 

 

 

最後で、全部出してやるわ。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

最後のコーナーを回った。

 

 

 

目の前に、直線が開ける。

 

 

 

「さあ、先頭は2番のハイエストポイントか、横に拡がっています!3番のモンサンラディウス、1番ユーバーレーベン!最内を突いているのは、最内はフミロア……」

 

 

 

実況の声が、高揚していく。

 

 

 

前方では、先頭集団が壮絶な叩き合い。

 

みんな、必死に走っている。

 

 

 

私は……

 

 

 

まだ、後方。

 

 

 

でも……

 

 

 

「残り300mになった、坂を上がってくる!」

 

 

 

たけしが、手綱を動かした。

 

 

 

「行け、ヒメっ!」

 

 

 

その声に応えて……

 

 

 

私は、全力で蹴り出した。

 

 

 

加速。

 

 

 

一気に、速度が上がる。

 

 

 

前を走る馬たちが、急速に近づいてくる。

 

 

 

6番手、5番手、4番手——

 

 

 

……抜く、抜く、抜く!

 

 

『えーっ!?』

 

 

『むりぃ…………』

 

 

まだ無垢な馬たちのそんな声が、耳をかすめる。

 

 

 

「最内を突いた、グアドループ、グアドループが先頭だ!外からは白い馬体が飛び出してきているぞこれはどうなる!?残り200mを通過したッ!」

 

 

 

実況の声が、興奮に満ちていく。

 

 

 

風が、全身を包む。

 

たてがみが、激しく揺れる。

 

 

 

もっと、速く。

 

もっと、前へ。

 

 

 

3番手、2番手……

 

 

 

先頭が、見えた。

 

 

 

10番の栗毛の馬。

 

必死に、ゴールを目指している。

 

 

 

でも……

 

 

 

ぶち抜いてやる。

 

 

 

並ぶ。

 

 

 

一瞬、目が合った。

 

 

 

その馬の目には、驚きがあった。

 

 

 

ごめん。

 

 

 

私、行くね。

 

 

 

抜いた。

 

 

 

先頭に立った。

 

 

 

「サクラノヒメ、先頭だ!しかしその後ろからは1番ユーバーレーベン、2番手前を追っている!更には3番モンサンラディウス!」

 

 

 

実況の絶叫。

 

 

 

ゴールまで、あと50m。

 

 

 

「さぁ先頭は9番のサクラノヒメ、白い馬体を弾ませて!そして1番のユーバーレーベン!前は2頭並んで ̄ ̄ ̄」

 

 

 

後ろから、他馬が追いすがる気配。

 

 

すぐ隣には、レーベンちゃん。

 

 

 

『……はやっ!?』

 

 

 

でも……

 

 

 

止まらない。

 

 

 

この脚は、まだ止まらない。

 

 

 

ゴール板が、目の前に迫る。

 

 

 

そして……

 

 

 

駆け抜けた。

 

 

 

 

 

「……ゴールインっ!!!……3番手10番グアドループ。追いすがる1番ユーバーレーベンに、ゴール前9番サクラノヒメ。差を詰めて並んで入って…………」

 

 

 

実況の声が、競馬場に響き渡った。

 

 

 

スタンドからは、歓喜、落胆、様々な声。

 

 

馬券を外したーだとか当たったーだとかそんな話してんのかな?

 

 

 

私は、ゆっくりと速度を落とした。

 

 

 

息が、切れる。

 

心臓が、激しく打つ。

 

 

 

でも……

 

 

 

気持ちいい。

 

 

 

走り切った、という充実感。

 

 

 

「やったぞ、ヒメ!!」

 

 

 

たけしが、私の首を何度も叩いた。

 

 

 

「すげぇよ、お前!!」

 

 

 

その声が、嬉しかった。

 

 

 

ウイニングランをしながら、スタンドを見る。

 

 

 

たくさんの人が、手を振っている。

 

拍手している。

 

歓声を上げている。

 

 

 

人間だった頃、私もあそこにいた。

 

勝った馬に、拍手を送っていた。

 

 

 

今度は、自分が送られる側なんだ。

 

 

検量室に行くと、水野調教師が待っていた。

 

 

 

その顔は……

 

 

 

複雑だった。

 

 

 

嬉しそう、でも、どこか戸惑っている。

 

 

 

「……サクラノヒメ」

 

 

 

水野調教師が、私に近づいてきた。

 

 

 

「お前……」

 

 

 

彼が、私の顔を覗き込む。

 

 

 

「まだ、余力あっただろ」

 

 

 

!!!

 

 

 

 

「出遅れて、最後方から。それで楽勝。2番人気だった馬ですら突き放した。ユーバーレーベンに追い抜かれそうになった時ですら加速して追いつかせなかった。しかも、まだ余裕がある顔をしてる」

 

 

 

水野調教師の目が、私を見透かす。

 

 

 

「お前、もしかして……」

 

 

 

彼が、小さく息を吐いた。

 

 

 

「俺の分析、間違ってたかもしれないな」

 

 

 

田中さんが、驚いた顔で聞く。

 

「どういうことです?」

 

「この馬は……瞬発力型じゃない」

 

 

 

え?

 

 

 

「少なくとも、それだけじゃないってことだ」

 

 

 

水野調教師が、私の首を撫でた。

 

 

 

「この馬は、もっと……」

 

 

 

彼が、遠くを見つめる。

 

 

 

「……もっと上を見ても、いいかもしれない」

 

「いずれは、桜花賞や阪神JFに?」

 

「……いいや」

 

 

 

その言葉に、私の心臓が跳ねた。

 

 

 

 

 

後に、この予感は的中することになる。

 

サクラノヒメが、誰も予想しなかった領域にいるってことを……

 

 

 

この時は、まだ誰も知らなかった。

 

 

 

 

 

「とにかく、初勝利だ。おめでとう、サクラノヒメ」

 

 

 

水野調教師が、笑顔で言った。

 

 

 

「そして、武司君。ありがとう」

 

 

 

たけしが、深く頭を下げた。

 

「いえ、この馬が凄かっただけです」

 

「また、乗ってくれるか?」

 

「……もちろんです」

 

 

 

たけしが、私を見つめた。

 

 

 

「この馬となら、どこまでも行ける気がします。ゆくゆくは、GIにだって勝ってみせます。初GI制覇を、この馬で」

 

 

「ははっ、期待してるぞ」

 

 

 

その言葉が、とても嬉しかった。

 

 

 

たけしと、これから……

 

 

 

どんな景色を見ることになるんだろう。

 

 

 

空を見上げると、初夏の空が広がっていた。

 

高く、青く、どこまでも。

 

 

 

サクラノヒメ、デビュー戦勝利。

 

 

 

物語は、ここから本格的に動き出す。

 

 




有名騎手登場!名前のぼかし方これでいいのか汗
初めて書くもんで分からん(焦)
グダグダになったり至らぬ所があるかと思いますが、そんな時はぜひぜひご指導のほど……(›´-`‹ )
展開とかこれでええんかな(汗汗汗)

そしてゴメンなさいF4ファンの皆様(泣)

凱旋門賞 前哨戦としてどこ行くか

  • ヴェルメイユ賞※牝限
  • フォワ賞
  • ニエル賞
  • ギヨームドルナノ賞
  • プランスドランジュ賞
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